トニー・スコット監督 | How to 車椅子の旅!

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トニー・スコット監督に最初に会ったのは、『トゥルー・ロマンス』のジャンケット(映画の宣伝PRイベント)でした。確か、ロサンゼルスのマリオット・ホテルだったと思います。

 小柄で、トレードマークの野球帽を被り、取材場所にはいつでも一人でひょいひょいと現れました。ジャンケットなどでは映画会社のパブリシスト(宣伝係)がぴったり貼り付いていることが多いのですが、わずらわしいことは一切排除していたのかなあ。「自由人」という印象でした。それ以前に東京で会った兄のリドリー・スコット監督が大学教授のような印象とは、対象的でした。
 それと、英国人でアメリカに渡った監督さんも俳優さんも、通常、どこか英国ナマリを残した英語を話すのですが、トニー・スコット監督には、一切それがありませんでした。まあ、私の耳がそこまで聞き取れていなかったのかも知れませんが、まったくのアメリカ英語を話す、というのが、不思議と言えば、不思議に思えます。それと、当時はまだブラッド・ピットをあのような汚れ役に使う監督は少なかったのですが、「彼には、あのような側面が潜んでいる。それが彼をすぐれた俳優にしている」と言ったのも、強く記憶に残っています。
 二度目は、『ザ・ファン』のPRのために来日した時です。彼はそのとき、「ハラペーニョ」をどっさり持ち込みました。「日本にもハラペーニョくらいはありますよ」と私が揶揄すると、「そう?やっぱり?」と言ってから、「国によっては、なかなかハラペーニョが手に入らない。ハラペーニョがないと生きて行けないから」と言い訳をしました。その後、観察をしていると確かに、箸休めに漬物を食べるように、瓶詰めのハラペーミョを食事の合間にかじっていました。


 当時、仕事をした人に、好きなレストランの名前を書いてもらっていました。トニー・スコット監督は、ロサンゼルスでも最高級のチャイニーズの名前を書いてくれました。「こんな高いところ、無理です。私でも行けるところを」と抗議すると、「ご馳走してあげるから大丈夫。今度ロサンゼルスに来たら電話をしなさい」と答えました。
 結局、チャイニーズ・レストランでの食事はご一緒できませんでした。
 合掌。