松平元康の金蛇美具足 | ナツレのツレヅレなる何か

松平元康の金蛇美具足

金蛇美具足(きんだみぐそく)を色塗りまでしてみたかったので、サクサク描いてみました。でもやっぱり金色って結構難しいですね。神の子ということで、イラストを描く人にも描きやすい具足にしておいてほしかった(笑)

 

あと、家康といえば指かみポーズが有名ですが~。『どうする家康』では、主人公が松本潤さんだったこともあり、彼の決めポーズに採用されるのではないかと思っていたのですが、そうはなりませんでしたネ。

とりあえず思ってたイメージでちょっとポーズとらせてみました~☆。

 

さて、物語の展開としては、今川氏滅亡や駿河平定までが丁寧に描かれていましたが、あまり描かれてこなかった部分なので、個人的にはかなり楽しめました。

ここからは波乱の元亀年間!松潤演じる家康公も、成長して岡田准一信長に対しても反発できるようになっているので、これからがますます楽しみな展開です。

阿部寛信玄怖すぎるから寝返っちゃえばいいのに~って思ったり。

 

松平元康 金蛇美具足 松本潤

松平元康(まつだいらもとやす) 竹千代、二郎三郎、元信、蔵人佐(くらんどのすけ)、

父は三河国岡崎城主松平広忠。母は尾張国刈谷城主水野忠政女の於大の方。

駿河の国主今川義元に庇護されて育つ。

弘治元年(1555)正月、岡崎城へ一時帰国し城代山田新右衛門尉を訪ねた。この時、城代の新右衛門に遠慮し二の丸に入ることで今川氏への恭順を改めて態度で示したいう。3月、元服し「松平元信」を名乗る(松平記)。

弘治3年(1557)、この頃までに今川義元の重臣関口氏純(氏広)の女(瀬名姫/築山殿)を娶る。

弘治4年(1558)7月17日までに「元康」と改名。

永禄元年(1558)、岡崎州を率いて賀茂郡寺部城の鈴木重辰を攻め初陣を果たす。

永禄2年(1559)、5月23日、岡崎の老臣に対し、定書を出し松平家より今川家が優越するあり方を示した。

永禄3年(1560)、桶狭間の合戦前、大高城へ兵糧を運び鵜殿長照に代わり城番となる。直後、今川義元の討死により三河岡崎城へ入る。

永禄4年(1561)、今川氏真との仲が険悪となり、将軍足利義輝に斡旋された武田信玄より和解を促される。2月、織田信長と和睦し国境を確定。4月、今川氏からの離反が決定的となる。

永禄6年(1563)、本證寺の空誓が檄を飛ばし三河一向一揆勃発。2月、援軍の水野信元の斡旋で一向一揆と和睦。4月8日、飯尾連龍と対面。鷲津本興寺へ松平軍を送り込んで遠州へも食指を伸ばす(今川氏真文書)。その後、櫻井松平家次や東條城吉良義昭を追い落とし西三河平定。

7月24日、名を家康と改名。「松平家康」となる

永禄9年(1566)12月29日、正親町天皇より従五位の下・三河守に叙任され、姓も「松平」から「徳川」へ改めた。

 

 

家康改名までの年表をなるべく『どうする家康』に登場する人物からめて書き出し~

 

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<ネタ元(参考文献)>