第88章 亡き者の霊
あの事件から数日が経ち、鈴華は後宮に戻ってきた。無理やり連れ戻されたようなものだあったが、鈴華はあの出会いがあってから何か吹っ切れたような感じがし、清々しい気持ちで戻ってきた。もちろん帝は例の事件を内密に処理し、何も無かったように鈴華をいつものように笑顔で迎える。
「お帰り・・・、鈴華。吉野はどうでしたか?きっと桜が綺麗であったでしょうね・・・。」
「はい・・・ちょうど見頃でした。雅和様にもお見せしたかったぐらいです。」
鈴華は帝に微笑んで、何も無かったように振舞う。この夜は藤壺にて帝と一緒に過ごす。ちょうど藤壺の藤は見頃になっていて帝と一緒に眺める。鈴華は帝に酒を勧めると、帝は珍しく酒を口にした。
「最近練習しているのですよ・・・。いつまでも苦手だからと言ってられないしね・・・。」
帝は微笑んで、少しずつ酒を口にした。やはり帝は相変わらず酒に弱いようで、立ち上がって、鈴華の手を取ると寝所に連れて行く。
「鈴華、今日はいい?前みたいに拒否しないで欲しい・・・。」
「はい・・・雅和様・・・。」
帝は寝所で鈴華を抱きしめると急に眠気に襲われて、何もせずに眠ってしまった。
(相変わらずお酒には弱いのですね・・・。)
鈴華は微笑んで、帝の側で横になる。夜が更け、ひんやりした風が入ってくると扉が開き、そして勝手に閉じる。
(誰かが閉め忘れたのね・・・。)
鈴華は単を羽織ると、扉を閉めようとそっと寝所を抜け出して扉を閉めようとする。
「姫・・・。鈴華姫・・・。」
気のせいかと思ったが確かに藤棚のほうで鈴華を呼ぶ声が聞こえた。鈴華は呼び寄せられるように庭におり藤棚の下に来ると人影が見える。
「誰?」
すると検非違使の姿をした者が鈴華の前に膝をついて頭を下げている。
「あなたは誰?ここはあなたのような検非違使が来るような所ではありませんよ・・・。」
男は顔を上げ微笑む。
「あなたは・・・?」
「お忘れですか?吉野のことを・・・。」
鈴華はハッとして名前を呼ぶ。
「政弘様?」
「はい・・・しかし私の名は平正守。検非違使少尉でございます。鈴華様は知っておいでではなかったのですか?本当は初恋の君はもうこの世にいないことを・・・。」
「はい・・・。でも認めたくはなかったのです・・・。他人の空似でもいいと思ったからこそ・・・。」
「やはりそうでしたか・・・。本当に楽しい日々でした・・・。私のような身分ではあなたのような姫と関係を持つことなど夢のまた夢・・・。しかしこの関係はあなたの一族を陥れようとしたものの仕業です。私があなたの初恋の君と顔や声がそっくりなことをいいことに仕組まれていたのです・・・。しかし私はあなたを本当に好きになってしまいました・・・。仕事であったのに・・・。そっと姿を消したのも、あなたを忘れるためです・・・。本当はこのようなことをしてはいけなかった・・・。私の一家の再興のために引き受けた仕事・・・。しかし騙されていたのです・・・。鈴華姫・・・いえ中宮様・・・。私はもうこの世にはいません・・・。」
鈴華は驚いて声を失う。
「口封じのために消されてしまったのです・・・。まあ、あなたと関係を持ったこと自体死罪に値することなのですが・・・。私は私を騙した者たちが許せない・・・。きっとあの者たちを・・・。」
「やめてください!もう・・・。死んでも罪を重ねる必要はないでしょう・・・。きっと神仏がその者たちを何とかしてくれると思います・・・だから・・・。」
男は微笑んでいう。
「そうですね・・・そのようなことをしたら中宮様が悲しまれる・・・。わかりました。私は中宮様のために出来る限りのことをいたしましょう・・・。楽しかった現世の思い出を頂いたのですから・・・。あなたの側にいてあなたの障害になることをすべて取り除きます。もちろんあなたが帝のご寵愛を一身に受けられるよう・・・。まずはあなたの妹君ですか?帝のご寵愛のために邪魔なのでしょ。」
鈴華は首を振って男を止める。
「妹の件はもういいのです・・・。私のような出来の悪い姫を帝はとても想っていただけているのです・・・。ありがたいことです・・・。」
「しかし・・・。」
「正守様、自分のことは自分でいたしますわ・・・。あなたの気持ちだけで十分です・・・。」
鈴華は涙を流して男に言う。男は納得した様子で微笑みながら、消えそうになる前に一言言う。
「必ず私は帰ってきます・・・。あなたと帝の子として・・・きっと・・・。そして今度こそ幸せになりたいです・・・。」
そういい残すと男の姿は消えてしまった。鈴華は涙を流し、藤棚の下で立ち尽くす。
「鈴華、そこで何をしている?」
鈴華は振り向くと、帝がすのこ縁に立っていた。
「鈴華、まだ夜は冷える。さあ、中に入りなさい・・・。」
「雅和様・・・。」
帝は藤棚まで降りてくると、鈴華を抱き上げて、部屋に入れる。
「何をしていたの?一人で・・・。」
鈴華は微笑んで帝に言う。
「綺麗な藤を見ていたかっただけです・・・。ふと目が覚めて夜の藤を見ていたかったのです・・・。」
「そう・・・。気が付くと鈴華がいなかったから、一瞬ドキッとしたよ・・・。いなくなったんじゃないかなって・・・。」
帝は後ろから鈴華を抱きしめ、ため息をつく。
「酔いがさめた途端目が覚めてしまった・・・。さ、まだ夜は冷える・・・おいで・・・。」
帝は鈴華の手を引き寝所に入る。鈴華は帝と横になると、鈴華を見つめる帝の顔を見て顔を赤らめる。
「鈴華、もしかして泣いていたの?」
「実は初恋の君の事を・・・思い出していたのです・・・。なんだか涙が・・・。」
「ああ、東三条の亡き少将だね・・・。そういえば亡くなったのは今頃だったね・・・。鈴華、忘れなくてもいいのですよ。あなたにとっていい思い出なのでしょう・・・。無理して忘れようとしなくても構いません・・・。きっと少将殿はあなたのことを見守っている。」
鈴華は帝の心の広さに驚く。鈴華は丁度命日の日に現れた例の初恋の君にそっくりな検非違使少尉平正守は亡き少将政弘君が呼び寄せたのではないかとふと思う。帝は鈴華の気持ちを知ってかしらずか、微笑んで鈴華を抱きしめる。鈴華も微笑み返す。鈴華は久しぶりに帝と夜を共にした。
《作者からの一言》
霊となって再び鈴華の前に現れた検非違使少尉平正守。やはり騙されていたことに無念を感じていたのでしょうが、鈴華の一言に心を入れ替えます。やはり鈴華の事が好きだったんでしょうね^^;少尉の官位がもう少しあって、鈴華が普通の未婚の姫だったら、結ばれていたかもしれませんけど・・・。とりあえず、正守は生まれ変わることで再会をを約束して、正守は昇天したのでした・・・。今度こそ幸せになるといいですね。
第87章 誘惑
ある大物貴族の別荘にある人物が呼ばれた。もちろんその部屋は人払いをされ密かな話がされている。
「検非違使少尉の平正守といったね・・・例の件、手はず通り頼みましたよ・・・。」
「はい・・・。」
「うまくいけばあなたの一族を国司としてうちの殿が何とかしようというのですから・・・。いい話ではありませんか・・・。ただひとりの姫君をあなたのものにしていただければいいのですから・・・。簡単なこと・・・。」
「しかし・・・本当にうまくいくのでしょうか・・・。」
「いくともお前のその顔と声があれば・・・。」
年が明け、すっかり春めいた頃、一人の名も無き検非違使少尉は大物貴族の命により吉野へ旅立った。
吉野にも遅い春の訪れが感じられる頃、鈴華は山荘を抜け出すと、あるところに向かう。
「鈴華様、どちらに?そのような格好では里の者にお顔が・・・。」
鈴華は乳母の言うことを聞かずにある寺の墓地に向かっていた。一度この墓地に来ようと思っていたのだが、宇治で怪我をしてしまい行けなかったのである。
「こちらは・・・もしや・・・藤原北家縁の・・・。」
「そう・・・私の初恋の君、藤原政弘様が眠っておられる墓があるのです・・・。」
本来であれば、東三条摂関家の者は都近くに葬られるのですが、たて続けに東三条家の者達が亡くなっていった事から、あれから東三条家ものはこちらの葬られるようになった。
「あった・・・ここ・・・。」
鈴華は初恋の君の墓を見つけるとしゃがみこんで手を合わせた。その姿を例の男が見つめた。
(あの方の言うとおり、こちらに張っていれば姫君が現れると・・・その通りであった・・・。)
その男は木の陰に隠れて様子を伺う。この日のために、大物貴族はこの男が一生かかっても着る事が出来ないような狩衣や直衣などを用意し、この男に与えた。この男は品の良い狩衣を着込んで、計画通りに事が運ぶように願う。鈴華は立ち上がって、男のいるほうに向かい歩き出すと、男は木陰から出てわざと姫の肩にぶつかり、その拍子に鈴華はしりもちをつき、座り込んでしまった。するとその男は鈴華に手を伸ばし微笑む。
「申し訳ありません・・・どこかお怪我はありませんか?」
鈴華はその男の顔と声に驚く。
「政弘様?」
まさしくその男の顔と声は、鈴華の初恋の君亡き右近少将藤原政弘であった。鈴華は言葉を失い、その男を見つめた。
「本当にお怪我はありませんか?」
その男は鈴華の手を引き立たせると、衣についた土を丁寧に払う。
「あなたは?」
鈴華はその男に問うと、男は微笑んで言う。
「名も無きただの男です。3年前ある病で記憶をなくし、こちらのあるお方の山荘にお世話になっているものです。あるお方は私のことをいい家柄の一人残された末息子であるといいますが、まったく記憶が無いのです・・・。私が一体誰なのか、どうして私がここにいるのかさえ・・・。ついなんとなくこちらの寺に来てしまうのです・・・。」
もちろんこの男の言葉は台本どおりの嘘である。しかし鈴華はこの男がもしかして亡くなったと思っていた初恋の君ではないかと思ってしまう。この男の香の匂いもまさしく初恋の君が使っていた香の匂いであったのだ。
「あなたはもしかして・・・藤原政弘様?そうだわ・・・。この香のにおいも、姿かたちも・・・。」
鈴華は思わずその男に抱きついてしまう。男はうまくいったと心の中で喜んだ。
「もっとあなたの話が聞きたいわ!今から私の山荘に来てくれないかしら・・・。」
「姫様!どこの者かも知れないものを山荘に入れるなんて、お父上様に知れたら・・・。」
鈴華は乳母の制止を振り切り、男を山荘の客間に通す。そしていろいろ鈴華はその男に話をする。その男は微笑みながら鈴華の質問に答える。うれしそうな顔をする鈴華に乳母は何も言えずにそのままにした。日が傾くと、その男は鈴華に一言言って山荘を後にした。鈴華はあの男は初恋の君に間違いないと思い込んだ。
「鈴華様・・・あのような男ということを信じるのですか?あの時確かに政弘様はお亡くなりに・・・。きちんと葬儀もされたのですよ・・・。」
「私は、政弘様は生きていると思うのです。いえ、思いたい!私は亡骸にも対面していない上、葬儀にも出ていないし・・・。信じたいの・・・政弘様が生きていることを・・・。」
「しかし鈴華様・・・他人の空似と言うのもありますし・・・。もし政弘様であったとしても鈴華様は帝の妃であられます。いいですか?帝を裏切ることになるのですよ・・・。」
鈴華は頑として乳母の話を聞き入れず自分の部屋に籠もった。一方あの男は依頼した大物貴族縁の山荘にいた。そして例の大物貴族の側近に今日の出来事の報告をした。もちろんこの出来事はすぐに早馬にて都に伝えられた。その報告を聞いた大物貴族は大変喜んで、次の報告を待つ。
次の日も鈴華は山荘を抜け出して、この男に会う。一緒に吉野を散策したり、桜の良く見えるところで花見をしたりして過ごした。鈴華はこの男を「政弘様」と呼び、楽しそうに一日の大半を一緒に過ごす。もちろんこの男は仕事と知りながらもだんだん美しい鈴華の姿に心を奪われていった。
(この姫君はどこの姫君なのだろう・・・。到底私がモノにできるような身分の姫ではないだろう・・・。私のような身分ではこうして顔を合わすことさえ許されない姫君なのだろうな・・・。)
と男は思い、自分の身分の低さを悔やんだ。この日は鈴華を人里離れた野原に連れて行った。ちょうど可愛らしい草花が咲き鈴華は喜んだ。そして鈴華はたくさんの花の中に座り込んで言う。
「政弘様、こちらに来て。とっても綺麗・・・このようなのは初めて・・・。」
男は鈴華の横に座ると、鈴華は微笑んで、摘んだ草花で花束を作り男に見せた。
「政弘様、覚えていますか?よく幼い頃宇治の曾お爺様の別荘のお庭でよく花を摘んで遊んだのを・・・。」
「ああ、そういえばそうだったね・・・。」
「え?政弘様・・・・?」
男は鈴華を押し倒し、鈴華を見つめて鈴華にキスをすると、男の手が鈴華の腰紐に伸びてきた。
「嫌・・・こんなところじゃ・・・。」
男は苦笑して言う。
「じゃあ、私がお世話になっている山荘に行きましょう・・・。そこならいいですか?」
黙ったままの鈴華の手をとり、男は山道を降りて山の中腹にある山荘にたどり着いた。とてもきれいに整備された山荘で、いかにも高級貴族の山荘という感じであった。男は山荘の者に気付かれない様にそっと自分が寝泊りしている部屋に鈴華を招きいれると、鍵を掛け改めて鈴華を抱きしめる。
「姫・・・。」
そういうと男は鈴華にキスをすると、抱き上げて寝所に運ぶ。そして鈴華を横にすると、鈴華は目を閉じ男に抱かれた。事の一部始終を隣の部屋に控えていた高級貴族の従者が確認をし、都の主のもとに報告する。鈴華はそのようなことを知らずに、男に鈴華の山荘まで見送られて帰る。山荘の手前で男は鈴華を呼び止めて別れのキスをした。この男にとって鈴華との最後の別れであった。鈴華はこの男に手を振ると山荘の中に入った。
吉野からの報告を受けた高級貴族は計画通りになったと喜んである噂を流す。その噂とは、吉野に静養のため滞在中の中宮を下級武士のものが寝取ったという噂である。もちろん帝の耳にも入り、帝は怒ってその下級武士を討伐せよと命を出した。そうとは知らずに男は都に帰る支度をする。そして夜のうちに吉野を出て、名残惜しそうに吉野山を見つめると足早に立ち去った。ちょうど中間地点である大和で討伐の検非違使と会ってしまう。検非違使の先頭を馬で仕切っていたのは、男の側にいた高級貴族の従者であった。
「検非違使少尉平正守、帝の命により帝の妃である中宮様に近づいた罪でお前を処罰する!さあ、ひっ捕らえろ!」
検非違使のものたちは同僚である平正守を捕まえると、縄をかける。
「中原様!これはどういうことですか!」
「お前など知らぬ。ただの下級武士のお前など知らんわ!抵抗するようならこの場で始末してもかまわん!さあ早く連れて行け!!」
そのときやっと自分がだまされていたことに男は気が付き、そして自分が死罪に値する行為をしてしまったことに気が付いた。
(あの姫君は中宮様だったというのか!!!)
男はうなだれて、同僚の検非違使によって都に連れて行かれた。もちろんこのようなことになってしまったということで、鈴華の父関白は無期限出仕停止の上、邸にて謹慎の措置を取られた。そして鈴華は帝の命により無理やり都に帰郷させられ、後宮に戻された。この計画を企てた土御門左大臣は関白に対し思ったよりも甘い処分にさらに苛立ちを覚えた。本来ならば、失脚を狙っていたのだが、思ったよりも効力が無かった。土御門左大臣は発覚を恐れて、検非違使別当を兼任している左大臣の息子である中納言に、あの男を即日始末してしまうように命じ、帝にはこう伝えた。
『あの男はどこからか中宮の初恋が誰であったかを知りそしてよく似ていることをいいことにその初恋の君の名を語って中宮に近づいた。』
という取調べ報告をする。
「左大臣、そのものはどうしたのですか?」
と帝は左大臣に聞く。
「取調べ中に抵抗をいたしましたので始末いたしました・・・。」
「そうか・・・ご苦労であった・・・。このことは中宮には内密にするように・・・。」
「御意。」
帝はこのようなことに巻き込まれてしまった鈴華を不憫に思い、この件を内密に闇に葬るように命を出した。いつの間にか鈴華の噂は都中から消え、父君の関白の謹慎処分も解かれた。鈴華は吉野の相手が政弘君であったと信じ、ささやかな楽しい思い出として心に刻んだ。もちろん相手の男が密かに処分されてしまったことなど知らない。
《作者からの一言》
えらいことになりましたね^^;鈴華はいまだ初恋の君を忘れてはいなかったってことです・・・。仕組んだのは土御門左大臣。秋の争いの仕返しです^^;鈴華もかわいそうですが、騙された平正守もね・・・。所詮下級武士はこういうことに利用されるのかもしれません。でも正守は仕事とはいえ、つかの間の美しい姫との出会いを楽しめたのは確かです。
第86章 秋の除目
ついに秋の除目が発表された。今回は後宮関連の異動も増える。まず、太政官からであるが、大臣クラスしか変動はなく、関白太政大臣に鈴華の父である前内大臣。そして綾乃の実父右大将が再任として内大臣、新たに蔵人別当を兼任。後宮では綾乃が皇后となり、鈴華が中宮、鈴華の妹鈴音は女御となったことで、中宮職とは別に皇后職も設けられ、前中宮職大夫は皇后職大夫となり、中宮職大夫には鈴華や鈴音の兄である前頭中将が就いた。そして新たな頭中将に前左近少将源常隆が昇進した。もちろん土御門の姫君は相当の位を与えられ、従三位尚侍として任じられた。ほとんど帝の周りは今回の除目によって帝の信頼が厚い者達で固められたのは言うまでもなく、土御門殿はナンバー2の左大臣についているのではあるが、なんとなく疎外感があった。後は尚侍に任命された自分の姫が帝に気に入っていただくことのみを願っていた。
鈴音が帝の妃になってから、鈴華と鈴音の仲は悪くなり、特に鈴華は帝を拒否し続けている。毎晩のように帝は藤壺に渡る。当たり前だが、毎回藤壷には入れてもらえず、しょうがなく弘徽殿や承香殿に渡ることもしばしば・・・。今日こそは鈴華と話がしたいと、無理にでも帝は藤壺に入る。
「鈴華・・・。今日こそ私と話をしよう・・・。」
鈴華は黙ったままで、几帳の奥で泣いている。帝は女官に几帳を取り除くように命令をすると、女官たちは几帳を取り除いた。鈴華は脇息にもたれかかって泣き崩れていた。鈴華の袖口は涙でぬれている。鈴華はあまり食事ものどが通らなかったようで、ずいぶん痩せてしまっていた。帝は鈴華を抱きしめて言う。
「鈴華・・・ずいぶん苦しめてしまった・・・。こんなに痩せてしまって・・・。」
鈴華は真っ赤な目をして帝を見つめると、初めて口を開いた。
「雅和様・・・私・・・。」
「どうしたの?鈴華・・・とても辛かったのだろうね・・・。悪かった・・・。」
「それだけで痩せてしまったのではありません・・・。たぶん私・・・懐妊したようです・・・。」
「懐妊したのですか?」
「はい・・・帝が二条院にて静養中にわかったことなのです・・・。このことはまだ数人しか知りません・・・。私は産みたくはないのです・・・。」
「どうして・・・私の子なのでしょう。」
「だからです・・・鈴音を妃に迎えた雅和様の子など・・・。もういりません・・・。申し訳ありません・・・。」
「鈴華・・・。鈴華は鈴華・・・女御は女御・・・別に扱っていたつもりです・・・。わかりました。好きにしたらいい。里下がりをしたければしたらいい。ただし、おなかの子を慈しんで下さい。」
そういうと、帝は鈴華にキスをして立ち去っていった。帝はうなだれた様子で清涼殿に戻り、そのまま寝所に籠もった。朝方、中宮職大夫の鈴華の兄が清涼殿に急ぎの用でやってくる。帝は急いで直衣に着替えると、昼の御殿に座る。そして中宮職大夫を御前に通す。
「このように朝早く申し訳ありません。ただいま典薬寮から急遽中宮職に知らせが入りました。」
「どうかしたのですか?」
「は、中宮様、真夜中急に出血され、流産されたとのことです。ご懐妊されていたことさえ知らされていなかったものですからこの私でも大変驚きました・・・。」
「昨日中宮から懐妊を聞いたが・・・そうか・・・流産か・・・。確かなのですか?」
「はい、まもなく典薬寮のものが詳しいご報告を・・・。」
帝は鈴華の流産を聞き、自分を責める。中宮職大夫が下がると、急いで典薬寮の督と、女医が入ってくる。やはり懐妊は真実であり、そして急な出血により、胎児が出てしまったというのである。母体のほうは今のところ命に別状はなく、当分養生したほうがいいと診断した。
「原因は?」
「はい・・・様々な要因があると思われますが・・・・やはり一番は心労からでしょうか・・・。」
典薬寮の者を下がらせると再び中宮職大夫を呼ぶ。
「大夫、中宮の里下がりを許す。十分養生させるよう。そのようにあなたの父君関白殿にも言いなさい。いいですか?中宮がこちらに戻りたいというまで堀川邸でも別邸でも別荘でも好きなところで養生させたらいい。」
「御意。」
中宮大夫が下がると帝は溜め息をついて考え込む。すると綾乃が知らせを聞いて清涼殿に来た。
「鈴華様のこと、聞きました・・・。今からお見舞いに行ってきます。同じ女として鈴華様の力になって差し上げたいのです・・・。」
「綾乃、頼んだよ・・・。」
綾乃は藤壺に向かうと、鈴華の見舞に行く。綾乃は寝所に寝ている鈴華を見て涙ぐむ。
(鈴華様・・・相当心労が溜まっておられたのね・・・。)
鈴華の乳母が、鈴華に声を掛ける。
「中宮様、皇后様がこちらにおいでです・・・。」
鈴華は綾乃に気が付くと、起き上がろうとする。
「鈴華様、そのままで結構です・・・。養生なさって・・・。」
綾乃は鈴華の手をとって涙ぐむ。
「皇后職大夫から聞きました。なんということ・・・同じ女として同情いたします。御子は残念な結果でしたが、鈴華様がこうして無事で何よりです。鈴華様、病明けからの帝の行動・・・私にも目に余るものが・・・。あれ程嫌っておいでだった土御門の姫君も尚侍の位をお与えになる始末・・・。しかし、帝は鈴華様のことを大切に想っておいでなのは確かです・・・。私は鈴華様の味方です。なんでもご相談ください。」
「綾乃様・・・。本当は懐妊したことはとてもうれしかったのです・・・。でも昨日帝にひどいことを言ってしまいました・・・。この子はいらないと・・・。だから流れてしまったのです・・・。私はなんと言うことを・・・。帝になんとお詫びしたらいいか・・・。」
「鈴華様・・・そんなにお悔やみにならないで・・・。自分をお責めになりますと、大事なお体が回復しません。さ、ゆっくり養生を・・・。」
鈴華はうなずくと再び眠りについた。綾乃が退出すると、急いで参内してきた関白が中宮職大夫を伴い藤壺を訪れる。
「父上、中宮様は今お休みになっています・・・お会いになるのはもうしばらく・・・。」
「うるさい!鈴華はいつもそうなのだ。懐妊の発表もせず、流産だと!またうっかり姫が転んだりなんかしたのであろう!大事な帝の御子を流産しよって!堀川家の恥もいいところだ!」
「父上!今中宮はお心を傷めております。大きな声でそのようなことを・・・。」
「あのようなうっかり姫を帝が気に入って頂けていると言うだけでもありがたいことであるのに・・・。大事な御子を!!帝から直接里下がりの命を受けるなんて・・・いい恥さらしだ!」
「父上、里下がりといっても養生のためであって・・・。中宮を見放されたわけでは・・・。」
「同じようなものだ!期限無しの里下がりなど聞いたことはない!これ以上堀川家の恥さらしを後宮においておく必要はない!今すぐにでも連れて帰る。養生先も都から一番遠い吉野の山荘にせよ。」
関白は中宮付きの女官に言って里下がりの準備をすぐにさせ、その日のうちに堀川邸に鈴華は入った。体が落ち着いたと同時に鈴華は冬が始まったばかりの吉野の山荘に向けて旅立った。中宮職大夫によって知らされた帝は寂しそうな顔をして言う。
「そう・・・中宮は吉野へ・・・。冬の吉野は相当雪深いだろうね・・・。大夫、中宮のこと頼みましたよ。出来るだけ早く養生明けすることを願っています。」
「御意・・・。」
《作者からの一言》
やはり相当ショックだったのでしょうね^^;それしかいえません^^;父君である関白の怒り様はちょっと焦点がずれています^^;もともと鈴華に対して何でも鈴華のせいにしてしまうところがあるのです^^;もちろん帝も鈴華を思って無期限の里下がりを命じただけなのですが・・・。
第85章 梅壷から承香殿へ
清涼殿に戻って数日後、少しずつだが、帝は執務を始めだした。まず手始めにまもなく発表される秋の除目について、大臣たちを呼んで話をする。もちろん今回の病気のことで太政大臣を置かなかったため、いろいろ公務に支障が出てしまい、先帝である院が帝の代わりに公務を行っていた。そのため今回の除目で帝は太政大臣を置く事に決めた。あとは誰を指名するかである。もちろん家柄的には摂関家嫡流である前関白太政大臣の息子、土御門左大臣が昇進してくるのが筋だが、帝自身あまりこの男の事が好きではなく、性格的にあわないことから、鈴華の父である堀川内大臣に関白太政大臣となっていただけるように打診した。もちろん次は自分がふさわしいと思っていた土御門左大臣は内大臣の関白太政大臣就任の要請に、苛立つ。帝としては本来ならば、綾乃の里親である右大臣になって欲しいところなのですが、慣例で関白は摂関家から出すことになっていたので、しょうがなく内大臣にした。内大臣の席はやはり綾乃の父しかないあろうと、再び内大臣と兼任するように要請した。
「最後に後宮のことなのだけれど・・・。」
と、帝は言う。大臣たちは何事かという表情で帝の言葉を待つ。左大臣はもしやうちの娘が・・・と思ったようであるが、それも期待はずれで、帝から以外な意向が伝えられる。
「秋の除目だから言うのではないのだけれど、私の意向として聞いて欲しい。そして内密に・・・。弘徽殿中宮を皇后に、藤壺女御を中宮に、そして梅壷更衣を承香殿に移す。女御と更衣の父君の内大臣殿、あとで話があります。いいですか?」
内大臣は何事かという表情で残り、帝の言葉を待つ。帝は内大臣を御簾の中に入れ、人払いをすると、小さな声で話し出す。
「更衣をなぜ承香殿へ移そうと思っているかわかっていますか?実は姉君である女御には悪いのですが、妹君である更衣を私の妃として迎えたいと思っているのです。そこで二人とも女御というのはいけないと思い、姉君を中宮に格上げしたいと思っています。」
「徳子をですか?なぜ・・・。」
「私が臥せっているときに更衣が献身的に看病をしてくれたのです。あなたには二人の姫君が後宮にいるということで大変負担がかかると思いますが、更衣をいずれ女御として迎え、側に置きたいと思ったのです。承知していただけますか?承知していただけるのであれば、今すぐにでも更衣を梅壷から承香殿へ移します。そのほうが女御と更衣にとって良いのではないかと思うのです・・・。もちろん更衣のことは軽い気持ちではないのです。」
内大臣は少し考えて承諾する。帝は中務卿宮と中宮職大夫を呼ぶと、更衣について話し出す。
「中務卿宮、そして中宮職大夫殿、いますぐ更衣を梅壷から承香殿に移していただきたい。」
すると中務卿宮は中宮職大夫に命令して、すぐに更衣の部屋の移動をさせた。帝は中務卿宮を御簾の中に入れ、内大臣とともに話す。
「兄上、どういうことか察しはついたと思います。」
中務卿宮はうなずくと、内大臣に言う。
「内大臣殿、帝がこのように思われるのは珍しいこと・・・。姉妹で帝のご寵愛を受けられるということです。更衣の件はよろしくお願いしますよ。」
続けて帝も言う。
「あなたを今度の除目で関白太政大臣にしようとしたのも、こういう理由からです。もともと私は土御門殿と気が合わないのです。もちろん今まで以上に藤壺女御を大事にはします。ご安心ください。」
内大臣は帝に頭を深々と下げると、清涼殿を後にした。その日のうちに更衣の部屋の移動は終了する。
夜、帝は籐少納言を呼んで言う。
「籐少納言、以前言っていたよね・・・更衣のこと。」
「はい・・・本当によろしいのですか?姉君の女御様がおられるのに・・・。」
「いい。内大臣には承諾を得たし、気持ちに変わりはない。明晩承香殿に渡るから頼むよ。」
「はい心得ました・・・。しかし女御様にどのようにご説明を・・・。」
帝は苦笑して言う。
「何とかするよ・・・。今から藤壺に行く。用意を頼んだよ。女御に話すから・・・。」
帝は清涼殿を出て藤壺に向かう。急なおでましに藤壺は慌しくなる。鈴華は驚いた様子で帝を見つめる。
「鈴華、話があるのです・・・。」
帝は人払いをすると、鈴華の前に座り、真剣な顔で考え込む。
(どう言えば鈴華はわかってくれるのかな・・・。)
なかなか話そうとしない帝を見て、鈴華は帝の横に座りもたれかかる。
「鈴華、きっと君は私のことを軽蔑するのだろうね・・・。話というのは・・・。」
「雅和様?」
帝は鈴華に思っていることを打ち明ける。
「あの・・・鈴華。鈴華には悪いことなのだけれども、三人目の妃を・・・娶ろうと思うのです・・・。」
「え?」
「父君である内大臣も承知の上なのだけれども、更衣を・・・君の妹である更衣を女御として迎えたいと思っている。君はきっと私のことを嘘つきだと思うだろうね・・・。そう思われても仕方がない・・・。」
鈴華はこうなることがわかっていたにもかかわらず、ショックで言葉をなくす。鈴華は立ち上がって寝所に潜り込む。帝は溜め息をつくと藤壺を退室して行った。
(当分鈴華は許してくれないのだろうな・・・。)
そう思うと帝は清涼殿へ戻り、ひとり御帳台に潜り込み横になった。鈴華は、寝所の中で悲しみ一睡もできなかった。
次の日の夜、帝は承香殿に渡る。もちろん前もって昨日からこちらに来ることを知らせてあったので、承香殿は帝がいつでもこられてもいいように準備万端で迎える。承香殿はとてもいい香りで包まれ、清々しい匂いがする。
(これが更衣鈴音の匂いなのか・・・。本当に名前のとおり鈴の音のように・・・。)
帝は更衣の部屋に入ると、人払いをして更衣の前に座る。更衣は扇で顔を隠し、恥ずかしそうにうつむく。とても可愛らしい仕草に帝は心を奪われる。
(やはり鈴華とは違った美しさと可愛らしさを備えた姫君だ・・・。)
「帝、お体のほうはもうよろしいのですか?」
「ああ、更衣のおかげで早く治ることができました。献身的な看病のおかげです。」
帝は更衣の側に近寄ると、更衣を抱きしめる。間近で見ると本当に可愛らしい姫で、姉妹である鈴華とまったく違った感じがする。まだ十五という年齢のためか、まだ何もかもが成長しきっていない。これからの成長が楽しみな姫である。帝は更衣の耳元で一言言う。
「更衣、私の三人目の妃になっていただけますか?」
更衣は黙ったままで、うつむいている。
「姉君のことが気になるのですか?更衣であるあなたは、こういうことを望んでいたのでは?父君である内大臣も承諾の上です。姉君もきっとわかってくれる日が来る・・・。あなたにはあなたの、姉君には姉君のいいところがあるのですよ。」
「私・・・。」
更衣は顔を赤らめて帝の顔を見つめる。帝はそのまま更衣の唇にキスをした。更衣は放心状態で帝にされるがまま、一夜をともにした。更衣は泣き崩れ、朝方まで帝の胸の中で泣き続けた。朝になっても、更衣は泣き続けていた。帝は小袖を調え直衣に着替えると、泣き続ける更衣に気遣いながら承香殿を後にし、清涼殿に戻った。いつまでも泣き続ける更衣に、更衣の乳母は心配して更衣に問いかける。
「どうかなさったのですか?あんなに想っておられた帝と一夜を共にされたのですから・・・。」
「お姉さまに悪いことをしてしまったわ・・・。お姉さまのとても想っておられる方なのに・・・私は・・・私、帝も大好きだけれど、お姉さまも大好きなの・・・。」
そういって更衣は寝所から出てこようとせず、一日中泣き暮らした。
その日のうちに内裏中噂が広まる。殿上人達は、内大臣を見て口々に噂する。
(なんと帝は女御の妹君である更衣もついにお手をつけられたらしいな・・・。)
(そうそう・・・それを知った女御様はお倒れになられたらしい。)
(帝も病から立ち直ったらずいぶん変わられたな・・・。中宮様と女御様以外の姫君を渋っておいでだったのに・・・。)
(内大臣様も二人の姫君を帝の妃にさせるとは・・・・人は見かけによりませんな・・・。)
(そうそう・・・出世欲は土御門様以上というわけか・・・。)
(次は土御門様の姫君にお手をつけられるのではないか???)
(秋の除目が楽しみですな・・・。今から内大臣様に媚を売っておくかな・・・。)
内大臣はムッとして殿上の間に入ると、土御門左大臣が嫌味をいう。
「嫡流のうちを差し置いて・・・。帝の秋の除目の意向はこのことからであったか・・・。」
二人は掴み合いの喧嘩になりそうになったが、ちょうど横で様子を伺っていた右大臣と右大将が止めに入る。
「ここは禁中ですぞ!それもここは殿上の間。このことが帝の耳にでも入ったらただではすみませんよ。」
「右大臣様の言うとおりです・・・。喧嘩をなさるなら内裏の外でやってください。でも大臣であられるお二人にはふさわしくない行いでありますね・・・。」
二人は渋々喧嘩をやめ、早々と内裏を退出して行った。
《作者からの一言》
いつも冷静な帝の間違った判断というべきでしょうか・・・。もうちょっと様子を見てからでよかったのですが・・・。結局鈴華も鈴音も傷つける結果となってしまいました^^;もちろん帝の更衣に対する好意は内裏に混乱を起こしています。もともと堀川家と、土御門家は仲良く摂関家を再興しようと思っていた矢先の出来事なのですから・・・。
第84章 帝の静養
熱が下がった後、帝は静養のため内裏を出て今は右大将邸であるが、生まれ育った二条院に入る。もちろん帝の付き添いとして綾乃もついてきている。熱が下がったといってもまだ体力が戻ったわけではなく、立ち上がるとふらついたり、長時間立っていることができない状態である。またあまり食事を摂ることができなかったので、見た目は普通なのだが、体が相当痩せてしまった。帝の母宮は相当心配した様子で、綾乃とともに付き添っている。
「雅和・・・こんなに痩せてしまって・・・。こちらでは気を遣う必要はありませんよ。堅苦しい役人たちはいないのですから。いつまでかかってもいいのですから綾乃と一緒に完全な体に戻しなさいね。」
「母上・・・。」
綾乃に支えながら座る。帝は懐かしい庭を眺めながらため息をついて、綾乃に言う。
「康仁たちには病はうつらなかったのだろうか・・・。」
東宮と姫宮は帝の病が移り発症したのだが、まだ小さく母体から受け継いだ免疫力が体に残っていたので熱が出た程度で、軽く済んだようである。それを知った帝は安心して、微笑んだ。すると部屋の扉のところで小さな男の子が覗き込んでいた。
「まあ博雅、こちらに来てはだめと言ったでしょう。」
博雅という小さな男の子は母宮の言葉に驚いて泣き出した。すると帝は手招きをして博雅を呼び寄せる。
「大きくなりましたね、博雅君・・・。いくつになりましたか?」
と帝は微笑んで言うと、母宮の後ろに隠れて博雅は言う。
「五つ。お兄さんは誰?」
母宮は博雅に言う。
「失礼ですよ博雅君。この方は帝ですのよ。」
「母上、いいのですよ。博雅君、私はあなたの兄上です。仲良くしてください。」
博雅は満面の笑みで答える。
「うん!僕に兄上様がいたの知らなかったよ。妹はいるけど。早く元気になられたら遊んでくれますか?」
「いいよ。博雅君と遊ぶために早く体を治さないとね・・・。」
博雅は帝と指きりをすると、喜んで母宮とともに退出して行った。
その日から博雅は帝である兄のために毎日のように花を届けたり、庭で捕まえた鈴虫などの秋の虫を見せたりする。帝はとても喜んで思ったより早く元気になり、立ち上がって庭に下りて散歩したり、すのこ縁に座って龍笛を吹いたりした。綾乃も予想以上の回復に驚く。
ある日博雅は帝の部屋にやってきていう。
「兄上。僕と一緒に蹴鞠をしようよ!さあ早く!」
博雅は帝の手を引くと帝は喜んで立ち上がって言う。
「博雅、この直衣じゃ蹴鞠はできないよ。狩衣に着替えるから待っていて。」
「うん!待っているね。早く来てね。」
帝は母宮の制止を振り切って狩衣に着替えると庭に出て久しぶりに蹴鞠をする。もう何年ぶりだろうか・・・。元服前までよく帝の兄である中務卿宮と一緒に蹴鞠をして遊んだものだ。久しぶりなのでうまくできなかったが、慣れてくると博雅に加減をしながら一緒に楽しんでいた。綾乃と母宮は微笑みながら見つめていた。
「お母様、病後の体力づくりにいいじゃありませんか・・・。」
「そういえばそうですね・・・。ずっと寝ておられたので・・・。」
「雅和様は蹴鞠もお上手だったのですね・・・。」
「ええ、雅孝親王様がお得意でしたからね。一緒にしているうちに身についたのでしょう。」
「中務卿宮様が?」
「そうです。雅和が馬に乗れるようになったのも、弓矢ができるようになったのも宮様のおかげ・・・。あのような雅和の顔を見たのは久しぶり・・・。綾乃もそうでしょ。」
「そうですね・・・。子供のころの雅和様・・・。天真爛漫で・・・いつも笑っておられました・・・。あの頃が懐かしいですねお母様。」
母宮は微笑んでじっと二人を見つめている。すると右大将が二条邸に戻ってきて、帝の蹴鞠をしている姿を見て驚く。
「ずいぶん元気になられましたね・・・。これで安心です。帝はあのような笑顔をされるのですね。」
と右大将は綾乃の隣に座って言う。
「殿、あれが雅和の本来の表情なのです。もう何年ぶりかしら・・・。」
博雅は右大将に気がつくと、蹴鞠をやめ右大将のもとに走ってくる。
「父上!お帰りなさい!」
「博雅、上手になったね。」
「うん!兄上とてもお上手なの。今度馬にも乗せてくれるって!いいでしょ!」
右大将は博雅の頭をなでてうなずく。帝は程よく流れる汗を拭いて、綾乃の側に来ると、満面の笑みで楽しそうに話した。楽しそうに話す帝を見て綾乃は微笑んだ。
(雅和様があのまま中務卿宮としてこの二条院にいたら康仁とこのようにこの庭で蹴鞠などをして遊ぶのかな・・・。)
と綾乃は思う。
ある日帝は前に博雅を乗せ、馬に乗って都の外へ出かける。もちろん護衛として右大将も休みを取り側につく。博雅は楽しそうに馬上から見える景色を眺めながら珍しくおとなしくしている。
「ちょっと紅葉の季節にはまだ早かったようですね・・・。右大将殿・・・。」
「そうですね、宮。少し早かったようですね・・・。しかしススキがちょうど見頃のようです。」
馬を河原に残し、帝は博雅を抱いて川に足をつける。そしてそっと博雅をおろし、足をつけさせる。
「兄上、とても冷たいね・・・。」
川から出た二人は、川に石を投げてみたり、二人で河原に座って話したりした。
「兄上、兄上の笛が聞きたいな・・・。持ってきているのでしょ?」
「ああ、あの龍笛は必ず身に着けるようにしているからね・・・。」
帝は笛を取り出すと、博雅を側に座らせて龍笛を吹く。博雅は遊び疲れたようで、帝にもたれかかっていつの間にか眠っていた。
「帝、帰りは私の馬に博雅を乗せましょう。」
そういうと、右大将は博雅を抱き上げて、馬に乗る。帝は龍笛を大事に懐になおし、馬に乗る。帰りはゆっくり都の様子を見ながら帰る。今まで見ることがなかった下々の生活が良くわかった。朱雀大路を上り、大内裏の朱雀門の前で帝は立ち止まり、改めて見つめる。様々な役人たちが、朱雀門を出入りし、帝の横を通り過ぎていく。もちろんこの者たちはここに帝がいるということは知らない。一部の武官の者達が、右大将に対し一礼をして通り過ぎていくのみである。
「右大将殿・・・。私はこの者たちの頂点に立っているのですね・・・。しかし知らない者たちが多い。本当に私はほんの一部に過ぎませんね・・・。」
と帝は苦笑する。
「もうそろそろ内裏にお帰りになられますか?」
「この半月、博雅とたくさん遊んで、帝としての堅苦しい生活を忘れることができた。本当に楽しい日々でしたよ。もうそろそろ・・・戻ろうかな・・・。博雅が悲しむかな・・・。」
帝は悲しそうに博雅を見つめると、再び内裏を眺めて二条院に向かって馬を歩かせた。
「右大将殿、このまま東三条の院の仮御在所に行ってもいいと思う?急に父上にお会いしたくなった。」
「しかしその狩衣では門衛が通してくれないでしょう・・・。」
すると博雅は目覚めたみたいで、帝の馬に乗ると駄々をこね、しょうがなく博雅を乗せかえる。すると急に帝は何かを思いついたように馬を走らせる。右大将は驚いて帝の後を追った。帝は二条院を過ぎ、東三条邸の西門の前につくと、門衛に言う。
「私は院の二の宮、雅和と申します。参議橘晃殿はこちらにおいでか?」
帝はだめもとで門衛に自分の名を明かし、院の側近橘晃を呼ぶ。
「院の二の宮様?あ!少々お待ちを!」
門衛はこの狩衣を着た青年を帝であると気がつくと急いで院付の参議を呼びに走る。参議はあわてて西門まで走ってくると、膝をついて帝に言う。
「宮様、突然この私をお呼び下さるとは・・・。」
「橘殿、突然このような格好でこちらに来てしまい、申し訳ありません。なんだか急に父上にお会いしたくなって・・・。取次ぎを頼みたいのですが・・・。右大将殿も一緒です。このような格好でも入れていただけるのでしょうか?」
「はい!どうぞこちらへ。」
参議は帝の馬を引いて、寝殿前の庭へ招き入れる。右大将は門で馬を下り、車宿りで待つ。帝は博雅を連れ、参議の案内で客間に通された。
「院はただいま執務中でございますので、少々こちらでお待ちを・・・。」
博雅は不思議そうな顔をして、部屋中を眺める。少し経つと、執務を早めに切り上げた院が入ってきて、帝の前に座る。
「雅和、突然の訪問に驚いてしまったよ。体のほうはいかがでしょう。」
「そうですね九分程度回復したと思います。今は体力をつけようといろいろやっていますが・・・。」
「本当に元気そうで安心しました。おや、そちらの若君は?」
帝は微笑んで、恥ずかしそうに帝の後ろに隠れる博雅。
「兄上、この人誰?」
帝は微笑みながら優しい口調で博雅に言う。
「博雅、このお方は私の父君です。」
「でも僕の父上は右大将だよ。」
「そうですね・・・。でも博雅と私の母上は同じなのです。まだちょっとわからないと思うけれど・・・。」
実は博雅はこの院の子である。帝の母宮がこの博雅を身籠ったまま後宮を離れ、右大将の正妻になった後、この博雅が生まれ、右大将の長男として育てられている。
「おお、その若君は右大将の・・・。」
「はい父上。右大将家の嫡男、源博雅君です。もうこのように大きくなったのです。」
「そうだね・・・。前会ったのはまだ赤ん坊のときだったね・・・。時が経つのは早い・・・。」
博雅は不思議そうな顔をして二人が話しているのを見つめる。博雅はだんだんつまらなくなってきたようで、部屋中をうろうろしだす。帝は表で待っている右大将を呼ぶと、博雅と先に帰るように言う。博雅はうれしそうに右大将とともに二条院に戻っていった。
「博雅君か・・・。本当に大きくなったね・・・。本来ならば私の七の宮として側に置きたかったが・・・。」
「そうですね・・・。でも堅苦しい親王の生活よりも、右大将の嫡男として育ったほうが幸せかもしれません・・・。」
「そうかもしれない・・・。いずれ七の宮であれば臣籍に下って生活しないといけない・・・。右大将の嫡男であれば・・・。本当に雅和は優しい子だ・・・。和子の若君に会わせてくれて・・・。もう会えないと思っていた・・・。ありがとう・・・。」
院は涙汲んで、帝の手を握り締めてお礼を言った。
「もうそろそろ二条院に戻らないと・・・母上や綾乃が心配するので・・・。父上、もうそろそろ内裏に戻ろうと思います。」
「そうか・・・。」
院は参議を供につけて帝を見送った。案の定、二条院内ではなかなか帰ってこない帝を心配して二条院の前で右大将の従者清原がうろうろしていた。すると帝の姿を見つけた清原は帝の馬に駆け寄っていう。
「宮様、いつまで東三条邸に・・・。右大将様と女王様が大変心配しておられます。」
「ああ、すまなかったね・・・清原。橘殿、ここでいいよ。」
すると参議は馬の引き綱を清原に渡して言う。
「右大将様の従者、清原殿ですか。私は院付の参議橘晃と申します。確かに宮様をお渡しいたしました。右大将様にこれを・・・。」
参議は院からの文を清原に渡すと、急いで東三条邸に向けて走っていった。清原は帝の馬を引き、二条院に入ると、帝の部屋の前まで引いていく。
「まあ帝、遅くまでどちらへ?皆様方はご心配されていたのですよ。それもそのような格好をされて・・・。」
心配そうに籐少納言は帝に詰め寄る。綾乃も心配した様子で、すのこ縁の手前まで出てきた。
「ちょっと東三条の父上に会ってきた。院の仮御在所だから、このような格好で入れてもらえるか心配だったけれど、ちょうど参議殿がいてね・・・。入れてもらった。籐少納言、心配させてすまなかったね・・・綾乃も・・・。」
帝は部屋に入ると、狩衣を脱ぎ直衣に着替える。そして綾乃の側に行くと、疲れた様子で言う。
「ねえ綾乃、膝を借りていいかな・・・。久しぶりの馬の遠出で疲れたよ・・・。」
「ええどうぞ・・・。」
帝は綾乃の膝枕で横になると、綾乃に言う。
「もうそろそろ内裏に戻ろう。十分静養させていただいた。いくら二条院は私の実家のようなものであっても今は右大将の邸だ。長居はいけないよね・・・。」
そういうと綾乃の頬に手をやると微笑む。
「雅和様。ええ戻りましょう・・・。でも内裏に戻られても、当分ご公務は控えてください・・。」
「うんわかっているよ・・・。最近綾乃も籐少納言のように心配性になったのかな?」
そういうと帝は苦笑して疲れからかいつの間にか眠ってしまった。
それから数日後、帝は非公式に内裏に戻り清涼殿に入った。清涼殿に帝が戻ってくることを聞いた鈴華は、清涼殿の藤壺女御の局で待っていた。清涼殿内がにぎやかになると、鈴華は我慢できずに局を出て昼の御座に向かい中に入る。ちょうど帝は綾乃と共に戻ってきたようだった。帝は鈴華に気づき声を掛ける。
「鈴華、今戻ったよ。長い間留守にして悪かったね・・・。」
鈴華は思わず涙ぐんで帝に飛びつく。帝は鈴華を抱きしめていう。
「鈴華・・・。とても寂しかったのだろうね・・・ごめん・・・。」
綾乃は鈴華の気持ちが痛いほどわかり、二人の再会に微笑んだ。
《作者からの一言》
非公式な右大将宅での静養です。もともとこちらは帝の母宮の実家で帝が生まれ育ったお邸です。本当は帝の同じ父の兄弟博雅。今は自分は右大将と和子女王の子だと思っています。将来は自分が誰の子なのか悟る日が来るかもしれませんね^^;
第83章 院の訪問
まだ残暑が厳しい秋口。良き日を選んで院と皇太后が宇治から姫宮と東宮に会いにやってくる。東宮は久しぶりの院たちの訪問に喜び、朝早くから起きて今か今かと待つ。その姿を見た綾乃は微笑んで、東宮を見つめた。昼を過ぎたころ、執務を早めに切り上げた帝が、弘徽殿へやってきた。
「まだおいでになってないようですね・・・。早めに公務を切り上げてきたのに残念だな・・・。」
帝は苦笑して東宮を抱き上げてあやす。
「おとうちゃま、あちゅい・・・。」
と東宮が帝の額を触って言う。
「そうかな・・・。急いでこちらに来たからかな・・・。そんなに熱いかな・・・。」
微笑みながら帝は自分の額に手を当てて見る。
(これくらいの熱、なんでもないか・・・ちょっと風邪でも引いたのかな・・・?また後で侍医でも呼べばいいか・・・。)
そう思うと帝は綾乃の前に座って話し始める。すると女官長が現れて、帝に言う。
「院、皇太后様が参内なされ、麗景殿にお通しいたしました。」
「そうか御着きになったか・・・。わかった今から行く。藤壺と姫宮も麗景殿へ・・・いいね・・・。」
「かしこまりました。」
そういうと帝は立ち上がって東宮を抱き、麗景殿に向かう。麗景殿につくと東宮は帝から降りて、院や皇太后に向かって走り出す。
「おじいちゃま!おばあちゃま!」
「東宮、相変わらず元気がいいね。」
院が微笑んで、東宮を膝に乗せ頭をなでる。帝は遅れて麗景殿に入ると、綾乃とともに院と皇太后に挨拶をする。
「まあ元気そうね。お二人とも・・・。あら?藤壺女御様と姫宮はまだですか?」
と皇太后が言うと、帝はいう。
「まもなくと思います。藤壺はちょっとうっかりしたところがありますので、焦らせてしまうと・・・。まあそういうところがかわいいくていいのですけれど・・・。」
帝は恥ずかしそうに顔を赤らめて言う。すると表で騒がしくなると恥ずかしそうな顔をした鈴華が入ってくる。
「藤壷何かあったのですか?すごい騒ぎだったけれど・・・。」
鈴華は恥ずかしそうに苦笑して言う。
「急いでこちらに来たので途中つまずいてしまって・・・体をぶつけてしまいました・・・。遅れてしまって申し訳ありません・・・。」
一同はこの話を聞いて微笑む。鈴華はハッとして院と皇太后に挨拶をすると、姫宮を乳母から預かり、帝に渡す。帝は院と皇太后の側に座り姫宮を見せると、皇太后は姫宮を抱いてあやす。
「まあなんとかわいらしい姫宮だこと・・・。帝によく似て・・・。和子様にも見せて差し上げたいわ・・・。」
と、皇太后が言うと、院が微笑んで姫宮の頬を触る。姫宮は急に泣き出し、院は驚いたが、皇太后が乳母を呼んで乳母に姫宮を渡した。
夕刻になると、帝は仕事を終えた中務卿宮も呼び、楽しく歓談する。綾乃は帝の顔色に気づくと側による。
「ちょっと失礼しますね。」
というと綾乃は帝の額と首筋の手を当て様子を見る。
「何?綾乃?」
「雅和様、お熱がありますわ。顔色もあまりよくないご様子・・・。」
帝は綾乃の手を離して言う。
「大丈夫だよ。せっかく院がおいでだからこういうことは後に・・・。心配してくれてありがとう綾乃・・・。」
そういうと微笑んで普段どおりに院と話し出す。確かにいつもと違う帝の顔色に一同は心配して侍医を呼ぶように薦めるが、帝は断る。一同揃っての食事も帝は少しむせながらある程度食べ、箸を休めてしまうと、一同は心配して、帝を見つめる。すると帝は立ち上がって一同に言う。
「少し気分が優れないので夜風に当たってきます。藤壺、ついてきてくれる?弘徽殿は父上達のお相手を・・・。」
そういうと、鈴華をつれて麗景殿を出て庭に下りると、夜風に当たりながら歩き、中秋の名月を眺める。
「鈴華・・・綺麗だね・・・夜風が涼しくて気持ちいいよ・・・。」
そういうと鈴華を抱きしめる。
「雅和様、やはり綾乃様の言うようにかなりお熱がありますわ・・・。清涼殿に戻られて侍医に・・・。」
「いいよ・・・ただの風邪だから・・・。ただ・・・。」
そういうと帝は意識が朦朧として、鈴華にもたれかかる。鈴華は帝を支えきれずにその場に座り込んでしまう。
「きゃ!帝!誰か!帝が御倒れに!!!」
その声に気がつき、控えていた近衛の者や女官たちが集まり、丁度宿直をしていた鈴華の兄である頭中将が鈴華と帝に駆け寄る。
「お兄様・・・帝が・・・。」
鈴華は帝を抱えながら泣くと頭中将が言う。
「鈴華は黙っていなさい!私が帝をお運びするから・・・。」
頭中将は頭を下げると帝を抱え、女官の案内で承香殿へ運ぶ。頭中将は女官が準備した寝所に帝を横にすると、直衣を緩め、女官が帝に衣を掛ける。
「誰か侍医を・・・。鈴華、帝のお側に・・・。私は麗景殿の院にご報告に言ってくるから・・・。」
そういうと頭中将は、鈴華をその場に残し麗景殿に向かう。そして麗景殿の入り口に座り深々と頭を下げると、頭中将は院に言う。
「申し上げます。帝はただいま承香殿前にて御倒れあそばしました。ただいま侍医を呼び承香殿におられます。側には藤壷女御様がおられますので、少々こちらでお待ちいただきますようお願い申し上げます。」
「頭中将であったな。ご苦労。病状がわかり次第こちらに報告を・・・。」
「御意。」
そういうと頭中将は下がっていった。一同は心配して侍医の診察結果を待つ。
「最近少しはやり病があると聞きましたが、それでなければいいのですが・・・。」
と皇太后は院に言うと、院は心配そうに侍医が来るのを待つ。しばらくすると侍医がやってきて、院に申し上げる。
「帝の病状でございますが、やはりはやり病の類のもの・・・。あまりひどい症状ではないと思われますが・・・。この病は一度かかると一生ならないものです。」
「なんと言う病だね・・・。」
「麻疹でございます。ですのでかかっておられない方はこれ以上お近づきにならないように・・・。」
この中では小さな姫宮と東宮のみがかかっておらず、この二人を半月ほど、様子を見るようにと侍医が支持した。以前二十年程前にはしかが都中に流行った事があり、院をはじめ大体のものはかかったが、帝のみ何故かかからなかった経緯があった。その後も何度か流行ったことがあったが、いずれも帝はかからなかった。帝の病状が落ち着くまで、院達はこの後宮に残ることになった。帝の急な病に、急遽太政官たちが参内して殿上の間に集まり、病状がよくなるまでどうするかを検討に入る。すると土御門左大臣がいう。
「ちょうど院が参内中であられる。ちょうど良い、院に帝の代わりをして頂いたら良いのではないか?あれほどやり手であった先代の帝だ・・・。」
すると右大臣が言う。
「なるほど・・・。関白太政大臣のいない今、やはり院に頼んだほうが良い策かもしれませんな・・・・。」
次は内大臣が言う。
「院政って言うものですか・・・。ではいつまでも後宮に御在所を置くわけには行けないので、皇太后様のご実家東三条邸を仮の御在所にしては?あそこなら内裏にも近い。亡き東三条殿は皇太后様の兄上であられるし・・・今住んでいるのは東三条殿の正妻のみ・・・。頼んでみましょう・・・。」
すると、外が慌しくなり、侍従が殿上の間にやってきていう。
「院がこちらに・・・。」
太政官たちは慌しく院を迎えると、院はため息をついて太政官たちに言う。
「帝ははしかのようだ。軽いはしかのようなので命には別状はないが、当分良くなるまでかかると思う。さてこの先どうすればいいものか・・・。」
すると左大臣が太政官達の意見として今まで話していたことを伝えると、院はうなずき当分院が帝の代わりをすることとなった。もちろん仮の院の御所として東三条邸が使われることになり、中務省を始め、様々なものたちが、一時の院政の準備のために走り回る。
一方承香殿では、綾乃と鈴華が交代で帝の看病をする。何とか帝は落ち着き、意識を取り戻したが、熱のためまだ意識が朦朧としている。すると侍医が入ってきて、二人に言う。
「お子様たちの件がありますので、できるだけ中宮様、女御様はお近づきになられないように・・・。」
綾乃と鈴華は残念そうな顔をして退出しようとすると、控えていた鈴音が声を掛ける。
「中宮様、お姉さま、私が帝の看病をさせてください。私も小さいときにかかった病でございます。」
「そうね・・・それが良いかもしれませんね。鈴音・・・無理はいけませんよ・・・。」
と鈴華が言うと、綾乃も鈴音に看病を頼む。何日も何日も鈴音は籐少納言とともに帝の看病をする。帝の熱はそう大して高熱ではないものの、上がったり下がったりでとても苦しそうな息遣いで、眠っている。たまに起き上がって重湯を飲んだり薬湯を飲んだりしているが、それ以外はほとんど寝ている状態であった。もちろん意識が朦朧としているためか、誰が側にいるのかさえ見分けられない様子なのである。
帝の意識が戻ってきたのは発病して半月ほど経った時である。朝日で目が覚めた帝は側で座ったまま眠っている鈴音に気づく。
「鈴華?」
その声に鈴音は気づき、帝の手をとり、首を横に振る。
「私は更衣です。やっとお目覚めになられたのですか?失礼します。」
といって鈴音は帝の額に手を置き、熱を見る。見事に帝の熱は下がっており、鈴音はほっとした様子で籐少納言を呼ぼうと立ち上がる。
「梅壷がずっと側にいてくれたのですか?」
「はい・・・。」
「そうですか・・・看病疲れでしょうか・・・痩せましたね・・・だから鈴華と間違えてしまった・・・。ほかの女官はたくさんいるので頼んだら良かったのに・・・どうしてですか?」
鈴音は赤い顔をして答える。
「私、帝のことを想っているので・・・。」
それを聞いて帝は初めて鈴音の気持ちに気づく。すると帝は鈴音の手を引き、鈴音を抱きしめる。そして耳元で鈴音に言う。
「ありがとう・・・君は命の恩人のようなものだね・・・。」
鈴音は爆発しそうな胸の高鳴りを気にして帝から離れる。
「籐少納言様にご報告してきます。」
そういうと真っ赤な顔をして退出していった。帝は座って鈴音のことを考える。すると帝の乳母である籐少納言が入ってきて側に座ると、涙ぐんで話しかける。
「帝、いえ雅和親王様・・・籐少納言はずっと心配しておりましたのよ・・・。まもなく侍医が来ますので、お待ちを・・・。母宮様も大変ご心配なさっておりました。」
「大袈裟だな・・・。もう調子はいいよ。ほんとみんなに心配させてしまったな・・・。ところで寝込んでいた間、どうなったの?」
「院が帝の変わりに・・・。何とか都は平静を保っております。」
「そう・・・。更衣はどこ?」
「梅壷に戻られましたわ。大変お疲れでずいぶんお窶れに・・・。ずっと帝の側を離れず看病をなさっておいででしたから・・・。」
帝は考えて女官長に言う。
「私が元気になったら、夜清涼殿に呼んでほしい・・・。」
「はい?更衣様をですか?」
「もちろん。いずれ女御として迎えたい・・・。梅壷更衣を当分の間部屋でゆっくりさせてやって欲しい・・・。いいね籐少納言。」
女官長は深々と頭を下げて承知する。帝はまた横になって侍医の診断を受ける。侍医は回復の兆しがあると判断し、あと半月静養するようにと帝に申し上げる。帝はうなずいて、侍医にお礼を言うと、侍医は深々と頭を下げて承香殿を退出していった。
《作者からの一言》
更衣はついに帝に気持ちを打ち明けました。もちろん更衣が必死に看病していたことに感激し、更衣の想いを受け入れることにしました。もちろんこれが鈴華と鈴音の対立を生むのですが・・・。
当時はしかという言い方であったかは疑問ですが、何度かこの時代に流行ってたくさんの人たちが命を落としています。今と違っていい薬などないのですから・・・。
第82章 梅壷更衣の初恋
幼い東宮や、姫宮が後宮で暮らすようになって後宮はとても明るくなった。そしてついに更衣と御匣殿が出仕してくる。まず、最初は鈴華の妹姫である鈴音が更衣として梅壷に入る。そして数日後に土御門殿の姫君が御匣殿として貞観殿に入った。もちろん土御門殿は娘が御匣殿として出仕することに疑問を持ったが、過去の例で御匣殿になった姫は女御になることが多いことから、それに期待をして出仕させた。内大臣の二の姫鈴音は純粋に更衣としての役割でこの内裏に呼ばれた。もちろん今の段階では帝自身、二人とも女御にさせるつもりはなく、土御門御匣殿(土御門殿の姫君)に関してはやはり院に薦められてしょうがなく出仕させたのだ。
梅壷更衣である鈴音は姉である藤壷女御の鈴華とともに清涼殿に呼ばれた。帝はまだ執務中であったので、藤壺女御の局で呼ばれるのを待つ。
「お姉さま、帝はどのような方ですか?」
と鈴音が鈴華にいうと鈴華はいう。
「とてもお優しくて素敵な方ですよ。私と同じ御歳なのよ。」
鈴音は以前、御簾越しであったが、今回初めて直接会う帝に憧れを抱きながら、呼ばれるのを待つ。すると女官長の籐少納言が来て二人を呼ぶ。
「藤壺女御様、梅壷更衣様、帝がお呼びです。どうぞお入りくださいませ。」
二人は立ち上がると、女官長に先導されながら、帝のいる昼の御前に案内される。帝は二人を御簾の中に入れ、話し出す。
「あなたが鈴華の妹君鈴音だね。よく来てくださいました。」
鈴音は帝に頭を下げると、黙ったまま帝を見つめている。
「鈴音、帝にご挨拶は?失礼ですわ。」
と鈴華がいうと、鈴音ははっと気がついて挨拶をする。
「初めてお目にかかります。内大臣二の姫藤原徳子と申します。」
帝は微笑んで鈴音に言う。
「やはり舞姫のときに見たかわいらしい姫君だね。鈴華によく似て・・・。今日から私の側で更衣としてお勤めしていただきます。もちろん更衣は私の着替えについての女官なのはご存知ですか?わからないことがあれば、私の側にいる女官たちに聞いたらいいよ。」
「はい!」
鈴音は元気いっぱい返事をする。
「後涼殿にあなたの局を別に用意させてあるから、普段はそちらに詰めなさい。いいですか?」
帝と鈴華がいろいろと歓談している姿を、鈴音はじっと見ている。鈴音の胸はどきどきと鼓動がし、鈴音は初めての感覚に襲われる。
(これは何?お姉さまと帝が話されている姿を見ているだけなのに・・・。)
鈴華は妹のおかしな表情に気づき、帝に言う。
「帝、梅壷更衣は体調があまりよくないようですわ・・・。これで退室を・・・。」
「そうだね・・・。梅壷更衣、下がっていいよ。まだ出仕したばかりだから落ち着いてからのお勤めでいいからね・・・。」
鈴華と鈴音は頭を下げて退出しようとすると、帝が鈴華に言う。
「鈴華、今夜こちらにいらっしゃい。いいですか?」
鈴華は赤い顔をして、会釈をすると鈴音とともに退出する。入れ替わりで、土御門の姫君御匣殿が入ってきて帝に挨拶をする。帝は二人のときとは違い、御簾越しに面会をする。何もなかった様子ですぐに清涼殿を退出する。藤壺に戻ってきた鈴華は、鈴音を招きいれ話をする。
「鈴音、どうしたのですか?なんだか変ですよ?いつもならご挨拶をきちんとできるのに・・・。」
「はい・・・お姉さま・・・。」
「あなたはうっかり者の私と違って、きちんとした性格だから・・・。帝はとても素敵な方でしょう・・・?私は初めて宇治でお会いしたとき、とても胸が高鳴り、夜も寝ることができずこの方となら一緒に居たいと思った人なのです。」
鈴音は鈴華の言葉を聞いてハッとした。
(私・・・帝に恋をしてしまったのかしら・・・。でも帝はお姉さまの・・・。)
そう思った瞬間鈴音は鈴華の夜のお召しがある今夜をとてもうらやましく思ったのです。
「藤壺女御様、弘徽殿中宮様が東宮様と一緒にこちらへ・・・。」
と、鈴華の女官が言うと、周りの者たちは急いで綾乃を迎える準備をする。
「お姉さま、弘徽殿中宮様って?」
「帝の初恋の方で、一番ご寵愛を受けていらっしゃる方ですよ。右大臣家の姫君で、私よりも二つ年下の方。東宮様の御生母で、とてもいい方ですわ。なんていうのかしら、私にとってお手本のような方で、なんでも御出来になるので、わからないこととかあればご相談すればいいわね。」
藤壺の表が騒がしくなると、幼い東宮を連れた綾乃が藤壺に入ってくる。
「中宮様、お呼び頂けましたらこちらから伺いますのにわざわざ・・・。」
すると綾乃は微笑んで言う。
「梅壷更衣様が帝に面会されたというので、こちらにおいでかしらと思って・・・。ちょうど東宮も姫宮を見たいというので・・・。」
姫宮の乳母が姫宮を連れて綾乃と東宮の前にやってくると、東宮は駆け寄って姫宮を眺める。
「おかあちゃま、かわいいね・・・。康仁の妹なんでしょ。」
「そうですよ。東宮の妹宮ですわ。仲良くなさいね。」
「おじいちゃまとおばあちゃまももうすぐ会いに来てくれるのでしょ。」
綾乃は微笑んで東宮に言う。
「ええ、十日後、宇治から院と皇太后様が東宮と姫宮に会いに来るのですよ。とても楽しみね・・・。鈴鹿様、久しぶりね。院と皇太后に直接会われるのは・・・。皇太后は帝の御生母ではないないのだけれど、とてもいい方なのです。」
「でも帝の御生母様は?」
「帝からお聞きにならなかったのですか?私のお父様、右大将の北の方和子女王様。帝には右大将家に弟君と妹君がおられるのですよ。あら、そちらが梅壷更衣様ね・・・。去年の豊明節会以来ね・・・。」
鈴音は綾乃に挨拶をすると、東宮は綾乃の後ろに隠れて鈴音を見つめる。
「おかあちゃま、だれ?」
綾乃は東宮を膝に座らせると、言う。
「お父様のお側にお仕えする更衣と言う女官の方ですよ。」
「おとうちゃまの?」
「そう・・・。鈴華様の妹君なのですよ。」
「鈴華ちゃまの?」
東宮は鈴華の元に走って鈴華の横に座る。鈴華は東宮の頭をなでると東宮は微笑んで、今度は乳母のところに行って帰ろうとせがむ。綾乃は東宮の乳母に梨壷に帰るように言うと、乳母と東宮は梨壷に戻っていった。
「さあ、私も帝にお会いしてから弘徽殿に戻ることにします。」
綾乃は鈴華に一言言うと、立ち上がって清涼殿へ向かった。鈴音は綾乃が下がったのを確認して、鈴華に言う。
「とてもお綺麗な方ですね・・・。あのようなお方に憧れてしまいます。きっと帝のご寵愛も相当なものなのでしょうね・・・。私も・・・・。」
鈴音はハッとして黙る。すると顔を赤らめて急に立ち上がり軽く会釈をすると、梅壷に帰っていった。梅壷に戻った鈴音は唐衣を脱ぐと、そのまま寝所にもぐりこんだ。鈴音の女房たちはおかしな鈴音の態度に心配し、鈴音の乳母が代表して寝所に入って様子を伺う。
「更衣様、どうかなさいましたか?清涼殿に参られてからおかしいですわ・・・。」
鈴音は乳母にそっと話す。
「帝に寵愛されている中宮様や女御のお姉さまがうらやましい・・・。私もお姉さまのように帝と・・・。」
乳母は驚いた様子で鈴音に言う。
「まあ・・・更衣様・・・。帝に恋をされたのですか?内大臣様にご相談をしないと・・・。」
「お父様やお姉さまには内緒にして・・・。身分違いの恋なのですから・・・。きっと帝は私などには振り向いていただけないのだから・・・。お姉さまがいるから・・・。姉妹で妃なんて・・・。無理だもの・・・」
というと泣いて寝所に籠もってしまった。
数日後、鈴音は初めて帝の側で更衣として清涼殿へ出仕する。帝が起きる前に起床し、唐衣に着替えると、まず後涼殿に詰める。今まで更衣の代わりをしていた女官が鈴音にいろいろ指導した後、そろそろ帝の起床ということで、清涼殿へ向かう。今日は初めてなので当分の間、女官たちがすることを見学し、覚えることになっている。帝は初出仕の鈴音に声をかける。
「今日は更衣の初出仕ですか?」
鈴音は頭を下げて挨拶をする。帝は微笑んで、朝餉を済まし着替える。鈴音は朝から忙しそうに行動する帝を目で追い、ため息をつく。帝の執務が始まると、鈴音は後涼殿に戻る。執務中はお呼びがなくとても退屈そうにしているので、鈴音の女房が鈴音のために物語や何やらを持ってくる。気がつくともう日が傾いていた。
「更衣様、藤壺女御様がこちらにおいでですが・・・。」
「え、お姉さまが?」
すると辺りが騒がしくなり、鈴華がやってくる。
「鈴音、どう?今日から更衣として帝のお側についたらしいわね。」
「はい・・・。なんだか女官の方々の速さについていけなくて・・・。今日は?」
「これから清涼殿に参るのですけれど、ちょっとあなたのことが気になって・・・。」
鈴華は心配そうな顔をして鈴音を見つめると、鈴音の前に座る。鈴音は鈴華に心配をかけさせないようにと微笑む。
「じゃあ、心配は要らないようね・・・。私のように鈍くさくはないのだから、何とかなるわね・・・。」
そういうと鈴華は清涼殿に向かう。すると少し経って女官がやってきて鈴音を呼ぶ。
「帝がお呼びですよ。女御様と一緒に夕餉をと・・・。さ、早くいらっしゃいませ。」
鈴音は身なりを整えて、清涼殿に入る。すると帝と鈴華は微笑んで鈴音を迎える。鈴音は顔を赤らめて帝を見つめ、下座に座る。鈴音は夕餉を食べているときもずっと帝を見つめていた。帝は鈴音の視線に気づき微笑むと、また鈴華といろいろ話し出す。夕餉が終わり三人は歓談する。やはり鈴音はあまり話そうとはせずに姉の鈴華と楽しそうに話している帝の方ばかり見ている。女官は鈴音を呼ぶと、鈴音に言う。
「更衣様、もうそろそろ帝のお休みの時間です。今から寝所の用意をしますので、私についてよくご覧ください。」
そういうと、夜の御殿に鈴音を連れて行き、寝所の準備の方法を教える。準備が整い、帝と鈴華が入ってくると、女官長と鈴音は几帳の陰に控える。帝は二人を気にするわけでもなく、いつものように立ったまま鈴華を抱きしめてキスをし、鈴華の着ている唐衣を脱がそうとすると、鈴華が言う。
「雅和様待って・・・。まだ鈴音が控えているようです・・・。」
「そういえばそうだね・・・。忘れていたよ・・・。籐少納言、もういいから更衣を梅壷に・・・。」
帝は顔を赤らめて、控えている籐少納言とと鈴音に言う。下がったのを確認すると、二人は小袖姿になって御帳台に入り話す。「更衣がいるを忘れていつものように・・・。」
「鈴音にはまだ・・・。」
「そうだね・・・。」
帝は改めて鈴華を抱きしめてキスをする。
「夕餉の時から気になっていたのだけれど、更衣はずっと私の顔ばかり見ていたのです。何かあったのかな・・・鈴華。」
「さあ・・・。」
鈴華はなんとなく鈴音の気持ちがわかっていたが、黙っていた。
一方梅壷に戻った鈴音は初恋の相手である帝と姉の鈴華が愛し合う姿を目の当たりにして、状況をわかっていながらもショックのため寝所で泣いてしまった。この晩は、鈴音は一睡もできずに、そのまま朝を迎えた。
《作者からの一言》
鈴音は帝の事が好きになったようです^^;もちろん帝は女御である姉鈴華の夫ですから、帝が鈴音を妃か妾として望まない限り、恋が叶う事などありません^^; もちろん今のところ帝は鈴音のことをなんとも思っておらず、ただの女官の一人であり、鈴華の妹なのです。だから鈴音が控えている前で堂々と鈴音といちゃいちゃ出来るわけです^^;帝よ、ちょっと鈍くないっすか??
第81章 鈴華の出産と失望
鈴華の妹君の宣旨が下り数日経った頃、鈴華は更衣出仕宣旨を知らされないまま無事に姫宮を出産する。出産後すぐに賜剣の儀が行われ、帝から健やかな成長を願って「守り刀」が贈られ、姫宮のまくら元へ置いた。姫宮の場合は袴も贈られる。五歳のときに行う着袴の儀で使うため、今回は赤紫の濃色の袴の目録のみが贈られた。とても帝によく似た可愛らしい姫宮で、お七夜の命名の儀にて「篤子」と名づけられ、同時に内親王の宣旨も行われた。もちろん皇子を期待していた内大臣をはじめ摂関家の者たちは落胆する。特に残念に思ったのは、土御門殿であって、娘の一の姫も姫君を出産したことにより、両家の密かな縁談話は水の泡となる。土御門殿は生まれた孫を東宮の妃がねとして扱うことに決めたのは言うまでもない。
内大臣は鈴華の母や鈴華の女房達、そして妹君、その女房達に言う。
「女御は、鈴音の更衣出仕を知らない・・・。今、女御は産後に不安定な時期であるから、鈴音のことは引き続き内密にな・・・。後宮に戻られるまで、頼んだよ。」
しかしこのような話はどこからか洩れるようで、産養を終え後宮に戻る準備する女御の耳に入る。
(信じられない・・・。あれほど鈴音の入内はないと仰せだったのに・・・。)
鈴華は帝の行動に失望すると共に、後宮に戻る日を延期した。
「え!藤壺女御が戻らないと言い張るのですか!」
内大臣は鈴華が戻らないと言い張るので清涼殿にお詫びに来たのだ。内大臣は申し訳なさそうな顔をしてお詫びを帝に申し上げた。帝が毎日のように鈴華に戻るように文を書くが、再三の文にも返事はなく、帝は思い詰めて公務中に内裏を抜け出し、止めに入る中務卿宮と源常隆を連れて堀川邸に前触れもなく馬で訪れる。
「開門!私は左近衛少将兼五位蔵人源常隆と申す。中務卿宮、今上帝のお出ましである。内大臣様、女御様にお会いしたい!直ちに開門せよ!」
門衛は急に訪れた朝服等(帝は麹塵袍に烏帽子、中務卿宮は白浮線綾丸文固地綾に冠、少将の束帯は緋色の闕腋砲袍)を着た三人に驚き、前触れもなかった上、何が何だかわからないようで、なかなか応じようとしなかったが、帝は我慢できずに直接門衛に向かって言う。
「早く開けないか!私は今上帝雅和である。我が妃藤壺女御に話がある。」
門衛は帝の着ている袍の色に気付き、驚いて門を開ける。この騒ぎで内大臣の従者がやって来て中務卿宮と左近少将を確認すると、慌てて頭を下げる。
「これはこれは・・・中務卿宮様と左近少将様!」
そして帝の中務卿宮時代の姿を知っているこの従者は帝の姿に気がつくとさらに驚いて帝を馬に乗せたまま帝の乗った馬を引き、東中門を通り寝殿前まで案内する。帝は寝殿前で馬から下りると、急いでやってきた内大臣に言う。
「突然堀川邸に来て申し訳ない。女御に会いたい。今すぐにだ!」
この騒ぎで様々な女房達が集まってくる。もちろん女御の女房もやって来て急いで部屋に戻り鈴華に言う。
「女御様!み、帝が・・・。こちらにお出ましに・・・。」
急な帝のお出ましに、部屋中慌てて帝を迎える準備をする。
「いや!帝にはお会いしません!」
「女御様・・・。」
帝は内大臣に先導されて、鈴華の対の屋にやってくる。鈴華は塗籠に籠もり扉を閉めてしまった。帝は塗籠の前に座ると鈴華に話しかける。
「鈴華、どうして帰って来て頂けないのでしょうか?何処か体が良くないのですか?なぜです。」
「帝・・・お帰りください・・・。帝には失望いたしました・・・。」
「鈴華、この私の何に失望したのですか?」
鈴華は泣きながら帝に言う。
「帝自身が一番おわかりでしょう!」
「鈴華・・・。ひとまず塗籠から出てゆっくり話をしましょう。」
「嫌です・・・。」
すると帝は残念そうな顔をしたが、ふと何かを思いついて内大臣に言う。
「内大臣、今すぐ姫宮篤子の参内の準備をしなさい。今すぐ姫宮のみ連れて帰ります。姫宮は中宮のもとで育てさせます。鈴華、いいですね?」
内大臣は慌てて女房達に準備をさせる。もともといつでも後宮に入る準備が出来ているので、すぐに姫宮の参内の準備が整う。
「帝、内親王様の参内準備が整いましたが・・・。」
「ありがとう、内大臣殿。」
帝が姫宮とその乳母を連れて部屋を退室しようとすると、塗籠が開き、鈴華が出てくる。
「篤子を連れて行かないでください!わたくしから篤子を取り上げないでください!帝!」
泣きながら鈴華は帝のもとに駆け寄ると、帝の袖を引っ張る。すると帝は鈴華の腕をつかむと引き寄せて抱きしめる。
「やっと出てきていただけましたね・・・鈴華・・・。すみません、こうしないと・・・。内大臣、二人きりにさせてください。」
内大臣は部屋にいるものたちを下がらせると、内大臣も退出して行った。帝は鈴華を部屋の奥に座らせると、鈴華の前に座る。
「何を失望したのか遠慮せずに言いなさい。」
鈴華はうつむいたままで何も話さなかったが、帝は鈴華を抱きしめて優しい言葉でさらに問いかける。
「どうかしたの?いってごらん。鈴華・・・あなたらしくない・・・。今まで何でもいってくれたじゃないか・・・。」
「鈴音のことです・・・。鈴音が更衣として入内する事を聞きました。」
「ああ・・・。本当のことだよ。でも純粋に更衣として来て頂きたいだけだから・・・。妃としてではありません。また私もそのように扱うつもりはありません。私には更衣という女官がいないので・・・今いる女官は父上の代からいる女官で、もうそろそろ院のほうにお返ししようと思っているのです・・・。もし、妹君に好きな人が出来て結婚されることがあれば、内裏を出られても構わないのです。もちろんまだ裳着を終えられたばかりというので、寂しいだろうから、お部屋は鈴華の御殿の隣にある梅壺と考えています。それなら鈴華と会えるのですから・・・・。わかっていただけますか?」
鈴華はまだ納得がいかないようで、下を向いたまま泣いている。
「もし、鈴音が帝の事を好きになった場合は?帝が鈴音の事をお好きになられた場合は?どうするおつもりですか?」
と鈴華は帝に言うと、帝は困った顔で言う。
「そうですね・・・。その時になってみないとわかりませんが・・・。今のところはありません・・・。今のところ更衣として出仕していただくのみです・・・。まだあと数人更衣として出仕していただくことになるのですよ。鈴華は私の妃です。とても大切な・・・。それだけはわかってください。何人更衣などの女官を側に置こうとも、鈴華への想いは変わりません。」
そういうと鈴華の顔を見つめ鈴華にキスをする。
「鈴華。いつになったら後宮に戻ってきていただけるのでしょうか?」
「雅和様・・・・篤子をこのわたくしからお取り上げにならないのでしたら、数日後、篤子を連れて後宮に戻ります。」
帝はほっとした表情で、鈴華を再び抱きしめる。
「すまない・・・さっきの姫宮のことは鈴華を塗籠から出す策だったのです・・・。あなたから姫宮を取り上げることなどできるわけありません・・・。姫宮ですので藤壺にて養育してもかもいませんよ・・・。それが鈴華の願いであれば・・・。」
鈴華はうなずくと、帝の胸に顔を沈める。二人は黙ったまま、時間が経っていく。
数日後、鈴華は姫宮を連れて藤壺に戻ってきた。そして清涼殿に姫宮をつれ、改めて帝に姫宮篤子を見せる。
「鈴華、戻ってきてくれてありがとう・・・。一時はどうなるかと思ったよ・・・。」
鈴華は姫宮を帝に渡すと、帝は姫宮の頬を触ったりして微笑むと、側にいた綾乃にも姫宮を見せる。
「鈴華様、とてもかわいらしい姫宮ですわ・・・。とても帝によく似て・・・。」
綾乃は微笑んで鈴華に姫宮を返す。
「羨ましいですわ・・・鈴華様。藤壺で姫宮をお育てになるそうですね・・・。私の東宮もこの後宮でお育て出来たらいいのですが・・・・。」
すると、帝は綾乃に言う。
「綾乃。後宮の御殿がたくさん空いているので、右大臣邸から東宮を梨壺に移すようにしよう。そうすれば綾乃も寂しくはないだろう?」
帝はそのように決め、数ヵ月後幼い東宮は右大臣から東宮御所として賜った梨壺に移り、そちらでこの先ずっと過ごしていくこととなった。
《作者からの一言》
内裏から帝が抜け出すなんて^^;現実では絶対ないでしょうね^^;ホントに鈴華は納得したのかは疑問ですが、まあ後宮に戻ってやれやれでしょうね^^;
第80章 中務卿宮の苦悩
年が明けて、毎年のように年明けの行事が行われ中務卿宮は藤壺女御が里帰り中の堀川邸に新年の宴のご招待を受けてやってくる。それを知った帝は藤壺女御の様子を伺ってくるように頼んだ。昨年の堀川邸の宴は、女御の入内祝いを兼ねた盛大な宴であった。今年の宴は来月の女御の出産を祈願して、それ以上に盛大である。中務卿宮は、帝の使いとして女御の部屋を訪れご機嫌伺いをすると、寝殿にいる内大臣と話をする。
「女御様はお元気で何より。帝も安堵されることでしょう。」
「宮様、女御は毎日健やかに過ごしております。お腹のお子も順調のようで、来月初めには生まれてくるとのことです。」
すると中務卿宮はそっと内大臣の側に近づくと、扇で口元を隠し、宴に来ている者たちに聞こえないような声で内大臣にある事を聞く。
「内大臣殿の二の姫には決まった方がおられるのでしょうか・・・?」
内大臣は不思議そうな顔をして答える。
「いいえ、今のところまだ裳着を終えたばかりの姫ですので、そのような縁談は・・・もしかして宮様が?お気に召されたのですか?」
中務卿宮はその言葉につい噴出してしまう。
「私ではありませんよ。すみませんここでは話しづらい内容ですので、どこか別室をご用意願いませんか?」
内大臣は女房に指示をして客間を片付けさせ、そちらに中務卿宮を案内する。客間に通され、人払いをすると、中務卿宮は内大臣に話を始める。
「私ではなく、帝のことなのですよ。まだはっきりとは帝に返事をいただけてはいないのですが、二の姫を帝の更衣として出仕していただけないかと・・・。」
「しかし、姉妹で後宮に入るなど・・・。」
「豊明節会の際、帝はあなたの二の姫に興味を持たれましてね・・・。正式に出仕をさせたいとは言われてはいないのですが・・・。姉妹の後宮入りは前例がないわけではありません。あくまでも妃や側室としてではなく、女官として入っていただきたいのです。もしその気持ちがおありでしたら話を進めさせていただきたいのですが・・・。もしお断りになられるのでしたら、もう一人候補の姫君がおられますのでそちらに話を・・・。」
内大臣は困った様子で考え込む。
「わかりました・・・話を進めていただけますか?」
中務卿宮はうなずくと、立ち上がって内大臣と共に宴に戻っていった。もちろんこのことは内々的に帝と話し、帝の承知の上で話を進めていることである。また中務卿宮は次の日に行われる左大臣家にも同じような内容の話をしに行かないといけないのである。もちろん左大臣家の姫も、妃という形ではなく、女官として話を持ちかけることになっている。こちらは土御門摂関家であるので、女官としての出仕は断られそうな気がしているが、帝自身妃はもう要らないと断言しているので、女官として話を進めることにしている。次の日、左大臣家にその内容を伝えると案の定断られた。左大臣はたいそう立腹しこう話す。
「中務卿宮殿、うちは帝の東宮時代に一の姫を入内させようといたしましたが、内定していたのにもかかわらず突然断られ、泣く泣く他家から婿を迎えました。今度こそは二の姫を女御として入内させていただこうと申し入れしているのです!それを女官ですと?恐れ多くも帝や宮様の従姉妹の姫君ですぞ!何をお考えなのでしょう!女官での出仕はお断りです!」
中務卿宮はうなだれながら、宴の会場に戻ろうし、北の対の屋の前を通ると、声を掛けられる。
「殿・・・。」
中務卿宮はその声のほうに向かうと御簾の隙間から中務卿宮の妃である結姫が覗き込む。もともと中務卿宮の父院の兄宮の内親王であるが、様々な理由により土御門家の養女となり、丁度土御門家に里帰りしてきている。
「結子・・・。」
中務卿宮は結子姫のいる北の対の屋の一室に招きいれられると、そこには左大臣の正妻で、父院と同腹の妹君が座っている。
「これは叔母上・・・。何か御用でしょうか?」
左大臣の北の方は真剣な顔で中務卿宮に話しかける。
「宮様、あなたは帝の側に一番近い方だと思って申し上げますが、殿はどうしても当家の姫を入内させたいようで、何とか帝を説得してくださらないかしら・・・。もちろん二の姫は私の子です。昨年の五節舞で舞姫を務めました。それも中央で・・・。歳は16。親ばかかもしれませんが、当家の三人の姫の中でも一番麗しく、利発で明るい姫なのです・・・。歌やお琴などはもちろん、姫君には珍しく漢学なども嗜んでおります。私は皇族出身ですので宮中の堅苦しさはよく知っています。私としてはあまりそのようなところに入れたいとは思わないのですが、殿がどうしてもと・・・。」
中務卿宮は困った顔で言う。
「しかし、帝はもう妃は必要ないと仰せですので・・・。後宮にお入れするには尚侍や更衣・・・。それも更衣はもう一人入られる予定なのです。わかっていただけないでしょうか?」
すると結子姫が中務卿宮にいう。
「殿、お父様はこの入内が叶わないのであれば、私達の安子女王を土御門家の養女にいただけないかといわれたのです。どういうことかお分かりですか?」
「もしかして東宮と婚約でもさせるつもりなのですか?」
結子姫はうなずくと、悲しそうに下を向く。中務卿宮は怒って立ち上がり、寝殿にいる左大臣にもとにいく。
「左大臣殿。結子から聞きました。当宮家の生まれたばかりの姫宮まであなたの出世の道具になさるおつもりですか!もう結構です。何とか入内の橋渡しをしようと思ったのですが・・・。女官として入られたとしても帝のお気持ちによってはお家柄女御になられるかもしれないのです。これから何を言われようとも帝に働きかけるつもりはありません。では私は結子と姫宮をつれて帰ります。」
すると左大臣は慌てた様子で内諾する。しかし中務卿宮の怒りは収まらず、無言のまま結子姫や姫宮と共に一条院に戻っていく。
次の日朝一番に清涼殿に参内すると、帝のいる御簾の中に入り内密に報告する。
「出仕の件、両家とも内諾させました。」
「兄上、このような役をさせてしまってすみません。」
「いいえ、更衣などの件は父上の思し召しでもありますから・・・。」
「父上の思し召しでなければ、あの姫君たちを出仕させたくはないのだけれども・・・。では兄上、例の件よろしくお願いします。」
中務卿宮が下がったのを確認すると、帝はため息をついて側に控えていた綾乃を呼ぶ。
「綾乃、聞こえたでしょう。そういうことだから、中宮としていろいろ頼みますよ。」
「はい・・・。しかし鈴華様はどう思われるでしょう・・・。妹君まで後宮に・・・。」
「鈴華には私からきちんと話すから・・・。」
新年の儀礼がすべて終わり落ち着いた頃土御門左大臣家の二の姫と堀川内大臣家の二の姫の出仕宣旨が下る。
《作者からの一言》
どうしてこのような話になったかは疑問?立場上なのかもしれません・・・。かわいそうなのは鈴華でしょうね・・・。
第79章 霜月の大節会
今年の霜月に行われる節会は新帝即位の年であるので大変盛大に行われる。大新嘗祭は、即位に関する最も重要な儀礼のひとつであり、実質的に践祚(せんそ:帝の位を受け継ぐこと)の儀式にあたる。もちろん一代で一回きりの盛大な祭であるので、帝の兄宮である中務卿宮は先代即位の年に行われた儀礼について書かれた書物を持って清涼殿にやって来て帝と共に読み漁る。もう二十年も前のことなので、なかなかはっきりと覚えているものは少ないのである。もちろん帝も中務卿宮も生まれてはいないか物心ついた頃ではないので、まったく知らない。中務卿宮は宇治の院へ当時の様子を父院に聞きに行ったり隠居している前関白に聞きに行ったりと忙しく動き回ったりもしている。
今年は盛大に行われるためか、五節の舞の舞姫も通常の四人から五人に増やさなければならなく、後宮から一人、公卿から三人、受領から一人と通達を出し、なかなか決まらなかったものの、何とか候補の姫君が出揃う。、後宮からは鈴華の妹姫である内大臣の二の姫、公卿からは左大臣の二の姫、権大納言と左大将の姫君たち、受領からは近江守の姫君が選ばれた。後宮の一室を借りて五人の舞姫と、お付の女童が集まり五節の舞の練習をする。この舞姫に出す家は相当財がかかる。身分は低いものの舞姫に出る受領はまだ裕福な家柄である。特に左大臣や権大納言、左大将は舞姫に出した我が娘が帝の目に留まり、入内があるかもしれないと財を惜しみなく使った。霜月丑の日、舞姫参入後、綾乃は舞姫たちの練習風景を見て、気がついたところを意見したりした。鈴華も数年前一度だけ舞姫に出たことがあり、懐かしそうに舞を見つめる。
「鈴華様も出たことがあったのですか?」
「はい・・・十四の頃。恥ずかしながら・・・何度も失敗してお父様に恥をかかせてしまいましたが・・・。」
だいたい平均十五歳くらいの年頃の姫君が今回は集まっている。下は裳着したての姫もおり、可愛らしく一生懸命練習をしているのを見て微笑みながら二人は見ていた。
「鈴華様、どちらの姫君が鈴華様の妹君なのですか?」
「一番小さな姫ですのよ。」
「まあ、鈴華様によく似ていらっしゃること・・・。一生懸命で微笑ましいこと・・・。」
「妹のほうがわたくしよりも何をさせても上手にできるのです。わたくしは四人兄弟の仲で一番出来が悪くて・・・。」
鈴華は恥ずかしそうに扇で顔を隠して苦笑する。
「そんなことはありませんわ・・・。鈴華様は努力家ですもの・・・。」
綾乃は微笑む。すると綾乃は真剣な顔をして鈴華に言う。
「鈴華様、この中から数人入内される方がおられそうですわね・・・。」
「中宮様、どういうことですか?」
「帝のお気に召しそうな姫君がおられるって事です・・・・。なんとなくわたくしの勘ですけれど・・・。」
綾乃の勘はよくあたる。もちろん家柄がどうのこうのという帝ではない。もちろん中宮と女御のみではいけないということで、入内の申し入れが絶えないのは真実ではある。
「鈴華様、そろそろ帳台試が始まるわ。常寧殿へ参りましょう。」
そういうと綾乃は舞姫の控え室代わりの御殿を出て、常寧殿に向かう。もうすでに帝は常寧殿の上座に座っており、二人を待ち構えていた。
「お二人とも仲良くどちらに?」
帝は綾乃と鈴華に声を掛けると、二人は顔をあわせて微笑む。
「鈴華様と一緒に舞姫たちを見て来たのです。鈴華様も五年前に舞姫であられたとかで、盛り上がってしまって、こちらに来るのが遅れてしまいましたの。」
「え?鈴華が舞姫に?まだ私は元服前でよく覚えてはいなかったけれど・・・。」
鈴華は扇で恥ずかしそうに顔を隠す。綾乃と鈴華は帝の横に座り、舞姫についての話をしていると、帳台試が始まり、御簾越しではあるが、五人の舞姫たちの舞う姿を三人で歓談しながら見る。一番小さな姫が鈴華の妹姫である事を知り、帝は微笑む。
「小さい姫ではあるけれど、一番がんばっているね。鈴華。名前はなんていうの?」
「鈴音です。最近裳着を終えた四人の兄弟で一番小さい姫なのです。」
「ほんとにかわいらしい姫だね・・・。」
帝はその小さな姫に興味を持ったようで、鈴華に鈴音のことについていろいろ聞いてくる。綾乃はもしやと思ったが、帝が姉妹揃っての入内はさせないであろうと思う。もちろん帝もそのつもりは一切なく、ただなんとなく興味を持っただけだった。帳台試が終了すると、帝は舞姫たちに一言言い、常寧殿を退出していった。この日から毎日のように予行演習である清涼殿で行われる御前試、大新嘗祭の日に行われる童女御覧がある。毎回帝は舞を見てきちんと感想を述べていく。夜になると、帝は大新嘗祭の神事に向け、身を清め、儀礼の装束に着替えると、賢所に拝礼し、いろいろな神々や先祖代々の帝の霊に一年間の五穀豊穣のお礼と祈願を行うと共に、新帝として即位した事を正式に報告する。もちろん帝はこの日のためにいろいろ資料などを見聞するなどして勉強した。何とか滞りなく大新嘗祭が終了し、大変疲れた様子で、清涼殿に戻ってくる。綾乃は夜の御殿で帝を待ち、無事儀礼を終えて帰ってきた帝を笑顔で出迎える。もちろんこの光景は以前、帝が東宮時代に綾乃が夢で見た光景そのものであった。
「綾乃ずっとここで待っていてくれたの?」
「はい。はじめは鈴華様もいらしたのですけれども、身重の大事なお体ですので、先に藤壺にお帰りになりました。」
「そう・・・鈴華もいたのか・・・。」
綾乃は女官を呼び、帝の装束を着替えさせるように指示をする。大変疲れた様子で帝は御帳台に腰掛けると、そのまま横になってしまった。
「綾乃もこっちにおいでよ・・・。」
「いえ、私はこれから弘徽殿に戻ります。あと三日儀礼がございますので、ごゆっくり・・・。」
帝はふくれた顔をして綾乃が退出していくのを見る。そして疲れているからか、すぐに帝は眠ってしまった。
普段の霜月の節会であれば、新嘗祭のあと豊明節会があるのだが、今年は即位後初めての大新嘗祭に当たるため、豊明節会のとの間に大嘗祭の翌日の悠紀の節会、翌々日の主紀の節会をはさみ、三日後の午の日に豊明節会が行われる。節会好きの群臣にとってはとてもうれしい限りではあるが、帝である立場上、楽しみたくても楽しめない。もともとあまり酒が得意ではないので、よけいにである。帝は特に今年は早く節会を終え、日常の生活に戻りたいと思う。
豊明節会当日、豊楽殿にて節会が行われる。帝は黄櫨染御袍を着て出御し、様々な儀礼を行った後、群臣達に酒を振舞う。大歌や催馬楽を大歌所の別当が歌ったり、国(くに栖す)が供物を献じて歌笛を奏したりするのを帝が群臣と共に見る。帝の右横には帝の兄、中務卿宮が座り、お酒をあまり好まない帝の話し相手をする。また左横には几帳で区切って中宮の綾乃と女御の鈴華が座って楽しそうに話している。もちろん東宮である御年二歳の康仁親王も乳母に抱かれてきている。小さな東宮は何もかもに興味を示し、じっとしていないので、帝のところに行って膝に座り、父である帝の頬を触ったり、耳を引っ張ったりして遊んだり、母である中宮のもとに行っては何か耳元で話してみたりする。招待を受けていた先帝である院や皇太后もそのような微笑ましい光景を見てなにやら話しながら微笑んでいる。一番冷や冷やしているのは東宮の乳母である。節会は大変盛り上がり、最後に五節舞が披露される。舞姫たちは豊楽殿の庭に設置された舞台に現れ、緊張した表情で舞い始めの位置につく。舞が始まると、中務卿宮は帝に話しかける。
「帝、舞姫の中に気に入った姫君はおられますか?今年の姫君はなんとも麗しい姫君の多いこと・・・父上はあの中から好みの姫君を御側につけたらいかがなものかと仰せです。」
「兄上・・・。」
中務卿宮は帝の耳元でこっそりという。
「あの一番小さな姫君などいかがでしょうか?とても可愛いではありませんか・・・。あの真ん中の姫君は?とても表情豊かに舞っている。この二人の姫君が私のお薦めでしょうか・・・。」
「兄上、真ん中の姫はどの方の姫かは知りませんが、あの小さな姫は藤壺女御の妹君なのですよ。」
「ほう・・・ということは、女御様はとてもお綺麗な方なのですね・・・。羨ましい・・・。では気になっておられるのでしたら、あの姫も側に・・・。更衣としてでもいいではありませんか・・・。今まで姉妹で入内された例はたくさんあります。」
帝は困った様子で舞を見つめる。
「しかしね・・・女御がどう思うかな・・・。」
「帝、更衣をあと数人は必要ですよ。今はほとんどが父上の代からの女官ですからね・・・。そろそろ・・・。」
「兄上、考えておきます・・・。」
帝は苦笑して五節舞を見続ける。綾乃や鈴華は帝と中務卿宮がこのような話をしているとはまったく知らず、楽しそうに話しながら眺めている。五節舞が終了すると、帝は退出し、清涼殿へ戻る。院や皇太后は帝に挨拶をすると、今日はもう遅いので宇治には帰らず、後宮の一室に泊まって帰る事になっている。鈴華は院や皇太后に挨拶をすると、身重のため早々と藤壺に戻っていく。皇太后が帝に言う。
「とても麗しい女御ね・・・。とても寵愛されているのがわかりますわ。とても幸せそうなお顔をしていらっしゃるもの・・・。ところでもうそろそろ着帯をしないといけないのではなくて?」
「そうですね・・・。次の戌の日にしようと思っているのですよ・・・。その次は師走で忙しいですからね・・・。あと四日後ですので準備はしているのです。早めの里下がりもさせようと思っていますし・・・。」
皇太后は鈴華のためにお祝いの腹帯を用意するといい、帝も感謝して着帯の儀を行うことに決めた。この四日後、藤壺において鈴華の着帯の儀がしきたりに則って行われた。鈴華は益々もうすぐ生まれてくる帝との御子を大切に思い、師走に入るとすぐ早めに三条にある堀川邸に里下がりをした。
《作者からの一言》
新帝初の新嘗祭・・・とても盛大に行われます。本当に1代に1回なので、相当盛大だとききます。
5年前、まだ帝が元服前に鈴華は舞姫として出ていたのですが、覚えておらず、ぜんぜん鈴華は印象の薄い姫君でした^^;まあ当時鈴華は東三条家の右近少将と婚約していましたけどね・・・^^;
鈴華と対照的なしっかり者の鈴音・・・。この二人の行く末は???