こんばんは
ツキのカケラ、森藤です
『リアル』『カワイイ』『元気カラー』をコンセプトに色々作ってます。
親の看取り①はこちら⬇︎
人が亡くなる様子の表現が含まれます。
苦手な方はお引取りをお願いします。
父は、生前「エンディングノート」を書いていた。
何年も前から書いてあったので、私もこっそりと目を通していた。
その中で「どんな最期を迎えたいか」という設問に父は・・・
「濃厚な延命措置などはいらないことと思う。
最後に子ども達に会えれば最高だが、それはかなうまい」
と書いてあった。
そうか。。。
じゃぁ、なんとしてでも、これは叶えてあげないと。
私の一つの目標みたいなものとなっていた。
父との最期の日。
酸素マスクをつけて苦しそうに息をしている父の手を、私は朝からずっと握っていた。
可愛がっていた孫(私の息子)も、PCR検査の陰性がわかり、駆けつけた。
父も認識できた。
もうすでに話をすることも無理な状態だったけど、きっと耳は聞こえているはず。
「亡くなってもしばらくの間は、耳は聞こえている」
そう、何かで読んだ覚えがあった。
新型コロナウィルスの影響で、アメリカから戻ってこれない弟に、ラインでビデオ通話を繋げた。
「お父さん頑張っているから。
まだ聞こえてると思うから、とにかく話しかけてあげて。
最期の姿だと思うから、辛いだろうけどしっかりと見て目に焼き付けておいて。」
弟も号泣してた。
本来なら会って別れを告げられるはずなのに。
私にできるのは、これくらいだった。
コロナさえなければ。
時間はあったのに。
父が最期に過ごした部屋の窓から。
鮮やかな夕焼けも、この日はただただ悲しい風景にしか見えなかった。
こんなに悲しい夕暮れは初めて見た。
この日以来、夕暮れは苦手だ。
付き添いで、施設に寝泊まりできるのは1名だけだというので、息子は一旦家に帰すことになった。
父と二人きりになった。
もう、遠慮する人もいなくなったので(笑)
私は、とにかく泣いた。
泣いて。
鼻が詰まって息ができなくなるくらい泣いて。
話しかけて。
また泣いて。
「私を一人にしないでくれ」と泣いた。
そうこうしている内に、父の呼吸の仕方が変わってきたのがわかった。
いわゆる下顎呼吸。
ネットで色々と調べていた私は「あぁ。間もなくなんだ」とわかった。
酸素濃度も血圧も、すでに朝から計測できないくらいに下がっていた。
チアノーゼも夕方頃から現れていた。
そんな中での唯一の慰めは、ほとんど苦しまなかったこと。
癌の終末期というと、
むくんで、腹水や胸水が溜まったり・・・
(それも抜くのもまた大変)
せん妄が出て暴れたりわけがわからなくなったり・・・
とにかく、どの闘病ブログを見ても痛みは酷かった。
よって、鎮静をかけて眠るように・・・
父は、そういうことが一切なく。
自然に、本当に自然に枯れるように亡くなった。
鎮静をかけることもなく、私に手を握られながら本当に穏やかな最期だった。
呼吸が、だんだんと浅くゆっくりとなっていって。
一回ごとに浅くなっていって。
(もう一回)吸った
(あと一回)吐いた・・・
最期に、赤茶色の塊を口からコポッと吐き出して。
それっきり、息を吐くことも吸うこともしなくなった。
命にはいつかは必ず終わりが来るということ。
必ず終わる。
介護も看病も。
やりきったと思っていた。
まだこの時は。
続きます。
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