こんにちは。

今回は人は無力な存在、ということについてお話しします。

 

みなさんは、人間についてどう思われているのでしょうか。

人によってさまざまな意見があるかと思います。

歴史で繰り返されてきた悪事を踏まえて「人間って愚かだよな」と思う人もいると思いますし、そうではなく、科学の発達の結果人間には何でもできる至高の存在、と錯覚している人もいるかもしれません。

しかし、大災害のことを考えれば、人間が至高の存在であると考えるのは間違いであるとわかるはずです。

例えば太陽暦二千二十一年起きた熱海の土石流の時はこちらの動画のように、家は土石流の勢いによって押し流されてしまいました。

また、太陽暦の今年の四月に起きた大雨でドバイは、こちら(ツイッター)のように大きな被害を被りました。

お金持ちが多いことでドバイはよく知られてるかと思いますが、災害が起きた際に彼らが所有してる富だけでは何もできません。

いくら富があろうが、いつかは役に立たなくなります。紙幣なんかは、災害が起きずとも経済が破綻したりすればもはや単なる紙屑になります。

しかも四苦八苦して富を集めていたとしても、永遠の命は得ることはできません。

 

新約聖書 ルカによる福音書 十二章十五節〜二十一節(ミカエルさんの訳)

そして、一同に言われた。「貪欲に注意し、避けなさい。なぜなら、人の命は所有している物の豊富さにあるのではないからや。」それから、イエスは例えを彼らに話された。「ある金持ちの土地が豊作やった。その金持ちは自分自身の中で思案して言う。『どうしようか。農作物を集めておく場所がないから。』やがて言った。『こうしよう。納屋を壊して、もっと大きいのを建て、そこにわたしの農作物や財産を集めておこう。そして、我が魂に言う。「魂よ、多くの年月のために多くの財産を集め持っている。休んで、食べたり飲んだりして歓喜しろ。」』しかし、神は、『愚か者よ、今夜、お前の魂はお前から取り上げられる。それからお前が用意した物は、誰のものになるのか』と言われた。このように、自分のために蓄えても、神にとって豊かにならへん。

引用元:真の聖書福音と預言「悪魔崇拝、世の現実、悪魔への抵抗」

上記聖句を読めばわかるかと思いますが、人の生死は神がお決めになることであり、この世の富では自分の命をとどめ置くことは不可能です。
また、神がそれからお前が用意した物は、誰のものになるのか」と言われてるように、死んでしまえば自分が蓄えた富とは無縁になります。
これと似たようなことは詩編やコヘレトの言葉でも言及されています。
 
詩編‬ ‭四十九篇十八節
「死ぬときは、何ひとつ携えて行くことができず 名誉が彼の後を追って墓に下るわけでもない。」
 
コヘレトの言葉‬ ‭五章十四節
‭‭ 「人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る。 来た時の姿で、行くのだ。 労苦の結果を何ひとつ持って行くわけではない。」
‭‭
結局あり余る財産を持っていても、死んでしまえばその富とは無縁になります。
余りある富がある人でも、その富のことで常に心配になる、という人も珍しくないようです。

何不自由ない生活ができるようになると、次は家が欲しい、ベンツが欲しい、別荘が欲しい、自家用飛行機が欲しい、世界中のブランドを買い占めたい……と、きりがなくなるものです。お金持ちになっても、上には上がいることがわかります。高級なものを持つと管理にも気を遣う。

要するに、お金持ちになって欲求や欲望が増えていくばかりでなく、お金では解決できない不満も増えてストレスもたまりやすくなるのです。

パーソル総合研究所の調査によると、年収が上がると幸福度も上がる一方で、不幸度も上がっていく傾向がありました。リッチになって豊かな生活を知ってしまうと、その生活レベルを守るための不安感も増していくようなのです。

引用元:東洋経済オンライン「金持ちになると実はストレスも膨らむ納得の訳」

お金持ちになっても、結局欲望を満たせるとは限りません。むしろ常に欲している状態になる可能性だってあります。これでは、むしろ貧乏と言える状態です。

貧乏とは、「常に欲にまみれ、決してその欲が満たされない状態をいう」と拙者は定義します。(引用元:真の聖書福音と預言「世の悪に抵抗しなさい」)

富がいくらあろうとも幸せになれるわけではないですし、災害時に自分たちの身を守ってくれるわけでもありません。

また、ダニエル書四章にあるバビロン王ネブカドネツァルの身に起こったことも、人間が無力であることがよくわかります。全文を引用するのは長くなってしまうため、抜粋して紹介させていただきます。 

ダニエル書‬ ‭四章二十五節〜三十節

「このことはすべて、ネブカドネツァル王の上に起こった。 十二か月が過ぎたころのことである。王はバビロンの王宮の屋上を散歩しながら、 こう言った。「なんとバビロンは偉大ではないか。これこそ、このわたしが都として建て、わたしの権力の偉大さ、わたしの威光の尊さを示すものだ。」 まだ言い終わらぬうちに、天から声が響いた。「ネブカドネツァル王よ、お前に告げる。王国はお前を離れた。 お前は人間の社会から追放されて、野の獣と共に住み、牛のように草を食らい、七つの時を過ごすのだ。そうしてお前はついに、いと高き神こそが人間の王国を支配する者で、神は御旨のままにそれをだれにでも与えるのだということを悟るであろう。この言葉は直ちにネブカドネツァルの身に起こった。彼は人間の社会から追放され、牛のように草を食らい、その体は天の露にぬれ、その毛は鷲の羽のように、つめは鳥のつめのように生え伸びた。」

上記聖句の最初の「これらのこと」は、ダニエル書四章十六節〜二十四節にあるネブカドネツァルに対する予告のことで、上記箇所はその預言が実現した結果ネブカドネツァル王の社会から追放されてしまい、人間ではない動物のように生きる羽目になったことが記されています。

その期間が過ぎると「わたしネブカドネツァルは目を上げて天を仰ぐと、理性が戻って来た。わたしはいと高き神をたたえ、永遠に生きるお方をほめたたえた。 その支配は永遠に続き その国は代々に及ぶ。 すべて地に住む者は無に等しい。 天の軍勢をも地に住む者をも御旨のままにされる。 その手を押さえて 何をするのかと言いうる者はだれもいない。(ダニエル書四章三十二節)」とネブカドネツァル王は人の無力さを悟りました。

あの手この手で世の権力者は自身の権力を保持しようとしますが、神の御意志ならばその権力は簡単に取り上げられてしまうのです。このことから、人間がいかに無力かわかるかと思います。人は自分の思うがままに人生を動かすことはできません。

すべての人間は自分の将来がどうなるか、何歳まで生きるか等は確実には分かりません。ただ何となく「こうなるだろう」といった憶測か、「こうなりたい」と勝手な思いを抱くこと位しかできません。あなたがたはまだこのことが分からないのでしょうか。あなた自身が今後どうなるか、家族がどうなるかなんて正確に分からないでしょう。それは私たち人間に主権がないことの証明です。

引用元:真の聖書福音と預言「主権は神にあり、人間にあらず」

ミカエルさんが上記のようにおっしゃっています。これが人間の現実です。いくら文明が発達しようとも、それは決して変わりません。自分がいつどう死ぬのかもわかりませんし、生まれる時も誰を親として生まれる、といったことも決められません。人間にはそうしたことを決めることは許されていません。人は自分の死を留めることはできません。「人は霊を支配できない。 霊を押しとどめることはできない。 死の日を支配することもできない。(コヘレトの言葉‬ ‭八章八節)」とあり、これも人が主権者ではないことを表しています。

また、こちらのツイートでは、人の受精にまつわる話から、人間の力では及ばないことがあると話しています。ただし、この方は八百万の神を信じているようなので、全面的に賛成はできませんが、人間の力が及ばないことはたくさんあるのは事実です。

最近はスピリチュアルやニューエイジなどの影響により、自分の人生はなんでもうまくいかせることができる、とか「自分は神だ」なんて主張する人もいます。そう言ってる人たちは、我々は自分の感情や気持ちさえ、完全に制御することはできないことについてどう考えるのでしょうか。かつて、主イエスが直々に選ばれた使徒たち(ユダを除く)は「一緒に死なねばならなくなっても、主イエスを知らないとは言わない」と誓っていました。その気持ちに偽りはなく本当だったのだろうと思いますが、その通りに実行することはできませんでした。

また、ゲツセマネに来る直前に、ペトロをはじめとする弟子たちは、マタイ26:35のとおり、主イエスと一緒に死なねばならなくなっても主イエスを知らないなどとは決して言わないと誓っていました。それにも拘らず、ゲツセマネで祈り終わった後に主イエスが逮捕されると、弟子たち全員が主イエスを見捨てて逃げ出しました(マタイ26:56)。如何に肉なる存在は弱いかを示しています。人間の力だけでは何もできないというのはこういうことであり、また、信仰が薄く、肉の思いで生きていると、今は絶対に背教しないと思っていても試練や艱難に直面すると、いとも簡単に背教して信仰から脱落する。

引用元:真の聖書福音と預言「ゲツセマネの祈り

聖書にはこの出来事だけではなく、ヨシュア記にもあります。

ヨシュア記‬ ‭二十四章十六節〜二十四節

民は答えた。『主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません。 わたしたちの神、主は、わたしたちとわたしたちの先祖を、奴隷にされていたエジプトの国から導き上り、わたしたちの目の前で数々の大きな奇跡を行い、わたしたちの行く先々で、またわたしたちが通って来たすべての民の中で、わたしたちを守ってくださった方です。 主はまた、この土地に住んでいたアモリ人をはじめ、すべての民をわたしたちのために追い払ってくださいました。わたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。』 ヨシュアはしかし、民に言った。あなたたちは主に仕えることができないであろう。この方は聖なる神であり、熱情の神であって、あなたたちの背きと罪をお赦しにならないからである。 もし、あなたたちが主を捨てて外国の神々に仕えるなら、あなたたちを幸せにした後でも、一転して災いをくだし、あなたたちを滅ぼし尽くされる。』 民がヨシュアに、『いいえ、わたしたちは主を礼拝します』と言うと、 ヨシュアは民に言った。 『あなたたちが主を選び、主に仕えるということの証人はあなたたち自身である。』 彼らが、『そのとおり、わたしたちが証人です』と答えると、 『それではあなたたちのもとにある外国の神々を取り除き、イスラエルの神、主に心を傾けなさい』と勧めた。 民はヨシュアに答えた。 『わたしたちの神、主にわたしたちは仕え、その声に聞き従います。』

上記の場面は、ヨシュアが「もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。(ヨシュア記二十四章十五節)」と言った後にイスラエルの人々が述べた言葉です。イスラエルの人々は主を捨てるなどするはずがない、と言いました。が、ヨシュアの死後イスラエルの人々は主に背き、主を捨ててしまいました。人の意思はそう強いものではなく、誘惑にあったりすれば脆くも崩れ去るようなものと言わざるを得ません。

それは文明が進んだ今でも変わらず、感情のゆえに暴言を吐くなんてことはよく聞くことだと思いますが、人殺しも行ったりしています。また、危機に瀕すれば同じ人を食べる、ということもしてきました。列王記下‬六章二十八節〜二十九節には「王は更に、「何があったのか」と尋ねると、彼女は言った。「この女がわたしに、『あなたの子供をください。今日その子を食べ、明日はわたしの子供を食べましょう』と言うので、 わたしたちはわたしの子供を煮て食べました。しかしその翌日、わたしがこの女に、『あなたの子供をください。その子を食べましょう』と言いますと、この女は自分の子供を隠してしまったのです。」とあるように人喰いがあったことが語られていますし、戦争によって飢饉になった城などでは子供を食べることはよく行われてきました。人は自分から起こる感情を制御することもできません。

そのことに気づいてる人たちの中には、ニューエイジや「人間の無意識の探求」をしようとする人も多くいます。しかし、こちらのツイートをご覧になれば分かるかと思いますが、そうした思想は罠であり救いをもたらすものではありません。ニューエイジも自分自身が神になれる、などとしていますが、それはエデンの園で悪魔がイブに「神のように善悪を知るものとなることができる」と誘惑したようなものであり、とても真理とは言えません。こちらの記事を読んで、偽りに騙されないでください。

・神がいないについて

多くの人は科学の発達の結果、「神なんていない」とか「神なんていなくてもいい」と思う人が多くなってしまいました。

こちらのツイートやこちらのツイートのような考えに共感を持つ人は少なくないのではないでしょうか。

また、神がいないと主張する人の中には、「どうして神に祈っても何も起きないのか」という人もいるかと思います。

ですが、このことをもって神がいないと主張するのは無理があります。 

聖霊を受けておらず真理を知らん人たちが「祈ります」等と言うたところで、その祈りが父なる神に届くことはない。更に、パウロ教信者といった故意に神の律法を無視して違犯し、罪を犯し続ける罪の奴隷が神に祈る資格も無いし、その祈りは神に聞き入れられへん。なぜなら、「見よ、救うのに主の手が短いんやないし、聞くのに主の耳が鈍いのでもあらへん。むしろ、あんた方の邪悪さがあんた方と神の間を隔てるようになった。そして、あんた方の罪が、あんた方から聞くのに(神の)御顔を覆い隠したんや。」(イザヤ書五十九章一節〜二節拙訳)と書いてあるからや

引用元:真の聖書福音と預言「パウロを偽使徒と認めない反キリストの有様

神は人の願望を叶えるために存在しているのではありません。だから、神を信仰せず、神の律法を守らずにやりたい放題してるのに、祈っても神には届きません。

神の立場になって考えてみると、自分の命令したことを守らず、やりたい放題しておいて「〜してください」とか「〜してくれないなんておかしい」と言ってくるのは非常に腹立たしいことだと想像がつくかと思います。

不信仰で平素から神のために何かしてる訳でもないくせに都合良く利益ばっか得ようと思うなよ。その心の在り方が自己愛の塊であり、自分の利益しか追求しておらず、その者自身が悪人であると証明してることに気付きなはれ。神はあんたらの利益や自分勝手な願いを叶えるために存在してはるんやない。そう考えるような莫迦な人間は、神を自分(人間)よりも下に位置するものと看做してる。せやろ。人間の願いを神に一方的に押し付けて言うことを聞いてくれる存在と思ってるんやから。そないな利益信仰者は高慢で底抜けの莫迦者で罪深い故、滅んで当然や。

(引用元:真の聖書福音と預言「聖書の終末預言 二」)

上記のミカエルさんの解説を心に留めていただきたいです。

人間の欲望を叶えてもらって当然、といった態度ではいけません。

また、神がいない、とする人たちは「悪魔よりも神の方が人を殺している」と主張することがあります。

ですが、そもそもこの世の生殺与奪を握られてるのは神であるので、言ってしまえば全ての人は神が殺してることになります。

それもおかしいと主張する人もいると思いますが、皆さんも「不良品」と思ったら容赦なく捨てるはずです。

言うておくが、創造主である神が被造物を如何ように扱おうが自由である。所有権者が所有物を如何ように扱おうが自由なんや。せやろ。自分が所有するものの中から選んで気に入ったものだけを保持し、気に食わぬものや不要なものはゴミと思って捨てようが、所有者の自由やろ。例えば、あんたらが車を持ってるなら、車が故障して修理するよりも買い換える方が安上がりと分かれば、その車は修理せずに廃車にして買い換えるやろ。過去に生産された品質の高い車(ビンテージカー)等で、特定の車種に対する所有への拘りが無い限り、高くついても買い換えず修理するっていう人はほぼ居らんやろ。携帯電話も古くなって支障をきたすなら廃棄するかして買い換えるやろ。それらの物が、所有者であるあんたらに「おい、我を捨てるな」等と異議申し立てをすることは出来ず、処分権は所有者が持ってるやろ。飼ってる動物であっても捨てる自分勝手な人間が多いやろ。それと同じ理屈や。神にとってこの天地、万物、人間もすべて被造物で、生かそうが殺そうが壊そうが、創造主かつ所有者である神の自由ということであり、人間がどうのこうのと言える立ち場にない。聖書に記される創造主である主なる神に太刀打ち出来る被造物なんて存在せんのやから、誰も文句言えへん。神に文句を言う愚かな人間こそ消されるだけやし、逆らう者も地獄で処分されるだけや。如何ように文句や不平不満を言おうが、神にとっては雑音であり、どうでもいいんですよ。なぜなら、悪魔も人間も神に指一本触れることはでけへんし、逆らう者は最終的に全員処分するんやから。

(真の聖書福音と預言「法への無関心や無知が身を滅ぼす」)

神がいない、と現実逃避せず、現実を直視してください。

 

 神がいる証拠はあるのか、と思う人もいるかと思います。

神がいるという確信に至るためには、世の誤った常識を捨てねばなりません。

例えば進化論を捨てねば神によって創造されたことを否定するでしょう。

しかし、進化論はこちらのように、単なるでっち上げであり、なんら根拠はありません。

この説を肯定するなら、あなたは猿の子孫だと言われても反論のしようがないですし、なぜ他の猿が人に進化しないのかといった多数の矛盾に満ちています。

また、支配層が遺伝子組み換えに躍起になるはずもありません。うまく進化できるのなら。

こちら(ビットシュート)では、遺伝子に神の名が記されてることが語られていますが、支配層はその神の名が記された遺伝子をmRNAワクチンによって、改変させてしまいました。

こちら(BitChute)でも説明されてるとおり、遺伝子は神の設計であり、主なる神を表し、それを人間都合で勝手に変更するというのは神への反逆、サタンの業であり、それに安易に応じることもどれだけの大罪か理解でけへんのは狂人であり、地獄行きで当然である。また、これをしてもうたら、不可逆であり、二度と戻らへんことにも注意や。

(引用元:キリスト道「本拠」

コロナワクチンをはじめとするmRNAワクチンは打ってしまえば、もうおしまいの類のものです。

上記の解説でミカエルさんが仰っているように、神への叛逆行為であるからです。

 

また、この地は平であり決して球体ではないこと、宇宙がないことも受け入れる必要があると思います。

神がいないと言う大きな理由は「ビックバン」によってこの世界が偶然誕生したという「神話」を信じていることによるところも大きいと思うからです。

こちらの記事でこの地が平らである根拠について論証されていますので、ぜひご覧ください。

 

また、この世で傍若無人の振る舞いをする支配層はこちら(ツイッター)やこちらのように最近地下壕に巨額の投資をしているそうです。

 

・最後に

 

聖書を読んではいなくても、神がいる、ことを信じている人もいます。そういう方は、聖書を信じる意味がよくわからないかもしれません、

ぜひ⬇️の動画を見て、聖書を信じる理由について、知っていただければと思います。

 

 

 

こちらの通り岸田首相は憲法改悪に躍起になっています。

憲法改悪されれば、戦争に巻き込まれるのは確実と見られます。

 日本もアメリカの属国として参戦を余儀なくされるでしょう。複数の過去記事で述べたとおり、その目的のために憲法改悪(9条改正、基本的人権の全削除、緊急事態条項の新設等)を自民党が野党と対立するように見せかけますが、裏では通じており、協働して推し進めようとしているのです。

(引用元:真の聖書福音と預言「現イスラエル国家は聖書のイスラエルではない」)

野党が憲法改悪を止めてくれるという淡い期待はしないでください。

日本は古代イスラエル人の血統が全て揃う国のため、支配層から狙われており、改憲によって国防軍を創設するなどしてしまえば、連合国(UN)の敵国条項に基づいて、戦争になってしまうと思われます。

日本が再軍備しようものなら、日本の味方をする国は現れないでしょう。敵国条項については参考までにこちら(地球なんでも鑑定団)。国連にかなり日本はお金を出しているのに敵国条項からは外されないとは、世界から日本はただの金づるとして利用されているだけなのです。国連という存在もNWOの機関なので信用してはなりません。このように、日本は世界各国のNWO支配層から敵視されているのです。サタン崇拝するNWO支配層は日本だけを攻撃目標として残すために敵国条項から外さないのです。それも過去記事「日本は多民族国家、日本人の一部は古代イスラエル人」でも述べたように、日本が古代イスラエルの失われた10部族、加えて他の2部族もこの二千年の間に来た可能性もあり、古代イスラエル人の血統が揃う唯一の国だからです。それ以外に理由はありません。彼は2012年9月に"In 10 years, there will be no more Israel."、つまり、「10年後にはイスラエルは存在しなくなるだろう。」と発言しました。ほとんどの人がこれを字義どおりの中東のイスラエルと思っていますが、私は日本のことだと思っています。NWO支配層の一人であるキッシンジャーは、NWO計画で2022年までに平和で繁栄した今までの日本の形を根本から潰すという目標があり、そのことを口走ったのでしょう。

引用元:真の聖書福音と預言「日本人の消滅危機と生き様について」

 

改憲されてしまえば、聖書研究や福音伝道はできなくなると思われます。

残り時間はあとわずかです。

聖書を読むか読まないかは、個人の自由ですが、聖書を読んでも損にはなりません。

どうかこの機会に聖書を読んでみてください。