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あわてない、あわてない。赤ちゃんが「はいはい」するように、のんびりゆっくり進みましょう。

最高6億円くじ『BIG』で6億円当たったら、まず何をしたい?? ブログネタ:最高6億円くじ『BIG』で6億円当たったら、まず何をしたい?? 参加中


ぼくには夢があります。

それは、世界のみんなが、食べたいものを食べることができて、ちゃんと水道やガスや電気が来る家に住むことができて、家族仲良く幸せに暮らすことができる社会を作ることです。

そのために、ぼくは役に立つ大人になりたいと思います。

大人になったら、ぼくは一生懸命勉強した知識を使って、こういう社会を作ることができる人間になりたいと思います。


もし6億円が当たったらと考えると、きっと大人たちは、都心に大きなマンションを買ってリッチな生活がしたいだとか、仕事をやめてハワイでゴルフ三昧の生活を送りたいだとか、毎日エステに通ってできればいろんなところを整形したいだとか、そういうことを考えると思います。

でもそういうのは、大人の考えとしては尊敬できません。どうしてかって言うと、さっき書いたけど、ぼくは、いい世界をつくるのに役に立つ大人になりたいからです。


ぼくは役に立つ大人になるので、ちゃんとした教育を受けなくてはならないと思います。
そのためには、いろんな塾にいったり、優秀な一流大学に通ってる家庭教師をつけたりしなくてはならないと思います。そして東京大学の法学部に行きたいと思います。官僚になったり、大企業で偉くなったりするお友達がたくさんできるからです。

でも、勉強だけではだめです。音楽だとか、美術だとか、そういう教養をつけるためには、その道の専門家の人たちに教えてもらわなくてはいけないと思います。それにはお金がかかります。

将来は、立派な大人同士で付き合って、どうやって良い社会をつくるかについて相談しなくてはいけないので、そのためには、大人同士の付き合いのときに恥ずかしくないように、高級なレストランや料亭でのマナーも知っておかなくてはいけないと思います。

それに、育ちが卑しいと、そういう立派な大人になれないと思います。
だから、きっとぼくが大人になるまでには、3億円くらいは使わないと、最低限の今の生活を維持することが難しいと思います。
もっと立派な大人になるために、あと3億円でも足りるかどうかわからないと思います。

でも、だからと言って、世界には衛生的できれいな水を飲めない子供達もいます。毎日の食事で必要な栄養が取れない子供達もいます。その子たちのことを考えると、あと3億円で、ぼくは我慢しなくちゃならないと思います。

今日、大きな病院の理事長をしているおじいちゃんにこのことを話したら、こなつむぎはえらいなぁ、とほめてくれました。京都で呉服屋を経営しているおばあちゃんに話せば、きっと、こなつむぎちゃんはやっぱりかわいいわね~ わたしの孫だわ、と言って喜んでくれると思います。そしてお小遣いをくれます。

だから、残った3億円をこう使おうと思います。

さっき言った教育と教養のために1億円を使おうと思います。

あと、1億円はFXで運用して少し増やしてから、あとは安定的な運用で日々の生活費を働かなくてもまかなえるようにしたいと思います。きっとこれは、パパの屋敷の執事のセバスチャンがやってくれると思います。

残った1億円は、将来の女のためにとっておくようにとおじいちゃんが言ってました。

でも、ぼくはそんな必要はないと思います。
なぜなら、ぼくには好きな女の子がいて、その子と結婚したいと思っているからです。その子は、愛があればお金なんていらないって言ってます。
そうだと思います。

だって、その子のお父さんは貿易会社を経営していて、お金に困っていないからです。ぼくも、お金にこまっていないその子のことが大好きです。

だから1億円は、万が一のために貯金しておこうと思います。
大人になったぼくは、良い世界をつくるために人類に貢献する大人になるのですから、その人がお金に困っていてはいけないと思います。

世界の子供達に、みんな努力すれば、あの人みたいになれるんだよ、って夢を与えることができるような人にならないといけないと思います。

だから、いつもいい物を着て、美味しいものを食べて、かっこいい車に乗って、きれいな女性をエスコートしてないといけないと思います。

子供達の夢を壊さないためにも、いざという時のたくわえとして1億円を貯金しようと思います。

*****

まぁ~、こなつむぎちゃんたら、とっても堅実な考えなのね。やっぱりかわいいわね~ わたしの孫だわ。おばあちゃま、うれしいヮ。

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ちっ! ヤなガキ……
 ボクには好みのタイプの女ってのがあるんだな。

 そう思ったのはその女の容姿について今でも細かく覚えているからだ。好き嫌いがあるなんて当たり前のようにも感じるが、では好みについてはっきりと言葉にして説明したことがあるかと問われれば、なかったのかも知れない。


 ティルソ・デ・モリーナという名前の広場から、だらだらと長い坂道がラバピエスまで続いている。その坂の途中に、3週間のマドリッド滞在のために借りたアパートがあった。毎晩、広場からアパートまで坂を下っている内に、1軒の風変わりなバルがあるのに気が付いた。近所の他のバルが人であふれて陽気な笑い声に包まれる時分になっても、そこだけはひっそりとしている。中を覗きこんでみると壁の一面が本棚になっていて、まるでバルではなくどこかの邸宅の書斎かのようなたたずまいであった。

 そのバルに気付いた夜、バルの入り口の扉の外で一人の女が所在なげにタバコを吸っていた。今年に入ってからバルの中では禁煙になったというニュースをボクは思い出し、バルには黒タバコとオリーブ漬けの臭いが似合っていたのに、この国もずいぶんと変わったものだなと思った。マドリッド3日目の夜だったと思う。

 次の日もその次の日も、ボクがその坂を下りる頃、いつも彼女はそのバルの前でタバコをふかしていた。つまらなそうにただぼんやりと通りに目をやりながら、つま先で飛び出した舗石の角をつついていた。そしてその次の日も、おそらくその次の日も。

 ある夜、ボクが前を通り過ぎようとすると、彼女は声を掛けてきた。

「あんた、いつもビールを買って帰るのね」

 これがないと寂しいんですよ。シャワーを浴びて歯を磨いてから、一日を振り返りながらゆっくりと飲んで寝るんですよと答えると、「一日を振り返りながらねぇ」と不満げにつぶやいてからこう聞いてきた。

「歯磨きの後に飲んだら、味が変になるんじゃない」

 だからビールの味が変わらないように歯磨き粉を付けないで歯を磨くんですと説明すると、彼女は初めて笑顔を見せた。

 次の日もその次の日も、ボクは坂道を下りてアパートに帰り、彼女はいつもバルの前でタバコを吸っていた。静かな店からは外に灯りがもれてくるだけで、彼女の影があばれた舗石の坂道に浮かび上がっていた。


 帰国が数日後に迫ったある夜、坂道に彼女の姿はなかった。彼女が店の前でいつもの様にタバコをふかしているのを、ボクは期待してたのだろうか。その時初めてその店の前に長い間立ち止まり、その店の名前を読んだ。

「キミは今日のことを覚えているだろうか」

 とてもバルの名前とは思えない、そんな名前だった。変な名前のバルを見つけた日としてきっと思い出すだろうな、そう思って一度は店の前を通り過ぎ、ふと気が変わって扉を開けてバルの中に入った。

「いらっしゃい。ビールの日本人だね」

 店の主人はそう言うと目でカウンターの方を示し、ボクはその通りカウンターの端の椅子に腰掛け、生ビールを一杯注文した。彼は自分はホアキンであると名のり握手を求めて来た。ホアキンは、スペイン人には、ましてやバルの主人には珍しく、物静かで生活感を感じさせないタイプの男だった。

 2杯目のビールを注文するとき、ボクは聞いてみた。

「ねぇホアキンさん。この店の名前、随分と風変わりじゃないですか? 何か、謂われでもあるんですか」

「店の名前かい?」

「ほら。入り口の扉の上に『キミは今日のことを覚えているだろうか』って書いてあるでしょ」

「あぁ、あれは店の名前じゃないよ。店の名前は『Carpe diem』って言うのさ。ホラティウスの詩の中の言葉だよ。文字通りには『一日の花を摘め』という意味でね」

「一日の花を?」

「死はいつ訪れるか分からないからね。未来に何かを期待するのは得策じゃないってことだな。その日その日、一日一日をしっかりと楽しめということだ。日本じゃ学校でラテン語は習わないのかい?」

「ラテン語の授業はないですね。その代わり中国語の古典の授業はありますが……」

「そうか」

「じゃぁ『キミは今日のことを覚えているだろうか』って書いてあるのは、どうしてです?」

「簡単に言い換えてあるだけだ。キミ、名前は…… そう、なつむぎ君だよね。アクセントはどこにある?」

「発音しやすいように発音してくれればいいですよ」

「なつむぎ君ね。店の前でいつもタバコを吸いながらキミの事を眺めてた彼女、一度キミに話しかけただろ?」

「えぇ一度。歯磨きとビールについて、ちょっと話しました」

「それが、いつのことか何曜日のことか、覚えているかい?」

「えっと…… いつのことでしょう」

「やっぱり、覚えてないんだね。一日の花を摘んでないんだね」

「そうですか」

「そうさ。あの子は親戚の子でね。カセレスからマドリッドに遊びに来てたんだ。彼女は言ってたよ。『アタシには好みのタイプの男ってのがあるんだって、そう気付いた』ってね」


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「なつむぎ君さぁ。西に行くんだったら、そのまま大西洋を渡っちゃったらどう?」

その後アルジェリアを一緒に旅行することになるT氏に、ボクはマドリッドで何回かそう勧められたことがある。彼はリオ・デ・ジャネイロで1年近く暮らしていたことがあって、その街に漂う心を浮き立たせる空気についていつも語っていた。


マドリッドに住んでいた頃、リスボンを3回訪ねたことがある。特に何をするでもなく2、3日街を歩いて帰る。そんな気晴らしの旅だった。
同じイベリア半島にあるすぐ隣の国なのに、リスボンにはマドリッドと大きく違う空気が流れていてね。言葉も、気候も、人情も柔らかい気がしたんだよな。

そしてその度にT氏の言葉を思い出して、この国の、この海の向こうにはアメリカ(米国ではなくて)があるんだって意識して、思い切って大西洋を渡っちゃおうかなってボクは心が揺れたっけ。

「いいよ。ブラジルは次の機会にまた心を新たに行けばいいさ」

ボクにとってこの街は、一歩が踏み出せないことを意識させる場所だった。
だからリスボンは「折り返しの街


ボクは結局その後29年間、大西洋を渡ってブラジルには行くことはなくて、そのかわりに29年前の気持ちを確かめるためにに、今リスボンを訪れたってことだな。
リスボンは、古びた街並みが古びたまま残っていてほとんど変わりがない。どことなく漂うやわらかな空気もそのままだった。近代的なショッピングセンターやピカピカの地下鉄はあっても、街は薄汚れていて、田舎臭くて、そして愛嬌がある。暮らしたことはないのに時々訪れると心が安らぐ、そんな故郷の街のようなムードがある。
まさに saudade(郷愁)の街。

*****

今回の旅でも、この街がボクの折り返しの街です。明日、ボクは飛行機に乗るはずです。
気が変わらなければね。今のボクには帰るところがあるからね。
遠くまで来たつもりでいても、飛行場に着いてしまえばあとは自宅まではもう一歩なんだ。不思議だな。

この折り返しの街で、ボクは自分の人生の折り返しについてやら、でもまだもっと西に進みたいって希望やら、いろんなことを思ってた。

今度は、いつこの街に来ることができるんだろう。
パリから徐々に西にこの街にまでやってきたけれど、この街が一番ボクの日々の生活から遠いムードを持った街だって気がする。

でも、きっとまた来ることができるに違いないよ。
そう願って今日、エストレーラ聖堂の入り口で物乞いをしている老人に、少しばかりの小銭を渡した。


///   H A I H A I S M   ///-ロカ岬1
↑ ユーラシア大陸の最西端での碑です。

///   H A I H A I S M   ///-ロカ岬2
↑ Aqui...... Onde a terra acaba e o mar começa...... ここ 地は果て 海の始まるとろ

///   H A I H A I S M   ///-GPS
↑ GPSロガーはこんな緯度経度を示している。まだまだ西がある。


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この記事は予約投稿です。次の記事は次の街から。
それまで、コメントに対するレスは少し待っててね。

T氏とのアルジェリア旅行は ●ここ ●ここ ●ここ
ちょっとカエサルを真似てみたり。

リスボンから電車で40分ほど西に行くとシントラという街があって、その街の中心からさらに山の方に数キロ入ると、美しい森の中にペーナ宮殿という宮殿がある。
昨日はそこを見学したんだよね。

19世紀中ごろに完成した宮殿なんだそうだけど、毒気にあてられちゃって、いったい誰がどんな経緯でこんな建物を作らせたのか何だかちっとも興味がわかない。というか調べる気力がわかない。
だから調べることなく記事を書いているんだな。すんまへん。

その建物は、日本語ではなんて表現するのが妥当なんだろうか…… って考えると、すぐに思いつく言葉がある。

「悪趣味」

ゴシックやら、イスラムやら、マニエリスムやら、ロマネスクやら、ルネッサンスやら、なんやらかんやらの様式が「雑多に」「調和なく」混じっていてこなれが悪いし、色とりどりに塗り分けられた壁も田舎の遊園地の書割の様で、なんとも見ていてつらい。


宮殿の中の部屋には、これでもかこれでもかと内装が施され、豪華な調度品にあふれていて、
それについては日本語でどう比喩するのが適切なんだろうか…… って考えると、すぐに思いつく言葉がある。

「建設会社社長の昭和な応接室」

とにかく、くどいんだな。
いや、社長の応接室の方がまだいいかな。その息苦しさは、趣味の悪い骨董店に2時間ほど閉じ込められた気分の方が近いかも。


その中に一部屋だけさっぱりとした部屋があった。
Sala dos Veados と名づけられた部屋で、7角形の部屋がドーム型の天井に覆われていて、壁の色は単純にクリーム色一色。

でもね、ホッとしたのは一瞬だけ。7角形の部屋の7つの壁からは28頭の鹿の頭の剥製が突き出ている。
あ、たぶん鹿ね。何せ調べずに記事書いてるから。
これって、冗談なのかなぁ。笑わせたいのかなぁ。


全体的なムードを、日本語でどんな風に言い切ったら、気分がスッキリするかな…… って、ビールを飲みながら今考えるに、

「秘宝館的な?」

*****

残念なのは、これを写真でお見せできないことだよ。
宮殿の内部に入るときお姉さんに「写真はダメよ、ビデオもね」って釘を刺されたからね。
でも、外観は撮ったよ。ほんの数枚しか写真に撮らなかったのが今では悔やまれるけど、その時は撮る気力も起きなかったんだ。

///   H A I H A I S M   ///-ペーナ宮殿
↑ 映ってないけど赤色の壁の部分もあるんだよ。
  いい写真がネットにたくさんあるから、画像検索で探してみてね。


どうだろう。気に入ったくれただろうか。


なんかね。この建物については絶対にすぐに紹介しなくちゃってそんな使命の様なものを感じたんだ。
帰国して、気分が落ち着いたらちょっと詳しく調べてみようかな。
面白いことが発見できたらまた書くことにしようかな。

そうそう。
ガイドブックによると、この建物を建てたナンタラ何世は、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城を建てたナントカ何世と親戚なんだそうで、この建物もわざわざドイツから建築家を招聘して建てさせたんだそうで、ボクはまだ見ぬノイシュヴァンシュタイン城に興味しんしんです。

ノイシュヴァンシュタイン城、最初に写真で見た時から「妖怪アンテナ」が立ちっぱなしだったんだ。
こりゃ、なんかあるぞって。

ね、父さんもそう思うだろ?

……ボクは父さんじゃなくて、緑のどーもくんだけど、そう思う。

///   H A I H A I S M   ///-どーもくん
↑ ペーナ宮殿内の泉


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注:でもさ、この建物、ユネスコ世界遺産に登録されているんだよ。ボクは決してバカにはしてないよん。
食いましたよ。念願のタコ飯。

前回の失敗 ●ここ に懲りて、観光客向けではない、いかにも地元的なレストランに入りました。
ってか、地元のご老人しか食べに来てないんですけど。

ウエイターのオジサンも、
頭が禿げ上がっていて、小柄で腹が出てて、いかにもラテンのオジサンって感じでとってもいい感じ。
決して彼の見た目にシンパシーを感じたわけじゃないんけどね。
自分、禿げてませんし。

で、ワインを飲みながら待つこと10分ほど、タコ飯が出てきました。

↓ こんな感じ
$///   H A I H A I S M   ///-たこ飯


美味かったなぁ。すごいよ。
何がすごいって、ポルトガルでタコ飯にタコが入ってたのは、生まれて初めてだからさ。

そして一口食べると、ふ~っとバンコクの香りがした。

コエントロの生の葉っぱが使ってあったからなんだよね。こういう風に使うんだなって、ちょっと驚いた。
コエントロってのは、英語でコリアンダー、タイ語でパックチーです。なるほど、でしょ?

でもさ、量が多いんだ。どんぶり飯2杯分くらいあるんじゃないかな。
頑張ったけど8割くらい食べたところでギブアップしてしまった。

もう2度とタコが入ったタコ飯を(ポルトガルでは)食うことはできないかもしれないのに、
実にもったいないことをした。

*****

昨日(19日)は朝から大雨で、ひたすら歩いての古本屋めぐりはあきらめてしまったんだ。

その代わりに新しいショッピングセンター2つを見たんだけど、その2つのショッピングセンターの名前は、
コロンボ」ショッピングセンターと、「ヴァスコ・ダ・ガマ」ショッピングセンター。

「コロンボてのは、野口五郎の事じゃないよ」って、ダブルでボケておいて、と……


そうだった。この国は500年前、世界の富の半分を持っていたんだ。


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今日は、朝から気持ちの良い晴天。
青く澄み切った空に太陽が輝いていて、テージョ川を渡る風がほほに気持ちがいい。
なんか、春と秋のいいとこ取りしたような気候です。

日曜日で古本屋さんはすっかりお休み。
ボクは、古びた市電の上り下りする坂の街を、ひたすら歩きました。

そして、これからも歩く。


$///   H A I H A I S M   ///-alfama