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あり得ない日常#1~#20

 

🔽本編

 

何が起こって、

みんなが怒って、

居場所がわからなくなって数年。

 

一連の出来事は地元の新聞やテレビでも報道され、近所に取材は入るわ、勝手なことは言われるわで、私たち母娘は住み慣れた土地を離れざるを得なくなってしまった。

 

せめて父には、自分がなぜそんな行動をとったのか、公の場で堂々と釈明をして欲しかったと思わなかった日はない。

 

でもそれは私の身勝手な言い分だ。
 

私が原因で父にあんな形で人生を終えさせてしまった。

 

死んだ方がマシなんじゃないかと母と話したこともあったが、私たちが悪いのか悔しくてたまらないと母は言う。

 

正義とは何だろうか。

 

結局、この子の父親である先輩も行方が知れない。

 

なにより犯罪者の遺族というレッテルを貼られた私たちには、社会の風当たりはとても強く感じる。

 

人が多い都会のベッドタウンでは同じ苗字の人も多く、私たちは隠れるようにひっそりと生活している。

 

 

自宅を売って先輩の実家に与えた損害を支払い、わずかに残った資金で私たちに出来たことは、せめて生活する場所、アパートを借りる事だった。

 

保証人なんていなかったから、母と私は別々で住む段取りで安いアパートを探して住み、母はかろうじて見つけたパート仕事で食べ繋いでいた。

 

だが、無意識にも噂を警戒する心労も重なって体調を崩して辞めて以来、母娘ともども別々に生活しながら、今では生活保護のお世話になっている。

 

産まれたのは女の子だった。

 

何かできたのかもしれないが、もうそんな気力は無い。

 

そもそもなぜこうなったのか腹が立たない事もないが、母子共々どうしたらいいかわからない。

 

お酒は良い。嫌なことを忘れさせてくれる。

 

まだ20代の私は街の中で声を掛けられることも少なくない。

 

こんな私でも求めてくれる人がいるんだという、あの時ごっそりと失った何かを、形は違えど取り戻せた気がして、過去から解放された気がして、そんな非日常感の世界に私はすっかり浸かってしまった。

 

でも、違うパズルのピースはまることなんかなかった。

 

気づいたら、わが子ほったらかしで男の家を渡り歩く日々。

 

 

母に怒られてしまう。
 

でも、あの子の顔を見るとどうしても先輩を思い出してしまう。

 

いいや、通帳は母が持っている事だし、私はどうしようもない。死んだとして、父に会わせる顔なんかもうとっくにない。

 

ダメな娘でゴメンね。

ダメな母親でゴメンね。

 

なぜか男とけんかして本当に居場所が無くなり、なぜだか深夜の公園でブランコに座って前後に揺れていると、おまわりさんに声を掛けられた。

 

 

秋とは言え、陽が落ちればもうすぐ冬を感じさせる寒さの中。

 

もう感覚すらどうにかなっていた私は、交番のストーブの上に乗っかるヤカンから蒸気が昇るのを、おまわりさんが肩にかけてくれたブランケットの温もりさえわからない、ただの人形のようにただただ見つめるのだった。

 

私は存在自体が悪なのだろう。

 

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この物語はフィクションであり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。

この作品は2024年2月19日にnote.comに掲載したものです。

 

 

日本の令和6年2月末のマネタリーベースは 668兆5,723億円 で、現在の日本円の市場流通量はどのくらいかと問われれば、その金額がそれである。

 

 

 

【図1】  日本のマネタリーベースの推移 日本銀行の発表資料より作成 https://www.boj.or.jp/

【図1】日本のマネタリーベースの推移
日本銀行の発表資料より作成
https://www.boj.or.jp/

 

 

2013年の日本銀行総裁の任期満了を待たずしての交代により、第二次安倍政権の下、金融緩和政策が始まった。

 

 

🔽日銀金融政策決定会合議事要旨 2013年3月6,7日開催分
白川方明 日銀総裁(当時)
https://www.boj.or.jp/mopo/mpmsche_minu/minu_2013/g130307.pdf

 

🔽日銀金融政策決定会合議事要旨 2013年4月3,4日開催分
黒田東彦 日銀総裁(当時)
https://www.boj.or.jp/mopo/mpmsche_minu/minu_2013/g130404.pdf

 

 

東日本大震災も経験し、福島第一原子力発電所の事故処理もある中、日銀は市中通貨の流通量を増やすことを頑なに拒んでいた印象を持たれても致し方なかったが、総裁交代とともに金融緩和政策を開始した。

 

内閣発足時には対ドルで85円だった為替水準は104円までドル高が進み、スカイツリー本放送が開始した同年末、気がつけば日経平均株価も6,000円上昇して引ける結果となる。

 

他国との比較

日本だけがマネタリーベースを拡大してきたかと言えばそうではない。
同じ月軸で他国も見てみよう。

米国

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【図2】米国のマネタリーベース
出典:TradingView

 

金利が4%台で、インフレとの闘いの最中ではあるが、比較的高い水準に位置している。

 

米国は目先、再び量を回復しない場合、急激な収縮を警戒せざるを得ない。
(これについては趣旨から外れるため詳しく触れない。必ずしもそうなるとはまた、限らないからでもある。)

 

マネーサプライ(M1)での比較

マネーサプライ(M1)指標でも比較してみる。なお、日本においてはマネーサプライからマネーストックへと現在は変更されている。

 

世界と同程度に比べることが可能なのか不明ではあるため、ここでは存在するデータだけをざっと見ることにする。

 

 

つまり、へーそうなんだくらいに見てもらうくらいでいい。

 

日本

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【図3】日本 M1
出典:TradingView

米国

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【図4】米国 M1
出典:TradingView

英国

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【図5】英国 M1
出典:TradingView

中国

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【図6】中国 M1
出典:TradingView

 

ここまでの図だけ見ると、日本と中国を除いて、少なくともインフレを潰しにかかっている各国はいずれも縮小の最中であることがわかる。

 

インフレについて

物価が継続して過去と比較して上昇し続けることを言うが、もっと言うと、物の供給に対して通貨の供給が過剰になり続けている状態をいう。

 

通貨の供給が過剰になり続けると、物との交換に必要な通貨の量が増加し続けることになるため、その速度が加速して手がつけられなくなる前に通貨の供給を止め、むしろ回収しなければならない。

 

その回収手段に金利がある。

デフレの場合は通貨の量が不足し続ける状態の事をいう。

 

デフレについて

インフレーションのインフレに対してデフレーションのデフレという。

 

通貨の量が不足し続ける状態はどのような状態かというと、資金繰りに困る会社が出てくる。市中にお金が足りていないということは、市民の財布にあるお金が足りていない事も併せて意味する。

 

会社が資金繰りに困り倒産し始めると、当然失業者が増えることになる。

 

市民は国の給付に頼るしかないが、そもそもの税収も減り続けるために、中央銀行が通貨を供給しないのであれば、政府が国債を発行して市民への給付などに充てる必要が出てくる。

 

世界的には、ややインフレ傾向が好まれる。どちらかと言えば通貨の量が少ないという状況の方が深刻で、下手をすれば一般市民の命に関わる事だからである。

 

そのため、かつての昭和後期に訪れたバブルは、世界ではちょうどいいくらいの景気だと評価されているが、日本人の間ではそうではないらしい。

 

金融政策とは

つまり、金融政策とはそもそもの雇用政策に等しくなる。

 

日本において、厚生労働省は雇用環境を所管するのであって、雇用政策は実質、中央銀行である日本銀行が所管する。理由は先に述べた通貨の増減で起こる現象がそれにあたるからである。

 

所得

ここまでの前提知識を踏まえたうえで、ようやく所得について言及する。

 

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【図7】所得の分布状況|厚生労働省
2022(令和4)年 国民生活基礎調査の概況より

 

図7によると、平均所得は546万7千円で、順位値である中央値は423万円である。

平均所得以下が6割を占めることがわかる。しかしこれは、特に日本に限った数値ではなく、ある程度は自然な状態に近いとみられ、次の自然な比率は、平均所得以下が5割程度が目安になる。

 

図7で見ると、日本では200万円~300万円の分布が最も多い。

次に、世帯主の年齢階級別で見る。

 

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【図8】世帯主の年齢化級別の所得|厚生労働省
2022(令和4)年 国民生活基礎調査の概況より

 

29歳以下が最も所得が少なく、次いで70歳以上となり、一番所得が多いのは50~59歳までの世帯主がいる世帯である。

 

65世帯以上の世帯平均所得金額が、図7の中央値とほぼ一致する。

税制や、富の再分配を考えるときに基準となる数値と考えて自然である。

 

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【図9】所得の種類別|厚生労働省
2022(令和4)年 国民生活基礎調査の概況より

 

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【図10】所得の種類別|厚生労働省
2022(令和4)年 国民生活基礎調査の概況より

 

高齢者世帯の中で、その6割が給付を頼りに生活していることがわかる。さらに、その4割が100%、給付に頼っていることがわかる。

 

しかし、これも珍しい事ではなく、特に30歳を超えると一般に衰えが始まるとされており、高齢者ともなると給付に頼らざるを得なくなるのも無理からぬことである。

 

ゆえに、責める意図ではなく、純粋なデータとして言及していることをここで断っておく。

 

一応述べておくが、筆者が言及する範囲は次の図の通りである。

 

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【図11】

 

所得では、全世帯のうち73.2%が稼働によるもの、そして残りが給付やその他の稼働によらないものであることがわかる。

 

そして、高齢者世帯のうち6割が、給付が主な所得である。

 

貯蓄

例えば、給付を頼りに生活する高齢者世帯でも貯蓄があることを考慮せざるを得ない。

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【図12】貯蓄、借入金の状況|厚生労働省
2022(令和4)年 国民生活基礎調査の概況より

 

貯蓄が無いという世帯は、母子世帯の22.5%と、他の世帯はおおむね1割前後である。

 

平均貯蓄額は参考までにとどめておく。

 

平均は平均であるため、例えば20億円と0円の2者の平均は10億円であり、その貯蓄額が平均的かというとそうではない。つまり、現実に照らして平均はあてにならないからである。

 

次に借入金の状況だが、本記事では参考までにとどめておく。

これは、個別の事情によって様々であるからである。

 

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【図13】貯蓄、借入金の状況|厚生労働省
2022(令和4)年 国民生活基礎調査の概況より

 

母子世帯が少ないように思えるが、そもそも融資決定がおりないケースが多いことを考慮する必要がある。

 

共通して、子供がいる世帯は貯蓄が少ないといえる。

 

我が国における現状の制度環境では、子供を育てながら生活をするのは難易度が高くなるのかもしれない。

 

貧困率も同資料にあったため、同様に引用掲載しておく。

 

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【図14】貯蓄、借入金の状況|厚生労働省
2022(令和4)年 国民生活基礎調査の概況より

 

子供がいる一人親世帯の貧困率が高い印象を受ける。

 

そして、このまま下がると思いきや、急に跳ね上がる傾向の典型的な形だという事を付け加えておく。(先にも述べたが、なぜそう考えるかはここでは詳しく触れない。趣旨から逸れることと必ずしもそうなるとは限らないからである。)

 

さいごに

個人的な印象だが、偏ったデータかと思いきや、意外に自然であった。

 

貧困や経済的な偏りは、所得や貯蓄、さらには資本主義というよりは、むしろ制度に問題がある印象である。

 

所得は個人の能力、または機会によって当然偏るだろう。

貯蓄はその結果として残るものである。

 

この際、課税前提の給付をするのではなく、広く一定の給付を敷いて、余剰リソースに課税をすることが、ほぼ唯一の解決策に思える。

 

いわゆる、ベーシックインカム制度の事である。

 

そのうえで、能力がある人や社会に関わりたい人は働くだろうし、その分贅沢も可能になる。

 

一方で、ベーシックインカムだけで生活をしたいのであれば、その分選択肢は限られる。

 

言い方は悪いかもしれないが、例えば誰にでも医療を安く施すのは尊いが、結果、働き手とならない人にまで満遍なく高額な医療を安く施すのはそろそろ考え直してもいい頃合いでは無いだろうか。

 

その分の予算やリソースを、将来の社会の担い手に回すような知恵もそろそろ実現していかないと、現代を生きる人間の希望を犠牲にしたまま放置することになる。

 

せめて、人間の一人、日本人の一人として生まれてきたのならば、ある意味最低限の希望を誰しもが持って生きれるように、改善したらどうかと付け加えて、今回を締めくくる。

 

 

おそらく、一回読んだだけではなかなか理解できないかもしれないが、ぜひ何度か読んでいただくことで、今後の選挙、そして自分たちの生活環境を改善する一助となれば幸いである。

 

最後まで読んでいただいて感謝を申し上げる。

 

 

参考・出典

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この資料は2024年3月5日にnote.comに掲載したものに、Amebaブログ向けに若干の修正と加筆を施したものです。

 

ここまで「あり得ない日常」の20話までご覧いただきました。
お読みいただきありがとうございます。

 

柚葵ゆずきです。
ペンネームで本名ではありません。
作家でもなんでもなく一般人として書いています。

 

前作「続けますか?」

本作は2024年1月28日に#1から始めましたが、その前に「続けますか?」というお話を先に投稿しています。

 

ちょっと生々しいシーンがありますが、ぜひそちらから読んでいただければ、本作をより理解でき、お楽しみいただけるのではないかなと思います。

 

 

すでに読んでくださった方は重ねてありがとうございます。

こんな世界があったらどうなんだろうと、読み手によって様々さまざまなのではではと思うと、あまり適当では無いかもしれませんが、わくわくしてサクサク書けました。

 

まだ、書きたいことはありましたが、この世界をそのまま引っ張るのは無理があるという判断から、翌日より「あり得ない日常」を書き始めました。

 

 

あり得ない日常

主人公は「わたし」です。

 

電気的な知識に強く、近代史にも興味が強い女性。システムエンジニアのようですが、設備を淡々と管理するくらいの簡単なお仕事。

 

 

 

 

設備自体は難しいものではなく、自作パソコンがさらに単純化されたようなもの、ケーブルを繋ぐか外すかくらいの作業だが、それぞれの機械が何をやっているか、役割りなどの前提知識がないと壊すだけで務まらない。

 

仕事とはいえ、毎日は出勤するという常識が取り除かれた社会。

 

 

時間軸は22世紀まであと20年か30年くらい。

 

様々な技術は発展したものの、より激しくなり続ける地球の気候変動に、より気を遣いながら生活をしなければならない世界。

 

"自分が吸う空気を汚す矛盾"の中に人は生きる。

 

ただ、そんなことも気にしていられないくらいに人生が激動するそれぞれの時間軸を生きる人たち。

 

 

それぞれ何かを抱えながらも、本当に肝心なことは口にしない。

 

ただ、社会も技術と同様に発展を遂げた。

 

 

 

今のリアルな社会に生きる日本人にとって、これは羨ましい世界なのか、そうではないのか。

 

理想なのか、悪夢なのか。

 

 

 

主人公は普通に自分の"日常"を過ごす。

 

 

 

 

近代史で彼女が知る過去の国のやり方への疑問と、その一方で技術を十分に取り入れた現在の合理的な社会。

 

 

それこそ自分の生き方をそれぞれができるようになった社会で、よくわからないが彼女にとっては当たり前な感覚で見た物を突如とつじょ、語り始める。

 

 

 

 

 

 

主人公は一体どこへ行ってしまったのか。

 

 

 

なぜか色々な意味で、知り得ることの無い事を知ることになった主人公。
現実の理不尽と残酷さ。

 

 

 

過去の失敗や犠牲を未来は活かすのか、それとも無かったことにするのか。

 

ただの空想なのか。

 

そもそも、彼女に何が起こっているのか。

 

 

「あり得ない日常」はまだまだまだまだ続きますので、お付き合いいただけますと大変うれしく思います。

 

それでは長くなりましたが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

物語本編はフィクションであり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。

この総集編は2024年2月17日にnote.comで掲載したものです。

 

「そろそろ到着されるのでお迎えしましょうか」

 

周囲は林、というよりは森に囲まれた、街はずれの山のふもとと言ってもいいこの場所は、自然の香や鳥のさえずりで満ちている。

 

少しずつ風向きが北風になりつつあるこの肌寒い季節は、施設の中にも木の葉が舞い降りて入り込んでくる。

 

それらをいていると、呼ばれて次にやることのお声がかかったので、はいと静かに返事をする。

 

正面で担当の同僚と厳かに、姿勢を正してお迎えする。ほどなくしてゆっくりと車列が敷地に入り、目の前でキッと停まった。

 

荷台の扉を開けると、ご遺族が神妙な面持ちで集まる。

 

人間一人がきっちり納まるようなずっしりとした箱をみんなで運び出す。

 

木々が、木の葉が風と共にさらさらという音だけが響き渡る。

森の香りもするが、何か焦げた、脂っこい煙のような香り。

 

「では、こちらへどうぞ。」

大きな煙突を備えた施設の中は広く、設備は3台。

 

その中の1台へと運び入れを完了する。

 

同僚がご遺族にこれからの流れを説明し始めた。
 

「これから火を入れまして、お時間は、、」

 

そしてその時は訪れる。

 

日本では火葬が一般的だが、世界を見渡すとそれを忌み嫌う宗教も多い。しかし、それでもかつてエルサレムの奪い合いでは、死者の魂が迷うと批判されつつも、伝染病を恐れて火葬したという事例もあるようだ。

 

数時間後、ご遺族とともにそのご遺体と向き合う。


幾多のご遺体と向き合い、この仕事にもようやく慣れてきた。

 

 

あれから七年が経とうとしている。

 

娘だと言われた遺体と警察署で向き合った。

 

私の目に飛び込んできたその姿は、あの先輩、時間が経つごとにあの彼にどんどん似ていく姿だったとは思えない、とてもかけ離れた姿でかなしく横たわっていた。

 

涙が出なかった。

 

私が18歳じゅうはちで産んだ娘。

 

月が満ちるようにあるべき物事を忘れていることを思い出し、不思議に思いながら、お風呂の鏡に映る自分の姿を見て何が起こっているかに気づいた。

 

そして、唐突に訪れた大事おおごとに、どうしたらいいものか親に言わなければと私の脳は私に告げるものの、しかし、よくよく考えてみれば、つまりそれは、そうしていた事を併せて白状することを意味する。

 

言い出せずに先延ばしに、先延ばしにするにつれてお腹が重たくなる。
 

授業の内容なんて記憶に残っていない。

 

ただその一方では、あの先輩との命が私の身体の中に宿っている事の喜びは、何と表現していいかわからないくらいに嬉しかった。

 

そうだ、先輩に言わなくちゃ。
 

頼るなら父親の彼しかいない。
 

そう、このことを喜んでくれるのは唯一、父親である彼しかいない。

 

それだけが、それだけが私にとって、たった一つの救いの道だったのに。

 

しかし、そう一度確信したはずの期待はなぜか裏切られた。
自分の子ではないと言い出したのだ。

 

そんなわけがない。
 

私は先輩としか向き合っていなかったのに。

 

そんなはずがない。
 

こんなの現実じゃない。

 

 

為すすべなく、確実に大きくなっていくお腹を母に気づかれてしまった。

 

せめて自分の口から打ち明けていたら、どんなに良かっただろうか。寡黙な父は、私が知る父とは思えない怒りようで、母はただただ泣くのみ。

 

どうしてこうなってしまったんだろう。
 

受験どころの騒ぎではなくなってしまった。

 

私はあの先輩が、彼が逃げたとは到底思いたくはなかった。

 

 

その先の記憶はあいまいなものだが、覚えている限りでは父に連れられアルバイト先のコンビニへ行くが、先輩はもうすでに辞めていた。

 

私が事情を話すと、店長は先輩の履歴書に書いてあった実家へ連絡した。

 

車で1時間ほどだと言うので、もうすぐ深夜帯の時間だったが、あまりの惨状に父は激怒しており、すぐに出てくるようにと呼びつけたのだった。

 

先輩は一人で姿を現すことはなく、先輩の両親がコンビニに到着すると、店長はお店で話すのは勘弁してくれと、警察を呼ぶことになると言う。

 

それはそうだと、先輩の一人暮らしのアパートでまずは話すこととなった。

 

 

驚いてやってきた先輩の両親だったが、私の姿を見るや、本当にうちの子の子供なのかと疑っていたらしい。

 

確かに、先輩にもはじめてだったことを驚かれたくらいには少し派手な格好をしていたと思う。

 

しかし、流行っていたガングロギャルほどではない。

 

さすがにあそこまでする勇気はなく、先輩に嫌われたくない事もあって、学校の今のグループに馴染めるくらいの少し背伸びをしたつもりだった。

 

それが裏目に出た。

 

コギャルが流行っていた当時の社会では、乱れているという認識がどこか常識のようになっていて、他の男の子供じゃないのかという話になったのだ。

 

私はもちろんそれは酷い、先輩の子供で間違いが無いと言うしかないが、父も母も一瞬どうなのかという疑いの間が入ったのはショックだった。

 

お隣からうるさいと苦情が来たので、やむなく先輩の実家に揃って向かう事になった。

 

そこからが大変だった。

 

大人の今になって言えることだが、なぜ第三者を挟んで話し合わなかったのかと思う。そうしていたら、もう少し違う結果になっていたかもしれない。

 

すでに、お腹の子は大きくなっていたために、中絶は無理だということもわかった。

 

もう少し私が早く両親に相談をしていたら。

 

そもそも、先輩に身体を許していなかったなら。

 

 

ところで、学校の同じグループにいた同じコンビニで働いていた同級生だが、彼女も先輩と一緒のタイミングで辞めていたらしい。

 

本当のところは結局どうなのかわからないが、私の妊娠がわかってからというもの、私の様子を彼女から聞いていたらしい。

 

彼女はもともと先輩が好きだったらしく、その後は考えたくもない。

 

 

私は学校にもいられなくなってしまった。

 

先輩の実家では、気づいたら大騒ぎになっていた。

 

客間の窓ガラスは割れ、母は大泣き、先輩は姿が見えず、ソファーと絨毯じゅうたんは燃えている。

 

夜明けが近づく中、静まり返った閑静な住宅地にパトカーと消防車と救急車が集まる中怒号が飛び交うという、まさに地獄がこの世にあるのなら今この場がそうだろうと思える光景だった。

 

父は連れていかれ、私たちも事情を聴かれるが目にしたことを言うしかない。事情も話すが、じゃあ仕方ないねで済むわけがない。

 

 

父は拘置所の中で首を吊った状態で発見された。

 

私は無事に出産を終えたが、DNA鑑定なんてまだ世に知られておらず、精度も低かった時代の話、私たちにはもう文字通り居場所は無かった。

 

人が恐くて仕方がなくなってしまったのは、言うまでもないだろう。

 

 

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この物語はフィクションであり、実在する人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。

この作品は2024年2月16日にnote.comに掲載したものです。

 

 

LGBT法とは

性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律(令和五年法律第六十八号)である。以下、本理解増進法という。

 

定義

この法律において「性的指向」とは、恋愛感情又は性的感情の対象となる性別についての指向をいう。
2 この法律において「ジェンダーアイデンティティ」とは、自己の属する性別についての認識に関するその同一性の有無又は程度に係る意識をいう。

本理解増進法 第二条(定義)

基本理念

性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する施策は、すべての国民が、その性的指向又はジェンダーアイデンティティにかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、性的指向及びジェンダーアイデンティティを理由とする不当な差別はあってはならないものであるとの認識の下に、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを旨として行われなければならない。

本理解増進法 第三条(基本理念)

国の役割

国は、前条に定める基本理念(以下単に「基本理念」という。)にのっとり、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する施策を策定し、及び実施するよう努めるものとする。

本理解増進法 第四条(国の役割)

 

はじめに

ちなみに、何を隠そう今この文章を書いている筆者も、ジェンダーアイデンティティに関しては多少なりとも当事者であり、決して他人事ではないことをあらかじめ先に述べておく。

性指向に関しては外見のとおり異性が恋愛対象であるため、特に困ってはいない。

 

そのうえで、本理解増進法について述べる。くどいようだが、筆者が述べる範囲と水準は図1のとおりである。

 

 

図1

【図1】法の支配関係と本記事が取り上げる水準

目的

この法律は、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解が必ずしも十分でない現状に鑑み、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する施策の推進に関し、基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の役割等を明らかにするとともに、基本計画の策定その他の必要な事項を定めることにより、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性を受け入れる精神を涵養し、もって性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に寛容な社会の実現に資することを目的とする。

本理解増進法 第一条(目的)

 

本理解増進法の目的は第一条のとおりで、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解が必ずしも十分でない現状があるという認識の下に、それら多様性に寛容な社会の実現に資することを目的としている。

 

つまり、国民の理解が十分であれば、目的は達成される法律である。

 

国として、国民の性自認や性的指向に関することにどこまで踏み込むのかは、本理解増進法第四条に規定されている。

 

あくまで、第三条に定める基本理念にのっとり、国民の理解の増進に関する施策を策定し、実施するように努めるものとするとある。

 

 

国は一般的に、行く末永く存在し続けることを前提としているため、国自身が滅びるような施策を執ることはできないと考えることができる。

 

その裏付けとして、日本国憲法前文と第十一条がある。

 

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。(以下省略)

日本国憲法 昭和二十一年憲法 前文 抜粋

 

なお、ここでいう「国民」は、「日本国民全体を一」として主権が存する「国民」のことをいう。

ゆえに、いわゆる国民個人とは区別される。
 

根拠は次のとおり。

国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる

日本国憲法 第三章 国民の権利及び義務 第十一条

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

日本国憲法 第三章 国民の権利及び義務 第十三条

将来の国民

将来の国民とは、現在の国民の子孫のことを指す。当然にして、国は未来永劫に繁栄を願う。

それも憲法前文にあるように、恒久の平和を願いつつである。

 

つまり、国と国民は、将来の国民たる子孫を遺し、国が子々孫々受け継がれていくようにする責任がある。

 

将来の国民が居なければ、当然にして国は滅び無くなるだけである。

 

憲法は国家を制限するもの

ここで勘違いしてならないのは憲法は国家、つまり国家元首をはじめ政府などの行政、そして司法や最高決定機関である国会を制限するものである。

 

そして、この憲法は主権者である国民の名のもとに発効していることを忘れてはならない。

ただ、だからと言って国民が何をしてもいいわけではない。

 

国民の権利及び義務

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

日本国憲法 第三章 国民の権利と義務 第十二条

 

繰り返しになるが、ここでいう国民は個人単位ではない。

 

そして、自由と権利は不断の努力で保持しなければならず、濫用もしてはならず、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任がある。

 

将来の国民とその公共の福祉のためにも不断の努力で保持した自由と権利を濫用することなく利用する責任があるともいえる。

 

世代を超えた責任である。

 

強く言うと、同じ責任をすでに亡くなった国民も負ってきたため、現世代だけ免れるというわけにはいかない。

 

ここまでの条件を満たす解

同性の婚姻を国が認めないことは理解せざるを得ない

同性同士での婚姻では子孫が直接残せないからである。

 

問題点は婚姻できないこと自体にあるのではなく、同性同士で生活し生涯を共に過ごすにあたって、法的な不便があるからではないかと推測する。

 

・例えば、入院する際に家族としてその情報の開示を受けられない事。

・財産の管理を家族として認められない事。

 

これらを解決することにより、同性同士の婚姻を国が認める必要は無くなるほどに妥協点を見出せるのではないかと推測する。

 

あくまで一案だが、子供についても両親がいない子供を養子として引き取るなどの考え方もできる。

 

さいごに

一般的に本人の性別とは真に意識が違うと他者は誰一人証明ができない。ゆえに、外見で判断をせざるを得ないのはやむを得ないことである。

 

トイレでは、さすがに外見で判断することは難しいケースもあるかもしれないが、公衆浴場などはさすがに判断が可能であろう。

 

国としては、国民個人がどちらの性自認をしているかは知るところではなく、子々孫々国が受け継がれていけば何の問題もないはずだ。

 

国は、将来の納税者として次の世代を担う子供たちを期待するだけだ。

 

危惧すべきは、異性が異性のトイレを利用することを国が認めてしまうと、犯罪の危険性があることだ。

 

このようなことは明らかに公共の福祉に反する。

 

国や地方公共団体、事業主等に本理解増進法が規定するは、それぞれ努めるにとどまるのであって、犯罪の可能性を放置することではない。

 

国民の厳粛な信託による国政に期待して以上とする。

 

出典・参考

 
 

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