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今夜、ホールの片隅で

東京在住クラシックファンのコンサート備忘録です。

■東京交響楽団 第737回定期演奏会(25/12/13サントリーホール)

 

[指揮]ロス・ジェイミー・コリンズ

[ヴァイオリン]大谷康子*

 

マルサリス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調*

(アンコール)アルベニス/アストゥリアス(伝説)*

コープランド/交響曲第3番

 

東響名誉コンサートマスターの肩書を持つ大谷康子さんのデビュー50周年を記念する定期演奏会。大谷さんのステージに接するのはコンマス退任公演だった2016年3月以来のことだから、もう約10年ぶりになるのか。指揮者には当初、ゆかりの深い秋山和慶氏が予定されていたが、今年1月の急逝を受け、代役にロス・ジェイミー・コリンズが指名された。英国生まれのフィンランド育ちという新鋭で、ちょっと昔のウルバンスキを思わせる長身のイケメンである。

 

節目のコンサートに大谷さんが選んだのは、ウィントン・マルサリスのヴァイオリン協奏曲。ジャズの人という認識しか無かったが、マルサリスはクラシック音楽も専門に学んでおり、この分野の作品も多数書いているようだ。2015年初演のヴァイオリン協奏曲はラプソディ、ロンド・ブルレスカ、ブルース、フーテナニーの4楽章構成で演奏時間45分超の大作。冒頭、ゆったりとしたヴァイオリン・ソロで始まり、ソリストはほぼ弾きっぱなしで多彩な技巧が駆使されるが、ヴァイオリンという楽器の特性がよく活かされている印象。ジャズを始め様々な音楽の要素が採り入れられた曲想は一見親しみ易そうでありながら、それらが周到に微分積分され、全体としてはなかなか一筋縄ではいかない。

 

第1楽章の終盤ではオケのメンバーが一斉に足を踏み鳴らす場面があり、第4楽章ではそれに手拍子も加わって、随所でいろんなセクションが足踏みと手拍子をくり返す。ラストは演奏しながら大谷さんがステージから階段を下り、客席の通路を歩きながら同じフレーズを弾き続けフェイドアウトして終演。シアターピース的な要素もあり、古巣のオケのメンバーとのコミュニケーションを全身で愉しんでいるような、大谷さんらしい選曲。アンコールではギターの名曲「アストゥリアス」の珍しいヴァイオリン編曲版を聴かせてくれた。

 

後半はコープランド3番。この日振るはずだった秋山さんが2005年12月の東響定期でも振っており、実演で聴くのはそれ以来20年ぶりかも。久しぶりに聴いてみて、サウンド的にはとても充実していると思うけれど、今ひとつ琴線に触れてこない…というもどかしさも感じた。第1楽章は全体が大いなる序奏のようで、なかなか本題が始まらないまま終わってしまった感じ。第4楽章冒頭の「市民のためのファンファーレ」が本題のようにも思えるが、となると交響曲というより、壮大なオブリガート付きのファンファーレのようにも…。コリンズ&東響の熱演には敬意を表しつつも、秋山さんが振ったらどう聞こえていただろう…とも考えた。

■東京交響楽団 東京オペラシティシリーズ第149回(25/12/2東京オペラシティコンサートホール)

 

[指揮]原田慶太楼

[ピアノ]小林愛実*

 

グリーグ/ペール・ギュント第1組曲

グリーグ/ピアノ協奏曲 イ短調*

(アンコール)ショパン/マズルカ イ短調 作品59-1*

芥川也寸志/交響曲第1番

 

生誕100年の今年、国内の各楽団のプログラムには芥川也寸志の作品がよく登場した。邦人作曲家でメモリアルイヤーにこれほど演奏された例は稀ではなかろうか。それが芥川作品の親しみ易さを物語るし、今後も平時のレパートリーとして定着してほしいと思う。交響曲第1番は2019年のサマーミューザで藤岡&シティ・フィルの演奏で知り気に入った曲。この曲も今年何度か演奏機会があったが、原田&東響による今回が芥川イヤーの個人的ハイライト。なお東響はこの曲を作曲家自身の指揮で初演(1954年)、現行の改訂版を上田仁の指揮で初演(1955年)している。

 

前回聴いた時は、何かから逃げまくっているような第4楽章のプロコ味が鮮烈な印象を残したが、それに加え今回は、第1楽章のショスタコ味を濃厚に感じる。第2楽章の半ばでは、ユニゾンの弦のソリッドな響きが極限まで鍛え上げられる。第3楽章は頂点に至るプロセスの周到さに比べ、終わり方が随分あっけない。全4楽章で30分に満たない尺でこの内容をこなすのは、ちと無理があるのでは…と思わなくもない。とは言え、エネルギッシュ&スタイリッシュな音響的愉悦に充ちた音楽であるのは間違いない。生誕100年、初演70周年のマイルストーンに相応しい快演。

 

前半はグリーグの名曲プロ。「ペール・ギュント」第1組曲を生オケで聴くのはいつ以来だろう。小学生の頃に聴き覚えて以来、細部まで刷り込まれている曲。オーボエの隣に最初から打楽器の綱川さんが座っていて、「アニトラの踊り」のトライアングル要員なのだった。当夜のアニトラはかなりゆっくりと舞った。

 

ピアノ協奏曲のソリストは小林愛実さん。昨年聴いたラヴェルの協奏曲や、ショパン・コンクールの本選の時にも感じたことだけど、この人の本領は合わせものではなくソロでこそかなと思う。この日も最も引き込まれたのは第1楽章のカデンツァだったし、アンコールのショパンにもやっぱり聴き入ってしまった。

■NHK交響楽団 第2051回定期公演(25/11/30NHKホール)

 

[指揮]ファビオ・ルイージ

[ヴァイオリン]レオニダス・カヴァコス*

 

ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調*

(アンコール)バッハ/無伴奏パルティータ第1番より サラバンド*

ツェムリンスキー/交響詩「人魚姫」

 

ショスタコーヴィチ没後50年の今年、例年にも増して演奏頻度が高かったヴァイオリン協奏曲第1番だが、最も聴いてみたかったソリストがレオニダス・カヴァコス。そしてここまで待って正解だったと思わせてくれる、まさに真打ち登場の名人芸を聴かせてくれた。ちなみにカヴァコスが弾く協奏曲は、ブロムシュテットの指揮でブラームスを二度聴いているが(ゲヴァントハウス管&N響)、タココンはこれが初めて。

 

第1楽章のノクターンから、もう完全にカヴァコスの世界。思索的で内省的、例によって腕以外をほとんど動かさない「木」のような佇まいで、決して大きくはない声で大事なことを淡々と語っていく。続くスケルツォも慌てず騒がず、場数を踏んだ名優のような貫禄の立ち回り。ボウイングの美しさは神懸っていて、どのひと弓も的の真ん中を狂いなく射抜いてゆく。パッサカリアでも過度に没入するのではなく、適切な距離感を保ったままカデンツァでいよいよ核心に肉薄する。ブルレスケに抜けた頃には、圧倒的な存在感ですっかりオケの呼吸を掌握していた。終演後すぐに起こった楽員さんたちの拍手の盛大さがそれを物語る。

 

大袈裟ではないのに説得力がある。動きは少なくても音楽が生きている。まるで室内楽ように透明感のあるアンサンブル。これまで聴いたことが無いタイプの演奏で、この曲の知らなかった一面を教えられた。アンコールのバッハでは、別世界からの呼び声のように囁くヴァイオリンが大箱のホールを支配した。今年のN響定期で最も心に残ったソリストは文句なしにカヴァコスである。

 

ツェムリンスキー「人魚姫」は初めて聴く曲。事前に少し試聴してみた印象は、映画音楽のように聴き易い。全3楽章で約40分を要し、アンデルセンの童話「人魚姫」のドラマをかなり忠実に音楽化しているようだ。深い海底を表す幻想的な序盤や、再びその曲想が回帰する終盤など、濃厚なロマンチシズムが美しい場面もあるのだが、ずっと聴いていると途中で飽きてくる。音楽があまりにも情景的、説明的で、映画音楽そのものを聴いているよう。同じ標題音楽でも、この曲と、例えばR.シュトラウスの交響詩とを分けるものは何か…そんなことを考えながら聴いていた。

 

解説によると、今回演奏された「初稿版」には、初演前に削除された第2楽章中盤の「海の魔女」のエピソード(約85小節、5分ほど)が復元されているという。曲全体で最も大胆かつ不協和な書法が用いられ、ウィーンの聴衆の保守的嗜好を考慮したのがカットの一因とも。演奏を聴いていて、おそらくここがそうだろうと思い当たったのだが、実はその場面が一番印象的だった。最先端の書法を臆することなく駆使できなかったのも、この作曲家の弱みと言ったら酷だろうか。せめて単一楽章で半分の長さにまとめていたら、もっと演奏機会に恵まれていたのでは。

■日本フィルハーモニー交響楽団 第776回東京定期演奏会(25/11/28サントリーホール)

 

[指揮]山田和樹

[バリトン]加耒 徹♭

[ソプラノ]熊木夕茉♯

[合唱]東京音楽大学、ハルモニア・アンサンブル♯♭

 

ドビュッシー/バレエ音楽「遊戯」

武満 徹/マイ・ウェイ・オヴ・ライフ―マイケル・ヴァイナーの追憶に―♭

ラヴェル/ボレロ

プーランク/スターバト・マーテル♯

 

邦人作曲家にフランス音楽を組み合わせたこのコンビならではのプログラム。中でも注目は独唱と合唱付きの2曲だが、意外にも山田氏が日フィルの定期で声楽を伴う作品を採り上げるのは初めてなのだとか。

 

1曲目のドビュッシー「遊戯」は、山田氏曰く「ドビュッシーの最高傑作」だが、面白く聴かせるのが難しそうな曲。確かに聴いている瞬間瞬間のオーケストレーションの精妙さは見事だと思うものの、それが一連の流れとしてなかなか腑に落ちてこない。テニスの場面を描いたというバレエ付きで聴けばまた理解度が違うのかもしれないが、この日もどうも集中力が途切れがちだったというのが正直なところ。

 

2曲目は初めて聴く武満作品。歌曲はたくさん書いた武満さんだが、声楽とオケのための作品というのはこれだけらしい。武満さんのオペラがもし実現していたら、こんな感じだったのでは…とプレトークで山田氏が語っていた。田村隆一の詩を英訳したテキストに付けられた音楽は、後期武満の響きそのもので、「系図」にも似た楽想が頻出する。「セレモニアル」もそうだが、この頃の武満作品は、ひとつの共通する世界観をボーダーレスに表現しているように感じる。ヤマカズがシェフを務めるバーミンガム市響が初演オケでもある。

 

休憩を挟み、3曲目の「ボレロ」がプログラムのマニアックさを緩和させる。解説によればこの曲の構造は、16小節のパターンAとパターンBをそれぞれ2回くり返す[AABB]のセットが全部で4回…というのを読んで、今が何セット目の何番目なのかを意識しながら聴いてみたのだが、4セット目の後半からラストにかけての「破調」が絶妙。演奏ももちろん盛り上がったが、最後の最後がぴたりと決まらなかったように聞こえたのはわざと…?

 

4曲目はプーランクの「スターバト・マーテル」。プーランクの宗教作品は「グローリア」を聴いたことがあるが、この曲の実演は初めて。Pブロックを半分以上埋めた合唱(男女混合配置)がほぼ歌いっぱなしで、ほとんどオケ伴付きの合唱曲と言っていい。そしてヤマカズが合唱指揮者としての本領発揮で、ダイナミックな声の魅力を存分に引き出してみせた。限られた出番ながらアクロバチックな音程を要求されるソプラノ独唱は、熊木さんが危なげない美声を披露。

 

この曲、聖と俗、ネガとポジが瞬時に反転するようなところがあって(黒い聖母像が作曲の契機とも)、ちょっと「カルミナ・ブラーナ」を彷彿させる。オケ・パートも実演で聴いてみるとヘンテコな細部があちこちに。綺麗にまとめようとするよりも、ざっくばらんにやった方が活きそうな魅力がある。最後の「アーメン」が美しく歌い上げられた後の、ダメ押しのオケのジャンジャンジャーン!が、昔のモノクロ映画の「ジ・エンド」の劇伴のよう。直後の無粋なブラボーは余計でしたね…。

■東京交響楽団 第736回定期演奏会(25/11/22サントリーホール)

■名曲全集第212回 (25/11/23ミューザ川崎シンフォニーホール)

 

[指揮]ジョナサン・ノット

[笙]宮田まゆみ*

 

武満 徹/セレモニアル*

マーラー/交響曲第9番 ニ長調

 

来年3月までの楽季を4か月余り残し、東響第3代音楽監督ジョナサン・ノットが振るこれが最後の定期演奏会。プログラムは音楽監督就任披露公演だった2014年4月の定期演奏会と同じもの。監督の任期中に何度も経験したサントリー&ミューザの同一プロの「おかわり」もこれが最後である。

 

武満徹「セレモニアル」は、宮田さんの笙はPブロック後方のオルガン席付近で、フルート&オーボエのバンダが客席内3か所に配置されての演奏。11年前もそうだったっけ…と、すでに忘却の霧に霞んでいる我が記憶力の儚さが哀しい。笙のソロ以外、音楽としては掴みどころの無い印象があったこの曲だが、改めてオーケストラ・パートに耳を傾けると、武満後期の音色が短い中に凝縮されている。ひと息ごとに音が途切れる笙のソロによって、音と沈黙とが等価になる。マーラー9番の前の「お清め」の儀式になるほど相応しい。

 

11年前に聴いたマーラー9番は、感想を読み返すとこう書いている。「あくまでもこれは現時点での達成に過ぎない」「将来、またノット&東響によるマーラー9番を聴く機会があったら、この生気みなぎる演奏がどのように変化しているのか、確かめてみたい」。そしてその機会が本当に訪れたのだ。第1楽章を聴き始めて、生気みなぎる基本テイストはそのままに、生のままだったサウンドの肌触りが、より豊饒に豊潤に熟成されたように感じる。どんなささやかなパートにも、1つ1つに「意味」を感じる。いかにその意味を込められるかが指揮者の仕事な訳だが、11年余りの物語がその伏線なのだとしたら、何と贅沢な話だろう。

 

2つの中間楽章も実にこのコンビらしい。ゴツゴツと骨が鳴るような第2楽章のレントラー。リスクを取って攻め続けるアンサンブルの姿勢が明確に音に現れている。監督就任時からオケのメンバーもかなり入れ替わっているが、そのノットイズムが確実に継承され、さらに強靭さを増している。火を噴くような鬼気迫る第3楽章のブルレスケ。獅子奮迅、阿修羅の如き指揮台のノットを見ていると、指揮者という生業が己の人間性の全てを賭けた表出であることを痛感させられる。そしてノットという依り代を通じて、マーラーがこの曲のスコアに書き込んだ音楽全体が、「人間存在」そのもののメタファーなのだということも。

 

第3楽章から第4楽章へは、アタッカと言うにはしっかりとした間があったけれど、苛烈な追い込みの凄まじさにしわぶきひとつ起こらない。そして万感の第4楽章アダージョ。個々のパートがそれぞれに愛おしい。要所で抜き身の匕首のように冴える濱﨑さんのピッコロ。五臓六腑にぐいっと沁み入るような青木首席のヴィオラ・ソロ。終盤、わずか4音の下行音型が堪らなく切ない最上さんのコーラングレ。そして3+5音の下行するフレーズがあまりにも美しい伊藤首席のチェロ・ソロ。たどり着いたコーダでは、唾を飲み込むのも憚られるような圧倒的な静寂に全身が囚われる。これほどの緊張感を強いられることの至福。

 

2日間聴き比べて、演奏の完成度は2日目の方が高かったと思うけれど、疵は多くてもただただ圧倒された初日のインパクトが勝る。両日共に長く続いたカーテンコールでは、一度退場した楽員さんたちが最後に総出で「THANK YOU ! MAESTRO NOTT」と書かれた手ぬぐいを掲げて監督を取り囲むという光景に泣けた。ノット監督時代の12シーズンを客席からリアルタイムで見守ってきた一会員にとって最高のご褒美。このオーケストラを聴き続けてきて本当によかった。

■東京交響楽団 特別演奏会(25/11/15東京オペラシティコンサートホール)

 

[指揮]ジョナサン・ノット

[合唱]二期会合唱団

 

ドビュッシー/「夜想曲」より シレーヌ

デュリュフレ/3つの舞曲

ラヴェル/歌劇「子どもと魔法」(演奏会形式)

 

[子ども]小泉詠子

[お母さん、中国茶碗、とんぼ]加納悦子

[肘掛椅子、木]加藤宏隆

[安楽椅子、羊飼いの娘、ふくろう、こうもり]鵜木絵里

[火、お姫様、夜鳴き鶯]三宅理恵

[羊飼いの少年、牝猫、りす]金子美香

[ティーポット、小さな老人、雨蛙]糸賀修平

 

ノット監督の任期最後の定期演奏会の1週前に組まれたフランス音楽のプログラム。メインの「子どもと魔法」は、このコンビで聴く任期中最後のコンサートオペラでもある(余談だが、このコンビのコンサートオペラと言えば、コロナ禍で幻となった「トリスタンとイゾルデ」を聴けなかったのが心残り。いつか復活させてくれるだろうか?)。

 

1曲目の「シレーヌ」は、ノット&東響の初共演となった2011年10月の定期でも1曲目に演奏された曲(その時のメインは「ダフニスとクロエ」全曲)。14年前の「シレーヌ」は、ブログ開設前のことでもあり、もはや記憶に残っていないのだが、このコンビの原点回帰の1曲で、定期(マーラー9番)とは別のさらに大きな円環が閉じられる。P席に並んだ女声合唱のパートがダイレクトに届き、先週聴いたばかりのデュトワ&N響の「海王星」の幽けき響きとは真逆の、生々しい肉声がホールを充たす。東響コーラスなら暗譜で歌いそうなところだが、歌詞の無いヴォカリーズでも二期会合唱団は譜面ありだった。

 

ノットが振るデュリュフレと言えば、昨年二度聴いた「レクイエム」が忘れがたい。今回初めて聴く「3つの舞曲」は、「ディヴェルティスマン」「ダンス・ラント」「タンブラン」の3曲から成る25分ほどの作品。第2曲ではいかにもデュリュフレらしいハープ2台とチェレスタによる神秘的な序奏に聴き入ってしまうし、第3曲ではプロヴァンス太鼓やアルトサックスといったパートも登場し演奏効果も高く、フランス音楽のオーケストラ・ピースとしてもっと採り上げられていいレパートリーだと思う。

 

ラヴェルの歌劇「子どもと魔法」もこれが初聴き。ちょうど100年前に初演された作品で、その初演地であるモンテカルロ歌劇場で今年3月に山田和樹が振ったプロダクションが折よくNHKBSで放送されたので、それを予習の教材とした。演奏会形式のこの日は、女声5+男声3=8人の歌手が舞台手前に並び、合唱は上手奥に配置。下手端に置かれたピアノはタイプの異なる2台を忙しく弾き分けていて、内部奏法(?)と思われる場面も。楽器編成にある「チーズのおろし金」と「木製の本」は、公式Xで動画が紹介されていたが、それがどこでどう鳴っていたのかは自席からは確認できなかった。

 

音楽はまさに「おもちゃ箱をひっくり返したよう」で、作曲家ラヴェルのあらゆる要素が約45分間に凝縮されている。モンテカルロの舞台演出も素晴らしかったけれど、これは板に乗ったオーケストラでこそ味わうべき音楽だろう。それぞれが二役、三役をこなす歌手陣も好演で、内容的にも、肩の凝らないくだけたアンサンブルが魅力。歌詞以上に雄弁な「ト書き」を字幕で追えたのも新鮮な体験だった。幕切れで子どもが「ママ!」とひと言歌った後の、得も言われぬ温かさと安堵感のある余韻は、ほかのどんな楽曲でも味わったことが無いもの。生誕150年のラヴェルの最も愛すべき一面に触れた幸福な午後だった。

■NHK交響楽団 第2048回定期公演(25/11/9NHKホール)

 

[指揮]シャルル・デュトワ

[ピアノ]小菅 優*

[オンド・マルトノ]大矢素子*

[女声合唱]東京オペラシンガーズ

 

メシアン/神の現存の3つの小典礼*

ホルスト/組曲「惑星」

 

N響名誉音楽監督シャルル・デュトワが、昨年10月のNHK音楽祭に続き、2017年以来8年ぶりに定期公演に復帰。先月は98歳のブロム翁の健在ぶりに触れたばかりだが、こちら89歳のデュトワも年齢を感じさせない精力的な指揮ぶりを披露した。

 

前半は未知のメシアン作品。「小典礼」だから短い曲なのかと思いきや、全3楽章で35分超を要するそこそこ長い曲。編成が特殊で、指揮台の下手側にピアノ、チェレスタ、上手側にオンド・マルトノ、ヴィブラフォン。木管・金管を欠き、弦楽器の奥に女声合唱、下手奥に打楽器。最初から歌いっぱなしのコーラス、音符の数がやたらと多くて難しそうなピアノ・ソロ、いつ鳴っているのか予断を許さないオンド・マルトノもさることながら、チャッチャッと乾いたアクセントを付け続けるマラカスの響きが印象に残る。ただこの曲、催眠効果があるのか、執拗な睡魔の誘いに何度も負けそうになった。

 

休憩を挟み、久々のホルスト「惑星」。「火星」冒頭の5拍子の刻みから、デュトワ特有の左手を素早く前後させるジャブのような動きが全開で、オケから張りと艶のあるサウンドを引き出す。「火星」最後の連打される総奏の強靭さと粘り、「木星」の悠然たるテンポ感と最後に打ち込まれる一撃の強烈なG(重力)等々、オーケストラを聴く醍醐味に溢れ、純粋な管弦楽組曲としての完成度を改めて思い知らされる。「金星」や「土星」など、いつもなら標題音楽的に聞き流してしまうディティールが、克明かつ新鮮に浮き彫りになる。天才的着想と音楽的内実が融合した、掛け値なしの「名曲」である。

 

下手舞台袖から聞こえてきた「海王星」の女声合唱は響き過ぎない線の細さが良かったし、アシンメトリーな配置のパイプオルガンも特に「土星」で絶妙な立体感を演出していて、この日ばかりはNHKホールの音響も奏功。それもこれもデュトワ・マジックの手の内だろうか。音の魔術師、健在。むしろ齢を重ねて、その魔力・妖力はスケールを増した感さえ漂う。

■ナタリー・デセイ&フィリップ・カサール Farewell CONCERT(25/11/6東京オペラシティコンサートホール)

 

[ソプラノ]ナタリー・デセイ

[ピアノ]フィリップ・カサール

 

モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」より バルバリーナのカヴァティーナ「無くしてしまったわ」、スザンナのレチタティーヴォとアリア「とうとうその瞬間が来た~さあ早く来て」、ケルビーノのアリア「自分で自分がわからない」、伯爵夫人のレチタティーヴォとアリア「スザンナは来ない!~いずこぞ喜びの日」

ショーソン/ハチドリ

ラヴェル/天国の美しい3羽の鳥たち

ベッツ/傷ついた鳩

プーランク/かもめの女王

ラヴェル/悲しき鳥たち(ピアノ・ソロ)

プーランク/モンテカルロの女

(休憩)

メノッティ/歌劇「霊媒」より モニカのワルツ

バーバー/ノックスヴィル-1915年の夏

プレヴィン/歌劇「欲望という名の電車」より ブランチのモノローグ「私が欲しいのは魔法」

(以下アンコール)

レイナルド・アーン/リラの木のナイチンゲール

メノッティ/歌劇「泥棒とオールドミス」より 私を盗んで、素敵な泥棒さん

ドリーブ/歌劇「ラクメ」より あなたは私に最も甘い夢を与えてくれた

 

ナタリー・デセイの歌声を初めて聴いたのは、彼女が歌劇場の舞台から引退しリサイタルに専念してからのことで、2017年4月、同じオペラシティで行われたカサールとのデュオ・リサイタルだった(その後、オッフェンバック「天国と地獄」のDVDを観て、全盛期のデセイの凄みの一端を知ることになる)。約8年半ぶりに聴く2度目のリサイタルは「フェアウェル・コンサート」と銘打たれ、このコンビによる最後のツアーであり、オペラ・アリアを歌う最後の機会になるという。

 

まずモーツァルト「フィガロの結婚」からの抜粋。歌い始めからさっぱりとした可憐な歌声は健在で、知らずに聴いたら今年60歳のソプラノとは思わないだろう。狂いの無いピッチの美しさにも惚れ惚れ。続いてショーソン「ハチドリ」に始まる鳥をテーマにしたフランス歌曲集。これはもうこのコンビの十八番で、1曲ごとに拍手せずにはいられない短くも濃密な世界観を堪能。カサールのソロで「悲しき鳥たち」もさりげなく添えられた。

 

前半最後のプーランク「モンテカルロの女」が、個人的には当夜一番の聴きもの。ジャン・コクトーのテキストに曲を付けたモノローグともモノ・オペラとも言うべき作品で、内容は「人生最後の日をカジノとホテルで過ごす年かさの女性の独白」。プーランクならではのシニカルな曲想は、洒落たフレンチ・ミステリの短編小説の味わい。曲中で連呼される「モンテカルロ」の響きが何とも魅惑的で、デセイが変幻自在の歌唱と共に半径1メートルの身振り手振りで、この個性的なヒロインを演じ切ってみせた。

 

後半は英語の歌詞による作品を3曲。中でも約15分を要するバーバー「ノックスヴィル-1915年の夏」が素晴らしい。声と管弦楽のための原曲をピアノ伴奏版に編曲したもの。ジェイムズ・エイジーの同名小説から抜粋したという歌詞はなかなかに深遠だが、バーバーの音楽はノスタルジックで親しみ易く、切々と歌われてゆくもう戻らない子ども時代の回想が、歌手自身の過去への眼差しと重なるようにも。メノッティとプレヴィンの2曲では、デセイが情熱を注ぐミュージカルの世界へと接近する。

 

カサールのモーツァルトがピアノ・ソナタに脱線したり、アンコールで上着に隠した楽譜を取り出したり…というお遊びが懐かしい。デセイは曲間にマイク片手にトークを挟み、残念ながら全ては聞き取れなかったけれど、最後に「このホールが素晴らしく、ベスト・パフォーマンスをお届けできた」と言っていたのは分かった。アンコール3曲目のドリーブは、前回のリサイタルでも最後に歌われた曲。その歌い終わりの、この世のものとは思えない極上のピアニッシモが、今もまだ耳に残る。

 

このような形でデセイを聴くことはもう無いのだろうし、オペラ時代の全盛期にも間に合わなかったけれど、たった2回のリサイタルで、この歌姫は忘れがたい贈り物を残してくれた。

■鈴木愛美 ピアノ・リサイタル(25/10/31東京オペラシティコンサートホール)

 

シューベルト/高雅なワルツ集 D969

フォーレ/主題と変奏 嬰ハ短調

フォーレ/ノクターン第6番 変ニ長調

フォーレ/ワルツ・カプリス第2番 変ニ長調

(休憩)

シューベルト/ピアノ・ソナタ第18番 ト長調「幻想」

(以下アンコール)

リスト/ウィーンの夜会(シューベルトのワルツ・カプリス)より 第6番

シューベルト/楽興の時 第3番ヘ短調

 

今回初めて聴くピアニスト・鈴木愛美さんは、昨年の浜松国際ピアノコンクールで日本人初となる第1位を受賞した人。受賞後初となる東京の大規模ホールでのリサイタルを聴いてみようと思ったのは、そのプログラムに惹かれたから。実に渋い(そして私好みの)フォーレ&シューベルト・プロ。コンクールで弾いた曲もあるようだが、キャリア豊富なピアニストでもなかなか採り上げないこれらの作品を、このような場面で用意してくるとは。

 

シューベルト「高雅なワルツ集」は初めて聴く作品かも。1分に満たない掌編のワルツが全12曲続けざまに弾かれ、挨拶代わりのアミューズに相応しい。フォーレのピアノ曲は、どちらかと言えばベテランのピアニストによる滋味溢れる演奏が似合うイメージがあるけれど、この日のような柔らかく瑞々しいフォーレもまた佳き。しなやかに各変奏を弾き分けた「主題と変奏」は、ピアノのための屈指の名変奏曲であることを再認識。その最終変奏と同じ匂いのままノクターン第6番へと続く。さらに変ニ長調でつながるワルツ・カプリス第2番で、プログラム前半を軽やかに締めくくった。

 

後半のシューベルトのソナタも、最後の3大ソナタではなく敢えて第18番というのが渋い。小声でそっと穏やかに語り始めた冒頭から、どこまでも弱音が保たれたまま、決して声を張ったり荒げたりすることが無い。弱音域における音色のニュアンスが驚くほどに繊細。ふと現れるシューベルト特有のデモーニッシュな闇においても、タッチはあくまでも抑制されている。そのまま最後まで、どの楽章も同じような静けさに支配されている。そしてどの楽章もいつしかあっけなく終わってしまう。そこに遺された「不在感」の、無色透明な哀しみ。ちょっと聴いたことが無いタイプのシューベルトだ。

 

ほかのピアニストとは異質な無二の個性の持ち主で、誤解を恐れずに言えば、いい意味でのアマチュアっぽさを感じさせるピアニズム。コンクールでの演奏は未聴だが、彼女のピアノが評価された浜松国際ピアノコンクールにも興味が湧いたし、最近よく聴いていたショパン・コンクールとはまるで別世界の楽器や種目のようにさえ思える。どこかぎこちないステージマナーと、内緒話のように密やかなタッチが、今後どのように変わっていくのか(いかないのか)注目していきたい。

N響桂冠名誉指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットが今年も無事来日し、10月定期の3プログラム6公演を皆勤。そのAプロとCプロを聴く。

 

■NHK交響楽団 第2046回定期公演(25/10/19NHKホール)

 

[指揮]ヘルベルト・ブロムシュテット

[ソプラノ]クリスティーナ・ランツハマー*

[メゾ・ソプラノ]マリー・ヘンリエッテ・ラインホルト*

[テノール]ティルマン・リヒティ*

[合唱]スウェーデン放送合唱団

 

ストラヴィンスキー/詩篇交響曲

メンデルスゾーン/交響曲第2番 変ロ長調「讃歌」*

 

Aプロはどちらも旧約聖書の詩篇を題材とした声楽付きの異形の交響曲。ラテン語とドイツ語という違いはあるが、歌詞も一部共通している。それを日本語字幕付きで味わえる貴重な機会。元々どちらも好きな作品だが、この組み合わせは新鮮で、なるほど内容的にも演奏時間的にも1回の公演に相応しい好プログラムである。そして昨年のオネゲル3番もそうだが、90代後半の巨匠指揮者が振るレパートリーとは思えない。マエストロが歩行器を押しながら登場しただけで胸が熱くなる。補助のスタッフに支えられてゆっくりと指揮台に上がり腰掛けるが、演奏中の上半身の動きはしっかりしたもの。

 

2曲とも出演したスウェーデン放送合唱団が、引き算の美学とも言うべき少数精鋭の美演。詩篇交響曲の最終楽章は永遠に聴いていたくなるような美しさ。「讃歌」では粒揃いの独唱陣が彩りを添える。そして職務としての指揮者に徹し、作品そのものの姿を飾り気なく引き出してみせたブロムシュテットらしい演奏。トロンボーンによる「讃歌」の冒頭動機が、これほど気負わず自然体で響いたことがあっただろうか。この歳になってなお「大いなる黒子」であり続けるところに、この指揮者の偉大さがある。

 

■NHK交響楽団 第2047回定期公演(25/10/24NHKホール)

 

[指揮]ヘルベルト・ブロムシュテット

[ピアノ]レイフ・オヴェ・アンスネス*

 

ブラームス/ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調*

(アンコール)ショパン/24の前奏曲より 第8曲嬰ヘ短調*

ブラームス/交響曲第3番 ヘ長調

 

Cプロは「秋色」のブラームス・プロ。前半の協奏曲はまずアンスネスのピアノが良い。骨太で質実剛健、でも鈍重ではなく、決してオケに埋もれることが無い。N響も前週よりぐっと厚みのあるサウンドで応える。どちらかと言えば活発な偶数楽章に妙味があり、夢みるような第3楽章もあくまで覚醒した意識に貫かれている。意外な選曲のアンコールも、ショパン・コンクールの後に聴くと新鮮。日程の都合でリサイタルを聴けないのが残念。

 

後半のブラームス3番は、2019年11月にもこのコンビで聴いており、その時と同じく第2楽章以降はアタッカで演奏された。水の如く淀みない流れに変わりはないものの、音楽の行間はさらに突き詰められ、6年前より「苦味」が増したようにも思える。秋色の中に鈍色が混ざり、寂寥と言うより厳粛な余韻を残す。98歳のブラームスは、かくも厳しい。思えば私がブロム翁を実演で聴き始めたのは86歳時の2013年からで、以来87、88、90、91、92、94、95、97、98歳時にのべ17回聴いてきた。すでに発表された来季ラインナップにも登場予定。未踏の境地は続く。