アイラブユー。SMAPが止まるまでは。――2015年のSMAPが踏み出した一歩 | オーヤマサトシ ブログ

アイラブユー。SMAPが止まるまでは。――2015年のSMAPが踏み出した一歩

2015年も、もう終わりですね。“はじまったものは必ず終わる”というのがこの世の常のようで、今年もあと数日で終わりを迎え、新しい年がやってきます。

思い返せば2015年のSMAPは、アルバム『Mr.S』を引っさげた全国ツアーのファイナル公演で幕を開けました。そう、今年のSMAPはある意味“終わらせること”からその歩みをはじめたのです。



2015年、『のど自慢』の衝撃

今年のSMAPの活動のなかでまずビビッドに思い出されるのが、生放送で出演した『のど自慢』での5人の姿です。

さまざまなバックグラウンドをもつ出場者たちをフラットかつ穏やかな熱をもって包み込む「隣の兄ちゃん」感と、熱心なファンではない市井の人々が集う町のホールを一瞬で祝祭空間に変えてしまう「百戦錬磨のエンタテイナー」としての顔。

そんな一見相反する存在感をいとも自然に発揮する5人の姿は、『のど自慢』というこの国の(もはや失われたようにも思える)牧歌さを象徴するような番組だからこそ、SMAPというタレントの特異性をいっそう際立たせていました。

いま思うと、『Mr.S』ツアーのエンディングの演出は、ひとつの暗示だったのかもしれません。ステージの奥に消えていくのではなく、自らステージを降りわたしたちの生きる“この世界”に帰っていくというあの演出は、SMAPの本質が改めて提示された瞬間でした。

つまりは「つくりもの・フィクションの存在」としてではなく、「呼吸し・地を踏み・汗をかき涙する、誰とも同じ存在」でありつづけること。それをやめなかったからこそ、SMAPはストレンジかつ圧倒的な存在感を獲得したのでしょう。(アイドルがアイドルとして無邪気に神格化されていた時代の終焉とともに生まれた彼らには、そうするしか道がなかったのかもれないですが)



2015年、すごすぎた2枚のシングル

『のど自慢』というフィルターを通して、アイドルとしての魅力を改めて示す一方、『Joy!!』以降充実の季節が続く音楽面でも、今年SMAPは非常に重要な局面を迎えました。

今年SMAPがリリースしたシングルは2枚。両A面シングルの表題曲を並べてみると、改めてその豊作っぷりに驚かされます。

カリソメの貨幣をばら撒きながら「逆襲」というワンワードでSMAPのオルタナティブ性を改めて現出させた『華麗なる逆襲』。善悪/悲喜のボーダーを超えた地点で、なお前進しようとする生命そのものを肯定した『ユーモアしちゃうよ』(詳しくはこちら→「SMAP『華麗なる逆襲/ユーモアしちゃうよ』は最強の“両A面シングル”だ」「<雨上がり、アスファルトの匂い>――『ユーモアしちゃうよ』を500回聴いて考えた」)。ほとんど『Shake』以来と言ってもいいほど“パーティー・オーガナイザーとしてのSMAP”の復権を実現した『Otherside』。たった2枚のシングルの中でこれだけの振れ幅を見せながらも、どれをとってもSMAPとしか言いようのない必然性をもった楽曲ばかりでした。

中でも、自分がもっとも衝撃的だったのが、以前ブログにも書いた『ユーモアしちゃうよ』、そして今回取り上げる『愛が止まるまでは』です。



『愛が止まるまでは』がSMAPにもたらしたもの

『愛が止まるまでは』という曲をどう解釈するか――人によってその受け止め方は大きな幅を持つでしょう。聴き手の想像をより喚起させる川谷絵音の歌詞は、これまでSMAPに楽曲提供した『アマノジャク』『好きよ』でも、さまざまな解釈を産んできました。むしろそのように、インスタントにひと言では言い表せない感情や感覚を呼び起こさせるストレンジさこそが、川谷絵音という作家の得難さでもあります。

この楽曲も、一聴するとラブソング然としていながら、「僕」「君」などの聴き手が置き換えやすい言葉ではなく「誰か」「僕ら」「みんな」というより広い視点での主語を散りばめるなど、一面的な解釈をやんわりと拒否するような仕掛けが目を引きます。

楽曲・パフォーマンスにおいても、SMAPとしてはかなりイレギュラーなものになっています。まずこれはSMAPの歌唱力という問題以前に、誰が歌うにしても楽曲の難易度がかなり高い。性急なビートと複雑極まりない譜割りは川谷楽曲の特徴ですが、そのクセのあるスタイルは、メンバーにとってこれまで築き上げてきた歌唱スタイルでは対応しきれないものだったのではないでしょうか。音源では、ここにきてかなり新鮮な5人のボーカルを聴くことができます(特に『Otherside』とは対称的に抑制された木村の歌声は、シングルではなかなか聴けない良テイクかと)。

またパフォーマンスでは、大人の色気を感じさせるスタンドマイクを用いた振り付けが採用されていますが、スタンドマイクの効果のひとつとして“パフォーマーの動きを縛る”というものがあります。先日の『ミュージックステーション』でのフルパフォーマンスで、その“縛りの効果”が顕著に表れていました。

縦横無尽に会場を駆けまわったあとに、メインステージで歌われた『愛が止まるまでは』。『Shake』でみせた躍動感あふれるステージから一転、特にサビの振りではマイクスタンドありきの動きがとても多く(2番のサビではスタンドを抱えながら跪いてしまう!)、メンバー各々のパフォーマンスの自由度は一気に制限されることになります。しかしマイクスタンドに縛られた状態でのパフォーマンスは、だからこそ逆説的にメンバーの生々しさ・肉体性をより浮き彫りにしていました。

歌唱面でもパフォーマンス面でも多くの“制約”や“縛り”をもった楽曲だからこそ、そこから嫌でもはみ出してしまう5人の個性が浮かび上がる。そんな楽曲とSMAPのせめぎ合いも、『愛が止まるまでは』の大きな魅力のひとつです。

そう、長々と説明しましたが、これらはこの曲の魅力の一端に過ぎません。というか、ここまでは前置き。ここからが本題です。



『愛が止まるまでは』とは「終わりについての歌」である

先述したとおり、人によってさまざまな解釈ができるであろうこの曲。自分は端的に言うと、「終わり」についての曲だと思っています。もっと言えば、「“SMAP自身の終わり”について歌った曲」でしょう、これは。

過去にもSMAPには、終わりをテーマにした楽曲はいくつかあります(特にシングル『Fly』のカップリング『End of time』は、世紀末の終末感を甘美に表現した激名曲。ボーカルもオケも最高なので未聴の人は即聴くべし)。が、自身の終わりについて歌ったことはこれまでほぼないでしょう。それは当然といえば当然で、アイドルは自分の終わりを歌うなんてこと、基本的にはしちゃいけない存在でしょう。

「これからも僕たち(私たち)といっしょに時を重ねていきましょう」――こういう台詞を笑顔で言い続けることも、アイドルのめちゃめちゃ大事な仕事のひとつなわけで、間違っても「僕たちはいずれ消えてなくなる存在です」なんて、口が裂けても言ってはいけないわけです。

しかし『愛が止まるまでは』はかなり深く「自身の終わり」について踏み込んでいる曲に聴こえます。

俺には、ど頭の香取パートは、住み慣れた街を後にし、死に場所を求めて彷徨う野良猫の心情描写に思えて仕方ありません。続く中居パートなどは、すでにSMAPが終わった世界から、メンバー自身が過去を懐かしんでいる光景のようにすら聴こえます。

さて、ここで俺自身も自問したい問題があります。俺が言い出しておきながらなんですが、“そもそもSMAPにとっての「終わり」とは、いったいどういうことなのでしょうか”。



「SMAPはダメにならなかったもんね、辛いよね」

SMAPはそもそも、安易に“永遠”などと口にするグループではありませんでした。自身について歌ったと言われることも多い名曲『STAY』や『Still U』でも、「たったの50年」とわざわざ期限らしきものを口にしたり、「皆に別れるかも知れないと言われた」とエクスキューズを入れたりしています。

それは先述したとおり、SMAPがあくまでフィクショナルな存在としてのアイドルではなく、ある種「人間宣言」を掲げたアイドルとして生きる道を選んだことと無縁ではないと思います。

「SMAPにとっての終わり」を考えるとき、例えば近年のSMAPが、ゆるやかに、しかし確実に「老い」と向き合うステージにシフトチェンジしていることをトピックとして挙げることもできるでしょう。アイドルとはいえ、私たちと同じように年を取っていく。そんな事実をどう表現していくか。5人がそういうトライアルをすでにはじめていることは、例えば『27時間テレビ』をはじめとする近年のSMAPの姿を見ていれば明らかなことでしょう。


ではSMAPにとっての終わりとは、単に時間の問題なのでしょうか。アイドルにとっての終わりは、時間や年齢といった物理的な問題だけなのでしょうか。


先日放送された中居正広がMCの特番『Xmasスペシャル中居正広が結婚を考える夜。』内での中居と桃井かおりの対談は、非常に多くの発見と示唆に富んだものでした。中でも桃井のこの発言は特にすごかったです。


「SMAPはダメにならなかったもんね、辛いよね。普通はダメになっちゃうじゃない、どうにかしなきゃってことでさ」


続けて桃井は、「いつかシラフにならなきゃいけないと思ってた。このまやかしの魔界みたいなことをいつか辞めなきゃいけなくないかな、ってずっと思ってたわけよ」と語っています。もちろん、桃井と中居の、そして桃井とSMAPの立場は違います。しかしこの発言は、アイドルにせよ女優にせよ、エンタテインメントに従事する者の「終わり」を考えるときに、かなり生々しい発言です。

これまでSMAPがダメになりかけた=終わりを迎えそうになったことが一度もなかったか?という問いに対しては、27時間テレビでのメンバー発言を引用するまでもなく、私たちのなかにもいくつかのタイミングが思い浮かぶでしょう。SMAPが終わってしまうタイミングは、これまでにきっといくつもあった。

しかし色々なことがあってなお、SMAPはダメにならなかった。確かに2015年年末の時点で、SMAPはここに存在しています。

SMAPはまだ、ここにいる。SMAPはまだ「終わっていない」。だからこそ、『愛が止まるまでは』という曲が生まれました。



「SMAPが止まる」そのときまでは

『愛が止まるまでは』のなかで、SMAPは何度も何度も何度も何度もこう繰り返します。


アイラブユー。アイラブユー。愛が止まるまでは。アイラブユー。アイラブユー。


彼らも、私たちも、いつかこの存在が終わることは知っています。2015年があと数日で終わるように、僕らの存在もいつかは終わる。そのことに納得できてもできなくても、この世界はどうも、そういうふうにできているらしいです。

しかし、なにかの偶然でこの世界に生きている私たちは、まだ終わってはいないようです。そして同じように偶然にこの世界に生きている5人(=6人)の男たちの物語も、まだ終わっていません。

というか、「SMAPの終わり」とはいったいどういうことなのか、私たちはもちろん、本人ですらそれがどういうことなのか、まだ知らないのではないでしょうか。

いずれ「SMAPが止まる」そのときまで、彼らはこんな言葉で気取り続けるのでしょう。


アイラブユー。アイラブユー。


「終わり」を見据えたからこそ、歌える「アイラブユー」がある。2015年、SMAPは終わりを歌うことで、新たなはじまりを迎えました。それがこんなにも刺激的で鋭い表現であったことが、本当に嬉しい。

この曲をどう受け取るか。それはそのまま「SMAPの終わりとどう向き合うか」という受け手である私たちの姿勢を問われているようにも思えます。

“終わりと向き合うことをもエンターテインしていく”――そんなありえないディメンションにジャニーズのアイドルが踏み出したという事実は、けっこうすごいことだと思います。

……まあこの解釈は俺の超個人的な妄想なので一般化しようとは1ミリも思ってませんが、少なくとも俺はそれくらいのことだと思っています。ほんとに面白いことになってきたなあ。



ただ、正直なことを言うと、SMAPにはこのあとすぐに終わられたりしちゃ困るんです。困るんだよこっちは。これからもっともっといいものを届けてほしいんだよこっちは。頼むぜ。来年も、その先も、俺はあなたたちにすげー期待してんだ。こっちもその分、真剣に、真摯に、暑苦しいほど向き合う覚悟でいるので。

そして改めて繰り返しますが、『愛が止まるまでは』を含む今年のSMAPの音楽面は、ほんとにほんとにすごかった。これは来年出るであろう(出るよね?)アルバムに期待せざるをえないでしょ。つかここ数年の楽曲の打率高すぎ!



というわけで、結論。2016年、とりあえずアルバムあるよね? で、ライブあるよね? ね? 待ってるからねー! 待ってんぞおい!!!(←結局それ