今夜、ホールの片隅で -4ページ目

今夜、ホールの片隅で

東京在住クラシックファンのコンサート備忘録です。

コロナ禍で1年延期となった前回から4年、またショパン・コンクールの年が巡ってきた。それまでになく熱心に配信を視聴した前回(予選雑感本選覚書)に比べ、今回はそれほど気持ちが盛り上がらないな…と思っていたけれど、いざ始まってみるとやっぱり観ちゃいますね。2次予選へ進んだ日本人5人(牛田智大・桑原志織・進藤実優・中川優芽花・山縣美季)が発表されたのを機に、1次予選から遡って配信をつまみ聴きしてみた。この5人のうち、実演で聴いたことがあるのは牛田さん、桑原さん、山縣さん。進藤さんは前回のショパン・コンクールの配信で聴いて以来で、中川さんは今回初めて聴くピアニスト。

 

結果的に牛田・桑原・進藤の3人が3次予選に進むことになるのだが、惜しくも2次で涙を呑んだ中川さん、山縣さんは共にカワイの楽器を使用(それ以外の3人はスタインウェイ勢)。連続する6曲が課題の「24の前奏曲」を共に全曲弾き、共に情感豊かで物語性のある演奏を聴かせてくれたが、3次進出には安定感と正確性がより重視された印象。特に山縣さんは昨年6月にもトッパンホールで「24の前奏曲」を聴いており、その時と同様に好印象を持ったが、コンクールを勝ち進むにはいささかナイーヴな演奏だったと言えなくもない。

 

対照的に抜群の安定感を発揮したのが桑原さん。1次予選ではテクニックが前面に出て、あまり良いとは思えなかったのだが、ラウンドが進むごとに演奏に説得力が増し、3次で披露したソナタ第3番には唸らされた。これまでに聴いた同曲中でもベスト級の名演。前回のコンクールでも3次まで進んだ進藤さんは、野趣さえ感じさせる情熱的なタッチで強い印象を残したが、あれから4年を経て、技術と情熱がハイレベルで拮抗する演奏へと深化。キーを押下した後、ハンコをぐりぐりするように念押しする独特の指使いにも目を奪われる。予選では1次で弾いたバラード第4番が素晴らしかった。

 

前回は2次予選で涙を呑んだ牛田さんも再挑戦組。各ラウンドでのプログラム構成が良く、2次ではソナタ第2番のフィナーレのプレストからプレリュード第19番のヴィヴァーチェへの流れが鮮やかで、3次では課題のマズルカとソナタに組み合わせた前奏曲(作品45)と幻想曲(作品49)が絶妙の配置(3次突破ならずは制限時間超過説は本当…?)。どの曲を弾いても気品を感じさせ、バランスに優れ弱点の少ない演奏だが、同時にそれが桑原・進藤ほどのストロング・ポイントを目立たなくさせていたと言えるのかも。惜しくも本選進出はならなかった。

 

ファイナルに進んだのは、桑原さん、進藤さんを含む11人。国籍別では中国3、日本2、アメリカ2、ポーランド、カナダ、ジョージア、マレーシアと一見多岐に渡るが、ポーランドとジョージアの2人以外はアジア人もしくはアジア系のようだ。使用楽器はスタインウェイ6、カワイ3、ファツィオリ2(ヤマハとベヒシュタインは0)。また今回の本選では協奏曲のほかに「幻想ポロネーズ」が課題に加えられた。オケがスタンバイした状態でコンテスタントが登場し、ソロで「幻想ポロネーズ」を弾いた後一旦退場し、再び指揮者と共に登場して協奏曲を演奏する。

 

11人11様の「幻想ポロネーズ」を聴き比べることになったが、シルキーなタッチで全編を織り上げたリュー・ティエンヤオの演奏がとりわけ印象的だった。協奏曲では共に第1番を弾いた桑原・進藤だが、第3楽章のクラコヴィアクの主題を、野に放たれた若駒のギャロップのような躍動感で駆け抜けた進藤さんに対し、桑原さんは最初の4音をテヌートでしっとりと歌ってみせた。今回の本選で選択された協奏曲は、第1番が7人、第2番が4人。そしてついにエリック・ルーが、師匠ダン・タイ・ソン(1980年)以来となる第2番を弾いての優勝者に輝いた。

 

第19回ショパン国際ピアノコンクール 最終結果

第1位 エリック・ルー(アメリカ)

第2位 ケヴィン・チェン(カナダ)

第3位 ワン・ズートン(中国)

第4位 リュー・ティエンヤオ(中国)/桑原志織(日本)

第5位 ピオトル・アレクセヴィチ(ポーランド)/ヴィンセント・オン(マレーシア)

第6位 ウィリアム・ヤン(アメリカ)

■東京交響楽団 第735回定期演奏会(25/10/11サントリーホール)

 

[指揮]スザンナ・マルッキ

 

ベートーヴェン/交響曲第6番 ヘ長調「田園」

ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」

 

すっかり忘れていたのだが、スザンナ・マルッキの演奏を聴くのはこれが2回目で、2001年5月の東響定期でも聴いている。その時のプログラムは、ティエンス/ムード―ステレオフォニック・ミュージック(日本初演)、プロコフィエフ/ヴァイオリン協奏曲第2番(独奏・二村英仁)、シベリウス/交響曲第1番というもので、もう記憶には無い。当時はデビュー間もない新進気鋭だった訳だが、それからおよそ四半世紀を経て、女性指揮者としてはリーニフやカネラキス、グラジニーテ=ティーラらに先行する世代の風格を備えて、東響の指揮台に帰還。

 

前半の「田園」は、12型の通常配置。第1楽章から流れが自然で恣意的なところが無く、スッキリと透明感のある響き。一画ごとに濃く記された、トメやハネの美しい文字を読んでいくような音楽。腕の振りは大きいが無駄のないマルッキの動きには、アスリートのようなストイックさも感じられる。時に特定のパート(特にホルン)がざっくりと大胆に際立つ場面も。楽章を追うごとにオケのレスポンスも深化し、ドスの効いた縦ノリの第3楽章から、リアルな自然現象さながらの第4楽章にかけてが白眉。次々と雷を落とすマルッキが、天候を司る神様に見える。最終楽章ではすっかり指揮者とオケの呼吸が一体化し、深々とした満足感に充たされる。これを聴くと、シベリウスを聴きたくなるなぁ。

 

「田園」がタテへの推進力に富む演奏なら、後半の「春の祭典」はヨコの広がりを感じさせる演奏。冒頭のファゴット・ソロからかなり遅めの地に足の着いた運びで、スコアに書かれている音符が漏れなく鳴っているような感覚がある。筋書きのあるバレエ音楽のはずなのにほとんどドラマ性を感じさせず、絶対音楽的であり、連綿と続く抽象画を見ているようにも。東響で聴くハルサイは(ノットで聴きそびれたので)これがブログ開設以来初めて。聴き慣れたオケで改めて聴くと、ここでこの楽器とこの楽器が鳴っていたのか…とか、今さら気付くことも多く勉強になる。マルッキは現代音楽も得意としているようだが、この日のプログラムでは「田園」により魅力を感じた。

 

今年、書店の店頭で見付けて、最もときめいた1冊。帯文をそのまま引用すると、

 

 「科学技術と芸術のはざまに消えた「音楽の錬金術師たち」の系譜をたどるもうひとつの音楽史。」

 

 「歯車は奏で、幻想は踊る。いざ、音楽と機巧(からくり)の迷宮へ!」

 

 「ラッパが響きわたる人工洞窟、海と怪物のスペクタクル、即興演奏を記録する機械、虹色を奏でるクラヴサン、フルートを吹く自動人形、天使の楽器アルモニカ、香りをふりまくオルガン……」

 

目次からも各章題を引用してみる。

 

 前口上 機械が歌をうたうとき

 1 プラトリーノの秘密の洞窟

 2 天界から地獄まで

 3 アルチンボルドのひそかな企み

 4 波間の怪物

 5 エステ荘の水の戯れ

 6 キルヒャー師を訪ねて

 7 太鼓よとどろけ!

 8 失われた音をもとめて

 9 虹色クラヴサン

 10 鼓笛童子春壽(こてきどうじはるのことほぎ)

 11 レントゲン式収納術

 12 王妃に捧げるオートマタ

 13 蝋人形師の自動オルガン

 14 天使の音色―グラスハーモニカ興亡史(1)

 15 デイヴィス姉妹―グラスハーモニカ興亡史(2)

 16 天使のごときマリアンネ―グラスハーモニカ興亡史(3)

 17 メトロノームとパンハルモニコン

 18 狼谷は危険な香り

 19 幽霊たちが歩きだす

 20 バレリーナ幻想

 21 香りの音階

 22 純粋な響きをもとめて―ブルックナーと田中正平

 23 自動ピアノのための練習曲

 24 音楽の小箱

 

よくまぁこんな私好みのニッチで魅惑的な企画が通ったものだ。出版不況の昨今、この本の存在自体がファンタスティック。著者の長屋晃一氏は、19世紀のイタリア・オペラにおける音楽と演出の関係、オペラ・音楽劇のドラマトゥルギーについての研究が専門で、メールマガジン「月刊アルテス」の連載をまとめたもの。内容的にも、ウェブ媒体ではなく紙の書籍にすることで完成形になったとも言える。豊富な図版を収録した、非常に凝ったブックデザインで、「地」の部分に印刷されたバーコードの切れ端みたいな模様が、1冊になると楽譜に見えるという仕掛けも。

 

どのトピックも興味津々だが、1つだけ挙げるなら、3章が割かれている「グラスハーモニカ興亡史」だろう。グラスハープとその進化形であるアルモニカについて語られるのだが、その中で登場してくるのが全盲のアルモニカ奏者マリアンネ・キルヒゲスナーである。モーツァルトが彼女と出会って作曲したとされる「アダージョとロンド」ハ短調K617は、今年4月に大橋エリさんのグラスハープの実演でも聴いている。その伝説のマリアンネに、思いがけずこんな文脈で出会うことになるとは、ニッチな興味でも続く時は続くものである。

 

* * *

 

タイトルに惹かれて観始めたNHKで放送中のドラマ「いつか、無重力の宙(そら)で」が良い。1話15分という尺の短さを感じさせない中身の濃い脚本と、女優さんたちの繊細なアンサンブルが魅力で、続きが楽しみ。ちなみに拙ブログのタイトル「今夜、ホールの片隅で」は、「今夜、宇宙の片隅で」というドラマから拝借している。今では覚えておられる方も少ないであろう、三谷幸喜氏の初期作品の1つ。本間勇輔氏によるサントラも良い。

■TOPPANホール25周年 室内楽フェスティバルⅢ(25/10/5 TOPPANホール)

 

[ソプラノ]アネッテ・ダッシュ

フォーレ四重奏団

[ヴァイオリン]エリカ・ゲルトゼッツァー

[ヴィオラ]サーシャ・フレンブリング

[チェロ]コンスタンティン・ハイドリッヒ

[ピアノ]ディルク・モメルツ

 

ブラームス/ピアノ四重奏曲第3番 ハ短調より 第1楽章

マーラー(ツェルナー編)/歌曲集「若き日の歌」より「緑の森を愉快な気持ちで歩いたら」、歌曲集「子どもの魔法の角笛」より「トランペットが美しく鳴りひびくところ」

ブラームス/ピアノ四重奏曲第3番 ハ短調より 第2楽章&第3楽章

マーラー(ツェルナー編)/歌曲集「若き日の歌」より「思い出」、歌曲集「子どもの魔法の角笛」より「ラインの伝説」

(休憩)

ワーグナー(ツェルナー編)/ヴェーゼンドンク歌曲集

ブラームス/ピアノ四重奏曲第3番 ハ短調より 第4楽章

マーラー(ツェルナー編)/歌曲集「さすらう若人の歌」より「愛しいひとが結婚するなら」、歌曲集「若き日の歌」より「別れろ切れろ」

(以下アンコール)

マーラー(ツェルナー編)/誰がこのうたを作ったのだろう

ブラームス(ツェルナー編)/「49のドイツ民謡集」より「谷の底では」、「静かな夜に」

 

開館25周年を迎えたTOPPANホールの新シーズンの幕開けは、「フォーレ四重奏団とともに」と題された五夜に渡る室内楽フェスティバル。その第三夜はソプラノのアネッテ・ダッシュが登場し、ブラームスのピアノ四重奏曲の楽章間にマーラーやワーグナーの歌曲を挿入するという凝ったプログラム。クララ・シューマンやマティルデ・ヴェーゼンドンクへの想いを始め、秘めたる恋心が描かれた作品を集めたこのアンソロジーには、「Unrequited Love ―片思い」という副題が添えられている。

 

プログラムを見た時には大いに惹かれたこの趣向、実際に聴いてみると思ったほどの効果を上げていないように思われた。アネッテ・ダッシュは最初からフォーレ四重奏団と共に登場し、ピアノ四重奏曲の演奏中もずっと耳を傾けている。だが単品の歌曲と組み合わせるにはブラームスの楽章は長く、ブラームスの楽章に挟み込むには歌曲の尺がもの足りない。正直これなら、前半と後半で歌曲とピアノ四重奏曲をまとめて演奏してもらった方が良かったのでは…と思ってしまった。

 

結局、最も聴き応えがあったのは、5曲がまとめて演奏された「ヴェーゼンドンク歌曲集」だった。ツェルナー編曲によるピアノ四重奏伴奏版だが、それこそ室内楽ならではの精妙なアンサンブルを、特に「温室にて」や「夢」で堪能。パワフルでスケール感のあるアネッテ・ダッシュの歌声は、ワーグナーには向くと思うけれど、マーラーにはもう少し詫び寂びのニュアンスも欲しいところ。本編のラスト2曲では、自ら手にしたトライアングルを鳴らしながら歌うという演出付きだった。

■東京交響楽団 第734回定期演奏会(25/9/27サントリーホール)

 

J.S.バッハ/マタイ受難曲

 

[指揮]ジョナサン・ノット

[ソプラノ]カタリナ・コンラディ

[メゾ・ソプラノ]アンナ・ルチア・リヒター

[エヴァンゲリスト(テノール)]ヴェルナー・ギューラ

[イエス(バリトン)]ミヒャエル・ナジ

[テノール]櫻田 亮

[バリトン]萩原 潤

[バス]加藤宏隆

[チェロ]伊藤文嗣

[ヴィオラ・ダ・ガンバ]福澤 宏

[オルガン]大木麻理、栗田麻子、安井 歩

[合唱]東響コーラス

[児童合唱]東京少年少女合唱隊

 

今季の東響定期は重量級の宗教曲が続く。ロッシーニ「スターバト・マーテル」、ブリテン「戦争レクイエム」と来て、いよいよバッハ「マタイ受難曲」である。この曲を実演で聴くのも、全曲通して聴くのも、これがようやく2回目。前回聴いたのは2001年1月の東響定期(指揮・若杉弘)で、つまり定期会員でなければ積極的に聴きに行きたい演目ではない。前回はろくに予習もせずに聴いたので、ただ聴いたということしか覚えておらず、指揮者も忘れていたほど。ノットが指揮する今回を逃したら、この曲とは一生縁が薄いままになりそうなので、しかと聴いておきたい。

 

事前に参考にしたのは、音楽之友社刊「もっときわめる!1曲1冊シリーズ」の「マタイ受難曲」(矢澤孝樹・著)。これが非常に有効で、歌詞対訳を読むだけでは把握が難しい作品の概要・構造がコンパクトにまとめられ、レチタティーヴォ、アリア、コラールなどこの曲の重層的なレイヤーを的確に解き明かしてくれる。今年7月に出たばかりだから、まるで今回の公演に合わせた私のためのような1冊。予習用に初めて購入した同曲のCDは、ミシェル・コルボ&ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルによる1982年の録音。この本とCDで、この夏こつこつと聴き進めた。

 

舞台上のレイアウトは、指揮者の左翼側に第1オケ、右翼側に第2オケ、真ん中の境目付近に通奏低音のチェロ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、2台のポジティフ・オルガン、下手袖にパイプオルガンのコンソール。舞台奥に第1&第2合唱、Pブロック後方に児童合唱、独唱陣は主要4人が指揮台近くに並び、残り3人は左右の袖付近に待機、出番が来ると中央に移動して歌う。ソプラノとメゾ・ソプラノも伴奏するオケに合わせて立ち位置を入れ替えていた。18時10分頃開演し、第1部が約80分、休憩20分、第2部が約100分で、終演は21時30分頃だった。

 

初めて意識的に全曲を聴いて、今さらながらに音楽史上比類なき金字塔であることを実感。まさに蒙を啓かれた3時間半。確かに感動はしているのだが、その感動の質がオペラともシンフォニーとも全く異なる。福音史家が客観的に語り、アリアやコラールで感情的に補完するというシステムが、ほかでは味わえない独特の「乳化」作用を聴き手にもたらすのだ。比較の対象が現時点ではコルボ盤しか無いので、当夜の演奏について云々するのは難しいけれど、ノットらしく彫りが深く情感豊かで、コルボ盤よりずっと「こってり」した聴き応えがあった。

 

有名な第39曲のアリアでは、立奏する小林コンマスのオブリガートと共にアンナ・ルチア・リヒターが滋味深い歌唱を披露。第42曲のバスのアリアでは第2オケの景山コンマスが立奏し、この辺りが視覚的にも全編のハイライトを形成する。個人的に最も印象深かったのは第49曲のアリアで、コンラディの澄み切ったソプラノと、フルート、オーボエ・ダモーレ2のみで紡がれるミニマムなアンサンブルがしみじみ沁みる。思い入れたっぷりにメリハリを利かせたリヒターによる第52曲のアリアもまた然り。リヒターは第59曲のゴルゴタのレチタティーヴォも味わい深かった。

 

ちなみにノットは、聖歌隊時代に児童合唱としてこの曲を何度も歌ったことはあるが、指揮をするのはこれが初挑戦なのだとか。ノット監督時代の12シーズン、忘れがたい名演は数あれど、自分にとっての最大のレガシーは、「マタイ受難曲」と初めて正面から向き合わせてくれたことかもしれない。

 

* * *

 

ところで、私が初めて「マタイ受難曲」という作品の存在を知ったのは、昔読んだバッハの伝記だった。音楽之友社刊の「ジュニア音楽図書館」シリーズの第1巻「音楽の父 バッハ」。実家の書棚に眠っていたこの本を数十年ぶりに読み返してみたら、この巻、やなせたかし氏が絵だけでなく文も担当しているのですね。主人公の少年が、やなせ氏を思わせる漫画家の「いねむりおじさん」から、バッハの生涯の物語を聴くという設定で、冒頭で少年が初めて耳にするのが「マタイ受難曲」なのだ。

 

 「その時、そのヘッドフォーンからぼくの耳に、いや、からだのなかに流れこんできた音楽について、ぼくはなんといっていいのか分かりません。聞いているうちに、ぼくは思わず「あ!」とさけんでしまいました。「あ! あ! あ! あ! あ!」 胸がドキドキし、指先もドキドキしてきて、背中がカーッとあつくなったのです」

 

このくだりが強く印象に残っていて、長らく「マタイ受難曲」と言えばまずこれを思い出すのだった。そして今年、やなせたかし夫妻をモデルにした朝ドラ「あんぱん」の放送と前後して、初めてマタイ全曲の魅力に触れることになるとは、ちょっとした奇遇ではある。

 

■京都市交響楽団 東京公演(25/9/23サントリーホール)

 

[指揮]沖澤のどか

 

L.ファランク/交響曲第3番 ト短調

リムスキー・コルサコフ/交響組曲「シェエラザード」

(アンコール)ドビュッシー(カプレ編)/月の光

 

1曲目の作曲家ルイーズ・ファランク(1804~75)は今回初めて知った名前。没後に評価される人が多い女性作曲家にあって、生前からヨーロッパ各地で作品が演奏されていた例外的な存在とのこと。交響曲は3曲あり、1849年初演の第3番は、同じト短調で書かれたモーツァルト40番との類似が指摘されている。「交響曲の教科書」のような端正な書法の4楽章構成。そこに光を当てた意欲的な演奏だったと思うけれど、もう一度聴きたい曲かと言われると…?

 

メインの「シェエラザード」は、繊細さよりもところどころ顔を出す無骨さが目立つスケールの大きな演奏。第2楽章の半ばに現れる、トロンボーンとトランペットによる掛け合いのソロの緩急が面白い。シェエラザード役のヴァイオリン・ソロは石田組長。沖澤&京響の良好な関係は伝わってくるものの、全体的な満足度は一昨年のベートーヴェン&コネソンには及ばなかったかな。

 

■読売日本交響楽団 第651回定期演奏会(25/9/25サントリーホール)

 

[指揮]ケント・ナガノ

 

マーラー/交響曲第7番 ホ短調「夜の歌」

 

ケント・ナガノの指揮は1997年にサイトウ・キネン・オーケストラでメンデルスゾーン「宗教改革」を聴いた記憶がある。2020年に聴く予定だったN響とのヴィトマン「箱舟」はコロナ禍で中止に。東京の常設オケへの出演は約39年ぶりで、録音や放送でもほとんど聴いてこなかったので、個人的にはその芸風がまだよく分かっていない指揮者。長身で折目正しい指揮姿は現役屈指の美しさで、キュー出しの手数も多く、素人目にはとても演奏し易そうに見える。

 

マーラー7番は、最近では高速で飛ばすオートマ車のような演奏が多いけれど、この日は丁寧に運転されたマニュアル車のような乗り心地。決して最新型の車種ではないものの、全体に手入れが行き届いているのが分かる。ドライビングの緩急の好みは別として、オケのトランスミッションにマニュアル感があるのは好感が持てる。第5楽章冒頭の能天気なティンパニを、抑制されたマイルドな音で叩かせていたのが印象的。

■東京交響楽団 東京オペラシティシリーズ第147回(25/9/20東京オペラシティコンサートホール)

 

[指揮]ジョナサン・ノット

[フルート]竹山 愛*

[オーボエ]荒木良太*

[ソプラノ]森野美咲**

 

ハイドン/交響曲第83番 ト短調

リゲティ/フルート、オーボエと管弦楽のための二重協奏曲*

リゲティ/歌劇「ル・グラン・マカーブル」より マカーブルの秘密**

モーツァルト/交響曲第41番 ハ長調「ジュピター」

 

ノット監督の任期中に聴く最後のハイドン、リゲティ、モーツァルト。ハイドンの80番台の交響曲は、ブログ開設以来の11年半で82、85、86、88番の実演に接したが、83番は初めて。今回のプログラム表記には無いが、「めんどり」というニックネームが付くこともある。第1楽章の冒頭からパウゼの間が深く、モーツァルト40番にも通ずる哀しみが疾走する。久しぶりに聴くこのコンビのハイドン、シンフォニックで表情豊かな全4楽章を堪能。

 

2曲目は竹山・荒木両首席がソロを務めるリゲティのドッペル。2人のソリストは指揮者の左側に並んで演奏するが、持続する微分音の揺らめきがしばしばオケの同族楽器と混ざり合い、派手な見せ場もほぼ皆無。これなら木管セクションの位置で演奏しても良さそうなものだが、敢えてソロとして距離を置いたところに妙味があるのだろう。静と動の2つの楽章から成り、音楽というよりは虫の鳴く音のような、小さな生物の動きに耳を澄ませているような心持ち。

 

休憩後の3曲目もリゲティ。「マカーブルの秘密」は川瀬&神奈川フィルで2回(2015年2月、2022年2月)聴いていて、2回とも歌った半田美和子さんのイメージが強いのだが、今回の主演は森野美咲さん。レディー・ガガ風に銀ピカの「宇宙警察ゲポポ様」コスプレで、指揮者やコンマスにちょっかいを出しながら、金髪を振り乱しての熱演。途中、立ち上がり「ヤッテラレルカー」と声を上げたニキティン氏の役者ぶりもなかなか見ものでした。

 

最後はジュピター交響曲。2019年11月にも同じくオペラシティでこの曲をこのコンビで聴いており、その時は「もの足りない」「しっくりこない」という感想を残している。それから6年後、任期最後のモーツァルトは、最高のモーツァルトになった。決して合わせ易いとは思えないノットの呼吸にオケが当然のように応え、その一体感が半端ではない。ノットがフリーハンドで描き出す楽想が、面白いように次々と具現化されてゆく。なんて自由で瑞々しくて、しかも大胆不敵なモーツァルトだろう。

 

第3楽章のトリオなど、今生まれたばかりの即興演奏みたいだ。そして圧巻の第4楽章はもう言葉にならない。刻々と音楽が進むにつれ、思いもよらない場所へと連れていかれる。これまで何度も見てきたはずの風景なのに、まるで初めて目にする風景のような驚き。ノット&東響を12シーズン聴いてきて、何度も決定的な名演に立ち会ってきたけれど、まだこんなに揺さぶられるとは。過ぎていく一瞬一瞬があまりにも愛おしい。こんなジュピター、人生でもう二度と聴けないだろうな。

順番が前後するが、先週末に聴いた2つの演奏会の記録を簡単に残しておく。

 

■日本フィルハーモニー交響楽団 第773回東京定期演奏会(25/9/12サントリーホール)

 

[指揮]カーチュン・ウォン

 

マーラー/交響曲第6番 イ短調「悲劇的」

 

このコンビによるマーラーの交響曲は5番、4番、3番を聴いたが、どうも私とは相性がイマイチのようなので、その後の9番、2番、2度目の5番は見送り。今回、大好きな6番ということで聴くことにしたのだが、結果としては、これまでの印象が大きく変わることはなかった。音響的には大変充実していると思うけれど、音楽的には最後まで(私には)感情移入しにくい演奏。

 

特に印象に残ったのは、第1楽章のトランペットの長調→短調のモチーフが、打楽器にかき消されて全く聞こえなかったこと。第2楽章のティンパニの打撃がやかまし過ぎて、まるで工事現場で鉄板を叩いているようだったこと。中間楽章はスケルツォ→アンダンテの順。最終楽章のハンマーは2回。このハンマー、直線的に振り下ろせる重さではなく、振りかぶったら音符より先に弧を描いて落ち始める。重量感たっぷりの理想的ハンマー。

 

■NHK交響楽団 第2042回定期公演(25/9/14NHKホール)

 

[指揮]ファビオ・ルイージ

[ピアノ]イェフィム・ブロンフマン*

 

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調「皇帝」*

フランツ・シュミット/交響曲第4番 ハ長調

 

メインのフランツ・シュミット4番は、この曲の当たり年だった2021年にヴァイグレ&読響、角田鋼亮&日フィルで聴いて以来。首席指揮者2期目の開幕戦に持ってきた、ルイージの「宿願」だったというレパートリー。久しぶりに聴き直してみて、やっぱり良い曲だな…と思うと同時に、こんなに華奢で痩せた音楽だったかな?とも思う。そう思わせる大きな要因は、やはり会場の違いだろう。最初にサントリーホールではなくNHKホールで聴いていたら、この曲をこれほど気に入っていたかどうか。

 

もっとも前半の「皇帝」で、ブロンフマンの大柄な身体から生み出される羽が生えたように軽く柔らかなタッチも、第2楽章冒頭の霧が立ち込めたように幻想的な弦の美しさもまた、ほかの会場では同じようには味わえなかっただろうけど。

■紀尾井ホール室内管弦楽団 第144回定期演奏会(25/9/15東京オペラシティコンサートホール)

 

[指揮]阪 哲朗

[ピアノ]阪田知樹*

[ソプラノ]三宅理恵、山下裕賀**

[合唱]TOKYO FM少年合唱団**

 

ヴェーバー/歌劇「オベロン」序曲

コルンゴルト/左手のためのピアノ協奏曲 嬰ハ調*

(アンコール)シューベルト(リスト&ヴィトゲンシュタイン編)/君はわが憩い*

メンデルスゾーン/劇付随音楽「夏の夜の夢」(ナレーション部分:No.2の一部、4、6、8を除く)**

(アンコール)ヨハン・シュトラウス2世/喜歌劇「こうもり」序曲

 

紀尾井ホールが改修工事中のため、オペラシティに出張してのKCO定期。解説によれば、コルンゴルトは1935年にアメリカ映画「真夏の夜の夢」の音楽を担当し、メンデルスゾーンの作品(夏の夜の夢だけでなく、スコットランドやイタリア交響曲も)を大規模に編曲して全編に織り込んだという(観てみたい!)。そんな、3人の作曲家が「夏の夜の夢」でつながるプログラム。個人的には、カンブルラン&読響、沖澤&SKOと続いた今夏の「夏の夜の夢」特集の完結編でもある。

 

ヴェーバーの歌劇「オベロン」は、今まで気にしたことがなかったけれど、シェイクスピアではなくヴィーラントの叙事詩「オベロン」が原作なんですね。初演地のロンドンでは大当たりだったらしいが、台本にはかなり問題があるようで、今では全曲上演の機会も稀。限りなく魅惑的な序曲を聴きながら、いつかオペラそのものを鑑賞する機会があるのだろうかと、未知の本編に想いを馳せてしまう。

 

続いて珍しいコルンゴルトの左手協奏曲。著名なラヴェルの同名曲と同じくパウル・ヴィトゲンシュタインによる委嘱で、ラヴェル作品に先んじて完成された。30分超を要する単一楽章には、一筋縄ではいかない大胆で斬新な展開の中に、コルンゴルトらしい親しみ易く夢幻的な楽想が散りばめられており、未知の映画のサウンドトラックのよう。そしてラヴェルの左手が本質的に「陰」なら、こちらは「陽」だと思う。独奏ピアノはもちろん、オケの各パートの個人技も光るアクロバチックな逸品。

 

危なげなくパワフルに難曲を攻略してみせた阪田さん、アンコールもまた左手で弾き始めた。本編の興奮をクールダウンするように穏やかに紡がれた小品は、ヴィトゲンシュタイン編曲のシューベルトだった。

 

休憩を挟み、メンデルスゾーン「夏の夜の夢」。抜粋ではない劇付随音楽版を聴くのは初めてで、てっきり通しでやってくれるのかと思っていたら、実際には「ナレーション部分を除く」演奏。序曲・スケルツォ・妖精の行進・合唱・間奏曲・夜想曲・結婚行進曲・葬送行進曲・舞曲・終曲の順で演奏された。ソプラノと合唱が加わるのは「合唱」と「終曲」。これらの各曲が原作の流れとどう結び付くのかはよく分からなかったが、歌詞対訳を読むと声楽部分のドイツ語は原作のテキストに対応しているようだ。

 

何よりメンデルスゾーンの音楽そのものが雄弁で多くを語っている。これを聴いたら、たとえシェイクスピアの元ネタを知らなくても、コルンゴルト同様、未知のドラマを想像せずにはいられないだろう。今回、合唱には一般的な女声合唱ではなく児童合唱が起用され、「妖精の行進」の演奏中に並んで登場(全員男の子)。終曲の「妖精の合唱」はまさに嵌り役で、聴きながら松本で聴いたブリテンの妖精たちを思い出したりして、「夏の夜の夢」に親しんだ夏も終わるのかと、ちょっとしんみり…。

 

でも、これで終わりではなく、「こうもり」序曲のアンコール付き。水を得た魚の如く躍動する阪さんに煽られて、オケが恐るべき解像度とグルーヴ感でうねり、クライバー&バイエルン国立管以来かというキレキレの爆演に。このホールで聴くKCO、もしかして今、都内最強のオケでは。

■NHK交響楽団(25/9/6埼玉会館大ホール)

 

[指揮]角田綱亮

[ヴァイオリン]中野りな*

 

モーツァルト/歌劇「ドン・ジョバンニ」序曲

チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調*

(アンコール)ピアソラ/タンゴ・エチュード第3番*

ベートーヴェン/交響曲第5番 ハ短調「運命」

(アンコー)チャイコフスキー/弦楽セレナード ハ長調より 第2楽章ワルツ

 

この公演には主に2つの興味があった。1つは会場の埼玉会館である。前川國男が手掛けた昭和のモダニズム建築を、以前から一度訪ねてみたいと思っていた。JR浦和駅の西口を出て駅前通りを5~6分歩くと、右手にそこだけ周囲とは趣きの異なる一角が見えてくる。箱型の建物の外観は、角が丸みを帯びて黄褐色のタイルで覆われている。自然の高低差を活かした敷地には、前川が提唱するエスプラナード(中庭的広場と遊歩道による空間構成)が幾つかのレイヤーで広がり、全体が明るいブラウン系のタイル張りで統一されている。

 

半地下に潜らせたホワイエは、曲線を描いて天井とつながる何本もの柱が特徴的。1315席の大ホールの内観は、間口に対して天井が高く、左右の木製の壁面が巨大なU字を伏せたようにそのまま天井へと続いている。客電が落ちた時に壁面に浮かぶ直線的な陰影が何ともスタイリッシュ。肝心の音響は、同じく前川作の東京文化会館に似てデッド系だが、こちらの方がサウンドにまとまりと奥行きが感じられる。都内からのアクセスも悪くなく、もっとオーケストラ公演に活用されてほしいホールだ。

 

もう1つの興味は、ソリストの中野りな。名前を知るばかりだったこの人の存在を意識するようになったのは、昨年9月に東響の名曲全集@ミューザをニコ響で視聴してから。その時彼女が弾いたモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番の、清々しく表情豊かな演奏にすっかり惹き込まれてしまい、一度実演で聴かねばと思っていた。この日の印象は、楽器の音が大きく、弓が弦を捕らえるグリップに乱れが無いということ。ただチャイコンにしては音楽が生真面目すぎるというか、正直すぎるというか…。その本領を知るには、もっと色々と聴いてみる必要がありそうだ。

 

名曲プロのメインはベートーヴェン5番。きりりと引き締まったいかにも現代風のプロポーションながら、語り口がナチュラルで音楽に窮屈なところが無い。各パートの分離が良好で、第3楽章で裏拍が強調される場面など、各楽章に必ず「これは」と思わせるポイントがある。何度聴いても聴くたびに新たな発見があるのが名曲たる所以で、この曲を目当てに聴きに来た訳ではなかったのに、終わってみればかなり満足度は高かった。そして埼玉会館の響きは、この曲と共に記憶されることになった。