実は、僕、かなりの音楽ファンです
普段は、クラシックやジャズ、洋楽popsをよく聴いています
邦楽はほとんど聴きませんが、歌は好きです。
日本の歌が持つメロディと歌詞は、
何故か心に深々と絡み着いてきます。
やはり、自分が日本人である事を、強く感じざるを得ません。
数ある邦楽の中でも、
Every Little Thing(エブリリトルシング)の歌は、
特に心に突き刺さります
彼らには『time goes by』というヒット曲がありますが、ご存知ですか
メロディーを聴けば、誰もが「あ~、この曲ね」と頷くはずでしょう。
まず、歌い初めの歌詞が印象的です。
「きっときっと誰もが、何か足りないものを、
無理に期待し過ぎて、人を傷付けている」という歌詞に、
僕は深く考えさせられました。
やはり、他人に期待し過ぎてはいけないと思います。
他人には、その人なりの願望や目的や価値観があり、
これらは個人の自由として尊重すべきものです。
他人の言動が自分の意に反するからと、
それを思い通りに変えさせようとするのは、
暴力に他ならないと思います。
他人に対して、
「こう合って欲しい」と願う事自体が悪い訳ではありません。
問題の1つは、期待に応えようとして無理をしている人の苦しみを、
気付かない事にあります。
そもそも、人間には、
周囲の期待に応えようとする習性があり、
その期待が言葉や態度で示されたものでなくても、
他人の気持ちを察して無理に頑張ろう場合もあるのです
これは、当人にとって大きな苦しみとなります。
無理に頑張る事によるストレスと、
期待に応えられない場合の罪悪感に挟まれ、
しかも『逃げ場がない』という状況に追い込まれるからです
無理な期待によって傷付くのは、他人だけではありません。
期待する本人も同じく心に傷を負います。
現実には、他人が自分の思い通りに動いてくれる事というのは、
意外と少ないものです。
何故なら、誰もが自分の意思を尊重し、
自由に生きたいと思っています。
それを知っていれば、「仕方ない」と諦められますが、
期待が大きい人には我慢が出来ません。
「何でいう事を聞いてくれないんだ」、
「君のためを思っていってるのに」、
「いつも、いろいろして上げてるのに」、
などと疑問が湧き、それらが自らを苦しめるのです。
常に期待してばかりだと、
このような苦しみを頻繁に味わう破目となります。
それを怒りとして、いちいち相手にぶつけていれば、
いずれ対人関係が破綻してしまう事でしょう
アドラー心理学には、
「他人は自分の期待に応えるために生きている訳ではない」、
という教訓があります。
同様に、自分だって、
他人の期待に応えるために生きている訳ではないのです。
多大な期待は他人のみならず、自分をも苦しめます。
自由を侵害される苦しみと、他人が思い通りにならない苦しみ…。
いずれも心に大きな傷を負う事になります
僕らには、他人にだけでなく、
あらゆる物事に対して期待し過ぎる傾向があります。
「上手くいく」、「成功する」という期待が意欲をもたらし、
行動の原動力になるのは確かです。
しかし、結果的に上手くいかなかった場合、
その期待は失望に変わります。
期待が大きければ大きいほど、外れた時の落胆も大きくなるのです
我々は、様々な目的を持って、
ゴールを目指して努力し続ける日々を送っています。
しかし、世の中、そう甘くありません。
それは、ある程度の人生を過ごしてきた人なら解るはずです。
世間的では、「ダメで元々」という言葉がよく遣われます。
同様に、「結果はどうあれ、ベストを尽くす事に価値がある」、
…という意見もよく耳にしますが、
全くその通りだと思いませんか
世の中では、「人間、諦めたら終わり」ともいわれます。
それは、挑戦を止めてしまうからです。
つまり、問題は行動しなくなる事にあります。
「どうせ無理だ」、「上手くいくはずがない」、
などと思う事が悪い訳ではありません。
それを、自らの本心や課題から逃げる口実にするのが悪いのです
諦める事は『終わり』ではなく、むしろ、それが『始まり』となります。
まず、初めに成功を諦め、失敗を受け容れる事を覚悟してから、
ただ、行動にのみ意識を向けるのです。
予め、「無理だろうけど気にしない」、
「失敗しても仕方ない」と考えれば、
もはや怖いものなどなくなります。
そもそも結果というのは、行動してみなければ絶対に解りません。
不確定なものに意識を向ける必要はなく、
自分の気持ちに素直になって、
ただ前に進めばそれだけで良いのです
諦める事により、目的が明らかになります。
持つべき目的は、『成功する事』でも、
『欲しいものを手に入れる事』でもなく、
『自分の気持ちに素直になる事』、
もしくは、『結果を自分の目で確かめる事』にしてはどうでしょうか
必要なのは、ただ前に進む勇気、それだけです。
どんなに続けてもモノにならない場合や、
努力が苦痛になった場合も、やはり『諦め』が肝心です。
目的や夢を諦め、
行動を止める事に敗北感を抱く人は多いと思いますが、
それによって自信を失う必要は全くありません。
どんなにチャレンジしても出来ない事は、誰にでもあります。
不可能を認めるのは、恥ずかしいどころか、むしろ賢明な事です。
むしろ、諦めて手放す事により、
我々は苦しみから解放され、新たな希望へと導きかれます
恐れる必要はありません。
胸を張ってどんどん諦めましょう
諦める事は、敗北でも、恥でもありません。
全てのスタートであり、また、輝けるゴールでもあるのです