”諸行無常” 親の看取りとハンドメイド① | ツキのカケラ 〜Harvest Moon〜 明日はきっと

ツキのカケラ 〜Harvest Moon〜 明日はきっと

コンセプトは
【リアル×カワイイ×元気カラー】

心が元気になるようなビタミンカラーで
あなたが元気になるお手伝いを。。。

笑顔は伝染するよね(#^.^#)
明日はきっと。。。
Harvest Moon

こんばんはお月様

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ツキのカケラ森藤ですお月様

 

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『リアル』『カワイイ』『元気カラー』をコンセプトに色々作ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

諸々ひと段落ついたので。

今日は ツキのカケラをいつも応援してくださっている皆様にご報告とお礼を。。。

 

 

 

 

 

人の生死に関する表現が含まれます。

苦手な方は、どうかここでお引き取りを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年11月1日(日)

父が他界しました。

 

 

その日は穏やかな暖かい日で。

朝起きてすぐに、施設のケアマネさんから「意識が混濁してきているからすぐに来て」と連絡が入りました。

 

 

家から施設までは原チャリで5分ほど。

私が到着して大声で「お父さん!来たよ!大丈夫だからね!」というと、ちゃんと認識してくれた。

でも、もう話ができる状態ではない。

 

 

昨日までは、ゆっくりだけど話できたのに。

買ってきたバニラアイスもふた口食べれてたのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年のこの頃、癌の再々発が見つかった。


手術は6年前にしていて。

今回は手術適用外。

放射線も前回にマックス当てている。

できるのは抗がん剤のみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1クールやったけど。

ダメだった。

全く効果が見られなかったどころか、逆に大きくなっている部分もあった。

 

 

 

 

 

主治医からは「平均すると半年くらい・・・」と言われた。

父には言わなかった。

言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

退院して自宅に戻るも、まもなく誤嚥性肺炎で緊急入院。

ちょうど1年前の今頃。

私は、バイトを辞めて旦那と息子を東京に残し、看病のため実家(北関東)へ帰った。

 

 

 

病院と実家の往復にタクシー代、約9,000円。

10日往復したら90,000円。

その分で、原チャリを買うことにした(正確には買ってもらった笑)

車では、私が東京に戻ったら管理できない。

 

 

 

原チャリもほとんど乗ったことがなかったので、裏の田んぼの農道で一人特訓をした(正直、原チャリを舐めてた)寒かった。

この頃、出せても時速約20キロ。。。

これで精一杯。えらい迷惑な奴。

 

 

 

バイク屋のおじさん。

今でも私のことを「あの時は・・・たまげたよなぁ(笑)」って言ってくる。

 

 

 

今では宝物となった私の愛車とキーホルダー宝石緑

よく1年間頑張ってくれた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

退院してからは、一人暮らしではまた危ないので施設にお世話になることにした。

 

 

平日は施設で過ごす。

で。。。

金曜午後に、私が東京から実家に帰ってきて週末を実家で二人で過ごす。

月曜の朝に、父を施設へ見送り私は東京へ戻る。

 

 

そんな生活が2ヶ月ほど続いた。

新型コロナウィルスが猛威を振るう前までは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏休み中、第二波の真っ只中。

帰れるわけがない。

 

そして。

夏も終わりに近づいたある日、父から電話でこう言われた。

「もう、間もなくだと思うから 一旦帰って来てくれないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

施設長(ケアマネ)と話し合った結果・・・

①私が帰って来ても、すぐには会わせることは難しい。2週間自宅待機してもらって(私が)問題がなければ、そこで初めて面会できる(会わせられる)

②どうしてもすぐに、というのなら、父を引き取る形にして実家に帰すことは可能。ただし、訪問看護もヘルパーも、人を入れることはできない。(父が)容体急変の時も対応は難しいと思って欲しい、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もし、あなただったらどうする?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、①を選択。

そして、自宅待機の2日目に閃いた!

 

PCR検査して貰えばいいんじゃん!

 

 

 

 

もうね。病院に電話で頼み込んだんですよ(笑)

(保健所はラチがあかなかった)

だって・・・2週間なんて、待ってられない笑い泣き

 

 

はじめは、無症状の人は対象外と言われたけど。

そこで引き下がれないよね。

どうにか検査をしてもらえるっことになって。

 

 

夢中で原チャリで病院まで検査に行ったの(時速45キロは出てた、多分。すごいでしょ!笑)

その時の画像がこれ!

 

ものすごくいい天気で、こんがりやられちゃってドクロ

人間、夢中になっちゃうと暑いとか寒いとか感じなくなっちゃうみたい。

 

 

 

 

 

 

幸いこの時は、約1ヶ月ちょっと 私がいる間に段々と元気になってきた感じで。

 

ガラケーからスマホに乗り換えたり。

(ラインの特訓してなんとか送受信してたよ。凄いよね笑)

帰った当初よりも、起きている時間が段々と多くなってきてた。

いろいろと意欲も戻ってきてた。

 

じゃ!

私も一旦東京に戻るよ〜!ってことになり。

10月頭に東京へ戻り。

 

 

 

 

 

 

 

亡くなる1週間前の10月25日に、ケアマネさんからの呼び出し。

「そろそろ帰ってきてた方がいいと思う」って。

 

 

次の日の26日に即帰ったけれど、やっぱりすぐには会わせてもらえない。

 

 

またPCR検査。

結果が出るまでのもどかしさ。

その間、容体は日に日に悪くなっていってる。

どうしよう・・・

 

 

坂道を転げ落ちるように、とはこの事だと。

慌てて、東京にいる息子を実家に呼んだ。

 

 

どうしてもこの子は父に会わせなければならない。

また、病院に無理言ってPCR検査をお願いした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局私が父に会えたのは、亡くなる2日前の30日からだった。

もう、その頃はほとんど寝たきり。

 

 

息子も、父が亡くなる当日の朝、病院から陰性の連絡をもらい、意識があるうちに会わせることができた。

奇跡。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナさえなければ。

とにかくこれに尽きる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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