株式会社ワークポートスタッフィング営業部紅一点・お年頃「オッチー」がお送りするラブログ「塞翁が馬」は、結構マメに更新する・・・かも -11ページ目
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果たして私は 「ただの落合」 か、あるいは 「あの落合」 なのか


正解。わたくしは、あの、落合でございます。

"人材派遣業界に新しい風を送りこもうとするワークポートスタッフィング" …に、 新しい風を巻き起こしがちなあの、落合でございます。

毎日毎日ぼくらは、鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ。

一日があっという間に過ぎてゆく。一週間も一ヶ月も一年もまたあっという間に過ぎてゆく。
「あの時が、もう10年前か」と思い出すと、10年ですらあっという間に感じ、これをあと5、6回繰り返せば終わりなのかと思うと人生そのものが あっという間なのだと思えてくる。あまりにもあっという間な気がして、50年後に死ぬのも、今死ぬのも、大差はないんじゃないかとふと思った。不謹慎な考えなのかもしれないけどただ、ほんとに漠然とただそう思った。
時間の早さが不思議でしかたなくて。人生のスピードに追いつけていないような気がする自分。まさに、すくってもすくっても指の間からこぼれていく砂を眺めている気分です。

人生とは何ぞや。いきなり問われてもわからない。考えてもまたわからない。
正解も不正解もない。言いたいことは言えばいい。
勝ちも負けもない。組に分かれたい人は勝手に分かれればいいと思うけど、他人を指差し、「あんたは勝ち組、あんたは負け組」と選り分ける権利は誰にもない。
「頑張ったってどうせいつかは死ぬんだから」と嘆くこともない。
人は死ぬ。絶対に死ぬ。 でも、だから生きていることに価値を見出そうとして、頑張れるのだと思う。

たいやきくんは、ある朝店のおじさんと喧嘩して海に飛び込んだ。 それもアリだと思う。 最後はあっけなく釣り人に釣られても、飛び込んだことに意味がある。
でも例えばわたしは、「おいしい」って心から喜んでくれるなら、敢えて誰かに食べられてもいい。
その誰かが友達や家族や愛する人たちだったりしたらなおの事、つつしんで食べられようと思う。いつか誰かのその幸せな顔が見られることを、願って鉄板の上でじっと待つことにもきっと意味がある。しっぽの先まであんこたっぷりにして、食べたら喜んでくれるに違いない、と信じて待つ。それも人生。
どんなに信じたってその先にあるのは、そのまま冷めて、硬くなって、捨てられる自分かもしれない。でもそれが何?それもまた人生。

本当のわたしは、“あの落合”ほどの人間ではありません。
たまたまこのワークポートスタッフィングに入社でき、たまたま営業部へ配属になり、たまたまメルマガを担当することになり、たまたま作文が好きだったというだけの、“ただの落合”です。
でもその“ただの落合”が、日々の小さな感動や笑いや感じたことなどをわたしなりの言葉で伝え、誰かが少しでも共感して微笑んでくれたら、“あの落合”に一歩近づける気がするのです。

「日々の小さな感動や笑いや感じたこと」。もしかしたらそれこそが人生なのかもしれないから、塞翁が馬。
どうかわたしが、わたしの言葉が、いろんな誰かのたいやきくんになれますように。

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