スピッツ『ヒビスクス』、戦争と特攻 | 今日も花曇り

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読んだ本や考えたこと、仕事について。

相変わらず、音楽といえばスピッツばかり聴いています。

この歳になって特定のロックバンドがこんなに好きになるなんて思いませんでしたねえ。
その一方で、若い頃のクラシックへの情熱はどこへ行っていまったのか・・。

 

中でも最近繰り返し聴いているのは、『ヒビスクス』という曲。

昨年発売されたアルバム「醒めない」の中の曲です。

スバルの「フォレスター」のCMで使われていたそう。


曲も確かにそれっぽい感じで、売れ筋を狙った曲の気がして、最初はあんまりでした。

でも「ヒビスクス」の意味がわからず調べたら、「ハイビスカス」のことだそう。そしてこの歌は戦争の歌ではないのか、という解釈があるとのこと。

ハイビスカスといえば、沖縄。
それを知ったとたん、歌詞の言葉が一度につながって、もうそれ以外には読めなくなってしまいました。

 

私がどうしてもイメージしてしまうのは、第二次大戦末期に始まった、いわゆる特攻のことです。

沖縄へ進攻する連合国軍に対しても、多くの特攻作戦が行われました。

 

『ヒビスクス』は、誰かを裏切ったうしろめたさを引きずって、「約束の島」に咲く「白い花」に惹かれ続けるという歌詞の曲です。

 

特攻に出撃し、あるいは志願しながら、幸運にも死を免れた人は、自分が生き残ったうしろめたさに苛まれるということを、複数の書物などで読んだことがあります。

 

たとえば、『戦艦大和ノ最期』の著者の吉田満。
1945年3月、沖縄に侵攻した米海軍に対して特攻した戦艦大和に搭乗し、生還した吉田満は、生涯にわたりその思いと向き合っています。

晩年は、次の歌をよく口にしていたといいます(「『戦艦大和』の最期、それから」 千早耿一郎 著)。

 

辛くして我が生き得しは彼等より狡猾なりし故にあらじか (岡野弘彦)

 

また、海軍予備学生で吉田満より一期上だった島尾敏雄との対談で、吉田満は「不当に生き残った」という思いを述べています(島尾敏雄・吉田満対談「特攻体験と戦後」)。

 

私が特に航空機による特攻を思い浮かべてしまうのは、「泣きながら空飛んで くじらの群小さく見える」という歌詞があるからだと思います。

故郷から遠く離れた洋上で、最期に目にする生き物へ搭乗員が抱いた感情を思うと、胸が詰まります。(追記 その後、くじらの群とは、艦隊のことかも・・とも思うようになりました。)

 

スピッツには死を連想させる歌が少なくないのですが、この歌はとりわけそのイメージが濃い感じがします。
同じ系統でいうと、『水色の街』を思い出します。
ただ、『ヒビスクス』ではこちら側にとどまる決意をするのに、『水色の街』では、「川を渡」って「君が住む街へ」「間違えたステップで」会いに行ってしまうのですが・・・。

 

草野さんのシンガーソングライターとしての才能の底知れない大きさには、いつもながら恐ろしくなります。

 

それにしても、どう考えても自動車のCMになるような歌じゃないと思うのですが・・・。
よく採用されたなあ。

 

追記 後で知ったことには、ハイビスカス(ブッソウゲ)は、沖縄南部では後生花(ぐそうばな)と呼ばれ、死者の後生の幸福を願って墓地に植栽する習慣があるそうです(Wikipedia)。