アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草 -8ページ目

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170119

 【曇のち晴】《18日の続き》
 (しまった)と思ったが、掃除のあと勝手に帰ってはいけない事になっていたから、先生の点検の時には必ず教室に戻るはずなので、その直後にとっつかまえようと手ぐすね引いて待っていた。

 ところが先生が教室に入って来たというのに、岡島の姿がない。
すると「あ〃岡島は急に腹が痛くなったので、一足先に帰したからな」と先生が言った。

 (やられた)と思ったが、明日になると気抜けしてしまい、いつも通りになってしまうのが分かっていたので、間に合うかどうか分からなかったが、全力で校庭を走り抜け、出来るだけ近道を選びながら岡島の家に先回りするために、本人とかち合わせしないように気を配りながら走りに走った。

 背中に気配を感じたので振り向くと、小野寺と家住そして宮内が追い駆けて来ていた。

「晃ちゃん一緒に行く」

 小野寺が息を切らせながら声を掛け、あとの二人も面白そうにうなずきながら走り寄って来る。

「頼む、あいつ今日中に処刑しねえとな」

 私もゼイゼイと息を切らせ答えると、またスピードを上げて走り続け、少し遠回りを承知で茂山鉄工所脇の踏切を渡って両毛線を越えると、緑町2丁目の愛宕山下の岡島の家に向かった。

 この調子なら多分岡島より先に着いている自信があるので、私達は中山床屋と川万の間の露地を抜けて、身を隠せる物影を選んで隠れ、岡島が来るのを待った。

 そこは両毛線の枕木を使った棚の切れ目から中に入った空地で、うまい具合に木箱や丸太が積んであるので、身を隠すのに不自由はなかったのだ。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170118

 【晴】《17日の続き》
「誰だって間違えたり忘れたりする事があるだろう。先生だって人間なんだから物忘れする事だってあるんだ。そうやって人の弱みを責めるのは、一番いけないんだぞ」

 (ウソだ。先生は忘れたんじゃなくて最初から知らねんだ)

 私は内心そう思ったが黙っていると、先生は苦し紛れの言い訳を並べながら、何となくその場を納めてしまった。

「罰として先生がいいと言うまで廊下に立ってろ」

 結局一番ワリを食ったのは私で、またもや教室前の廊下に水の入ったバケツを両手に持たされて立たせられた。

「アーラ渡辺君、あなたまた立たされてるの。いつもいつもご苦労さんね」

 四組で一番ひょうきん者の橋本が、女の渡辺先生の物真似をしながら私の前を通り過ぎ、また引き返して来ると、「今度は何をやって立たされたの」と、私が動けないのをいい事に、やりたい放題だった。

 橋本は家が近所だったから、大抵の悪さは一緒にやっていたので、からかわれても腹は立たなかったが、前を通る先生達が、みんな私の頭をコツンとやって行くのには閉口した。

 岡島と仁田山はそんな私の姿を見て、あいつ馬鹿だなと思ったのだろう。

 6時間目の授業が終わり、下校前の掃除が始まると、私は岡島の姿をいつも目の隅に入れて、あいつに逃げられないように注意していた。

 岡島もそれを知っているから、決して私を自分のそばには近付けなかった。

 二人の無言の戦いが30分程続き、私がふと目を離したスキに、岡島の姿はどこにもなかった。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170117

 【晴】《16日の続き》
 これには先生も少し口篭もってしまい、それから「小学校ではそこまでの勉強はしなくていいの。今は弁が上がると水も上がるって知っていればいいの」と、凄く投げやりな感じで捨てゼリフを吐きながら、まだ授業が終わっていないのに、机の上を片付け始めた。

 そんな様子を見ていると、私達は鬼の首でも取った気になり、「きぃたねんだきぃたねんだ、せーんせはきぃたねんだ、自分が分かんねから、コソコソ逃げるんだ」と、一斉にはやしたてたものだから、先生は完全に頭に来てしまった。

「渡辺こっちへ来い、早く教壇の前に来い」

 真っ赤な顔で声を震わせながら、先生は大声で私を呼んだ。

 (エーッ何で俺なんだよ。みんな同じじゃねえのかよ)

 私は内心物凄く不満だったが、これ以上逆らうと何をされるか分かったものではないので、しぶしぶ前に出て行くと、いきなり「東京が見える刑」をかけられてしまった。

 「東京が見える刑」は、頭を両手で掴まれて宙吊りにされる刑で、「むぐし刑」ほど苦しくはないが、見た目よりずっときつい。

 私は痛さをこらえながら「俺だけじゃねえもん、みんな言ったもん、何で俺だけやられるんだか分かんねえ」と、手足をバタつかせながら必死で抗議した。

「ウルサイ、お前が一番騒いでた」

「ウッソだー、俺より橋本とか木村の方が先に騒いでたもん。家住なんか一番デケぇ声出してたもん」

 私は自分だけお仕置を受けるのが悔しくて、ギャアギャア喚きながら抵抗したが、先生の馬鹿力にはどうしても勝てなかった。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170116

 【晴】《15日の続き》
 なぜ二人が私を馬鹿だと言いふらしていたのかは、思い当たる事が多過ぎてよく分からないが、多分あの事だろうという見当はつくのだ。

 それは二日前の理科の授業の時だったが、井戸の手押しポンプを動かすと、なぜ水が汲めるのかを説明しろという質問に、いくら考えても分からなくて答えられなかった。

 けれど、結局は学年一の秀才をはじめ、質問した先生にだって説明する事が出来なかったのだ。

 どうしても分からないから答を教えてくれとせがむ私達に、先生はあの手この手ではぐらかそうと四苦八苦していたが、ついに終鈴までごまかし切れず、「ポンプの弁が上がって行くだろう。ホーラこんな風に…」と手まねでやって見せながら、「それにつれて、ほーら水も上がって来るだろう」とやったものだから、これを見逃す良い子など一人だっている訳がなく、ほとんどの男子はイスから立ち上がって、「アー、アー、そんなんごまかしだ。先生分かんねえからごまかしてるんだ。きぃたねえー、先生のクセに分かんねえんだ」と、もう大騒ぎで先生を野次った。

 もちろん私も人一倍大きな声で喚き散らしたのは言うまでもない。

「何がごまかしだよ。こうやって水はちゃんと上がって来るじゃないか。これのどこがごまかしだよ」

 先生は何とか私達を納得させようと必死で手まねも加えて説明した。

 私は透かさず「だって弁が上がると、どうして水も上がって来るのか、そこのところを知りたいんだもん」と食い下がると、みんな「そうだ、そうだ」と口を揃えて同調する。

 先生は顔を真っ赤にして「それはぁ、そのような原理が働くからに決ってるじゃないか」と大声で怒鳴りつけて来た。

 すると今度は、女子の一部までも立ち上がって、「先生、私達はその原理がどんなものなのかが知りたいんです」と来たもんだ。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170115

 【雨】
「渡辺よ、岡島と仁田山がオメエの事を馬鹿だって言ってたぞ」

 廊下ですれ違った時に木村が耳打ちして来たので、私は昼休みを待って二人を捕まえ、こっぴどく痛めつけようとてぐすね引いていたのだが、岡島の奴は早くも気配を察知したのか、いつの間にか雲隠れしてしまった。

 仁田山はこっちの思いに全く気付いてないのか、いつものように弁当をぱくついていた。

 あの頃の給食は一日おきだったから、弁当の日も一日おきにあったのだ。

 弁当を食べ終わった仁田山が、何人かと校庭に出て行くあとについて昇降口に出たところを、「オイ仁田山、オメエ俺の事を馬鹿だと言ったんだそうだな」と問い詰めると、仁田山は物も言わずに裸足のまま外に飛び出して逃げた。

 そんな事は予期していたので、私は直ぐに仁田山を捕まえると、ギャアギャア喚くのもかまわずに、最も重い「むぐし刑」に処した。

 ワハハ、ワハハと笑いながら泣いている仁田山が、とうとう声も出なくなるほど参ったところで刑を終えると、「馬鹿野郎、いつかテメエ殺してやるからな」と泣き喚いて地べたを転げ回っているのを尻目に、今度は岡島の奴を見付けるため、便所の裏や奴が身を潜めていそうな場所を探したが、とうとう捕まえる前に昼休みが終わったので、しぶしぶ教室に帰ると間もなく、5時間目の授業のために入って来た先生のうしろから、岡島の奴が涼しい顔で入って来た。

 (あの野郎今に見てろ)、私は奴の処刑を放課後まで延ばす事にして授業に集中した。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170114

 【晴】
 学校前を流れる「逆さ川」に架かる石橋を渡り、正門をくぐって直ぐの左側に、我が校の二宮尊徳像が立っている。

 石像の台座の前に座らされて、二宮尊徳についての説明を受けたのは、入学して間もなくの事だった。

 以来、石像の前を通る時には、なぜか居ずまいを正してしまうのは私だけではなかった。

 ある時、授業が終わって校門を抜ける直前に、一緒にいた仲間の中の長谷川が、「あのなー、二宮金次郎と同じように本を読みながら道を歩くのは、本当は悪いんだってよ。なぜって、もし前も見ねえで歩いてたんじゃ危なくって仕様がねえって、うちのあんちゃんが言ってた」

「バカヤロー、二宮金次郎の時代は、自転車も車もねえんだよ。だから本読みながら道歩いたって、誰にもぶつかりゃしねえんだよ」

 家住が口からツバを飛ばしながら長谷川をどやしつけた。

「そんな事ねえさ。昔だって馬や荷車があったし、カゴだってあったじゃねえかよ。そんなら今と同じで、前も見ねえで道歩いてたらよ、やっぱし何かにぶつかるかもしんねえじゃねえか」

「二宮金次郎がいた所は物すげえ田舎で、人も馬もほとんどいねえ所なんだよ」

 腕っ節の強い家住は、長谷川の首を抱えてグイグイとしめつけながら言った。

「痛え、痛え、首が痛えよ。苦しい、息が出来ねえよ」

 のたうち回る長谷川を横目で見ながら、私や小野寺、そして宮内や沼、岡島も板橋も腕組みして考えてしまった。

 長谷川の言った事は今まで思ってもいなかったし、そう言われれば確かにそんな気もする。

 物事は見方によって、随分と違って来る事を、私はその時つくづく知った。http://www.atelierhakubi.com/

アトリエ雑記…肖像画職人の徒然草/170113

 【晴】
 三学期に入って「仲良しクラブ」の初練習のあとに、先生のおごりで新年会が開かれた。

 会場が音楽室なのが気に入らなかったし、何とか口実を考えてサボろうとしたけれど、ストーブの上の大きなやかんから飲み放題のカルピスや、先生が家で用意した手作りのケーキにつられ、期待に胸をふくらませて参加した。

 ところが、カルピスは味が薄くて酸っぱいし、ケーキは出来そこないのビスケットみたいで美味くない。

 おまけに会の余興だからと、独唱と合唱で4曲も歌を歌わされて、もうがっくりして音楽室を出た。

 ほとんど毎日、ゲップが出るほど歌の練習をさせられているのに、いったい何が面白くて、その上にまた歌を歌わなければならないのか、私には楽しそうに歌っている仲間の気が知れなかった。

 そういえば相場昭子さんに、「コーラスと渡辺君の組み合わせって、全然合わないよ」と、鼻の先で笑いながら言われた事があったが、もしかしたら当っているのかもしれない。

 私はその頃、先生のすすめで入部した文芸部の活動の方に強くひかれていたので、コーラスの練習には少し負担を感じていた。

 しかし、今はどうか知らないが、私が小学生の頃は、そんな理由で練習をサボるどころか、コーラスをやめる事など出来るはずもないので、結局は両方を続ける以外になかった。

 文芸部が中心になって作成した文集の中には、市のコンクールで賞に入ったものもあり、結構面白かったので続いたのだろう。

 三学期には学芸会があるので、仲良しクラブの練習は当面そこに焦点を絞って、私の気持ちなど関係なく、日に日に厳しさを増していったが、そうなると不思議なもので、毎日の練習が段々と楽しくなって来て、当日が待ち遠しくなったものだった。http://www.atelierhakubi.com/