小澤征爾さんのこと | 今夜、ホールの片隅で

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東京在住クラシックファンのコンサート備忘録です。

小澤征爾さんが2月6日に亡くなった。88歳。同年代のマエストロたちがまだまだ健在で指揮台に立つ中、毎年放送される松本の音楽祭での歩くこともままならないその姿を見るのは辛かった。音楽家人生の集大成となるはずだった時期に、活動の大幅な制限を余儀なくされるという、指揮者にとっては残酷な晩年だった。

 

私自身は小澤さんの熱心な聴き手ではなかった。実演で聴いたのは5回あったかどうか。特にこのブログを始めてクラシック熱が再燃したここ10年は、小澤さんがコンスタントに指揮できなくなってしまった時期とほぼ重なっていたため、1回しか実演に接することができなかった。それ以前にも聴くチャンスはいくらでもあったかと思うと、同時代を生きながらも、聴き手としては実に間が悪かったとしか言いようがない。最後に2016年3月の演奏に立ち会えたことは、今にして思えば僥倖だった。

 

🔳小澤征爾&水戸室内管 ベートーヴェン5番の純真(2016/3/29)

 

以下は、そんな一クラシックファンから見た、小澤さんについての極私的な雑感である。

 

小澤さんの長いキャリアの中で、特に印象に残っている場面が3つある。1つ目はボストン時代で、1988年8月25日に行われたバーンスタインの70歳を祝うバースデイ・コンサート。録画したそのコンサートの模様については、バーンスタイン生誕100年の時に一度書いたことがある。師匠の懐に飛び込む小澤さんの「小僧っぷり」「愛弟子っぷり」がこの上なく発揮された舞台として忘れられない。

 

🔳30年前の今日、タングルウッドで(2018/8/25)

 

2つ目は1989年のベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサート。小澤さんはアマチュア合唱団・晋友会を引き連れて、オルフの「カルミナ・ブラーナ」を振った。前年のベルリン・フィル定期での高評価を受けて再度呼ばれた形だったと思う。声楽付きの大規模作品を得意とした小澤さんだが、ベルリン・フィル、晋友会、そしてオルフの音楽がぴたりと嵌った、これはその頂点とも言うべき会心のパフォーマンスではなかったか。

 

3つ目は月並みだが、2002年のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート。小澤さんのウィーン時代を代表する場面というと、やはりこれになる。しかも最もキレキレだったのは、ワルツでもポルカでもなく、ヨーゼフ・ヘルメスベルガーの「悪魔の踊り」。これを聴いた時、小澤征爾という指揮者の音楽性の本質を垣間見た気がしたものだ。以上が私が見てきた小澤さんの、ボストン、ベルリン、ウィーン三都におけるハイライト。

 

もう1つ、余計なことを書く。小澤征爾と立川談志についてである(この2人、小澤さんが4か月ほど年長の同学年だが、生前に接点はあったのだろうか?)。私が立川談志の落語を聴くようになった頃には、すでに彼の芸歴は晩年に差し掛かっていた。世評の高かった「芝浜」など、極められた芸の厳しさがあった。しかしある時、談志がまだ若手だった頃の音源を聴いて、その軽やかな口跡に惚れ惚れとさせられた。立川談志の芸の本質は、むしろこっちにあるんじゃないかと。

 

それと似たようなことを、小澤征爾にも感じるのだ。一般的に小澤さんの最も脂の乗った時期と言えば、ボストン時代の後期だろうか。確かにその時期の演奏も素晴らしいし、それ以降の演奏にも凄みを感じてしまう。しかしボストン時代以前の、トロント響やシカゴ響との録音を聴くと、その引き締まった音楽の身のこなしに痺れる。音楽が圧倒的に若い。それは後年になってからも、彼の核心に宿り続けていたものではなかったか。神格化された晩年の「征爾と談志」に、ふとそんなことを想った。

 

小澤さんの著書「ボクの音楽武者修行」を初めて読んだのは、中学生の時だっただろうか。もう一度読もうと思いつつ読みそびれたまま、結局訃報を聞いてから再読することになった。今これを読むと、小澤さんも、日本も、世界もまだ若かった…としみじみ思う。そんな「時代」の残り香が、いよいよ消えたのだ。