愚痴と干渉重たい母親から卒業したい人のコーチング&カウンセリング ★幸せの感度をアップで★ -2ページ目

愚痴と干渉重たい母親から卒業したい人のコーチング&カウンセリング ★幸せの感度をアップで★

がまんで失くした自分をとりもどしていくプロセスを追求していきます
それが、母からの卒業

たのもー!!

 

札幌のコーチング  森村うさぎです(^^)

 

今日はプレミアムフライデー。

ですがー、いつもと変わらない金曜日の我が家です。にひひ

 

みんなプレミアムなのにうちだけ乗り遅れてる??って不安になったりはしておりません。

ということで、《不安》についてです。

 

【どんな感情であっても、不必要なものはない。】

のですが、

 

不安とか、モヤモヤ―っとしたぼんやりとしたイヤな感じは、できれば避けたいもの。

心地悪いから。

 

不安になってくると、こんなふうに感じたりしないでしょうか?

 

こんなことで不安に感じてるなんて弱い…ダメだ…運が悪い…ビビってる…ネガティブ…

って、自分を責めちゃってる。

 

不安になった自分を責めるのは、あまり良い対応とはいえません。

 

自分を責めてしまうとね、不安をなんとかしたいのに、やる気が下がって不安に対処できないというパラドックスにはまってしまうので。

 

不安や、モヤモヤを感じたら、

「あー、今、不安なんだ。そうだよね。そりゃー、そうだよね。不安になるよ。」って自分の気持を自分で受け入れてみていいっす。

どんなことだったとしても、あなたが不安を感じるのは、弱くて駄目な人間だから…じゃないからです。

 

今、あたしもね、不安です。息子の受験で。ぜんぜん平気じゃないです。(初めてってわけでもないのですけど)大丈夫なのか…。いろんな悪い想像で、ぐるぐるします。

 

こんなときに、

「ま、肝っ玉がちっさいわね。ほんと、弱虫だわ。だめねーー」ってなるのと、

「そーだね、不安なんだよね。そう感じちゃうんだよね。そのくらい真剣なんだよね」なるのと、

 

後者の方が、不安に対処しやすくなりますの。

 

 

漠然とした不安(モヤモヤ)→ハッキリとした不安→→(より具体的に、より現実に)→→恐怖

 

そもそも、「不安」は、自分の身を守るための防衛システム。

大雨注意報とか警報に近い存在。

 

大雨注意報が出ているから、丈夫な傘を持っていこうって思えるものね。

 

不安は、何を準備して、どんな対策をすればいいのか、

考えはじめるためのアラーム。ピピッベル(←これは、ベルでしょっ)

 

どうしよう?!から、

 

「何をしたらいい?」「なにを準備したらいい?」「何をしたら、ちょっとでも安心に近づける?」

具体的に対策を考えてみる。

 

何かをすることだけではなく。

何かを止めたりすることも対策になるかもしれません。

 

絶対に失敗しない、いっこも間違えたりしない、必ずこうでなくちゃいけない、

というレベルを、下げてみたほうがいいのかも。

あるいは、最低限、最悪の状態を考えてみる。そうすることで、余裕が出てくるかもしれませんね。

 

自分はいったい何を怖れているのか?

探り当ててみることで、できるだけのこと、精一杯の対策ができるはずだわウシシ

そのあたり、コーチングでお手伝いしておりますよー。

 

生きてる限り、いろーんなことが起きるし、いろーんな人に出会うし、良いことばっかりとは限りませんのね。

絶対に正しいはずだっていう生き方をしてても。自分を肯定して自信をもって生きてても。

 

不安になることも多々ある。

 

不安になる自分を責めないで、受け入れて、不安と向き合って、乗り越えていきましょ!

 

せいやっ!

 

たのもー!!

 

札幌のコーチング  森村うさぎです(^^)

 

今日の札幌、寒の戻り。久しぶりに寒いです!寒いの嫌いじゃないけど。

昨日は、アメブロのサーバーがダウンしたらしくて、投稿できませんでした。ぐすん

こんなふうに、自分の思い通りにならないのが人生ってやつなのですなー。

 

 

やりたことがみつかっても、思い通りに実行できて実現できないことだって、いっぱいあるわけです。

 

まさに、現状のわたしです。確実に、わたしのことです。

自分のためにやりたいことだけをしてればOKってわけにいかない状況。

 

やりたいことを実行しようとする時に、いろんなことが妨げになることもあるでしょう。

 

自分だけの時間がとれない

自分だけにお金をつかえない

自分だけに体力を消耗できない

協力してくれそうな人がいない

 

家事がある

仕事がある

育児がある

介護がある

病気がある

生活を支える責任がある

 

予期せぬ災害や災難や事故によって、自由にできないこともある。

 

(外側の理由だけでなく、自分のルールや規範意識や道徳観念や、“こうでなくちゃ“という思い込みが、やりたいことをできなくしてるケースもありますな)

 

 

何らかの理由があってできなくて、「好きなことやりたいこと」をあきらめてしまうと、【犠牲】になったのだという気持が残りやすくなるのです。

 

犠牲になって、「○○のせいだ。」っていう気持は、怨みや憎しみにつながっていく。

そして、こころからエネルギーを奪っていく…。人にたいしても寛容とか優しい気持を奪っていく…。

 

そうならないために、

 

「やりたこと」と「やるべきこと」と「やるのが難しいこと」を、【選択】して【工夫】することが、ポイントになるのですなー。

 

【選択】の基準は、自分の気持です。何を選択し、何を選択しないと、自分の心が満たされるのか?なのです。

他の誰の基準でもなく、自分にとって何が大事なのか考える。

優先順位を決められるのは、自分。

 

理想通りに実現出来なくても、【工夫】することで、少しずつでもやりたいことを実行していける。

あきらめたらアウトで試合終了だけどね(←安西先生、そうですよね?BY スラムダンクの名言)

あきらめず、今の自分にできそうなことを、小さなことでもいいから、やってみる。

時間がなくても、お金がなくても、助けがなくても、何かしら工夫しだいでやれることはあると思うのです。

今、明日、3分でできること、100円でできること、1人でもできること。「やりたこと」を達成するために、何かしらの可能なことはあるものです。

その工夫が、あなたの経験となり、知恵となり、財産となるはず。

 

好きなこと、やりたこと、

やれてる、やってる、実行してる、試してる、挑戦してる、楽しめてる、集中してる、夢中になってる、

「自己実現」を続けるとね、自分のことが好きになる感覚が生まれてくるんです。

 

だから、厳しい現状があっても、選択と工夫で、トライですよー!

 

せいやっ!

 

 

たのもー!!
 
札幌のコーチング  森村うさぎです(^^)
 
今日は、近所のスーパーにていつもより早く買い物。
そしたら、サービスで大福をいただきました ♡♡ 15日恒例のサービスなんですって。
のーらいふ、のーあんこ 美味しくいただきましたもぐもぐ うれしい!
(食べちゃってから、“あ、写真とればよかった…“と後悔。いやしんぼめ!)
受験生に付き合うちょいハードな日々が癒やされました。
 
 
さて、前回からの続きとなりますよ―。
 
好きなこと・やりたいことが、みつからない・やる気がしない。
だったら、みつけよう・やってみようということを、強めにお伝えしているのは、理由があります。
 
なぜ、そんなに大事なのか?
 
好きなこと、やりたいこと、

それを実行して、やってるときも、やったあとも、「うれしたのしオモシロいいぞーーー」を感じます。
いわゆる「満足」「心地よさ」「幸せ」「喜び」。

それがない。

それがない人生。喜びのない人生。

いったい、何のために産まれてきたのか??

何のための命??
 

生きてることを、命を、自分を、よろこばせてあげることができるのは、自分です。(協力してくれる人はいるけど)

自分だけが、自分をよろこばせることができる力をもってます。

やりたことを邪魔して、やるべきことしか許さないのは、

「生きてていいよ」「喜んでいいよ」「存在していいよ」「あなたらしく生きていいよ」ということを、自分自身に許可してないことに近い…。
 
「喜び」「満足」って、生きていくエネルギー。
 
そのエネルギーがあれば、「やらなきゃいけないこと」「あんまり好きじゃないな―」ということを乗り越えていける。
 
やりたことを“やらなきゃいけないことがあるんだからやっちゃダメ“って禁止してると、エネルギーチャージができなくて、やらなきゃいけないこともしんどくて、できなくて…。
 
やる気がでない→やらない、できない私はダメだ…って言う気持になって、
 
何のために生きてるの……。もういやだ……。
 
になりがち。
 
やりたことをやって満足の「自己実現」は、やっぱりとっても大事なのですなー。
 
こころを、実現させていくために次回へ続く―
 
せいやっ!
 
 
たのもー!!
 
札幌のコーチング  森村うさぎです(^^)
 
節分が過ぎ、雪まつりが終わり、札幌の街も太陽の光が増える季節がやってきました。
雪の表情も変わってくるし、空気もなんとなくしっとりしてきます。
季節の移り変わりを感じるのって好きです♡
 
「好き」を追求して、やりたいがみえてくるお話の続きですよー。
 
ちょっと前に、テレビ番組で面白い実験をしてました。
 
《プリンだと思って卵どうふを食べると、不味いと感じるのか?》
 
卵どうふを、「プリンなんです。試食どうぞ」→食べた人「まずっ!なにこれ?!」
で、種明かしで「実は玉子どうふなんですよ。もう一度食べてみて」→「…あ、美味しい」
 
その時は、10人試して10人がこの反応。
 
味覚の不思議。「コレは甘いはずだ」って思い込むと、感じ方が変わることがあるんですなー。
 
味覚だけじゃないかも。
 
やってみたけど、それほどでもない。
いってみたけど、くだらなかった。
やっぱり興味がわかない。
だから、何?って感じ。
 
心が動かない。あったまらない。シーンと静まり返った状態。
何をしても…。
 
つまらないって思ってしまうのは、もしかして思い込んでるかもしれません。
「楽しくはない」って。
 
というよりも、こんな言葉が胸によぎってる。
 
他にやることがあるじゃないか。
時間がもったいないじゃないか。
お金がもったいないじゃないか。
他の人(夫、子ども、親、大変な状況にある人たちなどね)に申し訳ないじゃないか。
これをやったからといって何になる?
もっと意味のあることじゃないと駄目なんじゃないか?
無駄なことをしちゃいけないんじゃないか?
 
他にもっと優先するべきことがあるし、
無駄(時間もお金も労力も)をしちゃダメだよね、
 
っていう思い込みがある時、面白くないなって感じちゃうかも…。
面白くなかったら、続けることも難しいかも…。
「やりたいこと」をみつけるの、難しいかも…。
 
そんな人へ。
自分を責めちゃいけませんですよ。
 
知らないうちにそういう「思い込み」が作られたのは、事情があってのことだったはず。
 
意識している「あー、つまんない…」その気持の奥には、
 
「他のことしなさい。楽しいことはしてはいけない」という思い込みが無意識の中に存在してる。
思い込んでるので、「楽しい」を感じにくい。
 
“楽しんではいけない“っていう思い込みは、人生から鮮やかな色彩を奪ってしまう…。
これを掘り進めると、大事になことに行き着く可能性があるんです。
 
行き着く先は…、次回へ続く。
 
せいやっ!
 
 
たのもー!!
 
札幌のコーチング  森村うさぎです(^^)
 
満足という幸福感をもたらす自己実現。
やりたいことをやっちゃう。自己実現。
(自己実現の解釈は様々にあります。今回は、いちばん単純なかたちで解釈しておりますよ)
 
そのためには、やりたことをみつける。
そのためには、好きなことをみつける。
そのためには、「好き」を感じてみる。
 
好きな感じがする…から、「好きだな」「あたしの気に入ってるものはこれ」「コレがあるとご機嫌」って言えるようになる。
のが、前回からの次のステップです。
 
 
「好きな感じ」「なんとなく惹かれる」「わりと興味がわく感じよ」
 
という気持を、育てる。育成ゲームのスタートスイッチポンです。
 
ひと目会ったその日から恋の花咲くこともある(古っ!)なんてこともありますが、
それは稀なこと。
そして、そうでなくてもOK。
 
じわじわじわーっと、「好き」を高めていきます。
ちょっとずつ、一歩ずつ、深めていく。
 
最初は、気にするからです。気に留める。
 
調べてみたり、関連する情報などを集めたり、
他の人に、「○○って、けっこういいよね」「○○が気になってるんだ」ってカミングアウトするのも良いですよ。
広めることで、さらに情報があつまってきます。もしかしたら、同好の士がやってくるかも。
 
知ることは、好きを深めることにつながります。
 
「気になる」「惹かれる」っていう【好き】のタネに、お水と栄養を与えて育てていきます。
 
どうなってるの?もっと知って深めていく。
 
好きな気持を発展させていく。それは、好きな気持を育てていくこと。
 
最初は、小さなポットの小さな芽。
お水をあたえて、栄養を与えて、太陽の光を与えて、育てていく。
 
どんどん育てて♡
そしたら、大きなハチに植え替えよ。
 
次は、行動していく。
やってみる、試してみる、買ってみる、行ってみる、言ってみる、形にしてみる。
 
続けてみる。少しずつでも。
自分の心の望む方向に。
 
一筋に上達を目指すも良し
あれこれバリエーションを広げるのも良し
 
ひとりでじっくり考えてみる時は、頭の中を整理しやすい方法をつかうとわかりやすいです。 
ひとりじゃなくても、いろんな角度から質問することで、さまざまな可能性を発見しやすくなります。
コーチングの技でお手伝いできますよ(^^)
 
 
 
わたし、タモリさんの
「遊びなんだから、真剣にやれよ!!」っていう言葉が励みになってるんです。
 
遊びに真剣になるのは悪いことっていう思い込みに気付かせてくれた。
 
 
こうして、「やりたいこと」が出て来る、増えてくる。
 
ちなみに、
「雪って、キレイだな」「雪、けっこういいな」「雪が好きだわ」な私は、最近、雪景色の写真を撮るのが楽しいっす。しかも、それに俳句までつけちゃってる。へっへっへ。(恥ずかしいカミングアウト)
この景色を、記憶以外に残したいって思ったのがきっかけ。
この景色を、自分らしく楽しみたいって思ったのがきっかけ。
バカっぽい?くだらない?自己満足?きもい?
 
そう、わたしだってそう思ってた。
何かをやろうかな…っていう気持が湧くと、頭のどこかから「くだらない…」ってこえがしてた。
 
「くだらない」や「遊びに夢中になるなんて…」っていう内なる声をどうする?
 
というお話は、次回へ―
 
せいやっ!
 
 
たのもー!!
 
札幌のコーチング  森村うさぎです(^^)
 
観光で有名な某施設の近所ということもあって、この時期は外国からのお客様をたくさんお見かけします。
雪を楽しんでる様子が微笑ましい。
わたしも、雪は好き。ってことに最近、気づきました。雪かきも、吹雪も大変だけど。
でもね、雪のある景色は嫌いじゃない。むしろ、キレイだなーって。
 
「好き」「いいなーーー♡」って言うキモチは、シンプルにじわ~っと幸せな感じ。
 
「好き」と「やりたい」ことは、卵とひよこみたな関係かなって思います。
 
 
 
やりたいことができる、できてる、やれている。自分を表現して実現化している生き方=自己実現は、生きててたのしー!うれしー!(ドリカムっぽいわね)です。満たされて生きてるために大事なこと。
 
でも、でも、でもでもでもでも、(って小島よしおっぽいわね)
 
そんなのみつからなーい、なんだかわかんなーい、
 
やりたいことは?で、すぐに答えがみつからないものです。
わたしなんて、「趣味は?」「特技は?」っていう質問されるだけで、ずーんと気持が落ち込んでました。何もない自分が虚しくて、無意味で、ダメな人間だなって辛かったりして。
 

でも、あきらめる必要はありません。
 
探せます。
 
まずは、「好き」から。好もしい、気持がフワッとする。うきっとする。心が緩む。
 
そんな感覚からスタートしてみる。
 
いきなり夢中になったり打ち込めたりしなくても大丈夫。
お金をかけて、何かを始めたりしなくても大丈夫。
もっと小さなステップからで、大丈夫。
 
「あ、わたしの気持、今、動いたな。」
「手にとって見たくなったな。」
「気持がスーッとなってる感じがする」
「なんだか、こっちはいい感じがする」
「これは、……いやじゃないな…」
もっと単純に、
今、目の前にあるもの。何がありますか?空?テレビ?あ、このブログか?
なんでもいいんです。
「これは、好きな方に入る。これは…違うな」
日常のありふれたものに無意識に感じてる感覚を、意識してみるのもありです。
 
 
という気持の動きを意識してみることから。
 
 
何が好き?って言われても漠然としすぎてて、見つけられない人のために、
すっごく簡単な質問をご用意してございます(^^)
 
 
 
ちなみに、「嫌い」なことも知ってるといいですよ。
「嫌い」というのも、大事な感覚です。
感情が動いてるのを意識できますしね。(^^)
「嫌い」って感じちゃ駄目っていうのも思い込みのひとつ。
 
嫌いって感じてもOK
心地よいものを好きって感じてOK
 
 
 
好きという気持、嫌いという気持、どちらも【自分らしさ】。自分の基準であり、軸となるものだから。
 
【好きなもの】から、やりたことをみつけていく。
【嫌いなもの】から、やりたくないことをみつけていく。
 
【自分の感覚を知る】ことから、やりたこと探しは始まるのですなー。
 
 
自分の気持の動きをあらためて意識してみるとっても簡単な10個の質問。ご用意してます。(^^)
その答えから、広げていきますよ(^^)
 
 
好きなこと&やりたことを探すためのお話は、さらに続きますー
 
せいやっ!
 
たのもー!!
 
札幌のコーチング  森村うさぎです(^^)
 
昨日の「高齢の親あるある もう死んじゃったほうがいいわね」」の続きとなります。
 
愚痴のなかに、「死」という単語が出てきたり、「どうせ駄目な人生だった」的な言葉が出てくると、聞かされる方は動揺したり罪悪感を感じやすくなる。
それは、身体のいちじるしい衰え、人生の終わりが近づくことによっておこる悲観的な捉え方によるもの。ある意味、自然の現象。
聞く人は、必要以上に自分を責めなくても大丈夫ですよ。
ということをお伝えしました。
 
今回は、ふつーの愚痴じゃない場合もあるということをお伝えしておきます。
 
それは、「老人性 うつ病」です。
 
衰えや、近づく人生の終わりという悲しみや怖れや不安が、こころの健康に影響します。
心が疲れてしまい、自力では元気を取り戻せない状態は、「うつ」という病気です。
 
メンタルヘルスについては私の専門とするところではありませんので、詳細については書くことは差し控えます。
 
いつもと表情や口調が違う。
食欲が極端になくなった。
眠れていないようだ。
など、ふだんと様子が違ってるようであれば、可能性として「うつ」ということもあります。
(老人性うつで検索してみてください)
 
その場合、ぜひプロ・専門家の力を頼ってください。
地域の包括センターや、市町村等の相談機関、かかりつけの医師などです。
 
1人で抱えても事態は好転しません。
 
余談ですが…
私の父親がうつを発症した時。
病院にダイレクトに受診をお願いしても「空きがない」「予約がないと」と断られ続けました。
(こっちが絶望で変になりそーでしたなー)
市町村の福祉課に相談してやっと受診できたという経緯があります。
協力してくれる人は必ずいますので、1人で全部をやろうとせずとも大丈夫です。
 
そしてね、もし「うつ」であったとしても、自分を責めないでね。
親といえども、その人の人生の責任は負うことは出来ないのです。
(この話は、またいずれ詳しくいたしましょう)
 
 
「うつ」の家族をもつと、周囲も巻き込まれてしまうことがあったりします。
ついつい責任を感じてしまったり、先行きが不安だったり。
できること。できないこと。
やりたいこと。やりたくないこと。
全てを背負う必要はないので、きちんと考えてみましょう。
 
昔と違い、今は社会制度やサービスも整えられてきています。
利用できるものは利用してオッケーです。
自分を大切にすることを忘れずに!ですよ(^^)
 
せいやっ!
 
たのもー!!
 
札幌のコーチング  森村うさぎですカナヘイうさぎ
雪まつりが始まりました。昼間はプラスの気温でたいっへん滑りやすい状況です。
気をつけて歩きましょうね〰
っていうわたしが、買い物帰りにかるく滑ってころんでしまいましたー。てへへー。
滑った時にこらえきれずに転んじゃうのは、やっぱ筋力の衰えですな。
 
年々、衰えていく肉体。
人の体は、産まれたその日から、刻々と変化してます。
 
子供の頃は、それを成長といい、
大人になってからは、それを老化という。
 
体だけでなく、人は、心も変化していきます。生きてる限り。
 
思春期には思春期の、中年は中年の、老齢は老齢の、変化の特徴があるといわれてます。
 
思春期は登っていく、上がっていく、時期。体も大人へと変わる時。
 
思秋期は中年期(まさに、わたくしのことですな)。
自分の人生後半に向けて再び不安定になりやすい時期でもあります。
 
そして老年期は、人生の終盤。エピローグ。
体や脳の衰えと直面する時期です。人によっては、かなり不安定になる傾向がみられるのです。
 
※以下は、病気や経済的問題など深刻な状況にある場合を除いての見解となります。※
 
 
 
 
「もうこんなになったら生きててもしょうがいない」
「自分の人生なんて駄目だった」
という言葉が、年老いた親の口から出てくるケースは特殊なことではないのですな。
 
自分の親がその時期に差し掛かると、こうした不安に直面し、共鳴や共振してしまうこともあるかもしれません。
同じように不安な気持ちになって気持が塞いだり、人によっては自身が責められたような感じがしたり。
 
「わたしが駄目だから?」
「わたしに力が足りないから?」
と感じることは、気持のいいものではありません。
自分を責める気持ちがこうじて、
「どうしてこんな嫌なことを言うのか!?どうしてこんな嫌な気持にさせるのか?!」
って怒りにつながっていきます。
 
 
人はカンペキじゃないし、弱いものでもあります。
悟りきれない存在でもあります。
体が衰え、人生の終わりが見えてきた時、弱音をこぼしてしまうもの。
 
「死んだほうがいい」「私の人生なんて…」
 
という【弱音】がでてくるのは、決して不自然なことではありません。
 
子供の頃から親の悲しみを分担させられてきた人の場合、過去の苦しさも相まってより強い怒りが湧いてくることでしょう。
 
病気や経済的問題など、特に深刻な事態がみられない場合に、
「もう死んでしまいたい」「どうせ自分の人生なんて」という言葉を聞いたら、
 
必要以上に、慌てたり、自分の責任や負担に感じなくても大丈夫です。
 
思春期の子どもが反抗して「うるせーばばー」って言うのに近いものがあるかも。
 
聞くのが辛い時は、「その言葉を聞くのは辛い」って伝える。
あるいは、「そうなんだね」って受け流すのもありです。
サラリと受け止めて、サラリと流す。
真正面から受け止めて、自分の力で何とかしなくちゃいけないってなると重たいですから。
(他にも対処できる言葉や態度を考えておくといいかも)
 
心と体はつながっています。
体の変化に心がいつも対応できるとは限りません。むしろ、体の変化に心がついていかない矛盾した状態であることのほうが多いでしょうな。
矛盾があって当然、自然なのことなのだという心の準備があれば、聞かされる辛さに対処することもできるかなーと思います。
 
人は心も体も変化するー。
 
せいやっ!
 
たのもー!!
 
札幌のコーチング  森村うさぎですウサギ
 
2月になりました。今日は、節分。マメより太巻きな日(*^^*)
 
この季節になると、必ず思い出す言葉があります。
 
【節分すぎれば陽はまた昇る】
 
むかーしラジオで聞いた言葉。(知す人ぞ知る)
 
節分は1年の終わり。(旧暦?)
立春は、1年の始まり。
仕切り直し、新たなスタート。運気も変化するよって意味みたい。
 
わたし、【陽はまた昇る】というフレーズにとても勇気づけられるのです。
 
生きて命ある限り、必ずやり直せるチャンスがくるよって励まされるから。
 
失敗しても、うまくいかなくても、辛かったり苦しかったり、
どんなに頑張っても努力しても、上手く行かない時はあるもの。
人は不完全なものだから。思い通りにならないのが人生だから。
 
それでも、生きていれば、チャンスはくる!っていう根拠のない希望が、
どうしようもなく落ち込んでしまう自分を、消えてしまいたい自分を、
励ましてくれる。
太陽が、燃え尽きない限り、明日はくる。明日は、変えられる可能性があるのだから。
 
っていうのも、
 
この数日間、心身ともに絶不調で、どごーーーーんと落ち込む日々。
 
もともとの体質による不調が悪化してしまい、外科処置をする羽目に。
(お目汚しになるので詳細は省きます。ぜーーーんぜん深刻なものではありませんのよ)
 
病院に行く前も、行ってからも、痛い。痛い。痛い。だるい、だるい…。
 
体が悲鳴あげると、こころを元気にするのは難しい。ほんと、難しい。
子どもたちを安心させるのが精一杯っす。
 
体と心はつながってる。(体調悪化も、ストレスだったのかも…)
どんどん負のスパイラルで、心身ともに不調でした。
 
 
じたばたせずに、じーっと静かに復調するのを待つ。
【節分すぎれば日はまた昇る】を信じて。
 
“つらいよ“っていう気持を受け止めてくれる友人の存在はありがたいものですね。
 
体が回復してくると、気持も前向きに。
ほんと、心と体はつながってる。
 
そういえば、今から数年前、私の祖母は94才で亡くなりました。
秋の終わりに脳梗塞で倒れ入院してたのですが、入院中、おぼつかない口調で春に畑にまくタネのことや、退院する時の服やくつのことをガンガン指示しまくってたと、イトコに聞きました。
多少ボケていたとしても、春に種まきする意志を持ち続けてた祖母をお手本にしたいなと思うのです。【陽はまた昇る】って疑わなかった精神力って、なかなかのものだなー。
 
心とからだはつながってる…というお話を次回もいたしましょー。
 
せいやっ!
 
 
 
 
 
 
 

たのもー!!

 

札幌のコーチング  森村うさぎですカナヘイうさぎ

 

NHKドラマ 「お母さんむすめをやめていいですか?」 注目を集めているようです。

母娘問題についてのカウンセリンラーとして有名な信田さよ子先生が臨床心理考証をされてるので、「あるある」満載。

ドラマの公式ページの掲示板では「わかる」「私の母もそうだった」という意見がいっぱい。

(もちろん、私はこういう母です。っていうのはないのだが)

 

このドラマには、いろんなお母さんのパターンが出てきます。

 

虐待に近い母、二卵性親子の母、モラハラの母。(ちなみに、同じHNKドラマの“べっぴんさん“ではワーキング過多の母になるのかな?)

 

このドラマは親子の負の連鎖についても踏み込んでます。

 

祖母の玲子(大空真弓さん)は、モラハラ系の母親。娘の顕子(斉藤由貴さん)に対して嫌味のオンパレード。60代以降の母親にこういう人多いかもしれませんね。

 

母としての顕子は娘美月(波瑠さん)とべったりで、一卵性親子状態。というよりも、顕子の世界に娘を取り込んでる状態です。

そのせいで美月は円形脱毛症に。(自分を抑圧するストレスってすごいから)

 

いずれにしても、健全とはいえない親子関係です。

 

以下は私の見解です。

 

玲子と顕子、顕子と美月。 2種類の関係は、3世代がつながった負の連鎖ではないでしょうか。

 

モラハラ(嫌味とかダメ出し)が、ストレートに連鎖してないのでわかりにくい。たぶん、顕子も気づいてないでしょう。

 

むしろ、顕子は『わたしは、お母さんとは違う母親になるんだ。あんなこと子どもに絶対にしないんだ。だから、わたしは、お母さんよりもずっといい母親だ』って、思い込んでるはず。

 

顕子は、美月を褒めて、言うことを聞いてあげて、教育にいいっていうことを実行して、【いいお母さん】になろうと頑張ってきた。

 

自分がしてほしかったことを、自分が欲しかったお母さん像を、自分が理想とする母娘関係を、娘である美月に求めた。

 

美月は、優しい(表面上)お母さんの言うとおりにすると喜んでくれることが、自分の喜びだったのですね。

 

おそらく、美月が失敗したときに顕子は激しく責めたりしなかったはず。「子どもを責める」のは顕子が母親からされて辛かったことだから。絶対にしちゃいけないことだったはず。

責める代わりにしたのが、解決策を指示すること。

職場から母親に「どうしたらいいの?」ってラインでSOSを出してたのもそうした背景があったからでしょう。

いつしか、お母さんの言うとおりにすることから抜けられない操り人形のようになってしまった…

自分の考えや気持もわからなくなって、お母さんが指示してくれない世界は不安でいっぱいにみえてたんだろうな…。(真島さんをフッたのはそのせい。もったいないわ…。真島さんかっこいいのに…←個人の感想です)

 

顕子は、母のような母になりたくないと思いながら、実は母親に気に入られることをやり続けています。

嫌味にも言い返せず…。

どうやら、美月を教師にしたのも母親の期待にこたえたい気持があったから。

 

母親に優越したい思いと、母親に認められたい思いと、両方を抱えちゃってる顕子さん。

それだけでいっぱいいっぱいなんでしょうか、まったく美月のこころの中に気づかない…。

 

まさに、過干渉は無関心状態ですね。r

 

(同じような3世代の負の連鎖の話は作家吉永みち子さんとお母さんと息子さんのお話しがあります。)

 

 

 

親子の負の連鎖は単純ではないのですなー。ねじれた負の連鎖です。

「反面教師」は、いい先生とは言い切れない…。

 

これから、美月がどう覚醒していくのか、顕子がどうなっていくのか、大変興味深いです。

 

美月も顕子もそれぞれが幸せをみつけられたらいいのに。

 

せいやっ!