起業セミナーで出てくる言葉【マインドセット】
わかるような、わからないような言葉だと思ったことありませんか?
このマインドセットは、組織でも用いられる言葉ですが、ここでは個人のマインドセットについてお話します。
マインドセットとは、これまでの人生経験の中で作られた思考パターンのことです。
無意識の【思い込み】や【思考のクセ】です。
起業においては、このマインドセットが大切です。
では、マインドセットが、整っていないのは、どのような状態なのでしょう。
起業の場合ですと、例えば
【思い込み】は次のようなものです。
「失敗しそうだから、新しいことはしたくない」
「起業はリスクだらけだから、やめた方がよい」
【思考のクセ】は次のようなものです。
少しの失敗で、「もうダメだ!」と思ってしまう。
「でも…」「だって…」が口グセになっている。
「では、何事も前向きであれば良いということですか?」
という意見が出そうですね。それは……
このあたり間違えてしまうと、とんでもない勘違い人間になります。
【考えすぎて行動できない人】は、
自分の中の思考クセや思い込みを変えて、行動することへのハードルを下げる必要があります。
【思慮不足で破滅的な行動をしてしまう人】は、
立ち止まって考えることが時として必要になります。
そのようなことから、よほど観察力を磨いている人か、もしくは、センスがある人を除き、90%以上の方はコンサルが必要となります。
本日は、スピリチュアル寄りなお話です。
創世記には、初めの人類としてアダムとイブ(エバ)が登場します。
このアダムとイブは、善悪の知識の実を食べてしまうことで、神様との関係が断絶してしまいます。
では、アダムとイブが、善悪の知恵の実を食べる前と、食べた後では、何が違っていたのでしょう。
まず、善悪の知恵の実を『食べる前』ですね。
・神様に忠実な存在であった。
・互いが裸であることを恥ずかしく思わなかった。
・死という概念がなかった。
つづいて、善悪の知恵の実を『食べた後』。
・神様との関係が断絶状態になった。
・善悪など、相対的な世界を理解するようになった。
・互いが裸であることを知り、そのことを恥ずかしがった。
・相対的な世界観として、死を理解する存在となった。
・相対的な世界観として、苦労を理解する存在となった。
これを見て感じることは、善悪の知恵の実を食べる前のアダムとイブは、神様という概念がある(だからこそ霊的存在と言われる)ということを除き、どこか動物的であったのかなと感じます。
というのも、動物は死後の世界などを意識しませんし、裸であることを恥ずかしがったりしないからです。
そして、善悪の知恵の実を食べた後は、自我に目覚め、自分の意思で行動するようになります。
さらに、死の概念や、羞恥心など、それまで持っていなかった感覚を得るようになります。
これを聖書の中では、神との関係が断絶した状態とし、『原罪』と表現しています。
ですが、ベストセラー『神との対話』では、この原罪をむしろ『祝福であった』と表現しています。
というのも、神と一体であることを体験的に知るには、神と一体ではないという経験が必要だと述べているのです。
面白い考え方ですね。
ここで、私が開発したメソッド、ソウルアドバイザーに当てはめてみましょう。
ソウルアドバイザーでは、このメソッドを活用する前の関係を、次のように示しています。
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1.神様
↑(祈るものの、なかなか返答が得られない一方向通信)
2.精神と肉体の自分
↓(内的対話という双方向通信)
3.幼い魂(インナーチャイルド)
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これは、善悪の知恵の実を食べた後の、関係性でもあります。
『神様』と『幼い魂』との関係を、『精神と肉体の自分』が断絶しているような状態です。
つづいて、ソウルアドバイザーのメソッドを伝授した後は、次のような関係となります。
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1.神様
(魂は、神と交わることで成長)
2.成長した魂(ソウルアドバイザー)
(成長した魂と自分自身との双方向通信)
3.精神と肉体の自分
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これを見てわかるのは、『幼い魂』が、『成長した魂』となり、初めに紹介した関係性と比べると2と3が入れ替わっていますね。
だからこそ、自分の内面(魂)との対話が、高尚な対話になるのです。
そして恐らくこれは、新約聖書に記載されている『聖霊降臨』(ペンテコステ)も、同じ状態と思われます。
聖霊降臨後の、イエスの弟子たちは、生まれ変わったかのように自立した行動をしているからです。
それでは最後に、アダムとイブが、善悪の知恵の実を食べる前の状態はどうなのかと申しますと、恐らく次のような関係性です。
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1.神様
(魂は、神様と交わることで成長)
2.魂(成長した魂というよりも、無垢な魂という感じ?)
(魂は神の意思を伝える)
3.相対的な世界観を知らない(善悪を知らない)精神と肉体
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恐らくですが、このような関係であったのかなと思っています。
3の、『相対的な世界観を知らない精神』というのは、善悪の知恵の実を食べていない状態です。
善悪の知恵の実を食べてしまうと、自分が神のような意思を持つ存在となり、相対的な世界を理解するようになります。
このことで、2の魂と3の自分自身との関係が入れ替わります。
そして、相対的な世界で、自分自身の意思で動くようになります。
ですが、神様に対しては、『祈り』という一方向通信になってしまい、神様から選ばれた特別な人のみ(モーセやノアなど)が双方向通信(神様との対話)することとなります。
これが、キリスト教で言うところの『原罪』なのかなと思う、今日この頃です。



