おそらく、おそらくだけれどもうちの副社長はチョイ悪オヤジを経て、粋ジイになるに違いないと思う。
以前、電車の中吊り広告で見かけて以来ずっと気になっている雑誌がある。それがこちら、「Z(ジー)」
である。昨年に於いては「ちょい不良(ワル)オヤジ」が流行し、色んな市場が動く程になったのは周知の通り。
わたしがこのワークポートに入社したのは今年に入ってからだが、もし去年からいたとしても弊社にはいわゆる「オヤジ世代」の社員がいないため、残念ながら、ちょい不良オヤジブームによるオヤジの変化を目の当たりにする機会はなかった。
例えば、突然シャツのボタンをオープンにして、コロンの香とともに胸毛をそよがせてみたり?髪の毛が給料日ごとに一列ずつ増えたり?フィレンツェがどうとか言い出してみたり?昨日までは加齢臭を漂わせていただけのオヤジが急にオサレに目覚める様を、そして「ちょい不良&ジローラモ」というキーワードに触れないよう気を遣いつつ褒める部下たちの戸惑いを、見てみたかったなぁと思うイジワルなわたし。
さて、この雑誌「Z」のジーとは、もちろん“爺”とかけたものらしくその心は「粋Z(イキジー)」。
ちょい不良オヤジを経た次世代爺さんは、ただの爺さんではダメ!イキな爺でなくてはならないと。爺さんもオチオチ年を取っていられない不憫な時代になってしまった。
“ジジイになるな。Zになれ!”
まるでわたしが思いつきそうな合言葉とともに、
“青二才禁止!55歳以上限定!人生最後のファッション誌”
のコピー。「人生最後」って言っちゃうところが泣けてくる。 「G」ではなくて「Z」を持ってくるあたりも、文字通り後がない物悲しさを漂わす。さらに「青二才」という耳慣れない響きにもハッとさせられ、ツッコミ出したらキリがない。
昨年末に発売された創刊号の気になる内容はというと、
“粋Zの初詣”(普通にジジ臭い。)
“粋Zは個室で和食”(談合か?)
“まだまだ寒い冬だから…”(油断したらGo-Go-Heaven!)
等々、あくまでも爺の生活(生態)に沿ったコンテンツが中心ではあるが、中には“ジースポット”と称し、粋Z向けの観光スポットを紹介するページもあり、HPのトップページには“生き直す。粋に直す。”の文字が躍る。雑誌のタイトルといい、ただダジャレを言いたいだけなんじゃないかとも思えてくる。
それにしてもなんだろう、この勇気。呆れるくらいに清々しい。
この雑誌の発売にGo-Go-Signを出した出版社のエライ人を見てみたい。まるで、最初にわたしが提出したこのメルマガのリニューアル案(昨年からお送りしている先代バージョンと現在のコレとは雰囲気が180度違う。)を見て、「好きに暴れな!」と葉巻を燻らせながら言い放った、うちの副社長のようだ。それくらい、潔のよい向こう見ずっぷりだ。…ええ、褒めてるんです。葉巻は幻だったかもしれません。
推測の域に過ぎないが、きっと雑誌「Z」を創った人たちは、これを“売りたい”わけではなかったのではないだろうか。発行部数が何十万部にも及んで金儲けできることを期待したわけではないのだろう、という意味で。それなのにわざわざ手間とお金をかけ、世に出すことに何の意図があるというのか。
ただ新しいことをしたい。記憶に残したい。誰かの楽しみになればいい。
たとえそれが少数であろうとも。その気持ち。そんな気持ちがなければ、「人生最後」なんてコンセプトはきっと思いつかない。
勝手にそんな風に考え、どこか通じるものを感じて、わたしは嬉しくなる。何だか勇気が湧いてくる。
最も、全くそんな気持ちはなくて、ほんとに売上を狙って出版されたというのなら…何も言うまい、そっと見守ろう…。定価880円は年金暮らしのZにとってはちょっとお財布にイタイんじゃないかとか、もう、そんなことも許す。どっちにしても否めないこの雑誌の茶目っ気に免じて、許しちゃう。
しかしながら発売から半年以上経過した今、とくに「粋ジイ」が世間の話題になっていないところを見ると、もしかしてこの雑誌こそもう後がない状況かもしれない…。ガンバレ、月刊Z!!
恋人がサンタクロースと思いきや横山やすしと見せかけて西川きよしと間違えて西川峰子の様な峰不二子。
二人の営業マンが卒業していき、落合は営業事務から一転、営業ウーマンに就任しました。
わたしをよく知る友人は、この事実にみな仰天。「オマエ、できんのか!?」と…。
なぜならオッチーは、例えば友達に「スノボーとかやってみようかな」って言おうとしたら、「スノボ…」までしか言ってないのに「首の骨折って死ぬからやめとけ」と即座に言われるほど、自他共に認める超インドア派。運動神経・体力0、“三度の飯より日陰が好き”なヘタレちゃんなのだからして、体力勝負の営業職が務まるのか、疑問に思われて当然なのである。
それにしてもまだ6月だというのに、Tokyo-Japanは暑い。
暑いでこれしかし。横山やすし風に言ってみても、暑いものは暑い。暑いのは、本当に苦手だ。こないだ、渋谷の街を歩いていて思った。
「この勢いで真夏を迎えたらわたしはきっと足の先から溶けてくる、そしてごま油になるの、やばいス、紫外線がやばいス、誰か、溶けて流れ出す前にわたしを瓶か何かに詰めてくれ頼む、わたしを瓶に詰めてって、わたしを…私をスキーに連れてって
…?」
そこでハッと我に返る。あまりの暑さにちょっとやられかけていたようだ。
そんなわけで、わたしは日傘をさしながら歩き、決して急ぐことはない。「セレブ営業」ここに誕生である。
数年前わたしは、販売員としてアパレル企業に就職した。
営業は歩き回って足が痛くなるが、販売員もまた、相当足の痛い職業だった。デパートでにっこり笑って「いらっしゃいませ~」と言っているキレイなお姉さんも、実は内心「足痛ってぇ~」と思っている。経験した人間だけが解る。確実に思っている。
なんせ10時間以上は立ちっぱなし。すごくツライのである。でもわたしにはひとつだけ、その足の痛みも忘れられる瞬間があった。お客さんから、「あなたがいるから来た」と言ってもらえた時だ。店舗は都内に幾つもあり、買うだけなら他にどこでも同じ服がある。なのにわざわざ「新宿で見てきたけど、オッチーさんのとこで買おうと思って!」などと言って来てくれる方々がいることが、とても有難かった。
そんな自分のお客さんが増えてきた時、販売員として「買わせる」ことに抵抗を覚え始めてしまった。
それまでは、例えばお客さんが買おうか買うまいか迷っている商品を、技で「買わせる」ことができた。それが本当にその人の欲しいものかどうか、似合うものかどうかを考えなければ売上をあげることは簡単だった。でも、わたしを好きになってくれて慕ってくれるお客さんたちが増えれば増えるほど、そういう接客ができなくなっていった。
ある時、わたしと談笑したあと何も買わずにお客さんが帰っていくと、それを見ていた店長から「お客さんは友達じゃないんだから、買わない人には長く接客しないで。」と言われた。その言葉で、自分がアパレル業を選んだのは洋服が好きだったからだけど、わたしはいつしか洋服よりも人の方が好きになっていたのだと初めて気が付いた。
確かに販売員として優秀なのは、店長のような人なのだろう。プロ意識を持った素晴らしい人だった。けれど、同じ意識をわたしは一生持てないだろうと思った。
あれから数年経ち、こうしていま営業になってみて思う。
正直言うとこれからもわたしは、「幾ら売り上げた」とかそういう結果を見るより、人が喜んでいたり、笑顔になっていくのを、きっと一番のやりがいにしてしまう。業績の良い、いわゆる「デキる営業」にはなれないかもしれない。
それに、わたしはやっぱり暑い日に外を歩くのは、大嫌いなんである。そして足もすぐ、痛くなるんである。疲れたら多少機嫌も悪くなるし、「太陽死んじまえ!」とか、訳のわからない文句もたれるんである。上司も同僚も「本当に大丈夫か?」と言った。それでもわたしは営業になった。
いろんな意味で、本当に大丈夫なのか今は何も解らない。
でも販売員だったあの日足の痛みを忘れられたように、暑さも疲れも吹き飛ぶような素晴らしい瞬間に、きっとたくさん出会えると思っている。
体力は無い。あるのは、もっとたくさんの人に会い成長したいと思う気持ちと、“人”を好きだとおもう気持ちだけ。
でもその気持ちと、「助けてやるからやってみろ」と言ってくれた同僚への感謝と、小刻みな休憩(重要)があれば、わたしは大丈夫なんじゃないか。そんな気がします。
やっちゃいます。やっちゃいますよ、ええ、わたし。
「前髪5ミリ切ったよね?」とか目ざとく気づく男子より、わんぱくでもいい。たくましく育ってほしい。
いつもより大幅に寝坊をした日のこと。しかも単に1時間、目覚ましの設定を間違えたという残念な理由である。なのにそんな日に限って、まず前髪が映画“メリーに首ったけ”の名シーンのように追っ立っている。はいキター。
必死で寝癖を直していると、ぽんた(1歳/オス/ねこ科)が横で毛玉をリヴァース。フゥーワッフゥ!
やっとの思いでぽんたのGE-BOを片付け、座りなおしたら突如足がつる。わぁ人体って不思議、この筋肉とこの筋肉がああなってこうなって…オーエス!オーエス!度重なるハプニング&ハプニングに、朝から変なテンションにならざるを得ない。
しかし結論から言えば、その前日より2本も早い電車に乗り、コンビニにも寄って悠々と出社した。ちなみに寝坊していない前日はなぜか、コンビニはおろか駅から競歩したくらいギリッギリ。今となってはむしろそこが最大のミステリーである。考えた末、「過度の余裕は人をだめにする~時間も金もな。~」という、かっこいいサブタイトル付きの教訓を得る。
勝因は、メイクのショートカット。ここに尽きる。合言葉は「取り急ぎ眉毛まで」。その顔で出勤するにはもちろん抵抗あるが、たまに目にする、女子が電車の中で化粧をするという行為。どんなに寝坊をしても、それにはもっと抵抗感満点なわたし。あれを見かけると、こう思うのだ。
まあ、わかるよ。わからないでもないよ。
わたしも低血圧だよ、朝は少しでも寝ていたいよ、家で仕上げようが、電車の中でしようが、例えば会社でお目当ての彼に見られるのはどっちにしろ、綺麗なメイク後の顔…ならば通勤時間を有効活用したいと思うその気持ち、まあわからないでもないよ、でもね?今、大衆の中でマスカラを塗っているその、その鼻の下伸びた間抜け面をね?や、つら自体がどうこうってことじゃなくてね?「スッピンを恥じる乙女心はあるのに、過程の間抜け面を晒すことは気にならない」というその、心?そこ!そこは、どスッピンでいいわけ…?
そんなわけでその日の朝、自分の顔が完成度45%であることにそわそわしていたわたしは、会社のエレベーターでたまたま一緒になったHM田さんに「今日わたし、いつもと違くないですか?」と問うてみた。
HM田さん:「...う~ん?違う?髪...?」
髪はいつもと同じである。ウムム…。HM田さんて意外とアレかしら?「ウチの旦那なんて、髪型変えたって気付いてもくれないのよ」とか言われちゃうタイプかしら?(←余計なお世話)などど思いつつ今度は我らが営業グループの鈴木博士に問うてみる。
博士:「え~?なんすかぁ~?なんか違うんすかぁ~?」
超眠そう&超どうでもよさそう。営業マンたるもの、こんなときは笑顔で「イエッ、いつもと変わらずお綺麗デスよ!HA-HA-HA!!」くらいパピッと言えたらね…。博士さんもね…もうちょっとアレなんだろうな、とかね…。
でもわたしの顔の完成度には、もしかして、アレ?誰も気がつかない…?
そう人は。他人の顔なんて大して見てもいなければ、気にもしていないのである。人間は何かにつけて自己満足の生き物だ。メイクもおしゃれもその典型。でもいいの。だって女の子だから。
「心だけ、どスッピン」はやっぱりどうかと思うけど、 かわいく見せたいと思う紛れも無い乙女心、その心は同じ。見栄えや出来栄えではない、その心があるということが大事。
だから今日も女の子は、まつ毛0.何ミリ増しのためにマスカラを塗り、ほっぺたをぽんやりピンクにしてみたりする。
誰かに「今日かわいいね」ってお世辞でも言ってもらえたら、何だか一日ウッキウキで過ごせる。それが好きな人だったりしたらもう、10日は余裕で幸せです。男性の方、「そんなもんかねぇ。」と思いますか?
ええ、そんなもんです。でもそれでいい。女の子はそれでいいと思うのです。