ネパールの手帖 -3ページ目

ネパールの手帖

平成22年6月から2年間、ネパールでソーシャルワーカーをしてきました。「ネパール日和」から「東京日和」へ。東京の空の下、ネパールで感じたことを思い出して記していきます。

いまさらながら

早々と夏休みを頂いて、ネパールを再度訪問してきた。
理解のある周囲の環境に感謝。

すっかり、ネパールが第二の故郷のようになっている。
今朝、日本に帰って来た。先月協力隊の活動を終えて帰国した時と違い、今回は喪失感に襲われ、哀情に暮れている。我ながら驚いているが、家にいては落ち着かず、今日は一日中街を歩いて東京を「日常」にして落ち着きを取り戻した。

今回は以前からお話しを頂いていた、ネパール国内でのアテンドと通訳(?)を兼ねた滞在であったのだが、人生に色濃く残るネパール滞在になった。

訪れたのはカトマンズ、ポカラ、そして秘境と名高いムスタン。今回で3度目のムスタンであったがさらなる魅力に取り付かれた。

文字を持ったない先人達は、大くを語り合い、同じことを繰り返し語り合った。それは口承伝承とし語り継がれ、ヒマラヤの神話となる。そんな情景を圧倒的な景色の中で思い描きながら、現代社会に生きる私も携帯の電波やインターネット環境が整わないその場に疑似体験をした。多くを語り合い、沈黙の空気を胸いっぱいに吸い込み、過去、現在、未来を想像することを続けた。

この旅行中に、同行者から勧められた「ヤノマミ」(NHK出版)を読む。周囲があまりに圧倒的な光景だったために、本を読んでも全く内容が頭に入らず、音読状態であった。頭の中の「非日常」に対する順応性が低い。常に目の前にあることが「日常」であれたらどれだけ強いだろうか。わたしは驚き過ぎだのだ。いや、この驚く感覚に出会うために生きているようなものだけれど。

「ヤノマミ」を読んで人の命に「権利」「尊厳」が現れたのはいつなのだろうか、死ぬことが許されない日本で生きる者として考えなければ。

今回訪れた山間部には障害者が見当たらなかった。「この地域には障害者はいない」と言いきる地域の人たちから、先人たちの「死の儀礼」というものが少しだけ重なり、更なる探究心が沸いてしまっている。しかし、調べども出てこない。うーーん。


洗濯をしようとネパールで着いた服に顔を押しあてると、ネパール製の天然石鹸の匂いがして更に郷愁を誘う。あぁ、苦しい。

帰国後、1日も休まず仕事復帰し、日本社会ドップリ。
ありがたい。

今日は、仲の良い友人達とお帰り会。

そこで、

「今、ユキにとって日本に暮らすメリットってなに?」

と言われ、即決出来なかった。
ネパールの生活が心地よかった私。
辛いことなんてないし、お金の心配もしなくていい国。
ネパールで暮らせばいいじゃん。

でも日本で暮らす。なぜ?
考えたことがなかったたのもいけない。

「家族が暮らしている国だから」

ということかな。

日本人は、日本で暮らし続けることに固執していると言われるけれど、
海外に住んでみると、特にそれは感じる。

被爆の危険を感じながらも、日本で暮らし続けるのは、そこに家族がいるから。
「家族と共に暮らす」という当たり前のことをネパールで学んだから、しばらくは家族と暮らしていきたい。だから日本で暮らすのだと思う。

今はそこまでしか考えていない・・・。
これ、答えになってる?
ドタバタのうちに日本に帰国しました。

20日

到着後、ネパール隊員でお寿司を食べに。

目を開けているのも辛い程クタクタだったのだけど、ここで寝てしまっては眠り続けてしまいそう・・・

ということで、区役所に行き住民票の届け出をし、無事渋谷区民に戻りました。
区役所で働いている友人に「ただいまー」しがてらお茶をし、

その足で新宿のパスポートセンターで一般旅券の再交付手続き。
写真がクタクタの顔・・・この写真で10年パスポートかぁ。残念。

あっという間に、日本初日が過ぎ去りました。


21日

朝から19時までJICAで終日研修と外務大臣からの感謝状授与式。
夜は仲の良かった隊員と居酒屋へ。何を食べても美味しい!!


22日

朝からJICA向け帰国報告。午後の健康診断までに3時間ほど時間があったので、健康診断のため食事も食べられないし・・・ということで、現職参加で仕事を休ませていただいている職場に挨拶。1時間も滞在できなかったけれど、大急ぎで挨拶。
再び大急ぎで新宿に戻って健康診断。1キロ痩せてた。
「おなかすいたーーーー」と食べたおうどんが沁みわたる美味しさで、感激。

その後、研修で一緒だった9班メンバーで同窓会。
ガボン、ベナン、ソロモン、バヌアツ、パナマ、ネパール・・・・

世界中に散らばったメンバーで、2年間の面白話しを大笑いしながら、感心しながら語り合った。


23日

ようやく、自分の時間。やっとスーツケースを開ける。そして、やっと弟に再会。
しかし、疲れて昼根をしてしまった。
本屋さんに行きがてら初台のICCへ。ジョン・ケージのイメージ世界や、エベレスト登山のパロディ作品なんかもあって面白かった。本屋さんでも新書チェックしたり、読みたい本たくさん見付けた。

夕飯は久々に家族で。ネバネバ系ごはん。


あーーーっという間に日本社会。

日本、電気がいっぱいで明るすぎ、情報多すぎる、物に溢れていて、??って思うこともある。でも、そう思えるようになった「私」を誇らしく思いつつ、楽しい楽しい日本社会を謳歌していきたいと思います。

6日

JICAへの提出書類は一通り終わった。
遅くなってご迷惑おかけします。

ミュージックDVD、映画を買いこむ。
・ゴダール全集
・黒澤明全集
・ウッドストック1969
・LADYSMITH BLACK MAMBAZO
・270miles from graceland bonnaroo 2003
・アッパームスタン映像

トリン・T・ミンハの映像がネパールならありそうなもんだなーと思って探しているけど見つからない。

今日は22時まで停電だから、タメルでプレゼン資料作りをしようと思い、OR2Kへ。

またもAさんにバッタリ。行動範囲が一緒なんだな・・・
絶品ズッキーニパイを食べるも、禁酒です。

帰ったら電気きたのに爆睡。


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7日

ダウン症理解のリーフレット最終打ち合わせの為、デザイン会社へ。
もう、ギリギリな自分が嫌になる。

暑い。とにかく暑くて、氷入りアイスーヒーが飲める店で2回休憩。
顔が常にテカテカしている。

カルディでプレゼンについて考える。Mちゃんと遭遇し、今後の予定の確認。

夜はまたもOR2K。
すっかり日本へ帰国の気分になる。イスラエル料理ファラファルを食べる。ネパールに来て多くのイスラエル人に出会い、ちょっと身近な国になり、ちょっと素敵なシステムな国のように感じている。出会いは世界を深める。

夜な夜なプリンを作ってみた。大家さんに食器を借りていたお礼。
結論。カラメルは必要。冷蔵庫で冷やさないと旨み半減。

写真*プレゼンの為に写真探しで発掘。2年前にシャンティの女工さんと。あぁ、私2年でかなり変ってしまったわ。

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8日

帰国後の準備で駆け回る。お世話になっていた旅行会社に本などを寄付。
高知のからが、私から紹介されたといって旅行会社に連絡をしてきたらしいが、誰?記憶にございません。ブログとか読んだ人かな?

プレゼン資料作り。なぜサクサク作業が出来ないんだ・・・自己嫌悪。

夕食は高級デチェリンでギャコック鍋。ここのギャコックはサイドメニューもとっても美味しい!でも4人くらいで行くことお勧め。人数が少ないと食べきらない・・・


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9日

4時に起きてプレゼン資料作り、家の掃除。朝早く起きたためお腹がすいてカレーうどんをたんまり作って朝食。

その後、大家さんから朝食のお誘い。大量のダルバート。こういう時は手で食べるとなんとかお腹に入るもんだ。

布団をお譲りする約束があったので、郊外にお住まいのSさん宅にお邪魔し、犬と戯れたり、ラナ王朝時代の木材再利用で作った素敵なお宅を見学。シソ料理をたーーんまりご馳走になる。ネパールに永住したくなる・・・

隊員ドミトリーに寄り図書室で本を眺める。読む時間ないだろう・・・と思いつつ眺めてしまう。

先日ダウラギリに登頂され、日本人初の8000m級14峯完全制覇をされた竹内さんのネパール日本人会向け講演会を聞く。ショートドキュメンタリーがかっここよく、こうやってアイゼンつけて歩くのかーなど、ど素人な感想をもった。

最後まで聞く時間なく、

ネパールでの心の支えアハナの家で送別会。
ネワール族の軽食をしっかりと食べて、集まっていた親戚と思い出話。

またもダルバート・・・・美味しいのでモリモリ食べる。

疲れた。倒れこむように眠る。

夜中3時半、ドンドンと玄関を叩く音。

「ハロー!はろーーー!」

という男の声。ひーーーー!と思いながら、玄関に行くと、「Bの友達なんだ!開けてくれ!!」と英語で言っている。1階に住んでいるイタリア人のBさんの友達の様子。鍵を開けると背の高いイケメンイタリア人が2人・・・


「Take care・・・」

とか言われる!いやいや何時だと思ってんだよーーー
しかも、ほぼ下着姿で出てしまい恥ずかしいやら、なんやら・・・


そんな日々・・・・
ネパール生活、残り13日!

レポートやら、なんやら、もうバタバタを超えて、ちょっとボヤッとしています。
いかんいかん!!

ということで、落ち着いたらまた更新します。

昨晩は、近所に住む日本人の方と一緒に

ポールサイモンのアフリカライブ(1987年版)を観ながらビールを飲んだのでした。
このライブが、もうめちゃくちゃかっこよくて、なんとがネパールでDVDを入手しようと思います。

来週は毎日のように食事会や報告会、訪問の予定があり、来週はフリータイムはないな。

最近、今の世界は、「ビューティフルドリーマー」(うる星やつら)のような世界なんじゃないか?

と錯覚することがある。

食べ物に困らず、お金の心配もせず、衣食住をに困ることのない、繰り返される日々。

そろそろ気付かされるのだろうか・・・

そして、いつものドンチャン騒ぎの生活に戻る。

あぁぁ。。。

最近、日本人と話すことが多かったからか、ちょっとだけ現実的になってきたけど、フワフワしている。

明日から久々にラスワのドゥンチェに行ってきます。
久々に長距離バスのチケット買った。なんかワクワクする。

久々に友達に電話したら喜んでくれた。

「必要なものがあるなら買っていくから遠慮なく言って」

って言ったら

「あはは、ユキが来てくれるだけでいいよ~」

って言ってくれた。
そうだった。これがドゥンチェの人たちだった。

ストライキ長期化次第では警察の車にお世話になるかもだし、歩きかもな。あはは。

たぶん最後のドゥンチェ。子ども達といっぱい遊んで、大好きな友達にいっぱい会って、ダルバートいっぱい食べて、ランタンしっかり目に焼き付けてこよう。

いってきます。
バグマティ川。
ネパール人の何割かの人は「ゴミは川に流す」と思っているらしい。
その結果、バグマティ川は汚水汚水ゴミゴミで、橋を渡るだけで悪臭で吐き気がするし、
近所に住む人は風が吹くと家まで悪臭が立ちこめるのだそう。

ネパール人みんな「汚い」「問題だ」と言っている。でも、そのまま。


先日、バグマティ川沿いに建てられた違法住宅の一斉撤去が政府によって行われた。

ずっとするって言っていたり、立ち退き料払ったりなど、していたらしい。

当日は投石の危険などもあることから、

「絶対に近づかないように!」と大使館からメールが着ていた。

うーーーん。

夕方通りかかると煙が出ていたり、ぐちゃぐちゃに壊されていた。

息を止めながらも、どうなっているか自分の目で見ておきたい。

そう思った。

4、5日経ってしまったが、相変わらず壊されたままの川岸。

なんと、どこかのNGOだかが建てたらしい学校まであったらしく(違法だろ・・・)その学校も壊されていた。

5家族くらい話を聞く。色々な環境がある。しかし、子どもが多い。。。
インド人もいる。でもネパール人の方が多い印象。

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健気に花は咲き、

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こんな土地にもトウモロコシは育ち、

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眠ければ日陰で眠る

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壊された廃材を使って滑り台を作り

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拾ってきた枕は車に大変身

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「鼻かみなー」って言ったら「チーーーン」って手鼻をかんでペッペッってその辺につけてお終ーい

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「写真とってーー。」
「兄弟何人?」
「えーー?わかんなーい!いっぱーーいだよーー!」

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didi(おねえちゃん)の話すネパール語変なのーーーあははーーーまねっこしよー

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なんだか子ども達の後ろ姿が、かっこよくみえる。
子どもはどんな環境でも元気でたくましい。
やっぱり子どもは授かりもんだ。
健やかに育つことは、この環境でも不可能ではないと思う。
健やかに育ちますように。
また一緒に遊ぼうね。
今日は、お昼に美味しいおうどんご馳走になり、おうどん美味しいなぁ。
今日食べたおうどんは、日本で並んで食べる人気店のおうどんより、ずっっと美味しい!

夜はシニアボランティアの集合住宅の方に呼ばれて

「日々反省することばかりですので、反省会しましょう。」

という名の、
ジンギスカンパーティ。

食生活豊かだわ。


エベレスト街道、ランタン、アンナプルナなどのトレッキング写真、おじさん2人のインドバックパッカー旅行の写真上映。

「座席取れてなくてさー、電車の連結部分に14時間だよ~。トイレの前だし、あれはきつかったねー」

「Sさんの腰が心配だったよ~手術したばっかりだし~あはは」

「おじさん二人でダブルベッドの日もあったよ~あはは」

「美人が多くて楽しかったねーあはは」

これが、60歳になろうか、60歳を超えたおじさん二人の会話だ。
人生一度ですもの。そうでなきゃね!

私、まだまだ人生長いな。こりゃ色々できるわー。
エベレスト街道で出会った写真家の石川さんが、カトマンズに帰って(?)いらしたので、タメルへ。

山や冒険の話を沢山聞きたかったが、自分の無知ゆえ、質問にもなりゃしない。

結果、なぜか五反田団の話なんかをしたりした気がする。

五反田団の前田司郎さんが

「石川さんは知恵を持った小学生」というような表現をしているが、その通りだな。最高の褒め言葉。

しかし、この細身の青年が本当にエベレストに2度も登り、それどころじゃないものすごい旅をサラリとこなし、いい写真集をサラリと作り・・・。

年齢なんて記号にしか過ぎないけれど、やっぱり同世代としても、いや、いろんな意味で、

ショックな人。

これからも、どんどんショックを与えてほしいし、ハッとする写真を表現し続けてほしいと思います。

すっかり、山から見える景色に魅了されているこの頃。
私もいつかロブチェピークの景色をみてみたいなー。
雷が止まない。
しかもストライキ。皆やる気なし。

今日のストライキはネパールで人口的にも多いチェトリ族によるストライキだからか、
皆が否定的なことを言ったりりすることを控えているように感じる。私が感じてるだけかもしれないけど。

財布にお金がない。いや、ネパールルピーがない。

3日くらい前に、旅行会社にありったけのネパールルピーを払ってしまい

「あ、残金300ルピー(300円)しかないや。両替しなきゃ。」

と、財布に2万円入れた。(今、円高で日本円の換金がいい!)

しかし、豪雨やらストライキやらで、両替しないまま。

なじみの紅茶屋で、高級茶葉を買おうと、さんざん試飲させてもらったが、
あ、お金ないんだった。またにするわ。

今日の食費、23ルピー(23円)也。

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これらを炒めてパスタにからめて食べよう。

乾物入れを探すと「あずき」とホットケーキの粉発見。

ためしにドラ焼きを作ってみる。

美味しい♪また作ろう。

財布の残金は270ルピーくらいある。頑張れば半月くらい生きていける。
それがネパール日和。