幕末の下剋上 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

兵農分離という身分制度が定まっていた江戸時代は一握りの支配者と彼らの生活を支える工商の町人以外の大半は農民だった


公家と武家が特権階級の支配者層でそれ以外は冷遇されたという、しかし幕末の農民には土地を所有し農作業を一切しない地主の庄屋と

 

小作農の貧富の差は拡大し貧農民層はさらに低い身分の穢多非人をみて耐えたという、身分制は納税額を最大化するための

 

幕府のしくみでもあり富裕層の庄屋からはより多くの年貢を徴収した、また重商政策も採用して富裕商人からも金銭で徴税したという

 

 

被支配者層の農工商・穢多非人には「多くを与えすぎず飢えさせず」という加減が江戸時代二百数十年もの時を経て程よく管理されてきた

何度も天災や不作があり飢饉もあった、犠牲になったのは小作貧農層と穢多非人だった

貧農層による富裕層への一揆は絶えなかったというが穢多非人には今でいう人権はなかったという

 

 

幕末には支配者に対する一揆や武士同士の内乱もあった、これが農民や下級武士による反乱で特に外様大名の藩内に起こった

 

兵農分離から兵農混在していったという、彼らは幕府に対する不満や対抗しない自藩の家老格に不満を募らせたという

 

経済基盤を持っていた外様大名の雄藩は欧米列強とのつながりをもった、近代的な武器を入手し倒幕に備えたと同時に自藩の融通の利かない古い体質の刷新に利用したという

 

 

かつて中世から近世になった戦国時代に南蛮からの武器を下剋上に利用した同様の現象が起こった

長州藩は幕府転覆の前に藩内で新旧の刷新をしている、そして下級武士や農工商や穢多非人までもで構成した奇兵隊を結成した

 

武士ではない集団が幕府正規軍を破り倒幕という近世最後の下剋上の革命を成功させた

 

 

以降は徳川将軍家と徳川一族、親藩・譜代大名を一掃し支配者層の一翼だった武家を廃して公家への王政復古を果たした

 

外様雄藩による明治維新という近代最初の下剋上でもあった、明治政府は薩長土肥藩から選出されたが必ずしも江戸時代からの上級武士ではなかった

 

一連の革命は明治天皇を担いでいたため現在でいうテロ行為ではなかった・と見做された、武士は没落し士族という平民とは別格の身分で生き残った

 

公家や大名も一握りの華族という特権階級の身分で保障され貴族院の政治家になったという、近現代の下剋上につづく