今日も花曇り

今日も花曇り

読んだ本や考えたこと、仕事について。

よく、自分が人間以外の生き物になったところを想像します。

 

もし海の中の生物だったら、地上という場所はどんなところだと感じるだろうと考えます。

呼吸ができず、有害な紫外線が振り注ぎ、すぐに身体が干からびてしまう恐ろしいところだと思うでしょうか。

上下の移動が困難で、重力によりほとんど地表に押さえつけられたままの生活は、いかにも惨めで不自由だと思うかもしれません。

一方で、その恐ろしい空間の向こうに信じ難いほど大きな宇宙があることは、直接星空を見ることのできない海の生物には、想像することは難しいのではないかと思います。

 

また、雲というものがない惑星から来た宇宙人になってみると、彼らは、巨大な何かが空中に多数浮かんで形を変えながら流れていく光景に、どれほど驚嘆するだろうと思います。

そこから液体やその結晶が降ってきたり、白や赤や黒に色を変える様子をどう感じるのだろう。

ただ、彼らが見る色は私達とは全く異なるかもしれないので、不気味で恐ろしいとしか思わないかもしれません。

 

春に生まれ、卵を産み、秋には死んでしまう昆虫になったらと想像します。

彼らは、自分たちの親にも、子どもにも会うことはありません。

自分の生命の連鎖を確かめる機会を持たない彼らにとって、生命はどんなものなのだろうと思います。

自分が死んだ後にも世界が続いていくという感覚は、持ち得ないかもしれません。

 

いろいろ想像していると、私たちが、世界とは、命とは、などと考えているものは、実際には、いまの地球の人間という立場での、本当に狭い範囲でのことにすぎないのだと思います。

 

 

私はお金を稼ぐ才能も意欲も乏しい人間なのですが、経済というものには興味があります。

お金は毎日使うものなのに、実は自分はその仕組みをよく知らない。

 

誰かが儲かれば誰かが損するのだから、世界中のお金の量は変わらないはずなのに、なぜ世界のお金の量は増え続けるのか?

お金はどこから生まれてくるのか?

国の借金は削減すべきだという人もいれば、いくら借りても大丈夫だという人もいる。人間が作っているシステムなのに、人間自身もその機能を理解仕切れないのはなぜなのか?

 

この本で著者はアメリカを中心として、その他6つの経済大国であるイギリス、中国、フランス、ドイツ、インド、それに日本も加え、その経済について分析しています。

(たぶん)ユニークなのは、「負債」に焦点を当てて分析していることです。

負債は要するに借金ということ。

ニュースで一番話題になるのは国の借金である国債かなと思います。毎日のように「赤字国債」と言う言葉を聞きます。

民間だと、せいぜいある会社が経営破綻したときに「負債〇〇億円」などといいますが、民間の借金についてのニュースは多くはありません。

しかし著者は、民間含めた社会全体の負債に注意を払うべきだといいます。

 

著者の主張は大まかには

・債務は経済成長に不可欠で、債務は本質的に増加し続ける。

・財政に対してあまりに債務が増えると、深刻な危機を招く。

・政府債務ばかり注目されるが、重要なのは民間債務である。そこに注意を払っていれば、日本のバブル崩壊もリーマンショックも予見できたはず。

・増えすぎた債務を削減するには経済成長では無理で、債務救済(借金棒引き)等の対策が必要。

 

といったものです。

こう書いてもあまり面白くないので、具体的に興味深かった点について少し書いてみます。

 

1 国の借金が増えた分、家計の利益が増える

 

ニュースでは、日本の借金が増え続けていることが毎日のように言われます。

なんだかそれは私たちの貧しさの象徴に感じます。

国民の収入が伸びないから、税収が不足する。

一方で、医療費等の社会保障関係費や防衛費は増大し続ける。

足りない分を赤字国債でまかない、国の借金が増える。

そのためさらに円安となり、外国への支払額も増える・・・。

 

イメージとして、国も国民も貧しくなっていっているように感じます

しかしデータの上では、本書で検討されている国々は、国の借金が増えた分、鏡のようにきっちりと、家計を含めた民間部門の利益が増えていることが示されます

 

意外でした。金融危機やコロナ禍では国民全体が危機に陥ったと感じますが、それを救済するため莫大な政府支出がなされた結果、民間の貯蓄は(家計も含め)大幅に増えているのです。

確かに、お金はどこかに消えることはないのだから、政府が借金したお金はすぐに支出され、結局はまた民間へ流れます。したがってその分民間の利益が増える。

考えれば当たり前のことなのですが、なんだか実感が伴わない。

 

その大きな理由のひとつとして、お金は最終的に主に株式と不動産に流れ込んで価値を押し上げますが、庶民は株式も不動産も大して持っていないことがあるようです。

したがって必然的に、格差も拡大し続けると指摘されています。

 

2 借金は増え続ける仕組みにあり、それにより経済も拡大するが、増えすぎれば深刻な問題を引き起こす

 

歴史上、社会全体の借金は増え続けており、それが経済を拡大させてきたことは歴史的な事実。

しかし、あまりに借金が増えると、反対に経済の伸びが鈍化したり、経済的な危機を起こしたりする。

原著の副題は「THE PARADOX OF DEBT」(負債のパラドクス)なので、本書の主要な論点はまさにここです。

 

ここで不名誉な証拠として挙げられているのは日本です。

政府・民間合わせた日本の総債務はこの本で分析されている7か国中、対GDP比でぶっちぎりの1位です(400%近い)。

これほど債務が増えたにもかかわらず経済は長い間成長しなかったことについて、

「日本の債務の増加は、もはや資産価値増大を保証してはいない。これは少なくとも過去100年間にわたりGDP成長を促してきた負債の経済学の枠組みが大きく崩れつつあることを意味するだろう」

と指摘されています(8章 借金漬けの経済に「出口」はあるか)。

 

借金の額自体が増えても経済の規模自体が大きくなっていれば問題ありません。でも、日本を含めた世界の借金は対GDP比としても増え続けています。つまり、レバレッジを広げ続けているということです。
いつまでもそれを続けることは、素人感覚でいっても無理というものです。

 

3 解決法 債務救済(借金帳消し)と永久通過

 

最後の9章では、増え続ける債務による破綻を避けるためのシステムについて筆者が簡潔に提案しています。

いくつかあるものの、メインは債務救済(借金帳消し)と「永久通過」。

いずれも大胆で議論を呼ぶものだと思います。

 

債務救済は、要するに借金帳消し。

知らなかったのですが、借金の帳消しは、古代エジプトやバビロニアの時代から広く行われていたとのこと。

古代イスラエルでは50年ごと、7回目の安息年の翌年に実行されていたそうです(9章「借金帳消し」)。

そういえば中学校で、日本にも「徳政令」というのを習ったような・・・。

 

こう書くと過激ですが、実際に社会で問題となる借金の多くは住宅ローン、(アメリカでは)医療ローンと学生ローン等なので、それらについて、帳消しというより一部を免除したり、将来の柔軟な返済方法を認めることが提案されています。

実はこれらは今でも「債務整理」「民事再生」「破産」として日本でも行われているところなのですが、これをより柔軟に使いやすくすればよいということだと思います。

 

永久通過というのは、いわば「利子もつかずお金も返さなくていい国債(のようなもの)」を政府が発行し、それを中央銀行が買い、通貨のように使うというものです。

???と思うのですが、最初から返さなくていい前提なのだから、借金ではないので経済を圧迫しない、ということのようです。

国債と違い、国は利払いも償還義務もないので、財政を圧迫しない。

 

でも素人からすると、これはまさに「財政ファイナンス」ではないか?とも思います。

財政ファイナンスは、中央銀行が、発行した貨幣で直接政府の債務を引き受ける(国債を買う)ことですが、根拠づけのない貨幣の量だけが増えることでインフレを引き起こす危険があると言われています。

 

著者もこの点、「永久通過の問題は、政府債務とは異なり、発行しすぎると現実のインフレを引き起こすことだ。したがって、政府や国家は、その使用に置いて規律を遵守する必要がある」といいます。

でも日本でいえば、少し前まで実際に日銀が無制限に国債を買っており、同じような状況だったわけですが、その時に規律なんてあっただろうか?

政府がそんなもの守れただろうか?

そう思うと、かなり疑問があります。

 

最後に少し話はそれますが、この本は翻訳がかなりひどい。

特に指示語や語順がいい加減なので、何を言っているのかよくわからない箇所がたくさんあります。

ごく最近の出版なのに、AIチェックくらいできなかったのかと思います。

出版社には考えてほしい。

 

 

 

著者の小川洋子さんが、オランダ、ドイツ、ポーランドで、アンネ・フランクゆかりの場所を訪ねたり、アンネと面識のあった人々と面会したりした旅行記です。

図書館の本棚で偶然目にした本です。

 

 

 

1995年刊行ということは、著者が33歳の年。

『妊娠カレンダー』で芥川賞を受賞されたのが1991年なので、まだ「新進作家」だったころでしょうか。

 

小川さんは様々な機会に『アンネの日記』に言及されているので、それが小川さんにとって大切な本であることは知っていました。

 

戦争やナチスやホロコーストに関する著者の考えの記述はごく控えめです。

それよりも、アンネ・フランクという、まれな文学的才能を持った少女が、青春時代を隠れ家ですごし、ナチスに捕らえられて収容所で亡くなったという、その記憶をたどる記録となっています。

 

私は、小川さんの小説は、わかるものもあるけれど、正直、半分くらいしかわからない感じです。

でも小川さんが語る、小説や人間についての言葉は、大変心に残るものが多いです。

 

この本でも、小川さんが亡くなった古い大切な友人を訪ねるような気持ちが伝わってきます。

小川さんは若い頃からすでに、死者を訪ねる感覚で本を読み、小説を書いていたのだろうと思いました。

 

この旅で小川さんは、アンネと中学校で同級生だったジャクリーヌ・ファン・マールセンさんや、アンネの父親がオランダで起こした会社の従業員で、文字どおりアンネたちを命がけで匿い、アンネたちが逮捕された後、危険を冒して隠れ家へ入り日記を保管したミープ・ヒースさんに面会しています。

 

1995年には、そうした人々がまだ健在だったのだと驚きます。

でも考えてみれば、1995年といえばまだ戦後50年。戦時に思春期や青年期を過ごした人々が、まだまだ世の中の中心にいた時代なのでした。

 

さらにそこから約30年。

そうした人々も、今はほとんどが亡くなり、戦争の記憶は薄れていきます。

あんなことはもう起こらないと、皆が漠然と思っています。

そして結局、世界から戦争はなくなっていません。

あれほど悲惨で愚かな戦争を経たはずの日本でさえ、平和や人間の尊厳を訴える人々を隙あらば叩こうと待ち構える人々が一定の勢力をもち、発言をためらってしまう空気を感じます。

 

アンネと中学校で同級生だったジャクリーヌさんのお話しでは、静かな衝撃を受けました。

フランク一家はナチスから逃れてオランダのアムステルダムへ移住するのですが、ジャクリーヌさんはアムステルダムでアンネが通った中学の同級生で、親友でした。

しかしアンネの姉のマルゴーにナチスから強制収容所への出頭命令が出されたため、フランク一家は隠れ家生活に入ります。

突然消えてしまった親友についてジャクリーヌさんは、それは当時、珍しい出来事ではなく、普通だったといいます。

 

「消えるのは、悲しいことじゃありません。生き延びる道が見つかってよかったと、喜ぶべきことなんです。ですからアンネがいなくなった時も、私はむしろ喜びました」

 

親友が消えたことを喜ばなくてはいけない・・・。

戦争の異常さを感じました。

 

また、小川さんが、命を懸けてフランク一家を匿ったミープさんと面会した際の言葉には、人間の尊厳、強さや厳しさを感じ、大変心を打たれます。

小川さんは、ミープさんがフランク氏から潜行の計画を打ち明けられ、援助を頼まれた時、ミープさんが即座にイエス、と答えたことについて、なぜ他人のために自分の命を危険にさらすことができたのか尋ねます。

 

「人間として当然のことをしただけです。あの時代、あの状況に置かれた時、なさねばならないことをしたのです。時代が私にやらせたのです」

 

実際、フランク一家がナチスに連行されたとき、匿っていたことの罪で会社従業員の男性二人、クレイマン氏とクーフレル氏は逮捕され、収容所へ送られました。本当に命が懸かっていたのです。

そしてクレイマン氏は、一緒にフランク一家を支援していた女性従業員二人にただちに帰宅を命じ、その場に残ることを許さなかったといいます。男性二人だけで罪をかぶったのです。

 

自分を省みて、もしその状況に置かれたとき、私にはそんなことができるでしょうか。

とてもじゃないですが、できると言える自信がない。

 

それでも、ミープさんたちのような多くの人々がいたということを知っていることで、逃げ出しそうになる自分を思いとどまらせることができるかもしれない。

どうかそうあってほしいと思います。

そうでなければ、私は単に娯楽か暇つぶしのために、こういう本を読んていることになってしまいます。