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How to 車椅子の旅!

車椅子だからこそ、旅はさらに楽しく出来る…

  いよいよ、北海道のドライブの旅も明日からになりました。絶対に食べたい物をリストアップ:

 苫小牧:ほっき貝 
 鵡川:ししゃも
 静内:つぶ貝
 襟裳岬: 日高昆布
 浦河:夏イカ  
 平取町:トマト 
 室蘭:カレー・ラーメン、焼き鳥(豚肉)

 「貝」が二つ入っています。私はホタテや平貝以外、貝はあさりや蛤を含めて基本的には好きではないので、この二つはNobuchanに任せます。楽しみなのは浦河の夏イカと平取町のトマト。室蘭の焼き鳥も、鶏肉ではなく豚肉とのことなので、期待が高まります。

 それにしても、これらの場所、「苫小牧・襟裳岬・室蘭」のほかは、まったく知らない地名でした。鵡川はししゃも収穫高日本一。平取町はトマト生産日本一なのに。
 まあ、東京に暮らしているとそんなものでしょうか?
 それぞれをどう食べさせて貰うのかも楽しみです。トマトは、平取町の宿泊先のバリアフリーの宿「くまさん荘」のオウナーの方に、「牛筋トマトカレー」を作って待ってますと言われました。嬉しいな。
 この写真は、オウナーの直子さんが8リットルのなべで先日作り、二日でみんなで食べてしまったという自慢の「牛筋カレー」の写真です。

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トニー・スコット監督に最初に会ったのは、『トゥルー・ロマンス』のジャンケット(映画の宣伝PRイベント)でした。確か、ロサンゼルスのマリオット・ホテルだったと思います。

 小柄で、トレードマークの野球帽を被り、取材場所にはいつでも一人でひょいひょいと現れました。ジャンケットなどでは映画会社のパブリシスト(宣伝係)がぴったり貼り付いていることが多いのですが、わずらわしいことは一切排除していたのかなあ。「自由人」という印象でした。それ以前に東京で会った兄のリドリー・スコット監督が大学教授のような印象とは、対象的でした。
 それと、英国人でアメリカに渡った監督さんも俳優さんも、通常、どこか英国ナマリを残した英語を話すのですが、トニー・スコット監督には、一切それがありませんでした。まあ、私の耳がそこまで聞き取れていなかったのかも知れませんが、まったくのアメリカ英語を話す、というのが、不思議と言えば、不思議に思えます。それと、当時はまだブラッド・ピットをあのような汚れ役に使う監督は少なかったのですが、「彼には、あのような側面が潜んでいる。それが彼をすぐれた俳優にしている」と言ったのも、強く記憶に残っています。
 二度目は、『ザ・ファン』のPRのために来日した時です。彼はそのとき、「ハラペーニョ」をどっさり持ち込みました。「日本にもハラペーニョくらいはありますよ」と私が揶揄すると、「そう?やっぱり?」と言ってから、「国によっては、なかなかハラペーニョが手に入らない。ハラペーニョがないと生きて行けないから」と言い訳をしました。その後、観察をしていると確かに、箸休めに漬物を食べるように、瓶詰めのハラペーミョを食事の合間にかじっていました。


 当時、仕事をした人に、好きなレストランの名前を書いてもらっていました。トニー・スコット監督は、ロサンゼルスでも最高級のチャイニーズの名前を書いてくれました。「こんな高いところ、無理です。私でも行けるところを」と抗議すると、「ご馳走してあげるから大丈夫。今度ロサンゼルスに来たら電話をしなさい」と答えました。
 結局、チャイニーズ・レストランでの食事はご一緒できませんでした。
 合掌。


 いよいよ、北海道へのドライブの旅の週になりました。8月24日から9月5日まで、大洗からフェリーに乗って苫小牧に向かいます。19時間の旅です。それから、襟裳岬へのドライブ旅行が始まります。

 以前は、自分が知っている道しか、ドライブをしたくないと言っていました。都内では、幹線道路を優先して、小さな路地は極力避けました。「運転が疲れるから」という理由でした。

 そのNobuchanからOKが出て、まったく初めての道を走ることになりました。「北海道だから」ということもあるようです。本州よりも、運転がしやすそうですものね。

 

 このようなところから、われわれの愛車「のりたま号」に乗って船内に、と考えるだけでどきどきします。

さんふらわあ さっぽろ(1)

商船三井フェリー

http://www.sunflower.co.jp/ferry/index.shtml


 2年前、那須塩原のバリアフリーのペンション、ガストホフ・エールに、車椅子で温泉に入れると、ドライブ旅行を敢行しましたが、その時は、本当に疲れさせてしまった。今回は、景色を見ながら、おいしいものを食べながら、ゆっくり、ゆっくりドライブを楽しみたいと思います。

 おいしいものも、めちゃめちゃ待ってくれているようですので。

311が、私たちに新しい親戚をプレゼントしてくれました。私たちが勝手に「福島の親戚」にしてしまった、昔からの友人のことです。Nobuchanを「師匠」と呼んでくれる同業者(舞台サウンド・エンジニア)だったのですが、今は、公的施設の館長さんをしています。

 私たちに出来ることは、彼に会いに行くことだけで、秋になったら母をつれて、福島の紅葉を楽しむことに決めています。

 そんな彼から今日「福島の桃の最高ブランド」と言われる「あかつき」が送られてきました。今日はNobuchanの出勤日なので、私が用意したお昼に加えて、さっそく桃を持たせました。

 今日の献立:

1) 豚肉の厚切り(甘味噌漬け)

2) ナスと玉葱の鉄板焼

3) 牛肉と長ネギと油揚げとこんにゃくの煮付け

4) 箸休めのフキと昆布の佃煮

そして

5) 福島の桃(あかつき)


伊達市の桃特集福島の桃 あかつき詳細


 みんな、今日もおいしくお昼ご飯を楽しんでくれることと思います。

 突然、もんじゃ焼きが食べたくなりました。
 ところで今日は、Nobuchanがヘルパーさんにお風呂に入れてもらう日。以前は、お風呂に入るだけで疲労困憊。一大イベントで、出たらひたすら寝ていて、その後の外出は、夢のまた夢でした。ところが・・・
 最近は元気、元気。今日は、一寝した後に出かけて「もんじゃ焼きを食べよう」ということになりました。嬉しいですね。
 場所は、倒れる前からよく行っているお好み焼き屋さん。もんじゃもやっています。バリアフリーではないので、入り口すぐのテーブルを予約しました。
 トイレは、直ぐ近くの駅に借りに行くつもりです。
 何もんじゃを食べましょう?

キャベツ亭 - 外観写真:外看板キャベツ亭 - 料理写真:カレーベビースターもんじゃ

 本当に、暑い毎日が続きますね。

 健康でも厳しい中、Nobuchanはまだまだ、体温調節がうまく行かないことがよくあり、私が「風があってよかったね。結構涼しいよね」と言っても、「寒い」と、掛け布団を手繰り寄せることがあります。

 

 さて、外出から戻ると、シャワーを、ということにこの季節だとなりますが、Nobuchanは、簡単にシャワーを浴びることが出来ないので、「冷たいタオルで体拭き」ということになります。以前は、私がすべて手伝っていましたが、最近は、出来るだけ何でも一人でやりたいと、片手だけでタオルを絞ったり、いろいろ工夫をしています。

 そうは言っても、汗をかくと、Tシャツを脱ぐのが一苦労になります。後ろに手を回して、Tシャツの端をつかんで脱ぐ、という作業が、出来ないからです。そこで何を考えたか?

 「洗濯ばさみに紐をつけて、Tシャツの端をつかみ、片手でひっぱる」ことを思いついたのです

 これが、結構うまく行っています。ときどき、「助けて」と叫んでいますが、たいていはオッケー。

 9月28日の福祉機器展で、同じ目的の製品が売っていたら、買ってあげよう。

 日頃、ジャンク・フードと言われているものは、食べません。塩辛いものはとめられていることもありますが、退院後、減塩料理をいろいろと工夫して、塩辛いものを避けているうちに、外で食べるものがどれも、塩辛すぎるようになったからです。

 最初の頃のNobuchanは、外出先では、麺類の汁は絶対に飲まず、寿司には箸で醤油をつけるなど、徹底的に塩分を最小限に抑えました。フライ類も、下味がついているものはソースはかけません。

 さらに、半身不随になって以来、喉が半分しか機能していないので、固いものや、粉っぽいものがうまく食べられないのです。


 とはいうものの、時々、ジャンク・フードが無性に食べたくなる時がありますよね。今回は、TVで宣伝している、マクドナルドのフランスのマック。インドのマックの宣伝に乗せられ、両方を食べることにしました。マックの前にKFCもあるので、つい、ダブル・ジャンク・フード。チキンも買いまして・・・・


 結論。フランスもインドも、さしておいしくなかった。KFCはおいしかった。しかし、あまりに塩辛い。喉が渇きます。


 Nobuchanによると、「夏は汗をかくので、多少、塩分が強いものを食べる必要があるのだから、まあジャンク・フードも必要なのかも」。

 インドのあとは、トマトチキンだそうですが、まあ、きっと食べませんね。


 気になったのは、マックのお店。せっかく車椅子用のスロープがあるのに、そのまえに無神経に自転車が止めてあった。もちろん、移動しましたが、こういうのには、駐車禁止のシール、貼りたくなる。


 インド風です。もっと辛くなきゃ。

東に脳出血で倒れた人があれば行って声をかけ

西に脳出血で倒れた人を心配する家族が居れば励まし

私たちの経験を出来るだけ詳しく語る

そういうものに私たちはなりたい


最近友人を通して知り合ったギターリストの方が脳出血で倒れたと知り、とにかくお見舞いにと出かけました。時代の変化の早さと、人の運について、いろいろと考えさせられるお見舞いでした。


新百合ヶ丘総合病院

http://www.shinyuri-hospital.com/

 これから、先週脳出血で倒れた知人のお見舞いに行きます。

 自分たちの経験から、話したいことはいろいろですが、まず、本人(まだ無理かな)と、奥さんの話をよく聞いてあげたいと思います。

 7年半前、自分がやっておけばよかったことがいくつかあるので、それを、奥さんに伝えたい。

 Nobuchanは、自分の哲学、とまでは言わないけれど、倒れた後、ここまでの道のりで大切にしていたことを話すのだと言います。

 そんな中で、勧めたい一冊。

 「川平法片麻痺マッサージ」の本です。Profhandもそうですが、地方の先生のアイディアは、なかなか中央まで届かない。共に、NHKの番組の紹介で、全国に火が点いたようです。私も、NHKで知った組。もっと早く、二人の先生を知りたかったと強く思う、今日この頃です。

商品の詳細

http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_9784093107945  

 最近知り合ったギターリストの方が、脳出血で倒れました。

 

 Nobuchanが倒れた7年前半を思い出しました。

 そのとき、右も左も分からない時、たまたま同じマンションで、駐車場の隣りに車を止められている方の知人が、脳出血で左半身不随になられた後も、車を運転して仕事を開始していると聞きました。そしてその方が突然、病院にお見舞いに来てくださいました。何の前触れもなく。

 その時の素晴らしい出会いが、今のNobuchanの回復に大きな力になりました。「目標」を貰ったのです。


 私たちも出来るだけ早い段階で、彼に合いに行こうと思います。そして出来るだけ早い段階で、Profhandを使ってリハビリを開始されることを勧めたいと思います。リハビリは一刻でも早く始めることが大事なのは、身を持って経験してきました。