テンちゃんもぽんちゃんも、頼むから真夜中に見えない何かをじっと目で追うのはヤメテお願いだから。
わたしの幸せ。
晴れた休日の午前中に窓を開けて、音楽かけて、歌いながらお布団をばさばさやったり、掃除機をかけたり、洗濯物を干したりするのが大好きである。
ひなたで伸びてるテンテンとぽんた。
平和…もう平和と幸せ以外の何モノでもないね…。
そしてひととおり落ち着いたら、フラフラとおやつを買いに出かけたりする。すれ違いざまに聞こえた小学生の言葉。
「えんどう豆の中身って、えんどうだよね、豆だから。」
うん…深いような深くないような、豆だからっていうのはよく解らないけれども、でもわかるようなわからないような。
お日さまぽかぽかで、心まで除菌。カレー屋さんの黄色い壁がまぶしい。 なんて思いつつ歩いてると、近所のアパートのベランダで洗濯物を干してる男の人と目が合う。ああ…あんな普通にカッコイイ人もこんな晴れた休日にひとりで洗濯物干してるなんて、なんか勇気がわくね…。(部屋の中で彼女がごはん作ってるかもしれないじゃん、とかは考えない。)もうそんなフワッとした感じが幸せでたまらない、今日この頃。
以前は、一人の休日なんてただただ、さみしいだけだった。でも最近はそんな休日も楽しめるようになった。一人でいても、自分は孤独ではないと解っているからだ。電話をくれる人。心配してくれる人。笑わせてくれる人。気にかけてくれるいろんな人。自分ひとりでは決して有り得ない幸せ。
幸せな気持ちも、楽しい気持ちも、豊かな気持ちも、いつも誰かから貰っている。「これは自分で掴んだ幸せだ」と思っても、絶対に自分だけの力ではない。必ず誰かが係わっている。誰かの力が働いている。誰かに繋がっている。時にはちょっと苦手な人からも、何かを学べたりする。「腹立つわー!」と怒りを感じても、それはそれで、“そういう風に思うちから”を貰っている。落ち込んでいる時よりは怒っている時のほうが人は元気だ。
自分があまりにも幸せで、できれば自分の周りの人を、一人残らず幸せにしたいと考えたことがある。そのためにはどうすればいいか?
正しく生きればいいのかなと思った。わがままになってはいけない。間違った甘え方をしてはいけない。その言い方は合っているか。嘘をついていないか。踏みにじってはいないか。おざなりにしていないか。思っているだけではないか。言い聞かせているだけではないか。これが全力か。これで精一杯か。自分の何かを懸けられるか。それはほんとうか。
なんて、思うのは簡単だけどなかなかできることではなかった。
いつもいつも正しく生きようと思うことが、必ずしも正しいわけではない気もした。
幸せにはいろんなかたちがあって、何を求めて何を幸せと感じるかも人それぞれ違うから、残念ながら周りの人すべてを幸せにはできない。
だからせめて、他人の幸せを心から喜べる人になろうと思った。
その人にとって何が幸せなのかを自分なりに考えてみるだけでもいい。他人から貰った自分の幸せを大事にして、ありがとうと思って、そしていつか少しずつでもいいから何かを還したいと思うだけでも、きっといい。もし誰かにそう思われていると考えたら自分ならとても嬉しいから。
わたしに日々幸せをくれる人たちへわたしは何を還せるだろう。生きている間に、あとどれだけの人の幸せに関われるだろう。幸せは循環している。
なんかちょっとそういうの、考えつつやっていこうかなと思っている
迷える子羊というよりはどちらかと言うと迷子の迷子の迷子のこねこちゃん。あ、いっこ多かった。
遠い国に8歳で親に捨てられ、13歳で出産をした少女がいた。
子供の父親である16歳の少年は、少女が妊娠したと判ると姿を消した。少女はひとりで子供を産み、これからどんなことがあっても、何を犠牲にしても子供を立派に育てていこうと決めていた。
14歳になった彼女は子供を抱いて、仕事をさがす。文字の読み書きも充分にできない小さなお母さんは、自分にできることは何かと考えた。町中の家を1軒1軒、家政婦として雇ってくれないかと訊いてまわる。もちろんすぐには見つからない。それどころかろくに相手にもしてもらえない。
「子供がいるんじゃ無理よ」「14歳?あなたもまだ子供じゃないの」
子供を育てるために働きたいのに、子供がいるから職がない。働く間、子供を預けるという知恵も浮かばないほど、少女はまだ子供。
…こんなのを、いつかテレビで観た。
10代の頃は誰もがそう考えるように、ハタチを過ぎれば大人なのだとわたしも思っていた。
わたしはわさびが食べられなくて、「大人になったら食べられるわよ。」とずっと言われていたけど、未だに食べられないしコーヒーも好きじゃない。わたしはまだ大人になっていないんだろうか。
思ったのは、実はこの世の中に大人なんていないんじゃないのかということ。
たとえばいまこの瞬間に赤子を渡され、「ハイ育てて!」と言われたとしたら、その自分と遠い国の少女と、一体どんな差があるのだろう。わたしは文字の読み書きが多少でき、少しのお金がある。それだけの違いだ。自分の子を殺してしまうような、年齢では「大人」と分類される人よりも、この少女のほうが大人なのかもしれないし。
大人になるってなんだろう。大人ってなんだろう。
スーツを着て、あくびをしながら満員電車に揺られること?正しい言葉が使えること?結婚したら?子供ができたら?
「自立したら大人だよ。」って誰かに言われたことがあるけれど、自立ってなんだろう。いくらお金を稼いでもだめ。いくら偉くなったと思ってもだめ。自立ってそういうことじゃない。わたしに判るのはそれだけ。
年齢は重ねてきたけれど、今もわたしの中には3歳の自分も10歳の自分も17歳の自分もどれもこれもいるような気がする。大人になることは、新しい自分が増えていくことなのかもしれない。
大人になるってなんだろう。大人ってなんだろう。わさびなのか?コーヒーなのか?大人のようで大人じゃないようで、大人にならないといけなくて、大人になりたいような子供でいたいような、あの頃の方がむしろ意外と大人だったような、でもどこもなんにも変わっていないような・・・・。
どちらにしてもきっと一生、わさびもコーヒーも好きにはならないなと思う。にじゅう…ンン歳のわたし。
横山商店の栄養ドリンクを皆チオビタっていうけど本当はエスカップなんだよ!ってずっと言いたかった。
わたしには、ふたりの扶養家族がおります。
長女テンテンと、長男のぽんた。このふたりは同じスコティッシュフォールドという種類のねこである。腹違い、種違い、つまり姉弟みたいに育っているだけでふたりは全くの他人(たねこ)だ。
テンテンが生後3ヶ月で、まだひとりっ子だった頃。その頃彼女はやんちゃ盛りのお年頃で、ものすごく活発だった。毎朝5時半頃から、おもちゃのねずみを追いかけ出す。
物音で目が覚めたわたしがトイレにたつと、遊んでもらえるのかと勘違いしたテンテンが、大興奮で走り回り始める。一度始まると止めても無駄。しばらく放っておくと疲れてうたたねをするが、ある日の彼女は持久力がすばらしかった。
わたしは寝るのをあきらめ、猫じゃらしでかまってあげることにした。いつもはいいとこ5分でめんどくさくなるわたしだが、その日は割と根気よく遊んだ。
するとわたしより先にテンテンが飽きてどこかに消えたので、よし、と思い二度寝を試みたのもつかの間…。
テンテンは「キャピェー!!!!」と叫びながら走ってきて、わたしの足の指にじゃれてかじりつく。そこまで痛くはないが、黙って寝ていられないくらいは痛い。
オチ:「テンちゃん?痛いでしょ?」
テン:「キャパ?」(←ほんとに言う)
たいていのことは怒らず、のびのび育てようというのが我が家の教育方針ではあるが、どうしても許せないことが二つある。
①ティッシュにじゃれる。理由:散らかる&不経済
②コンポの棚にあがる。理由:積み重なっているCDや物が多くとにかくイヤ
この二つに関しては、「いけないこと」とわからせるために、少々きつめに叱るのだ。というか、本気で嫌なだけに普通に腹が立つため、少々きつくなってしまうのだ。
それだのに!!その日のテンテンは!!あろうことに!!この二つの禁じ手を!!朝の6時に!!交互に!!それも延々と!!交互に!!あ、言ったか。わたしも人の子ですから。だんだん怒りレベルもあがってくるわけである。
猫を叱るときは、ビックリさせるのがポイントらしい。それを毎回根気よく繰り返して、してはいけないことを覚えさせるのだ。なのでいつも、頭をぱしっとはたきながら大きな声で「コラッ!」と叱る。
その日もそうだった。禁じ手を繰り返すテンテンに、繰り返し繰り返し繰り返し…ているうちについ、一瞬ムキになって、いつもよりかなり強めにはたいてしまった。
あっ…と思ったとき、驚いたテンテンがわたしを見上げ、「おやじにもぶたれたことないのに!!」 と言って、PC台の下に隠れてしまった。
しばらく時が流れ、「ちょっとやりすぎちゃったな…謝ろうかな…」とうじうじしていると、テンテンがのそのそ出てきた。そしてわたしの顔を見て、「ピー。」と言い、膝に登って、撫でて撫でてと言ってくるではないか。
だけどやっぱりママが好き~♪
…そうだよね。
だってテンちゃんはまだちっちゃいんだもん。人間で言うと、幼稚園の歳。言うことを聞かない遊び盛りの時期。今やんちゃさせないで、いつやんちゃするのだ。テンちゃんはただ遊びたかっただけなのよね…。それなのに…それなのに…。バカだった!!おかーさんバカだった!!
オチ:「テンちゃん!!ごめんね!!( TДT)」
テン:「ゴロゴロゴロゴロ・・・・(テンもー)」
テンちゃんを撫でながら、人も動物も、育児は育児なのだという気がした。どっちもかわいい。どっちも大変。どっちも命。
充分理解して、覚悟の上で家族として迎え入れたつもりでも、人はやっぱり自分の生活を優先しようとしてしまう。
ティッシュにじゃれるのも、コンポの棚に上るのも本当は猫にとっては当然の行為であって、怒られる筋合いなどない。いつも動物は人間の都合で叱られるのだ。
なんとも理不尽だけれども、一生かわいがって一生幸せに生きてもらうことで勘弁してもらうより他ない。ふたりが元気で生きてくれていることに感謝している。毎日、毎日。