
俺は新しい地図を誤解していた――映画『クソ野郎と美しき世界』鑑賞3日後のおぼえがき
本作は新しい地図によるこの世界へのステイトメントである。
ステイトメントという言葉がちょっと固いならメッセージと言ってもいい。
本作の全てが、新しい地図からのメッセージだと思う。
いきなりぶちあげてみましたが、じゃあそのメッセージってなんなのか。
なんだろう。なんでしょうか。なんだと思います?(聞くな)
いや、正直、すごく聞いてみたい。いろんな人に。
みんなこの作品を観てなにを受け取ったのか。
実は本作を観ていちばんびっくりしたのが、
「“よくわからない”というフィーリングが存在する作品である」
ということだった。
や、これ、別に普通のことなんですけど。
普通というか、俺にとって
「よくわかんないけどすこぶるおもしろい」
という感想って、個人的にエンタテインメントに対する最上級の賛辞なんですね。
すでに知ってる感情や感覚を追体験することの楽しさもありますよ。
でもやっぱり未知の快感に出会いたいわけですよ。エンタメジャンキーとしては。
で、まさか(失礼)、新しい地図の映画で、そういう感覚になるとは(本当に失礼ながら)思っていなかったのだ。(そう思っていたことに観たあとで気付かされた)簡単に言うと、もっとお行儀がいいものができあがるのかと思ってた。
正直に言います。ナメてた。ごめんなさい。(土下寝)
例えば。最初に「本作の全てが、新しい地図からのメッセージ」と書いたけど、それはエピソード4における、香取慎吾による素晴らしい歌唱でうたわれる『新しい詩』の<世界のどこかにきっと仲間がいるから>というサビの一節なのかもしれない。
この一節は3人のことを言ってる気もするし、今回集結した4人の監督のことにも思えるし、異なるエピソードの中を生きながら最終的に一瞬だけ邂逅する映画の中の3人のことかもしれない。
新しい地図のファンクラブ会員がNAKAMAって呼ばれてることもかけてるのかなーとか、解釈を広げると他のSMAPのメンバーのことを言ってるのかしらとか、いろいろ深読みもできますわね。
でもじゃあ本作が単純に仲間っていいよね!的な映画なのかというと、全然そうじゃない。お行儀のよいオチを設けない、というか、いや別にそれでもいいしそうじゃなくてもいいし、という懐の深さがある。別の言い方をするとメッセージやアティチュードが確信犯的に整理されていない。かといって「受け取り方は観客の自由」みたいな投げっぱ感もない。なんだろう、ホスピタリティは十分で居心地めっちゃいいんだけどよく見ると内装がぜんぶモアレパターンになってて一晩いると気が狂っちゃうホテルに泊まったみたいな感覚?(なんだそれ)
なんなんだろう。なんでこんなにおもしろいんですかねこの作品?
各エピソードの内容やその解釈についてとか、各人の演技の素晴らしさとか、SMAPから新しい地図に至る文脈としての意義とか、そういうことについてはいくらでも語れるし語りたい欲もあるにはある(そういうのならスマホのメモ帳に下書きたくさんしてる)んだけど、この作品について語るってことはなんかそういうことじゃない気もするし、じゃあこの作品の本質ってなんなんだろうと考えてみるんだけど、うーん。
というか、こういうふうに言える=よくわかんないんだけどすごいもの観ちゃったと素直に言える作品だったということこそが、この作品の美点だとも思う。
新しい地図の活動開始を報じる新聞広告の、真っ青な空に描かれた
M A P S
の文字を見たときに感じた気持ちを、本作を観て久々に思い出したんです。
なにか面白いことが起きるんじゃないか。
見たことのない景色に出会えるんじゃないか。
あのときの予感が、本作を観て(はじめて)実感となった気がした。
(はじめて)というのは、正直言うとこの実感は、『72時間テレビ』を観ても、『72』を聴いても、『新しい別の窓』を観てもついに感じることができなかったものだったから。
↑の活動になくて本作にあるもののひとつに、「自身がSMAPでなくなったこと」をはじめてネタにしちゃった、ということがあると思う。ネタにしたという言い方がアレなら言い換えます。SMAPでなくなったことをはじめてエンタテインメントとして昇華しちゃったのが本作なのではないかと。しかもそのアウトプットがこんなに刺激的でストレンジな表現だったという。
正直こんなことになるとは思ってなかった。
俺、新しい地図というものを、誤解してた。見くびってた。ナメてた。
もっとやさしくて、人懐こくて、すがすがしいものなのかと思ってた。
本作も、もっとものわかりがよくて、安全で、整ったものになってるんだと思ってた。
違うわ。全っっっっっっっっ然違うわー。
新しい地図とは、実際はもっとしたたかで、貪欲で、狡猾で、人を楽しませるためなら、エンタテインメントのためならきっと平気で魂も売るような、まさにクソ野郎の集まりだったのだ。そんな彼らのほんとうの意味での始まりとなる一手が、この『クソ野郎と美しき世界』なのだ。ひえー。
というわけで、2週間しか公開されないし少しでも販促になるものが書ければと思ってたのですがこの有様です(むしろ各論をちゃんと書いたほうがよかったのでは疑惑)。修行が足りなすぎる。精進します。でも繰り返すけど、いい意味で混乱しちゃうような作品を彼らが生み出してしまったことがなにより嬉しい。
筆が滑り続けてるいきおいで書きますけど、時間を巻き戻すことができないのが全人類共通の掟なら、生きている限り前に進むことができる可能性を持っているのは全人類共通の権利だ。SMAPが存在する世界が続いていたなら、本作は生まれなかったわけだけど、もしそういう世界が存在するとしたら、その世界は美しい世界だったのだろうか。俺は本作を観てやっと、もしかしたらSMAPがいなくなった世界を愛せるかもしれないと思えました。失うことは、終わりを意味するわけじゃないのだ。
多分観た人それぞれの脳内に全然違うメッセージが受信されてると思いますし、俺が幻覚または幻聴を受け取っている可能性も大大大×∞ですが、受け取っちゃったんだからしょうがない。俺が本作を通して新しい地図から受け取ったメッセージは以下です。
<俺らは好き勝手にやるぜ。てめーらも好き勝手にしろ。このクソ野郎ども。以上>
彼らにそう言われて俺は、新しい地図の表現に向き合う覚悟がやっとできました。
映画『羊の木』――人と人のあいだで“まっとうに揺れ続けながら生きる”ということ
ある地方都市が、国の極秘事業として6人の元受刑者の移住を受け入れることを決めた。彼らは全員、元殺人犯。帰る場所のない彼らに住居と職を与え、10年間町に住まわせるというプロジェクトが成功すれば、田舎町の過疎化対策にもなる。しかし実際はそううまくいくはずもなく、町では不審な事件が次々と起こっていく――。
冒頭で映される町の遠景の、晴れていないわけではないのに、どうしようもなくどんよりとくすんだ空の色が忘れられない。映画『羊の木』は、とにかく全編に不穏なグルーヴが流れている。6人の元受刑者たちは誰もが個性的で、別の言い方をすると全員ヤバい奴に見える。いつなにかが起きてもおかしくない、そんな息が詰まる空気が画面の隅々にまで充満している。そしてその“なにか”は実際に起こっていく。
ただのミステリーなら、犯人探し的に観ることもできるだろう。「信じるか、疑うか」というキャッチコピーや、ヒューマンミステリーというジャンル分けは、そういう側面に重きを置いているようにも取れなくもない。しかし実際に観進めると、この作品はそこに留まることなく、さらに奥へと踏み込んでくる。
本作で観客の目線を代弁するのが、元受刑者たちを受け入れる市役所職員である、錦戸亮演じる主人公の月末だ。月末はどこまでも不審に見える彼らの間で、見事に狼狽え、戸惑い、揺れ続ける。「信じるか、疑うか」のコピーに倣うなら、月末は簡単に人を信じ、疑い、また信じてしまう。
そんな彼の姿を通して、信じることと疑うことは、実は表裏一体、というよりもはや同じ行為なのではないかと気付かされる。信じることは善、疑うことは悪、当たり前のようにそうカテゴライズされているけれど、どちらも独断と偏見で他人を判別する行為に変わりはないのだから。
6人の中で月末と“友だち”として交流を深める松田龍平演じる青年・宮越の一挙一動に動揺し続ける月末。そして月末の姿に重なる観客である俺の内心。俺は宮越の何を見ているのだろうか。そもそも自分に彼をジャッジする資格などあるのだろうか。
月末は最初から最後までずっと揺れ続けている。人と人の間で揺れるということをやめない人である。その姿は最終的に、揺れ続けるということを肯定する佇まいとして映る。
揺れているのは月末だけではない。クライマックスで宮越は月末に向けて「わかってないなあ」と漏らすが、実は宮越自身もなにもわかっていないのだということが、後のシーンで明らかになる。誰しも、自分にも他人にも、白黒など簡単につけられないのだ。なにも整理できないまま、それでも誰かと一緒に生きていくしかないのだ。しかし同じように揺れながらも月末にはできたそれが、宮越にはできなかった。
見知らぬもの同士が信じあって一緒に生きてゆくこと、それは実はとてもアクロバティックなことなのだろう。じゃあそんな世界をどう生きてゆくべきなのか。月末のように信じることと疑うことのあいだでまっとうに揺れ続けることも、この不条理な世界で生きてゆく人間のあるべき姿のひとつなのかもしれない。月末は戸惑いながらも、他者と向き合うことを放棄してはいない。それは職務とは別の、月末のそもそものパーソナリティがそうさせているように感じる。盲目的になにかを信じたり、なにかを疑う心を疑いもしなかったり、その結果他者との関わりから逃げ続けているような人たちより、戸惑い続ける月末はずっとまともだ。
わかりやすく観客を誘導したり、安直な結末を用意しない作品だからこそ、中心にいる月末が徹頭徹尾まっとうに揺れ続けている必要がある。それを可能にした錦戸亮の演技は素晴らしかった。冴えないアラサー青年にしか見えない人物造形もさることながら、6人+それ以外も含むすべての登場人物それぞれとの関係性における「揺れ」の微細なチューニングがあったからこそ、月末というキャラクターに揺れ続けることの肯定性が生まれ得たのだろう。また北村一輝の画面に出てきただけで確実に嫌なことが起きる予感をもたらすイヤな存在感は、原作ファンとしてもたまらなかった。元受刑者たちのキャラクターは全員ちょい戯画的要素強めで描かれていて、それが月末とのいいコントラストを生んでいたと思う。
どんなに近くにいても、ガラスを一枚隔てただけで、もう相手が何を言っているのか聞き取ることはできなくなる。ガラス越しのわずかな口の動きだけで、なんと言っているのか読み取ろうとする。はっきりとはわからない。でも、わかる気もする。それだけで、気持ちが通じたように思える。人と人とのコミュニケーションとは、なんて危ういものなんだろう。それでも人はひとりでは生きてゆけない。だから信じることと疑うことのあいだで揺れながら、誰かと一緒に生きていくのだ。
※写真は鑑賞後の帰り道で見つけた、投げ出されたふたつのペットボトル。さっきまで観ていたスクリーンの中で月末と宮越に見えて切なくなった。
スキマスイッチ『新空間アルゴリズム』―「いま・ここ」に向き合うポップスの傑作
スキマスイッチのニューアルバム『新空間アルゴリズム』。1曲目のイントロで予感し、最後まで聴き終えて確信した。彼らの表現の沸点を明らかに更新している、最新作にして最高傑作だ。
武者修行のようにライブを繰り返したこの数年間の成果が、全曲の演奏、メロディ、アレンジの豊かさに如実に現れている。アイデアや工夫が凝らされているとか、シンプルにいい曲であるとか、そういうことはもはや当然として、その先を見せてくれる奥行きがすべての楽曲にある。
スリーブデザインはそのことを端的に表現している。一面だけだと“耳なじみのいいポップス”に見えても、その奥には広大かつ豊かな音世界が広がっている。そんなスキマスイッチの魅力が、計10曲というミニマムなボリュームの中で最大限に表現されている。
とは言え、そのこと、つまり彼らのすごさを形容しようとするときに俺もつい使いがちな「ただのポップスに見えてそうじゃない」という枕詞が、いよいよ必要なくなった感がある。むしろ本作を聴くと、そういう視点こそが実は無駄なバイアスになっている可能性に気づかされもする。
なぜか。彼らはまぎれもなくポップスのまま、まっとうなやり方でこの地点にたどり着いたからだ。どんな聴き方でもこのアルバムのすごさ、少なくともその一端は絶対に伝わる。そう言い切ってしまいたくなるくらいに、この作品は驚くほど充実している。
本作に至るまでのここ数作のアルバムを聴けば、彼らがどれだけ愚直に自らの表現と向き合い続けてきたかがよくわかる。わかりやすく目新しいモチーフや仕掛けがあるわけではないのに、メロディ、アレンジ、言葉、うた、演奏の強度をただただ突き詰めることで、ここまでのみずみずしさを獲得しているのは、本当にすごいことだ。
*
もうひとつ自分が感動したのが、本作から、私たちがいま生きている「いま・ここ」によりコミットしようとするモチベーションを強く感じることだ。そこがこれまでの作品とは明確に異なる点だと思う。
例えば彼らのライブの多幸感が歌われる『パーリー! パーリー!』。音楽を共有することの喜びというテーマ自体は共通点がある2009年作『虹のレシピ』では比喩的表現が多かったのに比べると、はるかにストレートにライブ会場をイメージできる歌詞になっている。この明快さも、彼らがいま見ている「いま・ここ」を、より具体的に描こうとした結果のように思えるのだ。
また、彼らの作品には、カラフルなメロディの裏にいつもどこかしら影や鬱性のようなものが横たわっていた。それ自体は本作でも変わらない。それどころか彼らが描くネガティビティは、より等身大であるがゆえに安易に逃避できない、人生を重ねたからこその鈍い後悔や無力感をまといはじめている。要はよりシビアになっているのだ。
しかし、過去には楽曲によってはネガをネガのまま放り投げることもあった(それはそれで翳りをたたえた魅力があった)が、本作において表現されるネガティビティはすべて、最終的には前を向く、前を向こうとする姿勢として昇華されようとしている。
その原動力となっているのもまた、いまさらネガに体を埋め動けなくなっている暇などないという、彼らが立っている「いま・ここ」に対する現状認識の表れなのではないか。
ある種の鬱性を抱いたまま(というか影を見つめることなくしていまに向き合うことなどできないのだ、という前提のもと)ポップスを鳴らすということは、一体どういうことなのか。その回答として、未だに揺れながらも、しかし確信に満ちたアティテュードを、本作でふたりは掲げている。
*
それにしても。ここまでキャリアを重ねてなお円熟に向かうことなく、ここまでフレッシュな新譜が生まれたことに、本当に驚かされる。その理由として、彼らのライブにおける演奏の充実ぶりがついに盤に刻まれたという点も大きいだろう。
冒頭の『リチェルカ』~『LINE』のアンサンブルは、これは彼らの絶好調時のライブ音源ですと言われても信じてしまうほどの生々しい輝きにあふれている。それは先述した、とにかく修行のようにライブを繰り返した季節、更に言うなら他アーティストとのコラボ盤『re:Action』での百人組手の経験があったからこそ成し得たものであることは間違いないと思う。
ただ言うまでもなく、いいライブばかりやっていたからといって、いいアルバムができるわけではない。例えば近年のライブにおける『SL9』や『SF』、あるいは『僕と傘と日曜日』といった楽曲で見せていた、いわゆる耳なじみのいいポップスの枠から逸脱することを恐れない(具体的には録音版にはないもはやノイジーですらある轟音をセッション的に鳴らしたりする)ことで未知のグルーヴを獲得するというアプローチは、スキマスイッチのライブにとって今や欠かすことができないクライマックスとなっている。一方でいずれの楽曲も、ライブでの完成形に心底震えるからこそ、アルバム音源がそれに見劣りしてしまう、というジレンマを生んでいるのも事実だった。
そんなグルーヴをついに音源として刻みつけたのが、アルバムのラストに配された『リアライズ』だ。すごいのはそれをあくまでポップスのフィールドで鳴らしてしまっていることだ。
本作のすべての曲で本当に飛躍的に素晴らしい歌声を聴かせてくれる大橋卓弥のボーカル、その得難い声よりもさらに雄弁に楽曲のメッセージを伝えてくれるのが、この曲で聴けるストリングスの調べである。俺はこんなストリングスのソロ、聴いたことがない(というか、こんな風にストリングスを配するポップスを聴いたことがない)。
あのストリングスはただの間奏ではない。むしろあれこそがこの曲の肝であり核心であり本質だ。しかもそれは『SL9』や『SF』の轟音とは全く別種の美しいエモーションをもたらしてくれる響きなのである。これをアルバムの中で音源として具現化できた、ということそのものが、音楽家としてスキマスイッチが明確に別の次元に到達したことのなによりの証拠だろう。本当に感動的だ。
*
かつて遥かな彗星に想いを馳せ、猫型ロボットに劣等感を抱いていた青年はいま、夜に沈む第三京浜で取り返しのつかない現状にもがきながら、それでも明日に目を向けようとしている。このアルバムの最初と最後で言っていることはまったく同じだ。それは「未来は自分の手の中にある」ということだ。
スキマスイッチが描く「いま・ここ」は、楽しいことばかりがあるわけではないし、決して生やさしいものでもない。でも、だからこそ、ポップスじゃないとできない方法で聴き手を前へと一歩踏み出させてくれるメロディとビートと言葉が詰まっている。スキマスイッチを知らない人や、彼らを誤解している人にも聴いてほしい。そういう人も耳を傾ける価値のある傑作だから。
ENBUゼミナール卒業公演『牛久沼2』―俺が演劇を観る理由がここにあった
個人的にここ数年あらゆるエンタメの中でもっとも刺激を受け夢中になっているのが演劇。2018年一発目に観た作品も、めちゃくちゃ面白かった。
1月20日、花まる学習会王子小劇場にて、ENBUゼミナール卒業公演『牛久沼2』を見た。
ENBUゼミナールというのは映画と演劇を勉強するための学校で、本作はそこの生徒さんたちの卒業公演。作・演出の鎌田順也氏がやっているユニット「ほりぶん」の作品として2017年10月に上演された『牛久沼』の続編となる。
ストーリーは単純。牛久沼で採れたうなぎを巡って、いろいろな人たちが争いを繰り広げる。最後にうなぎと手にするのは誰か――!? ……そんな感じ。というかほぼそれだけ(本当に)。最初から最後までとにかく登場人物全員がひたすらうなぎを奪い合うのです。本当にそれだけなんです!
ほりぶん『牛久沼』を観て腹抱えて笑い転げた記憶も冷めないうちの続編だったので、かなり期待値を上げて観に行ったのだが、あっさり期待を超えられて驚いた。鑑賞から1ヵ月ちょっと経って細部はほぼ覚えてないにも関わらずとにかくめちゃくちゃに面白かったという記憶だけが残っている、ある意味最良の読後感。
タイプとしてはかなり笑える作品。ギャグがとにかくくだらなくて何度か頭も抱えてしまった。シュールとかベタとかというわかりやすい枠に逃げないタフな笑いがあそこまでひたすら連打されると、えも言われぬすごみが生まれるのだなあ。小学生でも楽しめそうな作風なんだけど、意外とけっこう暴力とエロが強めなのも好みの塩梅だった。
前作に比べて登場人物が倍近くに増えていたにも関わらず、そして全編うなぎを奪い合うだけというかなり限定された設定にも関わらず、そして全編ひたすらにくだらないギャグが畳み込まれるなかにおいても、全キャラをちゃんと魅力的に描き分けていて、台本と演出の巧みさに唸りもした。出演者ほぼ全員が常にうなぎを追いかけているのですごい数の人がずっと舞台上を走り回っているんだけど、出るところとハケるところのコントロールがすごいうまい。
あとラストにある仕掛けが待っていて(再演or続編の可能性なくもないので詳しくは伏せておく。しかしムーンウォークがまさかああなるとは。わちゃちゃーわちゃちゃー。ああーくだらなすぎる!)、確かにめちゃめちゃ面白いしあれをいちばんの山場と言ってしまっても良いんだけど、それだけの作品では決して無い。のがすごい。
出ていた人はほとんどが学生さんなんだけどそのなかにプロの俳優さんが何名か混じっていた。この舞台、とにかく全編みんな全力で走り回って、跳ねて飛んで叫んで大変なので(なんせうなぎを奪いあうのに必死なのだ)体力面では若者にアドバンテージがありそうなもんなんだけど、実際は体力だけではやっぱり全然無理で、当たり前だけど若さと勢いだけじゃ乗り越えられない作品なのだ。
正直『牛久沼』を観たときは、あまりのくだらなさに爆笑&呆然としてるうちに終わっちゃったんだけど、今回の『2』を観て、役者にも、そして観客にも、こんなにも一切手加減しない作品だったのか、ということを痛感した。で、そういう作品を学校の卒業制作として上演できる生徒さんたち、本当に幸せだったろうなあ、と勝手に感慨深くなってしまった。
若い人もそうじゃない人もみんな一緒になってこんなにくっだらないものを作り上げて、俺は俺でそれを観に王子まで行って働いて稼いだ金払って観て、結果1ヵ月後にはほぼ細部の記憶は残ってないけどとにかくめっちゃ良いもん観たなあという記憶だけが残っている――そういう一連の諸々がたまらなく面白くてたまらなく幸せだから、俺は演劇を見に行くんだよな、と、改めて噛みしめた夜だった。
パーマネントな劇団じゃなくて学校の卒業公演ということも含めてほぼ確実に二度と観られないという意味でも、演劇を観るヤバさをぞんぶんに味わうことができた。これだから演劇観るのやめられないんだよなあ。いいもの観た。そして続編を待ちます!
ほりぶんは3月に新作『荒川さんが来る、来た』を上演。前売りはすでに完売しているが、当日券もあるはず。今後も活動を続けていくと思うので、気になる人には激おすすめしておきます。
関連リンク:Togetter ENBUゼミナール卒業公演『牛久沼2』感想まとめ(俺のツイートもまとめられていた)
『72』――「ぼく」と、「きみ」と、「友だち」のうた
前にも書いたように、『72』は願いのうただ
「あたらしいこの場所」を選んだ「ぼく」は
「きみ」とまた逢うことができた
でも「ぼく」も「きみ」も相変わらず
いつだって頼りない
ほんとうに72冊の本を書き上げられるかどうかなんて誰にもわからない
でもそれをやろうとするひとがいて
それを受け取ろうとするひとがいる
そういうひとたちのためのうただ
このうたのサビで何度も繰り返される「ずっと」ということば
<ずっとずっとこんなふうに
遊び続けよう>
<ずっとずっとこんなふうに
遊んで生きられたら>
いまも全然ままならない
そんな「ぼく」と「きみ」が歩む
この先の未来についての願いが
繰り返される「ずっと」にこめられている
ただ、このうたのなかにたった一度だけ
違う「ずっと」が歌われる
<ぼくはずっと友だちには
恵まれてるみたい>
これ以外の「ずっと」が
「(これから先の人生)ずっと」
という意味合いなのに対して
この「ずっと」は
「(これまでの人生)ずっと」
という意味に取れる
この「ずっと」を口にする一瞬、
「ぼく」はそれまで見つめ続けてきた「きみ」から視線を外し、
ちょっとだけ後ろを振り返る
ずっと「きみ」のことを、
そしてこの先の未来を見続けてきた「ぼく」が、
なにかを確かめるように、
なにかを噛みしめるように、
ほんの一瞬だけ、
彼方に目をやる
<恵まれているみたい>なんて謙遜しながら、
恋人に自分の親友を紹介するときのような、
少し恥ずかしそうで、
でもなんだか誇らしげな佇まい
俺はそんな「ぼく」の姿を想像する
「きみ」との未来への願いをうたおうとしたとき、
「ぼく」は、自分の自慢の「友だち」のことを、伝えようと思ったのだ
<ぼくはずっと友だちには
恵まれてるみたい>
彼らは、そのことを、伝えたいと思ったのだ
『72』――どこまでもポップでどうしようもなく切ない“願いのうた”
『72』のサビで歌われる<ずっとこんなふうに遊んで生きられたら>というメッセージ。
作詞・作曲・編曲を手掛けた小西康陽がかつて率いたバンド、ピチカート・ファイヴの『マジック・カーペット・ライド』を思い出さずにはいられない。
<そしてふたり/いつの間にか/年をとってしまうけど/いつまでもふたり/遊んで暮らせるならね>
ピチカート・ファイヴはこの曲を出した8年後に解散した。
25年続いたSMAPも、あっけなく終わってしまった。
このホンネテレビという遊びだって、たった72時間で終わってしまう。
生きられたら。暮らせるなら。
だからこれはどちらも、願いのうたなのだ。
それがたとえ叶うことのないものだとしても、ひとは何度でも、願いをメロディとことばに乗せ、うたうことができる。
それこそポップ・ミュージックの存在意義だろと言いきってしまいたくなる。
どこまでもポップで、どうしようもなく切ない。
ピチカートもSMAPも、俺が大好きな音楽は、こういう音楽なんだ。
またこういう曲を聴けるということが、俺にとっての希望そのものなんだ。
“ホンネ”でいることってつまりどういうことなんだ――72時間ホンネテレビに寄せて考えた
「新しい地図」始動とともにアナウンスされた、稲垣氏のアメブロ開設。そして今回のハッシュタグ #ホンネテレビ応援してます の件。
これは…ブログ始めるときになぜか(失礼)アメブロを選んで、SMAPについて書き続けてきた俺に対する、本人たちからの啓示としか思えない…!
まあそれは嘘ですが、あと冷静に考えると本人に読まれる可能性が万が一にもゼロではないとか恐怖以外の何物でもないのではという気もしつつ、せっかくの祭りだし、あと元々彼らへのラブレターのつもりでこのブログを書いてる部分もあったし、この機会をみすみす見逃すこともないだろう。
というわけで、『たぶんオーライ』を引き合いにして<「応援」という行為があまり好きじゃない>と書ききっている人間に、このお題でなにか書けることがあるのかしら、とぼんやり思い巡らせみることにした。
で、改めて<ホンネテレビ>というタイトルを眺めてみて、ツイッターで最初にこのプログラム名を見たときに感じたちょっとした心のざわめきを思い出した。
言いたいことと、言いたくないこと。
言えることと、言えないこと。
それらを踏まえて、実際になにを言い、なにを言わないか。
ショウビズの世界に身を置く3人に限ったことではなく、ただの一市民である俺ですら、日常生活のさまざまな場面で、こういった判断を瞬時に行っている。
その無数のジャッジの中で、本音は心の奥底にどんどん隠れていって、そもそもそんなものがあったのかどうかすら、わからなくなっちゃったり。
俺はそもそも自分の本音すらよくわからないし、他人の本音など知れるわけないとも思っている。
(だって自分自身のことが一番よくわからないのに、他人の心などわかるわけがないだろう!)
自分の本音をありのままに語ることができる人とか、この世界にほっとんどいないのでは、とすら思う。
俺は根本的にそういうスタンスの人間なので、今回の“本音”という言葉に、なにか引っかかってしまったのだった。
今回新しい地図になって解禁されたインターネットプログラムで、3日間に渡って伝えられる3人の本音。
彼らにも、今だからこそ言える本音があるのか。
これまで言いたくても言えない本音があったのか。
それって一体なんなんだ。
……うーん、だめだ。この妄想、答えもなければ、なんの実りもないやつだ。なにより全然楽しくないし。
よくわからなくなってモヤッた末に、そもそも本音という言葉はどう定義されてるのかしら、と、<ホンネ 意味>と検索してみた。
するとこんなものが出てきた。
1 本来の音色。本当の音色。
2 本心からいう言葉。
え! あ! そうだったのか!
驚いた。というか間違えてた。俺はてっきり2の用法でしか考えてなかった。
1の用法なら、わかる。すごくわかる。とてもよく、わかる。
これまでの活動を見てきて思うのは、SMAPは自身の過ちや矛盾を否定しない人たちだということだ。
要は自分を必要以上に取り繕うということをしない。(むしろ必要以上にさらけ出す傾向にある)
それってなぜなのか。
きっと彼らは“常にほんとうであり続けたい”だけなんじゃないだろうか。
『A Day in the Life』という曲について書いたときも、『ユーモアしちゃうよ』という曲について書いたときも、彼らの音楽を聴くとき、俺はいつもそんなふうに思ってきた。
ありのまま、と言ってもよいかもしれない。
正直、だとちょっと違う気がする。
ときに正直じゃない自分もひっくるめて、そのまんまでいることを自ら選び取る感じ。
『A Day in the Life』の<結論は出ない 人間だからね>というフレーズの異様なまでのあっけらかんさなど、その象徴だろう。
思い返すとSMAPというチームはみんな、「これは言わないだろう」ということを言ったり(タブーを破る)、「これ言ってほしいなあ」ということをあえて言わなかったり(安直なサービストークを避ける)、そういうことをよくする人たちだ。
そこがアイドルとしてはとてもスリリングで、作りもの臭さじゃない人間くささを感じる部分でもある。
それって、単に本音を語りたいからそうしている、というより、“ホンネな存在でいたい”というスタンスが全員に通底しているからなんじゃないか。
もともとそういう5(6)人が集まったのか、SMAPというチームが彼らをそうさせたのか、それはわからない。
けど、俺はそういうものをSMAPや彼らの活動から感じてきたし、新しい地図がやろうとしていることも、変わらずそういうことなんじゃないかと思う。
言いたいことと、言いたくないこと。
言えることと、言えないこと。
それらを踏まえて、実際になにを言い、なにを言わないか。
そんなジャッジを繰り返して、必要以上に自分を取り繕って、本音がなんだかわかんなくなっちゃってる俺みたいな奴に、
「俺らはこのまんま“ホンネ”でいくぜ、みんなはどうする~?」
と軽やかに問いかけてくれる。そういう存在を引き受け続けてくれているのだ。
だから新しい地図も、見ていてすっげーヌケがいいんだろうなあ。
改めて、こういう人たちが居続けていてくれることの得難さに頭が下がる。
というわけで、<ホンネテレビ>に際して設けられたこのハッシュタグ #ホンネテレビ応援してます ですが、彼らへの応援とはほど遠い内容になりました。
まあでもこれが、“本音”が苦手な俺の、いまの“ホンネ”ということで。
俺もスコーンと抜けるように晴れ渡る秋空のように、ホンネでいたいし、ホンネであり続けたい。
そんなことを思いながら、俺なりの72時間を過ごそうと思います。
「V6 LIVE TOUR 2017 The ONES」レポート―驚きと裏切りに満ちた2時間半
まず、というかなにより、音が想像以上にすごくよかったのが最高だった。
アリーナだしなーと正直期待していなかったのですが。
俺が見た宮城公演の会場(サイズ感含め最高)の特性による影響もあるかもしれないと思っていたが、他会場で観た方の感想を見ると、割とどこでもよかったよのかもしれない。
単に全体的に聴きやすい音だった、ということではなくて、『The ONES』というアルバムを引っさげたツアーにおいて、どういう音を前に出すべきか、という音の作り方がいちいち的確だったのだ。
際立っていたのは、低音と高音域のエフェクトの鳴らし方だった。
ただドンシャリ効かせてるだけ、というわけでも、もちろんない。
今回のツアーですごくよくわかったというか自覚したことがあって、俺は端的に言うと「ダンス・ミュージックとしてのV6の音楽」が好きなのだ。
俺がV6の音楽に魅了されるきっかけとなった『OMG』も収録曲の大半がダンスチューンだし、『The ONES』の冒頭に連打される『never』『刹那的 Night』『SOUZO』もタイプは違えども、どれも広義のダンス・ミュージックと言えるだろう。
で、今回のツアーって、別にガチのフロア対応の低音が鳴ってるわけではない。
音量もクラブやライブハウスに比べるとけっこう小さいし。
けど、ちゃんと気が利いた、耳でしっかりと重力と振動を感じられるキックとベースが鳴っていた。
“アリーナ会場のアイドルのコンサート”という場を踏まえた上で、ダンス・ミュージックとしての楽曲のポテンシャルをちゃんと活かそうとする音になっていたと感じたのだ。
それをもっとも強く感じたのが『刹那的 Night』だった。
卓球氏の(デモ時点ではおそらく)バリバリテクノな楽曲をCMJK氏による生楽器の音色で再構成したアレンジ、あの4つ打ちがアリーナで本当に気持ちよく鳴っていたし、ラストのサビのブレイクで指パッチンに音源の10倍(俺耳比)くらいの強めのエフェクトがきれいにかけられ、広大なアリーナ空間がリバーブで満たされた瞬間は鳥肌が立った。
この曲をもっかい聴くために別会場のチケット探そうかと思ったほど。
(そしてつくづく思う。OMGツアーを現場で体感したかった。エグいシンセベースがうねりまくる楽曲たちがアリーナでどう鳴っていたのだろうか)
*
よかった点は他にもある。
セットリスト内の、アルバム曲の配置と流れの素晴らしさには驚きとともに魅了された。
てっきり『never』で始まるとばかり思っていたところに、クールなムービーからフェイドインする『Can't Get Enough』の不穏なイントロで一気に心を掴まれる。
思えば『OMG』ツアーのOP『fake』もそうだったが、スタートダッシュで勢いをつけるのではなく、初っ端から焦らす。
「君ら、これがいちばん興奮するでしょ?」
という、ある種のサディスティックさ。
V6という極めて温和で優しさに溢れたグループの、普段は隠された鋭い爪が鮮やかに光るOPだった。
アルバムレビューでも書いたが、『The ONES』はそのボリューミーな楽曲群を最後までグイグイ聴かせる構成の巧みさが光るアルバムだった。
ではそのアルバムの曲順通りに披露すればいいライブになるかというと、決してそうではないだろう。
今回のツアーは、アルバムの楽曲を、その魅力を損なうことなく、ライブならではの流れで新たな発見を与えるセットリストに再構築する、というなかなかに高いハードルを見事に超えてくる内容になっていた。
例えば『Answer』→『Remember your love』→『Round & Round』の流れには、俺がこれまで頑なに譲らなかった
「楽曲はフルコーラスで聴くのが理想形である」
という思い込みをついに覆すほどのインパクトがあった。
この3曲はアルバムの曲順を遡るように配置されている。
しかしちぐはぐさは全くなく、むしろ新たな気付きと刺激に満ちていた。
その理由の一端として、フルコーラスではなくタイトな尺で繋いでいくことによるグルーヴの変化が大きく影響していた。
もしこのブロックを3曲全てフルで歌っていたら、全く別の時間が生まれていただろう。
それはもしかしたら逆に冗長なものだったかもしれない。
そう思えてしまうほど、この3曲のスムースな連打には“あえてフルで歌わない”という選択の必然を感じた。
*
さらに出色の出来だったのが、本編中盤からクライマックスへ向かう流れだ。
トニセンの『会って話を』は、最初こそあのキラキラ王子様衣装でこれを歌うのか!?と笑ったが、しだいに楽曲で描かれる「カッコつけることってなんてカッコ悪いんだろう」を地でいく、男の情けなさの極みを体現するのにぴったりのコントラストだと思い直した。
あれをストレートにオシャレなロングコートで歌ったら、ただただ渋くカッコいいだけの曲になってしまっただろう。
このユーモアとペーソスが幾層にも重なり合う滋味は、さすがトニセンならではだな、と感じ入った。
そこからハートウォーミングなナンバーを経て(『太陽と月のこどもたち』、MV含め最高だった)過去最短尺の楽曲の世界観をトリッキーなステージングとアレンジによってダークに増幅させた『DOMINO』、そして宙空からヴェールが垂らされた瞬間、これから俺はなにか見てはいけないものを見てしまうのではないか、という背徳の気配に思わず声を上げそうになり、実際にその予感が的中することになるカミセン『Get Naked』へ。弛緩から緊張へのギアチェンジの自由自在っぷりに、心地よく翻弄される。
ここからシングルのc/wである『SPARK』『MANIAC』を連続投下する流れでさらに心地よく裏切られる。
このライブはここからどう変化していくのか?どこにたどり着くのか?という興味をジリジリ煽りつつ、それまでのダーティな雰囲気をスパッと切り捨てずにジワジワと鼓動のスピードを上げていくような構成に、再びV6の“焦らし”を感じた。
つかの間のダンスタイムを終え、再び静寂が訪れたフロアに響く、朴訥としか言いようのない「♪はじまるよ~」の声々。
ぐわあ!! ここでこれがくるのか!! もうここまで俺は何度裏切られているんだ!!
てっきりアンコール、もしかしたらオーラスで歌うかもと思っていた、でもラストの大団円に向かうためのブリッジとして、『レッツゴー6匹』はここにあるべきだったのだろうと、またしても驚きとともに納得。
ここからは言うまでもなく、代表曲の乱れ打ち。あっという間に最後の曲となった。
*
この時点で俺は、本編最後は『The ONE』を歌うのだろうと999%信じて疑っていなかった。
森田剛の声が響いた瞬間、(……!!?!?!?!?)という声にならない声ともに、思わず壁にもたれかかってしまった(スタンド最上部席で見ていたので側に壁があったのだ)。
この選曲には、それほどの衝撃があった。
本編を『ボク・空・キミ』で締めるという選択。
しかしこれもまた、V6にとっては必然の選択だったのだと、いま振り返って思う。
『ボク・空・キミ』は、コンサート会場をわかりやすい一体感で包む曲ではない。
ひとりひとりがちゃんと“ひとりぼっち”のままいられることの得難さを歌った曲だ。
それは俺もそうだしあのとき会場にいた人たちも、そしてV6という共同体だってそうなのだろう。
どんなに仲がよくても、どんなに長い時間をともに過ごしても、最後はみんなひとりぼっちで死んでいく。それがこの世界に生まれ、生きるものに唯一平等に与えられた宿命だ。
でも、だからこそ、一緒にいられる有限なこの時間が愛おしい。
ライブという場で聴くこの曲は、たまらないものがあった。
The ONES=ひとりぼっちたちでいることを肯定する調べ。
これほどまでに心地よく翻弄され続けた最後に、こんなに静かで細やかなチルタイム
を用意している。
V6に漂うまっとうな優しさを感じずにはいられないセットリストだった。
*
個人のパフォーマンスにも触れたい。
『ボク・空・キミ』の坂本昌行のソロパートの歌唱は、本当にすばらしかった。
ひとことで言うと、そのとき彼は完全に素面だった。
自分にも、空間にも、なににも酔っていない、酩酊していない、声。
この曲を歌う坂本の目は、満員のアリーナ会場で歌っているとはとても思えないほど、
たったいま目覚めたばかりのような、静かな目をしていた。
そのたたずまいと声を目の当たりにして、ああ、でも彼は、いつもこういう目をしていたかもしれないな、とも思った。
緊張と弛緩を自在に操る強靭なエンタテインメントをこれでもかと見せつけられたあとで聴く彼の素面な歌声は、歌うという行為の本質を垣間見るような、とても豊かなものだった。
もうひとり、岡田准一のボーカルもとてもよかった。
(ここからキャリア20数年の人に失礼なことを言っている自覚はありつつ書きます)
俺はこれまで映像やライブでのたたずまいを見ても、彼のパフォーマー/ボーカリストとしての真価をいまいち計りかねていた。今回のライブを見ても、彼が持っているであろうすべての力を発揮していたとは思わない。
だが、ついにその正体を表す兆しが見えてきた気がした。
これまでは他の5人と比べて、彼のパフォーマンスに“核”のようなものがあまり見えなかった。
極端なまでにフラット。歌もダンスも、出たものがそのまま届く(だけ)。
その裏に彼のバックボーンのようなものが、ほとんど感じられない。
しかし表現として表出するものは、ただ薄っぺらいというわけでもない。
言い方を変えると、かなり得体が知れない表現者だったのだ。
特にそれぞれが強烈な個性を発揮するV6という集合体の中で、その異様さはより際立っていた。
今回そんな彼からなにか確固たるもの、核のようなものが生まれ始めている気がした。
これは超がつく私見だが、彼はいま半ばヤケクソ状態にあるのではないか。
そしてそのヤケクソの原動力は、「V6のエンタメに対して自分は何ができるのか」という、実はけっこうシビアな自問自答によるものなのではないか。
MCで長野博へのそれを筆頭にメンバーに対する愛があそこまで暴発しているのは、本当にただ末っ子として甘えているだけのものなのか(まあその可能性も全然あるが)。
フラットな存在ではなく、V6という個性派パフォーマー集団の一員として、自分はどんな爪痕を残せるのか。
言うまでもなく本当にそんな自問自答があったかどうか俺は知らないし知れるわけがない(※繰り返しますが超がつく私見です)が、俺にはその結果としてのヤケクソっぷりに見えたのだ。
ここで重要なのは、前回の20周年ツアーからパフォーマンスとボーカルの表現力が飛躍的に伸びているのは間違いなく彼であるということ。
そしてもうひとつ重要なのは、しかし『The ONES』の音源では、少なくとも自分はその進化を感じることができなかったということ。
つまり現段階では、ファンを目の前にするライブ空間において、ボーカリスト・岡田准一は覚醒しはじめているのではないか。
で、そのエネルギーの放出っぷりを見ていると、いずれ音源にもボーカリストとしての本領が刻まれる日がきっとくると思う。
『ボク・空・キミ』のソロパートの、極めて繊細、しかしそれだけではない、ゆるやかな確信のようなものを感じさせる歌声は、彼の覚醒を期待せずにはいられないきらめきに満ちていた。
ヤケクソ云々は置いておくとしても、本ツアーの彼のパフォーマンスにはちょっとワクワクする変化の兆しが生まれているように感じたし、それは今後のV6のライブ・パフォーマンスの方向性に影響を与えかねないレベルに進化する可能性を十分に期待させるものだった。
もしかしたら近いうちに、これまで存在しなかった、とてもストレンジかつ魅力的なアイドルが生まれてしまうかもしれない。それが岡田准一によって成されるとしたら、こんなに面白いことはないだろう。
*
とまあ珍しく真面目に書きたくなるほど今回もほんとにいいライブだったんですが、最後におまけとして、ひとつ願望を書いておきます。
「いつかトロッコ&バックステージなしのライブをやってほしい」
まあこれ実際ガチでやってほしいというよりはただの与太話なんですが。
まずトロッコとバクステが嫌なわけでは全然ないです。
というか俺も近くで見れるとやっぱ興奮するし。みんな美しくて!
ただ、それこそ今回のような本当に流れがすばらしいライブを見ていると、例えばバクステに移動する時間とか、トロッコで周遊する時間に、どうしてもユルさが生まれてしまう瞬間があって、それがもったいないなあと。
例えば今回すごく楽しみにしていた『SOUZO』が、メインステージからバックステージまで移動しながらというある種ブリッジ的な役割としてパフォーマンスされたこと。あの腰から踊らせるファンク・ダンス・チューンをゆるーく移動しながら歌うって、それもったいなさすぎるだろー!と。
せっかくスタンドマイクを使った振り付けもいいので、ガッツリ踊ってくれてもよかったなと。
その点『刹那的 Night』はフルじゃなかったけど、そもそも曲中でポージングするという“静”のアクセントが効いた振付だったことと、センターステージに行く必然性もちゃんとあったので、あの移動はダレることもなく全然アリなものになっていた。
こんなに高性能なダンス曲のレパートリーをたっくさん持ってて、実際ガシガシダンスできるチームなわけじゃないですか、V6は。
そのポテンシャルを120%発揮できる構成も見てみたいな、と思ってしまったのだった。
体力がもたなければ60分1本勝負とかでもいいので。メインステージで歌い踊り煽るだけのV6。魅力的だと思うけどなー。
何が言いたいかというと、こういう無茶な願望を抱いてしまうほど、今回のライブは刺激的かつ発展的な内容だったということです。
まだまだできること、たくさんあるじゃん! 20周年を超えるキャリアを経て新鮮にそう思えるライブをやれるって、すごいことだ。
というわけで次のアルバム&ライブも期待しかない。以上!
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V6の“OMG以降”初のオリジナルアルバム『The ONES』は気合入ったいい作品だぜ
オーヤマ「いやー、仙台ってなにが名物なんだっけ? 牛タン、ずんだシェイク、それから…」
サトシ「それよりなにより地酒でしょ! 朝飲みできるお店探しとかなきゃ」
オーヤマ「だな! ライブ後に行くいい感じの居酒屋も見繕っておかないと。というかまず上野発の新幹線の中で飲む酒はどうする…って気が早すぎるよ。行くのまだ半月もあとだぞ。…とは言えもうあと半月なのか」
サトシ「ツアーはとっくにスタートしてるからね。アルバム発売からはもうすぐ1ヵ月経つし」
オーヤマ「いやー一般でツアーのチケット取れたのマジ奇跡だったよな! とは言えその一方で、アルバム発売前にチケ押さえたのはある意味賭けだったよね。これでしょぼい仕上がりだったらと思うと…」
サトシ「ほんとほんと。ここまで主語がなかったけど、俺らが登場するということはV6の話ですね。20周年ライブレポ以来2年ぶりですけど」
オーヤマ「ついに聴きましたよ、ブラン・ニュー・オリジナル・アルバム『The ONES』」
サトシ「さらに俺らにとっては特別な意味合いがあるよね。“『Oh! My! Goodness!』後初のオリジナル・アルバム”である、ということ」
オーヤマ「角度を変えて3回も書いてしまうほどハマったアルバムだったからねー、OMGは。その素晴らしさについては過去記事を参照いただくとして」
・その1→V6の『Oh! My! Goodness!』ってアルバムがめちゃめちゃいい
・その2→V6『Oh! My! Goodness!』における森田剛氏のボーカルについて
・その3→V6『Oh! My! Goodness!』のライブDVDがすごい面白かったよ
サトシ「だからこそ次のオリジナル作へのハードルが上がっていたのも事実で。その間にベスト盤といくつかのシングルを挟んで、ついに出来上がったのが『The ONES』と。近作のシングル群のなかでもっともインパクトあったのは『Can't Get Enough』だったよね。これシングルにするのはさすがV6だなーとw」
オーヤマ「あれはビックリした! でも一方で『Beautiful World』や『COLORS』みたいな王道路線の楽曲もあって、それらを1枚のアルバムの中でいかに同居させるか、下手するととっ散らかる恐れも十分にあったと思うんだけど…」
サトシ「いやー頑張ったよ! 『The ONES』はなんといってもアルバム作品として聴き応えのある作品になってるのが大きな美点だよね。全体の流れがすごくいいもん。まず『never』『刹那的night』『SOUZO』と冒頭の3曲でガッチリ耳を掴まれた」
オーヤマ「『never』いいよねえ。ここにきてこういうダンスナンバーをここまでの高水準で出してくるのは実はすごいことだと思う。時間がテーマの曲で秒針のサンプル使って、♪ティクタクティクタクとコーラスして、振り付けでは両腕で秒針を表現……ってそこまで絡めるか!?という安田大サーカスもびっくりのベタベッターてんこ盛りなんだけど、それが全部ちゃんと効いてるもん」
サトシ「ベタのクオリティが尋常じゃないことでお馴染まれてる(俺らに)V6の面目躍如と言える1曲。これをアルバム冒頭に持ってくるところからして、アルバムの気合いを感じるよね。そっから『刹那的 Night』だもん! アガる! そしてめっっちゃ卓球節! 『♪タンバリン打ち鳴らし~』の大サビは電気グルーヴで脳内再生されるw 最初はトラックも卓球がよかったのではと思ったけど、聴き直すとこれで大正解だよね」
オーヤマ「うん、テクノ/ダンスミュージックマナーの楽曲にゴージャスなブラスアレンジのオケがこんなにハマるとは。振り付けも独特で、ライブ映えしそうだなあ。V6的にもありそうでなかったダンスチューンを手に入れたよね、この手があったか!という。そしてさらに手を休めず『SOUZO』。これ、今回のアルバム中でも群を抜いて好き」
サトシ「これも曲がめちゃめちゃよくできてるし、そのオケに対するハマケンの言葉のハメ方がすごくいいよね。『レッツゴー6匹』の池ちゃんもそうだけど、普段ステージ上&パブリックイメージでは飛び道具的にハジけてる人たちが、しっかり着実にハイクオリティなプロの仕事をしてるのが面白いw」
オーヤマ「で、それを歌う6人のボーカルもすばらしい! ハネたビート&高低差激しいメロディ&文字量多めの言葉という難易度高い曲でこそV6のボーカルの上手さが際立つ。1番の坂本→井ノ原→三宅→岡田→長野→森田のワンターンの中にボーイズ・ボーカル・グループとしてのV6の愉悦が詰まりまくってる。そこだけで100周余裕で聴ける中毒性」
サトシ「正直この曲だけで1万字書けるし、この曲のボーカル分析だけで5万字書けるけど今回は割愛w ある意味OMGに入っててもおかしくない曲なんだけど、でもちゃんとこのアルバムにハマる出来なのよね。これもライブで踊りまくっちゃいそうだな(俺が) そこから『Beautiful World』~『Cloudy Sky』とタイプは違えどいずれもV6のど真ん中王道を撃ち抜く2曲を配する盤石感よ。この序盤の流れでアルバムの全方位的な力の入れようを感じた」
オーヤマ「ここから異色かつビビッドな印象を残す小品『DOMINO』、そしてこれもありそうでなかったなんというかサイバーパンクな世界観が新鮮な『Round & Round』の流れもよかった。アイドル・V6だからできるフィクショナルな表現の最新系としてアルバムに独特の色を加えてるね」
サトシ「このアルバムを聴くとOMGがいかにコンセプチュアルで異端なアルバムだったかよくわかるし、OMGがあったからこそ『The ONES』の表現に到達できたのだということもよくわかる。OMGのフィクション性と音楽的な革新を成立させていた“アイドルに対するある種のメタ感”が今回はなくて、代わりに音楽的な成熟とアイドルV6のど真ん中を引き受ける度量が両立されている。いまならそれができるってことだよね。この流れから、三宅さんプロデュースの個人的に待ってました!な悲恋ソング『Remember your love』、そしてトニセン『会って話を』の流れも絶妙」
オーヤマ「『Remember~』はサビの大半がファルセットという歌ってみると激ムズというV6の定番パターンwを踏襲しつつ、シングルでもいいのではレベルのキャッチーな秀作だよね。そして『会って話を』。シングル『Beautiful World』のカップリングとして作詞で参加したこちらも出色の出来だった『不惑』に続いて、本家KIRINJIじゃ書けないだろうストレートな表現が目を引く歌詞と出し惜しみなしのメロディにアレンジ、堀込高樹ファンとしても嬉しい出来だし、ちゃんといまのトニセンだからこその表現になってるのもよかった。アルバム中盤のブリッジとしてはあまりに贅沢な1曲だね。つーかさ、ここでまだアルバム半分っておかしくないw?」
サトシ「おかしいw 何回クライマックスあるんだっていうw んでここからいきなり『Can't Get Enough』にいくのは野暮だろうと挟み込まれる『Answer』の力の入り方よ! これがなかったら結構地味な後半になってたよね」
オーヤマ「この曲をちゃんとやりきるのも、いまのV6の落とし前の付け方って感じがするよ。アルバムの流れとしては確実にメリハリが生まれてるし。そしてこっからのCGEの落差な。どうでもいいけどフェイドインするイントロなんて久々に聴いた気がする」
サトシ「この曲のいちばんの聴きどころってそこなのではw この曲はオケもボーカルも何度聴いてもいいよなあ……早くライブの音圧で聴きてえ。この色っぺー曲からなだれ込むのがカミセン『Get Naked』ですよ。意外だったなーこのアプローチは」
オーヤマ「こちらもシングル『Beautiful World』のカップリングだった『テレパシー』の無垢さとのギャップな! この振れ幅がカミセンの面白さだし、今回は特に三宅さんのボーカルがいちばんハマってる気がしたな。後半のフェイクは誰だか判別できないところが多くて、これもライブパフォーマンスが楽しみな曲かも。そして森田剛プロデュースの『ボク・空・キミ』ですよ」
サトシ「最初に言っとく! ボーカルはオートチューンでケロらなくてもよかったのではという気もしなくもない! でもだからこそのよさも確実にあるから同点! まあそれはともかくいい曲。というか俺は森田さんと音の好みが似てるんだろうな」
オーヤマ「同じく森田プロデュースのOMG収録『Maybe』とは作風こそ違えど、音数の少なさによる心地よさは通底してるもんね。や、シンプルにすごくいい出来だと思う。安直にオーガニックにまとめないエレクトロニカ風の音作りも好みだった。メンバーのボーカルもじっくり聴けるしね、ケロッてるけど(まだ言うか)。あとこの曲があったからこそ次の『COLORS』が終盤のこの位置でいっそう輝いてることは間違いないし」
サトシ「この流れでアルバムの終わりを予感させるもんね。じゃあどんなふうに作品を〆るのか、という興味が湧いてきたところで『レッツゴー6匹』がくる。いやほんとすごいよくできてるアルバムだと思う」
オーヤマ「この曲さー、単体でリピるんじゃなくて、アルバム通して聴いてこの位置で聴くと、めちゃめちゃ泣けない?」
サトシ「わかる! そうなのよ!」
オーヤマ「これまでの楽曲を振り返りつついまのV6を祝福するというテーマを、全員のユニゾンのみのボーカルでおっさんたちがレッツゴーレッツゴーと全力で歌う……これ、池ちゃんはめっちゃ狙って戦略的にプロの仕事として作ってると思うんだけど、だからこそすばらしいよね」
サトシ「うんw 泣かされるとわかってて泣いちゃう、完敗!って感じw このアルバムがアルバムとして成立してる理由の大部分をこの曲が担ってると思う。で、この泣ける感じもその前の『COLORS』とのコントラストがあってこそだし、この曲があるからこそ本当の〆であるラスト曲『The One』が沁みるのよね」
オーヤマ「いいよねー、『The One』。全然重くないんだよね。フルコースの最後に出てくる口直しのシャーベットみたいに軽い、でもちゃんと手作りで手がかかってる感じはするというか」
サトシ「この大ボリューム・満漢全席のアルバムを、サッと吹くそよ風のような軽やかさで〆ることができるのは、いかにもV6らしいなあって思う。『レッツゴー~』で〆ないのもやっぱりV6らしいんだよね。かつての野心作『musicmind』のラストが『Wonder World』だったのを思い出した。しかしこの内容をよく1枚にまとめたよw」
オーヤマ「かなり雑にさらっただけでもこのボリュームだもんなw 例によって語った分量の比重はそのまま俺らの個人的なお気に入り度に比例してるわけだけど、ライブを見て印象変わる曲も多そう。とにかくちゃんとしっかり聴きどころがあって、思わずよさを語りたくなるアルバムに仕上がってたことがほんとに嬉しい!」
サトシ「OMGが突然変異的に生まれた規格外の傑作だったとしたら、『The ONES』はそこで得た音楽的発展を“正調・V6”としてさらに拡張させつつ、アイドルのアルバムとしての落とし前もきっちりつけた、狙い定めた力作である――そんな感じかな」
オーヤマ「だね。というわけでこのアルバムを引っさげてどんなツアーが繰り広げられてるのか、目下の興味はそこなわけですが」
サトシ「うん。本当はメンバーのボーカルについてもっと掘り下げたいところだけど、そのあたりは宮城公演のステージを観てからじっくり向きあってみるとしようか。じゃあ今回はこんなところで」
オーヤマ「うい。おつかれ~」
サトシ「……」
オーヤマ「……」
サトシ「…でもさ、最後にやっぱあれ、言っとかない?」
オーヤマ「…だね。ここまでの通りほんとに力作なアルバムだと思うんですが、唯一ダメ出ししたいところがあって。ある曲の歌詞のことなんだけど」
サトシ「そう。せっかくのアルバムに適当な歌詞書きやがって! あのね、誰でもわかる平易な言葉でいかにセンス・オブ・ワンダーを現出させるかっていうのが、特にポップ・ミュージックのフィールドでの作詞家の本領の見せ所なわけじゃないですか。それをなんだあれは!」
オーヤマ「ちょっとひどいよね。誇張抜きで、ただアリモノの言葉を並べただけ。聴いてて腰抜かしそうになったよ。ある意味すごいw 俺別にあの人の過去の仕事ですばらしいものもたくさんあると思うけど、今回のはひどすぎるよ。ハマケンのうんこ10kg食ってから出直せと言いたい。せっかく曲も歌もいいのになあ…」
サトシ「まあ詳しくはご想像にお任せします。あースッキリした! とにかくアルバムよかった! ツアー楽しみ! 以上!」
オーヤマ「最後のこれがいちばん言いたかった疑惑…w」
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RISING SUN ROCK FESTIVAL 2017 備忘録
11日
22:00
10年近く住んでたけど一回も行ったことなかった近くの中華屋で夕飯。瓶ビールとサンラータンメン、半チャーハン。うまい! もっと早く来ればよかった!
適当に準備して、自宅出発。足元は迷ったけど、2010年の田んぼフェスのときもなんとかなったし大丈夫だろ!と自分に言い聞かせ、スニーカー+100均の靴底で。(結果なんとかなりはしたけど、次回は長靴を買うと思うw)
田園都市線~大井町線~りんかい線と乗り継いで東京テレポート駅へ。
24:00
無料送迎バスで大江戸温泉物語へ。外国の人も多いなー。とりあえず風呂入って日本酒飲んで、場内で3時間くらい仮眠。けっこう寝れた?
12日
3:00
アラームで目覚める。眠い…。風呂入って、3:50発の成田行きバス乗車。車中で少し寝る。
5:30
成田着。余裕もって早めに搭乗手続き。ノートPCは手荷物の重さから免除なんだって。初めて知った! おかげで荷物量クリア。
7:10
成田発。飛行機は早いしラクだしすばらしいんだけど、高いところが苦手な人間からしたら、空を飛ぶことだけが唯一かつ最大の難点。相変わらず離陸直後は恐怖が襲う。怖い……。それでも今回は早々に落ち着いた気がする。座席指定しないで予約したが席が前の方で、着いたらすぐ出られそうだったので嬉しい。ちょっと寝る。
8:45
予定の10分前に到着。荷物の件含め、春秋航空GJ!! おかげで札幌行きの特急に1本早く乗れた。車内でクラシック缶とサンドイッチ。至福。しかし現地の友だちからLINEで天気の惨状が届く。千歳付近はなんとか降ってないけど。うーん。
10:00
麻生駅到着。一応駅ビルのイオンに行ってみるものの、長靴はすでに売り切れ。よし、これで覚悟はできたw! このままスニーカーで行こう。シャトルバスの列は全然すいてて、体感15分くらいでバス乗車。座れてラッキー。バスが出発、乗り場から屋外に出たとたん、引くレベルの雨。これはwwww バスの窓を流れる滝のような雨。地面にバシャバシャ打ち付ける雨。雨、雨、雨……相当つらい状況ではあるものの、メンタル的にはもうすぐエゾに着くというワクワクしかない。
11:00
会場着。あれ、雨は意外と弱い? これくらいならなんとかなるかも。バス乗り場の水たまりの大きさに笑うw
リスバン引き換えていざ中へ。入場ゲート入ってすぐ巨大な沼出現w これはwwww 笑うしかなくなりながら、まずはバッジコーナーへ。この天気だと交換の人も少なそうだし、早めにケリを付けたいところ。とりあえず12、3個まわして交換開始。その後なななんと10分以内に、コーネリアス2種、ZAZEN BOYS、エマーソン北村、銀杏BOYZと、絶対に欲しかった5種をコンプ! バッジ交換はレア度とかよりも、バッジの需要供給のマッチングを引き寄せる運のほうがでかいので、これは幸先よすぎ。よかったー。
フォレストへ向かおうとするも、物販からレッド方面へ抜ける道の沼化が著しく、早くも若干萎え気味に。これ、このあとずっとこの感じで降ってたらキツいかもな……。たまらず、PROVOブースでいつも混んでるカレー屋が空いてたのでカレー発注。うまい! 食いながらレッド~レインボーと抜ける。
フォレスト到着。閑散とした雰囲気と雨のコントラストwww とりあえず石狩汁とクラシック生を発注。うまい! が、カップ半分飲んだところで「もういいかも…」と思ってしまった自分に驚く。まだビール1杯目だぜ!? しかし若干寒いのと、とにかく雨が飲酒意欲を奪っていく……。
昨年と同じく、今年もノートPCをかついでポツポツ仕事しながらのフェス。が、この雨でどうするか……苦肉の策として、100均で売ってた自転車用カバーをかまくらのように被り、そのなかで作業するという方式を採用。さっそく試してみる……が、想定外に風が強く、なんとか(本当になんとかレベルで)作業を終えるも、この先に不安しかない。これ外での作業無理かも……チュプとかに避難するしかないか……。
それはともかくなんで朝イチでフォレストまで来たかというと、
12:30 エマーソン北村
これが見たかったから! 去年フォレストで見て一発で惚れてしまい、アルバム『ロックンロールのはじまりは』も素晴らしく、今年も絶対に見たかったのだ。
1曲目から一番好きな曲『帰り道の本』。ソロのメロディにアレンジが加えられてて、もう最高。アルバム曲を中心に新曲も披露。ステージ上にQRコードみたいな幾何学的な図柄が描かれた50cm四方くらいのプレートが立っていて、なんだろうと思ってたらそれは蓄電式インクで描かれたものらしく、その図柄をなぞるとアナログシンセみたいなノイズが鳴るという新兵器とのこと。こちらも粒子が荒くしかし湿度を感じるノイズがすばらしい『ロックンロールのはじまりは』表題曲に続いて演奏された新曲のなかで使用されていた。面白い。
この天気でフォレストに集まった数十人の人たちのバイブスも最高で、エゾに来てよかったとはじめて実感できる演奏だった。最初のライブがこれでよかった。
13:20
レッドに移動するとSCOOBIE DOが演奏中。相変わらずかっこいい。パイネを食いながらしばし踊るが、振り続ける雨の影響で一ヵ所に留まっているのがちょっと辛く、様子見も兼ねてアースへ移動。BLUE ENCOUNTチラ見。盛り上がっておる。アース付近は水被害も少なめ?
14:30
サンステ方面に伸びる屋台で北海道の地酒をぬる燗で発注。沁みる……。その勢いで夏野菜のスープカレーを食いながら、遠目にWANIMA。初めて見たけど、人気の理由がわかった気がした。これは確かにすごい。定型化したフェスの盛り上げ方ではない、固有のノリを確立してるのがよかった。演奏を聴きながらハミガキブースで歯を磨き、ルタオのパフェを凍えながら完食。結局最後まで観てしまった!

味はめちゃおいしい のだが寒い
175Rを遠目に聴きつつ2度目のバッジ交換へ。エマーソン集めようと思って小学生に声かけたら「タダであげる」と。別にそういうつもりじゃ!と心で叫びつつも、ありがたくいただく。しかし常連組の中のとある方々とのやり取りの中で若干むむむ?となり、早々に退散(念のため、すごくいい常連さんもいました。単純に俺とノリが合わないというだけ)。来年以降は普通の交換に努めよう。
温かい飲み物を仕入れにPROVOエリアへ。ここまで強弱の変化はあれど、基本雨は降り続いてる。寒いし精神的にもけっこうキはじめてる感。ホットラムチャイを待つあいだ耳に飛び込んできたドラムソロ。これ中村達也か! エグい。相当いいぞこれ。と思いつつ、後ろ髪引かれながらデフへ。つーかデフの周りが沼で包囲されてて、どこに行くにも一度は沼を通らないといけない鬼仕様に……。
17:30 ZAZEN BOYS
フォロワーさんと合流し、モーサムの異常さの変遷について意見交換しながらZAZEN待ち。メンバー現れ、サウンドチェックでシュガーマン! 向井、シンセなし編成で終始ゴリッゴリ。特に何度も聴いてきたヒミツガールがここにきて過去最高レベルの確変。秒速で絡み放たれるリフとリズムの圧は、こっちも気合い入れないと身動き取れなくなりそうなほど。なんなんだこいつら(通算5698431回目)。自問自答のクライマックス、静寂のなか畳み掛けられる向井の言葉に目の幅で落涙。客のノリも待ってた感すごくて盛り上がった。
18:10
友だちと合流すべくサンステの久保田利伸へ移動を試みるも、デフ→サンステへの移動の沼度が鬼すぎて二度と来たくないレベル。次にサン来るとしたらくるりだけど、それすらどうしようと迷うレベル。
どうにかこうにかサン付近に着くも、今度はトイレ列で足止め。今年男子トイレで並ぶ機会多かったな。もうどうやっても間に合わないので、トイレ後黒ラベルブースで生発注してたらいきなりLALALA! 踊る。そしてごめん、これでようやく踏ん切りをつけられるわ……とLALALAだけ聴いてアースに移動。途中でなるとの唐揚げ串。冷めてる……けどうまい。
19:10 MONOEYES
やっぱり観たかったモノアイちゃん。テントの外、後方で観たけど最高だったー! 新アルバム聴けてなかったが新曲どれもよかったし、1stからの選曲もバッチリ。細美さんはじめメンバーのコンディションもすごいよかったし、客も盛り上がってた。途中で本日はじめて完璧に雨がやんだ瞬間があり、一瞬だけど上着を脱いでTシャツに。そこで「うわあエゾたのしいいいいいいいい」といきなり実感がこみ上げてきてヤバかった。その後また雨降り→さらにPC作業発生→なぜかパスワードエラーでログインできず絶望、という失態のためラスト2曲をセルフかまくら内で聴いたのだけが悔やまれる。フロア行きたかった。でもそれ差し引いても最高なんだから相当いいライブだったぞ。
半袖になったわたくし
20:50
レッド付近でアボカドフライとケイジャンチキン、生を仕入れて、フォレストの友だちのテントにおじゃまする。ずっと担ぎっぱなしのPC入りリュックを下ろし、談笑しながらゆっくりメシ食ってたらサンステ方面で花火。至福。この頃になると雨もだいぶおさまってきて本当に助かる。20分そこらだけど精神・体力ともに回復し、後半戦に向かう。レインボーからAwesome City Clubの美しいデュエットが聴こえてくる。絶対いいなこれ。しかし無念のスルー。だってこれを観に来たんだもん!
21:40 CORNELIUS
というわけで今年来るつもりなかったエゾ行きを決心させた元凶(←言い方)のお時間。ベストな位置を確保し待機。すでにVJが流れており、直前に幕が張られる。フリーセッションからあのバスドラ一発、あのエレピの音色が流れると歓声が上がる。冒頭の演出、こ先月リキッドで観たときからすでに進化してる(後ろからのスポットでメンバーのシルエットが浮かぶようになってて鳥肌)! 「RSR」の文字も。
Wataridoriなしはちょい悔やまれるが、んなのどーーーーーでもよくなるほど最高か! 演奏も前回と比べものにならんほどよくなってた。映像との同期がハマリすぎてるのでシステマチックに見られがちだけど実はまったく逆で、小山田圭吾・堀江博久・あらきゆうこ・大野由美子という激メンバーが全員ヒーヒー言いながら人力の限界でもって緻密なアンサンブルを鳴らすという熱さ/エモさにグッとくるのがコーネリアスのライブの魅力。今回fit songであるべき音がなってない瞬間があって、すぐに持ち直したんだけど、たったひとつの欠損でもすぐにバラバラになってしまうような、とんでもなく危うい綱渡りをしてるんだなと改めて感じて静かに震えた。
音もすげーよかった。Beep itでボーカルのパン振りとかほんと見事で、フェスの音響でここまでできるんだと驚いた。CDで聴くコーネリアスサウンドが、生でちゃんと再現&ビルドアップされてるんだぜ。しかもフェスで。すごい。雨上がりの北海道のおおきな空の下で聴くコーネリアスはどれもすばらしく、スターフルーツ~の「海のそばにいた 少し寒かった」に感じ入る。そこからの「あなたがいるなら」は、熱のこもった気合いの演奏(あらきさんの全身でドスッとバスドラを踏む感じグッときた)と小山田の優しくもどこかたくましい歌声で、あのどこまでもいびつでストレンジな楽曲がド直球で胸に迫ってきて素直に感動。
ワンマンはさらにすごい演奏になるだろうけど、エゾで観たコーネリアスのすばらしさは特別なものだった。終わったあと周りのひと大体「すごい」くらいしか言ってなかった。わかる。
サチモス待ちの人の影で、コーネリアスの幕を垂らす用の鉄骨をかたづける人々 お疲れです
22:40
ライブ中は完全に止んでた雨が、終わるとまた降り出した。レインボーに行くと「蹴飛ばすのにちょうどいいサイズの孫」とかうんことかしょんべんとかいう言葉がスカムなダンストラックに乗って暴発するOUKURAMIRAIのライブが。なんだったんだあの時間は。ちょっと面白かったw D.A.Nをちら見しつつレッドに移動し、雨がけっこう降ってきたのでフードエリアに座って、ラコスバーガーの北海道限定バーガー(激ウマ)と麦のお湯割りを飲みながら遠目にSuchmos。
去年はmintの叙情性が沁みたけど、今年は夜中ということもあってかアグレッシブなステージ。やんちゃで年相応という感じがしてこれはこれでよかった。疲労は限界灘目前。追加で発注した芋のお湯割りが、さっき注文した時から100円安くなってて笑った。どっちが正価だったんだろ。
サチモス後、レインボーに行くも今年唯一の失神&沈没。不覚……。気づいたら大沢伸一が回してた。1時間くらい気絶してたのだろうか。でも体力的にはこの時間があってよかったかも。レッドに移動。
26:00 銀杏BOYZ
ステージ近づくと峯田の声が。えっもう始まってる!?と慌てて向かうとサウンドチェックで本人いた。「10分後にはじめまーす」とハケるw 再登場すると上半身裸にサスペンダーという出で立ち。気合い入ってる感。1曲目は弾き語り~途中からバンド加わる「光」から。そこからの若者たち→「ワンツー!」からの駆け抜けて性春の流れでフロア爆発! 前方に駆け出していく人多数。これで客をガッチリ掴んでからの、近年の銀杏のキモであるグッドメロディを聴かせる新曲たちをじっくり届ける構成がよかった。昔しか知らない人も多いだろうなかで、いまの銀杏の魅力が伝わったんじゃないかな。
このときまた雨は止んで、北の大地の大空の下で聴く「新説・銀河鉄道の夜」は感動モノ。エゾで聴くとなんでも特別に感じる説。や、でもほんとにそうなんだよなあ。で、やっぱりいまの銀杏、相当いい。この状態でエゾで見られたのが本当に嬉しい。ベビベビでは大合唱。けっこう後ろの方で見てた俺の周りでも歌ってる人多くて感動。からのぽあだむ!!!! 最高か。アンコールを求める声に出てきた峯田の「銀杏ボーイズ! チャチャッチャチャチャチャ(手拍子)」コール笑ったw アンコールなしも納得、予定時間よりオーバーの熱演だった。足の痛さは限界に来てたが俺もピョンピョン跳ね、叫び、歌った。
27:15
雨降ってないし、地面も場所によってはちょっとマシになってきたし、どうかな~と思いつつ意識もうろうでレッドからサンステへ。しかしサンステ付近はやはり沼。どうしようもなく沼。もはや色々アウトな状態ながら気合いでステージ向かって左、チュプのちょい先あたり、砂利の、なんか河原みたいなところまでなんとか辿り着いた。もう最後だ。
限界灘なわたくしの足
27:30 くるり
ドラムがまさかのクリフ! 大好きなドラマー、この日も絶好調。虹もWESNもばらの花もやってくれるのうれしー、眠いー、おっ朝だからモーニングペーパーね、くるりから届けられた朝刊ってことかな、おおホームタウンもやるのか、アンテナ思い出すな、この流れでれでアンテナのあの曲やってくんないかな、でもやんないよなーまさかなー、足痛えー、とか、眠気と戦いつつフラッフラの状態で聴いてたら、ドドンというバスドラが鳴って思わずマジで…!?と声が漏れた。
10数年前、クリストファー時代の武道館で聴いて以来いつかまた聴きたいとずっと思っていた「黒い扉」をまさかクリフ・アーモンドのドラムで、しかも夜明け前のエゾで聴けるとは。ほんと生きてるとこういうことがあるから人生って、なあ。言うまでもなくすばらしい演奏。ほかの曲もよかったけどとにかく黒い扉の衝撃がすごかった。いつ以来に聴くかっていうスーパースターで泣け、L&Gで締めなのもよかった。そしてアンコールでロックンロール!
何度かリアルに地面に膝をついてしまうほど足の疲労は限界をとっくに超え、何度も途中離脱を考えたけど、結局大団円を見届け、すべて終わると夜は明けていた。くるりも予定かなりオーバーしてたっぷりやってくれた印象。いい締めだった。
12日
5:20
麻生行きシャトルバスで立ちっぱの刑に処されていろいろ限界。乗車中何度もガクンと落ちそうになる。なんとか到着し、意識を失いそうになりながら桑園に移動し、たまゆらの湯で風呂。去年の温泉バスで来て知っててよかった。靴をぬぐと、足がまっしろ&ふやけすぎて肌がぐにょんぐにょんになってた。そんなに濡れた印象なかったし、意外とスニーカーでもいけるじゃんとさえ思ってたけど、これはちょっと足に悪いことしたなと、ここで初めて反省。入念に足をもみもみしながら風呂。休憩スペースでカレー(意外とうまかった)食って寝落ち。
10:00
駅前のイオンでサンダル購入し、泥まみれの靴から履き替える。靴、マジでお疲れ。お前のおかげで歩き回れたぜ。中通公園に移動し、4年ぶりくらいに念願の「狼スープ」再訪。味噌ラーメンwithクラシック中瓶。うまい。至福。これだ、この味だ。すすきのに移動し、徒歩で二条市場へ。立ち食い寿司でウニ、イカ、甘エビ、貝をサクッと。うまい。道中でブックオフに寄れたのも楽しかった。やたらジャニーズアイテムが充実してたが、購入には至らず。
13:00
札幌駅から新千歳行きの特急に乗ろうとするも、指定席は売り切れ。そっかお盆最終日だもんな……不覚。イチかバチかで自由席に並ぶ。なんと奇跡的に座れた。助かった……。寝る。
14:00
空港着。六花亭の新千歳限定のハスカップチーズクリームをパイ生地でサンドしたみたいなやつ、その場で食ったら激ウマ。おかわりしそうになった。いろいろ物色するも決め手に欠け、おみやげはナシとすることに。フォロワーさんが教えてくださった夏限定のクラシック缶とポテチだけ入手し帰路へ。
帰りの飛行機も座席指定してなかったが、はじめて一番前の席。ジェットスターの普通席だけど足伸ばせて帰れたのは助かった。シャトルバスで使わなかった運がここでw 離陸後、けっこう長いあいだ恐怖感が抜けず一瞬パニクったが、その後寝落ち。到着前に目覚めると右耳がかなり痛く、試行錯誤の末ずっと苦手った耳抜きのやり方を発見。無事痛み収まる。滑走路の不具合だとかで一回到着を見送ったあと、着陸。東京駅行きの直行バス乗車。寝落ち。
東京駅の居酒屋の物価の高さに負け、おとなしく最寄り駅まで帰って駅前のチェーン居酒屋でひとり痛飲。いわしの刺身と泡盛ロックがうまかった。ローソンでグリーンスムージー買って帰宅。
22:00
スムージー飲んで即失神。明日夏休み取っといて本当によかった。
そしていま14日の夕方、これを書き終えようとしている。天候的には過酷だったし、日程も1日だけだったけど、めちゃめちゃ楽しかったし、めちゃめちゃまた行きたい。つまり最高だった。その理由は、エゾという環境と、そこで鳴る音楽が、どちらも最高だったから、というシンプルな事実を心と体の底から実感できたからだ。各種交通の移動とかでミスやトラブルがなかったのも地味にデカかった気がする。フェスのスキルとしても旅のスキルとしても今年は得るものが多かったなー。結論:また行きたい 反省:次回は長靴で行く
成果













