※ 「ナウシカ」 の語源については、↓ に示した記事に最終的な考察を載せています。
http://ameblo.jp/nirenoya/entry-10118092661.html
〓『風の谷のナウシカ』 放送してましたね。もう24年になるんですね。
〓日本でパーソナル・コンピューターが普及し始めたころ、今から思うと、かなりドットの粗いグラフィック機能で、「お気に入りのアニメのイラストを描くこと」 が流行っていました。当時は、そういうものを “CG”、“コンピュータ・グラフィクス” と呼んでいました。
〓「ナウシカ」 は格好のモチーフでした。不思議と、みんな、
Nausicaä
というロゴを入れていました。その風変わりなロゴに 「呪術的な」 力を感じているかのようでした。
【 Nausicaä という綴り 】
〓「ナウシカ」 というのは、 古代ギリシャのホメーロスによる叙事詩 『オデュッセイア』 に登場する 「スケリア Σχερία Skheria の王女 (王の娘)」 です。その 「ナウシカ」 の英語綴りが Nausicaä です。
〓語末の -caä という 「奇妙な綴り」 は、純粋に 「英語の問題」 であって、ギリシャ語の 「ナウシカ」 とは関係ありません。「ナウシカ」 は、古典ギリシャ語で、
Ναυσικάα Nausikaā [ ナウスィ ' カアー ] 「ナウシカアー」
と綴ります。つまり、語尾は、~ka-ā [ ~カ・アー ] と音節が分かれるのです。ギリシャ語では、-αα- という綴りは 「必ず、2音節に分かれる」 ので、何の記号も付けませんが、英語では、-aa- のように母音が続く場合、後ろの母音の上に ¨ という記号を付けます。これを 「分離符」 と言います。
〓よく知られている例では、 naïve [ ナ ' イーヴ ] があります。もっとも、現代では、学術的な文章以外では、省かれるのが一般的です。
〓“ ¨ ” を 「分離符」 として使うのは、英語とフランス語の特徴です。英語で使用されるようになったのも、フランス語の影響だと考えられます。フランス語では、
ai [ e / ɛ ]
ei [ ɛ ]
oi [ wa ]
au [ o / ɔ ]
ou [ u ]
など、二重母音表記を短母音に読むことが多いので、これを [ ai ], [ oi ], [ au ], [ ou ] などと読ませる場合のために、-aï-, -oï-, -aü-, -oü- などの表記が必要になるんです。
〓旧ドイツ語圏、つまり、神聖ローマ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国圏では、“ ¨ ” を 「分離符」 の意味では使いません。この地域では、通常、「ウムラウト」 の意味に使います。ウムラウトというのは、母音が後続の音節の i, e に引きずられて、「e の音色を帯びること」 です。a, o, u の上に小さく e を上書きしていたものの代わりです。
〓つまり、 ä を 「分離符つきの a 」 として使うのは、英語とフランス語なのです。しかし、フランス語では 「ナウシカアー」 を、
Nausicaa [ ノズィカ ' ア ]
と書くので、けっきょく、Nausicaä というのは、英語独特の表記ということになります。英語では、
Nausicaä [ ノー ' スィキア / ノー ' スィケイア ]
と読みます。ドイツ語では、
Nausikaa [ ナウ ' ズィーカー ]
です。
【 「ナウシカアー」 の語源 】
〓高津春繁 (こうづ はるしげ) 氏の 『ギリシア・ローマ神話辞典』 (岩波書店) の 「ナウシカアー」 の一部を引用します。
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【ナウシカアー】 Nausikaa, Ναυσικάα
《オデュッセイア》 の第六巻に現れる有名な乙女。……
カリュプソーの島から船出したオデュッセウスはふたたび難破して、スケリアの島に打ち上げられて、裸で海辺の茂みの中で疲れはてて眠っている。
…… 彼女 (ナウシカアー) は父に乞うて、ろばの引く車を借り、洗濯物を積み、侍女たちと海辺に出かけて、洗濯を終り、鞠遊びに興ずるあいだに、鞠が海に落ち、彼女たちは叫び声をあげる。これに目を覚ましたオデュッセウスは貴女を見て、裸身を木の枝でかくして現れる。
侍女たちは恐れて逃げるが、ナウシカアーはアテーナーに勇気づけられて、彼の近づくのを待ち、その願いを聞き、飲食物を与え、町へ導き、町の近くになってから、自分が見知らぬ男とともに歩いて、あらぬ噂を立てられないように、彼に道を教えて、一人で町に入らせる。
彼女は彼のごとき人の妻になりたいと淡い恋心を抱き、父アルキノオスも娘をこのような人にと思うが、オデュッセウスにはすでに妻があり、この魅力に富む乙女のエピソードはこれだけで終る。……
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19~20世紀の米国の画家、ウイリアム・マグレガー・パクストンの描いた
リアルな “ナウシカアーとオデュッセウスの邂逅 (かいこう)”
〓このオデュッセウスの妻というのは 「ペーネロペー」 です。
〓ところで、「ナウスィカアー」 という名前は、語幹と語尾に分離できます。
ναυσικα- nausika- 「語幹」 単語の意味をになう部分
-α -ā 「変化語尾」 女性名詞であること、あるいは、どの格 (~は、~の、~を、~に) であるかを示す
〓つまり、nausika- の部分に意味が秘められているんです。古典ギリシャ語で、「船」 のことを ναῦς naus [ ' ナウス ] と言います。nausika- には、明らかに 「船」 という単語が含まれているんです。それは、オデュッセウスとの逸話が関係しているように見えます。
〓ところが、後半の部分がわからない。これは、専門家でもよくわからないのです。『オデュッセイア』 というのは、古い古い時代のギリシャで語られた叙事詩なので、固有名詞の意味は、古典ギリシャ語の時代でさえ、すでに、意味がわからなくなっているんです。
〓そもそも、Ναυσικάα Nausikaā という語形じたいが古い。語末の -άα というのは、古典ギリシャ語の時代では、すでに -ᾶ に変わっているはずです。つまり、
Ναυσικᾶ Nausikā [ ナウスィ ' カー ]
が、本来の古典ギリシャ語の語形であるはずなのに、もっと古い時代の語形が化石のように残ってしまっていたんです。現代日本語でいえば、「かをり」 とか 「なほこ」 みたいな綴りなんです。
〓ギリシャ語 ναῦς naus 「船」 は、本来、
νάϝος nawos [ ' ナウォス ]
※ ϝ は “ディガンマ” と言い、ごく古いギリシャ語で [ w ] 音をあらわした
という語形で、naw- が語根でした。後世、どこまでが語根か、わからなくなりました。合成語をつくる場合は、語根が使われます。そのため、古典ギリシャ語の時代でさえ、「船」 を含む合成語の作り方に2通りあります。
ναυ- nau- [ ナウ ]
ναυσι- nausi- [ ナウスィ ]
〓日本語で言えば、「雨傘」 の 「あま~」 と 「雨模様」 の 「あめ~」 みたいなものです。これによって、nausika- の分析も変わってしまうんですね。
ναυ- + -σικα nau- + -sika
ναυσι- + -κα nausi- + -ka
〓この -sika あるいは -ka が何を意味するのかわかれば、
「ナウシカアー」 = 「船」 + 「-sika / -ka」
という等式が解けるんです。
〓古典ギリシャ語に ναυτικά nautika [ ナウティ ' カ ] という単語があります。 ναυτικός nautikos [ ナウティ ' コス ] 「船の、船のための、船乗りの」 という形容詞からつくられた 「中性複数名詞」 です。「海事、海軍」 という意味です。
〓アテーナイ (アテネ) のアッティカ方言では -τι- -ti- と -σι- -si- が入れ替わることがあるので、これと ναυσικα- nausika- は、関係があるのかもしれません。
〓だとすると、「ナウシカアー」 は 「海の出来事」 という名前になります。
〓ちなみに、現代ギリシャでは、
Ναυσικά Nafsika [ ナフスィ ' カー ] 「ナフシカー」
は女性の名前として使われています。
【 付記 】
〓ギリシャ語の 「船」 ναῦς [ ' ナウス ] は、ラテン語の navis [ ' ナーウィス ] 「船」 と同源です。このラテン語の navis からは、
navigate 「舵取りをする」、「ナビゲートする」
navigator 「航海士」、「ナビゲーター」
navy 「海軍」、「濃紺」
などの英単語ができています。また、ジュール・ヴェルヌの 『海底二万哩』 (マイル) に登場する潜水艇 「ノーチラス号」 の
nautilus
この単語は 「オウム貝」 の意味でもあるんですが、これはギリシャ語の 「船」 naus を含んでいます。
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【 付記 】
〓「ナウシカアー」 という名前についての考察には、この続編 (2008/7/21) があります。
http://ameblo.jp/nirenoya/entry-10118092661.html