鬼川の日誌 -9ページ目

水準測量から「衛星測位」へ 2

  標高とは?   (続き)

 

 

 

 ** 楕円体高、地心直交座標系

  GPS観測では地球楕円体から測った観測点までの高さ

 「楕円体高」を正確に決めることが出来ます。
  標高は楕円体高-ジオイド高で近似出来ます

  GPSでは地球の重心を原点Oにとった「地心直交座標系」
 位置決めをします。
 
  「地心直交座標系」というのはX軸は東経0度の子午線と赤道の
 交点を通り、Y軸は東経90度の子午線と赤道の交点を、Z軸は
 北極点を通る、原点Oで互いに直交する3つの軸を持つ座標系
 のことです。

  この座標系で測った観測点の値を使って地球楕円体の上の高さ

 を計算するのです。これが「楕円体高」です。

  基準面として地球楕円体を選ぶと基準面が数学的に簡単な式で

 表せて滑らかな形状をしているので、楕円体高は測地学、地図、

 測量分野での計算に欠かせない高さとなっています。

  (だからまたどのように楕円体を定義するかで変わってくる
  ことになります。日本が採用している楕円体は「GRS80楕円体」
  というものだそうです。この定義などはNETを参照。)

   ** 日本測地系、世界測地系

  三角点の一つ一つには経緯度と高さを記録した公式の記録

 「基準点成果表」があり、従来は高さとして標高だけが記入されて

 いましたが、2002年からは標高に加えてジオイド高が記載され

 るようになっています。

  02年は測量法が改正され、緯度経度、高さの決め方をこれ

 までの「日本測地系」から「世界測地系」へ切り替えることに

 した年です。

  日本測地系の「日本経緯度原点」は港区麻布台にあり原点を

 「東経139度44分28秒8759、北緯35度39分29秒1572」
 と(見事に半端な数字で)定義しています。
 日本の測量を始めるのに、グリニッジと赤道からいちいち測り

 始めるわけにはいかないのです。

  これは間接的に経度と緯度の0点を決めていることになりますが、

 世界各国も同じです。
  しかし残念ながら世界各国の定めた0点はぴったり一致しな

 かったのです。
 
  近代的な測地測量が始まった当時の各国は「ジオイド面」が細か

 く見ると複雑な凹凸を示し「基準としては少しふらつく」ことを

 無視して、それぞれの都合で経緯度原点を決めていたらしいのです。
  (凹凸について少し触れましたがこれを理解するのは難しい。)

  今は「10秒や20秒の狂いを無視」できる時代ではないのです。
 とりわけこれだけグローバルな交通網(航海、航空)が発達する
 ためには統一された経緯度の決め方をしないと困るのです。
 船は座礁するし、航空機は飛行場に着陸できない。
  それで同じ目盛りを同じ場所に固定した「世界測地系」を導入
 する国々が増えているのです。

  日本測地系から世界測地系へは緯度で+8~18秒、
 経度で-5~16秒補正が必要です。 

  今の地図には二つの緯度経度が記入されています。


  (補足)

  標高というのはあくまで重力の上下方向の距離ですが、楕円体高

 は地球楕円体に接する平面を考えてそれに立てた垂線の方向で測る

 ので高さを測る方向が微妙にずれている。  
 
  それで重力の向きに沿って立てられた東京タワーの場合、
 てっぺんは真下よりも2.4cmだけ南東にあるということに
 なるのだそうだ。スカイツリーはもっとずれることになるのだろう。

 

  (当然のことながら、3000m、8000mもの高さの天辺はさらに

  相当ズレるわけだ。

  *これが「楕円体高ージオイド高」が標高そのものではなく

   「近似」という理由な訳だ。)

 

  (CF 『地球が丸いってほんとうですか?』  

             大久保修平編著、 日本測地学会監修。
     この本は難しいですがとても興味深いです。)

 

水準測量から「衛星測位」へ 1

   標高とは?

       

 

 **

  下記のように水準測量から「衛星測位への移行」が今年行われた

 ようです。既に楕円体高などでGPSなどが測量に必須となっていた

 わけで、高さをどのように測位して来たのか、高さとは何かを学び

 直しておくことは意味あることだと思います。 

 

  • 衛星測位への移行:

    2025年4月1日をもって、国土地理院は標高の基準を従来の東京湾平均海面を基盤とした水準測量から、衛星測位を基盤とするものへ移行します。

  • 背景:

    水準測量では全国の測量に時間がかかるため地殻変動の影響を受けやすく、誤差が蓄積する問題がありました。衛星測位ではこの問題を解消し、大地震直後の復旧工事などでも迅速に標高成果を利用できるようになります。

  衛星測位システムには米のGPS、日本の「みちびき」、欧州のガリレオ

  などがある。

 

 

  以下水準測量にもとづく標高とは。20年12月に書いたものです。

   (少し補正あり)

  ** 日本水準原点


  私達いや私は相当に「あいまいな」世界に生きていて、かつそれ

 ほどその曖昧さで不便を感じることもないので、そのままこの年まで

 きている。修正しようとしてもなかなか先端の科学的な成果を理解

 するのは難しい。

  100名山を目指す人も、3000m以上の山の征服を目指す人もその

 山の高さ、標高はとても重要な要素である。

  ところで山に限らず高さとはどこから測るものなのだろう。
 その基準となる0mはどこなのか?
 
  日本では東京湾霊岸島で、1873年6月から1879年12月にかけて

 6年3ヶ月にわたる観測から求められた「東京湾の平均海面」

 (ジオイド面)が基準とされています。

  そしてこれを0mとして陸地に「日本水準原点」が設置されて
 います。当時これは24.500mと決められましたが、関東大地震による

 地殻変動で現在は24.4140mと改定されています。
 (水準原点は永田町の国会の庭にあります。2011年の東日本大地震で

  24,3900mにまた改定された。)

  そして霊岸島の観測施設は今は三浦半島の油壺に移され
 「日本水準原点」の高さが変化していないかどうか、毎年この油壺

 からの水準測量によって確かめられているそうです。

  水準点の高さは水準測量によってmmの精密さで決定されて

 います。水準点は主要な国道沿いに2kmに1点の割合で全国に

 2万点設置されています。

  (今は「電子基準点」全国約1300カ所で測位しているのだろう。)

  ** 平均海面?

  ところが平均海面の高さは日本の海岸ならどこでも同じかという

 と実はそうではない。北海道から東海にかけての太平洋岸はほぼ

 同じだが、四国から九州の太平洋岸では約+10cm、日本海側や

 九州西岸では約+20cmになる。

  これが異なるわけは相当に複雑だが要は気圧や海流・渦などに

 よるものらしい。

  そうすると更に世界的に見た場合はどうなるのだろうと疑問に

 なる。事実各国はそれぞれ独自に測量を行い高さの基準をきめて
 いるので、実はそれぞれの高さ0の位置が国によって異なっている

 のだそうだ。

  例えばフィンランドとスウェーデンでは20cmを超える差がある。
 国境を越えた途端に20cm高さが違うわけだ。
 
  またアメリカでは80年代終わりにに東海岸と西海岸とでは平均

 海面に1mに及ぶ高さの差があることが明らかとなり、90年代の

 初め北米全体で統一された高さの基準を構築する作業が行われ、

 カナダのケベックにある験潮場の高さ1点が原点とされた。

  そんなわけで高さ0mの基準を決めることはとても難しいこと
 のようです。そうなると世界的に統一された高さや位置の決め事は

 ないのだろうか?

  ** 地球楕円体ージオイド(高)

  地球は丸い。しかし完全な球ではなく南北が短く赤道面が少し

 膨らんだ楕円体をしている。
 (とはいえ目で見分けられるほどではない。)
 現代の測量では扁平率が約1/298.256の楕円体が現実の地球に最も

 フィットするそうでこの楕円体を「地球楕円体」と呼ぶそうです。

   扁平率 f =a-b/a
    aは中心から赤道までの距離、bは極までの距離

   ちなみにニュートンは既に扁平率を1/231と計算しています。
  
  地球の形は地球楕円体で非常に良く近似でき、更に正確に地球の

 表面の形を表現する面のことを「ジオイド面」といいます。
 地球の表面積の7割を占める海の上では、ジオイド面は(平均的な)

 海面だと考えることが出来る。

  陸地の場合は海岸から運河を掘ったとして、海水を通したときに

 出来る仮想的な海面をジオイド面と考えます。
 
ですから標高はこのジオイド面からの高さだということになります。
  
  *(地球全体を平均海水面で覆ったと仮定した場合にできる形

  をジオイドといいます。  

  地球楕円体からジオイド面までの距離を「ジオイド高」といいます。

  地球の形に近似させた滑らかな地球楕円体からジオイド面までの

 「ジオイド高」は、凹凸があります。

  これは表面が滑らかな卵とほぼおなじ大きさ形のジャガイモを
 イメージしこれを重ね合わせたとすると、ジャガイモは卵の表面

 より出ているところ、引っ込んだところが出来るだろう。
 
  地球は完全に滑らかにできてはいないから、これと同じことが

 起きると想定できる。事実ニューギニア付近では80mほど膨らん

 でおり、インド洋付近では100mほど凹んでいるのだそうで、
 プラスマイナス100mほどの凹凸がある
 
  (といっても地球の大きさからすれば半径の6万分の1ほど)


  もう一つ重力に関係した凹凸があります。
 例えば平均海面高度(ジオイド高)が三陸海岸では35mくらい
 なのに、日本海溝付近では20mくらいで15mも凹んでいます。

  一般に地下に重いもの(例えば海山など)があれば重力の働く
 向きがずれて、ジオイドは盛り上がり、周りより軽くなっていれば
 (例えば海溝)ジオイドは凹むのです。

 
  楕円体から見れば海面が凹凸していることになります。
 デコボコしていてもあくまでジオイド面が標高0mということには
 変わりありません。

 
  (続く)
 

 

 日本中世史 4

   中世前期の社会に生きる人々

         (前期から後期へー南北朝の動乱)

    

 

 

 

   私達が中世の社会を考える上で分かりづらいのが中世(前期まで)

 の人々の自然への対し方、接し方ではないだろうか?

   確かに今でも私達は常人を超えたすばらしい技能や芸能に「神業」

 を見るわけだが、神仏の力を実感しているわけではない。

 人によって濃淡はあれ「聖なるもの」は基本的にどこにもない。
 

   * 「聖なる世界」との接点、境界

  「中世前期まで、山野河海のかなりの部分は、
なお人力の全く及ば

 ぬ「無所有」の自然の状態にあり、人間にとって、畏敬・畏怖する

 ほかない世界として、その社会に力を及ぼしていた。

  自然の力に人間はなおかなりの程度圧倒されていたのであり、時に

 社会に及んでくる猛威に対して、人々は多分に呪術的意味をもつ

 神仏の力に依存するほかなかったのである。

  このことは西欧中世も全く同じであった。
  「この頃の人々はいわば深い霧の中で生きていたようなものであった。

 病気や死だけでなく、嵐や不作などの自然現象も当時の人々には理解

 不可能な暗闇の世界から突如として襲ってくる出来事なのであった。

 こうした事態に対しては供物(贈与)をささげ、神の怒りを鎮めるしか

 方法はなかったし、その際には供儀の形式が大変重んじられていた。
  初期中世の王はいわばそれらの供儀をとり行う特殊な能力をそなえた

 存在であった。」 (阿部謹也、この後西欧中世について学びたい。)
    
 
  そうしたいわば「聖なる世界」と人間の社会との接点、境界が、海に

 ついては浦・浜、川については河原・中洲、山については山根、ある

 いは峠・坂であったが、
 
  そのような場がすでに中世前期までに、先にあげたような市、津、

 泊、関、渡、また道路、橋、宿、墓所、祭庭などとして人間の社会活動

 の中に組み入れられていたことはいうまでもない。

  しかしこれらの場には、なお「無所有」の自然、神仏の力が強く投影

 しており、定住地として確保された田畠、在家等の場とは明確にその

 性格を異にしていたのである。

  このような場に、それぞれの性格に即した神ー市神関の神渡の神

 等が祀られ、しばしば多くの寺院が集中して建てられたことは、その

 特質を端的に示しており、
 ・・そこは垣根などによって囲まれた空間とは異なり、「穢れ」の伝染

 しない空間だったのである。

  (「穢れ」の伝染を中世の貴族などは殊更恐れた。)

   * 神仏の世界との交流

  職能民の主たる活動、その生業の営まれた空間は、まさしくこう

 した「聖なる場」だったのであり、神仏の直属民として職能民がとら

 えられた理由のひとつはここに求めることが出来る。

  「聖なるもの」と職能民との結びつきは、このような
場そのもの
 のもつ「聖地」性
のみによるものではなかった。
  職能民の活動、その職能に即した
行為自体が人ならぬものと結び

 ついて考えられていた・・
 
  神の声を語り、常人の知りがたいものの力を知る巫女や陰陽師、

 「穢」を「キヨメ」うる力をもつ非人など、呪術的な宗教民の場合は
 もとよりのことであるが、遊女や傀儡、猿楽、田楽、獅子舞などの
 狭義の芸能も、鍛冶、番匠、鋳物師などの工人の技術も・・当時の

 人々は神仏の世界との交流の中でとらえていたものと思われる。

  ・・それ故に、これらの人々はその最初の演技や産物ー初尾を、
 まず神仏に捧げたのである。 
  神人、供御人の「公事」「上分」・・

   売買・交易という・・行為そのものが神仏を媒介とし、その

 影響下にある市庭あるいは門前という特定の場においてはじめて

 おこないえたこと・・

   神人・悪僧の出挙ー金融も・・神物としての初穂の貸与、返却に
 当たっての利稲の収取に源流をもつ、神物・仏物である初尾としての
 「上分米」「上分銭」の貸与であり、それ故にこうした行為は、
神仏に
 直属する人によってはじめて行うことができた
・・

    * 神人・供御人制(じにん・くごにんせい)

  神人・供御人制はこのような
職能民に対する社会のとらえ方
 根底において形成された王朝国家の制度にほかならない。

  天皇家自体が神仏とともに「聖なるもの」として、職能民を供御人

 として組織しつづけ、それを自らの家産経済の一つの基礎としただけ

 でなく、そこから天皇直属の軍事力を動員する手がかりをつかんだ・・

  寺社にとってもそれは同様で、神人・寄人(よりうど)は荘園とともに
 その経済を支え、
仏事、神事を営むために欠くことのできぬ柱であり、

 同時にまた、荘園支配を貫徹し、平民百姓を支配するための実力

 なった・・
 
  「悪」という語が、・・一種の畏怖と畏敬をこめた両義的な意味で
 用いられたのは、この当時の人々が、山野河海のタブーにつながる
 「聖なるもの」の影をそこに見出していたからにほかならない。

   * 聖なるものの転落

  南北朝動乱の中で、それまでの「聖なるもの」-神仏、天皇の権威

 は低落し、それとともに職能民の存在形態は大きな変化をとげていく。

 

  網野はこの南北朝の動乱が、自然、神仏に圧倒されていた古代、

 中世前期と中世後期から近世、近代(現代)までつまり私たちが理解

 可能な社会との転機であったとする。

 ・・職能民のあり方の大きな変化、商工業、金融などの行為の世俗化は、

 阿部謹也の強調する、キリスト教の浸透に伴っておこったといわれる

 大宇宙と小宇宙の統合によるヨーロッパ社会の変化と酷似する過程と

 して網野は捉える。

  (この点については「西欧中世史」の方でも触れたい。)

   (『日本中世の百姓と職能民』 網野善彦)