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今夜、ホールの片隅で

東京在住クラシックファンのコンサート備忘録です。

■NHK交響楽団 第2048回定期公演(25/11/9NHKホール)

 

[指揮]シャルル・デュトワ

[ピアノ]小菅 優*

[オンド・マルトノ]大矢素子*

[女声合唱]東京オペラシンガーズ

 

メシアン/神の現存の3つの小典礼*

ホルスト/組曲「惑星」

 

N響名誉音楽監督シャルル・デュトワが、昨年10月のNHK音楽祭に続き、2017年以来8年ぶりに定期公演に復帰。先月は98歳のブロム翁の健在ぶりに触れたばかりだが、こちら89歳のデュトワも年齢を感じさせない精力的な指揮ぶりを披露した。

 

前半は未知のメシアン作品。「小典礼」だから短い曲なのかと思いきや、全3楽章で35分超を要するそこそこ長い曲。編成が特殊で、指揮台の下手側にピアノ、チェレスタ、上手側にオンド・マルトノ、ヴィブラフォン。木管・金管を欠き、弦楽器の奥に女声合唱、下手奥に打楽器。最初から歌いっぱなしのコーラス、音符の数がやたらと多くて難しそうなピアノ・ソロ、いつ鳴っているのか予断を許さないオンド・マルトノもさることながら、チャッチャッと乾いたアクセントを付け続けるマラカスの響きが印象に残る。ただこの曲、催眠効果があるのか、執拗な睡魔の誘いに何度も負けそうになった。

 

休憩を挟み、久々のホルスト「惑星」。「火星」冒頭の5拍子の刻みから、デュトワ特有の左手を素早く前後させるジャブのような動きが全開で、オケから張りと艶のあるサウンドを引き出す。「火星」最後の連打される総奏の強靭さと粘り、「木星」の悠然たるテンポ感と最後に打ち込まれる一撃の強烈なG(重力)等々、オーケストラを聴く醍醐味に溢れ、純粋な管弦楽組曲としての完成度を改めて思い知らされる。「金星」や「土星」など、いつもなら標題音楽的に聞き流してしまうディティールが、克明かつ新鮮に浮き彫りになる。天才的着想と音楽的内実が融合した、掛け値なしの「名曲」である。

 

下手舞台袖から聞こえてきた「海王星」の女声合唱は響き過ぎない線の細さが良かったし、アシンメトリーな配置のパイプオルガンも特に「土星」で絶妙な立体感を演出していて、この日ばかりはNHKホールの音響も奏功。それもこれもデュトワ・マジックの手の内だろうか。音の魔術師、健在。むしろ齢を重ねて、その魔力・妖力はスケールを増した感さえ漂う。

■ナタリー・デセイ&フィリップ・カサール Farewell CONCERT(25/11/6東京オペラシティコンサートホール)

 

[ソプラノ]ナタリー・デセイ

[ピアノ]フィリップ・カサール

 

モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」より バルバリーナのカヴァティーナ「無くしてしまったわ」、スザンナのレチタティーヴォとアリア「とうとうその瞬間が来た~さあ早く来て」、ケルビーノのアリア「自分で自分がわからない」、伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア「スザンナは来ない!~いずこぞ喜びの日」

ショーソン/ハチドリ

ラヴェル/天国の美しい3羽の鳥たち

ベッツ/傷ついた鳩

プーランク/かもめの女王

ラヴェル/悲しき鳥たち(ピアノ・ソロ)

プーランク/モンテカルロの女

(休憩)

メノッティ/歌劇「霊媒」より モニカのワルツ

バーバー/ノックスヴィル-1915年の夏

プレヴィン/歌劇「欲望という名の電車」より ブランチのモノローグ「私が欲しいのは魔法」

(以下アンコール)

レイナルド・アーン/リラの木のナイチンゲール

メノッティ/歌劇「泥棒とオールドミス」より 私を盗んで、素敵な泥棒さん

ドリーブ/歌劇「ラクメ」より あなたは私に最も甘い夢を与えてくれた

 

ナタリー・デセイの歌声を初めて聴いたのは、彼女が歌劇場の舞台から引退しリサイタルに専念してからのことで、2017年4月、同じオペラシティで行われたカサールとのデュオ・リサイタルだった(その後、オッフェンバック「天国と地獄」のDVDを観て、全盛期のデセイの凄みの一端を知ることになる)。約8年半ぶりに聴く2度目のリサイタルは「フェアウェル・コンサート」と銘打たれ、このコンビによる最後のツアーであり、オペラ・アリアを歌う最後の機会になるという。

 

まずモーツァルト「フィガロの結婚」からの抜粋。歌い始めからさっぱりとした可憐な歌声は健在で、知らずに聴いたら今年60歳のソプラノとは思わないだろう。狂いの無いピッチの美しさにも惚れ惚れ。続いてショーソン「ハチドリ」に始まる鳥をテーマにしたフランス歌曲集。これはもうこのコンビの十八番で、1曲ごとに拍手せずにはいられない短くも濃密な世界観を堪能。カサールのソロで「悲しき鳥たち」もさりげなく添えられた。

 

前半最後のプーランク「モンテカルロの女」が、個人的には当夜一番の聴きもの。ジャン・コクトーのテキストに曲を付けたモノローグともモノ・オペラとも言うべき作品で、内容は「人生最後の日をカジノとホテルで過ごす年かさの女性の独白」。プーランクならではのシニカルな曲想は、洒落たフレンチ・ミステリの短編小説の味わい。曲中で連呼される「モンテカルロ」の響きが何とも魅惑的で、デセイが変幻自在の歌唱と共に半径1メートルの身振り手振りで、この個性的なヒロインを演じ切ってみせた。

 

後半は英語の歌詞による作品を3曲。中でも約15分を要するバーバー「ノックスヴィル-1915年の夏」が素晴らしい。声と管弦楽のための原曲をピアノ伴奏版に編曲したもの。ジェイムズ・エイジーの同名小説から抜粋したという歌詞はなかなかに深遠だが、バーバーの音楽はノスタルジックで親しみ易く、切々と歌われてゆくもう戻らない子ども時代の回想が、歌手自身の過去への眼差しと重なるようにも。メノッティとプレヴィンの2曲では、デセイが情熱を注ぐミュージカルの世界へと接近する。

 

カサールのモーツァルトがピアノ・ソナタに脱線したり、アンコールで上着に隠した楽譜を取り出したり…というお遊びが懐かしい。デセイは曲間にマイク片手にトークを挟み、残念ながら全ては聞き取れなかったけれど、最後に「このホールが素晴らしく、ベスト・パフォーマンスをお届けできた」と言っていたのは分かった。アンコール3曲目のドリーブは、前回のリサイタルでも最後に歌われた曲。その歌い終わりの、この世のものとは思えない極上のピアニッシモが、今もまだ耳に残る。

 

このような形でデセイを聴くことはもう無いのだろうし、オペラ時代の全盛期にも間に合わなかったけれど、たった2回のリサイタルで、この歌姫は忘れがたい贈り物を残してくれた。

■鈴木愛美 ピアノ・リサイタル(25/10/31東京オペラシティコンサートホール)

 

シューベルト/高雅なワルツ集 D969

フォーレ/主題と変奏 嬰ハ短調

フォーレ/ノクターン第6番 変ニ長調

フォーレ/ワルツ・カプリス第2番 変ニ長調

(休憩)

シューベルト/ピアノ・ソナタ第18番 ト長調「幻想」

(以下アンコール)

リスト/ウィーンの夜会(シューベルトのワルツ・カプリス)より 第6番

シューベルト/楽興の時 第3番ヘ短調

 

今回初めて聴くピアニスト・鈴木愛美さんは、昨年の浜松国際ピアノコンクールで日本人初となる第1位を受賞した人。受賞後初となる東京の大規模ホールでのリサイタルを聴いてみようと思ったのは、そのプログラムに惹かれたから。実に渋い(そして私好みの)フォーレ&シューベルト・プロ。コンクールで弾いた曲もあるようだが、キャリア豊富なピアニストでもなかなか採り上げないこれらの作品を、このような場面で用意してくるとは。

 

シューベルト「高雅なワルツ集」は初めて聴く作品かも。1分に満たない掌編のワルツが全12曲続けざまに弾かれ、挨拶代わりのアミューズに相応しい。フォーレのピアノ曲は、どちらかと言えばベテランのピアニストによる滋味溢れる演奏が似合うイメージがあるけれど、この日のような柔らかく瑞々しいフォーレもまた佳き。しなやかに各変奏を弾き分けた「主題と変奏」は、ピアノのための屈指の名変奏曲であることを再認識。その最終変奏と同じ匂いのままノクターン第6番へと続く。さらに変ニ長調でつながるワルツ・カプリス第2番で、プログラム前半を軽やかに締めくくった。

 

後半のシューベルトのソナタも、最後の3大ソナタではなく敢えて第18番というのが渋い。小声でそっと穏やかに語り始めた冒頭から、どこまでも弱音が保たれたまま、決して声を張ったり荒げたりすることが無い。弱音域における音色のニュアンスが驚くほどに繊細。ふと現れるシューベルト特有のデモーニッシュな闇においても、タッチはあくまでも抑制されている。そのまま最後まで、どの楽章も同じような静けさに支配されている。そしてどの楽章もいつしかあっけなく終わってしまう。そこに遺された「不在感」の、無色透明な哀しみ。ちょっと聴いたことが無いタイプのシューベルトだ。

 

ほかのピアニストとは異質な無二の個性の持ち主で、誤解を恐れずに言えば、いい意味でのアマチュアっぽさを感じさせるピアニズム。コンクールでの演奏は未聴だが、彼女のピアノが評価された浜松国際ピアノコンクールにも興味が湧いたし、最近よく聴いていたショパン・コンクールとはまるで別世界の楽器や種目のようにさえ思える。どこかぎこちないステージマナーと、内緒話のように密やかなタッチが、今後どのように変わっていくのか(いかないのか)注目していきたい。

N響桂冠名誉指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットが今年も無事来日し、10月定期の3プログラム6公演を皆勤。そのAプロとCプロを聴く。

 

■NHK交響楽団 第2046回定期公演(25/10/19NHKホール)

 

[指揮]ヘルベルト・ブロムシュテット

[ソプラノ]クリスティーナ・ランツハマー*

[メゾ・ソプラノ]マリー・ヘンリエッテ・ラインホルト*

[テノール]ティルマン・リヒティ*

[合唱]スウェーデン放送合唱団

 

ストラヴィンスキー/詩篇交響曲

メンデルスゾーン/交響曲第2番 変ロ長調「讃歌」*

 

Aプロはどちらも旧約聖書の詩篇を題材とした声楽付きの異形の交響曲。ラテン語とドイツ語という違いはあるが、歌詞も一部共通している。それを日本語字幕付きで味わえる貴重な機会。元々どちらも好きな作品だが、この組み合わせは新鮮で、なるほど内容的にも演奏時間的にも1回の公演に相応しい好プログラムである。そして昨年のオネゲル3番もそうだが、90代後半の巨匠指揮者が振るレパートリーとは思えない。マエストロが歩行器を押しながら登場しただけで胸が熱くなる。補助のスタッフに支えられてゆっくりと指揮台に上がり腰掛けるが、演奏中の上半身の動きはしっかりしたもの。

 

2曲とも出演したスウェーデン放送合唱団が、引き算の美学とも言うべき少数精鋭の美演。詩篇交響曲の最終楽章は永遠に聴いていたくなるような美しさ。「讃歌」では粒揃いの独唱陣が彩りを添える。そして職務としての指揮者に徹し、作品そのものの姿を飾り気なく引き出してみせたブロムシュテットらしい演奏。トロンボーンによる「讃歌」の冒頭動機が、これほど気負わず自然体で響いたことがあっただろうか。この歳になってなお「大いなる黒子」であり続けるところに、この指揮者の偉大さがある。

 

■NHK交響楽団 第2047回定期公演(25/10/24NHKホール)

 

[指揮]ヘルベルト・ブロムシュテット

[ピアノ]レイフ・オヴェ・アンスネス*

 

ブラームス/ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調*

(アンコール)ショパン/24の前奏曲より 第8曲嬰ヘ短調*

ブラームス/交響曲第3番 ヘ長調

 

Cプロは「秋色」のブラームス・プロ。前半の協奏曲はまずアンスネスのピアノが良い。骨太で質実剛健、でも鈍重ではなく、決してオケに埋もれることが無い。N響も前週よりぐっと厚みのあるサウンドで応える。どちらかと言えば活発な偶数楽章に妙味があり、夢みるような第3楽章もあくまで覚醒した意識に貫かれている。意外な選曲のアンコールも、ショパン・コンクールの後に聴くと新鮮。日程の都合でリサイタルを聴けないのが残念。

 

後半のブラームス3番は、2019年11月にもこのコンビで聴いており、その時と同じく第2楽章以降はアタッカで演奏された。水の如く淀みない流れに変わりはないものの、音楽の行間はさらに突き詰められ、6年前より「苦味」が増したようにも思える。秋色の中に鈍色が混ざり、寂寥と言うより厳粛な余韻を残す。98歳のブラームスは、かくも厳しい。思えば私がブロム翁を実演で聴き始めたのは86歳時の2013年からで、以来87、88、90、91、92、94、95、97、98歳時にのべ17回聴いてきた。すでに発表された来季ラインナップにも登場予定。未踏の境地は続く。

コロナ禍で1年延期となった前回から4年、またショパン・コンクールの年が巡ってきた。それまでになく熱心に配信を視聴した前回(予選雑感本選覚書)に比べ、今回はそれほど気持ちが盛り上がらないな…と思っていたけれど、いざ始まってみるとやっぱり観ちゃいますね。2次予選へ進んだ日本人5人(牛田智大・桑原志織・進藤実優・中川優芽花・山縣美季)が発表されたのを機に、1次予選から遡って配信をつまみ聴きしてみた。この5人のうち、実演で聴いたことがあるのは牛田さん、桑原さん、山縣さん。進藤さんは前回のショパン・コンクールの配信で聴いて以来で、中川さんは今回初めて聴くピアニスト。

 

結果的に牛田・桑原・進藤の3人が3次予選に進むことになるのだが、惜しくも2次で涙を呑んだ中川さん、山縣さんは共にカワイの楽器を使用(それ以外の3人はスタインウェイ勢)。連続する6曲が課題の「24の前奏曲」を共に全曲弾き、共に情感豊かで物語性のある演奏を聴かせてくれたが、3次進出には安定感と正確性がより重視された印象。特に山縣さんは昨年6月にもトッパンホールで「24の前奏曲」を聴いており、その時と同様に好印象を持ったが、コンクールを勝ち進むにはいささかナイーヴな演奏だったと言えなくもない。

 

対照的に抜群の安定感を発揮したのが桑原さん。1次予選ではテクニックが前面に出て、あまり良いとは思えなかったのだが、ラウンドが進むごとに演奏に説得力が増し、3次で披露したソナタ第3番には唸らされた。これまでに聴いた同曲中でもベスト級の名演。前回のコンクールでも3次まで進んだ進藤さんは、野趣さえ感じさせる情熱的なタッチで強い印象を残したが、あれから4年を経て、技術と情熱がハイレベルで拮抗する演奏へと深化。キーを押下した後、ハンコをぐりぐりするように念押しする独特の指使いにも目を奪われる。予選では1次で弾いたバラード第4番が素晴らしかった。

 

前回は2次予選で涙を呑んだ牛田さんも再挑戦組。各ラウンドでのプログラム構成が良く、2次ではソナタ第2番のフィナーレのプレストからプレリュード第19番のヴィヴァーチェへの流れが鮮やかで、3次では課題のマズルカとソナタに組み合わせた前奏曲(作品45)と幻想曲(作品49)が絶妙の配置(3次突破ならずは制限時間超過説は本当…?)。どの曲を弾いても気品を感じさせ、バランスに優れ弱点の少ない演奏だが、同時にそれが桑原・進藤ほどのストロング・ポイントを目立たなくさせていたと言えるのかも。惜しくも本選進出はならなかった。

 

ファイナルに進んだのは、桑原さん、進藤さんを含む11人。国籍別では中国3、日本2、アメリカ2、ポーランド、カナダ、ジョージア、マレーシアと一見多岐に渡るが、ポーランドとジョージアの2人以外はアジア人もしくはアジア系のようだ。使用楽器はスタインウェイ6、カワイ3、ファツィオリ2(ヤマハとベヒシュタインは0)。また今回の本選では協奏曲のほかに「幻想ポロネーズ」が課題に加えられた。オケがスタンバイした状態でコンテスタントが登場し、ソロで「幻想ポロネーズ」を弾いた後一旦退場し、再び指揮者と共に登場して協奏曲を演奏する。

 

11人11様の「幻想ポロネーズ」を聴き比べることになったが、シルキーなタッチで全編を織り上げたリュー・ティエンヤオの演奏がとりわけ印象的だった。協奏曲では共に第1番を弾いた桑原・進藤だが、第3楽章のクラコヴィアクの主題を、野に放たれた若駒のギャロップのような躍動感で駆け抜けた進藤さんに対し、桑原さんは最初の4音をテヌートでしっとりと歌ってみせた。今回の本選で選択された協奏曲は、第1番が7人、第2番が4人。そしてついにエリック・ルーが、師匠ダン・タイ・ソン(1980年)以来となる第2番を弾いての優勝者に輝いた。

 

第19回ショパン国際ピアノコンクール 最終結果

第1位 エリック・ルー(アメリカ)

第2位 ケヴィン・チェン(カナダ)

第3位 ワン・ズートン(中国)

第4位 リュー・ティエンヤオ(中国)/桑原志織(日本)

第5位 ピオトル・アレクセヴィチ(ポーランド)/ヴィンセント・オン(マレーシア)

第6位 ウィリアム・ヤン(アメリカ)

■東京交響楽団 第735回定期演奏会(25/10/11サントリーホール)

 

[指揮]スザンナ・マルッキ

 

ベートーヴェン/交響曲第6番 ヘ長調「田園」

ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」

 

すっかり忘れていたのだが、スザンナ・マルッキの演奏を聴くのはこれが2回目で、2001年5月の東響定期でも聴いている。その時のプログラムは、ティエンス/ムード―ステレオフォニック・ミュージック(日本初演)、プロコフィエフ/ヴァイオリン協奏曲第2番(独奏・二村英仁)、シベリウス/交響曲第1番というもので、もう記憶には無い。当時はデビュー間もない新進気鋭だった訳だが、それからおよそ四半世紀を経て、女性指揮者としてはリーニフやカネラキス、グラジニーテ=ティーラらに先行する世代の風格を備えて、東響の指揮台に帰還。

 

前半の「田園」は、12型の通常配置。第1楽章から流れが自然で恣意的なところが無く、スッキリと透明感のある響き。一画ごとに濃く記された、トメやハネの美しい文字を読んでいくような音楽。腕の振りは大きいが無駄のないマルッキの動きには、アスリートのようなストイックさも感じられる。時に特定のパート(特にホルン)がざっくりと大胆に際立つ場面も。楽章を追うごとにオケのレスポンスも深化し、ドスの効いた縦ノリの第3楽章から、リアルな自然現象さながらの第4楽章にかけてが白眉。次々と雷を落とすマルッキが、天候を司る神様に見える。最終楽章ではすっかり指揮者とオケの呼吸が一体化し、深々とした満足感に充たされる。これを聴くと、シベリウスを聴きたくなるなぁ。

 

「田園」がタテへの推進力に富む演奏なら、後半の「春の祭典」はヨコの広がりを感じさせる演奏。冒頭のファゴット・ソロからかなり遅めの地に足の着いた運びで、スコアに書かれている音符が漏れなく鳴っているような感覚がある。筋書きのあるバレエ音楽のはずなのにほとんどドラマ性を感じさせず、絶対音楽的であり、連綿と続く抽象画を見ているようにも。東響で聴くハルサイは(ノットで聴きそびれたので)これがブログ開設以来初めて。聴き慣れたオケで改めて聴くと、ここでこの楽器とこの楽器が鳴っていたのか…とか、今さら気付くことも多く勉強になる。マルッキは現代音楽も得意としているようだが、この日のプログラムでは「田園」により魅力を感じた。

 

今年、書店の店頭で見付けて、最もときめいた1冊。帯文をそのまま引用すると、

 

 「科学技術と芸術のはざまに消えた「音楽の錬金術師たち」の系譜をたどるもうひとつの音楽史。」

 

 「歯車は奏で、幻想は踊る。いざ、音楽と機巧(からくり)の迷宮へ!」

 

 「ラッパが響きわたる人工洞窟、海と怪物のスペクタクル、即興演奏を記録する機械、虹色を奏でるクラヴサン、フルートを吹く自動人形、天使の楽器アルモニカ、香りをふりまくオルガン……」

 

目次からも各章題を引用してみる。

 

 前口上 機械が歌をうたうとき

 1 プラトリーノの秘密の洞窟

 2 天界から地獄まで

 3 アルチンボルドのひそかな企み

 4 波間の怪物

 5 エステ荘の水の戯れ

 6 キルヒャー師を訪ねて

 7 太鼓よとどろけ!

 8 失われた音をもとめて

 9 虹色クラヴサン

 10 鼓笛童子春壽(こてきどうじはるのことほぎ)

 11 レントゲン式収納術

 12 王妃に捧げるオートマタ

 13 蝋人形師の自動オルガン

 14 天使の音色―グラスハーモニカ興亡史(1)

 15 デイヴィス姉妹―グラスハーモニカ興亡史(2)

 16 天使のごときマリアンネ―グラスハーモニカ興亡史(3)

 17 メトロノームとパンハルモニコン

 18 狼谷は危険な香り

 19 幽霊たちが歩きだす

 20 バレリーナ幻想

 21 香りの音階

 22 純粋な響きをもとめて―ブルックナーと田中正平

 23 自動ピアノのための練習曲

 24 音楽の小箱

 

よくまぁこんな私好みのニッチで魅惑的な企画が通ったものだ。出版不況の昨今、この本の存在自体がファンタスティック。著者の長屋晃一氏は、19世紀のイタリア・オペラにおける音楽と演出の関係、オペラ・音楽劇のドラマトゥルギーについての研究が専門で、メールマガジン「月刊アルテス」の連載をまとめたもの。内容的にも、ウェブ媒体ではなく紙の書籍にすることで完成形になったとも言える。豊富な図版を収録した、非常に凝ったブックデザインで、「地」の部分に印刷されたバーコードの切れ端みたいな模様が、1冊になると楽譜に見えるという仕掛けも。

 

どのトピックも興味津々だが、1つだけ挙げるなら、3章が割かれている「グラスハーモニカ興亡史」だろう。グラスハープとその進化形であるアルモニカについて語られるのだが、その中で登場してくるのが全盲のアルモニカ奏者マリアンネ・キルヒゲスナーである。モーツァルトが彼女と出会って作曲したとされる「アダージョとロンド」ハ短調K617は、今年4月に大橋エリさんのグラスハープの実演でも聴いている。その伝説のマリアンネに、思いがけずこんな文脈で出会うことになるとは、ニッチな興味でも続く時は続くものである。

 

* * *

 

タイトルに惹かれて観始めたNHKで放送中のドラマ「いつか、無重力の宙(そら)で」が良い。1話15分という尺の短さを感じさせない中身の濃い脚本と、女優さんたちの繊細なアンサンブルが魅力で、続きが楽しみ。ちなみに拙ブログのタイトル「今夜、ホールの片隅で」は、「今夜、宇宙の片隅で」というドラマから拝借している。今では覚えておられる方も少ないであろう、三谷幸喜氏の初期作品の1つ。本間勇輔氏によるサントラも良い。

■TOPPANホール25周年 室内楽フェスティバルⅢ(25/10/5 TOPPANホール)

 

[ソプラノ]アネッテ・ダッシュ

フォーレ四重奏団

[ヴァイオリン]エリカ・ゲルトゼッツァー

[ヴィオラ]サーシャ・フレンブリング

[チェロ]コンスタンティン・ハイドリッヒ

[ピアノ]ディルク・モメルツ

 

ブラームス/ピアノ四重奏曲第3番 ハ短調より 第1楽章

マーラー(ツェルナー編)/歌曲集「若き日の歌」より「緑の森を愉快な気持ちで歩いたら」、歌曲集「子どもの魔法の角笛」より「トランペットが美しく鳴りひびくところ」

ブラームス/ピアノ四重奏曲第3番 ハ短調より 第2楽章&第3楽章

マーラー(ツェルナー編)/歌曲集「若き日の歌」より「思い出」、歌曲集「子どもの魔法の角笛」より「ラインの伝説」

(休憩)

ワーグナー(ツェルナー編)/ヴェーゼンドンク歌曲集

ブラームス/ピアノ四重奏曲第3番 ハ短調より 第4楽章

マーラー(ツェルナー編)/歌曲集「さすらう若人の歌」より「愛しいひとが結婚するなら」、歌曲集「若き日の歌」より「別れろ切れろ」

(以下アンコール)

マーラー(ツェルナー編)/誰がこのうたを作ったのだろう

ブラームス(ツェルナー編)/「49のドイツ民謡集」より「谷の底では」、「静かな夜に」

 

開館25周年を迎えたTOPPANホールの新シーズンの幕開けは、「フォーレ四重奏団とともに」と題された五夜に渡る室内楽フェスティバル。その第三夜はソプラノのアネッテ・ダッシュが登場し、ブラームスのピアノ四重奏曲の楽章間にマーラーやワーグナーの歌曲を挿入するという凝ったプログラム。クララ・シューマンやマティルデ・ヴェーゼンドンクへの想いを始め、秘めたる恋心が描かれた作品を集めたこのアンソロジーには、「Unrequited Love ―片思い」という副題が添えられている。

 

プログラムを見た時には大いに惹かれたこの趣向、実際に聴いてみると思ったほどの効果を上げていないように思われた。アネッテ・ダッシュは最初からフォーレ四重奏団と共に登場し、ピアノ四重奏曲の演奏中もずっと耳を傾けている。だが単品の歌曲と組み合わせるにはブラームスの楽章は長く、ブラームスの楽章に挟み込むには歌曲の尺がもの足りない。正直これなら、前半と後半で歌曲とピアノ四重奏曲をまとめて演奏してもらった方が良かったのでは…と思ってしまった。

 

結局、最も聴き応えがあったのは、5曲がまとめて演奏された「ヴェーゼンドンク歌曲集」だった。ツェルナー編曲によるピアノ四重奏伴奏版だが、それこそ室内楽ならではの精妙なアンサンブルを、特に「温室にて」や「夢」で堪能。パワフルでスケール感のあるアネッテ・ダッシュの歌声は、ワーグナーには向くと思うけれど、マーラーにはもう少し詫び寂びのニュアンスも欲しいところ。本編のラスト2曲では、自ら手にしたトライアングルを鳴らしながら歌うという演出付きだった。

■東京交響楽団 第734回定期演奏会(25/9/27サントリーホール)

 

J.S.バッハ/マタイ受難曲

 

[指揮]ジョナサン・ノット

[ソプラノ]カタリナ・コンラディ

[メゾ・ソプラノ]アンナ・ルチア・リヒター

[エヴァンゲリスト(テノール)]ヴェルナー・ギューラ

[イエス(バリトン)]ミヒャエル・ナジ

[テノール]櫻田 亮

[バリトン]萩原 潤

[バス]加藤宏隆

[チェロ]伊藤文嗣

[ヴィオラ・ダ・ガンバ]福澤 宏

[オルガン]大木麻理、栗田麻子、安井 歩

[合唱]東響コーラス

[児童合唱]東京少年少女合唱隊

 

今季の東響定期は重量級の宗教曲が続く。ロッシーニ「スターバト・マーテル」、ブリテン「戦争レクイエム」と来て、いよいよバッハ「マタイ受難曲」である。この曲を実演で聴くのも、全曲通して聴くのも、これがようやく2回目。前回聴いたのは2001年1月の東響定期(指揮・若杉弘)で、つまり定期会員でなければ積極的に聴きに行きたい演目ではない。前回はろくに予習もせずに聴いたので、ただ聴いたということしか覚えておらず、指揮者も忘れていたほど。ノットが指揮する今回を逃したら、この曲とは一生縁が薄いままになりそうなので、しかと聴いておきたい。

 

事前に参考にしたのは、音楽之友社刊「もっときわめる!1曲1冊シリーズ」の「マタイ受難曲」(矢澤孝樹・著)。これが非常に有効で、歌詞対訳を読むだけでは把握が難しい作品の概要・構造がコンパクトにまとめられ、レチタティーヴォ、アリア、コラールなどこの曲の重層的なレイヤーを的確に解き明かしてくれる。今年7月に出たばかりだから、まるで今回の公演に合わせた私のためのような1冊。予習用に初めて購入した同曲のCDは、ミシェル・コルボ&ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルによる1982年の録音。この本とCDで、この夏こつこつと聴き進めた。

 

舞台上のレイアウトは、指揮者の左翼側に第1オケ、右翼側に第2オケ、真ん中の境目付近に通奏低音のチェロ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、2台のポジティフ・オルガン、下手袖にパイプオルガンのコンソール。舞台奥に第1&第2合唱、Pブロック後方に児童合唱、独唱陣は主要4人が指揮台近くに並び、残り3人は左右の袖付近に待機、出番が来ると中央に移動して歌う。ソプラノとメゾ・ソプラノも伴奏するオケに合わせて立ち位置を入れ替えていた。18時10分頃開演し、第1部が約80分、休憩20分、第2部が約100分で、終演は21時30分頃だった。

 

初めて意識的に全曲を聴いて、今さらながらに音楽史上比類なき金字塔であることを実感。まさに蒙を啓かれた3時間半。確かに感動はしているのだが、その感動の質がオペラともシンフォニーとも全く異なる。福音史家が客観的に語り、アリアやコラールで感情的に補完するというシステムが、ほかでは味わえない独特の「乳化」作用を聴き手にもたらすのだ。比較の対象が現時点ではコルボ盤しか無いので、当夜の演奏について云々するのは難しいけれど、ノットらしく彫りが深く情感豊かで、コルボ盤よりずっと「こってり」した聴き応えがあった。

 

有名な第39曲のアリアでは、立奏する小林コンマスのオブリガートと共にアンナ・ルチア・リヒターが滋味深い歌唱を披露。第42曲のバスのアリアでは第2オケの景山コンマスが立奏し、この辺りが視覚的にも全編のハイライトを形成する。個人的に最も印象深かったのは第49曲のアリアで、コンラディの澄み切ったソプラノと、フルート、オーボエ・ダモーレ2のみで紡がれるミニマムなアンサンブルがしみじみ沁みる。思い入れたっぷりにメリハリを利かせたリヒターによる第52曲のアリアもまた然り。リヒターは第59曲のゴルゴタのレチタティーヴォも味わい深かった。

 

ちなみにノットは、聖歌隊時代に児童合唱としてこの曲を何度も歌ったことはあるが、指揮をするのはこれが初挑戦なのだとか。ノット監督時代の12シーズン、忘れがたい名演は数あれど、自分にとっての最大のレガシーは、「マタイ受難曲」と初めて正面から向き合わせてくれたことかもしれない。

 

* * *

 

ところで、私が初めて「マタイ受難曲」という作品の存在を知ったのは、昔読んだバッハの伝記だった。音楽之友社刊の「ジュニア音楽図書館」シリーズの第1巻「音楽の父 バッハ」。実家の書棚に眠っていたこの本を数十年ぶりに読み返してみたら、この巻、やなせたかし氏が絵だけでなく文も担当しているのですね。主人公の少年が、やなせ氏を思わせる漫画家の「いねむりおじさん」から、バッハの生涯の物語を聴くという設定で、冒頭で少年が初めて耳にするのが「マタイ受難曲」なのだ。

 

 「その時、そのヘッドフォーンからぼくの耳に、いや、からだのなかに流れこんできた音楽について、ぼくはなんといっていいのか分かりません。聞いているうちに、ぼくは思わず「あ!」とさけんでしまいました。「あ! あ! あ! あ! あ!」 胸がドキドキし、指先もドキドキしてきて、背中がカーッとあつくなったのです」

 

このくだりが強く印象に残っていて、長らく「マタイ受難曲」と言えばまずこれを思い出すのだった。そして今年、やなせたかし夫妻をモデルにした朝ドラ「あんぱん」の放送と前後して、初めてマタイ全曲の魅力に触れることになるとは、ちょっとした奇遇ではある。

 

■京都市交響楽団 東京公演(25/9/23サントリーホール)

 

[指揮]沖澤のどか

 

L.ファランク/交響曲第3番 ト短調

リムスキー・コルサコフ/交響組曲「シェエラザード」

(アンコール)ドビュッシー(カプレ編)/月の光

 

1曲目の作曲家ルイーズ・ファランク(1804~75)は今回初めて知った名前。没後に評価される人が多い女性作曲家にあって、生前からヨーロッパ各地で作品が演奏されていた例外的な存在とのこと。交響曲は3曲あり、1849年初演の第3番は、同じト短調で書かれたモーツァルト40番との類似が指摘されている。「交響曲の教科書」のような端正な書法の4楽章構成。そこに光を当てた意欲的な演奏だったと思うけれど、もう一度聴きたい曲かと言われると…?

 

メインの「シェエラザード」は、繊細さよりもところどころ顔を出す無骨さが目立つスケールの大きな演奏。第2楽章の半ばに現れる、トロンボーンとトランペットによる掛け合いのソロの緩急が面白い。シェエラザード役のヴァイオリン・ソロは石田組長。沖澤&京響の良好な関係は伝わってくるものの、全体的な満足度は一昨年のベートーヴェン&コネソンには及ばなかったかな。

 

■読売日本交響楽団 第651回定期演奏会(25/9/25サントリーホール)

 

[指揮]ケント・ナガノ

 

マーラー/交響曲第7番 ホ短調「夜の歌」

 

ケント・ナガノの指揮は1997年にサイトウ・キネン・オーケストラでメンデルスゾーン「宗教改革」を聴いた記憶がある。2020年に聴く予定だったN響とのヴィトマン「箱舟」はコロナ禍で中止に。東京の常設オケへの出演は約39年ぶりで、録音や放送でもほとんど聴いてこなかったので、個人的にはその芸風がまだよく分かっていない指揮者。長身で折目正しい指揮姿は現役屈指の美しさで、キュー出しの手数も多く、素人目にはとても演奏し易そうに見える。

 

マーラー7番は、最近では高速で飛ばすオートマ車のような演奏が多いけれど、この日は丁寧に運転されたマニュアル車のような乗り心地。決して最新型の車種ではないものの、全体に手入れが行き届いているのが分かる。ドライビングの緩急の好みは別として、オケのトランスミッションにマニュアル感があるのは好感が持てる。第5楽章冒頭の能天気なティンパニを、抑制されたマイルドな音で叩かせていたのが印象的。