忍者に討たれた戦国武将『鵜殿長照』1ページ目
ちょっとタイトルだけでネタバレ感あったらごめんさい。
『どうする家康』で、最初の大高城守将から瀬名姫奪還にからんでと意外と登場シーンの多い、鵜殿長照さんをスポット。
ドラマでは野間口徹さんが、大高城の守将としての武者振りや、元康の瀬名姫奪還にそなえて策を巡らす謀臣ぶりで存在感を魅せてくれていてステキです。
野間口徹さんといえばメガネ姿の印象が強いですが、なぜか(?)メガネをつけずに登場され話題となりました。
※鵜殿長照(うどのながてる)、藤太郎、法名竺仙、
三河国上ノ郷(かみのごう)城主。鵜殿長持の男。
鵜殿長照の母または室が今川義元の妹といわれ、今川氏の一門衆の扱い。
弘治3年(1557)、父 長持の死をうけ家督を継ぎ今川氏に仕える。
永禄2年(1559)、織田氏との最前線である尾張大高城の城番となる。
永禄3年(1560)5月までに大高城は織田信長の攻勢を受け取手(付城)を築かれ、北方の岡部元信が籠もる鳴海城との連絡を遮断され孤立し危機的状況となる。5月18日夜、松平元康が来援し兵糧を運び入れた。この際、長照は長期在番をしていたため元康が代わって城番となることが決議された。直後の桶狭間合戦での義元戦死を受け上ノ郷へ戻ったとみられる。
永禄4年(1561)3月、今川氏から離反した松平元康との合戦で奮戦し、鵜殿十郎三郎(長祐)への感状の中で賞賛されている。また8月9日には松平元康と戦ったことへ直接感状を貰った。
永禄5年(1562)2月、三河上ノ郷城を松平忠次・久松俊勝らに攻められた。今川氏真が救援軍を出し牛久保まで迫っていたが、長照は2月4日に伴与七郎に討たれ戦死し上ノ郷城も陥落した。
■戦巧者鵜殿長照
この鵜殿長照殿は今川氏の縁者として、桶狭間で今川義元が戦死して以降も今川方として忠節を尽くしました。そのため今川氏に背いた松平元康の攻勢を一手に引き受けることになりますが、これを度々撃退しています。
先に織田との最前線の尾張大高城城番に抜擢されたこととあわせて、戦巧者として重用されたとみられます。
~文字数多くなってしまって登録できなくなったので忍者のエピソード含めつぎへ~
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