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生き方も死に方も自分で決めるんだよ?
女医が語る、生き方・死に方・日常のあれこれ

おかしいなー

 

昨日のブログはコピペしただけなのに

救われたってコメントとかリブログとかシェア
 
ほんますんまそん
 
 
介護に悩んでる友人に私のブログを紹介したら
下にリンクしてあった不登校の記事にヒットしたって
朝からありがとー!のLINEもらって
 
思いつきでリンクを貼ってみるもんだと
 
 
でもねー
 
 
全部根っこは一緒なんだよね
 
 
 
正しさ 正論 普通は
 
 
これに寄せてくのが今までの日本の教育
(今現場がどうなのかは知らないけど)
 
少なくとも真面目に受け取った私は
子育ても結婚生活も仕事もこれに寄せてくことを
呼吸するように無意識にしてきて
ここから外れることが怖かった(過去形)
 
私介護はほんっとに数日しか体験がないので
本当の大変さはわからないけど
 
そこは仕事を通じて家族の葛藤・本人の本音に
接することができて
 
これがほんとに患者さんから勉強させてもらう、ってやつ
 
 
 
昔がんの治療薬で新薬が発売された時
まだ大学病院にいた時なんだけど
 
ステージ4の患者さんに適応だったと思うんだけど
臨床データも少なくて 
私たち医療従事者も効けばいいなともちろん思ってて
 
副作用なんて使ってみなきゃ
その人に出現するかどうかもわからないから
当然同意書もらって使い始めたと思うんだけど
 
副作用で亡くなった人の家族が訴えたってニュースの時に
 
 
 
え?治ると思ってたわけ?
そもそもステージ4だよ?
使っても遅かれ早かれ死んでたわけでしょ?
 
 
て思ってた
 
 
 
なんかねー仕事とか人と話したり世間の声聞いてると
 
 
 
「死」を忌み嫌いすぎてる
 
 
 
核家族になってしまって、おじいちゃんおばあちゃんが
年取って死んでく様を見なくなったから
そもそも「死」が身近じゃなくて
「知らない」から「怖い」のはわかる
 
でもね
 
 
平均寿命超えて、眠るように亡くなりました、みたいのが
大往生でしたねー みたいに
それが「良い」死に方のように言う人が多かったり
(私の感覚
 
 
自殺とか「まだお若いのに」とか事故とか
「良い(と思われている)死に方」じゃない時って
周りが勝手にかわいそがる  とか
家族が隠したがる   のが
 
 
 
本当に不快
 
 
 
 
ならどんな死に方ならいいわけ??
ほんと、死に方ですら評価されるわけよ
なんも知らんくせに
 
 
 
2人に1人は癌になるのに
「なんで私が??」てすんごいハズレくじ引いたような気持ちになる人
 
なんでか「いつまでも自分の親は死なない」感覚を持ってる人
(=自分も死なない て思ってるてこと)
 
健康長寿!て言うけど
「なら長生きして何やりたいの?」て聞くと考え込む人
 
 
意味わからんw
 
 
 
ま、ね
 
タバコもお酒もダイエットも勉強も
周りがいくら言ったところで
耳閉じてたり本人がやる気にならなきゃできないのと同じで
 
「死を意識しろ」なんて難しいけど
 
私の患者さんだった人から教えてもらったことは
これからも書く
祖父母始め、教えてくれた人へのラブレターだから
 
 
「患者を殺してもいい」なんて記事は
実際に毎日患者さんを診てた時は
リアルには書けなかったからね
 
 
仕事してない方がリアルに書けるのに
思い出すきっかけがないと書けないジレンマw
 
 
 
 
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