2011年にBS朝日で放送されたテレビマンユニオン制作のドキュメンタリー番組を劇場版として再編集した作品。主人公のジュピター・カルテット・ジャパンは長らく活動休止中だったが、今年の東京春祭で再会公演が企画され、また続編番組「カルテットという名の青春が過ぎても(仮)」の制作決定を機に映画化されたとのこと。その先行上映を観に、初訪問の菊川の映画館へ。
ジュピター・カルテット・ジャパンは、桐朋学園の学生によって2004年に結成された(当初の名称はジュピター・ストリング・カルテットだったらしい)。メンバーはヴァイオリンの植村太郎、佐橘マドカ、ヴィオラの原麻理子、チェロの宮田大。原さんと宮田さんの演奏は個別に聴いたことがあったけれど、彼らがこんなカルテットをやっていたとは知らなかった。このカルテットが演奏活動を展開したのは主に2000年代後半で、テレビカメラが入ったのは2011年に活動を休止するまでの最後の3年間ほど。当初はミュンヘン国際音楽コンクールに挑戦する4人のサクセスストーリーを想定していたそうだが、一次審査での落選という予想外の結果を受けて、挫折から始まる物語へと切り替わった。
監督の浅野直広氏は元々クラシックを聴かない人で、この取材を通して自身が初めて触れるカルテットの世界を、一般の視聴者にも分かり易い言葉で、原田知世と監督自身のナレーションでかみ砕いて説明している。レッスンを通じてこのカルテットの課題として浮き彫りになる、ミスの無い正確性が重視される日本の音楽教育と、奏者自身の表現力を評価するヨーロッパのそれとの違いについては、やや類型的な図式という気がしないでもない。それでも4人それぞれの葛藤や苦悩は十分に伝わってくるし、4人が別々のヨーロッパの町に留学し、ソロ活動とカルテットを両立することが内包する矛盾から、カルテットの休止という選択に至る必然性にも説得力がある。
映画は冒頭、「僕は二十歳だった。それが人生で一番美しい年齢だなどとは誰にも言わせまい。」というポール・ニザンのエピグラフで始まる。「青春」はこの作品の大事なモチーフで、文字通り4人の若い音楽家たちの青春時代が描かれる訳だが、カルテットという共同体はとりわけ青春と相性が良いのかもしれない。彼らよりさらに若い世代の、エール弦楽四重奏団やクァルテット・インテグラの演奏を聴きながら思うのは、その音楽の充実度もさることながら、そこに賭ける彼らの情熱の美しさであり凛々しさである。それはかつて確かに自分も経験したはずの青春という時間の余熱を、束の間感じさせてくれる。その作用には間違いなく、カルテットという芸術のひとつの本質があるだろう。
この映画で強く印象に残るのは、4人がカルテットとして最後のレッスンで、ガボール・タカーチ=ナジの指導を受ける場面。課題曲はベートーヴェンの弦楽四重奏曲第12番変ホ長調で、その第2楽章アダージョを巡るやりとりに本作の核心があるように思える。その同じ曲をプログラムに据えたカルテットの再会公演が、今年の東京春祭で予定されている。映画を観る前からチケットは取っていたけれど、観終わってさらに楽しみになった。青春が過ぎても、カルテットという名の物語はまだ続いている。

