さて、しばらくぶりにこのブログを書いているが、

昨日(6月3日)のNHKの「日本人のお名前」という番組で

岩手県と青森県にまたがる牧場の地名が取り上げられたのを視聴したことから始まる。

それは一戸から九戸に至る地名があるがその中で四戸が付く地名がはない謎解きであった。

確かに一戸~二戸~三戸~五戸~六戸~七戸~八戸~九戸と現在も存在する地名の中で四戸だけが存在しないのである。

ところで、岩手県に生まれた私にとって「戸」を「へ」と読むことに違和感はないが

岩手県や青森県以外の人はきっと不思議に思うことであろう。

 これに関しては鎌倉政権を樹立した源頼朝が甲州にいた南部氏にこの青森から岩手県にまたがる糠部(ぬかのぶ)郡のうち3郡をあたえた事がその始まりとされている。

この糠部郡は当時、日本で最も面積が広い郡として知られていたが、草原や急峻な山が多くあり、当時の最大の戦力であった頑強な軍馬を育てる最適な地域であったのである。

 奥州平泉の藤原氏を倒しその旧領地を手に入れた頼朝にとって、糠部郡は軍馬を育てる最適の地と映ったのであろう。最高の戦力である頑強な軍馬を育てる事は頼朝にとっても最重要な政策であり、南部氏は甲州で早くからこの軍馬を育成する技術と経験を持っていたので南部氏をこの糠部郡に配置したのは当然の事であったと思われる。

 南部氏はその広い糠部郡を戸(へ)という言葉を使い、今の行政区のように九つの区域に分け、それぞれの区域に牧場を設けたのである。そこから一戸~九戸の地名が出来た。 

 地図で見れば一戸から二戸と、どんどん北上して行き、八戸まで行って海に出たら南下して九戸に至る・・・円を描くようにぐるっと回る形でそれは並んでいる。

 一戸(一戸町)~二戸(「二戸市)三戸(三戸町)・・~五戸(町)~六戸(町)~七戸(町)~八戸(八戸市)九戸(九戸村)  赤色は岩手県、青色は青森県である。】

・・・この流れの中で何故か、四戸も(四戸町)も存在していないのである。    

 俗説として「四」の字は「死」を連想させ忌み嫌われたからというものがあるがこれは今は否定されている。実際に1366年(正平1年)の資料に、現在の櫛引八幡宮(八戸市)が

四戸八幡宮とと言われていた記録が存在する。(八幡宮が四戸と言われた不吉ではない)

さて、この四戸という地名が今はない事の謎解きがこのNHKの番組によって見事に解き明かされたと言ってよいであろう。はっきり言って私も長い間立ち込めていた深い霧が朝の光の中で消えていく思いであった。  

この結論については次回に紹介したい。(ごめんね!)

詳しくはその番組の再放送でも見て頂ければ幸いである・・・。

 

さて、戸は牧場という事からわき道にそれる。

 

 前のブログでも書いたが岩手県北の大野という場所がまだ大野村であった頃、私はその高校に3年勤務した。

そこにはグリーンヒルという素晴らしい宿泊施設があり、泊まる度に心が癒された。

また、その周りは本州最大の99ホールを持つパークゴルフ場がある。

親友のhamaさんとはここで何度もプレーしたことが懐かしい。

 

 

朝の6時に村のチャイムが静かに聞こえてくる。その曲はあの牧場の朝である。

 

この曲がこの場所にふさわしいと感じ入ったものである。

この大野は九戸郡(現在の)に所属しているのである。(岩手県九戸郡洋野町大野)

霧の牧場

大野グリーンヒルのパークゴルフ場で・・