ギターは「上手くても心を込めてないと伝わらない」とか、「下手でも心がこもっているので伝わる」とか、そんな言い合いをよく見かける。これらは、さも賛否のある答えのない議論かのように不毛にも繰り返される。まぁ、楽器を弾かないリスナーや、経験の浅いアマチュアギタリストの間で繰り返してしまうのは仕方ないと思う。問題はそれを焚きつけ、目立つために煽るギター講師(詐欺師)の多さだ。

 

 もし、このようなギター講師が「演奏感情論」を宣っていたら、そいつは3流以下のド下手のアホウで、信用の置けないペテン師である。今回は演奏における「感情」について解説する。


1.演奏における「心」や「感情」とはなにか?


 そもそも、「感情」の正体だがなんなのか?であるが、これを魔法やテレパシーみたいなものだと思っている人が本当に多い。先述の通り「心を込めて弾いたら、伝わる」とか、「心を込めなかったから、伝わらない」などとと言うのだ。冷静になって、冷静になって、論理的に考えてほしい。この言葉に少しも疑問に思わなかったそこのあなた。
 
 こんなのはカルト宗教に洗脳されているのと、なんら変わらない。目を覚ませ。

 

 というのも、「感情表現」というのは技術そのものなのだ。フレージング、アーティキュレーションという言葉を聞いたことがあるだろうか?これらは演奏上の感情表現を豊かにするための概念であり、れっきとした聴かせるためのテクニックである。


 簡単に言うと、フレーズ上で音の強弱、緩急、トメハネを意識的に解釈して、より感情表現豊かな演奏に繋げるというものである。つまり、リスナーが「感情」というように受け取っているものは、演者の裏打ちされた技術と解釈の賜物なのである。逆に、このような意識的な解釈がなされていない演奏は、たとえ精度がも高くても非常に平坦なものとなり、機械的で感情が無いように聴こえるのだ。これが「感情が無い演奏」の正体である。

 

 よく、「感情的な演奏」のもととなるものは演者自身の「感情」と思われがちだが、そうではない。演者の「解釈」である。そのうえでアウトプットされるのが「感情的な演奏」なのだ。


2.不安を振りまくペテン師たち


  「心を込めて弾いたら、伝わる」という「演奏感情論」は魔法やテレパシーなどの紛れもないオカルトの類なのだが、先述の通り、信じている人間が非常に多い。この者たちが洗脳しやすいのを良い事に、技術的に未熟なギター講師(ペテン師)ほど、この「演奏感情論」を説きたがる。

 

 例えば、技術的に優れているギタリストを引き合いに出して「技術的には上手いかもしれないが、感情がないな」なんて、もっともらしくネガティブキャンペーンをしつつ、「ギターは上手、下手じゃない。ハートだ。」と言って自分の都合のいいようにハードルを下げるのである。いや、さすがにそこまでハードル下げたらお前の存在意義がなくなるだろと言いたい。

 

 そう、未熟なギター講師(ペテン師)は、「演奏感情論」という普遍的で非常に曖昧な不安の種をばらまくことで、自分の都合のいいように利益誘導している反社会的な存在なのである。

 


3.時々の感情による演奏の変化


 時々の感情の違いによる演奏の変化というのは確かにある。しかし、演奏上の「感情表現」とは全く別の物であることに注意してほしい。これらはもはや感情と言うより、コンディションのようなものである。例えば、緊張していると演奏が固くなることがあるだろう?あれは演者の緊張がテレパシーで伝わっているのではなく、単に緊張によって音が固くなるような弾き方になっているのだ。

 

 演者の主題はそういった感情のコンディションに左右されず、演奏を思い通りにコントロールすることである。どう弾けば、どう聴かせることができるのか?それだけを考えろ。「心を込めて」などと文字を頭に浮かべて演奏.する必要は全くない。

 

 

◎関連記事