高齢の親あるある「もう死んじゃったほうがいいわね」という発言 | 愚痴と干渉重たい母親から卒業したい人のコーチング&カウンセリング ★幸せの感度をアップで★

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がまんで失くした自分をとりもどしていくプロセスを追求していきます
それが、母からの卒業

たのもー!!
 
札幌のコーチング  森村うさぎですカナヘイうさぎ
雪まつりが始まりました。昼間はプラスの気温でたいっへん滑りやすい状況です。
気をつけて歩きましょうね〰
っていうわたしが、買い物帰りにかるく滑ってころんでしまいましたー。てへへー。
滑った時にこらえきれずに転んじゃうのは、やっぱ筋力の衰えですな。
 
年々、衰えていく肉体。
人の体は、産まれたその日から、刻々と変化してます。
 
子供の頃は、それを成長といい、
大人になってからは、それを老化という。
 
体だけでなく、人は、心も変化していきます。生きてる限り。
 
思春期には思春期の、中年は中年の、老齢は老齢の、変化の特徴があるといわれてます。
 
思春期は登っていく、上がっていく、時期。体も大人へと変わる時。
 
思秋期は中年期(まさに、わたくしのことですな)。
自分の人生後半に向けて再び不安定になりやすい時期でもあります。
 
そして老年期は、人生の終盤。エピローグ。
体や脳の衰えと直面する時期です。人によっては、かなり不安定になる傾向がみられるのです。
 
※以下は、病気や経済的問題など深刻な状況にある場合を除いての見解となります。※
 
 
 
 
「もうこんなになったら生きててもしょうがいない」
「自分の人生なんて駄目だった」
という言葉が、年老いた親の口から出てくるケースは特殊なことではないのですな。
 
自分の親がその時期に差し掛かると、こうした不安に直面し、共鳴や共振してしまうこともあるかもしれません。
同じように不安な気持ちになって気持が塞いだり、人によっては自身が責められたような感じがしたり。
 
「わたしが駄目だから?」
「わたしに力が足りないから?」
と感じることは、気持のいいものではありません。
自分を責める気持ちがこうじて、
「どうしてこんな嫌なことを言うのか!?どうしてこんな嫌な気持にさせるのか?!」
って怒りにつながっていきます。
 
 
人はカンペキじゃないし、弱いものでもあります。
悟りきれない存在でもあります。
体が衰え、人生の終わりが見えてきた時、弱音をこぼしてしまうもの。
 
「死んだほうがいい」「私の人生なんて…」
 
という【弱音】がでてくるのは、決して不自然なことではありません。
 
子供の頃から親の悲しみを分担させられてきた人の場合、過去の苦しさも相まってより強い怒りが湧いてくることでしょう。
 
病気や経済的問題など、特に深刻な事態がみられない場合に、
「もう死んでしまいたい」「どうせ自分の人生なんて」という言葉を聞いたら、
 
必要以上に、慌てたり、自分の責任や負担に感じなくても大丈夫です。
 
思春期の子どもが反抗して「うるせーばばー」って言うのに近いものがあるかも。
 
聞くのが辛い時は、「その言葉を聞くのは辛い」って伝える。
あるいは、「そうなんだね」って受け流すのもありです。
サラリと受け止めて、サラリと流す。
真正面から受け止めて、自分の力で何とかしなくちゃいけないってなると重たいですから。
(他にも対処できる言葉や態度を考えておくといいかも)
 
心と体はつながっています。
体の変化に心がいつも対応できるとは限りません。むしろ、体の変化に心がついていかない矛盾した状態であることのほうが多いでしょうな。
矛盾があって当然、自然なのことなのだという心の準備があれば、聞かされる辛さに対処することもできるかなーと思います。
 
人は心も体も変化するー。
 
せいやっ!