大阪って、行く機会があまりなく、縁遠かったものの、行きたい所はたくさんある。
友人が案内してくれるのは本当にありがたい。
大阪の南の方に展開している玉出。小説にも出てくるサイケなスーパー玉出。
「おうち」を売っているのか、自分の「おうち」であることを周囲にアピールしているのか。
問い合わせも苦情も受け付ける愛。
一日単位で借りられるアパートメント。
路上DVD屋。秘密DVD販売中。
ギャラリーができる将棋クラブ。
100周年だよ!通天閣!
この15年くらいで、このての映画館が続々と閉店している。
哀愁漂う太郎の背中。
最近、東京の駅で昼間っから潰れたように眠る人って見なくなった。
大阪はネパールみたいだと思う。
意味がわからないモノが山ほど売っていて、ちょっと変わった人が普通に生活していて、知らない人に話しかけても話しかけられてもいい。10年以上も優勝できない阪神タイガースを応援し続けられる愛。
何は無くともナニワは最高。
大阪に住みたいなぁ。と、ボヤんと感じたのは、ホームシックかな。
食べ物の好き嫌いは全くないし、アレルギーもない。
好き嫌いがない。ということは、味覚障害でもあるのではないか?
とさえ思う。
皆がマズイ!というディロ(蕎麦がきみたいなもの)やバター茶も美味しいと思う。
その時に、見合った食べ物を食べる。
それができる私の身体は、味覚障害かもしれないが最高に贅沢な身体。
私はベジタリアンではない。
肉を頂くことは意識して生きていきたいと思っている。
最近感じることは、日本でベジタリアンの生活をすることは非常に難しい。
ということ。
給食にベジタリアンメニューはないし、アレルギー対応に近いものになってしまう。
ベジタリアンではないが、肉をあまり食べない生活を送っていたからか、肉を身体か受け付けない感がある。
しかし、残すことが出来ない性格もあり、難しいなぁ。と思う。
日本は意外と食の基本的な選択肢が狭い。
あと、牛乳が飲めなくなってしまった。
日本の牛乳は脂肪率が高いからか、飲むとお腹を壊してしまう。
なので豆乳生活。
ここ10年くらい愛読している幕内秀夫さんの「粗食のすすめ」が、本当に自分の身体に必要な時が来たのかもしれない。
好き嫌いがない。ということは、味覚障害でもあるのではないか?
とさえ思う。
皆がマズイ!というディロ(蕎麦がきみたいなもの)やバター茶も美味しいと思う。
その時に、見合った食べ物を食べる。
それができる私の身体は、味覚障害かもしれないが最高に贅沢な身体。
私はベジタリアンではない。
肉を頂くことは意識して生きていきたいと思っている。
最近感じることは、日本でベジタリアンの生活をすることは非常に難しい。
ということ。
給食にベジタリアンメニューはないし、アレルギー対応に近いものになってしまう。
ベジタリアンではないが、肉をあまり食べない生活を送っていたからか、肉を身体か受け付けない感がある。
しかし、残すことが出来ない性格もあり、難しいなぁ。と思う。
日本は意外と食の基本的な選択肢が狭い。
あと、牛乳が飲めなくなってしまった。
日本の牛乳は脂肪率が高いからか、飲むとお腹を壊してしまう。
なので豆乳生活。
ここ10年くらい愛読している幕内秀夫さんの「粗食のすすめ」が、本当に自分の身体に必要な時が来たのかもしれない。

「素直」ってなんていい言葉なんだろう。
素直になることを、忘れかけている気がして、いかんいかんと思う。
素直に生きている人達が回りに沢山いるのに。
素直な人は、素敵だな。と思う。
今日、
「私、あなたに明日も会いたいから、明日もお休みしないで来てね。」
と、お友達に話している女性を見て、温かい気持ちになった。
なんて素敵な人だろう。
「あなたに明日も会いたい」
と言える人でありたいじゃない!
「恥」を知ると、「素直」が欠如するのか・・・
そうではないでしょ。
ネパールで素直に「ありがとう」という気持ち、素直な気持ちで生きていた。
「素敵」と「素直」は似ている。
「素直」な「素敵」な人でありたいなー
なれるかなー。わたし。
Phoro:お散歩をしていて拾ったsmile face♪
久しぶりに六本木をウロウロした。
「植田正治の写真世界」
フジフィルムスクエアの小さな展示スペースでやっていた。
鳥取にある植田正治写真美術館にはカメラの構造の部屋に入ることができる。
カメラの中に入った私たちは、シャッターと音と共に、目の前にある大山(だいせん)の景色を身体中で「ドバーーン!!受け止めました!!!」という感じ。
写真を撮るという行為は、こういうことなのかもしれない。
と、あの部屋での感覚を思いだす。
先日、石川直樹氏の写真集「CORONA」を買った。
「向こうから飛んで来る何かをカメラというグローブでキャッチするような」
と、石川氏が表している感覚を写真を見る私も全身で感じた。
皆既日蝕を回想。
total solar eclipse
「eclipse」とはギリシャ語で「力を失う」ことを意味する。
あの時の恐怖心は、力を失いそうな不安からか。
ネパールにおける皆既日蝕は不吉なもので、まさに「力を失う」ことなのかもしれない。
「植田正治の写真世界」
フジフィルムスクエアの小さな展示スペースでやっていた。
鳥取にある植田正治写真美術館にはカメラの構造の部屋に入ることができる。
カメラの中に入った私たちは、シャッターと音と共に、目の前にある大山(だいせん)の景色を身体中で「ドバーーン!!受け止めました!!!」という感じ。
写真を撮るという行為は、こういうことなのかもしれない。
と、あの部屋での感覚を思いだす。
先日、石川直樹氏の写真集「CORONA」を買った。
「向こうから飛んで来る何かをカメラというグローブでキャッチするような」
と、石川氏が表している感覚を写真を見る私も全身で感じた。
皆既日蝕を回想。
total solar eclipse
「eclipse」とはギリシャ語で「力を失う」ことを意味する。
あの時の恐怖心は、力を失いそうな不安からか。
ネパールにおける皆既日蝕は不吉なもので、まさに「力を失う」ことなのかもしれない。
スカイプやメール、携帯電話なんかを称して「テレコムメディア」というそうだ。
私はコミニュケーション能力が低いのだろうか?と思う。
とにかく携帯のメールが苦手。
多少のメールを送り合うのはいいけれど、何事ないことを送り合い続けるのは苦手。
チャットやスカイプも用事もないのに長々と続けるのも苦手。
出来ないわけではない。もちろん楽しい時もある。
あったら便利だけど、なくても困らない。
日本社会ではダメ人間のレッテル貼られても仕方ないのか。
ネパールでの生活は「停電」という素晴らしい時間があったおかげでネットから遮断される時間がたっぷりあった。
気が散ることなく、ゆっくりと本が読めた。
日本で暮らして、仕事をしていく以上、テレコムメディアと上手に付き合っていかなくてはならない。
友情だって恋愛だって、テレコムメディアの上にあるようだ。
同僚の中には携帯電話を持たない人がいる。
用事があれば職場に電話がかかってくる。
それで事足りている。
そういう生活に憧れる。
本当に大切な人とはテレコムメディアがなくても繋がっていけると思うのだけれど。
今の時代、違うのだろうか?
友人達は皆でLINEというやつで連絡を取り合っているらしく、入るように言われる。
私を思い出すようなイベント事があったらメールして。
と言ってある。だからって途切れる友情ではない、と思っている。
手紙や連絡帳を大切にしていかなくては。
おっと。仕事の話か(笑)
私はコミニュケーション能力が低いのだろうか?と思う。
とにかく携帯のメールが苦手。
多少のメールを送り合うのはいいけれど、何事ないことを送り合い続けるのは苦手。
チャットやスカイプも用事もないのに長々と続けるのも苦手。
出来ないわけではない。もちろん楽しい時もある。
あったら便利だけど、なくても困らない。
日本社会ではダメ人間のレッテル貼られても仕方ないのか。
ネパールでの生活は「停電」という素晴らしい時間があったおかげでネットから遮断される時間がたっぷりあった。
気が散ることなく、ゆっくりと本が読めた。
日本で暮らして、仕事をしていく以上、テレコムメディアと上手に付き合っていかなくてはならない。
友情だって恋愛だって、テレコムメディアの上にあるようだ。
同僚の中には携帯電話を持たない人がいる。
用事があれば職場に電話がかかってくる。
それで事足りている。
そういう生活に憧れる。
本当に大切な人とはテレコムメディアがなくても繋がっていけると思うのだけれど。
今の時代、違うのだろうか?
友人達は皆でLINEというやつで連絡を取り合っているらしく、入るように言われる。
私を思い出すようなイベント事があったらメールして。
と言ってある。だからって途切れる友情ではない、と思っている。
手紙や連絡帳を大切にしていかなくては。
おっと。仕事の話か(笑)
『オロ』
いい映画だった。
ネパールを知り、ネパールを愛する私は、立ちふさがるヒマラヤを前に、ヒマラヤの向こう側にあるチベットを想う。
この映画は、チベットで起きていることを、少年オロを通して、子どもの少し低い目線から私達に語りかけてくれる。
離れ離れになってしまった家族、しかし常に家族のことを考え想うオロに、
これが「不幸な家庭環境」と安易に片付けてはならないと教わる。
人生の経験値の少ない少年なりにも、自分のコトバを持つオロに、強い意志を感じた。
オロは実に「すこやか」な少年だ。
そしてドキュメンタリーに中立性なんていうものは存在しないのだということを改めて確認する。
編集や音楽によって脚色されたオロの世界は優しさを増した「作りもの」の世界に変容する。
下田昌克が描く優しい世界が更に色身を広げている。
監督は「チベットが好きなんだもん」と言ってカメラを回す。そこには計算なんかではない、純粋なチベット愛でカメラを回しているように感じる。
私が様々な側面を持つネパールを愛するのと、まるで同じような目線で。
http://www.olo-tibet.com/
いい映画だった。
ネパールを知り、ネパールを愛する私は、立ちふさがるヒマラヤを前に、ヒマラヤの向こう側にあるチベットを想う。
この映画は、チベットで起きていることを、少年オロを通して、子どもの少し低い目線から私達に語りかけてくれる。
離れ離れになってしまった家族、しかし常に家族のことを考え想うオロに、
これが「不幸な家庭環境」と安易に片付けてはならないと教わる。
人生の経験値の少ない少年なりにも、自分のコトバを持つオロに、強い意志を感じた。
オロは実に「すこやか」な少年だ。
そしてドキュメンタリーに中立性なんていうものは存在しないのだということを改めて確認する。
編集や音楽によって脚色されたオロの世界は優しさを増した「作りもの」の世界に変容する。
下田昌克が描く優しい世界が更に色身を広げている。
監督は「チベットが好きなんだもん」と言ってカメラを回す。そこには計算なんかではない、純粋なチベット愛でカメラを回しているように感じる。
私が様々な側面を持つネパールを愛するのと、まるで同じような目線で。
http://www.olo-tibet.com/
やっと始めることが出来た。
織物。
やっぱり『縁』の力を感じる人生である。
縁があれば色々とめぐり合う。
縁や自然の流れにのみ身を任せてきた人生、こんども。
織物を始める機会を与えられた。
昔、服飾の学校に通って基礎知識は勉強した。
ネパールではしっかりと織物の情報収集して、自分なりに何ができるかを意識しながら織物の現場を見てきた。素材や染色含めて。
そして、ついに織り機と向かい合う日々が始まった。
本当にワクワクしている。
さて、私はこれから何ができるのだろうか。
ゆっくりと時間をかけていきたい。
織物。
やっぱり『縁』の力を感じる人生である。
縁があれば色々とめぐり合う。
縁や自然の流れにのみ身を任せてきた人生、こんども。
織物を始める機会を与えられた。
昔、服飾の学校に通って基礎知識は勉強した。
ネパールではしっかりと織物の情報収集して、自分なりに何ができるかを意識しながら織物の現場を見てきた。素材や染色含めて。
そして、ついに織り機と向かい合う日々が始まった。
本当にワクワクしている。
さて、私はこれから何ができるのだろうか。
ゆっくりと時間をかけていきたい。















