怒涛のごとくやってきた解剖学実習が無事に終了しましたので、久しぶりに書き込みます。
ほんの少しだけ近況報告をしておきます。
なんといっても今は、解剖学&組織学の勉強で、おじさん(編入生)達は必死です。
試験2ヶ月前にもかかわらずです、笑。
もちろん、楽しい、面白いこともたくさんありますが、その辺は試験が終わってからゆっくりと書きます。
解剖学実習では、献体によって提供されているご遺体を使用して、すみずみまで肉眼的に観察させて頂きました。
これについては、報告書を提出したので、同じものを下に載せておきます。
編入生は入学して間もなくの人体解剖ということもあって、初めは少々戸惑いもありましたが、とてもとても有意義な学習の機会でした。
組織学では、光学顕微鏡を使用して様々な組織切片を観察しています。
この辺は、これまでの経験から慣れているところもあるのですが、実際にヒトの組織を観察できるのは解剖学実習と同じくとても有難いことです。
こんなところです。


解剖学実習を終えて

「ヒトのbiologyを一から学びたい」、それが医学部入学のきっかけだった。解剖学実習はそのhuman biologyを学ぶための基盤を与えてくれた。教科書に目を通せば、筋肉、血管、神経などがどのように配置されているのか、どう連結されているのか、あらゆる情報を容易に得られる。しかし、実際に手にした構造物から得られるものは机上で得られるものとは比にならなかった。頼りない自身の記憶力にも関わらず、実習中に触れたものはそのイメージが脳裏に浮かぶ。これには不思議な感覚を覚えたが、それこそが百聞は一見に如かずというものなのだろう。
 構造の理解が疾患の理解に繋がることも知った。なぜS状結腸や回腸では腸捻転が起きやすいのか、なぜ右より左で反回神経は麻痺しやすいのか。構造を理解することの意義がそこにはあった。さらに、実習の効果は解剖学という範疇には収まっていない。実習を終えたばかりの今、例えば、頸動脈洞での血圧上昇感知という生理学的事項が滑らかにインプットされてくる。構造と機能を結びつけることで、確実な知識が得られるのだろう。解剖学の理解は生理学を含む生命科学を理解するためのベースになるということだ。
 一方で、余談ではあるが、2ヶ月弱の期間でありながら、実習とは非常に労を要するものでもあった。体力的な衰えを感じつつある小生が本実習を完遂できたのは、紛れもなく班員の皆の協力があったからだ。班員の皆にもこの場をかりて感謝を伝えたい。それともう一つ。○○教授は、いかにしてあれ程膨大な解剖学的知識を有機的に操れるまでに至ったのだろうか。驚きと共にしばしば疑問に感じていた。おそらく容易に解ることではないが、いつかその答えに気付きたいものである。
 無論、human biologyを理解した先には医療人として社会に貢献するという目的がある。そのために、実習を通じて築いた土台の上で、今後も精進していきたい。これが、解剖学実習という何事にも変え難い学習の場を与えて頂いたことに対する最低限の態度だと思う。最後に、必ずや医学、医療の発展に資するということをお約束して、僭越ながらこのような有意義な機会を頂いたことに心より感謝の意を表したい。