関東平野の低地は、もうすっかり国の重要な農産地と化している。

 

過去に話したとおりだ。

 

当初は海岸線を高い堤防で覆ったらどうか、土地のかさ上げをしたらどうかなど様々な提案もあったが、低地が徐々に水没していることもあり、やるだけ無駄だという結論に落ち着いた。

 

国民の命と生活を最優先するという最低条件を基に、海抜の低い順から20メートル未満まで、生活や商工業の拠点を置いてはならないとされ、それらの資産には徐々に高い固定資産税が課された。

 

そうして時間はかかったものの、あの光景が出来上がったのである。

 

観光地でもある有名な神社仏閣なども含まれるが、それらは除外され、どのように保存していくかは今でも調整が続いている。

 

その他の土地は最終的に農場として運営するべく、農業企業体にすべて買収されたが、初動が早かった人ほど高い価格で売ることができたため、新たにとても条件のいい高級住宅地に家を構えたり、集合住宅のオーナーになるなど、実に様々だったようだ。

 

津波が襲った場合、川を遡上して低地に広がることを知っている人ほど躊躇が無かったという。その水圧は決して甘く見てはならない。

 

 

そんな取引や日常で使うお金だが、隣のおじいちゃんの話では昔は形として存在していたらしい。

 

義務教育時代に歴史の動画を見て知ってはいるが、古くは貝殻、銅銭や小判など価値を持つもので取引を行っていて、近代では特殊な紙と様々な金属を用いた硬貨で取引をしていたという話だ。

 

今では各種端末や、面倒くさがりな人は生体チップを手に埋め込み、通信で価値の移動を行う事により取引が成立している。

 

昔はそれこそお金に名前は書いていないと言われていたらしいが、今はお金に名前が書いてあるようなものになっている。

 

入手元と現在の所有者が刻まれていると考えていい。

 

取り引きをすると、通信網を通じて取引に不審な点が認められず、問題がなければ所有の移転手続きが瞬時に行われ、取引額分のお金の情報、入手元と現在の所有者が書き換わるイメージだ。

 

様々な詐欺や洗浄対策としても有効なこの方式を含めて納税管理まで、お金の不正な移転はかつての監視する方式から、データで管理する方式に改まったのである。

 

昔から風習として残るお年玉のような改まったことをしたいなら、専用のICタグやカードがコンビニやインターネットで販売されているから、それを購入すればいい。

 

現金のようなものがあるとすればそれがまさにそうだろう。

 

それを改ざんできないかとチャレンジした猛者もいたようだが、どうしても所有移転の経歴に矛盾が出ることと、そもそも暗号が解読できないというハードルもあって、未遂に終わったようだ。

 

検知されれば当然捕まる。

お金の偽造は今でも殺人並みに重い罪になっている。

 

やらない方が賢明だというよりは、ベーシックインカム制度があるので日本人でそんなことをやる人は、そもそもいないのではないだろうか。

 

また、お金のやり取りならICタグを介さなくても形式にこだわりさえしなければ、手元のアプリ操作で簡単に終わる。

 

おじいちゃんが言うには、今でこそ慣れたものの、理解するのには時間がかかったという。何か落ち着かない、そんな気持ちだそうだ。

 

 

行政も管理するための最低限の人員は必要なものの、多くの人材を抱える必要が無くなったので、その分の費用をベーシックインカムなどの財源にするというスマートな体制に移行したという。

 

お金を目的に人生を生きる必要が無くなったため、より質の高い欲求を人々は追求できるようになった。

 

それは様々な形でまた、社会全体に還元されるという好循環になっている。

 

前にも話したかもしれないが、独自の研究や発明、お金を目的としないボランティアの増加、余剰資産の寄付など、お金は奪うモノから分け合うモノへと変化したのだろう。

 

人間は生まれながらにして善である、欲を持ってはならぬと言っていると思われていた孟子も、実は、人は周囲に認められたいから善を行うのだと同著で述べており、これは是認の欲求を意味し、孟子は決して人間の欲を否定しているわけではないということも世に知られて久しい。

 

最低限の欲求さえ満たされていれば、人の欲はより質の高い水準へ向かい、害にはならないのではないか、という仮説もある。

 

それが正しいかどうかは、今後の社会の様相でわかることだろう。

 

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この物語はフィクションであり、実際の人物や団体とは一切関係がありません。架空の創作物語です。

この作品は2024年2月4日にnote.comに掲載したものです。