エマーソン北村『ロックンロールのはじまりは』――荒野を歩む僕らのサウンドトラック
エマーソン北村の新譜『ロックンロールのはじまりは』を聴いた。すっっごくいい!
早くそのすばらしさについて書きたいのだけど、まずはこのアルバムと出会うきっかけとなった、ある夏の思い出から書いておきたい。
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今年何度目かの「RISING SUN ROCK FESTIVAL」に行った。俺が知る限り地球上でもっとも最高(日本語下手)なフェスだ。
いつもフォレストのテントサイトに立てられる友だちのテントにお邪魔していて、エマーソン北村は毎年そのフォレストでライブをしている。
入場時にはウェルカムライブをやっているし、ライブアクトとしても毎年演奏しているので、自分はRSRに毎年行っているわけではないけれど、行くたびに彼の演奏を耳にしていた。
なので、RSRに行った年は必ずといっていいほど彼の演奏を聴いているはずなのだけど、今年のそれは俺にとって特別なものになった。
フェス初日、カンカン照りの朝っぱらに入場したときのウェルカムライブが妙に耳に残ったのと、2日目の朝、またしてもピーカンのもとでのステージがとってもとってもよかったのだ。最初はテントで椅子に座りながら音漏れを聴いていたのに、あまりによくてステージ近くまで走ってしまったほど。
それは単純に、あのときの俺にあのときの彼の音がフィットしたってことなのだと思うけど、とにかく数々のアーティストの名演が繰り広げられたフェスのなかで、あの北海道の朝の強い日差しのなかで聴いた彼の音が、じんわり心に残ったのだった。
そのときのMCでも告知されていたのが、『ロックンロールのはじまりは』だ。
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シンセやエレクトリック・オルガンの演奏と打ち込みのリズムを基調としたインストが6曲。冒頭の表題曲で、何処かからの通信音のような単音からはじまったのちの、エレクトロニクスによるノイジーな展開に耳を引かれた。アルバムタイトルが冠されているだけあって、この曲の肌触りがアルバムのムードを象徴している。
どの曲も、どんなにポップなメロディでも音の質感はどれもけっこうザラついている。音色そのものは柔らかなのだけど、音の輪郭はエッジがたっていて、耳に掠れる感じ。それがいい。
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まあ毎日どこもかしこも、誰も彼も、ヒリヒリしている時代なわけで。少し気を抜いたらほんとうにあっけなく死んじゃったりする、そういう世界になってきていると思う。おおげさじゃなく。
『ロックンロールのはじまりは』にはそんな日々に疲弊した心が休まるグッド・メロディもたくさん入っている。が、それをただ優しく鳴らすのではなくて、「毒をもって毒を制す」ではないけど、この時代にフィットする響きでもって鳴らしている。それがこのアルバムのノイジーな手触りで、音ひとつひとつの強度がすごいし、説得力がある。一見物腰は柔らかいが、すごくタフな音楽だと思う。
なんというか、殺伐とした荒野を歩んでいくためのサウンドトラックとして、なんとも絶妙に最適な湯加減なのだ。誰も扇動せず、誰にも媚びないメロディたち。そんな音楽に『ロックンロールのはじまりは』という題がついているのは、個人的にはすごくしっくりくる。
それで言うと後づけかもしれないけど、今年のRSRは、フェスの享楽性より、現実世界のなかでいかに音楽とともに立っていくか、というようなことを考えさせられる場面が多くて、いま思うと彼の演奏が、あのときの自分のそういうメンタルとリンクした部分があったのかもしれない。とにかくいまこの音楽に出会えたことは、この音がいまの自分に必要だったからなんだろうな、と思う。
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で、そういうあれやこれやをまったく考えなくてもそれはそれで全然問題なくて、記名性・作家性が高い作品であると同時に、聴く人の毎日を彩ってくれるBGMとしても、めちゃめちゃいい。早くiPhoneに同期していろんな風景にこのアルバムを連れ出したい。
表題曲から、RSRのステージでもまっさきに耳に残ってMVも作られているリード曲『帰り道の本』への流れが最高。そこで一気に引き込まれたあとは、あっという間の21分。コンパクトだけど曲の密度は濃厚で、満足感は高い。このサイズ感にも必然と確信を感じる。あとスカ~レゲエっぽいリズムが多いこともあってか、かなり踊れるのもいい。(RSRのステージで見たときもビール片手に踊りまくった。最高だったなー) ライブにも絶対行こう。
しかし、『帰り道の本』、ほんっっっっっっとにいい曲だなあ……。完璧に俺の心にフィットしてしまった。毎日口ずさんでいる。年が終わろうとしているときに、新しい音楽に出会える喜びは格別だ。ひとまずは自分勝手に聴き込んだあとで、同封された長めのブックレットを読んで、さらに作品を味わっていきたい。またひとついい音楽に出会ったぞー!
(余談。こちら↓アルバム収録の1曲。カバーなんだけど原曲がRIP SLYME『雑念エンタテインメント』の元ネタと知ってマジかー!と。無知だからこそこういう発見は嬉しい。好きなものはつながるのね)
SMAPの25周年ベスト盤&クリップ集ジャケデザイン見てめちゃめちゃアガった理由
ベスト・アルバム『SMAP 25 YEARS』とミュージック・ビデオ集『Clip! Smap! コンプリートシングルス』のジャケットデザインが公開された。端的に言って素晴らしい。
クレジットを確認できていないが(※追記 発表されたようです→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161119-00000001-dal-ent)、おそらくほぼ確実に佐藤可士和によるデザインはそれぞれ、2001年発表のベスト盤『Smap Vest』と2002年発表のMV集『Clip! Smap!』の延長線上にある。
2000年のアルバム『S map ~SMAP014』から始まった佐藤氏とSMAPとの蜜月関係。その最初期であり、もっとも攻撃的で先鋭的だった(と個人的には思っている)コンセプトをいまもう一度やってみる、という試みは、「なんだ、やっぱ結局あの頃が最高だったんじゃん」という凡庸な感想を持たれかねないリスクを、「でも、や、というか、いまだからこそこそやるんだよ」という一点突破によって、ものすごいクオリティで完遂している。
ファンの投票によって選曲されたベスト盤と、レア映像を含むクリップ集。しかもこの解散というタイミングでのリリースである。しかし本作たちのデザインに余計な情緒や感傷は皆無である。いや、正確に言うと少なくとも表出しているデザインそのものには皆無である。
だからこそファンは、白地に黒い色で微妙に途切れてデザインされた「smap」という文字列や、いかにも無造作に(しかし見れば見るほど気持ちいいバランスの配置で)ばらまかれたゼムクリップたちに、それぞれの情緒や、人によってはある種の感傷をかさねることができるのだ。
特にCDジャケットについて、smapという文字列は完璧に表示されておらず、認識できるギリの範囲でトリミングされている。これは“「SMAP」というかたち”がすでに不定形になっていることを示唆している。
そのアプローチは『014』当時にもあったもの(SMAPという文字列を記号化することで、彼らをアイドルとしてではなく“媒介者=メディア”として扱うというアプローチ)だが、これを“いま”再び“反復”することで、当時とはまた別の意味合いを帯びてくる。
SMAPはその長いキャリアにおいて“反復”することを避けてきたアーティストだ。いわゆる勝ちパターンをなぞることをせず、常に新しい価値を求めているようなスタンスがあったし、そこがアイデンティティの一角になってすらいると思う。
それはデザインワークに関しても同じで、『014』から『裏スマ』まで続いた極端なミニマムがマキシマムへと反転するポップアートさながらの方法論は、それ以降のアルバムへ引き継がれつつも、各作ごとに新たなチャレンジを図っていた。が、そのアウトプットの結果は、当初ほどの鋭さを持ち得ていたかというと個人的に疑問は残る(それはデザインのみの問題ではなく作品のコンセプトそのものに依るところも大きいが)。
しかし、じゃあそこで安易に過去の反復に走ったところで、結果は火を見るより明らかだ。だからこそ今回のデザインワークの鮮やかさと潔さに驚かされた。
ここには自虐も諦めも投げやりもない。「これこそ現在進行形のSMAPの表現だろ」という確信が宿っている。つまり、余計な情緒や感傷といったわかりやすく消費されるシンボルを掲げるのではなく、いまこそ万人の想いを受け止め、映し、きらめかせる“媒介”としてのSMAPを再び現出させるという試みだ。
その行為は、今年の『SMAP×SMAP』における、自曲を一切歌わず他者の音楽に身を委ねさらに拡張させる役割に徹することで、逆説的に彼らにしかなし得ない方法でSMAPの表現を更新し続けていることにも通じるアティテュードである。というか順番としては逆で、『014』の時点でそういった姿勢が顕在化していたというほうが正確なのだろう。
そしてそんなことが可能だったのは、SMAP自身の力はもちろんのこと、長きに渡って彼らを支える優れたクリエイト・チームの存在があってこそだということ。今回のアートワークを見て、その想いを改めて深くしたのだった。というか今さらだけど、全員、本気だ。当たり前だ。だってSMAPが解散すんだぜ。こんなに本気にさせられる状況、ほかにねーだろ。そう言わんばかりのジャケなのだ。もっかい言う。素晴らしい。
(というか真面目っぽく書いてきたけど『広告批評』の広告SMAP特集読んでスマップすげー!ともろに影響受けてきたover30おじさんにはほんとに嬉しいデザインだったぜええええ早くこのポスターとビルボードで街が染まる光景が見たいいいいいいい)
2016年9月5日、SMAPと矢野顕子は「ひとつだけ」をうたった
あっこちゃんはいつも笑顔であのうたをうたってくれて
おれたちはそれをみていっしょに笑顔になったり
どうしようもなく泣いたりするわけだけど
きょうあっこちゃんと一緒にあのうたを歌うSMAPは
すごくシリアスな視線と力のこもった歌声を表出させていて
それはどこかなにかを覚悟したふうなたたずまいにも見えた
そこに余計な他意はなくて
あれはきっとSMAPなりのあのうたへの批評だったのだと思う
香取慎吾のソロにあっこちゃんのハミングが重なった瞬間
これまで何度も何度も何度も聴いてきたこのうたの
まだしらなかった表情に出会えた気がした
やさしいだけじゃない、あたたかいだけじゃない
なんでこのうたを聴くと涙が出てしまうのか
とっても深いところにあるその理由に触れた気がした
いまのおれたちはこのうたをシリアスにとどけたいんだ
それはいまゲストとしてやってきたあっこちゃんへの
5人の責任の取り方だったのだろうし
彼らにそうさせた『ひとつだけ』といううたと
矢野顕子という表現者のすごみを
