〓マルティナ・ヒンギス選手が引退だそうです。事情は、みなさん、ごぞんじでしょう。
〓1990年代なかば、彼女が10代にして、それこそ “彗星” のごとく登場したとき、アッシは、
どうしても、マルチナ・ヒギンズ
と言い間違えて困っていました。それくらい、「ヒンギス」 という姓にナジミがなかったわけです。どうしても、アナグラム的な 「ヒギンズ」 になってしまう。
Higgins [ 'hɪɡɪnz ] [ ' ヒギンズ ]
〓映画 『マイ・フェア・レディ』 “My Fair Lady” の 「ヒギンズ教授」 の “ヒギンズ” ですよ。この姓の持ち主は、通常、アイルランド系の人です。
O'Higgins [ oʊ'hɪɡɪnz ] [ オウ ' ヒギンズ ]
という、原形に近い姓の人もいます。アイルランド語では、
Ó hUiginn [ o:'hɪɡi:nʲ ] [ オー ' ヒギーン ]
※ Ó hUigín, Ó hUigínn とも綴る。
と言います。古いアイルランド・ゲール語で、ヴァイキングのことを uiginn 「イギーン」 と言い、 Ó hUiginn 「オー・ヒギーン」 というのは、「ヴァイキングの息子」 という意味です。 Uiginn の語頭に付いている h- は、 Ó を付けたときにあらわれるもので、母音 [ o ] と [ ɪ ] の衝突を避けるために挿入するものです。発音しやすくするためですね。
〓しかし、「ヒンギス」 という姓は、「ヒギンズ」 とは関係ありません。しかし、どういう姓なのか、当時は、スイス人という情報しかなく、まして、今のようにインターネットで何でも調べられる時代ではありませんでした。ドイツ的な姓でもなし、フランス的な姓でもなし、いったんナンなんだろう、と。
〓現在の彼女の姓、
Hingis [ ' hɪŋɡɪs ] [ ' ヒンギス ]
は、ドイツ語圏に属するものと考えてよいでしょう。彼女は、スロヴァキア語、(スイス)ドイツ語、英語、そして、若干のフランス語を話すことができます。
母語は “スロヴァキア語” で、
子ども時代の社会生活言語は “ドイツ語”
でしょう。つまり、 Hingis という姓は、社会的にはドイツ語に属します。
〓余談でありますが、英語版のウィキペディアの “Martina Hingis” の項では、2007.11.3 現在、アクセントの位置がまちがっています。
[ hɪŋ'gɪs ] [ ヒン ' ギス ]
と語末にアクセントを置いています。
〓これは、米国人特有のまちがいだろうと思います。米国では、いまだもって、IPA (いわゆる発音記号) が普及しておらず、米国独特の表記法を用います。この方式では “アクセントを音節のあとに付ける” という奇妙な方法を取るのです。この方法が、IPA の表記法とゴッチャになったものでしょう。
〓で、ハナシをもとに戻しますと、 Hingis という姓はドイツ語圏に属しますが、語源はドイツ語ではありません。それは、彼女の込み入った生い立ちと関係があります。
【 「マルティナ・ヒンギス」 の誕生 】
〓彼女が生まれたのは、コシツェという都市です。この都市じたいが込み入った歴史を持っています。
Kassa [ ' カッシャ ] ハンガリー語。
13世紀にハンガリー王国の都市として成立する。
Košice [ ' コシツェ ] チェコ語、スロヴァキア語。
第一次大戦後、チェコスロヴァキア領になる。
Kassa 1938年、ドイツ・イタリアによる 「ウィーン調停」 で、
ふたたび、ハンガリー領に編入される。
Košice 第二次大戦後、チェコスロヴァキア領に戻る。
Košice 1993年、チェコとスロヴァキアの分離にともない、
スロヴァキア領となる。
〓どうです。アッチャに行ったり、コッチャに行ったり。第二次大戦前までは、
スロヴァキア人、チェコ人、ハンガリー人、ドイツ人、ユダヤ人
が住む都市でした。戦後は、ホロコーストによりユダヤ人は0人となり、ハンガリー人、ドイツ人も少なくなりました。
〓そういった都市で生まれたマルティナ・ヒンギスの両親は、
母親 ─ Melánia Molitorová [ ' メらーニア ' モりトロヴァー ]
チェコ人。Melanie [ メ ' ラーニエ ] はドイツ語式に
言い換えた名前。チェコスロヴァキアでランキング10位を
記録したテニス選手。
父親 ─ Karol Hingis [ ' カロる ' ヒンギス ]
ハンガリー系チェコスロヴァキア人。ハンガリー語名は、
Hingis Károly [ ' ヒンギシュ ' カーロイ ]。チェコスロヴァキアで
ランキング19位を記録したテニス選手で、コシツェでトレーナーを
していた。
という2人です。
〓マルティナ・ヒンギスは、当時、日の出の勢いで世界を席捲し始めていたチェコのテニスプレイヤー、
Martina Navrátilová [ ' マルチナ ' ナヴラーチろヴァー ]
「マルチナ・ナヴラチロワ」
にあやかって、 Martina と名付けられました。この名前は、ドイツ語や英語では 「マルティナ」 ですが、チェコ語・スロヴァキア語では、
[ 'marcina ] [ ' マルチナ ]
と発音します。
〓よって、マルティナ・ヒンギスがチェコスロヴァキアで生まれたときの名前は、
Martina Hingisová [ ' マルチナ ' ヒンギソヴァー ]
でした。
〓同じスラヴ人でも、ロシア人の姓というのは、
男性形 -ов -ov [ -アフ ]
Иванов Ivanov [ イ ' ヴァーナフ ]
女性形 -ова -ova [ -アヴァ ]
Иванова Ivanova [ イ ' ヴァーナヴァ ]
という男女ペアをつくりますが、チェコ人、スロヴァキア人の姓というのは、男性形が “語尾ゼロ” で、女性形が語尾d“-ová” [ -オヴァー ] という変則的なペアをつくります。
〓ですから、
男性形 Hingis [ ' ヒンギス ]
女性形 Hingisová [ ' ヒンギソヴァー ]
となるわけです。両親は、マルティナが生まれて4年後に離婚し、彼女は母親に連れられて、病気のおじいさんのいるロジュノフ Rožnov (現在はチェコ領の東端) に移りました。
〓1987年、母親のメラーニアは、スイス人のコンピューター・セールスマン、アンドレアス・ツォック Andreas Zogg と再婚し (のちに離婚)、マルティナともども、3人でスイス、トリューバッハ Trübbach へ移住します。
〓トリューバッハというのは、スイスのほぼ東端に位置し、すぐ東隣はリヒテンシュタインという土地柄です。 Trübbach というのは、「濁り川」 という意味。
〓病気だったマルティナの母方のおじいさん (名前はネットでもハッキリしない) は、娘と孫娘が外国へ移住した翌年の1988年、チェコスロヴァキアが共産主義を脱却するのを目前にして亡くなっています。
〓このおじいさんは、造園業をいとなんでいましたが、「反共産主義的思想の持ち主」 という罪状で、強制労働キャンプであるウラニウム鉱山に、8年間、送られていたことがあるそうです。
〓 Hingis という姓は、ハンガリー語では [ ' ヒンギシュ ] と発音します。ハンガリー語の奇妙な正書法で、
s [ ʃ ] ─ sz [ s ]
という対応をするのです。
〓この 「ヒンギシュ」 という姓は、ひじょうに珍しい姓のようで、ハンガリー、チェコ、スロヴァキアなどの Google で検索しても、同姓の人がほとんど見つかりません。地名にもないようで、語源は不明です。チェコ人、ハンガリー人の姓のページでも、 Hingis という姓は扱われていません。
〓今では、誰もが聞き慣れた名前 Hingis ですが、とても珍しい名前です。