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『72』――「ぼく」と、「きみ」と、「友だち」のうた

前にも書いたように、『72』は願いのうただ

「あたらしいこの場所」を選んだ「ぼく」は
「きみ」とまた逢うことができた

でも「ぼく」も「きみ」も相変わらず
いつだって頼りない
ほんとうに72冊の本を書き上げられるかどうかなんて誰にもわからない

でもそれをやろうとするひとがいて
それを受け取ろうとするひとがいる
そういうひとたちのためのうただ

このうたのサビで何度も繰り返される「ずっと」ということば

<ずっとずっとこんなふうに
遊び続けよう>

<ずっとずっとこんなふうに
遊んで生きられたら>

いまも全然ままならない
そんな「ぼく」と「きみ」が歩む
この先の未来についての願いが
繰り返される「ずっと」にこめられている

ただ、このうたのなかにたった一度だけ
違う「ずっと」が歌われる


<ぼくはずっと友だちには
恵まれてるみたい>


これ以外の「ずっと」が

「(これから先の人生)ずっと」

という意味合いなのに対して
この「ずっと」は

「(これまでの人生)ずっと」

という意味に取れる


この「ずっと」を口にする一瞬、
「ぼく」はそれまで見つめ続けてきた「きみ」から視線を外し、
ちょっとだけ後ろを振り返る

ずっと「きみ」のことを、
そしてこの先の未来を見続けてきた「ぼく」が、

なにかを確かめるように、
なにかを噛みしめるように、
ほんの一瞬だけ、
彼方に目をやる


<恵まれているみたい>なんて謙遜しながら、
恋人に自分の親友を紹介するときのような、
少し恥ずかしそうで、
でもなんだか誇らしげな佇まい

俺はそんな「ぼく」の姿を想像する

「きみ」との未来への願いをうたおうとしたとき、
「ぼく」は、自分の自慢の「友だち」のことを、伝えようと思ったのだ


<ぼくはずっと友だちには
恵まれてるみたい>


彼らは、そのことを、伝えたいと思ったのだ

 

 

 

 

『72』――どこまでもポップでどうしようもなく切ない“願いのうた”

『72』のサビで歌われる<ずっとこんなふうに遊んで生きられたら>というメッセージ。

作詞・作曲・編曲を手掛けた小西康陽がかつて率いたバンド、ピチカート・ファイヴの『マジック・カーペット・ライド』を思い出さずにはいられない。

<そしてふたり/いつの間にか/年をとってしまうけど/いつまでもふたり/遊んで暮らせるならね>

ピチカート・ファイヴはこの曲を出した8年後に解散した。
25年続いたSMAPも、あっけなく終わってしまった。
このホンネテレビという遊びだって、たった72時間で終わってしまう。

生きられたら。暮らせるなら。

だからこれはどちらも、願いのうたなのだ。

それがたとえ叶うことのないものだとしても、ひとは何度でも、願いをメロディとことばに乗せ、うたうことができる。

それこそポップ・ミュージックの存在意義だろと言いきってしまいたくなる。

どこまでもポップで、どうしようもなく切ない。
ピチカートもSMAPも、俺が大好きな音楽は、こういう音楽なんだ。

 

またこういう曲を聴けるということが、俺にとっての希望そのものなんだ。

“ホンネ”でいることってつまりどういうことなんだ――72時間ホンネテレビに寄せて考えた

「新しい地図」始動とともにアナウンスされた、稲垣氏のアメブロ開設。そして今回のハッシュタグ #ホンネテレビ応援してます の件。

これは…ブログ始めるときになぜか(失礼)アメブロを選んで、SMAPについて書き続けてきた俺に対する、本人たちからの啓示としか思えない…!

まあそれは嘘ですが、あと冷静に考えると本人に読まれる可能性が万が一にもゼロではないとか恐怖以外の何物でもないのではという気もしつつ、せっかくの祭りだし、あと元々彼らへのラブレターのつもりでこのブログを書いてる部分もあったし、この機会をみすみす見逃すこともないだろう。

というわけで、『たぶんオーライ』を引き合いにして<「応援」という行為があまり好きじゃない>と書ききっている人間に、このお題でなにか書けることがあるのかしら、とぼんやり思い巡らせみることにした。

で、改めて<ホンネテレビ>というタイトルを眺めてみて、ツイッターで最初にこのプログラム名を見たときに感じたちょっとした心のざわめきを思い出した。

言いたいことと、言いたくないこと。
言えることと、言えないこと。
それらを踏まえて、実際になにを言い、なにを言わないか。

ショウビズの世界に身を置く3人に限ったことではなく、ただの一市民である俺ですら、日常生活のさまざまな場面で、こういった判断を瞬時に行っている。

その無数のジャッジの中で、本音は心の奥底にどんどん隠れていって、そもそもそんなものがあったのかどうかすら、わからなくなっちゃったり。

俺はそもそも自分の本音すらよくわからないし、他人の本音など知れるわけないとも思っている。
(だって自分自身のことが一番よくわからないのに、他人の心などわかるわけがないだろう!)

自分の本音をありのままに語ることができる人とか、この世界にほっとんどいないのでは、とすら思う。

俺は根本的にそういうスタンスの人間なので、今回の“本音”という言葉に、なにか引っかかってしまったのだった。

今回新しい地図になって解禁されたインターネットプログラムで、3日間に渡って伝えられる3人の本音。

彼らにも、今だからこそ言える本音があるのか。
これまで言いたくても言えない本音があったのか。
それって一体なんなんだ。

……うーん、だめだ。この妄想、答えもなければ、なんの実りもないやつだ。なにより全然楽しくないし。

よくわからなくなってモヤッた末に、そもそも本音という言葉はどう定義されてるのかしら、と、<ホンネ 意味>と検索してみた。
するとこんなものが出てきた。

1 本来の音色。本当の音色。
2 本心からいう言葉。

え! あ! そうだったのか!
驚いた。というか間違えてた。俺はてっきり2の用法でしか考えてなかった。

1の用法なら、わかる。すごくわかる。とてもよく、わかる。

これまでの活動を見てきて思うのは、SMAPは自身の過ちや矛盾を否定しない人たちだということだ。
要は自分を必要以上に取り繕うということをしない。(むしろ必要以上にさらけ出す傾向にある)

それってなぜなのか。
きっと彼らは“常にほんとうであり続けたい”だけなんじゃないだろうか。
 

『A Day in the Life』という曲について書いたとき、『ユーモアしちゃうよ』という曲について書いたときも、彼らの音楽を聴くとき、俺はいつもそんなふうに思ってきた。

ありのまま、と言ってもよいかもしれない。
正直、だとちょっと違う気がする。
ときに正直じゃない自分もひっくるめて、そのまんまでいることを自ら選び取る感じ。
『A Day in the Life』の<結論は出ない 人間だからね>というフレーズの異様なまでのあっけらかんさなど、その象徴だろう。

思い返すとSMAPというチームはみんな、「これは言わないだろう」ということを言ったり(タブーを破る)、「これ言ってほしいなあ」ということをあえて言わなかったり(安直なサービストークを避ける)、そういうことをよくする人たちだ。

そこがアイドルとしてはとてもスリリングで、作りもの臭さじゃない人間くささを感じる部分でもある。

それって、単に本音を語りたいからそうしている、というより、“ホンネな存在でいたい”というスタンスが全員に通底しているからなんじゃないか。

もともとそういう5(6)人が集まったのか、SMAPというチームが彼らをそうさせたのか、それはわからない。

けど、俺はそういうものをSMAPや彼らの活動から感じてきたし、新しい地図がやろうとしていることも、変わらずそういうことなんじゃないかと思う。

言いたいことと、言いたくないこと。
言えることと、言えないこと。
それらを踏まえて、実際になにを言い、なにを言わないか。

そんなジャッジを繰り返して、必要以上に自分を取り繕って、本音がなんだかわかんなくなっちゃってる俺みたいな奴に、

「俺らはこのまんま“ホンネ”でいくぜ、みんなはどうする~?」

と軽やかに問いかけてくれる。そういう存在を引き受け続けてくれているのだ。

だから新しい地図も、見ていてすっげーヌケがいいんだろうなあ。
改めて、こういう人たちが居続けていてくれることの得難さに頭が下がる。

というわけで、<ホンネテレビ>に際して設けられたこのハッシュタグ #ホンネテレビ応援してます ですが、彼らへの応援とはほど遠い内容になりました。

まあでもこれが、“本音”が苦手な俺の、いまの“ホンネ”ということで。

俺もスコーンと抜けるように晴れ渡る秋空のように、ホンネでいたいし、ホンネであり続けたい。

そんなことを思いながら、俺なりの72時間を過ごそうと思います。

「V6 LIVE TOUR 2017 The ONES」レポート―驚きと裏切りに満ちた2時間半

 

まず、というかなにより、音が想像以上にすごくよかったのが最高だった。
アリーナだしなーと正直期待していなかったのですが。

俺が見た宮城公演の会場(サイズ感含め最高)の特性による影響もあるかもしれないと思っていたが、他会場で観た方の感想を見ると、割とどこでもよかったよのかもしれない。

単に全体的に聴きやすい音だった、ということではなくて、『The ONES』というアルバムを引っさげたツアーにおいて、どういう音を前に出すべきか、という音の作り方がいちいち的確だったのだ。

際立っていたのは、低音と高音域のエフェクトの鳴らし方だった。
ただドンシャリ効かせてるだけ、というわけでも、もちろんない。

今回のツアーですごくよくわかったというか自覚したことがあって、俺は端的に言うと「ダンス・ミュージックとしてのV6の音楽」が好きなのだ。

俺がV6の音楽に魅了されるきっかけとなった『OMG』も収録曲の大半がダンスチューンだし、『The ONES』の冒頭に連打される『never』『刹那的 Night』『SOUZO』もタイプは違えども、どれも広義のダンス・ミュージックと言えるだろう。

で、今回のツアーって、別にガチのフロア対応の低音が鳴ってるわけではない。
音量もクラブやライブハウスに比べるとけっこう小さいし。
けど、ちゃんと気が利いた、耳でしっかりと重力と振動を感じられるキックとベースが鳴っていた。

“アリーナ会場のアイドルのコンサート”という場を踏まえた上で、ダンス・ミュージックとしての楽曲のポテンシャルをちゃんと活かそうとする音になっていたと感じたのだ。

それをもっとも強く感じたのが『刹那的 Night』だった。
卓球氏の(デモ時点ではおそらく)バリバリテクノな楽曲をCMJK氏による生楽器の音色で再構成したアレンジ、あの4つ打ちがアリーナで本当に気持ちよく鳴っていたし、ラストのサビのブレイクで指パッチンに音源の10倍(俺耳比)くらいの強めのエフェクトがきれいにかけられ、広大なアリーナ空間がリバーブで満たされた瞬間は鳥肌が立った。
この曲をもっかい聴くために別会場のチケット探そうかと思ったほど。

(そしてつくづく思う。OMGツアーを現場で体感したかった。エグいシンセベースがうねりまくる楽曲たちがアリーナでどう鳴っていたのだろうか)



よかった点は他にもある。
セットリスト内の、アルバム曲の配置と流れの素晴らしさには驚きとともに魅了された。

てっきり『never』で始まるとばかり思っていたところに、クールなムービーからフェイドインする『Can't Get Enough』の不穏なイントロで一気に心を掴まれる。
思えば『OMG』ツアーのOP『fake』もそうだったが、スタートダッシュで勢いをつけるのではなく、初っ端から焦らす。

「君ら、これがいちばん興奮するでしょ?」

という、ある種のサディスティックさ。
V6という極めて温和で優しさに溢れたグループの、普段は隠された鋭い爪が鮮やかに光るOPだった。

アルバムレビューでも書いたが、『The ONES』はそのボリューミーな楽曲群を最後までグイグイ聴かせる構成の巧みさが光るアルバムだった。

 

ではそのアルバムの曲順通りに披露すればいいライブになるかというと、決してそうではないだろう。
今回のツアーは、アルバムの楽曲を、その魅力を損なうことなく、ライブならではの流れで新たな発見を与えるセットリストに再構築する、というなかなかに高いハードルを見事に超えてくる内容になっていた。

例えば『Answer』→『Remember your love』→『Round & Round』の流れには、俺がこれまで頑なに譲らなかった
「楽曲はフルコーラスで聴くのが理想形である」
という思い込みをついに覆すほどのインパクトがあった。

この3曲はアルバムの曲順を遡るように配置されている。
しかしちぐはぐさは全くなく、むしろ新たな気付きと刺激に満ちていた。
その理由の一端として、フルコーラスではなくタイトな尺で繋いでいくことによるグルーヴの変化が大きく影響していた。
もしこのブロックを3曲全てフルで歌っていたら、全く別の時間が生まれていただろう。
それはもしかしたら逆に冗長なものだったかもしれない。
そう思えてしまうほど、この3曲のスムースな連打には“あえてフルで歌わない”という選択の必然を感じた。



さらに出色の出来だったのが、本編中盤からクライマックスへ向かう流れだ。

トニセンの『会って話を』は、最初こそあのキラキラ王子様衣装でこれを歌うのか!?と笑ったが、しだいに楽曲で描かれる「カッコつけることってなんてカッコ悪いんだろう」を地でいく、男の情けなさの極みを体現するのにぴったりのコントラストだと思い直した。
あれをストレートにオシャレなロングコートで歌ったら、ただただ渋くカッコいいだけの曲になってしまっただろう。
このユーモアとペーソスが幾層にも重なり合う滋味は、さすがトニセンならではだな、と感じ入った。

そこからハートウォーミングなナンバーを経て(『太陽と月のこどもたち』、MV含め最高だった)過去最短尺の楽曲の世界観をトリッキーなステージングとアレンジによってダークに増幅させた『DOMINO』、そして宙空からヴェールが垂らされた瞬間、これから俺はなにか見てはいけないものを見てしまうのではないか、という背徳の気配に思わず声を上げそうになり、実際にその予感が的中することになるカミセン『Get Naked』へ。弛緩から緊張へのギアチェンジの自由自在っぷりに、心地よく翻弄される。

ここからシングルのc/wである『SPARK』『MANIAC』を連続投下する流れでさらに心地よく裏切られる。
このライブはここからどう変化していくのか?どこにたどり着くのか?という興味をジリジリ煽りつつ、それまでのダーティな雰囲気をスパッと切り捨てずにジワジワと鼓動のスピードを上げていくような構成に、再びV6の“焦らし”を感じた。

つかの間のダンスタイムを終え、再び静寂が訪れたフロアに響く、朴訥としか言いようのない「♪はじまるよ~」の声々。
ぐわあ!! ここでこれがくるのか!! もうここまで俺は何度裏切られているんだ!!
てっきりアンコール、もしかしたらオーラスで歌うかもと思っていた、でもラストの大団円に向かうためのブリッジとして、『レッツゴー6匹』はここにあるべきだったのだろうと、またしても驚きとともに納得。
ここからは言うまでもなく、代表曲の乱れ打ち。あっという間に最後の曲となった。



この時点で俺は、本編最後は『The ONE』を歌うのだろうと999%信じて疑っていなかった。

森田剛の声が響いた瞬間、(……!!?!?!?!?)という声にならない声ともに、思わず壁にもたれかかってしまった(スタンド最上部席で見ていたので側に壁があったのだ)。
この選曲には、それほどの衝撃があった。

本編を『ボク・空・キミ』で締めるという選択。
しかしこれもまた、V6にとっては必然の選択だったのだと、いま振り返って思う。

『ボク・空・キミ』は、コンサート会場をわかりやすい一体感で包む曲ではない。
ひとりひとりがちゃんと“ひとりぼっち”のままいられることの得難さを歌った曲だ。
それは俺もそうだしあのとき会場にいた人たちも、そしてV6という共同体だってそうなのだろう。

どんなに仲がよくても、どんなに長い時間をともに過ごしても、最後はみんなひとりぼっちで死んでいく。それがこの世界に生まれ、生きるものに唯一平等に与えられた宿命だ。
でも、だからこそ、一緒にいられる有限なこの時間が愛おしい。
ライブという場で聴くこの曲は、たまらないものがあった。

The ONES=ひとりぼっちたちでいることを肯定する調べ。
これほどまでに心地よく翻弄され続けた最後に、こんなに静かで細やかなチルタイム

を用意している。
V6に漂うまっとうな優しさを感じずにはいられないセットリストだった。



個人のパフォーマンスにも触れたい。
『ボク・空・キミ』の坂本昌行のソロパートの歌唱は、本当にすばらしかった。
ひとことで言うと、そのとき彼は完全に素面だった。

自分にも、空間にも、なににも酔っていない、酩酊していない、声。

この曲を歌う坂本の目は、満員のアリーナ会場で歌っているとはとても思えないほど、
たったいま目覚めたばかりのような、静かな目をしていた。

そのたたずまいと声を目の当たりにして、ああ、でも彼は、いつもこういう目をしていたかもしれないな、とも思った。
緊張と弛緩を自在に操る強靭なエンタテインメントをこれでもかと見せつけられたあとで聴く彼の素面な歌声は、歌うという行為の本質を垣間見るような、とても豊かなものだった。

もうひとり、岡田准一のボーカルもとてもよかった。

(ここからキャリア20数年の人に失礼なことを言っている自覚はありつつ書きます)

俺はこれまで映像やライブでのたたずまいを見ても、彼のパフォーマー/ボーカリストとしての真価をいまいち計りかねていた。今回のライブを見ても、彼が持っているであろうすべての力を発揮していたとは思わない。
だが、ついにその正体を表す兆しが見えてきた気がした。

これまでは他の5人と比べて、彼のパフォーマンスに“核”のようなものがあまり見えなかった。
極端なまでにフラット。歌もダンスも、出たものがそのまま届く(だけ)。
その裏に彼のバックボーンのようなものが、ほとんど感じられない。

しかし表現として表出するものは、ただ薄っぺらいというわけでもない。
言い方を変えると、かなり得体が知れない表現者だったのだ。
特にそれぞれが強烈な個性を発揮するV6という集合体の中で、その異様さはより際立っていた。
今回そんな彼からなにか確固たるもの、核のようなものが生まれ始めている気がした。

 

これは超がつく私見だが、彼はいま半ばヤケクソ状態にあるのではないか。
そしてそのヤケクソの原動力は、「V6のエンタメに対して自分は何ができるのか」という、実はけっこうシビアな自問自答によるものなのではないか。


MCで長野博へのそれを筆頭にメンバーに対する愛があそこまで暴発しているのは、本当にただ末っ子として甘えているだけのものなのか(まあその可能性も全然あるが)。

フラットな存在ではなく、V6という個性派パフォーマー集団の一員として、自分はどんな爪痕を残せるのか。
言うまでもなく本当にそんな自問自答があったかどうか俺は知らないし知れるわけがない(※繰り返しますが超がつく私見です)が、俺にはその結果としてのヤケクソっぷりに見えたのだ。


ここで重要なのは、前回の20周年ツアーからパフォーマンスとボーカルの表現力が飛躍的に伸びているのは間違いなく彼であるということ。

そしてもうひとつ重要なのは、しかし『The ONES』の音源では、少なくとも自分はその進化を感じることができなかったということ。

つまり現段階では、ファンを目の前にするライブ空間において、ボーカリスト・岡田准一は覚醒しはじめているのではないか。

で、そのエネルギーの放出っぷりを見ていると、いずれ音源にもボーカリストとしての本領が刻まれる日がきっとくると思う。
『ボク・空・キミ』のソロパートの、極めて繊細、しかしそれだけではない、ゆるやかな確信のようなものを感じさせる歌声は、彼の覚醒を期待せずにはいられないきらめきに満ちていた。

ヤケクソ云々は置いておくとしても、本ツアーの彼のパフォーマンスにはちょっとワクワクする変化の兆しが生まれているように感じたし、それは今後のV6のライブ・パフォーマンスの方向性に影響を与えかねないレベルに進化する可能性を十分に期待させるものだった。

もしかしたら近いうちに、これまで存在しなかった、とてもストレンジかつ魅力的なアイドルが生まれてしまうかもしれない。それが岡田准一によって成されるとしたら、こんなに面白いことはないだろう。



とまあ珍しく真面目に書きたくなるほど今回もほんとにいいライブだったんですが、最後におまけとして、ひとつ願望を書いておきます。

「いつかトロッコ&バックステージなしのライブをやってほしい」

まあこれ実際ガチでやってほしいというよりはただの与太話なんですが。
まずトロッコとバクステが嫌なわけでは全然ないです。
というか俺も近くで見れるとやっぱ興奮するし。みんな美しくて!

ただ、それこそ今回のような本当に流れがすばらしいライブを見ていると、例えばバクステに移動する時間とか、トロッコで周遊する時間に、どうしてもユルさが生まれてしまう瞬間があって、それがもったいないなあと。

例えば今回すごく楽しみにしていた『SOUZO』が、メインステージからバックステージまで移動しながらというある種ブリッジ的な役割としてパフォーマンスされたこと。あの腰から踊らせるファンク・ダンス・チューンをゆるーく移動しながら歌うって、それもったいなさすぎるだろー!と。
せっかくスタンドマイクを使った振り付けもいいので、ガッツリ踊ってくれてもよかったなと。

その点『刹那的 Night』はフルじゃなかったけど、そもそも曲中でポージングするという“静”のアクセントが効いた振付だったことと、センターステージに行く必然性もちゃんとあったので、あの移動はダレることもなく全然アリなものになっていた。

こんなに高性能なダンス曲のレパートリーをたっくさん持ってて、実際ガシガシダンスできるチームなわけじゃないですか、V6は。
そのポテンシャルを120%発揮できる構成も見てみたいな、と思ってしまったのだった。
体力がもたなければ60分1本勝負とかでもいいので。メインステージで歌い踊り煽るだけのV6。魅力的だと思うけどなー。

何が言いたいかというと、こういう無茶な願望を抱いてしまうほど、今回のライブは刺激的かつ発展的な内容だったということです。
まだまだできること、たくさんあるじゃん! 20周年を超えるキャリアを経て新鮮にそう思えるライブをやれるって、すごいことだ。

というわけで次のアルバム&ライブも期待しかない。以上!

 

●こちらもどうぞ●

 

V6の“OMG以降”初のオリジナルアルバム『The ONES』は気合入ったいい作品だぜ

オーヤマ「いやー、仙台ってなにが名物なんだっけ? 牛タン、ずんだシェイク、それから…」

サトシ「それよりなにより地酒でしょ! 朝飲みできるお店探しとかなきゃ」

オーヤマ「だな! ライブ後に行くいい感じの居酒屋も見繕っておかないと。というかまず上野発の新幹線の中で飲む酒はどうする…って気が早すぎるよ。行くのまだ半月もあとだぞ。…とは言えもうあと半月なのか」

サトシ「ツアーはとっくにスタートしてるからね。アルバム発売からはもうすぐ1ヵ月経つし」

オーヤマ「いやー一般でツアーのチケット取れたのマジ奇跡だったよな! とは言えその一方で、アルバム発売前にチケ押さえたのはある意味賭けだったよね。これでしょぼい仕上がりだったらと思うと…」

サトシ「ほんとほんと。ここまで主語がなかったけど、俺らが登場するということはV6の話ですね。20周年ライブレポ以来2年ぶりですけど」

 

 


オーヤマ「ついに聴きましたよ、ブラン・ニュー・オリジナル・アルバム『The ONES』」

サトシ「さらに俺らにとっては特別な意味合いがあるよね。“『Oh! My! Goodness!』後初のオリジナル・アルバム”である、ということ」

オーヤマ「角度を変えて3回も書いてしまうほどハマったアルバムだったからねー、OMGは。その素晴らしさについては過去記事を参照いただくとして」

 

・その1→V6の『Oh! My! Goodness!』ってアルバムがめちゃめちゃいい
・その2→V6『Oh! My! Goodness!』における森田剛氏のボーカルについて
・その3→V6『Oh! My! Goodness!』のライブDVDがすごい面白かったよ

サトシ「だからこそ次のオリジナル作へのハードルが上がっていたのも事実で。その間にベスト盤といくつかのシングルを挟んで、ついに出来上がったのが『The ONES』と。近作のシングル群のなかでもっともインパクトあったのは『Can't Get Enough』だったよね。これシングルにするのはさすがV6だなーとw」

オーヤマ「あれはビックリした! でも一方で『Beautiful World』や『COLORS』みたいな王道路線の楽曲もあって、それらを1枚のアルバムの中でいかに同居させるか、下手するととっ散らかる恐れも十分にあったと思うんだけど…」

サトシ「いやー頑張ったよ! 『The ONES』はなんといってもアルバム作品として聴き応えのある作品になってるのが大きな美点だよね。全体の流れがすごくいいもん。まず『never』『刹那的night』『SOUZO』と冒頭の3曲でガッチリ耳を掴まれた」

オーヤマ「『never』いいよねえ。ここにきてこういうダンスナンバーをここまでの高水準で出してくるのは実はすごいことだと思う。時間がテーマの曲で秒針のサンプル使って、♪ティクタクティクタクとコーラスして、振り付けでは両腕で秒針を表現……ってそこまで絡めるか!?という安田大サーカスもびっくりのベタベッターてんこ盛りなんだけど、それが全部ちゃんと効いてるもん」

サトシ「ベタのクオリティが尋常じゃないことでお馴染まれてる(俺らに)V6の面目躍如と言える1曲。これをアルバム冒頭に持ってくるところからして、アルバムの気合いを感じるよね。そっから『刹那的 Night』だもん! アガる! そしてめっっちゃ卓球節! 『♪タンバリン打ち鳴らし~』の大サビは電気グルーヴで脳内再生されるw 最初はトラックも卓球がよかったのではと思ったけど、聴き直すとこれで大正解だよね」

オーヤマ「うん、テクノ/ダンスミュージックマナーの楽曲にゴージャスなブラスアレンジのオケがこんなにハマるとは。振り付けも独特で、ライブ映えしそうだなあ。V6的にもありそうでなかったダンスチューンを手に入れたよね、この手があったか!という。そしてさらに手を休めず『SOUZO』。これ、今回のアルバム中でも群を抜いて好き」

サトシ「これも曲がめちゃめちゃよくできてるし、そのオケに対するハマケンの言葉のハメ方がすごくいいよね。『レッツゴー6匹』の池ちゃんもそうだけど、普段ステージ上&パブリックイメージでは飛び道具的にハジけてる人たちが、しっかり着実にハイクオリティなプロの仕事をしてるのが面白いw」

オーヤマ「で、それを歌う6人のボーカルもすばらしい! ハネたビート&高低差激しいメロディ&文字量多めの言葉という難易度高い曲でこそV6のボーカルの上手さが際立つ。1番の坂本→井ノ原→三宅→岡田→長野→森田のワンターンの中にボーイズ・ボーカル・グループとしてのV6の愉悦が詰まりまくってる。そこだけで100周余裕で聴ける中毒性」

サトシ「正直この曲だけで1万字書けるし、この曲のボーカル分析だけで5万字書けるけど今回は割愛w ある意味OMGに入っててもおかしくない曲なんだけど、でもちゃんとこのアルバムにハマる出来なのよね。これもライブで踊りまくっちゃいそうだな(俺が) そこから『Beautiful World』~『Cloudy Sky』とタイプは違えどいずれもV6のど真ん中王道を撃ち抜く2曲を配する盤石感よ。この序盤の流れでアルバムの全方位的な力の入れようを感じた」

オーヤマ「ここから異色かつビビッドな印象を残す小品『DOMINO』、そしてこれもありそうでなかったなんというかサイバーパンクな世界観が新鮮な『Round & Round』の流れもよかった。アイドル・V6だからできるフィクショナルな表現の最新系としてアルバムに独特の色を加えてるね」

サトシ「このアルバムを聴くとOMGがいかにコンセプチュアルで異端なアルバムだったかよくわかるし、OMGがあったからこそ『The ONES』の表現に到達できたのだということもよくわかる。OMGのフィクション性と音楽的な革新を成立させていた“アイドルに対するある種のメタ感”が今回はなくて、代わりに音楽的な成熟とアイドルV6のど真ん中を引き受ける度量が両立されている。いまならそれができるってことだよね。この流れから、三宅さんプロデュースの個人的に待ってました!な悲恋ソング『Remember your love』、そしてトニセン『会って話を』の流れも絶妙」

オーヤマ「『Remember~』はサビの大半がファルセットという歌ってみると激ムズというV6の定番パターンwを踏襲しつつ、シングルでもいいのではレベルのキャッチーな秀作だよね。そして『会って話を』。シングル『Beautiful World』のカップリングとして作詞で参加したこちらも出色の出来だった『不惑』に続いて、本家KIRINJIじゃ書けないだろうストレートな表現が目を引く歌詞と出し惜しみなしのメロディにアレンジ、堀込高樹ファンとしても嬉しい出来だし、ちゃんといまのトニセンだからこその表現になってるのもよかった。アルバム中盤のブリッジとしてはあまりに贅沢な1曲だね。つーかさ、ここでまだアルバム半分っておかしくないw?」

サトシ「おかしいw 何回クライマックスあるんだっていうw んでここからいきなり『Can't Get Enough』にいくのは野暮だろうと挟み込まれる『Answer』の力の入り方よ! これがなかったら結構地味な後半になってたよね」

オーヤマ「この曲をちゃんとやりきるのも、いまのV6の落とし前の付け方って感じがするよ。アルバムの流れとしては確実にメリハリが生まれてるし。そしてこっからのCGEの落差な。どうでもいいけどフェイドインするイントロなんて久々に聴いた気がする」

サトシ「この曲のいちばんの聴きどころってそこなのではw この曲はオケもボーカルも何度聴いてもいいよなあ……早くライブの音圧で聴きてえ。この色っぺー曲からなだれ込むのがカミセン『Get Naked』ですよ。意外だったなーこのアプローチは」

オーヤマ「こちらもシングル『Beautiful World』のカップリングだった『テレパシー』の無垢さとのギャップな! この振れ幅がカミセンの面白さだし、今回は特に三宅さんのボーカルがいちばんハマってる気がしたな。後半のフェイクは誰だか判別できないところが多くて、これもライブパフォーマンスが楽しみな曲かも。そして森田剛プロデュースの『ボク・空・キミ』ですよ」

サトシ「最初に言っとく! ボーカルはオートチューンでケロらなくてもよかったのではという気もしなくもない! でもだからこそのよさも確実にあるから同点! まあそれはともかくいい曲。というか俺は森田さんと音の好みが似てるんだろうな」

オーヤマ「同じく森田プロデュースのOMG収録『Maybe』とは作風こそ違えど、音数の少なさによる心地よさは通底してるもんね。や、シンプルにすごくいい出来だと思う。安直にオーガニックにまとめないエレクトロニカ風の音作りも好みだった。メンバーのボーカルもじっくり聴けるしね、ケロッてるけど(まだ言うか)。あとこの曲があったからこそ次の『COLORS』が終盤のこの位置でいっそう輝いてることは間違いないし」

サトシ「この流れでアルバムの終わりを予感させるもんね。じゃあどんなふうに作品を〆るのか、という興味が湧いてきたところで『レッツゴー6匹』がくる。いやほんとすごいよくできてるアルバムだと思う」

オーヤマ「この曲さー、単体でリピるんじゃなくて、アルバム通して聴いてこの位置で聴くと、めちゃめちゃ泣けない?」

サトシ「わかる! そうなのよ!」

オーヤマ「これまでの楽曲を振り返りつついまのV6を祝福するというテーマを、全員のユニゾンのみのボーカルでおっさんたちがレッツゴーレッツゴーと全力で歌う……これ、池ちゃんはめっちゃ狙って戦略的にプロの仕事として作ってると思うんだけど、だからこそすばらしいよね」

サトシ「うんw 泣かされるとわかってて泣いちゃう、完敗!って感じw このアルバムがアルバムとして成立してる理由の大部分をこの曲が担ってると思う。で、この泣ける感じもその前の『COLORS』とのコントラストがあってこそだし、この曲があるからこそ本当の〆であるラスト曲『The One』が沁みるのよね」

オーヤマ「いいよねー、『The One』。全然重くないんだよね。フルコースの最後に出てくる口直しのシャーベットみたいに軽い、でもちゃんと手作りで手がかかってる感じはするというか」

サトシ「この大ボリューム・満漢全席のアルバムを、サッと吹くそよ風のような軽やかさで〆ることができるのは、いかにもV6らしいなあって思う。『レッツゴー~』で〆ないのもやっぱりV6らしいんだよね。かつての野心作『musicmind』のラストが『Wonder World』だったのを思い出した。しかしこの内容をよく1枚にまとめたよw」

オーヤマ「かなり雑にさらっただけでもこのボリュームだもんなw 例によって語った分量の比重はそのまま俺らの個人的なお気に入り度に比例してるわけだけど、ライブを見て印象変わる曲も多そう。とにかくちゃんとしっかり聴きどころがあって、思わずよさを語りたくなるアルバムに仕上がってたことがほんとに嬉しい!」

 

サトシ「OMGが突然変異的に生まれた規格外の傑作だったとしたら、『The ONES』はそこで得た音楽的発展を“正調・V6”としてさらに拡張させつつ、アイドルのアルバムとしての落とし前もきっちりつけた、狙い定めた力作である――そんな感じかな」

 

オーヤマ「だね。というわけでこのアルバムを引っさげてどんなツアーが繰り広げられてるのか、目下の興味はそこなわけですが」

サトシ「うん。本当はメンバーのボーカルについてもっと掘り下げたいところだけど、そのあたりは宮城公演のステージを観てからじっくり向きあってみるとしようか。じゃあ今回はこんなところで」

オーヤマ「うい。おつかれ~」

サトシ「……」

オーヤマ「……」

サトシ「…でもさ、最後にやっぱあれ、言っとかない?」

オーヤマ「…だね。ここまでの通りほんとに力作なアルバムだと思うんですが、唯一ダメ出ししたいところがあって。ある曲の歌詞のことなんだけど」

サトシ「そう。せっかくのアルバムに適当な歌詞書きやがって! あのね、誰でもわかる平易な言葉でいかにセンス・オブ・ワンダーを現出させるかっていうのが、特にポップ・ミュージックのフィールドでの作詞家の本領の見せ所なわけじゃないですか。それをなんだあれは!」

オーヤマ「ちょっとひどいよね。誇張抜きで、ただアリモノの言葉を並べただけ。聴いてて腰抜かしそうになったよ。ある意味すごいw 俺別にあの人の過去の仕事ですばらしいものもたくさんあると思うけど、今回のはひどすぎるよ。ハマケンのうんこ10kg食ってから出直せと言いたい。せっかく曲も歌もいいのになあ…」

サトシ「まあ詳しくはご想像にお任せします。あースッキリした! とにかくアルバムよかった! ツアー楽しみ! 以上!」

オーヤマ「最後のこれがいちばん言いたかった疑惑…w」

 

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RISING SUN ROCK FESTIVAL 2017 備忘録

11日

22:00
10年近く住んでたけど一回も行ったことなかった近くの中華屋で夕飯。瓶ビールとサンラータンメン、半チャーハン。うまい! もっと早く来ればよかった!
適当に準備して、自宅出発。足元は迷ったけど、2010年の田んぼフェスのときもなんとかなったし大丈夫だろ!と自分に言い聞かせ、スニーカー+100均の靴底で。(結果なんとかなりはしたけど、次回は長靴を買うと思うw)

 

田園都市線~大井町線~りんかい線と乗り継いで東京テレポート駅へ。

24:00
無料送迎バスで大江戸温泉物語へ。外国の人も多いなー。とりあえず風呂入って日本酒飲んで、場内で3時間くらい仮眠。けっこう寝れた?

12日

3:00
アラームで目覚める。眠い…。風呂入って、3:50発の成田行きバス乗車。車中で少し寝る。

5:30
成田着。余裕もって早めに搭乗手続き。ノートPCは手荷物の重さから免除なんだって。初めて知った! おかげで荷物量クリア。

7:10
成田発。飛行機は早いしラクだしすばらしいんだけど、高いところが苦手な人間からしたら、空を飛ぶことだけが唯一かつ最大の難点。相変わらず離陸直後は恐怖が襲う。怖い……。それでも今回は早々に落ち着いた気がする。座席指定しないで予約したが席が前の方で、着いたらすぐ出られそうだったので嬉しい。ちょっと寝る。

8:45
予定の10分前に到着。荷物の件含め、春秋航空GJ!! おかげで札幌行きの特急に1本早く乗れた。車内でクラシック缶とサンドイッチ。至福。しかし現地の友だちからLINEで天気の惨状が届く。千歳付近はなんとか降ってないけど。うーん。

10:00
麻生駅到着。一応駅ビルのイオンに行ってみるものの、長靴はすでに売り切れ。よし、これで覚悟はできたw! このままスニーカーで行こう。シャトルバスの列は全然すいてて、体感15分くらいでバス乗車。座れてラッキー。バスが出発、乗り場から屋外に出たとたん、引くレベルの雨。これはwwww バスの窓を流れる滝のような雨。地面にバシャバシャ打ち付ける雨。雨、雨、雨……相当つらい状況ではあるものの、メンタル的にはもうすぐエゾに着くというワクワクしかない。

11:00
会場着。あれ、雨は意外と弱い? これくらいならなんとかなるかも。バス乗り場の水たまりの大きさに笑うw

 

 

 

リスバン引き換えていざ中へ。入場ゲート入ってすぐ巨大な沼出現w これはwwww 笑うしかなくなりながら、まずはバッジコーナーへ。この天気だと交換の人も少なそうだし、早めにケリを付けたいところ。とりあえず12、3個まわして交換開始。その後なななんと10分以内に、コーネリアス2種、ZAZEN BOYS、エマーソン北村、銀杏BOYZと、絶対に欲しかった5種をコンプ! バッジ交換はレア度とかよりも、バッジの需要供給のマッチングを引き寄せる運のほうがでかいので、これは幸先よすぎ。よかったー。

フォレストへ向かおうとするも、物販からレッド方面へ抜ける道の沼化が著しく、早くも若干萎え気味に。これ、このあとずっとこの感じで降ってたらキツいかもな……。たまらず、PROVOブースでいつも混んでるカレー屋が空いてたのでカレー発注。うまい! 食いながらレッド~レインボーと抜ける。

フォレスト到着。閑散とした雰囲気と雨のコントラストwww とりあえず石狩汁とクラシック生を発注。うまい! が、カップ半分飲んだところで「もういいかも…」と思ってしまった自分に驚く。まだビール1杯目だぜ!? しかし若干寒いのと、とにかく雨が飲酒意欲を奪っていく……。

昨年と同じく、今年もノートPCをかついでポツポツ仕事しながらのフェス。が、この雨でどうするか……苦肉の策として、100均で売ってた自転車用カバーをかまくらのように被り、そのなかで作業するという方式を採用。さっそく試してみる……が、想定外に風が強く、なんとか(本当になんとかレベルで)作業を終えるも、この先に不安しかない。これ外での作業無理かも……チュプとかに避難するしかないか……。

それはともかくなんで朝イチでフォレストまで来たかというと、

12:30 エマーソン北村

これが見たかったから! 去年フォレストで見て一発で惚れてしまい、アルバム『ロックンロールのはじまりは』も素晴らしく、今年も絶対に見たかったのだ。

 

1曲目から一番好きな曲『帰り道の本』。ソロのメロディにアレンジが加えられてて、もう最高。アルバム曲を中心に新曲も披露。ステージ上にQRコードみたいな幾何学的な図柄が描かれた50cm四方くらいのプレートが立っていて、なんだろうと思ってたらそれは蓄電式インクで描かれたものらしく、その図柄をなぞるとアナログシンセみたいなノイズが鳴るという新兵器とのこと。こちらも粒子が荒くしかし湿度を感じるノイズがすばらしい『ロックンロールのはじまりは』表題曲に続いて演奏された新曲のなかで使用されていた。面白い。

 

この天気でフォレストに集まった数十人の人たちのバイブスも最高で、エゾに来てよかったとはじめて実感できる演奏だった。最初のライブがこれでよかった。

13:20
レッドに移動するとSCOOBIE DOが演奏中。相変わらずかっこいい。パイネを食いながらしばし踊るが、振り続ける雨の影響で一ヵ所に留まっているのがちょっと辛く、様子見も兼ねてアースへ移動。BLUE ENCOUNTチラ見。盛り上がっておる。アース付近は水被害も少なめ?

14:30
サンステ方面に伸びる屋台で北海道の地酒をぬる燗で発注。沁みる……。その勢いで夏野菜のスープカレーを食いながら、遠目にWANIMA。初めて見たけど、人気の理由がわかった気がした。これは確かにすごい。定型化したフェスの盛り上げ方ではない、固有のノリを確立してるのがよかった。演奏を聴きながらハミガキブースで歯を磨き、ルタオのパフェを凍えながら完食。結局最後まで観てしまった!

 


味はめちゃおいしい のだが寒い

175Rを遠目に聴きつつ2度目のバッジ交換へ。エマーソン集めようと思って小学生に声かけたら「タダであげる」と。別にそういうつもりじゃ!と心で叫びつつも、ありがたくいただく。しかし常連組の中のとある方々とのやり取りの中で若干むむむ?となり、早々に退散(念のため、すごくいい常連さんもいました。単純に俺とノリが合わないというだけ)。来年以降は普通の交換に努めよう。

温かい飲み物を仕入れにPROVOエリアへ。ここまで強弱の変化はあれど、基本雨は降り続いてる。寒いし精神的にもけっこうキはじめてる感。ホットラムチャイを待つあいだ耳に飛び込んできたドラムソロ。これ中村達也か! エグい。相当いいぞこれ。と思いつつ、後ろ髪引かれながらデフへ。つーかデフの周りが沼で包囲されてて、どこに行くにも一度は沼を通らないといけない鬼仕様に……。

 

17:30 ZAZEN BOYS

フォロワーさんと合流し、モーサムの異常さの変遷について意見交換しながらZAZEN待ち。メンバー現れ、サウンドチェックでシュガーマン! 向井、シンセなし編成で終始ゴリッゴリ。特に何度も聴いてきたヒミツガールがここにきて過去最高レベルの確変。秒速で絡み放たれるリフとリズムの圧は、こっちも気合い入れないと身動き取れなくなりそうなほど。なんなんだこいつら(通算5698431回目)。自問自答のクライマックス、静寂のなか畳み掛けられる向井の言葉に目の幅で落涙。客のノリも待ってた感すごくて盛り上がった。

18:10
友だちと合流すべくサンステの久保田利伸へ移動を試みるも、デフ→サンステへの移動の沼度が鬼すぎて二度と来たくないレベル。次にサン来るとしたらくるりだけど、それすらどうしようと迷うレベル。

 

 

どうにかこうにかサン付近に着くも、今度はトイレ列で足止め。今年男子トイレで並ぶ機会多かったな。もうどうやっても間に合わないので、トイレ後黒ラベルブースで生発注してたらいきなりLALALA! 踊る。そしてごめん、これでようやく踏ん切りをつけられるわ……とLALALAだけ聴いてアースに移動。途中でなるとの唐揚げ串。冷めてる……けどうまい。

19:10 MONOEYES

やっぱり観たかったモノアイちゃん。テントの外、後方で観たけど最高だったー! 新アルバム聴けてなかったが新曲どれもよかったし、1stからの選曲もバッチリ。細美さんはじめメンバーのコンディションもすごいよかったし、客も盛り上がってた。途中で本日はじめて完璧に雨がやんだ瞬間があり、一瞬だけど上着を脱いでTシャツに。そこで「うわあエゾたのしいいいいいいいい」といきなり実感がこみ上げてきてヤバかった。その後また雨降り→さらにPC作業発生→なぜかパスワードエラーでログインできず絶望、という失態のためラスト2曲をセルフかまくら内で聴いたのだけが悔やまれる。フロア行きたかった。でもそれ差し引いても最高なんだから相当いいライブだったぞ。

 

 

半袖になったわたくし

20:50
レッド付近でアボカドフライとケイジャンチキン、生を仕入れて、フォレストの友だちのテントにおじゃまする。ずっと担ぎっぱなしのPC入りリュックを下ろし、談笑しながらゆっくりメシ食ってたらサンステ方面で花火。至福。この頃になると雨もだいぶおさまってきて本当に助かる。20分そこらだけど精神・体力ともに回復し、後半戦に向かう。レインボーからAwesome City Clubの美しいデュエットが聴こえてくる。絶対いいなこれ。しかし無念のスルー。だってこれを観に来たんだもん!

21:40 CORNELIUS

というわけで今年来るつもりなかったエゾ行きを決心させた元凶(←言い方)のお時間。ベストな位置を確保し待機。すでにVJが流れており、直前に幕が張られる。フリーセッションからあのバスドラ一発、あのエレピの音色が流れると歓声が上がる。冒頭の演出、こ先月リキッドで観たときからすでに進化してる(後ろからのスポットでメンバーのシルエットが浮かぶようになってて鳥肌)! 「RSR」の文字も。

 

Wataridoriなしはちょい悔やまれるが、んなのどーーーーーでもよくなるほど最高か! 演奏も前回と比べものにならんほどよくなってた。映像との同期がハマリすぎてるのでシステマチックに見られがちだけど実はまったく逆で、小山田圭吾・堀江博久・あらきゆうこ・大野由美子という激メンバーが全員ヒーヒー言いながら人力の限界でもって緻密なアンサンブルを鳴らすという熱さ/エモさにグッとくるのがコーネリアスのライブの魅力。今回fit songであるべき音がなってない瞬間があって、すぐに持ち直したんだけど、たったひとつの欠損でもすぐにバラバラになってしまうような、とんでもなく危うい綱渡りをしてるんだなと改めて感じて静かに震えた。

 

音もすげーよかった。Beep itでボーカルのパン振りとかほんと見事で、フェスの音響でここまでできるんだと驚いた。CDで聴くコーネリアスサウンドが、生でちゃんと再現&ビルドアップされてるんだぜ。しかもフェスで。すごい。雨上がりの北海道のおおきな空の下で聴くコーネリアスはどれもすばらしく、スターフルーツ~の「海のそばにいた 少し寒かった」に感じ入る。そこからの「あなたがいるなら」は、熱のこもった気合いの演奏(あらきさんの全身でドスッとバスドラを踏む感じグッときた)と小山田の優しくもどこかたくましい歌声で、あのどこまでもいびつでストレンジな楽曲がド直球で胸に迫ってきて素直に感動。

 

ワンマンはさらにすごい演奏になるだろうけど、エゾで観たコーネリアスのすばらしさは特別なものだった。終わったあと周りのひと大体「すごい」くらいしか言ってなかった。わかる。

 

 

サチモス待ちの人の影で、コーネリアスの幕を垂らす用の鉄骨をかたづける人々 お疲れです

22:40
ライブ中は完全に止んでた雨が、終わるとまた降り出した。レインボーに行くと「蹴飛ばすのにちょうどいいサイズの孫」とかうんことかしょんべんとかいう言葉がスカムなダンストラックに乗って暴発するOUKURAMIRAIのライブが。なんだったんだあの時間は。ちょっと面白かったw D.A.Nをちら見しつつレッドに移動し、雨がけっこう降ってきたのでフードエリアに座って、ラコスバーガーの北海道限定バーガー(激ウマ)と麦のお湯割りを飲みながら遠目にSuchmos

 

 

去年はmintの叙情性が沁みたけど、今年は夜中ということもあってかアグレッシブなステージ。やんちゃで年相応という感じがしてこれはこれでよかった。疲労は限界灘目前。追加で発注した芋のお湯割りが、さっき注文した時から100円安くなってて笑った。どっちが正価だったんだろ。

サチモス後、レインボーに行くも今年唯一の失神&沈没。不覚……。気づいたら大沢伸一が回してた。1時間くらい気絶してたのだろうか。でも体力的にはこの時間があってよかったかも。レッドに移動。

26:00 銀杏BOYZ

ステージ近づくと峯田の声が。えっもう始まってる!?と慌てて向かうとサウンドチェックで本人いた。「10分後にはじめまーす」とハケるw 再登場すると上半身裸にサスペンダーという出で立ち。気合い入ってる感。1曲目は弾き語り~途中からバンド加わる「光」から。そこからの若者たち→「ワンツー!」からの駆け抜けて性春の流れでフロア爆発! 前方に駆け出していく人多数。これで客をガッチリ掴んでからの、近年の銀杏のキモであるグッドメロディを聴かせる新曲たちをじっくり届ける構成がよかった。昔しか知らない人も多いだろうなかで、いまの銀杏の魅力が伝わったんじゃないかな。

 

このときまた雨は止んで、北の大地の大空の下で聴く「新説・銀河鉄道の夜」は感動モノ。エゾで聴くとなんでも特別に感じる説。や、でもほんとにそうなんだよなあ。で、やっぱりいまの銀杏、相当いい。この状態でエゾで見られたのが本当に嬉しい。ベビベビでは大合唱。けっこう後ろの方で見てた俺の周りでも歌ってる人多くて感動。からのぽあだむ!!!! 最高か。アンコールを求める声に出てきた峯田の「銀杏ボーイズ! チャチャッチャチャチャチャ(手拍子)」コール笑ったw アンコールなしも納得、予定時間よりオーバーの熱演だった。足の痛さは限界に来てたが俺もピョンピョン跳ね、叫び、歌った。

27:15
雨降ってないし、地面も場所によってはちょっとマシになってきたし、どうかな~と思いつつ意識もうろうでレッドからサンステへ。しかしサンステ付近はやはり沼。どうしようもなく沼。もはや色々アウトな状態ながら気合いでステージ向かって左、チュプのちょい先あたり、砂利の、なんか河原みたいなところまでなんとか辿り着いた。もう最後だ。

 

 

限界灘なわたくしの足

27:30 くるり

ドラムがまさかのクリフ! 大好きなドラマー、この日も絶好調。虹もWESNもばらの花もやってくれるのうれしー、眠いー、おっ朝だからモーニングペーパーね、くるりから届けられた朝刊ってことかな、おおホームタウンもやるのか、アンテナ思い出すな、この流れでれでアンテナのあの曲やってくんないかな、でもやんないよなーまさかなー、足痛えー、とか、眠気と戦いつつフラッフラの状態で聴いてたら、ドドンというバスドラが鳴って思わずマジで…!?と声が漏れた。

 

10数年前、クリストファー時代の武道館で聴いて以来いつかまた聴きたいとずっと思っていた「黒い扉」をまさかクリフ・アーモンドのドラムで、しかも夜明け前のエゾで聴けるとは。ほんと生きてるとこういうことがあるから人生って、なあ。言うまでもなくすばらしい演奏。ほかの曲もよかったけどとにかく黒い扉の衝撃がすごかった。いつ以来に聴くかっていうスーパースターで泣け、L&Gで締めなのもよかった。そしてアンコールでロックンロール!

 

何度かリアルに地面に膝をついてしまうほど足の疲労は限界をとっくに超え、何度も途中離脱を考えたけど、結局大団円を見届け、すべて終わると夜は明けていた。くるりも予定かなりオーバーしてたっぷりやってくれた印象。いい締めだった。

12日

5:20
麻生行きシャトルバスで立ちっぱの刑に処されていろいろ限界。乗車中何度もガクンと落ちそうになる。なんとか到着し、意識を失いそうになりながら桑園に移動し、たまゆらの湯で風呂。去年の温泉バスで来て知っててよかった。靴をぬぐと、足がまっしろ&ふやけすぎて肌がぐにょんぐにょんになってた。そんなに濡れた印象なかったし、意外とスニーカーでもいけるじゃんとさえ思ってたけど、これはちょっと足に悪いことしたなと、ここで初めて反省。入念に足をもみもみしながら風呂。休憩スペースでカレー(意外とうまかった)食って寝落ち。

10:00
駅前のイオンでサンダル購入し、泥まみれの靴から履き替える。靴、マジでお疲れ。お前のおかげで歩き回れたぜ。中通公園に移動し、4年ぶりくらいに念願の「狼スープ」再訪。味噌ラーメンwithクラシック中瓶。うまい。至福。これだ、この味だ。すすきのに移動し、徒歩で二条市場へ。立ち食い寿司でウニ、イカ、甘エビ、貝をサクッと。うまい。道中でブックオフに寄れたのも楽しかった。やたらジャニーズアイテムが充実してたが、購入には至らず。

13:00
札幌駅から新千歳行きの特急に乗ろうとするも、指定席は売り切れ。そっかお盆最終日だもんな……不覚。イチかバチかで自由席に並ぶ。なんと奇跡的に座れた。助かった……。寝る。

14:00
空港着。六花亭の新千歳限定のハスカップチーズクリームをパイ生地でサンドしたみたいなやつ、その場で食ったら激ウマ。おかわりしそうになった。いろいろ物色するも決め手に欠け、おみやげはナシとすることに。フォロワーさんが教えてくださった夏限定のクラシック缶とポテチだけ入手し帰路へ。

 

帰りの飛行機も座席指定してなかったが、はじめて一番前の席。ジェットスターの普通席だけど足伸ばせて帰れたのは助かった。シャトルバスで使わなかった運がここでw 離陸後、けっこう長いあいだ恐怖感が抜けず一瞬パニクったが、その後寝落ち。到着前に目覚めると右耳がかなり痛く、試行錯誤の末ずっと苦手った耳抜きのやり方を発見。無事痛み収まる。滑走路の不具合だとかで一回到着を見送ったあと、着陸。東京駅行きの直行バス乗車。寝落ち。

 

東京駅の居酒屋の物価の高さに負け、おとなしく最寄り駅まで帰って駅前のチェーン居酒屋でひとり痛飲。いわしの刺身と泡盛ロックがうまかった。ローソンでグリーンスムージー買って帰宅。

 

22:00
スムージー飲んで即失神。明日夏休み取っといて本当によかった。


そしていま14日の夕方、これを書き終えようとしている。天候的には過酷だったし、日程も1日だけだったけど、めちゃめちゃ楽しかったし、めちゃめちゃまた行きたい。つまり最高だった。その理由は、エゾという環境と、そこで鳴る音楽が、どちらも最高だったから、というシンプルな事実を心と体の底から実感できたからだ。各種交通の移動とかでミスやトラブルがなかったのも地味にデカかった気がする。フェスのスキルとしても旅のスキルとしても今年は得るものが多かったなー。結論:また行きたい 反省:次回は長靴で行く

 

 

成果

香取慎吾×ザキヤマ=『おじゃMAP!!』が大好きな理由――誰かの心に“おじゃま”するということ

そもそも、いつもは適当男キャラを担うアンタッチャブル・山崎弘也がツッコミ役にまわり、さらに自由に振る舞う香取を制するという『おじゃMAP!!』(以下、おじゃマップ)の構図は、番組開始当初から、それ自体が新鮮な仕掛けだった。

はじめは意外にも思えたコンビはすぐに馴染み、番組の色を決定づけていった。

見知らぬ土地や、はじめて出逢う人たちのなかに“おじゃま”していくとき、ふたりの関係性が効いてくる。

香取の天性の人懐っこさと、ザキヤマの誰も傷つけない気持ちよい図々しさは、実は表裏一体とも言えるもので、このふたりだから“おじゃまする”という番組のコンセプトがより立体的に、魅力的に発揮される。このふたりをキャスティングしたスタッフの彗眼はすごい。

香取とザキヤマは、以前はもっとわかりやすくバラエティ然としたキャラクターや役割をそれぞれに果たそうとしていたと思う。それがしだいに、まるで同じ家で育った兄弟のように、長く連れ添った夫婦のように、安直な言葉だが、ふたりのあいだにだけ流れる阿吽の呼吸を獲得していった。

各々がタレントとして培ってきた“技”をこれみよがしに使わずとも、それぞれが絶妙な距離を保って同じ画面にいるだけで、番組のグルーヴが成立するレベルにまで、ふたりの関係性は高まっている。俺が特にそう感じはじめたのは、2016年に入ってからである。

思えば、あの騒動が公になってから、香取がはじめてそのことに番組中で触れたのは、2016年初頭のこの番組で、自由が丘を散策する回だったと記憶している。

それから1年半ほど経った今週、2017年7月19日の放送では、噂されていたという自身の進退と今後について、香取はまたこの番組のなかで発言を行った。

そこでなにを言ったのか、それを言うことにどんな意味があるのかについては、ここでは論じない。

俺が言いたいのは、香取とザキヤマが、自身について、この番組のなかでなにかを語るときの画面から伝わる空気が、とっても好きだということである。

言うまでもなく、彼らの傍らには何台ものカメラが回っていて、その向こうには俺を含む何万、何億もの人々の視線があることを、彼らは知っている。

でもその瞬間、ふたりは、タレントとしてのテクニックや演出的観点はもちろんあるけど、そのうえで、その瞬間に目の前にいるひとに向けて、極力、“ただ”語りかけている。俺にはそう見える。

目の前にいるひとにただ語りかけること。それをただきちんと受け止めること。そしてそれをそのまんま映すこと。それがテレビを通して、『おじゃマップ』という番組を通して、誰かになにかを伝えるうえで最良のやり方であると、香取も、ザキヤマも、スタッフも、きっとそう確信している。俺にはそう思えるのだ。

言ってみれば、ひとになにかを打ち明けるということは、相手の心に“おじゃま”するようなものだ。自分の人生や価値観や心のなかの一部を、他人の心に共有させるのだから。

それは、香取があの騒動について語るときだけではない。上戸彩をゲストに迎え三崎港を巡った回で、昼飯を食べながらザキヤマが家庭での振る舞いについて話すシーン。あれも無意識の“打ち明け話”だったと思う。

話を聞いて香取は「なんか悔しい、イメージアップだよね」とザキヤマをいじった。確かに、タレントとしてのザキヤマのキャラクターとは違う微笑ましいエピソードだった。今週の放送では、限界集落の旅館を整備する作業のなかで、とにかく細かい几帳面な一面を覗かせて、またも香取にいじられていた。

それは、ザキヤマという一面的なタレントとしてのキャラクターとしてではなく、ふと家での自分や、実は几帳面な自分を、さりげなく打ち明けた瞬間だったのではないか。

香取がザキヤマに、またザキヤマが香取に、なにかを打ち明けたときの、それぞれの受け止め方も好きだ。気を使っていないわけではない。むしろ必要以上に気づかいをしてしまうふたりだからこその、照れと敬意と節度をたたえたリアクション。

結局のところ、俺が『おじゃマップ』という番組のなにが好きかというと、見ていて「ああ、俺も香取とザキヤマのように、あんなふうにひとと関わっていたいな」と思えるところだ。

ひとはひとりでは生きていけない。自分以外の誰かの心に、ここではないどこかに、“おじゃま”していくこと。つまり、他者と関わっていくこと。それこそが社会のなかで生きるということだ。

誰かの心に“おじゃま”しようとするとき、ひととして、どうありたいか。

『おじゃマップ』の香取とザキヤマは、その豊かな阿吽の呼吸でもって、そのヒントを伝えてくれるのだ。

<結論は出ない 人間だからね>――やっぱりこの世界には、SMAPの歌が必要なんだ

こないだパワスプを聴いていたら、草彅剛が宇多田ヒカルの『Kiss & Cry』を選曲していてマジでか!!やべーーーーー!となった。

すごい曲なんですよ、これ。

2008年リリースのアルバム『HEART STATION』収録曲で、あの才気が爆発しまくっている作品のなかでも特にブッ飛んでるほうのやつ。

 

 

HEART STATION HEART STATION
3,059円
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宇多田はこの曲のなかで、「キスと涙」、つまりこの世に存在するポジとネガを、表裏一体の存在として歌う。

ふつう応援歌って、悪いこともあればいいこともあるさって感じで、“「いいこと」こそがいいものである”という価値観が前提になっているものがほとんどじゃないですか。というかその前提を崩したら、なにに対して応援してんだかわかんなくなっちゃうか(状況をいいものにするためにするのが応援なので)

でもこの曲で、宇多田はそういうふうには歌わない。

キスと涙、ポジとネガ、どっちかがいいとか、悪いとかじゃない。どっちも存在するのが当たり前。
というかもはやペア。みたいな。切り離すという発想がそもそも間違い。的な。

そんな浮世を、それはもうそういうものとして認めたうえで、サバイブしてこーぜみんな!

『Kiss & Cry』は、そういう感じの歌だ(宇多田とかかってる超面白いやつ)。

これだけでもすごいんだけど、じゃあ宇多田はこの曲の中で、具体的にどうサバイブしていけばよいと歌っているのか。
彼女はこんなやり方を提示する。


<うまくいかなくたって まあいいんじゃない>


えええええええええええーーーーーーー
まあいいんじゃない、で済ますのーーーーーーーーーー
いやいやいや、それじゃすませらんないことばっかでしょ世の中ーーーーーーーー


と思ったそこのあなた!
この歌詞、実際はこうなっている。

<もっと勇気出して もっと本気見せて うまくいかなくなって まあいいんじゃない Kiss and Cry>

勇気出して、本気見せて、それでもうまくいかなくたって、まあいいんじゃない。

勇気を出して、本気を見せて、それでうまくいかない。
ときに人はそんな状況を「絶望」と呼んだりする。

絶望を前に、まあいいんじゃない、と口にすること。


これは一体なんなのだろう?
諦観? ただの投げやり? それとも悟り?


さて、なんでいま『Kiss & Cry』について語っているのかというと、冒頭に戻って、草彅剛がラジオでこの曲をかけたからである。

で、なんで毎週いろんな曲をかけてるなかでこの曲なのかというと、実はSMAPにも似た曲がたくさんあるからだ。

というか俺は、SMAPというポップアーティストのアティチュードは、宇多田の『Kiss & Cry』とほぼ同じといってもいいとすら思っている。


具体的な楽曲を挙げてみる。


まず、過去にブログ(<雨上がり、アスファルトの匂い>――『ユーモアしちゃうよ』を500回聴いて考えた)でも書いてる『ユーモアしちゃうよ』。

 



この曲では、宇多田のいうところの「キスと涙」、つまり「善と悪」「喜びと悲しみ」という対立項が、いとも鮮やかに無効化されている。

この曲の2番ではこんなようなことが歌われる。


「風がそよいで君の髪が香る、ふと星空を見上げたら、イチョウの木にぶつかって超痛い」

「そんな僕を見て吹き出した君がふと見せた涙、その理由は聞かないよ、でも悪いけどすごいキレイだった」


例えば


ふと星空を見上げる行為=美しい

涙を流す行為=悲しい


こういう定型的なイメージをうまく利用して、その体をなしている表現物がある。

特にヒットチャートを主戦場とするポップスであれば、多くの人の共感を得るためにステレオタイプな物言いがあえて使われることは多い。そこが腕の見せ所なわけだけど。


で、SMAPは『ユーモアしちゃうよ』のなかで、星空見上げたら頭ぶつけることあるよね、君がなんでか知らないけど流してるその涙キレイだって思っちゃうことあるよね、と言っている。

「善と悪」「喜びと悲しみ」なんてふとした瞬間にひっくり返るし、感情は一面的なものではない。世界ってそういうふうにできているものだよね、と歌っているわけだ。




もうひとつ。これもブログ(いまこそ「たぶんオーライ」を聴こう――無責任で無根拠、だからこそ響くSMAPの“呪文”)で前に書いた『たぶんオーライ』。


『たぶんオーライ』で歌われる主人公の生活は、ごく平凡ではあるが、実はかなりしんどく厳しいものだったりする。

「余計な仕事を押し付けられて、案の定ミスが山積み、そりゃまあ申し訳ないけど…」

この社会のどこにでも転がっている日常の風景ではあるが、とは言えこの現実は、ひとりひとりの心の中を確実にすり減らしていくものでもある。つまり、日常こそがいちばん身近な戦場である、そんな現状認識が通底している楽曲なのだ。

そんな現実に対してSMAPが放つのが、「たぶんオーライ」なのである。

 

これは宇多田の「まあいいんじゃない」とほっとんど同義である。
2曲だけ挙げたけど、SMAPの音楽には多かれ少なかれ、こういう感じが通底している。

草彅剛が『Kiss & Cry』をフェイバリットとして挙げた理由は知らないけど、それが不思議なことだとは思わない。
 

だって彼もずっと同じようなことを歌ってきたのだから。SMAPとして。



ここで同じ問いをもう一度繰り返す。


絶望を前に、まあいいんじゃない、と口にすること。
絶望を前に、たぶんオーライ、ユーモアしちゃうよ、と、口にすること。


これは一体なんなのだろう?
諦観? ただの投げやり? それとも悟り?




もう一曲紹介したい。『A Day in the Life』という曲だ。

前述の『たぶんオーライ』と同じく、アルバム『SMAP 007 ~Gold Singer~』に収録されている。曲の世界観も『たぶんオーライ』と地続きである。

歌われるのは、当時のメンバーの等身大とも言える、きわめて平凡な若者たちの日常のスケッチだ。

駅前の募金の呼びかけをスルーして罪悪感を覚えたり。
テレビに映る悲惨な映像を前に、なにもできない自分に虚しさを感じたり。
徹夜明けで散歩しに行った公園で、久々に見た朝日に感動しちゃったり。

楽曲発表は阪神大震災・オウム事件があった1995年だが、その後9.11、3.11を経て、ブラック企業で疲弊したのちの過労死・自殺が相次ぎ、他国では自爆テロのニュースがひっきりなしに飛び交う2017年においても、まったくリアリティが損なわれることがない描写力に唸らされる。

そしてタイトル通り、彼らはそんな毎日こそが俺らの日常だ、と歌う。

ではそんな日常をどう生きていけばいいのか、
SMAPはちゃんとそこにも言及している。
しかし彼らは、頑張ろう、とも、元気を出そう、とも、
夢は叶う、とも、希望を持とう、とも、言わない。


<結論は出ない 人間だからね>


と、歌う。


その前段には

<恋に落ちて悩み 相談にも乗る>
というラインがあるので、恋愛って結論でないもんだよね、という読みもできる。
でも俺はそうは思ってなくて、この<結論は出ない 人間だからね>というフレーズこそが、SMAPの本質だと思う。

や、別に本質かどうかとかもどうでもよくて、確かなのは俺がSMAPから受け取ったもっとも大切なもののひとつが、このフレーズだということだ。


しつこいが、同じ問いをもう一度繰り返す。


絶望を前に、結論は出ない、と口にすること。

これは、一体、なんなのだ?
諦観? ただの投げやり? それとも悟り?



違う。



俺は、SMAPが「がんばれ」「やればできる」「夢は叶う」とばかり歌うアイドルだったら、こんなに彼らの歌を好きになることはなかった。

そういう言葉はクスリみたいなもので、効くときは速攻で効くけど、癖になって手放せなくなったり、摂りすぎると逆に心を壊したりもするものだとも思う。

SMAPが歌う

「結論は出ない」「たぶんオーライ」「ユーモアしちゃうよ」

という言葉たちは、クスリみたいにわかりやすい効き目があるわけじゃない。

でも、ただ生活してるだけのつもりなのに気づかないうちにずっしり、どんよりと重くなってしまう心を、ふっと、軽くしてくれる。

 



SMAPは聴き手に干渉しない。SMAPは聴き手を、それぞれに人生を抱えた「他人」として「尊重」してくれている。俺は彼らの歌からそういうものを受け取ってきた。

「結論は出ない 人間だからね」という歌詞は、一見突き放しているようだけど、これは人間という生きものを、できるかぎりまっとうに尊重しようとした結果のフレーズなのだと思う。

干渉はしない。でも適度な距離で、寄り添っていてくれる。そんな距離感。

「うまくいかなくたって、まあいいんじゃない」

と歌う宇多田ヒカルにも、俺は同じものを感じる。
だからつまり、優れたポップミュージックって、そういうものなんじゃないかなあ、と俺は思う。

 

 

俺はSMAPに、ずいぶん助けられてきた。
SMAPがいなくなって、そのことを改めて痛感した。

俺は去年ブログにこう書いた。

<「SMAPでなくなる」ことと、「SMAPがなくなる」ことは、断じて同義ではありません>

私信(SMAPでなくなること/SMAPがなくなること)

実際にSMAPがいなくなって、いま、「SMAPはなくならない」という確信が、実感として心のなかにある。

例えば何が捨てても、無くなったとしても、不安になることはない。

ほんとにそうだな、と思う。



SMAPはなくならない。
だから、5人も安心して、飛び立ってほしい。

いま俺が素直に思うのは、そんなようなことだ。

 

帰りたくなったら、帰ってくればいい。

もし帰る必要がなくなったと感じたのなら、後ろを振り向かずに、どこまでも飛んでいけばいい。

そして願わくば、俺のこんな戯言など一切聞かなくていいから、どこまでも勝手に、気ままに、自由に生きていってほしい。

 

人生に結論なんかない。SMAPが俺に、そう教えてくれたんだ。

SMAPが俺を尊重してくれたように、俺もSMAPを尊重したい。

 

これから先、世界がどんなにひどいものになったとしても、

「結論は出ない」「たぶんオーライ」「ユーモアしちゃうよ」

そう口ずさみながら、世界を、そして自分を肯定しようとする、そんな人間でいたい。

それが、俺がSMAPから教わったやり方なのだ。

 

これから世界がひどくなればなるほど、SMAPの歌は、より多くの気づきとモチベーションを与えてくれるはずだ。


何度でも言ってやる。

SMAPがいなくなっても、

この先、「SMAP的なもの」が世界から消えかけたとしても、
 

俺がSMAPを聴き続ける限り、
SMAPは、なくならない。

俺には、この世界で生きていく限り、SMAPの音楽が、やっぱり必要だ。

 

 

 

 

こっちは大丈夫です。なので、お互い自由に楽しくやりましょう。

 

また逢う日まで、お互い元気で。

ドラッグよりよっぽどタチが悪い3人―シティボーイズ「仕事の前にシンナーを吸うな、」初日を見た

よみうり大手町ホールにて、シティボーイズ「仕事の前にシンナーを吸うな、」初日を見てきた。

五反田団・前田司郎と組み、”ファイナル パート1”と銘打たれた前回公演「燃えるゴミ」がめちゃめちゃ挑戦的かつラスト公演として捉えてもすごくよい出来だったので(詳しくは過去レポ<シティボーイズ×前田司郎=『燃えるゴミ』 最後の3人、最高の3人 2015.6.20>参照)、またいつか気が向いたらやってほしいなーと思っていた俺。

それから2年、今回唐突に発表された新作公演は、超久々に三木聡を召喚したコント1本+ゲストとしてキングオブコントを獲ったコンビ・ライスの単独コントという、ミニマム&イレギュラーな公演。ファイナル撤回? 一度限りの気まぐれ? 色々な思いを巡らせながら、雨雲渦巻く梅雨空のもと、会場に向かった。



月曜夜の大手町はオフィスガイ&レディが闊歩するシュッとした街だった。今回の会場は街の中心にそびえ立つ読売新聞社ビル内の、これまた品のあるホール。ここでコントをやる、しかもタイトルは「仕事の前にシンナーを吸うな、」、そしてそこに集ういい大人な俺たちw

舞台上にはテーブルと椅子が2脚ずつと、下手側に台の上に置かれた電子レンジ。阿佐ヶ谷姉妹の影アナのあと暗転すると、後方の壁がスライドし、大竹さんの息子さんによる生ピアノ演奏がはじまる、贅沢な演出。そして登場したのは大竹まこと、きたろうのご両人。おお、シティボーイズが先手なのか! てっきりライスが前座的な扱いかとばかり思っていたので、いきなり不意をつかれる。

物語の舞台は薬物中毒者の更生施設。大竹が施設の職員、きたろうが新たな入居者として登場する。少しあとに登場する斉木しげるの、場の空気を強引にかっさらっていく謎の引力も健在だ。



円熟というか、熟しすぎて溶けかけているようなゆるさを発揮しつつ、しかし極めて乾いた3人の演技によって繰り出されるギャグは、ひとつ残らず、途方もなく、くだらないw なかでも、ボタンを押すとチキン・ビーフ・シーフードなどの単語が表示される電光掲示板、カレーの具を決める装置かと思いきや…というギャグのひどさには、腹よりも頭を抱えて笑ったw あれをガツンとできるって、改めてすごい。

そんな脳が溶けそうなギャグを連打しつつ、役柄とシチュエーションはシームレスに変化していき、ただでさえシュールな世界観は、舞台が進むにつれ徐々に不安定さを増していく。

同時に物語のなかに放り込まれる、フリスク/粘土でできた縄/妖怪百目のお目目ぱっちりプリクラ/鳩サブレ/スタバのキャラメルマキアート/窓から覗く大仏、などなど、意味があるようでないようなシンボルたちが、世界の軸をさらに狂わせていく。このあたりは三木聡×シティボーイズの独壇場といった感じ。



ドラッグというテーマも相まって、見進めるうちに自分がどこにいるのか・なにを見ているのか、よくわからなくなっていく感じ。ふだん疑いなく見ている目の前の現実って、ほんとにホントなの? 当たり前に思ってる当たり前って、ほんとにアタリマエなの?

トリップするためには、実はシンナーも覚せい剤も必要なくて、笑いと毒があれば、世界の見え方はいくらでも歪んでいく。

俺にとってシティボーイズは、そういうことを身をもって思い出させてくれる存在なのだ。と、天井から降りしきるフリスクに打たれる3人を見ながら、改めて感じ入った。

最後の最後にコントそのものを歪める大竹の痛恨のミス(「察せろよ!」との名言がww)を経て、約30分のコントは終了。シティボーイズ・ワールドに再び浸ることができる幸せを噛み締めた、濃密な時間だった。



どこまでも不定形なシティボーイズのコントのあと、キングオブコントで彼らのファンになったというきたろうの呼び込みで披露されたゲスト・ライスのコントは、若干放心状態だった俺をもガッツリと笑わせてくれる力強いもので、めちゃ面白かった! 最初は意外に思えたこの出演順も、3人からライスのふたりへの「こいつらならきっと笑わせてくれるはず」という信頼の証だったのだろう。終わってみるとすごく気持ちのいいコントラストを生んでいた。(きたろうは「面白いかどうか保証はしない」と言っていたけどw)

再び3人が登壇し、ちょっと長めのエンドトーク。2年前にファイナルと銘打ちながら今回イレギュラーに復活した経緯などには一切触れず、結成当初のエピソードを披露するあたりも、なんとも彼ららしい。(きたろう「お笑いスター誕生は審査員じゃなくてプロデューサーが勝敗決めてた」 斉木「ここで負けるけど代わりにその後出続けられるから、とか言われてた」ww)

人間はよかったことは忘れるのに、嫌なことは覚えている、という話も。大竹曰く、失敗した記憶ばかり覚えているのは、二度同じ過ちを繰り返さぬよう、人間の本能として覚えているようにできているのだそうだ。(大竹「さっきの俺の失敗みたいにな。あれだけフリスクが散らばってたらフリスクで頭が一杯になるんだよ!」ww)



改めてライスを呼び込み、大竹の「またお逢いしましょう」のひと言で退場。生ピアノに乗せてのエンドロール上映中も鳴り止まない拍手にカーテンコールで再び登場した3人、客席に向かってきたろうが「なんでそんなに優しいんだよ!」と言ったとき、一瞬泣けてくるほどウェットな気持ちになって困った。

過去の失敗に頭を抱えて眠れなくなる夜もあるけど、失敗すんのも悪くないよな。

で、ひっどいことも多い世界だけど、人間もそんなに悪くねーよな。

ゲラゲラ笑ったり、なんだかゾッとしたりして、全部が終わったあとでふとそんなふうに思えることも、俺がシティボーイズの舞台を見たくなる理由だったと、最後の最後に思い出した。俺はこの夜のこと、当分忘れないと思う。

変わり続ける世界と、変わり続ける銀杏BOYZ。「東京のロック好きの集まり」ライブを見た

 

2017年5月28日、新木場・STUDIO COASTで行われた、銀杏BOYZのライブに行ってきた。

昨年行った中野サンプラザでのライブでは、ホール会場で演奏にじっくり向き合い、峯田和伸が稀代のメロディメイカーであることを、改めて実感することができた。

そして今回、久々のライブハウスでの銀杏はどんなものになるだろうと思い足を運んだ。
結果的に中野のライブを軽く超えてくる、すばらしいライブだった。



1曲目、『人間』で

「こんなときだからこそ戦争反対って歌わなきゃいけないと思うんです」

と叫んだ峯田。(意訳&記憶は曖昧です)

かつて<戦争反対って言ってりゃいいんだろ>という歌詞に、ひとという生き物のうぬぼれと憐憫とやりきれなさを刻んだ峯田が、こう叫ばずにはいられない時代に、俺たちはいま生きている。
そういう時代にロックをやるんだという覚悟のもと、峯田は銀杏BOYZを続けている。
その事実の重さにいきなり震えた。

峯田は、自身を除く全メンバーが脱退したいまも、サポートメンバーを入れて、銀杏BOYZを「続けている」。
中野公演のMCではその理由について

「俺にとって銀杏BOYZはお墓なんです。たまに綺麗にしてあげたりして、みんなが集まってくれるお墓として、これからもずっと残したいんです」

と語った。(出典・ライブ後の俺のツイート)

ただ、「続けること」と「変わらないこと」は決してイコールではない。

そもそも、人間は生きている限り、変わらざるを得ない生き物である。
日々息をするだけで、髪は伸び、シワは増え、体重は増える。
というか本来は逆で、変わり続けることこそが、呼吸をしている証なのだ。

「戦争反対と言わなきゃいけない」と叫ぶ峯田を見て、峯田も、俺も、そしてこの世界も、常に変わり続けているのだということを否応にも実感させられた。



ライブの空間も一瞬一瞬のうちに目まぐるしく変化していく。
立て続けに始まった『若者たち』では峯田のダイブを引き金に将棋倒しが置き、早々に演奏が一時中断。
もう少し後ろに下がってと優しく促す峯田。

昔の峯田だったら、こんなふうに冷静に対処しただろうか。
もしもを考えたらキリがないが、「ワンツー!」という咆哮から突入した『駆け抜けて性春』では、よりバンド感を増した演奏によるでっかい塊のような轟音に、かつての銀杏ライブの感覚がゾワゾワと蘇る。
目の前で鳴らされる楽曲が、過去といまを一瞬でつないでいく。

銀杏の代表曲のひとつである『援助交際』は、『ぽあだむ』にもつながるダンスミュージックのビートを組み入れ、大きくアレンジを変えて披露された。

安直に言ってしまえば、サウンドはポップで聴きやすく、ノリやすくなったし(『ぽあだむ』もそうだけど、銀杏のライブで“腰で踊る”日が来るとは!)、この曲ってこんないいメロだったか!こんないいコード進行だったか!という、メロディメイカー・峯田和伸の魅力を最大限に感じられるアレンジにもなっていた。

ではそれによって、歌われているメッセージも変わったのかというと、これも確かに変わった。端的に言って、よりエグさを増していたのだ。
 

以前の銀杏のライブでは、破綻寸前のカオティックなバンドアンサンブルで歌われていたこの曲を、この日の峯田は盤石の演奏力を保ちつつ溢れ出る熱量を見事に放出するバンドの演奏(この日のバンドの演奏は本当にすばらしかった)に体を揺らし、タンバリンを持ちながら楽しそうに歌った。

しかし歌われているのが「あの娘は他の誰かと援助交際」という悲しき叫びであることに変わりはない。

むしろ、多幸感にあふれてすらいるアレンジで歌われるからこそ、曲のメッセージは逆説的にこれまでにない切実さを増して胸に刺さってきた。
(逆に以前のバンドアレンジはある意味、楽曲のメッセージにすごく実直なアレンジだったんだなとも思った)

そして思った。峯田は、かつて自らが楽曲のなかに刻んだ、どうしようもなさを引きずりながらただ生きることしかできない少年の姿を、いまも引き受け続け、抱え続けているのだと。

思わず笑顔になるダンサブルなビートに乗せて「あの娘のIDをゲットするため僕は生まれてきたの」「ああ世界が滅びてしまう」と歌うのが、いまの峯田の引き受け方なのだ。

悲惨でみじめでどうにもならない現実=自分自身を音楽で爆発させる、という銀杏の本質は、この日の『援助交際』に、そして今回のライブすべてにおいて、形は変えどもしっかりと、そして新たな衝撃をもって息づいていた。



で、とにもかくにも新曲だ。『エンジェルベイビー』。ものすごいタイトルだけど、中身はもっとすごかった。

銀杏には珍しい、なんの衒いもない、ストレートなロックチューンだ。
詳しい歌詞はほとんど覚えてないけど、あれは間違いなく、なにかを失った人にしか歌えない曲だった。

ロックンロールは世界を変える、と歌っていた気がした。
青春の終わりに、みたいなことも歌ってた気がする。
すごい。
峯田が、そんなことを歌うとは。

この新曲は、アリアナ・グランデ公演で起きた自爆テロの犠牲者に30秒の黙祷を捧げたのちに披露された。

世界はきょうも取り返しがつかない。
明日自分がどうなっているか、明日世界がどうなっているか、分かる人は誰ひとりとしていない。
この世界に確かなことなんて、びっくりするほど、あっけないほど、なーーーんも、ない。

峯田はこの日、

「生まれてよかったと思ったことはないけど、
生きててよかったと思うことはある」

と言った。

この世界に生まれて、生き続けて、
なにかを失って、失って、失って、失い続けて。

それでも手の中に残ったものを、
必死こいて引き受けていこうとする、
『エンジェルベイビー』はそんな曲だった。

ついにこれを歌うことができたんだな、峯田は。

きょうも変わり続ける世界で生きている俺は、
これからも変わり続けるだろう銀杏のライブに、また行きたいと思った。

そして新しい曲を、もっと聴きたいと思った。

そういうふうに思えるライブを見られる幸せを、噛み締めた夜だった。