第98章 綾乃の最期
帝は毎日を不安な気持ちで過ごしていた。様々の者たちが帝の御前にやってきて報告するたびに「もしや・・・」と思うまで毎日をびくびくして暮らしている。あの綾乃の後宮脱出事件からふた月が経ち、桜が終わってもうそろそろ綾乃が好きだった橘の花が咲こうとしている。清涼殿から見える思い出の右近の橘もつぼみが出来、そろそろ咲こうとしているのである。
(綾乃に初めて恋文を出したのはもう十三年も前か・・・。あの時は父上に頼んで右近の橘の初咲きの枝をいただき文につけて綾乃に送ったっけ・・・。)
そう思うと、帝は御簾を出て、すのこ縁から庭に飛び降りて右近の橘の木の元に走っていく。もう初咲きのつぼみが咲こうとしているのを見て、居てもたってもいられず守り刀を懐から取り出すと、その今にも咲きそうな枝を切り、清涼殿に戻る。その行動を見ていた頭中将はついに綾乃の居る宇治の別荘を帝に報告しようと決心をした。帝は切り取った橘の枝を女官が用意した水の入った器につけると、御料紙を用意してなにやら何かを書き出した。度々筆を止めると思い出したかのようにまた書き始める。籐少納言を呼ぶと、耳元で何かをささやくと籐少納言は二階厨子から小さな香入れを取り出し、香焚き染める。
「帝・・・この香は・・・・もしかして・・・。」
「頭中将、気が付いた?これは帝位に就く前に使っていた香だよ。」
「あの・・・皇后様のご療養地なのですが・・・・。実は知っております。」
帝は頭中将の言葉にハッとして頭中将に聞く。
「大体の見当はついていたのだが、詳しくは・・・。どこ?なぜ知ってるの?」
「申し訳ありません、内大臣様のご命令で、皇后様をお運びしたのはこの私だからです・・・。」
「そう・・・なんとなくわかっていたよ・・・。どこ?」
「宇治の皇太后様の母君のお邸でございます・・・。そちらに・・・。」
「ああ、やはり・・・皇后の生まれた邸だね・・・。さっきもだめもとで文を送ろうと思っていたところ・・・。」
頭中将は帝に申し上げる。
「それなら、直接お届けになられたらいかがでしょう・・・。帝としてではなく、宮様として・・・。今からご用意いたしましょう・・・。」
帝はうなずくと、頭中将は馬の用意をする。すると籐少納言が気を利かせて先程の香を焚き染めた狩衣一式を用意し、帝に着せる。
「帝、雅和親王として綾乃様のもとに行ってらっしゃいませ・・・。」
「ありがとう・・・籐少納言。関白殿を呼んでくれないか・・・。」
帝に呼ばれた関白は何事かという様子で御前に来ると、狩衣姿の帝に驚く。
「帝、どちらへ?」
「今から宇治へ行ってくる。私がいない間、頼んだよ。いつもどおりに・・・。あなたにお任せします。何かあれば宇治院に使者をお願いします。」
「しかし・・・いつお帰りですか?」
「わからない。頭中将を供に連れて行くから・・・。」
「御意。」
頭中将は帝の馬を用意し清涼殿の庭に連れてくると、帝は切り取った橘の枝と文を持って馬に飛び乗り、内裏を抜け出した。大内裏を出ようとしたときに中務卿宮に呼び止められる。
「頭中将!どちらへ!!」
すると帝が前に出ていう。
「兄上、綾乃に会ってきます。一応関白殿に頼んできましたが、内大臣がまだ出仕を控えているため、何かあっても引き止めるものがいない。兄上、私の代理として摂関家の者たちの監視をお願いします。」
中務卿宮はうなずくと、帝たちは馬を走らせる。都を出て宇治に到着すると、邸の手前で馬を止める。
「宮様、どうかなさいましたか?」
「いや・・・。なんだか・・・。常隆、お前が代わりに届けてくれないか・・・。」
「宮様・・・。宮様がお届けするべきです。さあ、勇気をお出しになって・・・。」
帝は一息ついて、意を決し綾乃が生まれた別邸前に着く。馬を止めると、邸の門衛が近寄ってくる。
「この邸に何か御用でしょうか?」
頭中将は馬上から門衛に言う。
「私は頭中将源常隆と申す。こちらにおわす方は先帝である宇治院二の宮雅和親王様であられる。開門をお願いしたい。」
「こちらの主、静宮様にお目通りをお願いしたい。」
すると門衛の一人は中に入り、この訪問者たちのことを静宮の女房に伝えに行く。それを聞いた女房は、静宮に伝える。
「宮様、門前に頭中将様と、宇治院二の宮雅和親王様とおっしゃる方が宮様にお目通りをと・・・。」
静宮はハッとして女房に言う。
「雅和親王様というと今上帝ですよ!いつまで門の前にお待たせさせるつもり!早くこちらへお通ししなさい!」
女房は驚くと、急いで門衛に伝える。門衛も狩衣を着た男の正体に驚き、急いで門を開け、帝を馬上に乗せたまま静宮のいる寝殿まで案内する。帝は馬から下りて、少し乱れた狩衣を直すと、静宮の女房に案内されて静宮の前に座る。頭中将は寝殿表のすのこ縁にて待っていた。
「お久しぶりでございます。静宮様。大変お元気そうで・・・。もうあれから八年・・・。あの時は大変お世話になりました・・・。」
「どうかなさったのですか?」
「いえ、こちらにある姫君をかくまっておられると聞きましたので・・・。」
「さあ、ある姫君とは?」
「あなたの孫に当たられる綾乃姫こと、私の妃、源祥子姫でございます。会わせて頂けないでしょうか・・・。一目でもいい・・・。綾乃に・・・会わせて下さい・・・。」
静宮は困った表情で帝を見つめる。すると帝は懐から、大事そうに橘の枝と文を取り出し、
いう。
「本当でしたら、これを直接綾乃に届けたかったのです。これは初咲の右近の橘・・・。私は生まれて初めて綾乃に恋文を差し上げたときに添えたものと同じ初咲きの橘・・・。ではこれを綾乃に渡していただけますか?」
帝は悲しそうな顔をしてその橘の枝を眺めていると静宮が言う。
「わかりました。宮様が直接綾乃姫にお渡しください。きっと綾乃姫は喜びます・・・。部屋は綾乃姫が生まれた部屋・・・・わかりますね?」
帝はうなずくと静宮に礼を言って綾乃のいる部屋に向かう。一方綾乃は何とか一日一日を大事に生きていた。毎日のように皇太后が看病をし、綾乃は皇太后に支えられて庭を見つめて季節の移り変わりを眺めていた。
「綾乃、見て・・・今日はなんとたくさんの雀が・・・。」
「ええ・・・。」
綾乃は微かだが、懐かしい香りに気が付く。
「この香り・・・お母様・・・この香りは・・・。」
綾乃は涙を浮かべ、香りのするほうを見つめる。すると懐かしい香りと共に懐かしい姿が目に入る。
「お母様・・・幻かしら・・・。雅和様が・・・。雅和様が・・・。」
「ええ、綾乃・・・雅和親王様です・・・幻ではありませんよ・・・。あんなに夢にまで見た、雅和親王様がこちらに・・・。」
皇太后も涙を浮かべて帝を見つめる。帝は綾乃の側に近づき、初めて綾乃に恋文を渡したときと同じような満面の笑みで右近の橘の枝と文を綾乃に渡す。
「綾乃、橘の花だよ。綾乃が好きって言っていたから、今年初めての右近の橘の花を綾乃に見せたかったんだ・・・。」
綾乃は微笑んで言う。
「雅和様が初めて私にくださった恋文と同じですね・・・。あの時はとてもうれしかった・・・。生まれてはじめて頂いた恋文でしたもの・・・。」
綾乃が文を開くと、今まで帝が綾乃に出した思い出の歌がすべて書かれていた。綾乃はうれしさのあまり、帝に抱きつく。
「どうしても会いたかったんだ・・・。毎日綾乃との思い出が夢に出てくる。初咲きの橘を見ると我慢できなくなって、内裏を抜け出して、頭中将とここまで馬を走らせてきた。会えてよかった・・・。」
「私も・・・毎日のように雅和様が夢に・・・。懐かしいこの匂い・・・。」
「今日は帝としてここに来たのではない・・・。雅和親王としてここにきた。だから・・・。」
「これこそ雅和様の・・・・雅和様の匂いです・・・。ホントに懐かしい・・・。」
綾乃は安心した表情でまぶたを閉じる。
「綾乃?」
急に重くなった感じがし、帝はさらに声をかける。
「綾乃・・・起きて・・・。」
帝の袖を握り締めていた綾乃の手は袖を離れ、力をなくした。
「綾乃!」
綾乃は最愛の帝の胸の中で静かに息を引き取った。綾乃の顔はまるですべての苦痛から開放されたように、とても幸せそうな顔をしていた。皇太后をはじめ、周りの者たちは嘆き悲しみ、泣き叫ぶものもいた。帝は綾乃の亡骸を離そうとせず、泣き叫んでいた。帝が宇治に向かったと聞いた内大臣は綾乃の死から少し経って到着した。綾乃を抱きしめたまま泣いている帝を見て、内大臣は頭中将を呼び、皇后崩御を内裏に伝えさせる。頭中将は急いで馬にまたがり内裏に向かって走らせた。
「帝・・・もういいでしょう・・・。綾乃はもう旅立ちました・・・。寝かせてやってください・・。」
内大臣は帝に声をかけると、帝は名残惜しそうに綾乃の亡骸を横にさせる。綾乃は本当生きて眠っているような顔をしていた。
「これでよかったのかな・・・内大臣・・・。」
「はい・・・綾乃はきっと幸せだったに違いありません・・・。この表情を見ればわかります・・・。」
帝は綾乃の胸の辺りに、橘の花と文をそっとのせる。つぼみだった橘の枝は全部花が咲いていた。まるで綾乃のように可愛らしく綺麗な花が・・・。
《作者からの一言》
結局最期を看取った帝。本当は綾乃は帝に会いたかったのでしょう・・・。幸せだったでしょうね・・・。
第97章 密かな脱出
綾乃はなんだか調子がいい。内大臣である綾乃の父は右大臣と共に、帝を清涼殿から出さないようにいろいろな議題を出したり、世間話をしたり、時間稼ぎをしている。その間に弘徽殿では、内大臣の部下である頭中将が、弘徽殿に寄せられた皇太后の車に皇后を抱き上げて皇后を乗せた。
「内大臣様からや皇太后様から伺いました。皇后様、私も微力ながら脱出のお手伝いを・・・。大袈裟にはできませんが、私が皇太后様の車の警護に当たります。ですからご安心を・・・。」
皇后はうなずくと、皇太后の膝に頭を置いて横になった。準備が整うと、皇太后は言う。
「小宰相、あとは頼みましたよ。また文を書きますから・・・。」
「お任せください、皇太后様。」
車が動き出すと、綾乃は痛みに耐えながら、早く内裏、そして都から出ないかと思う。難なく後宮や大内裏の門を通ると、皇太后や頭中将はほっとして宇治へを急ぐ。皇太后の車には数人の随身、牛飼い童、そして警護役の頭中将しか付いていないひっそりとした車である。皇族の印が付いた車である以外は本当に質素である。度々痛みに苦しむ皇后のために、頭中将は車を止めたりはしているが、やはり時間がかかってしまうので、皇后が言う。
「私のことはいいわ・・・。早く急いで宇治へ・・・。」
頭中将は気にしながらも、急いで牛車を走らせた。なんとか日が陰る前に皇太后の母が住む別荘に着く。そして綾乃が生まれ育った部屋に頭中将が皇后を抱いて運ぶと、寝所に横にさせた。そして頭中将は頭を深々とさげると部屋を出る。
「頭中将様、ありがとうございます。帝と一番仲の良いあなたが、このように帝を欺く様なお役目を引き受けていただきまして・・・。感謝しますわ。」
「いえ、皇后様のためでございます。」
そういうと別荘を出て、都へ急いで馬を走らせた。この別荘の主に挨拶を済ませた皇太后は、綾乃の寝所の前に座る。
「本当にここは懐かしいわ・・・。この部屋であなたが生まれたのですもの・・・。綾乃、ここにいる女房たちは私の女房たちの中で、気の知れたものたちばかりだから安心して・・・。この中には典薬頭の妹君もいるので、薬も調合できるわ。女医の経験もあるから・・・。」
皇太后はその女医を呼び、綾乃と会わせる。
「はじめまして。私は皇太后様にお仕えする女房であり女医の丹波と申します。皇后様の病状に関してはいろいろ伺っておりますので、ご安心ください。まずはこれを・・・。」
そういうと丹波は皇后に薬湯を飲ませる。すると皇后は安心した表情で眠った。
「丹波、皇后に何を?」
「ご安心ください。いつもの痛み止めと、ゆっくりお休みいただけるように眠るお薬を・・・。大変お疲れのご様子でしたので・・・。」
「そう、それなら良かったわ・・・。丹波、頼みましたよ・・・。私は院に会って来ます・・・。」
一方清涼殿では、夕方になってもなかなか話を辞めようとはしない内大臣と右大臣に帝は不思議な表情で話を聞いている。そこへ宿直の予定の頭中将が入ってきて、内大臣を呼ぶと、内大臣は御前を離れる。頭中将と内大臣は右近衛詰所に入ると、報告をする。
「無事、皇后様は宇治に御着きになりました。皇太后様によりますと、皇太后様の女官の中に典薬頭の妹君がおり、女医の経験もあるということで、皇后様にお付けになるということです。」
「そうか・・・ありがとう・・・。もし私のみに何かあれば、あなたは知らなかったことにしなさい。私単独で行ったことにしなさい。いいね・・・。」
「はい・・・でもいいのでしょうか・・・内大臣様のみ帝のお怒りに触れるような・・・。」
「いいのですよ。これが皇后の最期の願いなのだから・・・。もちろんどこの運んだかも忘れるように・・・。」
頭中将は頭を下げて、下がっていく。内大臣は急いで弘徽殿に向かうと案の定大騒ぎになっていた。帝は内大臣の顔を見るなり詰め寄ってくる。
「内大臣、綾乃をどこにやったのです!最期までこの私が綾乃を看取るといったでしょう!」
内大臣は帝の前に座って土下座をすると、そのまま黙ってしまった。
「二条院にいるのか、それとも五条邸か!内大臣!私は里下がりを許した覚えはない!勝手に綾乃を後宮から出すなんて・・・。綾乃はどこだ!」
帝は涙を流しながら、内大臣の胸元を掴み、問いただす。
「帝、綾乃の本当の願いを聞いただけなのです。綾乃は帝に最期を見られたくはないと泣いて私に願ったのです。綾乃の気持ちを察してあげてください。私は帝に背きましたので、お許しを得るまで謹慎させていただきます。殿上の札を削っていただいても構いません。私が単独で決めたことですので・・・。こちらの御殿の綾乃のものはみな即引き取らせていただきます。もうこちらには戻ることはないでしょう。この御殿は返上させていただきます。もちろんお怒りでしたら、綾乃の称号も・・・。では失礼いたします。」
そういうと帝の言葉を聞かずに、内大臣は二条院には戻らず、もともとの邸である五条邸に入って謹慎をする。潔い内大臣の行動に殿上人はみな感心をする。
(おい聞いたか、内大臣様のこと)
(聞いた聞いた、こっそり皇后様を後宮から出してどちらかに移したらしいな。)
(その後、帝が命を出す前にさっさと五条邸に謹慎されたらしい・・・。潔いこと・・・。)
(ホントホント・・・。皇后様はおかわいそうであったものな・・・。あんなに弱られて・・・。最期に後宮を出たいと申されたそうだよ。)
(で、帝はどのようにされたのか?)
(いまだ何も処分されてないようだよ。どこに運ばれたかを今探させているらしい。今日から続々と皇后様の荷物が五条邸に戻されている・・・。右大臣様も養女である皇后様があのようになられて残念なこった・・・。まあ東宮様がいるからいいものの、東宮様もおかわいそうに・・・。)
帝は検非違使のものや衛門府のものに命じて綾乃の行き先を探させた。しかし都内の邸や寺院思い当たるところにはいなかった。夕方が過ぎた頃、衛門督が言う。
「あの・・・昨日内裏の門で皇太后様のお印の車を通したのですが・・・。側に頭中将がおられたので、そのまま通したと申す者がおります。また羅城門のほうでも検非違使の者が皇太后様の車と頭中将様を見かけたと・・・。」
帝はハッとして、頭中将を呼ぶと頭中将は何もなかったような顔で御前に座る。
「昨日皇太后様の車の警護をしたそうだな・・・。」
「はい。それが何か・・・。」
「どうして警護を?」
「知ってのとおり、皇太后様は私の妻孝子の母君。皇太后様直々に宇治に戻る急用が出来たからと、休みを返上して警護を頼まれたのです。それが何か?」
「本当にそうであろうな・・・。」
「はい・・・。直属の上司である内大臣様に報告済みですが・・・。」
「また内大臣か・・・。乗っていたのは皇太后様だけか?」
「さあ・・・。弘徽殿の手前からの警護でしたのでどなたが乗られていたかまでは…。」
「いいよ、頭中将下がっていい。」
帝はやはり皇太后が引っかかるようで、衛門督を呼ぶ。
「宇治まで足を伸ばせ。宇治の宇治院とその隣の皇太后縁の別荘を・・・。」
「申し上げます!!そちらは私たちが踏み込めるようなところではありません。知らないといわれれば、それ以上は・・・。」
「勅命であってもか?」
「はい・・・。」
「わかった・・・ご苦労・・・。とりあえず宇治まで調べよ。」
「御意」
そういうと帝は脇息にもたれかかって溜め息をつくと、涙を流して綾乃の病状を心配する。
(綾乃はちゃんと薬を飲んでいるのか・・・私に何も言わずに出て行くとは・・・でもそういえば昨夜・・・。昨夜のあの行動は私に対する別れの挨拶だったのか?本当に幸せだったというのか・・・。)
すると鈴華が入ってきて、帝に一通の文を渡す。
「雅和様。一昨日に行ったお見舞いで綾乃様から手渡されたものです・・・。二日後に渡して欲しいと・・・。」
「綾乃から私に?」
帝は鈴華から手渡された文を開き、読み始める。
『雅和様。今まで綾乃は大変幸せでした。最期まで看取っていただけると聞き、本当に感謝しておりました。しかし私は帝である雅和様に私の最期を看取っていただくわけにはいきません。最後のわがままをお許しください。私は思い出の場所にて最期を迎えます。もちろん幸せだった雅和様との良い思い出を胸に抱いて・・・。東宮康仁のこと、よろしくお願いします。また、私の願いを聞いてくれた父上内大臣を叱らないでください。では永遠に・・・。
今までありがとうございました。 皇后 源祥子』
帝は綾乃からの文を握り締め、涙を流した。鈴華は帝に寄り添った。
「雅和様、私も綾乃様から東宮様のことや雅和様のことを頼むと・・・。同じ女としてわかるような気がします・・・。女は好きな人の前では綺麗なままでいたいのです。決して死に際を見せたくないものなのです・・・。ですから雅和様、綾乃様をそのままに・・・。」
「そうかもしれないね・・・。ありがとう鈴華・・・。」
そういうと帝は御帳台に潜り込んで泣き崩れた。鈴華はその場を去り藤壺に戻って行った。
第96章 拒否
皇后綾乃が24歳の春。暖かい太陽の光が弘徽殿に差し込んでいる。帝である雅和親王に入内して丁度十年となる。十年経っても帝の寵愛を受け、何不自由な生活なく過ごしていた。
「あら、皇后様。朝餉を召し上がらないのですか?」
と、綾乃の乳母である小宰相が心配そうに綾乃に声をかける。
「なんとなく体が重いの・・・。風邪かしら・・・。」
「そうかもしれませんわ・・・ここのところ朝餉も夕餉もあまり召し上がっておられない様子ですもの・・・。もともと食の細い皇后様・・・。本当に大丈夫ですか?」
綾乃はうなずくと、脇息にもたれかかって溜め息をつく。小宰相は心配になって、典薬寮の女医を呼んで診せる。女医は首をかしげて、綾乃のもとを去っていく。
「小宰相、だからいったでしょう、風邪だって・・・。少し休めばよくなるわ・・・。」
「それでは今夜の清涼殿へのお渡りは延期いたしましょう。そのように帝に・・・。」
小宰相は安心した表情で弘徽殿を退出し、清涼殿に行く。清涼殿につくと、小宰相は帝の乳母である籐少納言に言う。
「籐少納言様、本日皇后様はお風邪を召されましたので、こちらへは参れません・・・。別の日に・・・。」
「そうですか・・・。最近皇后様は体調がよろしくないようですわね・・・。先日もお断りになられたばかり・・・。」
「はい・・・。もともと食の細いお方なのですが、最近は特にあまり召し上がらないのです。ご懐妊ではないのですけれど・・・。先程も女医を呼んだのですが、これといって病と診断されたのではないのです・・・。」
「心配ね・・・。帝にはあまり心配されないように伝えておくわね。本当に今まで何もご病気などされなかった元気な御方でしたのに・・・。風邪としても長いですわね・・・。」
籐少納言は心配そうな表情で帝に伝える。
「そうか・・・また皇后は寝込んでいるのか・・・。今晩はこの私が弘徽殿へ渡って皇后を見舞うことにするよ。」
「はいかしこまりました。そのように小宰相に伝えますわ。」
籐少納言は、小宰相に帝の意向を伝えると、小宰相は心配そうな顔で弘徽殿へ戻り、綾乃に言う。綾乃は少し疲れた顔で、返事をする。
「そう・・・こちらに来られるのね・・・。」
そういうと、綾乃は寝所に横になって眠りにつく。毎晩のように帝は綾乃が心配で、弘徽殿へ通ってきて、綾乃の看病をするが、日に日に弱っていく綾乃を見て、益々帝は綾乃の病状がただの風邪ではないと気が付く。
「これはただの風邪ではないと思うよ。小宰相今すぐ典薬頭、侍医、女医を呼びなさい。早く・・・。」
帝は心配そうに綾乃の手を握り締めて、侍医や女医が到着するのを待つ。侍医と女医は急いでやってきたが、典薬頭がまだ来なかった。
「典薬頭はどうした。」
「本日は宿直ではございませんので、今急いでこちらに向かっております。」
女医は綾乃がいる御帳台に入って、診察をする。しかしこの女医は良くわからない状態で、御帳台から出てくる。帝はいらつき、侍医に言う。
「侍医、御帳台に入り皇后を直接診る事を許す。」
「御意・・・。」
侍医は御帳台の前で綾乃に対し、深々と頭を下げると御帳台に入り綾乃を診察する。かなりの時間をかけ診察をしている最中に、典薬頭が入ってきた。
「遅れまして申し訳ありません。」
「日頃皇后の調子が思わしくないのは知っているのであろう。本日は特別、侍医に皇后を診るように命を出したが、腕のいい女医はいないのか・・・。今まで風邪だと思い、看病してきたが、いっこうに良くならん。原因を突き止めよ。」
典薬頭が頭を下げると、侍医が丁度御帳台から出てきて、帝に深々と頭を下げる。
「丹波殿、何かわかりましたか?」
「申し訳ありません、もう少し早く治療しておけば・・・。風邪ではなく、重篤な病でございました。」
帝は驚いた表情で、問いかける。
「どのように重篤だというのだ・・・。手遅れだというのか?」
「はい・・・。この病は今の医学では不治の病・・・。早目にわかっていれば治すことができましたが、ここまで進行すればもう・・・。今の医学では進行を遅らせることしかできません・・・。」
「わかった・・・。典薬頭、出来る限り皇后が長く生きられるように頼みましたよ・・・。女医たちも腕のいい者たちを・・・。もう下がっていいよ。」
帝は典薬寮の者たちが下がったのを確認すると、ショックのあまり力が抜け、その場に座り込んだ。
(綾乃が不治の病だって・・・。そんな・・・。)
帝は、眠っている綾乃の側に座ると、綾乃の手を取り帝の頬に当てる。すると小宰相が、帝に申し上げる。
「帝、皇后様の里下がりを・・・。」
小宰相は慣例どおり病の綾乃の里下がりを願い出た。
「里下がりなど許しません。最期まで私が綾乃の面倒を見るよ・・・。」
「しかし帝・・・ご公務に障ります。とりあえず、皇后様のお父上である内大臣様とご相談を・・・。」
「小宰相、私の気持ちには変わりはないよ・・・。綾乃の側には私がいないといけないのだ。そして私の側にも綾乃がいないと・・・。」
帝は泣きながら、そのまま一夜を過ごした。
朝一番に慌てて内大臣が参内してくると、そのまま帝のいる弘徽殿にやってきた。そして続々と、関白や左大臣、右大臣もやってきて、弘徽殿入り口のすのこ縁に座った。そして帝に清涼殿へひとまず戻るように促した。帝はしょうがなく清涼殿の戻ると、大臣たちとこれからについて話した。綾乃の病気の知らせはもちろん宇治の皇太后のもとにも届いた。皇太后は院の制止を振り切って急いで車に乗り込み、参内した。
「申し上げます。宇治より皇太后様が参内されましたが・・・。」
帝は驚いた様子でいう。
「どうして皇太后様が参内なさるのか?今どちらに?」
「もう弘徽殿のほうに・・・。」
「わかった、今から弘徽殿へ行く。」
帝は不思議に思いながら弘徽殿に向かう。すると、御帳台の側で綾乃の手をとり泣いている皇太后がいた。
「綾乃・・・。なぜこのような病になってしまったの・・・。もし出来るのならば代わって差し上げたいわ・・・。」
「お母様・・・。」
綾乃は辛そうな顔をしながらも、皇太后に微笑んだ。その一部終始を見ていた帝は驚いた。
(え?綾乃の母は・・・皇太后???)
皇太后は帝に気付くと、頭を下げる。
「皇太后様、どういうことですか?綾乃は・・・。綾乃の母君は・・・。」
「そう、帝のお考えどおり、私の子です。私と内大臣様の間に生まれた姫君です・・・。もういまさら関係はありません・・・。今は少しでも綾乃が元気になれば・・・。帝、里下がりをお許しにならないそうですわね・・・。小宰相に聞きましたわ。帝のお気持ちもわかりますが、このような堅苦しい後宮にいては・・・。綾乃の生まれた宇治に連れて行きます。それが叶わないのでしたら、私はこちらに残って看病をいたします。それが今まで綾乃を放って置いたお詫びになるのですから・・・。」
帝は少し考えると、皇太后に言う。
「私も綾乃の看病をしたいのです。本当であれば、実家に帰してやりたいのですが、私の身分ではそちらに行って看病できない・・・。ですから、後宮に残し側において公務をしながら看病をしたいのです・・・。」
綾乃は涙ぐんで、いう。
「お母様、雅和様・・・。私・・・。ここにいたいのです・・・。雅和様とは離れたくはないのです・・・。お母様・・・。最期まで雅和様と・・・。」
「綾乃、わかりました・・・。帝、私もこちらで綾乃の看病をいたします。帝の公務の間だけでも・・・。」
帝は微笑んでいう。
「皇太后様、ありがとうございます。」
「本当に帝は綾乃のことになると一生懸命で、我を通されますね・・・。綾乃感謝しないといけませんよ・・・。三人もの妃の中で、唯一あなただけです。ここまで思っておいでなのは・・・。」
慣例に反して病人であり、先の短い皇后を里下がりさせずにそのまま置いておくことに対して、太政官達はみな反対をしたが、帝はいうことを聞かずに公務をこなしつつ、暇を見つけては弘徽殿に行って、綾乃の看病をした。内大臣は反対をせず、温かく見守った。
「内大臣殿、いいのですか?」
「本当です・・・。先の短い皇后を後宮に置かれるとは・・・いくらご寵愛を一身に受けられている皇后といっても・・・。」
内大臣は苦笑して言う。
「いいじゃありませんか・・・きちんとご公務もこなしておられる・・・。帝の好きにさせて差し上げてもいいではありませんか・・・。」
「しかしね・・・。」
綾乃は闘病生活を送りながらも充実した生活をしている。大好きな帝や今まで一緒に過ごす時間が少なかった母君と残り少ない命を存分に生きている。辛い闘病生活ではあるが、綾乃はとても幸せに感じた。
このような生活が半年以上続き、綾乃は何とか年を越しまもなく発病して一年・・・。綾乃の母である皇太后も、ずっと綾乃の側に付き、看病をしている。度々心配して院もやってくる。
「雅和、典薬頭に聞いたよ・・・。まさしくあの症状は亡き私の兄上と同じ病気・・・。熱があり、体の倦怠感、節々の痛み・・・。本当に残念なことだけれども・・・。先は短いね・・・。しかしなぜ里下がりを許さないのですか?」
帝は苦笑していう。
「本当に私のわがままなのです・・・。私が綾乃の最期を看取りたいのです・・・。綾乃も私と居たいと言うのです・・・。」
「しかし、慣例です・・・。もし身罷った時はどうするのですか?帝の立場としては亡骸には触る事が許されません。穢れなのです・・・。」
「わかっています。父上も妹宮が亡くなった時に亡骸を抱いたと聞きました・・・。慣例などどうでもいいのです・・・。穢れてもいい・・。そのときはきちんと穢れを落とした上で、公務に戻ります。」
「しょうがないね・・・。綾乃は雅和にとって最愛の姫だからね・・・。」
院は溜め息をついて、清涼殿を立ち去る。
内裏ではある噂で持ちきりとなる。
(なぜ帝の母でもない皇太后様が皇后様の看病に当たられるのか・・・?)
(皇后様の母君は誰なのか?)
もちろんこの噂は内大臣の耳に入る。いろいろな憶測が飛び交い、内大臣は皇太后との昔の経緯が世間にばれてしまわないかと、冷や冷やする。殿上の間で、内大臣は土御門左大臣に声をかけられる。
「噂をお聞きになられましたか?あなたの姫君、皇后様の母は誰なのか?」
「・・・。」
「皇后様がお生まれになったときは丁度あなたは頭中将でしたね・・・。」
「それが何か・・・。」
「丁度皇太后様が病気のためご静養に宇治へ行かれていたときと重なるような気がします・・・。」
「偶然ですよ・・・。別邸は隣でしたが・・・。皇后の母君は・・・皇后を産んで少しして亡くなりました。ただ皇太后様のご実家と縁があっただけです・・・。女童で後宮に入っていたときにたいそう可愛がって頂きましたので、それでだと思うのですが・・・。」
「ほう・・・。そうでしょうか?まあいい、少しでも長生きされるといいですな・・・。あなたもがんばらないといけませんな。油断すると皇后亡き後、源腹の東宮は摂関家腹の若宮に代わられる可能性がありますな・・・。後見人の右大臣殿も高齢であられるしな・・・。立場上堀川殿のほうが有利である。」
「まだ皇后は・・・。帝も東宮は康仁親王であると断言しておいでだ・・・。」
「さあ・・・皇后亡き後は堀川摂関家の中宮様にご寵愛が移る。気が変わられることもあるってことですよ・・・。ではでは先が楽しみだ・・・。」
内大臣は珍しくイラついた様子で立ち去っていく左大臣を睨みつける。内大臣は柱をこぶしで殴ると、そのまま弘徽殿の綾乃のもとに見舞いに行く。周りは普段とても温厚な内大臣の変わりように驚き、ハラハラする。弘徽殿では皇太后が相変わらず綾乃の看病をしている。綾乃は日に日に弱っていき、ひどい倦怠感と全身の痛みに耐えている。何とか典薬寮の処方した痛み止めを飲むと少しはましになるのであるが、また痛みがぶり返してくる。もう痛みに耐えられる程の体力は皇后にはないと思われるのであるが、気力で生きているとしか言いようがない。その姿を遠目で見て、内大臣はかわいそうな娘の姿に涙ぐんでしまう。綾乃は内大臣の存在に気付き、声をかける。
「お父様・・・。」
内大臣はそっと中に入り、綾乃の側に寄る。
「綾乃、何か願いはあるかい?出来ることなら何でもしてやりたい・・・。」
綾乃は力を振り絞って内大臣に言う。
「お父様・・・・お願いがあるの・・・。私・・・もういいわ・・・雅和様の前でこのまま死にたくはない・・・。雅和様のいないところで・・・。私をそっとここから出して・・・。出来れば私の生まれた宇治の別邸に行きたい・・・。お庭の綺麗な桜の花を見たいの・・・。それがだめなら・・・五条邸の橘・・・・。二条院の桜・・・。あれは初めて雅和様と眺めたっけ・・・。きっとここを出るのはお許しにはならない・・・。雅和様がご公務をしている間、そっと後宮の裏から・・・。」
内大臣はうなずくと、綾乃に言う。
「わかったよ・・・。そっとお前を後宮から出してあげるよ・・・。帝から怒りをかってもいい。このまま出仕をお断りしてもいい。お前の願いであるならば、叶えてあげるよ・・・。」
「お父様・・・。」
すると皇太后が言う。
「それなら私の車に乗ったらいいわ。そのほうが安全よ・・・。衛門の者たちは私の車を調べたりしないから・・・。」
「皇太后様、ありがとうございます。私も右大将を兼任しておりますので、近衛府に根回しをしておきましょう・・・。宇治まで体力が持つか・・・。決行は明後日・・・。右大臣様にも根回しして、少しでも帝を清涼殿にお引止めしておかないと・・・。小宰相・・・、聞こえたであろう・・・。弘徽殿内のことはあなたに頼みましたよ・・・。」
小宰相は涙ぐみながら、返事をする。
「はい、かしこまりました。皇后様のため、私も帝に処分されても構いません・・・。きっと無事宇治にご到着されるように何とかします。」
綾乃は涙ぐんでみなに感謝をする。
決行の前日の夜、いつものように帝が弘徽殿にやってきて、綾乃の看病をする。帝はまず綾乃に重湯や葛湯をひとさじずつ与え、全部食べ終わると微笑んで、綾乃を横にする。
「今日は全部食べてくれたんだね・・・。まだ今日は調子がいいようだ・・・。綾乃、いま薬湯を持ってこさせるから、待っていて。」
「雅和様・・・外の天気はどうかしら・・・。」
「今日はね・・・朧月夜だよ・・・。もうすぐ桜の季節だよ・・・。もう左近の桜は一分咲きだ・・・。」
「雅和様、朧月夜を見せてください・・・。」
「わかった・・・暖かくして表に出よう・・・。小宰相、皇后に上着を・・・。」
小宰相が手渡した上着を帝は綾乃に被せると抱き上げて弘徽殿の南側の階に座らせる。綾乃は何とか帝にもたれかかって座ると、一言言う。
「私の父と母が出会ったのも、丁度このような朧月夜と聞きました。庭にあるあの大きな桜の木下で・・・。そして二人はしてはいけない恋に落ちてしまったのです・・・。そして私が生まれた・・・。そして別れたのもこのような月夜・・・。とても物語のような・・・。母が雅和様のお父様の妃でなければ、きっと一緒に暮らしていたのでしょうね・・・。私わかるもの・・・いまだ二人は惹かれあっているのよ・・・。でも立場上それが叶わないだけ・・・。」
帝は初めてくわしい内大臣と皇太后の関係を知った。ショックであったけれども、そのおかげで最愛の姫君である綾乃が生まれたのだから、二人の出会いに感謝した。やはり春先の夜は冷えるので、帝はさっと綾乃を抱き上げて部屋に戻った。
「ありがとうございます。雅和様・・・。人生の半分を雅和様と一緒にいる事が出来て、綾乃はとても幸せでした。」
そういうと帝に綾乃からキスをした。
《作者からの一言》
綾乃は不治の病・・・。
本当に歴代の帝の中で病気で先の短い妃に里下がりを許さず最期を看取ったという帝が実在するそうです。もちろん慣例では病気になれば里下がりをするのですけれど・・・。
第95章 童殿上
時が経ち、東宮は八歳になった。帝は内大臣を呼び、話をする。
「内大臣殿、ずっと考えていたことなのですが、博雅君を東宮侍従として童殿上していただけないでしょうか・・・。」
内大臣は驚き、帝の話を聞く。
「もう博雅は十歳になったのでしょう。噂に聞いています。利発で何でもこなせる子だと・・・。綾乃が十歳の時にそうであったように、博雅を東宮の教育係兼遊び相手として童殿上していただきたいのです。童殿上でありながらも、きちんとした官位を授けます。東宮侍従として・・・。将来東宮が即位した際に最も信頼の置けるような側近になって欲しいのです。」
内大臣は頭を下げ、内諾すると、帝は続けていう。
「先日母宮から文を頂きました。ますます院に似てこられたという・・・。やはり院に似てとても賢く、武術や漢学、そして教養も並ではないそうですね・・・。」
「はい、博雅は院によく似ています。帝と同腹のご兄弟でありますが、女王に似ていらっしゃる帝と違い、まさしく院そっくりに・・・。いつかきっと私の子ではないと気が付く事があると思います・・・。」
「そうですね・・・いずれ話さないといけない日が来るかもしれません・・・。しかし今は血が繋がっていなくても、親子には代わりありません・・・。父上もたいそう内大臣殿に感謝しておりました。私も弟宮を見て内大臣殿がどんなに愛しんで育ててこられたかわかります。私自身も博雅を側に置きたいのです。お願いしますね・・・。もちろん綾乃にも話してありますので、ご安心を・・・。」
「御意・・・。」
帝は安堵した表情で、内大臣が下がっていくのを見つめる。
童殿上の許可が正式に下り、侍従の官位を帝から賜った博雅は内大臣と共に、内裏を訪れる。まずは中務卿宮に会うため、後涼殿の一室に通され話をする。侍従は中務省の管轄下に置かれているため、中務卿宮は上司となる。また異母兄弟であるので、中務卿宮も博雅に会いたがっていた。
「あなたが内大臣殿のご子息、源博雅君ですか?私は中務卿宮雅孝です。恐れながら帝の兄であります。まあ母が違うのですが・・・。」
博雅は頭を下げて言う。
「よろしくお願い申し上げます。未熟で、ご迷惑をおかけするかもしれませんが・・・。」
中務卿宮は微笑んで言う。
「構いません。もともと殿上童は見習いなので・・・。いろいろとわきまえないといけないところさえきちんとわかっていれば、いいのです。もちろん帝とあなたは同じ母宮から生まれたわけですが、身分は相当違いますので、気をつけてください。特に内裏内、清涼殿内では・・・。いいですね・・・。」
「はい!」
「いい返事です。そろそろ清涼殿に東宮様が来られる刻限ですので、そろそろ誰かが呼びに来るかもしれません。」
中務卿宮、内大臣、博雅は人が呼びに来るまで、何気ない会話をしていると、帝の侍従が呼びに来る。
「内大臣様、帝がお呼びでございます。」
中務卿宮が言う。
「侍従殿、私も御前に上がってもいいかな?」
「はい、構いません。帝もその方がお喜びになられます。」
三人は立ち上がって侍従の先導のもと、帝の御前に上がる。御簾の中には帝と、東宮、そして御生母の皇后こと綾乃が座っている。三人は御前に通されるの、座って深々と頭を下げる。すると内大臣は帝に申し上げる。
「この度、東宮侍従として童殿上して参りました、私の長男源博雅でございます。」
博雅は緊張した様子で、帝に挨拶をすると、帝はいう。
「久しぶりだね博雅。あの時は大変楽しい日々でした。今日からここにいる私の一の宮である東宮康仁の教育係や遊び相手として、がんばってお勤めしてください。さ、東宮。東宮侍従の源博雅君だ。いろいろ知恵がある者だ。仲良くするのですよ。」
東宮は元気よくうなずくと、御簾を出て博雅の前に座る。
「これ、東宮。はしたなくてよ。」
と綾乃が言うと、ふくれた顔で振り返る。
「母上様は黙っていてください。父上様から聞きました。あなたは僕の叔父上にあたるそうですね・・・。異父兄弟と聞いたけれど、お爺様の内大臣や二条院のおばあ様に似てないね・・・。近いといえば、中務卿宮の伯父上・・・。」
帝たちはひやっとしていう。
「東宮もういいでしょう・・・。さあ、東宮御所に戻りなさい。」
東宮は中務卿宮と、東宮侍従を連れて、東宮御所に戻って行った。下がったことを確認すると、帝が内大臣に言い出す。
「東宮があのようなことを・・・。やはり博雅が元服前に本当のことを言っておくべきでしょうか・・・。こういうことは、院にも相談しないと・・・。」
「そうですね、いずれわかってしまうことですし、あの子が院の実子であることを知っているものたちも多い。きっと遅かれ早かれ耳に入るのでしょう・・・。まずは院と女王に相談しないといけませんね・・・。」
「では私は院に文を書きます。内大臣は母宮に・・・。」
「御意・・・。」
帝は早速宇治の院のところに文を書き、早馬で行かせる。するとすぐに返事が戻ってきて、わかった、帝に任せるという返事が返ってきた。もた、内大臣も二条院にいる女王に文を出すと、急いだ様子で返事が返ってきた。もちろん女王も話すことに同意したようだ・・・。それなら早いほうがいいと、帝と内大臣は梨壷の東宮御所に向かう。東宮と博雅は梨壷で話をしていた。内大臣が博雅を呼び、常寧殿まで呼ぶ。常寧殿では、帝が上座に座り博雅がやって来るのを待っていた。帝の前に博雅を座らせると、帝は人払いをして、内大臣が話し出す。
「博雅、お前に言っておきたい事がある。これはとても大事なことであるから、口外はしないように・・・。これはお前が将来どうなるかに関わること・・・。いいですか?」
内大臣は博雅の目をじっと見つめて真剣な顔で言う。もちろん今までこのような顔を見せたことのない父を見て、博雅は驚いた。
「博雅、これは本当に大事なことなのですよ。博雅の気持ちによっては博雅の立場が変わってしまうのです。ここにおられる帝はあなたの実の兄君である事は知っているね・・・。今までは私が博雅の父であるというように育ててきたが、本当は違うのですよ。異父兄弟として御育てしてきましたが、あなたが母宮の御腹にいるときに後宮を出て私の元に・・・。あなたの父君は、本当はここにいる帝と同じ先帝の宇治院なのですよ。」
博雅はもうひとつ理解できないよう表情で帝を見つめる。すると帝が言う。
「博雅、本当に父君はお前を七の宮として親王宣旨をしたかったのですが、内大臣と母宮がそれをご辞退されたのです。親王として育つよりも内大臣家の若君として育ったほうがいいと思ったのでしょう。もしあなたが親王としてこれからを過ごしたいと思うのでしたら、院に頼んで親王院旨をしていただくことになりますが・・・。どうしたいですか?」
博雅は困った様子で言う。
「よくわかりません。しかし、今まで通りのほうがいいような気がします。」
「そう・・・それならそれでいい。急にこのようなことを言って悪かったね・・・。これからいろいろ周り者たちに言われるかもしれないけれども、気にしないでお勤めをしなさい。何かあればこの私に相談すれば言い。実の兄なのだから・・・。異母兄弟である中務卿宮でもいい。」
と、帝は微笑んで博雅の頭を撫でた。
「さあ、私は公務があるので戻るよ。ゆっくり内大臣とこのことについて話すがいい。」
そういうと、帝は立ち上がって清涼殿に戻って行った。内大臣と博雅はじっくりと話をする博雅は、納得したようで微笑みながら、内大臣に言う。
「父上、僕は例え親王であっても内大臣家に生まれてよかったと思っています。父上が本当の父でなくても今まで父上は私を大変可愛がってくれたではありませんか・・・。僕は親王の称号など要りません。今までの立場で十分です。」
「そう・・・。そのように帝や院に伝えておくよ。」
内大臣は微笑むと、博雅の頭を撫でて、涙ぐむ。もちろん博雅は複雑な気持ちで、内大臣を見つめる。
《作者からの一言》
ついに帝は博雅を自分の真実の弟であることを告げました。しかし博雅は今の立場のほうが幸せになるであろうと悟ったのでしょう。親王の称号を断り、内大臣の息子として生きていくことに10歳で決めたのです。どうでしょう^^;本当に幸せになるのかどうか・・・。
第94章 勅使
帝は摂関家の血筋ではない。帝の母は宮家出身で、元中務卿宮家の姫宮である。普通中務卿は一代で替わる事が多いが、この宮家は珍しく三代続けて中務卿宮家として受け継がれていた。帝の祖父はとても温厚で管弦を好み、特に龍笛が得意であった。子供は帝の母しかいない。たった一人の姫宮を後宮に入れ、帝である二の宮を授かった。帝は生まれてすぐから、この宮家で育ったが、帝が十一歳の時に祖父が亡くなり、後宮に引き取られることになったのである。あれから十数年、今年は祖父宮の十三回忌に当たる。そのことで兄である中務卿宮に相談する。
「兄上、今年は祖父宮の十三回忌に当たります。何かしないといけないですね・・・。今まで何も出来なかった・・・。」
「そうですね・・・。二条宮家の墓所に勅使をおくられてはいかがですか?」
「ん・・・。本当なら私が墓参りに行きたいが、帝の身分では無理だろうね・・・。兄上、手配を頼んでもいいでしょうか・・・。」
「お任せください・・・。滞りなく帝の勅使を二条宮家の墓所に派遣しましょう。」
異母兄弟である中務卿宮は帝の頼みを聞き、勅使の手配をする。
(結局お爺様のご期待に背いて二条宮家を再興できなかった・・・。)
帝は小さい頃を思い出す。
物心つく前から、ずっと二条院にいた。当時東宮であった兄を除き、年に数回内裏に行くか行かないかであり、帝である父や麗景殿中宮である母の顔の印象などない。もちろんずっと二条院にて養育されていたので、おじいちゃんっ子である。祖父も大変可愛がり、邸にいるときはずっと側に置いた。優しいだけの祖父ではなく、躾にはうるさく、特に龍笛を厳しく仕込んだ。
「雅和、いいかい。お前は帝の二の宮であるが、この宮家を継いでおくれ。今誰もいない中務卿宮としてこの宮家を再興しておくれ。」
「おじいちゃま?」
祖父は雅和を膝に乗せ、微笑んで言う。
「そうだね、まだ雅和は3歳だからわからないな・・・。お前は母宮に似てとてもいい子だ。」
祖父は雅和の頭を撫でる。雅和は満面の笑みで祖父を見つめた。祖父は暇を見つけては雅和を呼び、龍笛を教える。祖父は雅和に小さめの龍笛を与え、手取り足取り教えていった。もちろん厳しく仕込む。その厳しさに雅和は何度も泣いた事がある。
「おじいちゃま・・・もうやだ・・・。」
祖父は雅和を叱りつける。
「雅和、途中で諦めてはいけないのです。雅和がやりたいと言ったのでしょう!」
「僕、出来ないもん!おじいちゃまなんて嫌いだ!」
雅和は祖父の寝殿を飛び出し、近くの兄宮のいる東三条邸に何度お邪魔した。兄宮と遊び、発散して帰ってくると、いつものように優しい祖父に戻っている。雅和はやはり祖父が大好きなので、祖父の胸に飛び込んで、毎回祖父に謝罪する。徐々に上手くなっていく雅和を見て、祖父は喜び、自慢の孫だと珍しく殿上人に自慢をする。躾と龍笛に関してはとても厳しかったが、それ以外はとても優しく、楽しい幼少時代をこの二条院で過ごした。
十一歳になったある日、祖父は病を患い寝込んでしまった。雅和は四六時中祖父に付き添い、看病をする。
「雅和、すまないね・・・。もしこの私に何かあったら、母宮のいる後宮にお世話になりなさい。」
「お爺様・・・。僕はこの二条院に残ります。」
「雅和、ほんとにお前はいい子だね・・・。お前が元服したらこちらの邸に住みなさい。それまでは父君である帝と、母宮である中宮の側にいなさい。いいですね・・・。」
雅和はうなずき、祖父は安心した表情で雅和の頭を撫でる。この数日後、雅和の看病も虚しく、亡くなってしまった。きちんと曽祖父と共に葬儀を取り仕切り、落ち着いた頃父君である帝から梨壷を賜り、後宮に引き取られた。ここ何年も父君である帝に会っていなかった。清涼殿に呼ばれた雅和はあまり父君の印象がないので、緊張した様子で、参議に連れられ御前に通される。いつもと違って、雅和は髪を下げみずらで萌黄色の小狩衣を身に着け、紫の宮家の紋の入った袴を着て帝の前に座る。
「二の宮様、帝であられます。ご挨拶を・・・。」
雅和は祖父に躾けられたようにきちんと帝に挨拶をする。
「雅和、久しぶりだね。ずいぶん大きくなられた。いろいろ亡き二条宮から雅和のことは聞いていたよ。ますます母宮である中宮に似てこられましたね。さ、御簾の中に入ってよく顔を見せておくれ。」
雅和はためらい、参議に声をかけられてやっと御簾の中に入る。御簾の中には父君らしい帝が中央に座り、その横に母宮と思われる女性が座っている。母宮は雅和の姿を見て涙を流す。
「さ、雅和、こちらにおいで。」
帝は雅和を呼び寄せて、頭を撫でる。そして母宮は雅和を抱きしめて、今まで側に置かなかったことを謝罪する。
「父上?母上?」
雅和は不思議そうな顔をして、二人を見つめた。梨壷に部屋を賜ってから数日間は慣れない環境のためか、泣き暮らした。乳母である籐少納言が、雅和を慰め雅和の祖父から預かった形見の龍笛を雅和に手渡した。
「これは宮様のお爺様から宮様に渡すようにと頼まれた物なのです。」
「これはお爺様のご愛用の龍笛・・・。」
雅和は龍笛を受け取ると、大事そうに撫でて亡き祖父を偲んだ。気が滅入るといつもこの龍笛を取り出し、祖父を思い出しながら龍笛を吹いた。もちろんこの響きは隣の麗景殿まで響き渡り、母宮は父宮にそっくりな竜笛の響きを聞き、どんなに父宮が雅和を大事にしていたか知る。そして今まで一緒にいる事が出来なかった分を取り戻すように毎日のように梨壷を訪れ、雅和をかわいがった。そして雅和は心を開き、徐々にもとの明るい雅和に戻っていった。母である中宮だけではなく、弘徽殿に住む皇后もとても雅和のことをかわいがった。
十二歳の正月、兄である一の宮が、元服を行うので挨拶のために弘徽殿にやってくるのを聞きつけ、走って弘徽殿に向かう。息を切らして弘徽殿に入ると、丁度兄宮が到着したところのようで、皇后に挨拶をしていた。兄宮は雅和に気付くと微笑んで言う。
「久しぶりだね、雅和。」
「兄上!」
雅和は兄宮に飛びつく。
「雅和、元気そうで良かったよ。」
「ねえ兄上!蹴鞠をしてあそぼ!ねえ、ねえ・・・。」
すると皇后が言う。
「二の宮様、一の宮は明日元服式なのですよ。大事な体なのです。無理を言ってはいけませんよ。」
雅和は残念そうな顔で弘徽殿を後にしようとすると、兄宮は言う。
「雅和、ちょっとならいいよ。もう元服したら当分遊ぶ事が出来ないからね。」
皇后は困った顔で言う。
「雅孝、お父様に怒られますよ。早くご挨拶に行かないといけないのに・・・。」
「母上、ちょっとぐらいいいではありませんか・・・。」
そういうと、庭に出て雅和と一緒に蹴鞠をする。雅和は今までに見たことのない笑顔で、兄宮と共に蹴鞠をする。楽しそうな笑い声は清涼殿まで響き、父である帝は清涼殿から承香殿に渡ってきて、二人に声をかける。
「雅孝、雅和、とても楽しそうな笑い声が清涼殿まで聞こえたよ。」
「父上!」
帝は微笑んで、すのこ縁に座り、二人が楽しそうに蹴鞠をする姿を見つめる。
「二の宮様~~。」
と、乳母の籐少納言が雅和を捜しに来ると、兄宮は蹴鞠をやめ、雅和を乳母のもとに返す。
「兄上・・・。」
「さあ、雅和、籐少納言が呼んでいるよ。行っておいでよ。そうだ、またいつでも東宮御所においでよ。待っているから。」
雅和はうなずくと、微笑んで手を振りながら梨壷に戻って行った。籐少納言は心配そうな顔をして雅和を連れ戻した。兄宮の元服が終わっても雅和はよく東宮御所に顔を出し、一緒に遊んだり、勉強をしたりして過ごした。
(本当にお爺様には悪いけれど、後宮に引き取られたおかげで、綾乃と出会えた訳だし・・・。)
帝は今までのことを思い出しながら祖父のことを考えた。
数日が経ち、中務卿宮を通して勅使の件について無事終了したと報告を受け、安堵した。
《作者からの一言》
ネタ無しシリーズですね^^;
中務卿宮と帝が同腹ではないのに仲がいいのは小さい頃から交流があったからです。
第93章 中宮職大夫の恋
中宮職大夫という者は藤壺中宮の二歳年上の兄である。もちろん父は堀川関白太政大臣であり、中宮職大夫は長男である。兄弟は四人で、中宮職大夫を筆頭に長女藤壷中宮である鈴華、次男十八歳の少納言、そして末は次女の承香殿女御こと鈴音である。家柄から言えば、中納言になってもいい歳ではあるが、妹君が中宮、女御として後宮に入っていることから、従四位の中宮職大夫として官位を頂いている。中宮職大夫は名前を藤原良忠といい、鈴華に似たすっきりとした顔立ちで、背も高く、帝の信頼も高い。仕事柄後宮に出入りする事が多いため、中宮職大夫を慕う後宮の女房たちも多い。鈴華にとっても良き兄であり、頼りになる存在である。帝も鈴華の兄であるため、暇を見つけると頭中将と共に談笑をしたりして暇をつぶしたりする。帝に対してよく話をする頭中将に比べ、大夫は口数が少なく聞き上手である。ただ聞いているだけではなく、きちんと相槌も打ち、聞かれたことに対しては答える。頭中将は帝にとって、異母兄妹である妹宮の夫であり、中務卿宮時代からの親友である。もちろん大夫は帝の妃の兄君であるから、頭中将と同様に義理の兄弟に当たる。いつの間にか今日は好きなタイプの女性像の話題となり、帝と頭中将は盛り上がっている。
「帝はすでに三人の妃をお持ちですので、あまり関係ない話題でしょうね。とても麗しい御妃様ばかりですし・・・。」
「そうだね、しかし皇后と中宮、女御は感じが違うのですよ・・・。皇后は童顔で可愛らしい感じの妃だが、何もかもが完璧で芯は強くとても頼りになる。中宮と女御はやはり姉妹なので、顔は良く似ているが、性格は正反対なのです。中宮は少しうっかりでおっとりなところがとてもいいのですよ。なんというか中宮を見ると和んでしまうというか、安心感を得られるのです。女御はしっかりしていてとても元気なところがいいのですよ。私に生きる気力を与えてくれるのです。私自身あまり家柄であるとか、美しさがどうとかはこだわりがないのですけれど・・・。この三人の妃がいてくれるからこそ、こうして毎日堅苦しい内裏で生活が出来るのかもしれません。ところで、大夫殿はまだ正室を迎えられていませんが・・・。」
大夫は自分にこのような話題が振られるとは思わず、顔を真っ赤にしていう。
「そうですね・・・。父もいろいろと縁談を勧めていただけるのですが、中宮の事が気になってしょうがないのです・・・。中宮は小さい頃からあのような性格でして、目が話せなかったのです・・・。後宮に入っても何をしでかすか心配で・・・。妻を迎えることを忘れていました・・・。」
帝は微笑んでいう。
「もう中宮は心配ありませんよ。あれでももう三人の若宮の母君だ。入内されたときと比べたら。大夫殿、もうそろそろ落ち着いたらいかがでしょう・・・。中宮にはこの私がついています。好きな姫などはいないのですか?」
大夫は少し考えていう。
「いるにはいるのですが・・・。もちろん家柄も良く、とても知的な姫君です・・・しかし・・。障害があるのですよ・・・。」
「障害?関白殿の嫡男なのにですか?」
大夫は困った顔つきで苦笑して言う。
「親同士の仲が良くないのです・・・。またその姫は好きな方もおられ、私よりも位が高い・・・。従四位の私になど振り向いては・・・。」
帝はその姫がなんとなくわかった。帝はその姫の名前を大夫に言ってみる。
「大夫殿が思っている姫は土御門尚侍なのでしょう・・・。確かに土御門左大臣殿と堀川関白殿は仲が良くないね・・・。」
大夫はさらに顔を赤らめて下を向く。帝は大夫と尚侍をくっつけようと考えた。
「常隆、このことは内密に進めよう。いつもでも尚侍を内裏に置いておく事はできないから・・・。もともと出仕させたのは父である院のご意向であって、私の妃として尚侍は必要ない。」
「帝、いいのです・・・そこまでしていただかなくても・・・。」
「あなたには中宮の件で良くしていただいていますから。」
帝は微笑んで、二人をくっつけようと策を考える。夜になると、綾乃が夜のお召しでやってくる。帝は床についてもなにやら考え事をしているので綾乃は不思議に思う。
「雅和様、どうかなさったのですか?」
「ん?うん・・・何かいい案はないかと思ってね・・・。そうだ綾乃、何か知恵を貸してくれないかな・・・。」
帝は綾乃に昼間話していたことのついて話すと、綾乃は言う。
「難しいですわ・・・。雅和様はお優しいから、尚侍にはっきりお気持ちを言っておられません・・・。尚侍の気持ちはご存知なのでしょう?」
「ん、んん。」
「まずははっきりしないと先には進めませんよ。一方的な大夫様の気持ちだけでは・・・。それと大夫様は何もなさっていないのでしょう・・・。きちんと自信を持たれたらいいと思います。あのように鈴華様に似たすらっと背の高いすっきりした方ですのに・・・。結構私のところの女房で慕っているものは多いのですよ。ただ、妹姫思いが過ぎるところがね・・・。」
「なるほどね・・・。」
「土御門様にもきちんとお話を・・・。堀川様と仲が悪いのは知っておりますが・・・。本当はお二人ともいい方だと伺っております。出世に話になるとちょっと争われるのですが・・・。まずは雅和様がはっきり土御門様と尚侍に言わないと・・・。」
「そうだね・・・ありがとう綾乃・・・。やはり綾乃は頼りになるよ。」
帝は微笑んで、そのまま眠ってしまった。
次の日帝は行動に移す。この日の昼過ぎ、尚侍を清涼殿に呼び人払いをすると、御簾の中で尚侍に話す。もちろん尚侍は帝に呼ばれた上に人払いをしたことに何かいい事があるのではないかと期待した。帝は溜め息をついていう。
「あのね、尚侍。ここではっきりとさせておきたいのですが、あなたの私に対するお気持ちは十分理解しています。しかしながら、あなたは私にとって必要はありません。あなたは麗しく頭のいい方だ。もしあなたが、最初に入内されていたのなら、あなたを迎えていたかもしれません。しかし、今あなたの役割はありません。皇后の頼りがいのある人柄、中宮の和みを与えてくれる人柄、女御の元気を与えてくれる人柄。この三人それぞれの人柄を持つ妃で十分なのです。これ以上はもったいなく、必要はないのです。尚侍、わかってくれますか?他の殿方に目を向けてみませんか・・・。私はあなたに家柄などが見合ういい人を知っています。その方もあなたのことを想っているのですよ。」
尚侍は黙っていたが、ほろほろと涙を流していた。
「あなたには本当にきつい言葉かもしれませんが、きちんとはっきりさせておきたいのです。もしよければ、あなたの縁談の橋渡しをいたしましょう。」
帝は微笑んで、尚侍を見つめると、尚侍はうなずきいう。
「私を想っておいでの方は、どなたなのですか?」
「あなたに見合う家柄、そしてよい姿形を持っている人です。今はまだ官位は低いのですが、いずれ大臣になる人ですよ。その人の名は藤原良忠殿。堀川殿の嫡男で中宮職大夫。物静かな者ですが、まじめでとてもいい方です。そして優しい心の持ち主・・・。きっとあなたを幸せにしてくれますよ。」
「中宮職大夫様が?」
尚侍は何度も後宮で大夫を見かけた事があり、憧れの存在であった。このような兄を持つ中宮や女御をうらやましく思ったときもあった。尚侍は大夫の気持ちを知ると、今までの帝に対する気持ちがふっと消えていった。
「尚侍、良かったらこの話すすめますよ。一番大変なのは土御門殿を説得することですが・・・。」
尚侍は微笑んで言う。
「大丈夫です。意外とお父様は私に甘いのです。」
「そう、それなら良かった・・・私からも土御門殿にいっておくかな・・・。中宮職大夫も喜ぶよ。早くあの者も落ち着かないといけない年頃だから・・・。ありがとう尚侍。もう下がっていいよ。」
意外とうまくいったことに帝は喜んだ。帝は土御門殿を呼び、尚侍の縁談を持ちかける。
「何を申されましたか?聞き間違いでしょうか?帝が当家尚侍の縁談をと?」
「ですから、もうそろそろ尚侍はこちらを出られて結婚されてはと思うのです。もちろん尚侍も承知しています。あなたの許可さえあればいいのですよ。もう尚侍もいい年頃です。きちんとした家柄のものを選んでいますので、ご安心を・・・。もちろん将来を約束されているような者です。」
土御門殿は首をかしげていう。
「誰でしょう。そのものとは・・・。」
「中宮職大夫殿ですよ。堀川殿の嫡男の・・・。尚侍も大夫ならばと承知しています。私自身も土御門殿と堀川殿が仲良くなって欲しいのですよ。これを機会に仲直りされてはいかがですか?これは帝である私の命令です。」
帝の命令と聞いて土御門殿はしょうがなく承知した。もちろん堀川殿にも同じ内容を伝え、何とか両家の許可を得た。帝は中宮職大夫にこのことを伝えると、うれしそうな顔をして、頭を下げると、その日から尚侍に毎日のように文を書くようになった。尚侍は頃合を見て、尚侍をやめて実家である土御門邸に戻っていった。
秋になると、大夫は秋の除目にて正四位宮内卿に任じられた。この昇進と同時に土御門の二の姫と宮内卿は盛大な婚儀を行い、堀川邸隣の東三条邸を譲り受けて改装し、二人で幸せな結婚生活を始めたのです。もちろん土御門家と堀川家は以前に比べると仲良くなり、帝は少し安堵した。宮内卿はこれを境に東三条殿と呼ばれる様になり、帝の側近として長く長く仕えたのです。
《作者からの一言》
ネタ無しのときに良くする番外編です^^;
鈴華の兄のお話です。
第92章 堀川邸への行幸
鈴華の出産から3日後、非公式ではあるが鈴華の見舞いを兼ねて堀川邸に行幸する。今まで清涼殿を抜け出したことは多々あるが、このようにたくさんの者たちを連れての行幸は始めてである。白の御引直衣を着た帝は堀川邸の寝殿中央に座る。堀川邸の寝殿は錦で敷き詰められ、簀子には左手に四位や五位の側近たち、右手に左大臣、右大臣、内大臣などが居並んでいる。非公式とはいえ、関白は最高のおもてなしをし、行幸と中宮の出産祝いを兼ねた宴を催す。もちろん、鈴華の妹である承香殿女御や、皇后も帝の近くに同席している。そして最近謹慎が解かれた土御門の尚侍も女官のひとりとして同行していた。招待をした関白太政大臣は、帝の右手に座り、挨拶をする。帝は微笑んで関白にいう。
「双子の皇子を見るのがとても楽しみなのです。本当でしたら数人の者たちでこちらにお邪魔しようと思ったのですが、前回の中宮出産の折、勝手に内裏を抜け出していろいろな者たちに叱られてしまいました・・・。今回は関白殿の顔を立てて・・・。」
帝は苦笑して、関白と話をする。関白は近くにいる女房に合図をすると、少しして二人の乳母に抱かれた若宮たちが入ってくる。若宮たちはまったく見分けがつかない位、うりふたつであり鈴華によく似ている。帝は可愛らしい若宮たちを見つめると微笑む。
「どちらがどちらかわからないね・・・。見分け方なんてあるのですか?」
と、帝は関白にいう。
「中宮によりますと、はじめに生まれた皇子には肩にあざが、次に生まれた皇子には首もとにあざがございます。見た目には本当にわかりませんね・・・。でもとても可愛らしい若宮たちでございます。」
「関白殿、中宮から名前の件は聞いたのですか?」
「はい、三の宮を『雅博』、四の宮を『雅盛』と申しておりましたが・・・。」
「ええ、それでいいのです。名前の件はすべて中宮に任せましたから・・・。御七夜
には親王宣旨をしましょう。」
帝は一人一人抱き、鈴華によく似た可愛らしい顔を心に焼き付ける。
「関白殿、この若宮たちも篤子と同様に後宮にて養育してもいいでしょうか・・・。もちろん藤壺の隣、梅壷にて養育を・・・。」
「はい、それはそれで構いません。私も、若宮様のためにとても良い女房や女童などを揃えましょう。」
帝はほっとした様子でいう。
「関白殿は結構お堅い方だと思っていましたが、若宮を身近に養育する事が出来、感謝します。本当に慣例だと言って断られると思いましたよ。これで安心して中宮は後宮にいる事が出来ます。ありがとうございます。」
若宮たちは生まれてすぐであったが、しっかりした顔つきで健やかに眠っていた。そして帝は同行している皇后や承香殿女御にも若宮を見せる。皇后は自分の子供のように若宮を抱きうれしそうに微笑む。
「帝、東宮のこれくらいのことを思い出しましたわ・・・。なつかしい・・・。女御様の姉君のお子様をご覧になられたらいかが?」
女御はチラッと見ただけで、後ろに下がった。
「あら、御抱きになられたらよろしいのに・・・。小さすぎて怖いのかしら・・・。」
「はい・・・。」
「本当に承香殿様は口数が少ない御方ね・・・。いずれ御子が授かったらこの可愛さがわかりますわ。」
皇后は若宮たちを乳母に返す。帝は関白に伺う。
「宴を抜け出して中宮の見舞いに行ってもいいですか?」
「はい、そういわれると思い準備をしております。中宮も帝にお目にかかるのを心待ちにしているようです。」
帝は立ち上がって、宴を抜け出し鈴華のいる部屋に向かう。向かう途中、すれ違う女房たちは口々に帝にお祝いの言葉を述べる。帝も一人一人に会釈をする。鈴華はまだ寝所にて横になり、体を休めている。鈴華の部屋の表が騒がしくなると、帝が現れ、鈴華の寝所の前に座る。帝は女房たちを下がらせると、話し出す。
「鈴華、とても可愛らしい双子の若宮だったね・・・。ありがとう。」
鈴華は起き上がろうとするが、帝は止める。帝は鈴華の側に座りなおすと、鈴華の手をとり帝の頬に当てる。
「本当に鈴華の言うとおり双子の皇子だったね・・・。疲れただろう・・・。あとひと月堀川邸にお世話になるといい。ゆっくり体を休めて戻っておいで。若宮たちは、梅壷にて養育させるようにする。もちろん関白殿も承知してくれた。」
「雅和様・・・。私こそ感謝いたします。このようにわざわざ堀川邸まで行幸していただけたのですもの。鈴華はとても幸せ者です。」
「気にすることはない・・・。大事な妃なのだから・・・。」
帝は微笑んで、鈴華を見つめた。
帝が寝殿中央に戻ると、皆は宴を楽しんでいた。様々な趣向を凝らし、贅を尽くしている。帝は鈴音を呼び、言う。
「承香殿、丁度いい、当分こちらのお世話になってもいいよ。」
「え?」
「心配しなくていいのですよ。なかなかご実家に帰れないでしょうから、好きなだけこちらで羽を伸ばしたらいい。最近承香殿は何か思っているのか、以前のように笑顔が少なくなってきているように思うのです。実家でご両親に甘えてはいかがですか?丁度姉君も里下がり中です。」
「はい・・・。」
帝は微笑んでいう。
「これからも可愛らしい笑顔を見せて、この私を元気付けてください。あなたの笑顔は私の元気の源ですから・・・。」
鈴音ははじめ、後宮を追い出されるのかと思ったのですが、帝の優しい心遣いに感謝して納得し、当分こちらでお世話になることにした。もちろんこれを機会に鈴華と鈴音の仲は以前のように仲良くなったのです。
宴がお開きになると、関白は帝の行幸に来ている者たちに贅を尽くした禄を一人一人に配った。帝はたいそう喜んで内裏に戻っていった。
《作者からの一言》
帝の行幸はとても大変です^^;迎えるほうも大変なのです・・・。迎えるほうは引き出物として来てくれた人みんなに衣など配らないといけません^^;今考えると相当の財がないと出来ないことです^^;
第91章 鈴華の三度目の懐妊
内裏亡霊事件から数ヶ月がたち、内裏の者たちが忘れかけた頃、帝のもとに中宮職大夫が現れる。
「大夫、最近藤壷中宮の体調が思わしくないと聞く。何かわかりましたか?」
「はい、先ほど典薬寮の者に見ていただきました。帝、喜ばしい診察結果が出ました。中宮様御懐妊とのことでございます。」
帝は懐妊の報告に驚き、大夫に駆け寄る。
「もちろん確かなことであろうな!」
「はい。春御出産予定でございます。おめでとうございます。」
続けて大夫に帝はいう。
「中宮は一度流産をしている。一度流産をすると再びしやすいと聞く。そのような事がないように頼みましたよ。」
「御意・・・。」
この日のうちに中宮の懐妊は都中に広がり、父親である関白太政大臣は皇子無事出産を早々祈願させる。中宮はこの懐妊を知っていたかのように和やかな表情で、お見舞いに来た帝を迎える。
「鈴華、懐妊を聞いたよ。今度こそ健やかな子を・・・。」
鈴華は微笑んで、帝に言う。
「はい。今度はちゃんと生まれてきます。勘なのですが、双子の皇子の様な気がしますわ・・・。」
「まだ懐妊がわかったばかりだよ鈴華・・・。まあ父方の祖母も父上も私も双子で生まれたからないとはいえないけれど・・・。でも・・・。」
「いいから春の誕生を楽しみにしていてください。きっと雅和様がお喜びになると思いますので・・・。」
鈴華の今まで見たことのない幸せそうな表情に帝は改めて鈴華にときめく。
「鈴華、あれから変わったね・・・。なんというか・・・・良くわからないけれど・・・。」
鈴華は不思議そうな表情で帝を見つめる。
「まあとりあえず鈴華、健やかな御子を・・・。」
「はい。」
鈴華は満面の笑みで帝に返事をする。帝は顔を赤らめ立ち上がると、清涼殿へ戻る。
この日から続々と懐妊祝いの贈り物が届いた。もちろん心からのお祝いをする者もあれば、一部ではあるが鈴華の幸せを嫉む者からの嫌味なお祝いもある。
「中宮様、皇后様がこちらに・・・。」
突然綾乃がお見舞いにやってくると、藤壺の者たちはあわてて皇后を迎える用意をする。
「気を遣わなくてもいいわ。鈴華様と私の仲ではありませんか・・・。」
綾乃は鈴華の前に座ると、微笑んで綾乃は言う。
「聞きましたわ、嫌味な贈り物が何度も同じ人物から送られてくるそうですわね。どなたかしらね・・・。まあ大体誰かわかっています。」
「いいのです・・・。私ばかり懐妊するので・・・。」
「前回は残念な結果でしたが、鈴華様、今回は元気な御子をお産みくださいね。私は東宮を産んでからなかなか御子に恵まれません。鈴華様がご懐妊したと聞いたときは本当に私が懐妊したときのようにうれしかった・・・。本当にひどいことをする方がいるのですね・・・。」
もちろんこのような嫌味なことをするのは、土御門殿の姫君である尚侍で、もちろん帝はこの姫をなんとも思っておらず、尚侍の一方的な帝に対する想いが募ってしているのである。もちろん帝の耳にも入っており、帝はどうすればいいものかと悩んでいるのである。尚侍から嫌がらせの文や贈り物が毎日のように届くので、帝は鈴華の事が気になって、暇を見つけると、藤壷までやってきて鈴華を見舞う。鈴華は帝に心配を掛けないようにと、元気そうに振舞うが、やはりかなり堪えているのが目に見えてわかる。痺れを切らした帝は左大臣を呼びつけ、尚侍のことについて話す。
「土御門殿、あなたの姫尚侍には呆れます。懐妊中の中宮に嫌がらせばかりしている。前回中宮は流産しているので今回は無事に生まれて欲しいのです・・・。あなたならわかっていただけるものと思っている。また嫌がらせをするようなら、出仕停止を考えないといけません・・・。」
土御門左大臣はまったくそのようなことを知らなかったようで、驚いて尚侍の御殿に行くと、しかりつける。
「尚侍、今日は恥をかいてしまったよ。お前は御懐妊中の中宮様にいろいろ嫌がらせをしているようだな。父である私は帝に怒られてしまった。前回もお前は中宮様に嫌がらせをしていたと聞いたぞ、もしそれが原因で前回流産されたというならば、なんとお詫びをしないといけないものか・・・。いくらお前が帝を想っていたとしても、このようなことをするのは逆効果なのだよ。いいね、もう中宮様への嫌がらせはやめなさい!」
尚侍は泣いて父君に訴える。
「土御門家は都で一番の名家なのよ!二流の堀川家の姫のほうが寵愛されているなんて・・・我慢できない!」
左大臣は呆れた顔で言い返す。
「何を言うのだ?堀川家は嫡流ではないが同じ摂関家であり、中宮の父君は関白殿。それに妹君も女御として承香殿を賜っているのです。今のところ一女官であるお前が勝てる相手ではない。中宮様に御子が無事に生まれるまでおとなしくな・・・。」
「わかりました・・・。大人しくします。」
尚侍は脹れながらも、父君の言うことを聞く。左大臣は溜め息をついて、もう一度尚侍に釘を刺す。
「いいか、またこのようなことをしたら尚侍を御辞退して邸に連れて帰る。」
「お父様・・・。」
この日以来尚侍からの嫌がらせはぴったりと収まったが、帝は怒りが収まらず、尚侍に出仕停止と謹慎を言い渡した。
鈴華は何事もなく年を越す。やはり鈴華の勘が当たっているのか、まだ生まれるまで3ヶ月ぐらいあるのにも関わらず、結構なおなかの大きさである。相変わらず、帝は心配してちょくちょく鈴華の顔を見に来る。
「まあ、雅和様。ご公務は終わられたのですか?」
「ん・・・。姫宮のときよりもおなかが大きいから心配なのですよ。」
「ですから、双子なのです。おなかの御子動きでわかりますわ。ですから早めに里下がりを・・・。」
「双子か・・・。典薬寮のものはなんと・・・。」
鈴華は微笑んで言う。
「女医もたぶん双子でしょうと・・・。」
「双子か・・・。名前も二つ用意しないといけないね・・・。あと守り刀なども・・・。」
鈴華はおなかを撫でながら幸せそうな顔つきで言う。
「とても元気なお子達です。どちらも皇子です。よく似た・・・。名前も実は考えていました。」
もちろん鈴華は生まれてくる御子達は初恋の君と吉野の君の生まれ変わりと信じている。だから鈴華は帝に許してもらえるのであれば、二人の名前をつけようと考えていた。
「どのような名前をつけたいのですか?参考までに聞いておこうか・・・。」
鈴華は少しためらって言う。
「まさひろとまさもりです・・・。」
帝はその名前を聞いてハッとする。もちろんまさひろは鈴華の初恋の君であり、まさもりは例の吉野事件の検非違使少尉の名前であった。
(鈴華は二人の生まれ変わりと信じているのかな・・・。まあいい・・・鈴華の思うように・・・。)
帝は女官に御料紙と筆を持ってこさせると、鈴華といろいろな字を当ててみる。鈴華は楽しそうに一文字一文字当ててみる。
「やはり『まさ』は雅和様の雅を・・・。雅和様、『ひろ』と『もり』はどのような字がいいかしら?」
すると帝は少し考えて書き足し、鈴華に見せる。鈴華はたいそう喜んで、おなかの御子達に話しかける。
「雅博に雅盛、お父様が字を考えてくれましたよ。元気に出てきてね・・・。」
鈴華はうれしそうにおなかを撫でるのを見て帝は微笑む。
「鈴華、もし姫宮だったらいけないから、生まれるまでに考えておくよ。」
「はい。でもこの子達は皇子です。絶対・・・。」
「はいはい皇子ね・・・。里下がりを許すよ。いつでも都合の良い日に里下がりをしなさい。」
鈴華は微笑んでうなずく。半月後の吉日に鈴華は実家である堀川邸に里下がりをした。関白太政大臣は典薬寮から双子の件を聞いていたので、早めに準備をさせ、何もかも二つずつ用意させた。もちろん鈴華は2回目の出産ではあるが、双子であるのでとても不安な様子でその日を待つ。
予定日よりもひと月近く早くその兆候が見られた。鈴華のおなかはもうパンパンに張って、今にも破裂しそうな大きさだった。兆候が出だした頃、典薬寮より帝にもうそろそろ生まれるとの報告が入る。珍しく難しい双子の出産に典薬寮や堀川邸は二人とも無事に生まれるように神頼みするしかなかった。ひと月早めであったが鈴華は何事もなく無事に小さめの元気な瓜二つの双子の皇子を産んだ。関白は二人の皇子の誕生に大変喜び、従者に行かせずに急いでそのまま自ら帝の御前に報告に行く。
「申し上げます、当家の姫藤壷中宮、無事双子の皇子をお産みあそばしました。中宮も何事もなく元気でございます。皇子たちも小さくは生まれましたが、とても元気な皇子たちでございます。」
帝は喜んで、関白にお祝いの言葉を言うと、うれしさのあまり堀川邸に非公式の行幸をしようと関白に提案した。もちろん関白は快く引き受け、陰陽寮に佳き日を占わせる。3日後ならと報告を受けると、早速行幸の準備をさせた。
一方鈴華はどちらの皇子にどの名前をつけようか悩んでいた。するとふと少将の亡霊が言っていた事を思い出す。そして吉野の君にもあったあざの位置も確かめさせる。
「左肩にあざのある皇子はいないかしら・・・。あと首の付け根の当たり・・・。」
二人の皇子の乳母たちは、皇子を隅々まで見てあざの位置を見る。すると中宮が言ったとおりの位置にあざがあった。
「肩にある皇子は『雅博』、首の付け根にある皇子は『雅盛』にしましょう。」
乳母たちは鈴華の言う言葉を不思議に思う。鈴華はやはり二人は初恋の君と吉野の君の生まれ変わりであると確信した。
《作者からの一言》
なんとタイムリーな話ですね^^;昨日紀子様に若宮様がお生まれになりました。まあこれはもう半月ほど前に書いていたものですけれど・・・。
昔双子を無事出産なんて無理に等しいかもしれません。現代でも絶対安静をしてやっと生まれるのですから・・・。
双子の若宮はやはり初恋の君と吉野の君の生まれ変わりでした・・・。幸せになってくれるといいですね^^;
第90章 伝えたいこと・・・
最近内裏中にある噂が流れる。名も知れぬ武官姿の亡霊が内裏中をうろついているというのだ。そのためか、近衛の者達は恐れて宿直を断るものが続出した。しょうがないので内大臣兼任の右大将と、頭中将源常隆が、帝のためにと名乗り出てほぼ毎日のように宿直を引き受けた。この噂はもちろん後宮にも広がり、後宮にいる女官たちは恐れて引きこもるものが多かった。
「内大臣様、宿直の間そのような者は見ましたか?」
内大臣は首を横に振って頭中将と共に内裏を一周する。
「本当に他の者達はお勤めというものをどう思っているのか・・・。ここは帝の住まう内裏・・・。守るものがいなくてどうするのか・・・。宿直する者はみな皇族に関わりのあるものたちばかり・・・。宿直の必要のない中務卿宮様までずっと後涼殿に詰めておいでなのに・・・。」
すると藤壷あたりで女官達の悲鳴がするのを聞いて、急いで二人はそちらに走る。藤壺では藤棚近くのすのこ縁で顔を青ざめた女官が座り込んでいた。
「どうかしましたか?」
その女官は震え上がり、声は絶え絶えで答える。
「これは・・・内大臣様・・・頭中将様・・・。私は見たのです・・・。緋色の武官の束帯を着た若者が・・・中宮様の御殿に入ろうとするのを・・・。私はおかしいと思い声をかけると、そのものはふっと消えて・・・。」
気を失いそうになる女官を頭中将は支えて、内大臣の言葉を待つ。
「緋色の束帯・・・。そして若い・・・。心当たりはあるのか?」
他に何かないかと女官を問いただすと、他の女官は言う。
「下がさねの襟の文様に見覚えが・・・。あれは確か・・・。一部の摂関家が使うもの・・・。最近は見ていませんが・・・。」
「どこの摂関家が使う文様かわからぬか?」
女官は恐怖のあまり思い出せない状態でいるので仕方なくその場を立ち去った。
「頭中将、若い緋の束帯に特殊な摂関家の文様の入った下がさね・・・。心当たりは・・・。」
頭中将は右近衛の詰め所に入ると、考える。
(なにかひっかるのだけれど・・・。緋の束帯に最近使われていない特殊な摂関家の文様の下がさね・・・。もしかして・・・。しかし・・・そんなはずは・・・もうあの方が亡くなって三年は経つ・・・。あの家系に唯一縁のある人物といえば今内裏にひとり・・・・。)
頭中将は早速後涼殿に向かって、中務卿宮に会う。
「どうしたのですか、頭中将殿・・・。こんな夜分遅くに・・・。」
「中務卿宮様、お願いがあるのです。皇太后様のご実家の紋が入ったものをお持ちですか?」
「え、東三条家の?一条院に戻ればある。亡きお爺様の形見の品には確か東三条家の紋が入っていたが・・・。どうしてそのような・・・。」
「今噂になっている亡霊の件で心当たりが・・・。お貸し願いませんか。紋の入ったものを・・・。」
中務卿宮はうなずくと従者を呼び、紋の入った形見を持ってこさせる。従者から形見を受け取ると、中務卿宮は頭中将に見せる。
「これはお爺様愛用の直衣の端切れ・・・。直衣を持っていてもしょうがないので、一部を切り取って大事に保管していたのだけれども・・・。これなら紋がはっきり見えるからいいと思う。これを貸してあげるよ。なくさないように頼みますよ。」
頭中将は深々と頭を下げると、藤壺に向かい先ほどの女官に会う。そしてこの紋の入った歯切れを見せると女官はうなずき、戻っていった。頭中将は右近衛の詰め所に入り、内大臣に報告する。
「なるほどね・・・東三条家の亡き右近少将殿か・・・。元私の部下であるから面識はある。そして藤壺中宮様の元婚約者であったというのも聞いている。でもなぜ今頃・・・。」
「そうなのです・・・。いくら中宮様と結婚直前の急な死去・・・無念であったとはわかりますが、なぜ今頃・・・。中宮様に何か悪い事が起こらなければいいのですが・・・。やっはり中務卿宮様や帝にこのことは・・・?」
「亡霊の正体が誰かわかった以上、放っておくことは出来ない・・・。陰陽師の管轄は中務であるし、中宮様が絡んでいるとしたら中宮職・・・。もちろん帝のお耳にも入れておいたほうがいいかもしれません・・・。事によっては帝のお命に関わるかも・・・。今すぐ後涼殿の中務卿宮様のところへ行こう、それからどうするか・・・。」
二人は後涼殿に向かい、中務卿宮と亡霊の正体について話す。中務卿宮は少し考えさせて欲しいといって考え込んだ。丁度その頃藤壷では皆が眠ってしまうと同時に例の亡霊が再び現れそっと鈴華の寝所に入っていく。もちろん鈴華は寝所でひとり眠っている。枕元に例の亡霊が立ちじっと鈴華の顔を見つめている。鈴華は異様な空気に気が付き意識が朦朧としながら目を開けようとすると、亡霊は鈴華の側に座り鈴華が目覚めるのを待つ。
『泰子・・・』
その言葉に鈴華はハッとして起き上がる。鈴華は亡霊と目が合ってしまい、一瞬体が強張ったが、亡霊が誰であるかわかるとその亡霊に声をかける。
「政弘様?」
亡霊はうなずくと、微笑んだ。
「泰子、今幸せ?答えはわかっているよ。ずっと僕は泰子の側にいたのだから・・・。泰子と帝を引き合わせたのも僕さ。幼馴染でもあるし、ずっと僕は帝が東宮の頃、東宮御所の警備を任されていたから、帝の性格は良く存じ上げている。だから僕は帝なら泰子を幸せにしていただけるだろうと思って、入内の宣旨が下るようにしたり、宇治で帝と会わせたりしたのです。僕はずっと泰子が心配だった・・・。帝の妃として後宮に入ってもちゃんとやっていけるか・・・。でももう心配はない・・・。帝なら泰子のことをお任せできる。もう僕は行かなければならないのです・・・。ずっと泰子の側にいてはいけないのです・・・。」
「政弘様・・・。」
亡霊は自分の腕をめくると、肩の辺りのあざを見せる。
「このあざを覚えておいてください・・・。きっと僕は戻ってきます。泰子の側に・・・。」
亡霊は立ち上がるとふっと消えそうになり鈴華は呼び止める。
「政弘様・・・どちらへ・・・。」
「帝にご挨拶をして僕は行くべきところへ・・・。」
そう告げると亡霊は消えてしまった。鈴華は何故か涙があふれ、気を失ってしまう。気が付くと朝になっていた。結局例の亡霊は昨夜清涼殿には現れず、何事もなかったように朝を迎える。朝から清涼殿には中務卿宮、内大臣、頭中将が現れ、亡霊の正体について報告する。
「そう・・・。私も東三条の少将のことは知っている。もちろん幼馴染でもある。中務卿宮も、一緒に育ったのだから知っているはず。東宮時代はよく警備を頼んだものだ・・・。中宮と婚約していたことはあとから聞いたこと・・・。本当に確かなのだろうか・・・。」
帝は考え込んで、中務卿宮の話を聞く。
「東三条の少将が中宮様のことを想うあまり、帝に害を及ぼすかもしれません・・・。まあ私もとても温厚であった少将がそのようなことをするとは思いませんが・・・。万が一を考え、今晩より清涼殿に陰陽師を詰めさせます。そして私たちも・・・。本日は中宮様もこちらのお局に・・・。そのほうが安全だと思います・・・。」
「うん。ありがとう兄上・・・。内大臣も、頭中将も連日の宿直でお疲れだと思います・・・。兄上も無理をせず・・・。」
三人は帝の御前から下がり、後涼殿に入る。そしてこれからのことについて打ち合わせをする。帝は脇息にもたれかかって、考え事をする。そして東三条邸での幼き日々を思い出す。
東三条の少将は年下ではあるが、中務卿宮の叔父に当たる。もちろん小さい頃より当時東三条邸で育てられていた、一の宮こと現在の中務卿宮とは同じ邸内で育ち、まるで兄弟のように一緒に遊んだり勉強したりしていた。もちろん、二の宮である現在の帝も、養育されていた二条院から兄を慕って遊びに来ていて、一緒に遊んだ事が何度もあった。二の宮も二歳年上のこの若君を兄のように慕い、若君も弟のようにかわいがっていた。それは二の宮の祖父亡くなり、後宮に引き取られるまで続いた。再会は帝が元服し、中務卿宮として出仕を始めた頃、同じ歳同じ頃に出仕をはじめた友人である当時の左衛門佐源常隆に会うため衛門府に訪れた際に久しぶりに出会った。それ以来仲良くなり三人でいろいろ話したりしていた。帝の兄が廃太子し、帝が東宮としてついた後の秋の除目。丁度右近少将として昇進した藤原政弘を東宮御所警護に任命し、側につけていた。少将は東宮と一線を引き、今までと違った態度で接していた。少将が倒れたのは丁度東宮御所での宿直中であって、即東三条邸に運ばれたが、すぐに亡くなってしまったのだ。幼馴染であった少将が急に亡くなって、相当ショックであった。
(本当に東三条の少将はまじめで、温厚な性格であった・・・。しかし婚約者であった最愛の鈴華をこの私の妃にしたことで彼は私のことを怨むであろうか・・・・。それならそれでいい・・・。)
帝は溜め息をつき、執務をこなしていった。鈴華は中宮職大夫である兄からの報告で、当分清涼殿の鈴華の局で過ごすようにと伝えられ、清涼殿に渡る準備をする。
「お兄様。どうして当分私だけ清涼殿で過ごさないといけないのでしょうか?」
「いや、この私でも良くわからないのです。帝のご命令と中務卿宮様から伝えられたのです。」
鈴華は不思議そうな顔をして、とりあえず帝の命令どおり清涼殿の局に入る。大夫は鈴華が局に入ったのを確認すると、帝に報告する。
「ただいま中宮様、局に入られました・・・。」
「大夫殿、ご苦労。」
大夫が下がると、帝は立ち上がって鈴華の局に入ると、中務卿宮を呼んで人払いをし、鈴華に事情説明をする。
「帝、政弘様はそのような方ではありません。実は昨夜、私の前に現れいろいろ話してくれました。私や帝に関する怨み言等一言も・・・。」
「ああ、私も東三条の少将のことは幼馴染だから良く知っている。そのような性格ではないのも・・・。でも万が一って言うのもあるからね・・・。中宮に何かあってもいけないから、解決するまでこちらにいて欲しいのです。」
と帝が言った。すると中務卿宮は鈴華に言う。
「私も少将と一緒に同じ邸で育ったものとして、そのようなことはないと思いますが、亡霊なので何が起こるかわかりません。中務卿宮として、帝を最善の方法でお守りするのが務めです。右大将である内大臣、頭中将もお側でお守りいたします。亡霊であるので効き目はないかもしれませんが、もし帝に何かあったときはこちらも命をかけて対処させていただきます。」
中務卿宮は一礼をすると、鈴華の局から下がっていった。
「政弘様は言っていました。帝にご挨拶をしてから行くべきところへいくと・・・。」
「今夜は、こちらにいるのですよ・・・いいね鈴華・・・。」
「嫌です、私は雅和様の側にいて何かあったときは政弘様を説得します。」
「わかったよ・・・珍しく勇ましいね鈴華は・・・。あまり無茶なことは・・・。」
鈴華は微笑んで、うなずくと帝は心配そうな表情で、局を後にする。
夜になると、とりあえず帝は寝所に入る。御帳台の側に鈴華は座って控える。もちろん同じ部屋には内大臣や頭中将、中務卿宮、陰陽師が控え、内大臣や頭中将は陰陽師により細工された刀を携えて今か今かと亡霊の出現を待つ。夜が更け、帝も眠りにつき、鈴華はうつらうつらとしているとき、何者かが入ってくる気配を陰陽師や控えているものたちが感じる。内大臣と頭中将は刀に手を掛け、いつでも帝からの抜刀命令が出てもいいように準備する。帝も異常な雰囲気に目を覚まし起き上がると上着を羽織り、鈴華に声をかける。
「中宮、几帳の裏にいなさい。早く。」
鈴華は帝の言うとおり几帳の裏に控え、様子を伺う。すると扉が開いていないにも関わらず、冷たい風が吹き、白い光が現れる。帝は立ち上がってその光の近くに近寄ると、光の中から、亡霊が現れる。
「東三条の少将殿だね・・・。待っていたよ。」
亡霊は膝をつき頭を下げたままで、話し出す。
「お久しぶりでございます。帝・・・いえ雅和親王様。」
「本当に・・・なぜ、私の前に・・・?顔を上げなさい。」
亡霊は顔を上げるとまさしく東三条の少将であった。少将は微笑むと、きちんと座りなおし、深々と頭を下げる。
「まずは右大将様と頭中将殿に物騒なものをしまうようご命令ください。帝に危害など加えるつもりはありません。今夜は帝に伝えたい事があり、こちらに参りました。」
帝は内大臣と頭中将に刀を下に置くように命じる。すると少将は話し出す。
「今まで泰子を大事にしていただき、感謝しております。やはり帝は私の思ったとおりの方でした。私は残された婚約者である泰子が心配で、死んでも死にきれませんでした。帝に泰子を託し、本当に正解でございました。幸せそうな顔をする泰子を見て、もうこれで泰子を諦める決心がつきました。私は行くべきところに参ります。帝、うっかり者の姫ですが、今後とも泰子のことをよろしくお願い申し上げます。」
「ああ。安心していくべきところへ・・・。」
少将は頭を上げ微笑むと、その姿は白い光に変化し、天に昇っていった。何故か帝の目には涙が浮かんでいた。帝は溜め息をつくと力が抜け、その場に座り込んだ。
「これで少将の亡霊は現れることはないだろう・・・。皆、ご苦労・・・。下がって休んで・・・。」
下がったのを確認すると、鈴華は帝の側に座りみつめる。
「やはり東三条の少将はそのままだったね・・・。鈴華の言うとおりだ・・・。これで終わったかな・・・。」
「はい・・・。」
帝は鈴華を抱きしめる。
「鈴華を大切にするよ・・・。少将とも約束したし・・・。もちろん約束をしなかったとしても鈴華は大事だよ。」
「雅和様・・・。」
「さあ、夜も更けてしまった。一緒に寝よう・・。」
二人は御帳台に入り、仲良く寄り添いながら眠りについた。この夜以来武官の装束を着た青年の亡霊は現れなくなった。そして内裏は平静を取り戻した。
《作者からの一言》
亡霊の正体はやはり鈴華のもと婚約者である東三条家の少将でした。ずっと鈴華の側で見守り続けていたのです^^;もうこれで安心だと思ったのでしょうか・・・。帝に鈴華を託し、昇天しました。何事もなく終わり、帝は安心したことでしょう。
第89章 幼き頃からの思い出
鈴華はある日幼い頃の夢を見て、懐かしそうに昔の事を思い出す。
四つの頃、鈴華は実家のある理由で、曽祖父が建てた宇治にある鳳凰堂に預けられていた。もちろん鈴華は嫡流の子ではなかったが、立派な摂関家の一の姫であったので、曽祖父にたいそうかわいがられ、末は御年七歳の東宮に入内するよう期待されていた。
「泰子や、お前はとても可愛らしく、いい家柄の姫君だ。嫡流ではないがきっと東宮妃となって、摂関家を盛り立ててくれよ・・・。」
小さい鈴華は訳がわからなかったが、曽祖父の喜ぶ顔を見たさにいつもいい返事をしていた。ある日曽祖父の甥である東三条家の隠居が寝込みがちの曽祖父の見舞いにやってきていた。曽祖父は喜んで話をする。
「おやその若君は?」
と曽祖父が言うと、東三条の隠居は言う。
「私の一番小さな孫でございます。一番上の孫と親子ほど離れておりますが、とても利発でいい子なのですよ。政弘、大叔父上にご挨拶は?」
その若君はきちんと座って挨拶をする。
「はじめまして東三条左大臣の子藤原政弘と申します。」
「おうおう・・・ホントに利発な子じゃ。年はいくつじゃ。」
「六歳でございます。」
「そうかそうか・・・。今から大事な話があるのでな、庭にいる泰子姫と遊んでおいで。」
「はい!」
若君は立ち上がって早速鈴華と仲良く遊んだ。若君の祖父は言う。
「あの子は例の堀川中納言殿?」
「そうだ・・・。とてもかわいいだろう。ちょっと家の都合でこちらに預かっておるのじゃ。」
「そうですね・・・今堀川中納言殿はいろいろごたついておられる・・・。」
二人は仲良く遊んでいる若君と鈴華を見つめる。微笑ましい光景は二人の歳のいった男たちを和ませる。それからというものたびたびこの鳳凰堂で鈴華と若君は会うようになった。庭に生えている草花を摘んで冠を作ったり、鬼ごっこをしたりして過ごした。
出会って半年後、ついに鈴華の曽祖父が亡くなってしまった。曽祖父を鈴華が看取り、都の土御門邸で行われた葬儀にも鈴華は参列した。もちろん葬儀にはあの若君も来ていた。曽祖父のもとで長い間育った鈴華は悲しみのあまり、泣き崩れてしまった。それを見た若君は鈴華に声をかける。
「泰子姫、堀川邸に戻るのでしょ。堀川邸は僕のおうちのお隣だから寂しくなったら遊びにおいでよ・・・。いいでしょ父上、兄上。」
若君のいう言葉に左大臣と兄である参議は微笑んでうなずいた。もともと鈴華は曽祖父の養女として引き取られ東宮のもとに入内する予定で育てたられていた。それを志半ばで養父となるべき曽祖父が亡くなってしまったので、鈴華は実家である堀川邸に戻されることになったのである。その遺志を受けた鈴華の父はその後幼い鈴華を東宮妃にしようと育てるが、隣の邸の若君と遊ぶのが夢中で落ち着いてお妃教育どころではなかった上に、何をやらせてもうまくいかない鈴華を見て、入内をあきらめようとした。そして十一歳のある日、鈴華の父は若君の父である左大臣と相談する。
「東三条様、お願いがあるのです。当家の一の姫泰子を末の若君と婚約させていただきたいのです。もちろん二人は幼馴染であり、未だに両家を行ったり来たりしている間柄・・・。若君が元服し、ある程度の官位になられたら当家の婿として若君を頂きたいのです・・・。」
左大臣は同じ摂関家としてこの縁談を喜び、受け入れる。それを知ってかしらずか、二人はまだ元服裳着を済ましていないにも関わらず、二人だけの約束を交わす。
年が明けすぐに東三条の若君は元服の予定が入る。元服式の前日、若君は鈴華の元を訪れ、元服の挨拶をする。
「泰子姫、僕は明日元服します。きっと泰子姫に見合う官位になったら姫をお迎えにあがります。それまで待っていて下さい。」
「きっとよ・・政弘君・・・。私も春になったら裳着をするの・・・。もうこうして会えないのね・・・。」
二人は正式に婚約が決まるまで会えなくなった。元服から二年が経ち、正式に婚約が決まると、侍従から右衛門佐になった若君は鈴華の元へ話し相手にやってくる。
「政弘様、来月の節会、私舞姫に選ばれたの。今から準備で忙しいのよ。」
右衛門佐は残念そうな顔で鈴華にいう。
「では当分姫には会えないのですね・・・。がんばってください・・・。」
右衛門佐は鈴華が着る舞姫の衣装を見つめると、溜め息をついた。
(姫を人前に出すなんて・・・。いくら婚約をしているといっても、もし御年十七の東宮の目に留まったら・・・。)
右衛門佐の心配をよそに、鈴華はとても喜んで衣装を触っている。当日もちろん鈴華が五節の舞を舞う姿を、そわそわした気持ちで見つめた。右衛門佐の同僚は右衛門佐の婚約者が舞っているということで注目して見つめていたが、やはりなんと言ってもうっかり姫であるので何度か間違ってしまう。右衛門佐は頭を抱えて、恥ずかしい思いをした。もちろん心配したように東宮の目には留まることはなく、あっという間に年が過ぎた。
鈴華が十五の秋、婚約者が秋の除目で右近少将に昇進したので、婚儀の日程が決まった。しかしながら年明け早々に右近少将の兄である三条大納言の二の姫が新東宮に入内する事が決まって早くても梅雨明けの庚申の日以後となった。少将と一歳年下の姪の入内のため、ずっと会えないまま年を越し、春が来て鈴華の婚礼のお道具が少しずつ揃うのを見て、鈴華は少将との結婚に実感が沸く。忙しいといっても、ほぼ毎日のように少将からの文が届くので、会えなくても我慢できた。婚儀まであと半月という時に東三条家で不幸が起きた。親子ほど離れた少将の兄である三条大納言が急に倒れて逝去してしまったのである。少将は急いで鈴華の父である権大納言邸を訪れ、鈴華の父である権大納言に喪が明けるまで婚儀は延期したいと頼みに来たのである。もちろん喪が明けるまでは文も一切出せない状態である。少将は鈴華の部屋を訪れ謝罪をした。
「泰子姫、兄上が急に逝去してしまったのです・・・。喪が明けるまでは姫との婚儀は出来ません・・・。喪が明けたとしても、嫡男である兄が逝去してしまったので、僕が東三条家の家督を継ぐことになると思います。もちろん姫との婚約は続行するつもりです・・・。だから姫・・・。我慢してください。秋になれば東宮女御の里下がりがありますし・・・。早くても東宮女御のご出産が終わってからになるかもしれません・・・。すみません・・・。」
そういうと急に立ち上がって鈴華の言葉を待たずして隣の東三条邸に帰っていった。鈴華はじっと我慢して喪が明けるのを待ったが、喪が明けた途端今度は少将の父である左大臣が持病のため逝去し、そのひと月後、東宮女御が産後の肥立ちが悪く逝去してしまったのである。度重なる不幸のため、少将は東三条家の整理のため、東三条邸から離れる事が出来ず、落ち着いた頃にはもう年が明け、春がそこまで来ていた。少将は落ち着いたことを機に、改めて堀川邸の権大納言に婚儀の相談に現れる。現れた少将はずいぶん苦労したのか、痩せてしまって、以前の利発で朗らかな面影などなかった。御簾越しに対面した鈴華は心配のあまり、御簾から飛び出し、少将に抱きつく。
「政弘様・・・。そのようにお痩せになられて・・・。」
「姫、父上や兄上、そして亡き東宮女御の件でいろいろ忙しかったので・・・。もう大丈夫です・・・。先ほど権大納言様からも、姫との婚儀のお許しを頂きました。藤の花が咲く頃、結婚しましょう。そして姫は東三条邸にいらしてください。だいぶん待ったでしょう・・・。泰子・・・。」
そういうと、少将は初めて鈴華にキスをした。その後も婚儀の日までに鈴華の衣装や様々なものが新調される。毎日のように少将からの文が届き、たまに休みを取った少将が堀川邸に訪れ、婚儀の打ち合わせをした後、鈴華に会って帰る。そのような幸せな毎日が鈴華の訪れ、婚儀を控えた三日前に事態が急変した。堀川邸内が急に慌しくなり、いやな予感がした鈴華は父君のいる寝殿に向かうと、東三条邸の者が権大納言に報告する。
「権大納言様に申し上げます。ただいま右近少将様ご逝去!」
その言葉を聞いた鈴華はショックのあまり気を失い、倒れてしまった。気が付いたのは少将の葬儀が終わった数日後で、鈴華は放心状態のまま日々を過ごした。
(なくなる前日、私の前で微笑んでおられた・・・。まもなくですねって・・・。あんなに元気そうだったのに・・・。どうして私を置いて旅立ってしまわれたの!)
すると鈴華は無意識のうちに守り刀を手に取り、首を切って自害しようとしたが、心配で様子を見に来た父君に止められた。
「鈴華!お前は何をしているのだ!」
「お父様!このまま死なせてください!政弘様のいないこの世など、惜しくはありません!」
父君は鈴華をたたいて言う。
「お前が死んだら少将殿は喜ぶと思うのか!最後に少将殿は泰子を頼むと言って亡くなったのだぞ!お前は生きないといけないのだ!きっといい事がある!きっといい殿方との出会いがあるぞ!」
鈴華は泣き叫んで寝所に籠もった。父君はこれ以上自害などしないようにたくさんの女房たちをつけ見張らせた。
時が過ぎ、鈴華が十八の春。少将の一周忌となった。鈴華は少将の墓のある遠い遠い吉野のほうに向かって手を合わせる。本来ならば、父君の許しを得て吉野に墓参りに行きたかったのであるが、このまま鈴華が出家してしまうのではないかと心配して一歩も邸から出さなかった。庭に植えてある藤の花を見ると、涙が出てしょうがなかった。鈴華の女房たちは鈴華に同情して、一緒に涙を流した。
さらに数ヶ月が過ぎ夏真っ盛りの頃、鈴華の父君は縁談を持ち込んできた。
「鈴華、いい縁談が決まったぞ!決まるとは思っていなかった。さあ来年早々だ、今から準備をしないと間に合わぬ。」
「私は結婚などしません・・・。このまま尼になって少将様を弔いたいのです。」
父君は困った顔をして言う。
「まだ少将殿のことを・・・。今まで一周忌を過ぎるまでは縁談を持ってこないようにしていたが、もうそろそろいいだろう。お前ももう十八。これを逃すともういい話はない。聞いて驚くなよ。お前の相手は今の東宮。来年新帝におなりあそばす際、鈴華が女御として入内することに決まったのだ。これは直々今上帝からのお言葉・・・。」
鈴華は寝所に籠もって反論する。
「いや!私は入内なんかしません!」
「何を言っているのだ。東宮様は鈴華と同じ年でとても姿かたちが良く、利発でとても気さくな方。これ以上の縁談はない!これを断るということはどうなるかわかっていっているのか?一族の廃退を意味するだぞ!決まった以上明日からお妃教育をするからわかったな!」
鈴華は泣き叫ぶと女房たちは心配して駆け寄る。鈴華は父君がいなくなったのを確認して鈴華の乳母に言う。
「私今から家出する!用意してちょうだい!吉野にいって政弘様の墓前に手を合わせてそのまま尼になるわ。」
鈴華に同情していた女房たちは急いで旅装束を用意し、鈴華に着せると、乳母と共にこっそり堀川邸を抜け出した。姫にとって慣れない徒歩は相当辛かったが、早く嫌な都から立ち去ろうと、足早に都を出た。途中縁ではない尼寺に泊めさせてもらい、翌朝早く次の休憩予定地である宇治へ急ぐ。もちろん父君は姫の家出に驚き、縁の寺や邸などを探させたが、なかなか見つからなかった。宇治に到着し、疲れたので河原に下りて岩に腰掛け、疲れた足を川につけて休ませる。いくら夏真っ盛りといっても宇治川の水は冷たく、なんとなくほっとした。
「吉野までまだまだなのよね・・・。さあ今日の宿を探さないとね・・・。」
「はい姫様。」
鈴華は立ち上がって草履を履くと、歩き出した。しかし少し歩いた途端躓き、草履の鼻緒を切ってしまった上に足をくじいてしまった。
「痛い!」
「ひ、姫様!誰かを呼んできますから!」
「だめよ。もしうちの縁者だったら連れ戻されてしまうわ・・・。少し休めば・・・。」
乳母はあたふたして姫の様子を伺うと、二人の後ろで声がする。
「どうかなさいましたか?どうもお困りのご様子で・・・。」
狩衣姿の男が声をかける。すると、乳母が言う。
「姫様の草履の鼻緒が切れまして、足を挫かれてしまったのです・・・。私にはどうしようもなく・・・。困っておりました。」
すると側にいた小葵の文様入りの直衣を着た男が鈴華の側に近づき、草履を手に取ると、自分の小袖の袖を少し破いて草履を直す。
「宮様、そのようなことはこの私が・・・。」
と従者らしきものが主人らしき人物に言う。
「常隆、いいよ。これくらい。本当にお困りのようなのだから・・・。」
鈴華は直衣を着た男の微笑む姿を見て顔を赤らめると、何もいえないまま、怪我をした鈴華をその男が抱き上げ、ある邸の客間に通した。この男はもちろん当時東宮であり、現在の鈴華の夫である帝なのです。鈴華はこの日の出会いに運命を感じ、あの婚儀の日の再会まで、帝を慕い続け、再会後は大変寵愛を受け、ひとりの姫宮を授かった。ほんの数年までは不幸のどん底にいた鈴華は帝との出会いによってとても幸せな日々を過ごしている。鈴華は今までの出来事を思い出しつつ、今の堅苦しい生活ではあるが、それ以上に帝に寵愛され、幸せに暮らしていることに感謝する。きっとこれは亡き少将が鈴華のために帝と引き合わせてくれたのではないかと少将に感謝する。そして帝の言うようにいい思い出として胸にしまおうとした。もちろん先日の吉野の出来事も同様に、大切な思い出として心に刻んだ。
《作者からの一言》
ネタがないときの思い出話です^^;鈴華から見た宇治での出会い・・・。鈴華はこの時当時東宮であった今上帝雅和親王に一目惚れをしてしまうのです。
追伸:今日は秋篠宮家に親王が誕生しました。これからの現皇室はどうなっていくのでしょうか?