中華街 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

ラーメンは日本食なのか中華なのか


汁なしそば

 

国内で食べる料理は中華だろうがフレンチだろうがイタリアンだろうが日本の環境に合わせ日本人好みにアレンジした日本食なのだと想う

 

発祥地の素材や味付けはあまり気にしちゃあいない、カレー・ラーメン・トンカツは既に


ネギそば

 

パンやピザやパスタももはや日本食、天ぷらを今さら南蛮ポルトガル料理とは言わないだろうし

 

カレーパンがインド料理とかあんパンやメロンパンがフランス菓子である訳もなく


梅蘭焼そば

 

醤油風味の明太子ピザや同パスタがイタリアで同じ味付けのが食べられる訳もない

 

麻婆豆腐を刀削麺にかけるというのもいかにも日本ならではの発想、豚骨や味噌味の汁麺も最近では大陸へ逆輸出の様相



 

私にとって汁麺と言えばそばかうどん、ほうとうや味噌煮込みときしめんもうどんに含めて4対3対2対1くらいの麺食比だろうか

 

そば対うどん対パスタ対その他、ラーメンは食べる機会が激減した

 

 

幕末に神奈川・長崎・新潟・兵庫を開港し西洋人が租借地の清国から料理人を呼び寄せ南京町今の中華街ができたという

 

麻拉麺

 

料理人たちは独立し、大正から昭和初期にかけて支那竹入り支那そばを普及させ、やがて全国の日本風ご当地ラーメンが誕生したという

 

刀削麻拉麺

 

神奈川と兵庫は幕府にとっては江戸と大坂という重要都市に近く防衛上、西洋人には居住させたくない宿場だったという


麻婆刀削麻拉麺

 

よって神奈川のかわりに横っちょの寂れた浜に、兵庫のかわりに神戸という漁村をそれぞれ突貫で埋立て見映えよく開拓して居留地にした

 

そこから湾岸線をさらに埋立て鉄道で新橋(東京)と大阪までつなげたという


麻婆刀削麻拉つけ麺

 

江戸時代当初から長崎湾に埋立てた出島や唐人屋敷を外国人居留地として提供していた、隔離し環境は決して良くなかったという

 

 

箱館、後の函館も当初から開港した港町で異国情緒溢れた欧米中好みの洒落た街になっている


 

麻婆拉麺は寒い新潟の冬の中華屋さんで誕生したという