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きみが輝く時

教育はすばらしい仕事です 学校の先生たちを応援していきます!

 

これは『昆虫パズル』という先生たちが考えた手作り教材です。

 

頭・胸・腹・足といった昆虫のパーツを自分で組み立てるという教材です。

 

昆虫を観察する前に、パズルで昆虫の体を、予想して組み立てる活動を取り入れます。

 

この活動を通すことで、子供たちの観察が具体的になります。

 

 

初任者研修で、この昆虫パズルを初任の先生たちにやってもらったことがあります。

 

その時、一人の女性の先生がすごい作品を完成させました。

 

 

 

むね 

 

はら 

 

はらパート2 

 

足8本

 

 

これは、すごい。カンブリア紀の生き物のようです。

 

 

若い女性の先生ですから、今まで虫と関わってきていなかったのだと思います。

 

このときの講師の先生がとてもいい話をされました。その講師の先生も女性でした。

 

どうか皆さん、虫のことをきらいにならないでください。子供たちは虫が大好きなんです。

 

新しい先生が若い先生だと、子供たちはうれしくて、大好きな虫を先生に見せたくて、もってくるかもしれません。

 

そのとき、先生が、それを上手に受け入れることができなければ、その子との関係が、そこで終わってしまうかもしれません。

 

どうか虫をきらいにならないでください。

 

 

 

昆虫についての知識がなくてかまいません。

 

虫博士の子供がいっぱい教えてくれるはずです。

 

虫をきらいにならなければいいんです。

 

マルムシの軍団を筆箱に入れて子供がもってきても笑顔でいましょう。

 

腐海の主オームをも愛する風の谷のナウシカのような心をもちましょう。

 

生き物とふれあうこと、飼育することは、子供たちの心に大切なものを育てます。

 

それは、命を大切にする心や自然を愛する心です。

週に1回サックスの個人レッスンを受け、週に2・3回カラオケ店で1日2時間サックスの個人練習に励んでいます。

 

レッスンをはじめて2ヶ月、少しずつですが上達しています。

 

先日、先生から人前で吹いてみますかと誘われましたが、笑顔でお断りしました。

 

まだドレミファソラシドしか吹けません。

 

人前は無謀です。

 

 

個人練習をしているカラオケ店は激安店なので、午前中、何時間いても360円(税込396円)です。

 

カラオケ店には午前7時に入ります。

 

店員さんとも顔なじみになりました。

 

 

 

 

今日はフロア貸し切り状態でした。

 

 

 

休憩ごとに1曲歌っているので、歌の方も上達しました。

 

堀内孝雄の『遠くで汽笛を聞きながら』が89点でした。自己最高点で、全国26位(133人中)でした。

 

 

退職する前には考えられないような生活をしています。

 

 

オネスティーを人前で演奏するのに3年かかりそうです。

 

道は遠く険しいですが、楽しいです。

勤め先の事務所の中で、ドコモがつながりません。

 

ドコモだけです。

 

ソフトバンクもauも楽天モバイルもつながりますが、ドコモだけつながりません。

 

電話もラインもネットも、事務所の外に出なければできません。

 

ドコモのハードユーザーとして看過できない事態です。

 

今まで我慢していましたが、ストレスが限界値を超えました。

 

先月、ドコモの『電波のお困りごと窓口』にメールを送ったところ、すぐに折り返しのメール・電話がありました。

 

そして、今日、3人の方がきてくださり、屋外にアンテナ、室内にレピーターを1時間ほどかけて設置してくれました。無料リースです。

 

↑アンテナ

 

↑リピーター

 

 

さくさく動きます。

 

ノーストレスです。

 

なぜ、もっと早く連絡しなかったのでしょうか。後悔しています。

 

ドコモの対応に感謝です。

 

1学期の終業式まであと数日です。

 

多くの学校が終業式の日、子供たちに『通知表』を渡します。

 

子供たちには、友達と『通知表』を比べることで自分を評価したり、自分はだめだと思ったりするのではなく、今までの自分と比べて自分が成長したところを見つけたり、自分を評価したりしてほしいと思っています。

 

私たちの社会は、資本主義市場経済のもとでの競争社会です。「世界に一つだけの花」も、花屋では売れていく順番があります。

 

競争には強い刺激があります。それによってモチベーションが上がり、メンタルやパフォーマンスが向上することもあります。

 

逆に、競争という強い刺激の中で、疲れやストレスを感じ、メンタルやパフォーマンスが低下してしまうこともあります。

 

意識が自分の内側に向かう内向的な子の中には、競争が苦手な子もいます。

 

子供たちには、メンタルを安定させ、自分らしく生きていくために、相対的なフィールドだけでなく、絶対的なフィールドで生きていくすべも身に付けてほしいと思っています。

 

相対的なフィールド他との比較で自分自身を測ること」ことであり、絶対的なフィールド「他と比べるのではなく、自分の目標や基準で自分自身を測ること」です。

 

競争によって他と比較し感じる幸せもありますが、自分が定めた目標を達成した充実感や満足感で感じる幸せもあります。自分が好きなことに没頭する幸せもあります。

 

私は終業式で、子供たちによくこんな話をしました。

 

『通知表』は友達と比べるのではなく、今までの自分と比べてほしいと思います。大切なのは、今までの自分よりも成長したかどうかです。

 

友達と比べて、「友達よりよかったなあ」とか、「自分はだめだなあ」なんて思わないでほしいと思います。

 

みんなには、何かをする時には、めあてや目標をしっかりともってほしいと思います。そして、最後に振り返りをして、そのめあて・目標が達成できたかどうか、達成できなかったときは、何が足りなかったのか、どうすればよかったのかを考えてほしいと思います。

 

そして、新しいめあて・目標をもって、次にがんばってほしいと思います。

 

 

1学期、どの子もがんばりました。

 

 

どの子も成長しました。

 

 

 

どの子も伸びたがっています。

 

 

独断と偏見ですが、夏と言えば「虫取り」「昆虫採集」ですね。

 

低学年の子は虫が好きな子、昆虫に興味をもっている子が多いです。

 

虫への好奇心を理科の学習への興味・関心につなげたいですね。

 

 

息子が1年生のとき、夏休みの自由研究で、昆虫採集、そして観察、それをまとめるということを2人で取り組みました。

 

バッタ、カマキリ、カブトムシ、セミなどいろんな虫を捕まえ、飼育し、観察しました。

 

 

休みの度に二人で公園や山に出かけました。

 

 

 

「つかまえた虫を詳しく描いてごらん」と私が言うと、息子は描く前に虫の端々まで観察しました。絵を描くことが好きだったので、この作業は苦にならなかったようです。

 

 

 

そして、絵を描いたあと、発見したことを文にさせました。

 

バッタは後ろ足が太いことを発見したので、「何でだろう?」と私が聞くと、「後ろ足でジャンプするからかな」と答えました。

 

「よし、それを文にしよう!」こんな感じです。

 

夏休みが終わる頃、力作理科研究が完成しました。

 

 

私たちにとって、1年生の夏の昆虫採集は今でも大切な男同士の思い出です。

 

初任の時、教育委員会事務局の指導主事に授業を参観してもらう機会がありました。

 

授業で子供たちは活発に発言しました。

 

子供たちの興味・関心を引き出す授業ができたと、内心その日の授業に自信をもっていました。

 

授業後、指導主事は授業の内容や子供たちの様子よりも、教室環境についての話を重点的にされました。

 

そして、教室の後ろの黒板のチョーク置き場にたまっていたチョークのかすを指摘され、こういうところに気を配らなければいけないというアドバイスをされました。

 

しかし、あの頃の自分は、その話を素直に受け入れることができませんでした。

 

違和感と反感しか感じませんでした。

なぜ、授業のことよりも、教室の後ろの黒板の汚れに注目するのだろうか、そんなことはたいした問題ではないじゃないか、そう思っていました。

 

 

若気の至り、汗顔の至りです。

 

 

今なら指導主事の指摘がよく理解できます。おそらく私の授業の根本の弱さの改善を願ってのアドバイスだったのだと思います。

 

私が出会った、誰一人取り残すことのない教育を実現することができていた教師は、裏や隅、陰や端を大切にしながら教育に取り組んでいる教師でした。

 

神は細部に宿ります。

 

自分の反省から、先生たちには、裏、隅、陰、端を大切にしながら教育に取り組んでほしいと思っています。

 

担任時代のモットーは「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」でした。

 

小学校の先生は1年契約で担任をします。

 

クラスの子供たちとの関りは泣いても笑っても1年です。

 

だから、1年間は、何があってもあきらめないことです。

 

うまくいかなかったら、その手立ては捨て、新しい手立てを打つ。

 

1年という限られた期間、あきらめずに、とにかく手を打つ。

 

子供をよく観察し、記録をとり、専門書を読み、人の話を聞きながら、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる精神で、手を打ち続けました。

 

 

松下幸之助翁かく語りき

 

「万策尽きたと思うな!万策尽きたときに独創性が生まれる。成功の因も失敗の因もすべては自分の内にある。自ら断崖の淵に立て。最後まで頑張れば必ず新たなる風が吹く」

 

 

坂本竜馬かく語りき

 

「策を練れ!策を!命をかけて考えれば必ず策は生まれる」

 

若手教師の頃、どうしたら子供の心をつかめるのか、子供の心をつかみたいと必死にもがいていました。

 

子供を信じるということは、何があっても子供の心をつかんで離さない執念だ。そう思っていました。

 

そして、指導に行きづまり、自分に自信を失いかけたとき、高田敏子さんの詩『水のこころ』と出会いました。

 

「水はつかめません 水はすくうのです 指をびったりつけて そおっと大切に……」

 

高田敏子さんの詩は、つつみこまなければならない人の心を、つかもうとしていた独りよがりの自分の微慢さに気付かせてくれました。

 

 

「子供の心に扉があるとすれば、その取手は内側にしかついていない」

 

これは、 幡正教育に長年携わってきた方の言葉です。

 

子供の心の扉を無理やりこじあけることはできません。いくら叱っても、説教しても、子供自身が気づかなければ.心の扉を開くことはできません。

 

子供の心の扉の取手は内側にしかついていません。

 

教師の一番の仕事は、叱ったり説教したりすることではなく、子供自身に気づきの体験をさせること、気づきの場を提供することだと思います。

 

江戸時代、侍が日本を支配していた時代は、君主や両親の伽討ち (復讐)が多く行われていました。武士の階級では慣習として公認されていたようです。

 

しかし、明治時代になり、伽討ち (復讐) は禁止されました。

 

それは、国や地域社会などの公の部分が犯人を裁き、処罰するという国家的公刑罰権の確立が近代国家の基礎だからです。

 

社会の秩序を守るために、明治6年に「復讐ヲ歳禁ス (敵討禁止令)」という法令が発付されて以降、日本でも伽討ち (復讐) は禁止となりました。

 

うちは「なぐられたら、なぐりかえせ」と教えていますという保護者の方がいらっしゃいます。

 

「やられっぱなしになるな」「暴力に届するな」「逃げるな」「負けるな」という親の思いは、痛いほどわかります。

 

ただし、相手にけがをさせてしまったら、親として責任をとるという覚悟は必要です。

 

理由を問わず、相手にけがをさせてしまったら責任が生じます。

 

無過失であっても、意図がなくても、責任は生じます。それが法律です。それが法治国家のルールであり、大人社会の常識です。

 

保護者の考えは尊重します。

 

しかし、学校として「なぐられたら、なぐり返していい」という論理を認めることはできません。

 

なぜなら、この論理を認めてしまったら学校の秩序が守れないからです。

 

 

暴力行為に対してはいかなる例外も認めないという毅然とした対応が必要です。

 

ウオーキングしていると、工場の前にある小さな空き地に、コマツヨイグサ(小待宵草)が黄色い花を咲かせていました。

 

 

しばらく立ち止まり、鮮やかな黄色い小さな花を観賞しました。

 

「マツヨイグサ(待宵草)」の花は

 

大正浪漫を代表する竹久夢二(画家・詩人)作の

 

宵待草(よいまちぐさ)によって有名になりました。

 

『宵待草』の歌は、いくら待っても現れることのない女性を想う悲しみを、宵を待って咲く小さな「待宵草」の花にたとえた歌で、現在まで歌い継がれている名作です。

 

♩待てど暮らせど来ぬ人を 

 

♩宵待草のやるせなさ 

 

♩今宵は月も出ぬさうな

 

 

大正浪漫を感じながらウオーキングを続けました。