テレビで某病院関係者の方から、「研究をやるなら理工系に進学すべきであるが、日本で研究者として食べていくのは難しいため、経済的に安定する医者を目指して医学部に流れる高校生が増えている」といった趣旨の発言があった。
日本の研究者の待遇を改善すべきということを示唆されたと思われるが、それとは別に「研究をやるなら理工系」という部分に引っかかった。
確かに、理学部や工学部の方が研究に専念できる環境にある。
しかし、研究をやるなら理工系に進学すべきという発言を医学部出身者の口から聞いたことは残念でしかない。
医学部は職業訓練学校の要素の強い学部であり、卒業と同時に初期臨床研修に参加するというのが常道である。
一方、理工系学部では卒業後大学院に進学するという学生が数多くいる。
そこで、研究者としてのトレーニングを受ける。
このような現状からすれば、「研究をやるなら理工系」という風潮を否定することはできない。
そのために国公立大学医学部の中には医学部出身の研究者不足に危機を感じているところも増えている。
研究に関心のある医学部学部生に対して様々なサポートが提供されるようになってきているのもそういった危機感からだろう。
基礎医学、臨床医学を熟知した者にしかできない研究が存在するはずである。
また、医師であれば臨床を知る者にしかできない研究を提案していくべきである。
そのようなパイオニア精神がこれまでの医療の発展に貢献してきたことは言うまでもなく、また、今後の発展にも欠かせないはずである。
にもかかわらず、臨床現場の人間が「研究をやるなら理工系」と言ってしまっては医学研究者不足、そして医学研究の衰退を助長するだけである。
先週は、ノーベル物理学賞の話題で大いに盛り上がった。
私はもともとは理工系の出身であり、化学や物理の分野での日本人研究者の活躍はとても嬉しく思う。
もちろん、一昨年の山中先生のノーベル医学・生理学賞の受賞にも大いに励まされた。
山中先生の研究には臨床現場での経験が活かされている。
しかし、化学や物理に比べ医学・生理学の分野での日本の存在感に物足りなさを感じるのは私だけだろうか。
「医学を学んで研究する」、「医師として研究する」、そのような選択肢が医学部にはあるということを広めていきたい。

肺尖部と肺底部における換気量および血流量を比較するといずれも肺底部でより大きい。
特に血流量についてその差が大きい。
いずれについても重力によってかかる力の大きさが異なることが一因とされている。
肺尖部にかかる重力による力の大きさが肺底部における大きさより大きいため、肺尖部では吸息せずとも肺胞がある程度膨らんでおり、肺コンプライアンス(C=ΔV/ΔP)が小さくなると考えられている。
そのため、肺尖部では肺底部に比べ換気量が小さい。
しかし、換気量の分布は無重力状態でも存在することが確認されており、結論は出ていない。
一方、血流量については血液にかかる静水圧の大きさが肺尖部と肺底部で異なることが関係する。
ただし、重要な前提として、肺動脈圧は体循環系の動脈圧に比して非常に小さいということがある。
肺循環系はあくまで肺の血流を維持すればよく、平均肺動脈圧は15 mmHgに過ぎない。
ここで、静水圧を考える。
静水圧P=ρghに対して、ρ=1.00, g=10.0とする。
また、心臓から肺尖部までの距離を20 cm、肺底部までの距離を10 cmとする。
すると、心臓の高さに比べ、肺尖部では静水圧が-27 mmHg、肺底部では+14 mmHgとなる。
肺毛細血管圧は、肺動脈圧よりもさらに小さく8-10 mmHgである。
結果、そもそもが小さい肺毛細血管圧な上に静水圧がより小さい肺尖部では、毛細血管は肺胞内圧により押しつぶされ、血流が途絶えてしまう。
一方、肺底部の毛細血管は静水圧により血管抵抗が小さくなり、血流量の増加を招く。
このように、血流量に関しては肺尖部と肺底部で換気量以上に差が大きいため、換気血流比が肺尖部では大きく、肺底部では小さくなる。
余談であるが、血流量は肺コンプライアンス(肺組織の弾性)に影響しないだろうか?
仮に、血流量の少ない組織では弾性が小さくなるとすれば、換気量の低下を招くはずである。
しかしこれも重力があっての話にはなる。
今年も熱い高校野球@甲子園が開幕しましたね。
日本での野球の存在感、人気は他のスポーツとは比にならない。
このスポーツを続けてこれてほんとによかった思う。

先日、東大グランドにて開催された7大学OB戦に参加した。
参加者は20代から60代(?)にまで及んで、久々に若手としての扱いを受けた。
おかげで、会社に入って、会社を辞めて、医学部に入ってとしている間に失いかけていた謙虚さを取り戻せたように思う。
30代で学生、社会の中では税金を使って勉強させて頂いている立場。
若い学生にはない目的意識と謙虚さをもってこその編入生だと思う。

それにしてもオジさん連中はどうしてあんなにも軽快なプレーを続けられるんだろうか。
お昼のそば屋でビール&日本酒も関係無しである・・・。
2連勝で夜会に進んだ。
テレビ、金融、不動産、農業、気象など様々な分野でご活躍されている先輩方と野球を共通言語にして楽しい時間を過ごした。
そこで何か真面目な話をするわけでもなければ情報交換をしたりするわけでもない。
けれど、いつも新しい視点と刺激を与えてくれる。

これも野球のおかげ。


試験期間中に嬉しい知らせをもらった。

会社で同期だったAさんからの電話だった。
わざわざ電話してくるくらいだから何かあんたんだろうなとは思ったが、内容を聞いて驚いた。
ただ、実は、Aさんについては少し気になっていることがあった。
昨年、私がB大学を受験した際、受験会場にAさんらしき人物がいたのである。
また、私が某所にて講演会の機会を賜った際にもAさんらしき(あくまでも、らしき)人物を見かけたのであった。
したがって、Aさんからの電話を受けたとき、まさか私が現在所属する大学を受験するのではないかと察した。

しかし、実際は、既に某大学に合格したとの知らせだった。
察するところがあったとはいうものの、Aさんのような、私には到底及ばない経歴を有したチームワーカーが安定した組織を飛び出すという決心をされたことには甚だ驚いた。
同時に、同い年の同期の中にAさんのような志を有した研究者がいたことを知って、勝手ながらとても嬉しく感じた。
また、私自身が何故医道を選んだのかを再認識させてくれた。

Aさんが会社で何を感じ、どうして医学部を選んだのかについてはここでは触れない。
しかし、Aさんの動機には強くて熱いものを感じた。
共に医学を通じて世の中に貢献していきたい。
その思いは共通であり、我々は再び同志になった。
私にとっては何とも心強い仲間である。

少しつまらい記事になりそうですが、医学部編入試験合格者と現受験生とのやりとりを目にして、耳にしてしばしば感じることを書きます。
(反感を頂戴する点もあるかと思いますが、あくまで一個人の私見にすぎませんのでお気になさらずに。)

編入試では、各大学の合格基準はまちまちですし、模試の偏差値も一般入試でのようなクリアな基準にはなりません。
合格基準がまちまちというのは、一般入試のように筆記試験で合格点を獲得すれば即合格とはいかないということです。
推測も含みますが、学歴、年齢、職業等々も大学によっては評価に値します。
したがって、例えば、A大学の合格者が、B大学の受験者に対して合格までの道筋を示すというのは現実的ではありません。
ましてや、「○○すれば、大丈夫!」といった無責任な発言は控えるべきです。
筆記試験のみの成績で合否が決まるC大学の合格者が、C大学の受験者に助言するというようなケースであれば許容できますが。
ただし、自分と同じ大学を受ける人に対しても、当人のバックグラウンドを十分に把握した上でコメントしたいものです。

上記の点は、受験生の方も留意しておくべきことです。
医学部編入試については、安易に合格者の見解を求めない方が良いということです。
少なくとも、自分と同じような背景を持ち、自身の志望大学に合格した人にコメントを求めるべきです。
合格者の中には自身の合格体験を基に、それを知らず識らずのうちに自分と背景も志望大学も全く異なる受験生にも当てはめている人が少なくありません。
自分がこうだった、だからあなたもこうすれば大丈夫、といったコメントは助言でも何でもありません。
合格者の方々は、自分の範疇を超えた質問に対しては答えないという姿勢を選択するべきです。
それが、受験生に対してできる最大のアドバイスです。
少なくとも、それが、編入試であり、編入試の難しいところだということは伝わるはずです。

以前、下記のようなやりとりを目にしました。
受験生:「A大学の受験を考えています。今からでも間に合いますでしょうか?」
合格者:「んーわかりません。わかりませんけど、多分大丈夫だと思います。私はB大学に約半年の勉強で合格しました。」
まあ、合格にはいわゆる根拠のない自信というものも必要かもしれませんので、このようなやりとりが全くの無意味だとは言いません。
しかし、科学に立脚した医学を志す者同士の会話としてはあまりにも、、、

これらのことは私にとっての自戒でもあります。
本気で医学部編入を志す受験生の方々に失礼のないように対応していきたいものです。
また、本ブログについても同様です。





本日をもって、無事(?)に今学期の全テストを終えました。
組織学、医学英語、系統解剖学、神経解剖学の4つでしたが、
こんなにも知識をつめこんだのは初めてでした、、、
医学部編入試験を大変だと思っていたのが少し恥ずかしいぐらいです。
もちろん、合格基準も含めて難易度は編入試の方が断然上ですが、理解すべき、そして記憶すべき事項の多さでは解剖学や組織学にはかないませんね。
それも数週間の勉強期間で結果を出さないといけないことを加味するとそれなりに大変な試験だったと思います。
数週間しかないといえども、ただ丸暗記していては楽しくもないし、身にもならない。
それに何よりも、丸暗記では僕の記憶力ではどうにもこうにもいかない、、、
背景にある理論を理解して、生理学、生化学などの知識と関連させながら記憶するように留意しました。
ただ、時間が限られていたのでやはり詰め込まざるを得ないところもありましたね、、、

結果はどうなるかわかりませんが(6割以上の得点で合格)、これで一段落。
明日からは、約2ヶ月の夏休みです。
大学生ってこんなにも長い夏休みでしたっけ??

今後、まずは、研究をスタートさせます☆
うちの大学は2年生前期の間の拘束時間が長く(要は大変ということ)、それ以降は基礎医学研究のための時間を確保してくれています。
大学として医学研究に力を入れているのはヒシヒシと伝わってきますし、研究に従事したい学生に対しての配慮もかなり充実していると思います。
そういった意味で、研究をやりたい学部生にはとても良い環境だと思います。
5年間かけて面白い研究成果を出します。
そのためにここに来たので(近視眼的には)、これからが僕の医学部生活のスタートかもしれません。

明日から楽しみです☆

今学期、組織学なるものに初めて触れることができた。
一言感想を述べるとすれば、「とにかく面白い!」だった。
観察したサンプルは、ほぼ「ヒト;human」のものであり、これまでマウスのサンプルしか目にできなかった小生にとってはこれが第一の感激だった。
また、教科書のイラストで学んできたことを組織切片で実際を知ることができたし、
観察したものから実はこうなんじゃないか?と疑問をもつこともしばしばあった。
これはこれは充実した時間だった。

ではここで、試験勉強中にふと思い出したことをメモしておこう。
繊毛や鞭毛の運動、さらには軸索輸送までもが、微小管による9+2構造、ダイニンやキネシンといったモータータンパク質の働きによって実現されている。
軸索輸送については、細胞体から軸索終末方向への物質輸送(順行性輸送)はキネシンが、逆行性輸送はダイニンがモータータンパク質として機能する。
この程度の知識は、編入試験においても教科書レベルのものである。
組織学実習では、その軸索輸送が実際にどう機能しているかを観察できた。
抗TH(Tyrosine Hydroxylase)抗体を用いたマウス脳切片の免疫組織化学的染像を観察する機会があり、dopaminergic neuronやadrenergic neuronの局在や軸索の走行を観察しましょうというものであった。
ここで一つ疑問がないだろうか?
神経細胞でのタンパク質合成の場は細胞体である。
神経細胞のニッスル染色を見れば一目瞭然であるが、軸索はニッスル染色では染色されず、粗面小胞体や遊離リボソームを欠くことを確認できる。
では、なぜ抗TH抗体で軸索部分が染色されるのだろうか?
答えは簡単で、細胞体で合成されたTHが順向性輸送により終末方向に輸送されているのである。
実習の目的からは外れるが、こういうことを考えながら基礎医学を学ぶとなかなか面白い。
これまでに得てきた教科書レベルの知識を随所で体感できるのである。
おかげで、組織学実習を終えるといつも日が暮れていた。
話が逸れたが、ここでもう一つ疑問が残る。
なぜ、わざわざTHを終末に輸送する必要があるのか?
細胞体で合成したドーパミンやノルアドレナリンを輸送すれば良いのではないだろうか。
先生によると、THのみならず、基質となる物質も終末に輸送されており、刺激(活動電位)に応じて迅速に神経伝達物質を合成するためとのことであった。
確かに、とその時は首肯したが、、、次のような理由も考えられるのではないだろうか。
シナプス前細胞から放出されたカテコールアミンはシナプス間隙からシナプス前細胞の軸索に再取り込みされる。
その一部は分解され、一部はシナプス小胞に貯蔵される。
したがって、その分解されたものを再びドーパミンやカテコールアミンに変換するためにTHを終末に輸送するということも考えられるだろう。
そもそも活動電位にたいするレスポンスを重視するのなら、細胞体で合成した神経伝達物質をより多く終末のシナプス小胞に蓄えておく方が効果的ではないだろうか。
その備蓄できる量に限界があるのだろうか?
再取り込みされた物質を再び神経伝達物質に変換するというのも結果的には、活動電位に対するレスポンスを上げるということになるとは思うが。
この辺の詳細をご存知の方がいらっしゃればぜひご教示頂きたい。


膝蓋腱反射といえば、大腿四頭筋の伸展にはじまり、前角運動ニューロンの興奮による大腿四頭筋の屈曲という脊髄レベルでの回路が作動すると理解されている。
少なくとも、高校、大学受験レベルのテキストではそのような記載がされている。
一般的な生理学のテキストについても同様だろう。
しかし、実際には大脳皮質からの調節が機能している。
(どの経路を介しているかについては未確認。宿題としておく。)
膝を叩かれそうだという視覚的な情報を得ると同時に、大脳皮質は抑制的な信号を発信し、大腿四頭筋の過剰な反射を防いでいる。
何かに気を取られている隙に膝を叩いてもらえば大脳皮質からの調節を受けないが、基本的には、我々の行動は脳(大脳皮質)の支配下にある。
ここで重要なことは、なぜ、反射を介して伸展した筋肉を元に戻そうとする回路を作用させつつも、それにブレーキをかける経路までをも機能させる必要があるのかということである。
車の運転をイメージすれば比較的容易に理解できる。
アクセルとブレーキの両方が存在することで速度の微調節が可能になる。
神経回路では、興奮性ニューロンと抑制性ニューロンが存在することでより複雑で微妙な調節を実現できる。
例えば、ある神経核を形成する細胞体の集団に対して、どれだけの割合の細胞体を活性化させるかというような調節も可能になる(小脳核へのプルキンエ細胞からの入力など)。
アクセルしかないような回路ではこれは難しい。
つまり、大腿四頭筋を丁度良い状態(元の状態)に戻すためにはアクセルとブレーキを使った微調節が必要だということである。
解糖系を例にとっても然りである。
生化学のテキストには解糖系の各ステップがまるで一方通行のように示されている。
しかし、実際には逆方向の反応も起きている。
キナーゼによる反応であってもホスファターゼによって逆反応が動く。
酵素反応は、平衡定数で示される平衡状態に反応を進めるものである。
それは、反応物と生成物のバランスを微調節することでもある。
そのために両方向の反応を利用するのは合目的である。











怒涛のごとくやってきた解剖学実習が無事に終了しましたので、久しぶりに書き込みます。
ほんの少しだけ近況報告をしておきます。
なんといっても今は、解剖学&組織学の勉強で、おじさん(編入生)達は必死です。
試験2ヶ月前にもかかわらずです、笑。
もちろん、楽しい、面白いこともたくさんありますが、その辺は試験が終わってからゆっくりと書きます。
解剖学実習では、献体によって提供されているご遺体を使用して、すみずみまで肉眼的に観察させて頂きました。
これについては、報告書を提出したので、同じものを下に載せておきます。
編入生は入学して間もなくの人体解剖ということもあって、初めは少々戸惑いもありましたが、とてもとても有意義な学習の機会でした。
組織学では、光学顕微鏡を使用して様々な組織切片を観察しています。
この辺は、これまでの経験から慣れているところもあるのですが、実際にヒトの組織を観察できるのは解剖学実習と同じくとても有難いことです。
こんなところです。


解剖学実習を終えて

「ヒトのbiologyを一から学びたい」、それが医学部入学のきっかけだった。解剖学実習はそのhuman biologyを学ぶための基盤を与えてくれた。教科書に目を通せば、筋肉、血管、神経などがどのように配置されているのか、どう連結されているのか、あらゆる情報を容易に得られる。しかし、実際に手にした構造物から得られるものは机上で得られるものとは比にならなかった。頼りない自身の記憶力にも関わらず、実習中に触れたものはそのイメージが脳裏に浮かぶ。これには不思議な感覚を覚えたが、それこそが百聞は一見に如かずというものなのだろう。
 構造の理解が疾患の理解に繋がることも知った。なぜS状結腸や回腸では腸捻転が起きやすいのか、なぜ右より左で反回神経は麻痺しやすいのか。構造を理解することの意義がそこにはあった。さらに、実習の効果は解剖学という範疇には収まっていない。実習を終えたばかりの今、例えば、頸動脈洞での血圧上昇感知という生理学的事項が滑らかにインプットされてくる。構造と機能を結びつけることで、確実な知識が得られるのだろう。解剖学の理解は生理学を含む生命科学を理解するためのベースになるということだ。
 一方で、余談ではあるが、2ヶ月弱の期間でありながら、実習とは非常に労を要するものでもあった。体力的な衰えを感じつつある小生が本実習を完遂できたのは、紛れもなく班員の皆の協力があったからだ。班員の皆にもこの場をかりて感謝を伝えたい。それともう一つ。○○教授は、いかにしてあれ程膨大な解剖学的知識を有機的に操れるまでに至ったのだろうか。驚きと共にしばしば疑問に感じていた。おそらく容易に解ることではないが、いつかその答えに気付きたいものである。
 無論、human biologyを理解した先には医療人として社会に貢献するという目的がある。そのために、実習を通じて築いた土台の上で、今後も精進していきたい。これが、解剖学実習という何事にも変え難い学習の場を与えて頂いたことに対する最低限の態度だと思う。最後に、必ずや医学、医療の発展に資するということをお約束して、僭越ながらこのような有意義な機会を頂いたことに心より感謝の意を表したい。
                               
                                
医学部編入を目指している方の中には、現役生との関係性(うまくやっていけるのか)について気になっている方もいらっしゃるようなので、その点について少しばかりお話しします。
小生の知る範囲がごくごく限られたものであることにはどうかご理解下さい。

うちの大学の医学生は毎年学士編入生が入学してくることを認識しているようで、どんな人が入ってくるのかについては多少は気にされているようです。
それとどういうわけか、「学士」というくくりで呼ばれ、少し特別視されているところもあるように感じます(良い意味か悪い意味かは分かりませんが)。
あと、現役生同士もグループ化されていそうなので、「学士グループ」があっても孤立感はありません。
解剖実習が入学してすぐに始まって、各グル-プ4-5人で行動するため、同じグループのメンバーになった現役生とは何の隔たりもなく解剖に取り組んでいます(相手はどう感じているのか分かりませんが)。
こちらも気を遣われてはやりにくので、普通に接してくれているグループのメンバーには感謝しています。

少し笑ってしまったのが健康診断のとき。
我々編入組は新一年生の中に紛れ込んでの受診でした。
そうなると一年生もover 30の人間を見分けることができないのでしょう、普通にタメ口で話しかけてきました。
同じ新一年生に見えてたんですかね、笑。
別に何も気になりませんが、そんな環境に紛れ込んでいる自分と何も気づいていない彼に思わず笑いそうになってしまいました。

また、学士の中には部活に入った人もいて、普通に2年生として先輩後輩の関係を持っているようです。
まあそんなわけで、基本的には学士同士で一緒にいる時間が多いですが、周囲の学生とも何ら問題なくやっていけそうです。
個人的にはひとまわりも違う学生と対等に接する機会なんてなかなかないと思って、積極的に周囲の学生と接していこうと思っています。

いまのところこんな感じです。