近現代の選挙戦 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

成人男女普通選挙は戦後の新憲法からだから七十年、戦前までは成人男子のみの普通選挙が約二十年あった


 

それ以前の選挙は納税基準があり最初の選挙の有権者は全人口比でわずか1.1%だったという、投票率は不明

 

華族・士族の特権階級の資本家のみで300名の衆議院議員を選んだ、まず資産家でなければ選挙権がなかった

 

その中でも納税額上位者さらに男性のみという条件の特権選挙だったことになる

 

被選挙権者や議員ともなれば前時代の大名藩主のような選民身分だった、貴族院議員はまさに選挙もなく華族・士族の他薦互選だったという

 

 

やがて納税基準を下げ有権者は国民の2.2%程度に倍増し豪商や豪農が増加したようだが一般平民からはかけ離れた資産家のみの営みだったよう

 

全人口比数%とは現在では金融資産数億円以上所有の富裕層、資産家でもない公務員やサラリーマンには選挙権はなかった、一般生活者のいない選挙だったということになる

 

当初は大選挙区制で小規模民党(野党)が多く輩出したという、吏党(与党)は単独過半数を満たせなかったが薩長藩閥内閣で政局を運営したという

 

初期議会の期間は大半の有権者は反政府だったという、明治政府は警察力を行使して国民のわずか上位数%の有権者を選挙干渉して弾圧したが吏党は過半数を超えることはなかったという


 

民党連立が成立し議会での民党反対は天皇の詔勅(和衷協同の詔、建艦詔勅)で抑え政府予算案を通過させたこともあった

明治政府は薩長藩閥で他の民意を一切反映しない政治だったことになる、明治はそういう政府だった

 

男子普通選挙までは国民のわずか数%の有権者がさらにわずか数百名の議員を選任するという一般平民からは遠い遠い世界の物語だったことだろう

戦後の日本は英米ソ中を向いた政治が続いたが現時点、近代の政党政治にあった立憲○○党が出現したり憲政の常道だった二大政党の様相になりかけてきた

 


万が一にもかつての大政翼賛会のようにはならないよう保守交代の政権が維持できる国家になれば日本政治史も書き変わるかもしれない

日本国憲法も大日本帝国憲法もリセットし現状に適合した憲法を再定義し制定できれば近現代史が書き変わるかもしれない、近代以降の日本はここまですら成しえていなかった

 

現代先進国の選挙戦はメディアが事前に選挙結果を予測する、予測に同意ならこれに対するアクションは三つあって①投票する②白票を投票する③放棄する

これでメディアの予想通りの結果になるという、近年の国政の投票率は60%前後と低調、政争論点が曖昧だったり天候が良かったりすると投票率が左右し50%を切ることもある

 

新体制、大政翼賛会内閣

 

低投票率ほど組織票が利いてメディアの予測通りとなるということらしい、組織票とはそのような役割を果たすという

メディアの予測と自身の想いが反する場合のアクションはただ一つ④投票する、のみ

日本人の選挙は③が半数近くいることになる、よってメディアの予測結果通りになる、「選挙しても世の中は変わらない」ではなく「投票していないから世の中は変わらない」がただしい

日本人には明治から一定数の④票がある、同和・同化した革新的な日本人は④の行動をする、なぜなら今を変えるには体制を覆すしかないから

 


 

 

衆議院議員総選挙

上左:第22回(終戦解散:戦後初旧憲法)⇒公職追放

上右:第23回(新憲法解散:旧憲法最後)⇒日本社会党第一党

下左:第24回(馴れ合い解散:新憲法初)⇒民主自由党単独内閣

下右:第25回(抜き打ち解散:新憲法)⇒社会党合同後保守合同へ

 

55年体制確立まで

 

現在の選挙は「メディアが事前に選挙結果を予測する」という大前提が崩れないように有権者の情報収集が試されている