外国人居留地 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

近世日本の外国人とは長崎出島の南蛮人と大陸の中華人そして薩摩藩と交流のあった琉球人・対馬藩との朝鮮人・松前藩との蝦夷アイヌ人だった

 

 

四つの口を窓口として当時の外国人は国賓扱いで特定の居留地があり一般町人が目に触れることはあまりなかったという

琉球と蝦夷は近代には沖縄と北海道になった、台湾は日清戦争を機に日本が統治し朝鮮半島は日露戦争後に韓国併合して日本が統治した

大陸の満蒙はロシアと分け合い日本は満州と国交した、日本の国土の沖縄・北方領土と国土だった台湾・朝鮮は戦勝国の米英ソ中がいまだに関与している

 

長崎にオランダ人の居留地と唐人屋敷があった、長崎・神戸・横浜には中華街や欧米人の居留地があって日本人とは分けて住んでいた

 

 

中華人・朝鮮人・琉球人・アイヌ人は一見しただけでは区別がつかないので天皇や将軍との謁見はそれぞれの民族衣装を纏ったという

 

また民族衣装を纏わせることによって他民族を支配していることを支配者である天皇と将軍に誇示したという

開港貿易によって列強国の欧米人が港や居留地の往来が増え、欧米列強に居住地雑居を求められた明治政府はやむなく許容したという

 

この外国人居留地と日本人との居住地雑居が初期議会の争点にまでなったという

 

 

中華街のように居留地で分離する派と民主的な近代国家として雑居する派に分かれた

人種民族の異なる雑居は生活文化や風紀が乱れる元になるのでいかがなものか?

 

という現在では人権問題に及ぶ争点であるが当時の政府は雑居・民党は居留地のように分離のままを主張したという

 

また欧米列強は主にキリスト教国家で長らく禁教してきたがそうもいかない状況となり解禁したという

 

 

キリスト教のみならず古来の神教を強化して仏教を抑えるため廃仏毀釈した、ただし神道は国教にまで至らなかったという

 

近世までの日本の神仏信仰心は深く支配者は仏教や伴天連の一神教の怖さを思い知っていたためだという

廃仏毀釈は明治政府の様々な新たな政策の中で唯一くらい反対運動のなかった成功施策だったという

 

やがて開港貿易地の中華街は残りながらも居住地雑居となり中華人も朝鮮人も欧米人も雑居した

 

対外硬派連合は条約励行と内地雑居反対

 

農地利用が多く平野の居住地が少ない日本のどこに雑居させるかという問題があった

近代明治は江戸時代までの名残で住む場所で職業や身分が決められていた、国賓として居住するわけではない外国人と平民の居住地との雑居になった

 

身分制度が廃止され四民平等になっていたが農工商は平民に穢多非人は新平民として新たに区別された

新平民の居住地の生活インフラ整備は後手後手で安住できる生活環境ではなかったという、穢多非人は数%いたと言われている

 

横浜と神戸の外国人居留地

 

中韓人移民と新平民の居住地との雑居争奪になった、中華人は既存の中華街に住み周辺を拡大していった

 

朝鮮人は新平民の居住地に追いやられさらに職業争奪になったという

江戸時代までの穢多非人は数%ながらも独占業種があったため辛い仕事ではあるものの職業選択に苦労はなかった

 

よって基幹産業ではない業種へ参入した、サービス業いわゆる水商売などのあってもなくても日常生活に直接困らない産業が増えた

 

 

もともと中華街に住んでいた中華人は開港貿易居留地の欧米人が連れてきた上海料理人が多く雑居することなく中華街を繁栄させたという

 

欧米人は肉食文化のない日本料理より肉を捌ける中華人の中華料理好みだからだという

 

その中でも自立できる中華人は長崎・神戸・横浜から独立して日本中に店を構えた

 

同じように朝鮮人も朝鮮街や韓国街をつくるところから始め料理や食材・雑貨を中心に発展させ自立できる層は独立していった

 

 

朝鮮半島での身分制度は厳しく身分の低い層が表向きには身分制度のない日本に移民して成功する者が増えたという

 

韓国併合時代には新興財閥が重化学工業の拠点とした朝鮮半島に現地産業を興し戦後、朝鮮人が多く移民してきたという

 

能力も財力もある富裕在日朝鮮・韓国人は身分制度が残る朝鮮半島に帰国することもなかった

 

永住権などの特権があり帰化することもなく特権を受け続ける在日朝鮮・韓国人は多く主要都市にコリアンタウンを拡大していったという

 

 

在日外国人と新平民の独占業務は近世・近代から戦前・戦中・戦後~現代も二世・三世となって

 

飲食・風俗・遊戯・芸能・スポーツ・メディアなどの水物サービス産業をほぼ寡占していることはよく知られている

 

近現代は東京湾岸や大阪湾岸の海浜地区を埋め立て新たな居住区としてきた

 

古代からの律令国郡里でもなく大名知行国でもなく藩でもない居住地に多くの外国人が居住できるように拡大してきた

 

 

大江戸は全国の藩から大東京は他県から戸主制度のしがらみのない農家の家長以外が集まってきた

 

東京も大阪も全国の営農しなくなった平民と新平民と在日外国人の雑居集合体になった

 

現在は旧支配者だった公家と武家は華族・士族を経てほぼ絶滅し天皇皇族のみとなってしまった、現代の日本居住者の分類は

 

①農林水産業家②農民だった平民二世以降③町人の末裔④新平民の二世以降⑤帰化した在日外国人の二世以降⑥帰化していない在日外国人

 

 

首都圏・関西圏はこれらが雑居し外資系不動産も多い地区になった、江戸から東京に変わり埋立居に雑居という国策を継承してきている

盆や彼岸に帰省という日本固有の習慣がある日本人は大多数の②農民だった平民二世以降③町人の末裔ということが言える

 

戦前まで頑なに守り続けた戸籍に記録され明確でない内容は寺社の檀家制度で記録されていたという、新平民と在日外国人にも戸籍はあるが

 

外国人には檀家の記録はない、禁教を徹底していた江戸時代はどこかの寺社に所属したため檀家登録比率は高く戸籍の代わりになっていたという

 


湾岸埋立地は雑居には最適な場所で生粋の江戸っ子や諸藩他県からは文句も出なかった

 

築地市場の豊洲移転問題を契機ににわか新都民から様々な声が今更出始めた

 

昭和初期に日本橋から築地に移転した魚市場は老朽化し諸問題から既に移転が決まっていた、青物市場は先駆けて大田市場に移転した

 

大阪都構想も大阪湾を雑居地として利用したかったのだろう、東京でも大阪でもどちらに転んでも国益になる国策は家康の構想だった

 

 

ギャンブルカジノとパチンコとテレビも芸能もクールジャパンも朝鮮学校も宗教法人も…大阪湾と東京湾に、というのが未来の出島構想だという