「しつけってなんだろう?」シリーズ、2つ目のテーマです。
それはずばり、「しつけと訓練の違い」です。
「しつけ」と「訓練」の違い、考えてみたことはありますか?
この「しつけ」と「訓練」は、割と「同じようなもの」として捉えられたりすることもあります。
「しつけ訓練をしよう」とかね。
そして、日本では「訓練」というものが主流だった時期があります。
ちなみにこの文章を書いている僕も、そもそものスタートは「訓練」でした(師匠は警察犬訓練士です)。
そして今は、「しつけ」や「問題行動の改善」を仕事にしています。
だからなのか、「しつけ」と「訓練」って違うよなと思うんですね。
この「違い」を考えることで、「しつけってなんだろう?」ということについて、さらに迫っていきます。
先日のエントリに、こんなことを書きました。
しつけって、こういう「お互いのやり取り」なんですよね。
お互いの「妥協点」を見出す作業といいますか。
「妥協する」っていうと、なんだかネガティブなイメージを持ってしまうかもしれませんが、「限りなく高い妥協点」だったらどうでしょう?
トレーニングや訓練をして、相手を思い通りに動かすというものではありません。
かといって、「犬はこういう生き物だから」と、何もかも受け入れるというものでもありません。
お互いに歩み寄って「どこに落としどころを見つけましょうかね?」という作業を、繰り返しずーっとやっていく。
これが「しつけ」だと思います。
そして、その先にあるのが…
「お互いが楽に、楽しく生活する」
これだと思います。
「こいつらといると楽だわー」っていう場所だったり、仲間だったりはいますか?
そういう場所や仲間って、きっとね「お互いがしんどくない程度に、ちょっとずつ気を遣ってる関係」なんだと思うんですね。
誰か一人が我慢してというわけではなく、お互いにちょっとずつ。
するとみんなが楽で楽しい。
犬との間にも、そういう関係が築けたらいいと思いませんか?
飼い主だけではなく、犬だけでもなく、「犬と飼い主」の双方が、楽で楽しい。
そこを目指すためのもの、それが「しつけ」ではないでしょうか。
ここに「トレーニングや訓練をして、相手を思い通りに動かすというものではない」と書いてありますね。
そうなんです。
まず「訓練」って、「犬を指導手の指示で思い通りに動かす」ためにやるものなんですね。
いわゆる「訓練競技会」を目指したり、「災害救助犬」や「盲導犬」「介助犬」といった使役犬の訓練など。
僕は元々のルーツがここにありますので、これはこれでとても楽しかったり、面白かったりすることを知っています。
よって「訓練なんて野蛮だ!」みたいな言われ方をすると、とーっても悲しい。
犬と一緒に課題をクリアするっていうのは、そこにしかない楽しさっていうのがあるんですよね。
ドッグスポーツなんかも、同じだと思います。
しかし、それらと「しつけ」は違います。
「どっちが良い、悪い」とか、「どっちがすごい、すごくない」とかの「価値の違い」を言っているわけではありません。
単に事実として「違うもんですよ」と言っているだけです。
それはたとえば、「同じ球技だけど、サッカーと野球は違うものです」というのと同じです。
どっちがすごいとか、良いとか言えませんよね(個人的な好き嫌いはあったとしても)。
じゃあ、訓練ってなんなのか?
「犬のしつけ」という観点から考えると、次のようなことがいえるかと思います。
訓練は、しつけのための「一つのツール(道具)」
たとえば「立止(りっし)」という訓練科目があります。
これは、「犬を立たせた状態でのマテ」です。
「タッテ」や「タッテマテ」といった指示で、させることが多いでしょうか。
では、この「立止」をさせなくてはいけない状況というのは、どんなときでしょう?
普段の生活において、「犬を立たせた状態で待たせる必要がある状況」というのは、あるでしょうか?
たとえば、家でトリミングをする方や、「立たせた状態でのブラッシング」をされる方には、教えておくとよい訓練といえますね。
あるいは、交差点や信号待ちで「毎回座らせるのは面倒だ。でも、かと言って飛び出したら危ない」から、「立たせた状態でのマテ」を教えたいという人もいるかもしれません。
しかしながら、それらが全部「どんな犬にも必要か?」というと、そうともいえません。
あるいは「フセ マテ」という科目があります。
これも文字通り「フセをさせて、マテをさせる」という訓練です。
そのとき指導手は、犬の側を離れてマテをさせたりします。
しかし実生活において「飼い主の側から犬が離れた状態でマテをさせる」というのは、少々危険です。
時々散歩途中で買い物をされる方などが、お店の前に犬を繋いでいる光景を見かけることがありますが、あれは危ないからやめておいた方がいいと思います。
数年前に、その状況で犬が連れ去られるという事件が日本で実際にありました。
あるいは、誰か悪い人が、犬にイタズラをするかもしれません。
ひょっとしたら、まったくの善意で「犬が食べてはいけないもの」を、与えてしまう人も通行人の中にいるかもしれません。
こう考えると、「目を離した状態でマテをさせる」というのは、危ないと言わざるを得ません。
ベビーカーに乗せた赤ちゃんを、店の前に置いて買い物をする母親はいませんよね?
それと同じです。
ですが、たとえばカフェなどに行ったとき「足元でフセをしていてくれるとありがたい」ということはよくあります。
そんなときには、使えそうですね。
他に訓練で代表的なものとしては「紐なし脚側行進」というものがあります。
これは「ノーリードで、飼い主の側を歩く」という訓練です。
ですが「ノーリードでの散歩」は、条例違反です。
「うちの犬はちゃんと訓練してるから大丈夫だ」と言っても、条例違反は条例違反です。
ノーリードにされている犬のトラブルも、実はかなりあったりします。
しかし、うっかり手からリードが離れてしまっても、側で歩いてくれるようになっていたら、これはありがたいですね。
そういったことを考えての「訓練」であれば、アリかもしれません。
とまあこのように、訓練は「しつけのためのツール(道具)」としても考えることができそうです。
ところが。
実は上に挙げたような行動は、「飼い主から離れた状態で長時間マテをさせる」を除き、すべて「訓練をしなくても、教えられる」ものだったりします(飼い主から離れた状態で長時間マテをさせるというのは、むしろ初めからやらないことをオススメします)。
「立って待っている」も「足元でじっとフセをしている」も「もしリードが手から離れてもついてくる」も、すべて「訓練」しなくても教えられます。
犬の行動を、学習や行動の原理に基づいて理解し、そして少しずつ褒めて延ばしてやれば「別に何も言わなくても、自然とできる犬」になったりします。
つまり、毎回毎回「マテ」とか「フセ」とか言わなくても、できるようになります。
ここでお伝えしたいことは、これです。
「訓練は、しつけに絶対に必要というものではない」
訓練をして覚えさせるのも一つ、そうじゃないやり方で覚えさせるのも一つですね。
わざわざなぜこんなことを書いたのか?
その理由は次のエントリで。
まずはここでは、「訓練」は、「しつけ」に必ずしも必要なものではないということ。
そして「しつけ」と「訓練」は、どうやら違うらしいということ。
この2つを。
続きます