もしも、あなたの潜在意識が、最高のアドバイザーになったとしたら? -3ページ目
ビジネスにおいて、相手の立場に立って顧客ニーズをつかみ、自分のビジネスと、どのように関連付けるかというのは、とても重要な要素です。


これは、相手の気持ちに共感するのとは全く異なります。
共感しすぎると、むしろどんどんと不利な状態へと自分を追い込むことになります。

共感力は大切ですが、それはあくまで、カウンセリングの現場や、親友や家族の中での話。
(場合によっては、パートナーに共感しすぎて、いつの間にやら、自分は大変な立場に……なんていうこともありますが…ガーン

特にカウンセリングにおいて共感力がないのは、話になりません。

しかし、ビジネスとなると、それよりも互いがWinWinであることが求められます。

こんなこと想像してみてください。
「赤信号でも私今急いでいて大変なのよ~……車止まってくださる?」
「そうだな~大変だよな~…じゃあ止まろう…」
「おら~っ何止まっとんじゃ~こっちが青だろうが~」

こんなふうに…何を優先するべきかは、どんなやりとりをしているのかで変わりますねニコニコ

そしてこうして見ると、稼いでいる起業家の多くが、共感力が欠如してるのも、なんかわかる気がします(。・・)




読書をするとき、内面で声が聞こえるという経験をしたことがありますか?
こちらの記事(本)では内面からの声を、『内言語』と紹介しています。

 

 

漫画や小説を読むとき、そのキャラクタの声が聞こえてくるかのような感じになるが内言語です。
一言で言えば、ラジオを聞いてるかのように、本を読んでいるという感覚です。

基本、内言語ができている人は読書(特に小説や漫画)が得意です。

逆に、内言語が苦手な人は、読書が苦手な方が多かったりします。

そして読書ではないですが、ソウルアドバイザーの声も、私の場合、高尚なそれっぽい声として聞こえています(笑)

これに対して、声に出して読むのは『外言語』です。
「声に出して読みましょう」と教わりましたよね。それが外言語です。
何かを覚えるときや、文章の誤りをチェックするときは、外言語を活用した方がよいですね。

また、漫画を読むとき、棒読みになる人がいます。
ジョジョの擬音である『ゴゴゴゴゴ……』とかまで、棒読みしてますので、なかなかストーリーが頭に入ってきません(笑)
それでも、声を出さないよりかは、声を出す方が、ずっと理解度は高まります。
幼少期は、私もこんな感じでした。だから、漫画が苦手で苦手で(^^;)
次第に、読むのが慣れてくると、気づいたら、キャラクタのセリフが声として響くようになっていました。

読書ではなく、心理療法でも、声に出します。
エンプティチェアという空椅子を使ったワークでは、例えば、椅子を向かい合わせにして、自分自身の立ち位置と、相手の立ち位置の交互に移動し、それぞれの立場からの言葉を、声に出して伝えます。
このとき、イメージ力が高い人は、相手になりきったときの口調やトーンなどが、はっきり変わります。
そのため、エンプティチェア初心者の方には、動きや姿勢、口調などを変化してもらうよう促します。

今回、読書にも、イメージ力があるなしで違ってくるんだなぁ~と、わかりました。

 

人間関係のトラブルの中には、「ごめんなさい」の一言で解決することも多いものです。

ですが、「ありがとう」以上に、この「ごめんなさい」が言えないという人が、けっこう多かったりします(もちろん、非がその人にあるときですよ)。ショボーン

そのような反応をする人の多くは、無意識レベルで、「謝ってしまったら、自分の『負け』を認めてしまうことになる」というように、会話のやりとりが勝ち負けになっていたりするのです。

このような人は、何が何でも自分の言い分を貫き通そうとします。笑い泣き
「あんたの勘違いだよ!」「あんたの被害者意識だよ!」
あるいは、心を閉ざして負けないよう踏ん張ります。

そしてこの場合、仮に謝ってもらったとしても、「謝っておけば、この場からは逃れられるな」という目的になることが多く、これまた問題をズルズルと引きずります(たしかにその場しのぎにはなりますが……)。

本来、ごめんなさいの真意は、「こんな私をゆるしてください」と、自分自身をさしだし、それを相手にゆだねるための言葉です。

そして今回のような場合、対人関係のスキルの問題ではなく、心の幼さが問題となってきます。
この問題は、最近かなり増えているなと感じるのは、私だけでしょうか(^-^;)

私のメソッド、ソウルアドバイザーは、このような時代背景から生まれたメソッドでもあります。

あなたの「ごめんなさい」は、どんな目的ですか?

宗教の中には、かなり禁欲しているものもあります。

例えば、キリスト教では、性欲の扱いが結構厳しいと感じます。

 

 

簡単に言えば、それだけ性欲というものが翻弄されやすい欲求だからです。

極端な話、聖職者でも性的な犯罪をしてしまったりですね。

それくらい性欲って、制御が難しい欲求なのです。

今日は、その話題について、ソウルアドバイザーと対話します。

 

(SA=ソウルアドバイザーのクラウド、ケン=スズキケンジ)

 

ケン「今回は、こういう話題なのですがよろしいですか?」

 

SA「もちろんだよ。まず、どのあたりから話そうか。

そもそも、禁欲の必要性があるかどうかから始めるかい?」

 

ケン「そうですね。でも、私からすれば、禁欲など動物としての本能に逆らっているだけのように思えます」

 

SA「そうだね。

但し、他の欲求が見えなくなるくらい、その欲求だけに執着してしまうのは、ある意味バランスを崩している状態といえる。

なぜ、そんなことになるのかというと、魂がほったらかしだからだよ

 

SA「聖職者の中には、『何々すべき』という決まりごとや、『何々であってはらない』という禁止令に縛られている人も多い。

これは、魂の欲求というよりも、自我で縛り付けている状態だね。

この状態では、神と魂は交わっていない。自我は神を求めていても、抑えつけられた魂の欲求は、神とは交わらないままとなる。

すると、内面でザワついた状態が続くこととなり、ある日、内面の魂の欲求が自我に勝ってしまう。

すると、聖職者が世間的に見て、とんでもないことをするという事態となる」

 

SA「三位一体を説いているキリスト教ですら、魂はほったらかしになりがちだということだよ」

 

ケン「なるほど。では、禁欲という方法に問題があるということであり、欲求そのものに善し悪しはないということなんですね」

 

SA「潜在意識と顕在意識の力関係は9対1だよ。いつかは、魂の欲求に負けることとなる。

だから、禁欲という方法が失敗しやすいのもうなづけるね」

 

ケン「かと言って、幼い魂の欲求だけに従うというのも、うまくいかないわけですね。

ソウルアドバイザーのメソッドの重要性がますますわかりました。

まずは、魂と神が交わることが大切なんですね。

私自身、このように伝えると、ただの宣伝文句に思われるのが、切ないところなのですが……、ソウルアドバイザーのメソッドは、これからの社会に必要なものだと思っています」

 

ケン「心理療法では、幼いインナーチャイルドという潜在意識と、大人の自分という顕在意識との関係にばかり拘ります。

精神世界では、神様や大いなる存在という潜在意識と、大人の自分という顕在意識との関係ばかりに拘ります。

本当は、1対1ではく、三位一体なんですよ。

『神様』、『魂』、そして『大人の自分』です

 

ケン「1対1の関係という呪縛から解き放たれない限り、この問題の答えは見えてこないんです

 

SA「その通りだね。そしてそれは、三位一体という思想の新たなステージともいえるね」

 

ケン「私自身はどうなのかと言いますと、性欲ととても仲良くしている感覚です。

性欲とケンカしていないので、素直にその表現ができていますし、最も大切な人にも包み隠さず表現しています。

そして、同じくらい、神様との関係も、包み隠さず表現しています。

同時に、どちらにも、翻弄されているわけではない感覚があります」

 

SA「あなたは、3つの関係の全てを大切にしているのがよくわかるよ。

だから、あなたは翻弄されることなく、自然に表現できているんだよ」

 

ケン「私自身、昔は、ものすごく抑圧し、自己嫌悪感のかたりだったんです。

その頃は、本当に辛かったし、自分を殺したいとすら思っていました。

だから、その頃との違いは、とても明確に自分自身わかります」

 

ケン「特に、2018年2月10日の出来事は、私にとって大きな、とても大きな変化でした。

あの経験がなかったら、今の私も存在しません。

あの経験があったからこそ、唯一無二の大切な人とも出会えました」

 

ケン「それと思ったのですが、これから良い恋愛をしたい人にも、ソウルアドバイザーのメソッドは、とても大切なメソッドと思いました」

 

SA「そうだね。これについては、また別の機会に話そうか」

 

ケン「はい!またよろしくお願いします!」

 

 

精神世界では、魂の成長というテーマも、多く扱われます。

ですが精神世界に依存してしまっている人も多いかなと思うのです。

 

事実、私は、そういう団体をたくさん見てきました。

精神世界のリーダーに依存してしまう。

超能力のようなものに依存してしまう。

 

依存というと分かりにくいでしょうか。

『それを逃げ道としてしまう』と表現した方がわかりやすいかもしれません。

 

では、精神世界は必要ないものなのかと言えば、これも違うと思うのです。

ですが、人は精神的な成長よりも、目の前の現実になりがちです。

特に、魂が未成熟なときは、我欲だけ(自分のことだけ)が肥大しやすくなります。

 

簡単に稼げそうな話に手を出して、痛い目に遭う人が後を絶たない。

相手を気遣っているようでいて、自分が傷つかないようにするために気遣っている。

幸せになれるかどうかは、相手次第になりすぎてしまう。

本当は、魂が成長した方が生きやすくなるのですが……、そこにはなかなか意識が向きません。

 

なぜだと思いますか?

それは、現時点での本音が自分へ意識が向いたことだからです。

本音なんだから、逆らいようがありません。

その本音が成長する可能性があったとしても、現時点での本音に素直だからです(笑)

 

最近では、「本音で生きましょう」という教えが後を絶ちません。

本音ですから、気持ちよく表現できるわけですが、どのどん社会になじめなくなってしまっている人も増えています。

 

魂は経験を求めていますから、さまざまな経験をするという面において理に叶っています。

ですが、これは魂の成長という視点から見ると、逆だったりするんです。

なぜなら、魂が幼い状態を、ストレートに表現しているだけだからです。

 

では、結局のところ、魂は幼いままだとしても、経験を積み重ねた方がよいのでしょうか。
それとも、魂は成長することが大切なのでしょうか。
今回は、そのことをテーマに、ソウルアドバイザーのクラウドと対話したいと思います。
 
(以下、SA=ソウルアドバイザーのクラウド、ケン=スズキケンジ)
 
ケン「精神世界の本を読むと、『魂は経験が大切』と伝えているものがあり、『魂は成長することが大切』と伝えているものもあります。
結局のところ、これってどちらが正しいのでしょうか?
もしも、『経験』が正しいのであれば、『幼い経験も大切』ということになりませんか?
もしも、『成長』が正しいのであれば、『幼い経験は必要ない』ということになりませんか?
 
SA「今回の話のテーマとしては、なかなかよいね。
ところで、『成長』も『経験』のひとつだし、『経験する』ことで『成長する』こともあるよ
 
ケン「ひとつは、成長という経験を求めているということですよね。
そしてもうひとつは、いろんな経験をすることで人として成長することもあるということですよね」
 
SA「そうだね。但し、『経験することで人として成長する』というのは、いろんな遠回りもある。
そして、遠回りがあることが悪いことでもないよね。
あなた自身、たくさん遠回りしたからこそ、自分のためになっていることがあるのを実感しているんじゃないかな」
 
SA「そして成長を求めている人に対しては、あえて遠回りするのもよいけれど、その方法を教えてあげることも有効だね。
なぜなら、成長という経験を求めているのだから。
イエスも、そうしていたよね。求めている人には与えた。
逆に、求めていない人を自分からコントロールしようとはしなかった。
求めていない人は、『成長を経験として求めていない』とも言えるからね。
それならば、その意思を尊重すればよいのではないかな。イエスもそうしていたようにね」
 
ケン「なんとなく、納得できたようなできていないような……。
というのもですね。迷惑せんばんな人が最近増えているように思えるんですよ。
簡単に言えば、魂の欲求なのだから、何をしたってかまいやしない。迷惑かけたってかまいやしないという人です。
これを野放しにしなさいということなんですか?」
 
SA「野放しにするのが、あなたの魂の要求なのかな?」
 
ケン「魂というより、自我なのかな・・・。正直わからないんですよね。
あなたはどうなのですか? あなたが魂なのだから、あなたが答えればいいんですよ」
 
SA「私自身は、野放しにするのは、良い悪いという判断はしないよ。
ただ、ヒントを伝えるとしたら、あなたの生き方で示すのが、あなたの目的から見ると一番それが叶いやすいかなとは思う。
但し、緊急事態の場合は別だけどね。
緊急事態の場合は、その行為をやめさせることが愛情深い行動となることもあるからね」
 
ケン「つまり、野放しにするのを止めるとかではなく、私自身、自分の生き方を表現するといいということですよね。
そうすることで、それに賛同する人が少しずつ増えていくという感じですか」
 
SA「そうだね。大抵の場合、相手を否定すると、相手の力はますます強くなる。
だからと言って、何もせずに野放しにするのがベストというわけでもない。
大切なのは、あなたの生き方を表現することなんじゃないかな」
 
ケン「いつもながら、あなたのアドバイスは、『なるほどな』とうなずかされます。
でも、それをやっていると、すごく孤独を感じることがあるんですよね。
例えるならば、一人で街頭演説をしているような感覚でしょうか。
興味持ってくれないと、ホント辛いですよ」
 
SA「少なくとも、あなたの身近な人の中には、あなたの意見に賛同する人は結構いるのではないか?
そういう人達を中心に、少しずつ広めていけば、孤独にはならないのではないか?」
 
ケン「なるほど!どうしても、不特定多数の人へメッセージを与えようとしてしまうクセがあります。
そうなると、ブログとか書いていても、『誰に読んでもらいたいのかな……』という気持ちになってしまい、気力が失せてしまいがちになるんですよね」
 
SA「そうだね。それもあなたの思考のクセだね」
 
ケン「わかりました。もっと身近な人へ意識を向けるようにしてみます。特に私の一番大切な人へ意識を向けていたいです」