2025年ーーーーーーーーーーーーーーーー

イタリア共和国 カラブリア州

ブーツの先、リカーディ

 

約束の海岸

ーーーーーーーーーーーーーーーー17:15

 

ジュゼッペは無人となった約束の海岸で、祖母ビーチェと叔母カリーナ・アザロへ問いかける。

 

【(我々は償えるのか………。まだ終わってない。いったい我々には何ができるのだろうか?)】

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

シチリア自治州 パレルモ県

 

地下納骨堂(カタコンベ)

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

死者が並ぶ地下墓地の、見えないドアの向こう側。

ラウロ神父と数人の修道士達が話し込んでいる。

 

【ファーザー………。これからどうするのです?カリーナ・アザロがいないとミサも成り立ちません。信者にも動揺が広がっている様ですが】

 

【………D.S.due(2)を覚醒させる】

 

【ファーザー、あの女は大人です、気性もかなり荒い。我々にはコントロールし難いかと】

 

【教育係が必要だな………イレーネ、イレーネを呼べ!】

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

レッジョ・カラブリア県

ポマレッリ

 

沖合

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

霧の中、エリクの乗る漁船が漂っている。

 

【まぁた本島に船着けちまったなぁ。こら大ごとだぞ………。

 

………俺も漁師やめて拝み屋でもやるかな】

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

イタリア共和国

周辺 地中海上

 

ナポリ発東京行き

航空機内

ーーーーーーーーーーーーーーーーー 

 

「いやー。夢みたいな話だったな。しかし………歪だが…やっぱり永遠に生きるってはロマンだ」

 

「重ちゃん………。本当にそう思うの?」

 

 

「まあな。誰だって死にたくないだろ(笑)」

 

「制限の中に自由も命もあるのに………」

 

 

「………ロマンがねえなぁ。お前は難しく考えすぎ。頭固いよ」

 

 

【 ご搭乗の皆様、本日は当航空をご利用頂きまして………。………?本機は………。………………???? 】

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

イタリア共和国 カラブリア州

ブーツの先、リカーディ

 

モデナ家

ーーーーーーーーーーーーーーーー


 

【 カリーナ? 】

 

 

【 カリーナ!学校行くよ!?早く車に乗って!! 】

 

【 ママ、私はさ、 】

 

 

【 ゲームなんか持っていけるわけないでしょ!早く! 】

 

【 学校の中まで持っていかないよ。ママ………?どうしたの? 】


 

【 ………スマホ忘れた。もう!!カリーナ!言うことを聞いて!? 】

 

【 ママ!! 】


 

【 …………何? 】

 

【 私は何度死んでも生き返っても、ずっとずっとママを愛してる 】

 

 

【 ………。………。カリーナ、ドアを締めて。行くよ】

 

 

 

 

 

カリーナ・アザロ。ゆっくり眠れてる?

 

しっかりママに抱きついてる?

 

 

私はまた憂鬱な学校へ行くけれど、もう他人に自分の人生を任せたりしない。

 

廊下で転んで誰も見向きもしないのなら、でんぐり返しして大きな声で笑ってやる。

 

 

あの日のクラゲ、覚えてるよね?

 

 

私たちはあのクラゲたちの身体が、その存在が、月の光によって透けていることに嫉妬した。

 

彼らはどんな偽りも持たず、そよ風の様に舞って生きているから。

 

 

でも私はあれから思ったの。

 

私はあなたの心が透けて見えないからこそ、全てが分からないからこそ、愛したのだと思う。

 

 

あなたが口に出して言わないこと、私なんかが決して測りきれない悲しみ。

 

それらがはっきりと見えなかったから、私はあなたを愛したんだ。

 

 

私たちは生まれつき、生きることに大きな制限をつけられた。

 

それはとても、とても苦しいこと。

 

 

でも生きなければ。

 

私たちを大切に想う誰かがいる限りは。

 

 

そしてそういう存在は、生きている人たちにも、もう死んでしまった人たちの中にもいて、命は巡り巡って、どんな人にもそういう人は存在するのだと思うの。

 

 

カリーナ・アザロ、私にとってはあなたがその一人だった。

 

あなたが生きることができなかった100年の生は、私が引き受ける。

 

 

ほら、手をつなご。

 

遠く離れていてもつなげるよ。

 

 

つなご。

 

大好きだよ。カリーナ。

 

おやすみなさい。

 

 

切り分けた罪の果実、

 

私の半身のカリーナ。

 

 

私たちはひとつとなって、これからも生を、そして死を繰り返す。

 

 

D.S. 

 

ダル・セーニョ。

 

 

セーニョ記号まで戻り、また楽曲を、

 

 

生と死を、つまり

 

 

 

愛を繰り返す。

 

 

 

 

 

 

 

 

(終わり)

 

 

 

 

 

本作はイタリア・シチリア島に1920年から105年安置されている少女のミイラ、ロザリア・ロンバルドと、

 

その死体防腐処理を行った医師、アルフレード・サラフィアの逸話を元にしたフィクションでした。

 

 

作品の名は『 D.S. 』、ダル・セーニョ。

 

イタリア語の演奏記号です。現時点からセーニョ記号まで戻り、楽曲を繰り返す。

 

 

 

 

読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

2025年ーーーーーーーーーーーーーーーー

イタリア共和国 カラブリア州

ブーツの先、リカーディ

 

約束の海岸

ーーーーーーーーーーーーーーーー06:15

 

 

崖の下にある岩だらけの小さな浜辺。

 

白い霧が立ち込め、既に昇っているはずの太陽は隠されていた。

 

 

変色した木片が点々とし、その合間には青や黄色のビニールが薄汚れた顔を覗かせていた。

 

崖側には群青色の朽ち果てたボートが乗り上げ、船上に古びた網が山積みにされていた。

 

 

そんな世界に忘れ去られた様な浜辺に、カリーナ・アザロとカリーナ・モデナが手をつないで立っていた。

 

二人は霧の先を真っ直ぐと見つめていた。

 

 

そこへジュゼッペ・アザロと重、そして由加が崖を降りてきた。

 

ジュゼッペ・アザロはカリーナたちを見るなり目を丸くさせて言った。

 

 

【 カリーナ?………どういうことだカリーナが二人?】

 

重も驚く。

「おお?ほんとだ。双子みたいだな。由加、俺らのカリーナはどっちだ?」


 

【 チャオ。ジュゼッペ。あたしのママは?】

 

【 いや………。それは………】

 

 

 

続いて紺の光に反射するスーツをきたラウロ神父、黒の修道服に身を包んだ修道士数人が降りてきた。

ラウロが言う。

【 やっと見つけた。カリーナ・アザロ。GPSを埋め込んだのは左手だけじゃないよ?本当に悪い子だ】

 

 

【 お前がラウロ神父か?】

 

【 どうも。ジュゼッペさん。お初にお目にかかります。私がラウロですよ。父がお世話になったようで】

 

 

ジュゼッペはちらっと、赤いワンピースを着たカリーナ・アザロを見て、そして小さな声で言った。

 

 

【 ラウロ神父。なぜカリーナ・アザロがここにいるのか?】

 

【 ん?ジュゼッペさん。あなたがカリーナ・アザロとここで会う約束をしたからでしょう】

 

 

【 ………そういうことではなく……… 】

 

【 何がおっしゃいたいので?………まあ、貴方は下がっていてください。さあ!カリーナ・アザロ。母ビーチェに会いにいこう】

 

 

カリーナ・アザロはカリーナ・モデナの手を強く握って言った。

 

【 ラウロ。あなたは………。あたしがカプチン・フランシスコ修道会だと思っていたのはあなた達ルーシェ・フランシスコ修道会だった。どうしてそんな嘘をついたの?】

 

【 サラフィアの創った奇跡は一言では表し難いのです】

 

 

【 カリーナ・アザロ、騙されるな。こいつはお前を母に会わせるつもりなんてない!お前の延命を教義の為に利用したいだけだ】

 

【 ………ジュゼッペさん。どうして我々ルーシェ会がカリーナ・アザロを母ビーチェに会わせないって分かるのです? 】

 

 

【 それは………】

 

【 貴方は何かカリーナ・アザロに嘘でもついているんですかな】

 

 

【 嘘をついているのはお前らだ。でも………】

 

【 ………まあいいでしょう。カリーナ・アザロ。母ビーチェに会いに行こう】

 

 

【 ………ジュゼッペさん、言いにくいなら私が言ってあげる】

 

「おい、由加、口を出すな………」

 

 

【 カリーナ・アザロ!!】

 

カリーナ・アザロはその暁の様な赤みを帯びた瞳を由加に向けた。

 

【 貴方のお母さんのビーチェは………。お母さんは40年も前にもう死んだ!

 

ビーチェは延命なんてされてない!そしてビーチェは貴方の延命も止めるよう、安らかに眠らせるよう、カプチン会に頼んだ!

 

こいつらルーシェ会は、カプチン会だと偽って、自分たちの教義の為に貴方を利用していたの。

 

………105年間も………。お母さんはもう死んだの!カリーナ……… 】

 

 

カリーナアザロはその暁のような目を、初めて伏せた。

唇を噛み、物悲しい笑顔を浮かべた。

 

 

【 ………何となく分かっていた。あーあ………。やっぱりそうか。ママには会えないかぁ。何のための105年だったか………】

 

 

ラウロ神父は修道士から黒い箱に入った複数の注射器を受け取って言った。

 

【 カリーナ・アザロ。こんな外国人たちの言うことを信じるのか?さあ、ビーチェに会いに行こう。それにもうD.S.を打たないと身体が持たない】


 

 ジュゼッペ・アザロが言う。

【 ………カリーナ。もういいだろう?そんな薬を受け入れるな。

 

アザロ家はそのD.S.が生涯効かなくなる薬を持っている。

 

それ使うと多分、お前は数年も経たず、今抱えている病で死ぬだろう………。

 

それまで安らかに、わしたちと暮らそう 】

 

 

【 ほう、ジュゼッペさん。カリーナ・アザロに死ねとおっしゃるんですな?】

 

 

【 ………違う。カリーナ・アザロ。………実は今、ビーチェ・アザロを連れてきている】

 

【 ………どこに?】

 

 

ジュゼッペは上着のポケットから小さな巾着袋を出した。

 

それを開き、ガラスケースの中で白い綿で包まれた小さな骨を取り出した。

 

 

【 ビーチェの小指の骨だ。お前には渡すまいと思っていたが………。受け取ってくれ】

 

 

カリーナ・アザロは大粒の涙を流し始めた。そうしてようやく子供らしく、ひきつけながら、泣き声をあげた。

 

【 ………105年も、ずっと小さな箱の中で待ってて。いつかママと、どうしてみんな、どうしてこんな酷いことをするの?どうして 】


 

由加はカリーナ・アザロに駆け寄り、抱きしめた。

 

【 大丈夫。大丈夫だよ。カリーナ・アザロ。ママはずっと貴方のことを見てる。大丈夫………。ね、ジュゼッペさんと帰ろう 】

 

 

【 ………いや。もういいの。今は何時?】

 

【 6時半前 】

 

 

【 ………そう。もうすぐ来る】

 

【 何が来るの?】

 

 

霧の中から見慣れた漁船が現れた。

船上に漁業用のランプを照らし、小さな黄色いボートを曳航していた。

 

【 お嬢ちゃん。待たせたな。ボートと………ガソリンを持ってきた。これでいいのか】

 

 

【 ありがとうエリクさん。最期の金貨をあげる】

 

【 いや………これの代金はいらない。さあ】

 

 

ジュゼッペ・アザロが身を乗り出して叫んだ。

 

【 カリーナ??何をするつもりだ?】

 

 

【 ママと一緒に眠る。こんな方法しか分からなかったの。】

 

由加は声の限り叫ぶ。

【 カリーナ??死ぬつもり??ダメ!ママはそんなこと望んでいないよ!】

 

 

【 ………あなたたちが棺で105年眠ったことがあるのなら、言うことを聞くわ。でももう、あたしの好きなようにさせて】

 

 

カリーナ・アザロは母ビーチェの骨とガソリンを持ち、小さなボートで霧の中の海へと消えていった。

 

ボートはきしみ、小さな悲鳴の様な音を立てながら、静かな干潮へと柔らかな波紋を立てた。

 

 

一寸先も見えない霧の中、カリーナ・アザロは真っ直ぐと前を見据えていた。

 

そして生命というのは今まさに自分の置かれている状況そのままだと思った。

 

 

この霧の中で、自分たちはほんの少しバランスを崩しただけで、底の見えない冷たい水中へと投げ込まれる。

 

そんなにも不安定で、そして岸がどこにあるのかも、そもそもそんな岸なんてあるのかも分からない中、自分たちは櫂を漕ぐ。

 

 

しかしいくら霧が自分たちを惑わしても、この小さなボートの船首はしっかりと見えている。

 

結局、霧で前が見えないということ自体が、私たちがいつだって光の中にいることだと思った。

 

 

いつの間にか船には母ビーチェ・アザロが座っていた。

 

霧の中、寂しそうな笑顔を浮かべていた。

 

 

ママ?泣いてるの?

 

泣いてなんかない。大丈夫。

 

 

サラフィアさんは何て?

 

先生って言いなさい。………カリーナは大丈夫だって。

 

 

何が?

 

とても長生きするって!健康だって。

 

本当?やった!

 

 

………でも。本当はね。

 

カリーナ。私たちが悪かった………。

 

延命が永遠に変わってしまったのは、私とフランコのせいだ。105年もお前に寂しい思いをさせた………。

 

 

………いいの。お母さんとお父さんは、あたしを治そうとしたんだから。もういい。一緒に、この海で眠ろう………。今度こそずっと。

 

 

………カリーナ。

 

私の天使。

 

何度、生を繰り返したとしても、お前を愛す………。

 

 

カリーナ・アザロはビーチェの膝の上に座った。

 

………ふと、母と一緒に食べたパンの、バターの香りがした。

 

 

 

 

何も見えなくなった沖合に、ほんの一瞬、小さなオレンジ色の炎が見えた。

 

 

 

 

 
 
 

(終話へ)

 

 

 

 

カリーナ・アザロとカリーナ・モデナを乗せた列車はトンネルへと、いや、その先の水中へと潜っていった。

 

透明となった列車から見上げる空には、月の光の下でクラゲたちが音もなく舞っていた。

 

 

その美しい幻想の中、クラゲたちはみな自分の存在を微塵も疑わず、そよ風に吹かれたように呼吸を繰り返し、いともたやすく月にその姿を暴かせる。

 

カリーナ・モデナは、自分も月の光を通す透明な身体だったら、どんなに良かっただろうと思った。

 

心が透けてしまえば誰も何も偽らず、みなが正直で争いなんて起こらないのではないのだろうかと。

 

 

あの夏の日、ロッカールームで大きく転んだカリーナ・モデナに手を差し伸ばしてくれたあの娘。

にっこりとして可愛くて、カリーナ・モデナはその娘の瞳に引き込まれた。

 

しかしその次の日には、カリーナ・モデナは『ばい菌』というあだ名がつけられた。

誰も手をつないではダメだと、その娘に触れ回られた。

 

あの日あの時、もしあの娘の心が月の光によって透けて見えていたのなら、カリーナ・モデナの魂は天国にも地獄にも行かずに済んだ。

 

 

【 カリーナ・アザロ。一緒に写真を撮ろう?】

 

【 ………そんな小さな機械で撮れるの?】

 

 

【 うん………。私達ってほんとそっくり。双子みたい】

 

【 ………あなたはいくつ?】

 

 

【 12歳 】

 

【 ………あたしは117歳と11ヶ月と3日。眠りについたのは12歳の頃 】

 

 

【 よく覚えているね】

 

【 ………数えちゃうの。どのくらい生きているのか分からなくなるから。あなたはずっとずっと生きてみたい?】

 

 

【 ううん。ずっと生きても、悲しいことが増えるだけ】

 

【 ………そうだね。悲しいことや、誰かをずっとずっと憎むだけ】

 

 

【 誰かが憎いの? 】

 

【 ………サラフィア先生が憎かった。私をこんな身体にしたから。

 

でも今は………それを頼んだのはお父さんとお母さんだし………。

 

それもロザリア・ロンバルドみたいに見世物にするためじゃない。

 

いつか私の病気が治るようにと………。だから今は誰も憎めない。

 

あのカストラートのファリネッリも自分の運命を憎みきれなかったと思う。

 

悲劇があるのなら喜劇も、慈しみも存在しているから。

 

だからもし、この生命がずっと続いていくのなら、私はいつか誰かを愛するかもしれないけど、それと同時にまた誰かを憎む………】

 

 

【 ねえ、誰かを好きになったことはある?】

 

【 ………ないよ】

 

 

【 ………カリーナ・アザロ。私はあなたが愛しいよ。貴方は私の先祖だけど、私の分身みたい。

 

愛することができない世界で生きてきたのに、誰も傷つけたくない、誰も憎みたくない。

 

私はそんな貴方が愛しいの。存在の半分を殺して、耐えて堪えて生きている貴方の、あと半分は私が愛したい。だから………。

 

………ねえ。キスをしたことはある?】

 

 

【 ………ないよ】

 

【 じゃあ………】

 

 

 

 

 

 

1920年ーーーーーーーーーーーーーーーー

       約105年前

 

旧イタリア王国

シチリア島 モンレアーレ

 

▼アルフレード・サラフィア医療研究所

ーーーーーーーーーーーーーーーー??:??

 

 

古い医院の陽の届かぬ処置室で、初老の医師が横たわる少女の身体を丁寧に拭いていた。

 

 

【 愛しい、愛しいカリーナ・アザロ。

 

お前を未来につなぐことは、お前にとっては辛いことだろう。

 

アザロ夫妻がお前を未来の医療に託して延命させるのは………夫妻のエゴだ。

 

そしてそれを引き受けた私のエゴでもある。

 

ルーシェ・フランシスコ修道会もお前を担ぎ出そうとしている。みな自分の事しか考えていない。

 

しかしどうかお前がこの先、愛すべき人に出会い、泣き笑い、そしていつか本当に、美しく命が終わりますように。

 

シチリア島と聖アガタよ。どうかカリーナに祝福を。

 

 

罪を代弁し、背負う者たちに………。

 

 

 

 

ねえ………。カリーナ・アザロ。お母さんに会いに行くよね?

 

 

………うん。

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

2025年ーーーーーーーーーーーーーーーー

イタリア共和国 カラブリア州

 

ロザルノ近郊の山道

ーーーーーーーーーーーーーーーーー0:19

 

 

ジュゼッペ・アザロが赤いフィアットを道路脇に停め、渓谷を見下ろしながらスマホを握りしめていた。

 

【 (………カリーナが!?どうしてカリーナが?………………。………そうか。多分それだ。今から引きかえして海岸へゆく。お前は家で待っていなさい) 】

 

電話を切ったジュゼッペに、一歩下がった暗がりにいた由加が話しかけた。

 

 

【 ジュゼッペさん。どうしたの? 】

 

【 うちのカリーナが………。孫で12歳のカリーナ・モデナがこんな夜中に家を出たらしい】

 

 

【 なぜ!?】

 

【 家を出る前、自宅で誰かからの電話を受けていたのだと。タクシーを呼んだ形跡もある。だから多分………】

 

 

【 ………? 】

 

【 電話の相手はカリーナ・アザロだろう。彼女たちは見た目には同じ年頃だ。何かしら感化されたんだ。リカーディまで引き返すぞ】

 

 

 

2025年ーーーーーーーーーーーーーーーー

レッジョ・カラブリア県

バニャーラ・カーラブラ

 

駅ホーム

ーーーーーーーーーーーーーーーー22:08

 

 

オフシーズンの小さな海水浴場の駅。

 

その寂れたホームの一角で二人の幼い少女が向き合っていた。

 

フリルのついた赤いワンピースの少女と、白いワンピースの少女。

 

ワンピの色以外は髪の色も目の色も、顔立ちさえもコピーの様にそっくりだった。

 

 

【 ………貴方がカリーナ・アザロ? 】

 

【 ……… 】

 

 

【 その手??どうしたの?血が出てる! 】

 

【 追いかけられているから、機械を取った。これでもう大丈夫だと思うんだけど】

 

 

【 ………そう。電車が来た。乗ろう】 

 

 

 

彼女たちは最後尾の車両に並んで座った。

 

オフシーズンのローカル沿線は物悲しく薄暗い車内光を発していた。

 

窓に映る海岸線の空は多くの星が隠され、ほんの一縷の月を灯しているだけ。

 

車両が冷えた鉄を踏む音が響き、緩やかで規則的な揺れを彼女たちに伝えていた。

 

 

 

【 驚いた。私と顔が同じ】

 

【 ………血がつながっているから】

 

 

【 血?】

 

【 あたしは貴方の先祖だから】

 

 

【 リカーディの海岸へは何をしに? 】

 

【 ママに会うの。あたしの孫のジュゼッペが海岸まで連れてきてくれる】

 

 

【 ママ? 】

 

【 ………お願い。今はもうそれ以上聞かないで。あたしは今、全力で心構えをしてるの】

 

 

【 そっか………。じゃあ私のお話をしようか。私は今日さ、学校を早退したの】

 

【 ………どうして?】

 

 

【 いじめられてる。ママには熱が出たからと言ったけど】

 

【 ………そっか】

 

 

【 叩かれたり、カバンを隠されたりはしてない。だけど私は幽霊だ。誰も私を見ていない。

 

私が廊下でつまづいて転んでも、誰も見向きもしない。誰も笑わない。

 

みんなで口裏を合わせて、私を無視しているの】

 

【あたしと一緒だね。あたしも小さな箱の中でずっと一人。幽霊みたいな存在】

 

 

【私たち、似てるね】

 

 

 

………その時突然、二人の目の前に透明なクラゲが一匹、ふわふわと漂い舞い降りてきた。

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

2025年ーーーーーーーーーーーーーーーー

イタリア共和国 カラブリア州

 

ロザルノ近郊の山道

ーーーーーーーーーーーーーーーーー0:07

 

 

真夜中の山道を、重と由加を乗せたジュゼッペ・アザロの赤いフィアットが猛スピードで走っていた。

 

 

【 ジャパニーズ、君らが漁船を降りたのはポマレッリの漁港で間違いないんだな?】

 

【 はい。修道士が携帯電話で話していました。ポマレッリ近郊の漁港だと。】

 

 

「………。由加、俺酔ってきたんだけど。狭いしきつい。爺さんに言ってくれ。」

 

【 なんだ?彼氏は車酔いか? 】

 

 

【 みたいです。】

 

【 たとえ車内で吐いても、車は止めないと言いなさい。

 

船はもう出ている可能性は高いが、シチリア島のパレルモまで逃げられたら、あいつらの修道会は地下に潜っているから見つけるのは一苦労だ。】

 

 

 

 

2025年ーーーーーーーーーーーーーーーー

イタリア共和国 カラブリア州

リカーディ

 

モデナ家

居間

ーーーーーーーーーーーーーーーー21:34

 

 

革張りの白いソファが並ぶ広い居間。

 

いくつかの吊り下がる松ぼっくりのような形の照明が、優しい暖色の光を茶と白の混ざった絨毯に落としている。

 

その壁際には日本製の大きな液晶テレビがあり、イタリア人リポーターの男が、幼い少女のミイラを紹介する映像が映し出されていた。

 

12歳になるカリーナ・モデナはソファに座り、リモコンを両手で持ったまま、ぼーっとそれを見ていた。

 

そこへ突然、家の電話が鳴った。

 

 

【 はい。もしもし?】

 

( ………ジュゼッペに代わってくれるかしら)

 

 

【 あなたはだあれ?】

 

( ………あたしはカリーナ・アザロ。ジュゼッペに代わって)

 

 

【 あなたがカリーナ・アザロ? 私はカリーナ・モデナ。ジュゼッペおじいさんは海岸に行くって。ママは今お風呂に入ってる】

 

( ………そう。リカーディのどの海岸? )

 

 

【 私の家の近くの、崖の下の石だらけの海岸だよ】

 

( ………そう。ありがとう。じゃあね)

 

 

【 ちょっと待って!カリーナ・アザロ、あなたは私と同じくらいの歳でしょ? 子供の声だもの。1人で海岸まで行けるの??】

 

( ………)

 

 

【 カリーナ・アザロ、ジュゼッペおじいさんが電話であなたの名前を言っていた。その時ジュゼッペおじいさんは泣いていた。あなたは誰なの?】

 

( ………)

 

 

【 名前も………私と同じカリーナ。私が海岸まで連れていってあげようか? 迎えにいくよ。どこにいるの?】

 

( ………貨物船が見える)

 

 

【 分かった。ちょっと待ってて】

 

( ………ねえ。カリーナ・モデナ、その家にさ、)

 

 

【 なあに?】

 

( ………いや、やっぱりいい。待ってるね。あたしは真っ赤なワンピースを着てる)

 

 

 

2025年ーーーーーーーーーーーーーーーー

イタリア共和国 カラブリア州

 

ポマレッリ

漁港

ーーーーーーーーーーーーーーーー21:15

 

 

【 イレーネ。何ということをしてくれたんだ】

 

【 ファーザー、私はこのままカリーナ・アザロを偶像として騙し続けていくことには、とても耐えられません。あの子は母親に会いたいだけなのに。

 

105年も騙されて閉じ込められて、もうとっくに母親は亡くなっているなんて、あまりにも酷いです】

 

 

【 お前は私達の修道会を、教義を冒涜した。いいか。私は祖父の時代からずっと、あの子の病気が治る治療法が生まれているかどうか、覚醒の度に確認している】

 

 

【 ファーザー。私はもう貴方を信用できません。貴方は多分、カリーナの治療法が見つかっても、騙し続けるでしょう。治療するのはカリーナが死んでしまう確率を下げるため。】

 

 

【 ………お前にも苦難が必要なようだ。聖アガタが苦しみを乗り越え、列福されたように。誰かイレーネを連れて行け。一部を残して後の者はリカーディへ向かう。】

 

側近の修道士が言った。

【 ファーザー。貴方はカリーナと母ビーチェの約束の海岸の場所が分かるので?】

 

 

【 カリーナ・アザロにはGPSを埋め込んである。我々が母ビーチェからカリーナ・アザロの永眠を頼まれたことを無視し、ずっと祭り続けていたことはもう孫のジュゼッペの耳に入っているだろう。

 

我々が信頼を失ったのなら、ジュゼッペはカリーナ・アザロを自らの手で永眠させるはず。

 

アザロ家はサラフィアが最期に作った薬、『フィーネ』を持っているのだから】

 

 

 

 

生きる事を、死なせないことで否定された、カリーナ・アザロ。

 

 

その幼い姿のままの祖先と瓜二つのカリーナ・モデナ。

 

 

105年前、娘の延命を決断した母、故ビーチェ・アザロ。

 

 

悪夢を終わらせ、叔母を永眠させようとする老いた甥、ジュゼッペ・アザロ。

その同行者、日本人の重と由加。

 

 

そしてカリーナ・アザロを偶像として利用し続けようとする、

ルーシェ・サンフランシスコ修道会のラウロ神父。

 

 

全てはロザリア・ロンバルドのミイラと、故ビーチェ・アザロ、そして化学者アルフレード・サラフィアの歪な祈りから始まった。

 

 

彼らは既に死んだ者も生きている者もみな、

 

117年 生きた幼い少女カリーナ・アザロを永眠させようと、

あるいは永遠に生かそうと、

 

 

 

小さな体に閉じ込められた大きな絶望を追いかける。

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

本作はイタリア・シチリア島に105年安置されている少女のミイラ、ロザリア・ロンバルドとその死体防腐処理を行ったアルフレード・サラフィアの逸話を元にしたフィクションです。

 

 

 

 

シチリア島の聖アガタ

(Sant'Agata, ?? ー 250年頃)

 

キリスト教カトリックにおける、イタリア・シチリア島の聖人。

時のローマ権力者から拷問を受け、乳房を切り落とされたとされる。

その後は奇跡的に火刑を免れたが、獄死した。

 

盆の上には自らの乳房を乗せている。

 

 

 

 

 

 

2025年ーーーーーーーーーーーーーーーー

イタリア共和国 カラブリア州

ブーツの先、ポマレッリ

 

漁港

ーーーーーーーーーーーーーーーー21:22

 

 

漁港の強いライトが桟橋を照らす中、光に反射する紺のスーツを着た男と数人の修道士たちが何やら話をしていた。

 

 

カリーナ・アザロはその側のブロックに座り、足をブラブラとさせていた。

紺のスーツの男は桟橋を振り返り、漁船の船長に声をかけた。

 

 

【 ガソリンが入ったら出港する。エリク氏。急いでくれ 】

 

【 そんなに時間はかからんよ 】

 

 

そこへ1人の修道士がスマホのスピーカー部分を抑えながら、紺のスーツの男に話しかけてきた。

 

【 ラウロ神父、カプチン・フランシスコ修道会のリベンツィオ神父からお電話です。使者を送りたいと。電話には出れないと何度も言っているのですが……… 】

 

 

カリーナ・アザロは赤色のワンピースのフリルを指で弄びながら、訝しげな目をラウロ神父に向けた。

 

【 ………後でかけ直すと言え 】

 

 

ラウロ神父はカリーナ・アザロに目を合せず、従者を手で追い払った。

そこへ漁船から漁師のエリクが桟橋に上がってきた。

 

【 おい、神父さん。全員は乗れねぇぞ?まあ、とりあえずは出港前にトイレ行かせてくれ 】

 

 

エリクが立ち去ろうとしたとき、カリーナ・アザロはラウロ神父のスーツの裾を引いた。

 

【  ………あたしも行きたい 】

 

 

ラウロ神父は一歩下がった暗がりにいた女の従者に目配せをした。

 

それは修道服に身を包んだ背の低い中年の女だった。

しかし歳を感じさせない敬虔さに溢れた目を、表情をしていた。

 

 

【 イレーネ 】

 

【 はい。ファーザー 】

 

 

【 カリーナをトイレへ連れて行ってやりなさい。私はお前を信用している。お前も私を。そうだな? 】

 

【 はい。ファーザー……… 】

 

 

 

 

 

 

港に面した漁協の2階建て事務所の隣に、小さなコンクリート作りの公衆トイレがあった。

その薄暗い女子トイレで、カリーナ・アザロは腰を下ろしていた。

 

 

古い電球が小刻みに点滅する中、藍色の木製ドアの下にはカリーナ・アザロの足が見えていた。

フリルのついた白い靴下に、こげ茶色の新品のローファーがぶらぶらとしていた。

 

 

その愛らしく揺れる足を、イレーネは洗面台から見守っていた。

 

 

【 ………イレーネさん 】

 

【 なあに? 】

 

 

【 どうしてカプチン・フランシスコ修道会のあなたたちに、カプチン・フランシスコ修道会から使者の申し出があるの?】

 

【 ……… 】

 

 

【 薄々気づいてた。あなたたちはカプチン・フランシスコ修道会の人じゃないでしょう? 】

 

【 ………私達はカプチン会の分派ですが 】

 

 

【 40年前、あたしは修道会の地下で覚醒して、隠れて神父の部屋からママに電話した。そのデスクには『ルーシェ・フランシスコ修道会のラウロ神父』宛の手紙があったわ……】

 

【 ………さあ手を洗いましょう。カリーナ・アザロ。船が出てしまう。急いで 】

 

 

【 ねえ………イレーネ。少しだけあたしの馬鹿なお祈りを聴いて 】

 

【 ………お祈り? 】

 

 

 

 

 

………そう。

 

 

………悪魔がいないと、天使が困るの。

その逆も同じ。

 

 

そして罪人がいないのなら、聖人は存在しない。

 

弱者がいないと、強者も存在しない。

 

子供がいないと、大人も存在しない。

 

………限りがないと、永遠は存在しない。

 

 

そんな相反するものがないと成り立たないような、歪な存在だよ、あたしたちは。完全ではないの。

 

 

だから、

 

必要悪。

必要弱。

 

必要な悲劇たち。

 

 

全ての救われる人たちの為に、救われない悲劇が存在する。

 

 

人間は選択する能力こそが最善の知恵だと考えているけれど、あたしはそうは思わない。

 

何かを選ぶということは、何かを上に置くこと。下に置くこと。

 

 

果たして全知全能の神さまが、そんなミスを犯すのかな?

 

神さまはそもそも全てを許しているはず。

 

 

原始時代のお猿さんから、そしてそれを否定するエデンの園から、

 

あたしたちはずっと神さまの掌の中でカードを引いている。

 

 

………誰かが必ずジョーカーを引く。

 

 

あたしたちの祈りは正しい場所に向けられているのかな。

 

宇宙があるのなら全知全能の神さまは必ずいるはずなんだけど。

 

 

シチリア島の聖アガタは、何のために乳房を切り落とされ、生涯、拷問を受けたの?

 

死んで聖人となって永遠の存在に選ばれたことを、聖アガタはどう思ったんだろう?

 

 

あたしは小さな棺の中で、それを105年も考えてきた。

 

必要な弱者のこと、必要な悲劇のこと、そして救われない者たちのことを。

 

 

………今のあたしもそう。半永久的に独りで生きるという運命を、利用されている。

 

あたしの地獄で、みなは救われる。

 

 

 

 

あたしの中の神はとっくに死んだよ。 

 

後はママを抱きしめたいだけ。

 

 

 

 

 

【 ………。カリーナ………。貴方はあなたの信仰………生きる道を貫いて下さい。 どうぞ、好きに生きて。逃げてください。私とはここでお別れです。

 

 

しかし、マリア(聖母)を求め続けている貴方を、マリア(聖母)と崇拝した愚かな我々をも、慈しんで下さい。

 

 

神のご加護があらんことを 】

 

 

 

 

 

カリーナ・アザロは夜の街へと走り出した。

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

その薬品の名は『 D.S. 』、ダル・セーニョ。

 

 

意味はイタリア語の演奏記号からとられてる。………現時点からセーニョ記号まで戻り、楽曲を繰り返す………。

 

 

 

 

「ダル・セーニョ?なんだそれ」

 

「………重ちゃん。ちょっとしばらく黙ってて。このジュゼッペさんの話をちゃんと聞きたいの」

 

 

 

カリーナ・アザロの老いた甥、ジュゼッペ・アザロは語る。

 

【………不治の病の治療法ができるまで、当時12歳の叔母カリーナ・アザロはこの延命措置により死ぬことができなくなってしまった。そして治療法は1920年から今も見つかっていない。

 

 

しかし1940年、父親のフランコ・アザロが亡くなり、本人、カリーナ・アザロの保存が20年目を迎えた時、母ビーチェはカプチン・サンフランシスコ修道会に延命をやめ、父娘ともに永眠させることを依頼していた。

 

 

だが、わし達がカプチン・サンフランシスコ修道会だと思っていたのは、実はカプチン会から分派した異端、ルーシェ・サンフランシスコ修道会だった。

 

 

彼らは狂信的な教義を持っており、何よりもキリストの復活に執着し、それを現代で体現しているカリーナ・アザロを、分派したばかりの修道会をまとめる為に利用したんだ。

 

 

つまりルーシェ会は母ビーチェの願いを聞き入れず騙し、カリーナ・アザロに引き続き『 D.S. 』を施し続けた。

 

 

そして1981年、3度目の覚醒をしたカリーナ・アザロは、ミサの準備をしていたルーシェ会の目を盗んで、修道会内から母ビーチェに電話をしてきた。

 

 

そして会う約束をしたのがこの海岸だ。

 

 

しかしすぐそれに気づいたルーシェ会によってまた『 D.S. 』を施され、カリーナ・アザロは眠ってしまった。母ビーチェはその後すぐ亡くなった】

 

 

【 それってもしかして 】

 

【 そう。カリーナ・アザロは母ビーチェが亡くなったことを知らない 】

 

 

【 知らないのに今………。母に会おうと? 】

 

【 ルーシェ会はカリーナ・アザロが不死でなくなると困る。だからずっとカリーナを騙してきた。いつか母親に会えると、105年間も………。

 

わしはルーシェ会と目的は違うが、絶対にカリーナ・アザロを母ビーチェに会わせない。亡くなったことを本人に教えない。墓前に連れていくなんてもってのほか 】

 


【 ………そうですね。それは余りにも………】


【 分かるか。ジャパニーズ。大人達の都合で105年も勝手に延命させられて騙されて、結局、母は亡くなっていて会えないなんて、あの娘はまだ12歳だぞ? 】

 

 

【 ………止めましょう。ジュゼッペさん。とても見てられない。ルーシェ・サンフランシスコ修道会からカリーナ・アザロを奪い返す。もう嘘の延命なんてさせない。

 

 

そして、母ビーチェの死を知らせず、今度こそ安らかに、永遠に眠らせてあげましょう……… 】

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

2025年ーーーーーーーーーーーーーーーー

イタリア共和国

カラブリア州

 

ブーツの先、リカーディ

近郊の海岸

ーーーーーーーーーーーーーーーー23:08

 

 

「こりゃ………砂浜じゃねえな。断崖絶壁だ。何も見えない。足、滑らすなよ」

 

「見て重ちゃんあそこ………。誰かがテントを張ってる」

 

 

 

【 ……あのー。すみません。おじいさん。カリーナ・アザロのご家族の方ですか? 】

 

 

 

【 ………誰だお前ら?チャイニーズか? 】

 

【 ジャパニーズです。えーと、パレルモからポマレッリの漁港まで、カリーナ・アザロを送ってきたんですが……… 】

 

 

【 ポマレッリ?何故だ?何故そんな所へ? 】

 

【 んー。カプチン・フランシスコ修道会が、漁港までカリーナ・アザロを迎えに来て……… 】

 

 

【 ………そういうことか。入りなさい。腹は減ってないか? 】

 

【 いや。大丈夫です。お邪魔します 】

 

 

【 カプチン会とか言った奴はなんと名乗った? 】

 

【 ラウロ神父と 】

 

 

【 じじいだったか? 】

 

【 いや………四十そこそこでした 】

 

 

【 そうか。 】

 

【 カリーナ・アザロは貴方のお孫さん? 】

 

 

【 いや………カリーナ・アザロはわしの叔母だ 】

 

 

【 ………え? 】

 

【 叔母だ。年齢は110歳を超えてる】

 

 

「何だ?由加。このじいさんは何て言ってる?」

 

「………カリーナ・アザロはこのおじいさんの叔母だって。110歳を超えてるとか………」

 

 

【 どういうことですか?カリーナはどう見ても10歳そこそこですが 】

 

【 叔母は死ねなくなったのだ 】

 

 

【 ………おじいさん。『 D.S. 』って何ですか?カリーナ・アザロの背中にタトゥーが入っていました。ラウロにそれを聞くと黙り込んでいて………何か関係が?】

 

【 ………その名まで知っているんだな。じゃあ話そうか。

 

 

1920年だ。

 

 

わしの祖父母、フランコ・アザロとビーチェ夫妻の娘………カリーナ・アザロは12歳で不治の病に冒された。そこでアザロ夫妻は………。

 

 

時のロンバルド将軍に、将軍の娘ロザリオ・ロンバルドをエンバーミング(死体防腐処理)をした化学者、アルフレード・サラフィアを紹介された。

 

 

サラフィアはエンバーミングの研究以外に、密かに人工冬眠の実験をしていた。

 

 

それは血液の一部をある薬品に置き換えることで、半永久的に人体を保存できるもの。

 

 

もちろん冬眠中は意識はないし、身体も成長しない。

 

 

 病の治療法が見つかるまで、カリーナ・アザロは保存されることになった。

 

 

しかしその薬品は20年毎に入れ替えなくてはいけなかった。………その度に試験体は目を覚ます。

 

 

 

その薬品の名が『 D.S. 』、ダル・セーニョ。

 

 

 

意味はイタリア語の演奏記号からとられてる。………現時点からセーニョ記号まで戻り、楽曲を繰り返す………。

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

2025年ーーーーーーーーーーーーーーーー

イタリア共和国

カラブリア州

 

レッジョ・カラブリア県

ポマレッリ

 

漁港

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー20:41

 

 

 

 

小さな漁港の桟橋でスーツを着た背の高い男と、数人の修道士たちが重たち一行を待ち受けていた。

 

漁港の桟橋を照らすライトが強度を保ちながらも、物憂げに重たち一行を照らしていた。

 

 

しかしそのライトの逆光となっても、スーツの男がニンマリとしたまま目を開けず、そしてそれが作り笑いなのではなく元々そんな顔なのだということが重たちにはわかった。

 

 

【 ………日本人たち。イタリア語ができるらしいね?私は神にお使えする者のひとり。ラウロと申します。カプチン・フランシスコ修道会の関係者と言えば話が早いかな? 】

 

【 カプチン・フランシスコ修道会って………ロザリア・ロンバルドのミイラを保存してる修道会ですか? 】

 

 

【 まあその中でも………私はカリーナ・アザロを預かっている修道会の長だ。カリーナ・アザロはたまにこうやって家出しちゃうんだがね(笑)まあ、それはそれとして 】

 

 

ラウロのイタリア語が急に訛りだした。

クセの強いシチリア方言で口調が早く、由加は聞き取れなくなってしまった。

 

 

〈 カリーナ・アザロ。悪い子だ。お母さんはまだ眠っている。戻ってきなさい。母ビーチェは私達と共にある 〉

 

〈 どうしていつもお母さんに会えないの? 〉

 

 

〈 会えるとも。ただ、タイミングが合わないのだ。下手に起こすと身体が壊れてしまう 〉

 

 

「………由加、何だ?こいつは何を言っている?」

 

「………なんだろう?シチリアの方言かも。訛りすぎていてよく分からない」

 

 

〈 カリーナ・アザロ。今から母ビーチェの顔を見に行こう。今言った通り、起こすことはできない。

 

アルフレード・サラフィアが作ったものは歪で、完全ではないのだ。だが、次に覚醒するときは必ず二人を会わせる 〉

 

 

〈 ………そう。じゃあとにかくは………お母さんの顔が見たい。 〉

 

〈 ………こっちにおいで。カリーナ・アザロ 〉

 

 

「何言ってる?こいつら?」

 

「………よく分からない。サラフィアが作ったものが完全ではない?眠ってるとか起こせないとか?」

 

 

【 ………ねえ。お姉さんたち。ここまで送り届けてくれてありがとう。この人達は信用できるかもしれない。あたしはついて行く。じゃあね 】

 

【 ………ちょっと待って?………ナイフを向けてくる修道士なんて聞いたことがない。母親に会わせるだけなら、最初から話せば分かることだよ。どういうこと? 】

 

 

【 ………日本人よ。カリーナ・アザロは自分の意思で私達と行動を共にする。そうあるべきなのだ。お前たちはもう去れ 】

 

【 ちょ、ちょっと待って! ねえ。………ひとつだけ、聞きたい】

 

【 くどい 】

 

 

 

【 ………『 D.S. 』って何?】

 

 

 

【 ………】

 

【 この子を着替えさせた時、左肩に刺青があった。『 D.S.TRE 』 ってね。TREは3のことでしょ?どうしてこんな文字が彫られてるの? 】

 

【 ………もう一度言う。去れ、日本人。それ相応の礼は受けたのだろう。言っておくが私とは金貨で話し合えない。もう関わるな】

 

 

 

「行っちゃったな………。フローリン金貨、返さなくていいよな? 」

 

「………重ちゃんと別れたくなってきた」

 

 

「おおい!そこっ!?」

 

「人の本性はお金で現れるとも言うけども。重ちゃんはすごいわ」

 

 

「………まあそう言うな。てかさ俺は金貨を受け取ってからずっとカリーナ・アザロを観察していたが………。あいつは………」

 

「なあに?」

 

 

「子供じゃない。………大人びてるとかではなくて、あいつは正真正銘の大人だ。子供の容れ物に大人が入っている」

 

 

「………それは私も思っていた。というか分からない事が多すぎ。

 

 

何であの子はパレルモで、ボロボロの服と髪で路地裏を歩いていたの?

 

 

こんなイタリアみたいな先進国で?

 

 

お母さんに会いたいってさ、パレルモからリカーディまで300km以上離れてるよ。

 

 

そしてあんなに沢山のフローリン金貨を持っててさ、とても警察を嫌がっていた。

 

 

『 D.S.』って変な入れ墨が入っていて、ナイフを持った修道士がさらいに来るしさ。

 

 

最後は私達が買収した漁船に、誰かが圧力をかけて、変な修道会に連れて行かれた。

 

 

いったい何なの??」

 

 

「カリーナ・アザロは何者か………」

 

 

「………カリーナはパレルモで服を買う時、誰かに電話をしていた。ということは、上陸するはずだった砂浜に誰かが来ているんじゃ?」

 

「そうだな………。まあ、お前はカリーナ・アザロに同情しているんだろうな。でも俺はミステリーと金貨にしか興味ないよ」

 

 

「………じゃあ行ってみようよ。リカーディの砂浜へ。一体誰がいるのか。その人が全てを知っているはず」

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

2025年ーーーーーーーーーーーーーーーー

イタリア共和国 シチリア自治州

パレルモ・セントラル・レールウェイ・ステーション近く

 

海軍提督の橋(Ponte dell'Ammiraglio)

公園内ベンチ

ーーーーーーーーーーーーーーーー13:41

 

 

「これじゃもうメッシーナ海峡の鉄道航走線には乗れねえなぁ………。悲しいわ」

 

「ほんっと重ちゃんはマイペースだね。この子は、命を狙われてるんだよ?」

 

 

「そうとは限らないだろう。さっきの奴は引き渡せって言ってきただけだ。金で片付けてもいいとも言ってきた。お前が騒ぐからみんな逃げたんだろうが」

 

「………なんにしろ、刃物を出す人を信用できる?とにかくここを離れましょう。この子は約束通り、私がリカーディまで連れて行く」

 

 

「………どうやって」

 

「個人の漁船を買収する」

 

 

「………。由加、お前も。すげえことを考えるなぁ」

 

「もちろんお金は好きだけれど、今はそれだけで動いているわけじゃない。子供がママに会いたがってる。そりゃ会わすよ」

 

 

 

 

2025年ーーーーーーーーーーーーーーーー

イタリア共和国 シチリア自治州

パレルモ県 バゲリーア

漁港

ーーーーーーーーーーーーーーーー15:53

 

 

【リカーディへって?………ダメダメ、それは漁協で禁じられてる 】

 

【お礼はしますので】

 

 

【お前ら………?チャイニーズか?何を運ぶんだ。コルレオーネ家と取引でもしたのか(笑) 】

 

【私達は日本人です 】

 

 

【ジャパニーズ?いやでもダメ、ダメ。悪いことするやついるからな。漁協では人命に関わらない限り、向こう岸に船をつけてはダメだと決まっている。諦めな 】

 

【そのような取り決めではなく、今日は金貨でお話ができませんか? 】

 

 

【はは。何だ。元(げん)でも出すか?いやしかし、たことえドルでも俺は話には乗らない 】

 

【バプテスマの聖ヨハネでは? 】

 

 

【 ………?フローリン金貨だな………。何枚ある? 】

 

【 船のガソリン一年分】

 

 

【 乗れ。チャイニーズ。チャイニーズにメッシーナの渦潮を見せてやろうと思って船を出したら、身体の不調を訴えてきた。外国人の命を守るため、領事館への義務を果たすため、リカーディ沖に停泊した。そういうこった】

 

【 ………だから、ジャパニーズですって。 てか漁船で渦潮なんて見に行けるわけがないと思うんですが】

 

【 コリアンでもなんでもいいよ。そこに見分けがついているイタリア人の方が少ないって。お前らはアフリカ54カ国に住んでる黒人の見分けがつくか? 】

 

「まあ………いいよ。おっちゃん。頼んます」

 

 

 

…………………………………✂️…………………………………

 

 

 

「さっきまでが嘘みたいなのどかさだなぁ」

 

「重ちゃんものどかな性格してるよね」

 

 

突然電話の様なベルが鳴る。

漁師のエリクは船内に入って行った。

【ん?珍しいな………無線だ。漁協だ。失礼する 】

 

 

「いやー。しかし、お金っていいなぁ。この世で唯一の魔法。何でもできるわ」

 

「重ちゃんの好きな不死も買えるの?」

 

 

「こんだけ世界は広いんだ。どっかで売ってるだろ」

 

【 ………本当にずっとずっと生きてみたい? 】

 

 

「なんだ。カリーナはなんだって?」

 

「ずっと生きてどうするんだって」

 

 

「いや………ずっと先の未来とか見てみたいじゃない」

 

【 (………ずっとずっと、誰かを憎みたいの?) 】

 

 

【 ………あ、エリクさん。何だったの。大丈夫? 】

 

【 ただの業務連絡だ 】

 

 

【 ………て。ん?ちょっと待って、エリクさん?ここは指定した砂浜じゃない。漁港じゃん。約束が違う! 】

 

【 ………どこでも一緒だ。漁協に圧力をかけてくる輩なんざ相当だ。遅かれ早かれだった。後はお前らで切り抜けろ。ったく。何を密輸する気だったんだ】

 

 

 

小さな漁港の桟橋の手前で、光に反射する紺のスーツを着た背の高い男が立っていた。四十代だろうか、まだ若々しく、スーツの上からでも体格の良さが分かる。

 

 

黒とブロンドが綺麗に混じった長い髪を後ろに結び、お団子を作っている。

もみあげから顎までは薄くヒゲを蓄え、大きなかぎ鼻を持っていた。

 

 

目は、微笑してつむったまま、眼球は全く見えなかった。

 

 

そしてその後ろには、真っ白な襟の下に袖の長い黒の修道服を着た、数人の修道士たちがじっと重たちを見つめていた。

 

 

 スーツの男が言う。

【 カリーナ・アザロ。悪い子だ 】

 

 

 

 

(つづく)