超自己満足的自己表現 -471ページ目

第78章 早すぎる縁談

 鈴華が懐妊発表して少し経った頃、藤壺にニコニコしながら鈴華の父君内大臣がやってくる。まだ懐妊間もないというのに、内大臣は鈴華に言う。
「鈴華、入内して半年で懐妊し、父はうれしい。年明けには生まれると聞いた。土御門殿を知っているね。今日土御門殿に言われたのだ・・・。昨年土御門殿の一の姫が同じ摂関家の高陽院殿の嫡男参議殿と結婚した事を知っているであろう。丁度鈴華と同じ頃に懐妊してな・・・。鈴華が産んだ子と土御門殿の一の姫が産んだ子の縁談を言ってきたのだ・・・。」
鈴華は首を傾げて言う。
「まだわたくしもあちらも懐妊間もないのにですか?どちらが生まれるかさえわからないのに・・・。」
「こういうことは早いほうがいいのだよ鈴華・・・。嫡流の土御門殿と姻戚関係であれば、うちの堀川家も安泰というもの・・・。」
鈴華はその考え方がよくわからないようで、理解できなかった。
「土御門殿も、よく考えたものだ・・・。藤原北家系統をまとめようとお考えだ。その上、今日帝にも東宮康仁親王に縁談を持ち込んできた。まだ御年二歳であられるのに・・・。今年初めに生まれた嫡男左大弁殿の姫君との婚約を・・・。また、帝にも二の姫の入内もだ・・・。もちろん帝はたいそうお困りであったが・・・。今こそ藤原一族が結束して今は帝と外戚関係ではない現状を何とかしようとされている。」
さらにややこしい状況に鈴華は不思議に思った。
「お父様、姻戚関係にこだわるのでしたら、私のおなかのお子よりも、妹の二の姫を土御門様の次男少納言様と縁談された方が良くて?」
「お前は父の言うことに従っておればいいのだ。」
そういうと急に立ち上がって退室していく。鈴華は困り果てて、弘徽殿の中宮のもとを訪れる。中宮の耳にも東宮の縁談話が入ったらしく、困った顔をして鈴華に話しかける。
「まぁ!お腹のお子にまで縁談話を?何を考えているのかしら・・・土御門殿たちは・・・。鈴華様、何とか阻止をしないといけませんわ・・・帝も多分大変お困りでしょうね・・・。」
「綾乃様・・・。本当にどのようにすればいいかわからないのです・・・。」
「鈴華様、帝がお許しにならないと、東宮も、鈴華様のお腹のお子も簡単には婚約できないでしょうが・・・。この私でもややこしすぎて・・・。摂関家は何をしたいのかさえわかりませんわ・・・。あ、ごめんなさい・・・鈴華様は摂関家の方でしたわね・・・。」
「いいのです。私も訳がわからなくなってしまって・・・。」
「多分、土御門殿は関白の座を狙って仕掛けてきたのかもしれませんね・・・。」
二人は何が何だかわからない様子で、ああでもないこうでもないと話をする。もちろん帝は申し出を本気にしておらず、とりあえずまだ先のことだからと東宮の縁談を断ったのは言うまでもありませんし、まだ生まれてもいない子の縁談に関しても帝の耳に入った頃、帝は土御門殿と堀川殿を呼んで、叱責したのは言うまでもありません。もちろんこの二つの縁談に関しては破談になったのです。


《作者からの一言》

これは番外編^^;私も書いていて何がなんだか・・・。削除しようと思ってそのままでした^^;チラッとこの後出てくるので^^;

第77章 鈴華の願い

 暖かい日々が続き、藤壺の藤がきれいに咲く。今日は珍しく主だった公務がないので、早めに切り上げて帝は鈴華と共に藤壺の藤を眺める。
「鈴華、ここの藤はきれいだね・・・。」
「はい・・。」
鈴華は帝の少し後ろに座って答える。
 鈴華は帝に大変寵愛され、幸せな日々を過ごしている。毎日ではないが、月の半分は清涼殿に御召になる。この日は帝が特別に藤壺にやって来て一緒に眺めている。
「鈴華、後宮に来てもうそろそろ落ち着いてきただろう・・・。どうかな・・・藤壺で宴を催してみては?中宮と仲良くして欲しいから・・・。入内後の挨拶以降顔をあわせたことがないだろう?」
鈴華はうつむいて返事をしなかった。
「鈴華・・・。」
「帝・・・どのような事をすればいいのでしょう・・・。」
「管弦の宴などどうかな・・・。何か得意なことはある?歌とか・・・得意な事をすればいいのですよ。」
鈴華は悩む。鈴華には自慢できるほどのものが無いのだ。もともと何をさせても中途半端であるので、父親である内大臣がせっかく良い血筋である姫の入内を諦めるほどで幼馴染の亡き東三条家の少将と結婚させるつもりでいた。しかし病で少将が亡くなり、だめもとで入内を申し入れると運良く決まってしまったからもう大変。急いで入内の準備をし、お妃教育を突貫工事的にした。鈴華は恥ずかしそうな顔をして帝に言う。
「私は得意なものが余りありません・・・。歌も苦手ですし、琴も・・・。恥ずかしくて・・・。」
帝は微笑んで鈴華を抱きしめて言う。
「そうか・・・。じゃあ無理して宴をしなくていい。でも何も得意なことがないからといって、あなたを嫌いになったりはしないから、安心して。宮中ではいろいろこなしていかなければならないことが多いから、少しずつなれて行けばいいよ。何でもこなす中宮は稀だ。中宮は後宮に女童として2年ほどいただけで後宮のすべての事を身につけてしまった。ほんとに稀な姫だよ。あなたはあなたらしくしていればいいのです。」
「帝・・・。」
「あと、二人きりの時は名前で呼んでください。その方がうれしいのです。でも公的なところでは今までどおり・・・。本当に中宮は出来すぎた見本なので、無理せず一つ一つ覚えていけばいいのですよ。」
「はい!」
鈴華は涙を拭き取ると、元気な声で答える。
帝は鈴華が後宮で恥をかかない程度に教育する女官を選んで藤壺に詰めさせることに決めた。もともと雅なことが得意な帝の家系は女官にも得意なものが多い。和歌は六歌仙にも選ばれた在原業平を祖に持つ女官、琴は源博雅を祖に持つ女官、あとは香が得意な女官など様々な女官を教育係として藤壺に詰めさせた。また、夜の御召の時は帝自らお妃教育の成果を見る。鈴華は大好きな帝のために一生懸命教育を受け、めきめきと上達していくのがわかる。
「本当にだいぶん上達したね鈴華。このひと月でここまで上達するとは・・・。もともと才能があったのでは?前から字のほうは綺麗だったし、この分では後宮で恥ずかしくはないと思う。よくがんばったね・・・。」
鈴華は恥ずかしそうな顔をして帝の胸に抱かれる。
「何かがんばったご褒美をあげようか。何かない?」
鈴華は少し考えていう。
「先日お父様が、雅和様はとても龍笛の名手だといっておりました。何度か宇治にて聞いたことがございます。私も笛をやってみたいのです。お教えいただけますか?」
帝は少し考えてうなずくと、二階厨子ところから袋に入ったものを取り出し、鈴華に渡す。鈴華は袋を開け中身を取り出すと、笛が入っていた。
「これは?」
「それは幼少の折に亡き中務卿宮であったお爺様から頂いた龍笛です。今はもう使いませんので鈴華に差し上げます。今もっている龍笛は亡きお爺様が亡くなった時に愛用のものを頂いたもの。その龍笛は今持っているのより小ぶりなので、鈴華には丁度よい大きさだと思います。これで練習したらいいでしょう。練習用といってもかなりの高価な品なので、大事にしてくださいね。」
鈴華は元気に返事をして、帝に笛を一から丹念に教えてもらう。なかなか音が鳴るまでに時間がかかったが、音が鳴り出しコツをつかむと、上達をするのに時間はかからなかった。だんだん上達する鈴華を見て帝は驚く。鈴華もだんだん面白くなって昼間も暇を見つけては帝に頂いた笛を取り出して練習をする。
「鈴華様、大変お上手になられましたね。」
と、鈴華付きの女官が言うとうれしそうに答える。
「帝の教え方が大変お上手だからよ。この頂いた笛もいいものだから良い音がでるし・・・。」
鈴華はうれしくてしょうがないようで、御召の日を心待ちにする。最近は立て続けに御召があったので、なかなか御召しがなく、御召がない日は綾乃が帝のもとにいる。綾乃の御召の日、清涼殿の弘徽殿中宮の御局に向かう途中に毎回一生懸命笛の練習をする鈴華の笛の音が聞こえ、綾乃は女御の一生懸命さに感嘆する。そしてこの日、清涼殿夜の御殿にて、綾乃は帝に言う。
「藤壺女御様の一生懸命な人柄・・・。雅和様がご寵愛されるわけがわかりますわ。明日にでもこちらから出向いて藤壺女御様にお会いしようかしら・・・。」
あれほど鈴華にいい顔をしなかった綾乃がこのような言葉を言ったことに帝は驚く。帝の驚いた顔を見た綾乃は帝に言う。
「まぁ、雅和様。私は蛇でも鬼でもありませんわ。一生懸命な人が大好きなのです。」
「綾乃ったら・・・。では明日の御召は一緒にどうかな・・・。丁度良い、一晩中語らったらいい。」
「そうしましょう。お琴や笛がどれくらい上達されたか、見て差し上げますわ。」
「綾乃すまないね・・・。」
綾乃は微笑むと、帝はほっとした様子で眠りにつく。綾乃は帝に寄り添い一緒に眠った。
 次の日鈴華に突然清涼殿に来るように連絡が入る。もともとこの晩は中宮御召の日であったが、言われたとおり清涼殿へ向かう準備をする。いつものように帝から賜った大事な笛を持って清涼殿藤壺女御の御局に入る。急な呼び出しにドキドキしながら呼ばれるのを待つ。萩の戸をはさんだ東側の弘徽殿中宮のお局にも誰かいるようで、何だか騒がしい・・・。
「藤壺の女御様、帝がお呼びです。」
という帝の女官の声に鈴華はうれしそうに返事をして帝の夜の御殿に入る。入った途端、帝とは別の香の匂いがするのに気がついて、立ち止まる。
「鈴華、どうした?こちらにいらっしゃい。」
「でも・・・。」
帝は立ち上がって鈴華の手を引き、その香の主の前に連れて行く。
「さあ、鈴華座りなさい。」
鈴華は座って香の主にお辞儀をする。
「まぁ、お美しい女御様ね・・・。御簾越しでしたがお会いするのは二度目ね・・・泰子様。」
鈴華は頭を下げたまま、黙っている。
「鈴華様とお呼びしたほうが良いかしら?右大臣様の養女で右大将の娘、中宮源祥子です。綾乃とお呼びください。お顔を上げてください。捕って食ったりしませんわ。あなたにどうしても会いたくて帝に鈴華様を呼んでいただいたのよ。」
鈴華は恥ずかしそうに顔を上げて挨拶をする。
「私は内大臣の一の姫藤原泰子と申します・・・。中宮様にこうして直接お会いでき光栄でございます。」
綾乃は鈴華に満面の笑みで見つめる。
「中宮様、何の御用なのでしょうか?」
「こちらに渡る際にいつもあなたの一生懸命な笛の音が聞こえ、大変感心しています。毎回聞こえる度だんだんお上手になられるのですから・・・。どうかしら、今晩は私の琴とお手合わせいただけないかしら?お琴でも良いわ。得意な方を聴かせて欲しいの。」
鈴華は恥ずかしそうに言う。
「わたくし中宮様に比べてどれも下手で大変お上手な中宮様に御聴かせできるほどではありません・・・。」
すると帝が口を挟む
「鈴華はとても上手ですよ。綾乃、お手柔らかに頼むよ。」
「わかっています雅和様・・・。」
鈴華は渋々笛を取り出し、中宮の琴に合わせて笛を吹く。緊張のあまり、途中間違えたりしたが、何とか一曲合わすことが出来た。これが習い始めてひと月ほどなのかと言う出来で、帝と綾乃は驚く。
「鈴華、うまくなったじゃないか・・・。本当は才能あるじゃないか・・・。そう思わないか?綾乃。」
綾乃は微笑んで言う。
「そうですわ。最近はじめられたのでしょ。この私でもこのように早く上達しなかったわ・・・。」
鈴華は照れてうつむく。綾乃は立ち上がって帝の耳元で囁くと、弘徽殿にさがって行く。鈴華は何が起こったのかわからず、きょとんとしている。すると帝は鈴華の前に座り抱きしめる。そして耳元で言う。
「中宮は鈴華にどうぞと言ったのですよ。ご褒美・・・。」
「中宮様が?」
そして側に控えている女官に聞こえないように耳元で囁く。
(中宮はね、鈴華に次の御子を差し上げますといったのだよ。もうそろそろ東宮にも妹か弟が必要だから・・・。)
鈴華は真っ赤な顔をしてうなずく。
この日から毎日のように鈴華は帝に寵愛され数ヵ月後に無事懐妊することになる。


《作者の一言》

うっかり鈴華はやれば出来るのです^^;いままでやる気がなかっただけかもしれません^^;綾乃は典型的なA型・・・。綾乃は帝が他の妃を寵愛してもなんとも思っていない心の広い温厚な姫です^^;(気にはしているのですが^^;立場をわきまえてるのかな^^;)鈴華の登場で本当に出番が少なくなっていますね^^;またいろいろ出してあげたいです^^;

第76章 鈴華の入内

 新年の行事が落ち着き、如月の吉日。内大臣の一の姫泰子こと、鈴華が入内する日がやってきた。綾乃の入内の行列ほどではないが、堀川家が贅を尽くして入内の行列を催す。都の人々は久しぶりの入内の行列に見物にやってくる。鈴華は宇治の宮様の思い出を胸に抱きつつ、新帝の女御として入内する。入内前日に父君である内大臣は鈴華に言う。
「帝は御年十九歳。姫と同じ歳だ。先帝の二の宮様でとても管弦を好み、気さくでいい方だ。中宮様は御歳十七歳、琴がお上手な方。お二人の間には御歳二歳の東宮様がおられる。中宮様は性格もよく、とても裏表のない方だから、安心して仲良くな・・・。」
「はいお父様・・・。」
そして鈴華は入内の日を迎えた。無事に藤壺に入内すると、その夜に入内を祝う宴が行われる。もちろん鈴華は出席したが、厳重に群臣に見られぬように几帳や御簾で覆われ帝が出御していたとしてもわからない状態であった。毎日緊張と後宮の重苦しさで胸が締め付けられ、何度倒れそうになったか知れない・・・。鈴華は二階厨子においてある箱の中から絹に包まれた物を取り出すと、大事そうに包みを開けて懐かしそうに眺める。これは唯一の宇治の宮様からもらった扇で、今まで大切に持っていた。後宮に持っていこうか悩んだのだが、やはり大切な思い出なので荷物に忍ばせていたのだ。
(ああ、お名前だけでも聞いておけばよかった・・・。そうすれば宮様をお探しする手がかりとなるのに・・・。)
そう想いながらまた丁寧に扇を絹で包み、塗りの箱にしまいこんだ。
 婚儀の日がやってきた。本来ならこの日までに帝のお目通りがあるのではあろうが、まったくお目通りの許可が降りず、そのまま婚儀の日になってしまった。鈴華は真新しい衣装に入内を機に変えた新しい香を焚き染め、清めた体にその衣装を着付けていく。髪を整え、冠をつけるために結い上げる。緊張からか、何度も倒れそうになるが、大事な思い出の扇を胸に忍ばせて、宮中の婚儀の儀礼に挑む。賢所皇霊殿神殿に婚儀報告のための参拝を行う際も、帝は先に進み、ずいぶん後から鈴華が扇で顔を隠して神殿に入る。神殿内でも顔を合わすことなく、黙々と儀礼が進んでいく。もちろん拝殿終了後も二人はお互いの姿を見ようともせずに鈴華はうつむいたままで、扇で顔を隠しながら涙ぐむ。藤壺に戻った鈴華は脇息にもたれて泣き続ける。
(お母様はもうすぐ宇治の宮様と会えるといったけれど、いっこうに会えないわ。もう後宮にいる限りあえないのよ・・・。)
一方清涼殿の帝は藤壺の女御が鈴華であることも知らず、婚儀の夜を億劫に感じる。五位蔵人を兼任している左近少将源常隆は帝の側に控え、じっと帝を見つめている。もちろん常隆は藤壺女御が宇治で関係を持った鈴華姫であることは知っていたが、帝を驚かせようと内緒にしている。
「主上、もうそろそろ藤壺御渡りの刻限でございます。ご用意を・・・。」
「常隆、わかった・・・。もうお前は帰っていいよ。孝子が待っているのだろう・・・。」
「いえ、今晩は内裏で宿直ですので・・・。」
帝は女官達を呼び、着替える。藤壺女御も御渡りの刻限が近づくにつれ、緊張も最高潮となる。女官が現れ、帝のお出ましと伝えると、藤壷女御と女官達は頭を深々と下げたまま、帝を迎える。黙ったまま帝は御帳台の前で直衣を脱ぎ、御帳台に入ると女御も続いて入る。鈴華付きの女官により女御の装束を解いたあと、女官達によって衾覆が行われ、三箇夜餅の儀が行われる。ここで初めて暗がりの中で二人は顔をあわせる。
「え~~~~!」
二人は顔をあわせると、驚いた様子で同時に叫んだ。御帳台の側で控えていた女官達は何事かと驚き、籐少納言が声を掛ける。
「主上、どうかなさいましたか?」
「いやなんでもない・・・。もう下がっていいよ・・・。いつもの時間に起こしてくれ。」
不思議そうな顔をして女官達は下がっていく。静まったのを確認すると、帝は女御に声を掛ける。
「鈴華姫?内大臣の泰子姫って君のこと?」
「はい・・・。泰子は私の本名ですので・・・。」
女御は顔を赤らめて答える。
「香を変えたの?わからなかった・・・。しかし鈴華姫の縁談相手がこの私とは・・・。」
女御は微笑んで言う。
「私もたった今、宮様が帝と知ったのです。宮様も香を・・・。」
「ああ、即位してから香を変えたのです。だからか・・・婚儀でも気がつかなかったのは・・・。冷たくあたって悪かったね・・・。鈴華姫だと知っていたら冷たくはあたらなかった・・・。すまない・・・。もしかして泣いていたの?まぶたが腫れて・・・。」
帝は女御の顔に手を当てると、微笑んでそのままキスをする。
「一晩限りの関係だと割り切っていたはずなのに、姫のことが忘れられなかった・・・。」
「私もです・・・勘違いして別の方をお慕いしてしまって・・・。」
恥ずかしそうに女御はうつむく。
「誰?誰と間違ったの?」
「中務卿宮様です・・・。お父様に聞いたら宇治に縁のある宮様はその方だけだと・・・。」
帝は笑って言う。
「兄上を・・・勘違いして慕っていたと?宇治の邸主大叔母上は確かに兄上のお婆様であられるけどね・・・。あの別邸は弘徽殿中宮の縁でもあるのですよ。なかなか知っておられる方は少ないが・・・。兄上と私・・・どこか似たところがありましたか?」
女御は首を縦に振って恥ずかしそうに苦笑する。
「兄上は父上と皇太后に似ておられるし、私は父上には似ておらず、母宮である女王に似ているからね・・・。ところで・・・藤壺女御、あなたの事をこれから鈴華と読んでいいですか?」
女御は首を縦に振ると帝は微笑んで女御を引き寄せる。そして二人は横になると、帝は女御の顔を見つめて言う。
「鈴華、あなたにも私の皇子を産んで欲しい・・・。いいかな・・・。」
「はい・・・。鈴華は宮様の御子が欲しいです。」
帝は女御の気持ちを確認すると、帝は中宮と同様にこの女御を寵愛するのでした。


《作者からの一言》

帝と鈴華の再会です^^;後姿でもわからなかったのかい^^;鈴華は・・・。ホントに彼女は頑固でうっかり者^^;でも良かったですね^^好きな人と結ばれたのですから^^

第75章 鈴華

  師走の吉日に帝の譲位と新帝の即位が滞りなく行われた。新年早々、新帝即位により新年の行事が例年よりも慌しく盛大に行われる。あわせて臨時の除目も行われた。
 元旦の四方拝にはじまり、元旦節会では豊楽院にて新帝の出御し群臣に宴を賜う。その後、至る所の邸て新年の宴が開かれている。特に内大臣(前権大納言)の堀川邸では、一の姫の入内を来月に控え、盛大に行われる。もちろん様々な公卿達が招待されている。その中には鈴華がうっかり勘違いをしている前帥の宮であり現中務卿宮も招待を受けている。その事を知って、いつもは宴に出るのを嫌がっているのに、今回は喜んで出席する。もちろん寝殿の一番奥の御簾の中に控えている。ドキドキしながら続々とやってくる公卿たちを見つめる。一通り揃ったところで、薄暗い光の中で、宇治の宮様を探そうとするがなかなか見つからなかった。もちろん宇治の宮様は新帝であるので、来ているはずはないのである。姫は宴の半ばで退席し、自分の部屋でうなだれる。内大臣は心配して正室である姫の母君を姫の部屋に行かせる。
「鈴華、どうかしたのですか?あれほど今日の宴を楽しみにしていたのに・・・。」
「お母様・・・。私、会いたい御方がいるのです・・・。」
「会いたい方?」
「夏に私は家出をしたでしょう?その時に出逢った宮様がおられるのです。草履の緒が切れて足を挫いた時に助けていただいたのです・・・。入内する前にその方に会いたいのです。」
母君は困った顔をして泣いている姫をなだめる。
「お名前は?確かに宮様なのでしょうか?」
「はい・・・。小葵の文様の入った品の良いお直衣を着ておられたのです・・・。年は二十歳くらいまでの方で、とても笛のお得意な方なのです・・・。私その方が好きなのです・・・。」
「まぁ・・・。」

母君は困った様子で鈴華の話を続けて聞く。
「お父様にお年頃のいろいろな宮様のことなどを教えていただいたのです。そして宇治に縁の別邸がある方がお一人だけ・・・。もしかしたらその方かもしれないのです。先帝の一の宮様の中務卿宮様・・・その人かもしれません・・・。」
母君は困り果てて、宇治に一緒に行った女房に聞く。すると母君はほっとした表情で姫に言う。
「鈴華、もうすぐしたらその方とお会いできますわ。決して焦ってはいけません。必ず会えるのですから・・・。」
すると母君は姫を連れて宴の開かれている寝殿へ連れて行き、影からそっと指をさす。
「あちらでちょうど殿とお話になられているのが、中務卿宮様です。姫の思われている方はあの方ですか?」
姫は目を凝らして母君の指差す方を見つめた。
「違います・・・。似ておられるところもありますが、あの方では・・・。では宇治の宮様は誰なの?あ、中務卿宮様の横の方は誰?」
「あの方はですわね、弾正台宮様のご子息、左近少将源常隆様です。北の方が中務卿宮様の同腹の妹宮であられますので、とても仲がよろしいと伺っております。」
「そういえば、宇治の宮様の側に左近少将様がいらしたのです・・・。」
「そうなの?これでだいたいあなたの想っておられる方がどなたかわかったのではなくて?いずれお会いできます。近いうちに・・・。」
そういうと、母君は姫を連れて部屋に戻る。
「さあ、鈴華。あなたは入内を控えた大事な体です。殿もあなたが何事もなく入内できるよう毎日走り回っておいでです。殿のご期待にこたえるようにわかりましたね・・・。きっと新帝はあなたを気に入っていただけます。」
そういうと母君は姫の部屋を退室する。姫はまだ宇治の宮様が誰であるかわからなかった。一方清涼殿では東宮女御から立后し中宮となり弘徽殿を賜った綾乃が夜の御召で来ていた。
「本当にお父様ったら、兼任の内大臣を自ら返上なさって元の右大将のみ・・・。」
「綾乃、右大将殿らしくていいじゃないか・・・。」
「ところで今度入内される女御は新内大臣様ご息女藤原泰子様なのでしょ。雅和様と同じ年と伺いました・・・。こちらに一番近い藤壺を賜るとか・・・。」
「綾乃は情報が早いね・・・。堀川殿と呼ばれる方のご息女だよ。父上がお決めになったことだからしょうがない。どのような姫かは知らないけど・・・。帝になったからには綾乃一人というわけには行かないから・・・。土御門殿の二の姫も名乗りを上げているし・・・。気になるの?」
綾乃は苦笑して先に横になって眠ってしまう。ふと帝は宇治で出逢った鈴華姫の事を思い出す。
(鈴華姫はもうどなたかと結婚されたのであろうな・・・。今幸せかな・・・。)
などと考えながら眠りにつく。もちろん鈴華姫の本名が藤原泰子であることは、帝は未だ知らずにいた。まだまだすれ違いの生活が続くのである。


《作者からの一言》

鈴華は呼び名であって本名ではありません^^;本名は別にあって、泰子といいます。やっとうっかり勘違いが間違っていたことには気づいたのですが、なぜ本当の相手が新帝であるのかわからない点がうっかり鈴華の特徴かもしれません^^;もともと頭の中には前東宮である新帝という選択肢がないのです^^;新帝も鈴華という名前を本名であると思っているので、すれ違い^^;知っているのは一部のものかもしれません^^;

第74章 宇治の綾乃と鈴華姫

 綾乃が宇治へやってくる日の朝、鈴華姫とその女房は東宮と、静宮に滞在中のお礼を言って都に戻っていった。何とか常隆は東宮が鈴華姫のことに興味を示し関係をもってくれたことに安堵する。もちろん綾乃には内緒の事である。綾乃に気付かれないように東宮の部屋を東宮の香を焚き、できるだけ鈴華姫の香りが消えるようにする。もちろん東宮の衣にも香を焚いて一切鈴華姫の香りを消した。夜になって、綾乃が到着する。綾乃は静宮に挨拶を済ますと、東宮の部屋に入る。
「よく来たね、綾乃・・・。」
「ええ、生まれ育ったこの宇治別邸に雅和様が滞在すると聞いて、私も懐かしく思い来たくなりましたの。本当に無理を言って来たのです。」
「そうだね・・・。はじめっから一緒に来ればよかったね・・・。」
(初めから来てなくてよかったよ・・・。)
東宮は苦笑して綾乃に言う。
「もうそろそろ帰ろうと思っていたのだけれど、もう二、三日お世話になることにしよう・・・。本当に宇治も暑いね・・・。」
綾乃はなんとなくおかしい東宮を見て言う。
「少将様と二人きりの方がよろしかったでしょうか?何かありましたの?」
「いや別に?綾乃は夕餉がまだなのだろ、用意させよう・・・。」
綾乃は遅い夕餉を食べ、東宮は綾乃と話しながら肴をつつき、少しの酒を飲む。
 東宮は何をしていても、鈴華姫のことが頭から離れない。一夜きりと割り切って関係を持ったつもりであったが、東宮は鈴姫の美しい姿が忘れられなくなっていた。一方帰郷途中の鳥羽の姫君縁の別邸に立ち寄った鈴華姫は待ち構えていた父君の権大納言にたいそうな剣幕で怒鳴られる。
「この数日、この父はどれだけ心配していたと思う!来年の春入内を控えているにもかかわらず、わかっているのか!我が家系は嫡流ではないけれど、立派な摂関家の流れをくむ堀川家だぞ。東三条家の継ぐべき者が皆絶えてしまったからにはうちが何とかしなければならないのだ。そうでないと嫡流の土御門家にすべて政権を持っていかれるのだぞ!それでなくても摂関家といわれる藤原北家が衰退してきているのだからなんとしても盛り返していかなければ。このままでは右大臣と内大臣の村上源氏と醍醐源氏に政権を取られてしまうのだぞ!堀川家の長女である姫が家出をしたと噂が流れれば、いい笑いものだ。せっかく帝に入内をお許しいただけたのに・・・。お前はいつも我が家の恥をさらしてくれる・・・。もう少しうっかりした姫ではなくしっかりとした姫になってくれないか・・・・わかってくれ、鈴華・・・。」
姫はひどい剣幕で怒る父君に驚き、女房に支えられながら泣き続ける。
「お父様、私、きちんとお父様の言う通り入内いたします。」
「そうか!わかってくれたか・・・。」
「お父様ひとつお伺いしたいのですが、宮家筋の方で二十歳位の方はどなたかいらっしゃいますか?」
権大納言は考え込んで答える。
「数人いらっしゃるけれど・・・。恐れ多くも帝の一の宮様は皇后様腹の御年二十一歳の帥の宮様、前女御様腹の二の宮様は東宮で御年十八歳。後は弾正台宮様のご長男左近少将源常隆殿が御年十八歳・・・。式部卿宮様のご長男が御年十九歳。ご次男が御年十五歳。あとは何人いたかなあ・・・おもだった方々はこれくらいではないか?どうしたのか?」
「いえ、宇治にてお見掛けした方が・・・宮家の小葵紋のお直衣を着ていらしたので・・・。」
「宇治には皇后様縁の別邸があるがな・・・。あとの方には宇治に縁の別邸はなかったように思うが・・・。」
姫はもしかして出逢ったのは帥の宮様ではないかと勘違いをする。帥の宮もお妃様と昨年生まれた内親王がいる。
(そういえば妻一人、子一人とおっしゃっていたわ・・・。もしかして帥の宮様?)
本当にうっかり姫の勘違いである。もちろん姫は東宮が宇治になどいるはずがないと、思い込んでいたからであって、東宮も妻一人子一人ということに気がつかなかった。そして勘違いし、帥の宮を慕い続けたまま、帝となった東宮に入内することとなる。もちろん東宮自体姫君の本名を知らないので、意に反し無理やり決められた来年春に内定している権大納言の姫の入内を未だ億劫に思っている。


《作者の一言》

鈴華姫は美しい姫なのですが、とても欠点の多い姫君で、父君の権大納言はこの姫はとても心配の種なのです^^;でも出来の悪い子ほどかわいいもので、なんだかんだ言っても鳥羽まで迎えに来ているのがその証拠・・・。そして縁談の件も、下に完璧な妹姫がいるのにも関わらず、この鈴華を入内させようとしているのですから^^;もちろん東宮自身も鈴華のちょっと間が抜けたところが気に入ったのかもしれません^^;だって完璧で美しい姫は綾乃で十分です・・・・。


第73章 宇治での出会い

 暑い夏がやってきた。東宮は綾乃を東宮御所に残して仲の良い左近衛少将源常隆と共に宇治を訪れる。常隆は東宮の警護を兼ねている。今回は改装を終了した宇治の院を下見に来たのである。もちろんお忍びであるので、最低限のものしか連れてこなかった。帝が譲位後住む院は、皇后の母宮が、帝の曽祖父院に形見分けで頂いたもともと皇族所有もので、皇后の母宮が帝と皇后のために譲り渡したのである。母宮の住まいは隣の邸に移る。こちらは綾乃の亡き曾祖母の所有のもので、皇后の母宮とは親子以上に年の離れた姉宮である。内大臣の好意でその邸を皇后の母宮に譲ったのです。
 東宮は改装後の院を見て回ると、隣の別邸に日程は決まってはいないが、数日お世話になる。東宮は皇后の母宮静宮に挨拶をすると、部屋に案内される。
「常隆、ここは東宮妃が生まれたお邸らしい。数年はこちらで育ったって言うし・・・。綾乃の母君ってどのような方だろうね・・・。きっとお綺麗だったに違いない・・・。」
「そうですね・・・。」
東宮は綾乃が皇后の子である事を未だ知らない。もともと綾乃は内大臣似で、なんとなく皇后に似ているような感じがする程度なので、わからないのだ。少し宇治なら涼しいかなと思ってこちらに来たのだが、あまり都と変わらなかった。
「宮様、宇治を散策に行きましょう。即位されたらもう出歩くことも出来ませんよ。今のうちに・・・。もしかしたら理想的な女性に出会えるかもしれません。綾乃様だけとは言わずに・・・。」
「しかしね・・・。」
「行きましょう!宇治には私の母の実家縁の鳳凰堂があります。良ければ見せていただきましょう。」
「あそこは左大臣家、土御門摂関家縁の・・・。そういえばあなたの母と私の祖母は姉妹だったね・・・。父上は土御門摂関家の血筋だった・・・。」
「実は左大臣様に見せていただけるようにお許しを得てありますのでご安心を・・・。」
「そうか・・・。せっかくだから寄らせてもらおうか・・・。」
東宮は小葵文様の入った夏の直衣に烏帽子をかぶり、常隆は狩衣に烏帽子をかぶって護衛のための刀を携えて二人で散策に出かける。宇治川の川縁に近づくと、やはり風が涼しく、少しの間岩に腰掛けて二人で世間話などをして話し込む。ここ宇治は都貴族の別荘地であるので、涼みに来ている者達がちらほら来ているようだ。
「明日は狩衣にしよう。この直衣じゃ身分がわかってしまう。皇族の直衣じゃね・・・。」
「そうですね・・・。私もこれほど都の者達がこちらにきているとは知りませんでした。」
二人は宇治川の川べりを歩きながら、平等院に向かう途中、前に旅装束を来た若い姫と女房風情の二人が、道端でしゃがんでいる。東宮は常隆と共にその二人に近づき、常隆が二人に問う。
「どうかなさいましたか?どうもお困りのご様子で・・・。」
すると、女房が言う。
「姫様の草履の鼻緒が切れまして、足を挫かれてしまったのです・・・。私にはどうしようもなく・・・。困っておりました。」
すると東宮は姫の側に近づき、姫の草履を手に取ると、自分の小袖の袖を少し破いて草履を直す。
「宮様、そのようなことはこの私が・・・。」
「常隆、いいよ。これくらい。本当にお困りのようなのだから・・・。」
東宮は直した草履を姫に履かすと、姫は顔を赤くしてお礼を言う。
「どちらの宮様か存じ上げませんが、ありがとうございました。」
「歩けますか?歩けないようでしたら私がどちらかにお運びいたしましょう。」
常隆は東宮を止めに入ったが、聞き入れようとはしなかった。
「女房殿、この近くに縁の寺や別荘などはありますか?」
女房は困り果てた顔で言う。
「あるにはあるのですが・・・。姫様がこのあたりの縁のところには寄りたくないと・・・。」
東宮は困った様子で少し考えると、常隆に言う。
「常隆、大叔母様にこの姫を足が良くなるまでお預かりしていただいていいか聞いてきて。だめだって言われても連れては行くけど・・・。」
常隆は呆れた顔で邸に戻る。
「この近くにある邸だから、遠慮しないで・・・。さあしっかり掴まってください。」
そういうと東宮は姫を抱き上げて歩き出す。女房は申し訳なさそうに後からついて行く。なんとか邸に着くと、常隆が客間に案内する。東宮はすのこ縁に姫を座らせると、姫の草履を脱がせて足についた土を払うと、、再び抱き上げ、畳の上に座らせる。
「さあ、こちらでじっとしていてください。今何か冷やすものを持ってこさせますから・・・。」
すると数人の女房が入ってきて、几帳を立てかけると、姫の旅装束を脱がし足の手当てをする。東宮は寝殿に行って静宮に会う。
「大叔母上、無理に客間を使わせていただきまして申し訳ありません。けが人を見つけてしまいましたので・・・。」
「まぁ、東宮様はお優しいこと・・・。見た感じかなり高貴なおうちの姫様でしょうね・・・。あのように良い衣装と香りをされておられるから・・・。こちらまでお運びになられたのですからたいそうお疲れでしょう。お部屋にお戻りになられて・・・お休みください。あの姫はこの私が責任を持ってお預かりいたしますから・・・。」
東宮はお礼を行って自分の部屋に下がる。そして小袖や直衣を着替える。常隆は東宮の側にやって来て、心配そうに声を掛ける。
「あのような距離を宮さまが姫を抱いてここまで来られるとは・・・。急いで馬でも借りに行けばよかったのですが・・・。お体のほうは大丈夫ですか?」
「いいよ。あれくらい・・・。そんなに重くはなかったし・・・。でも何処の姫なのだろうね・・・。このような場所で女房と二人でとは・・・。」
「本当におかしな話です・・・。」
すると、例の姫についていた女房が東宮の部屋にお礼にやってくる。
「先程は姫様のためにこのようなところへ連れてきていただきとても感謝しております。後ほど姫様ののお邸からお礼を差し上げたく出来ればお名前を頂戴したいのですが・・・。」
東宮は首を振って言う。
「いえいえ、当たり前の事をしたまでです。私は訳あって名前は明かすことは出来ません。そしてそちらの姫君のお名前も聞くつもりはありません・・・。しかしなぜ近くに縁の場所があるのに寄りたくはないのでしょう・・・。そしてとても高貴な御家の姫君と拝見しましたが、どうして二人きりでこの宇治へ?」
女房は少し考えていう。
「とてもお恥ずかしいことで公言はしたくはなかったのですが、助けていただいたということで、お話いたします。実は姫様はお邸から家出をなさったのです。」
東宮は驚いた様子で言う。
「ほう・・・なぜ?」
「実は姫様には一度縁談があったのですが、ある理由で破談になったのです。もともとその相手のお方を姫様がお慕いされていらした方で、あの方ならとお想いでいらしたのですが・・・。もう姫も十八になられ、姫君のお父上様は他の方との縁談をおすすめになられたのです。しかし姫様は拒否されて・・・。勢いで家を出られたのです・・・。」
「それはそれは・・・。姫君はとても苦しい思いをされたのでしょうね・・・。ところで姫君の足の具合は?」
「こちらの邸の方に良くして頂きましたので、だいぶんよくなりました・・・。」
「でも無理はいけませんよ・・・また痛くなってしまいます。当分こちらにいらしたらいい。大叔母上もいいとおっしゃっているし・・・。遠慮せずに良くなるまでお過ごしください。」
「ありがたいお言葉でございます。ほんとうに・・・。」
女房は頭を深々と下げて東宮の部屋を出て行く。東宮は姫の怪我が大したことなく安堵する。
 次の日、東宮は狩衣を着て、常隆と共に昨日見に行けなかった鳳凰堂に向かう。もちろん狩衣姿の二人を見て門衛は通そうとしなかったが、常隆が左大臣からの紹介状を門衛に見せると、急いで門を開け、管理を任されている者が出迎えに来る。
「これはこれは、宮様。門衛の不手際申し訳ありませんでした。どうぞごゆっくりご見学ください。」
東宮は、このものに礼を言うと、案内されながらじっくりと見学をする。やはり何代か前全盛期の土御門摂関家の統領が自分の別荘を改装して寺院にしただけはある。いたるところに贅を尽くされ、とても美しいお堂になっていた。東宮はとても満足して、鳳凰堂をあとにする。東宮が部屋に戻ると都から文が届いていた。東宮は文箱を開けると、綾乃からの文であった。なんと文には綾乃が明後日こちらにやってくると言う。少し東宮は複雑な気持ちでため息をつく。
(いくら何もないとはいえ、どこの誰かわからない姫を同じ邸内に泊めていると知ったら綾乃はどう思うかな・・・。別に何もないけど・・・。勘違いが一番困る。)
側についている常隆は心配そうに東宮を見つめる。
「宮様、どうかされましたか?」
「明後日こちらに東宮妃が来るらしい・・・。別に客間の姫とは何もないのだけれど、勘違いされたら困るので・・・。何かあったときは常隆、頼んでいいかな・・・。」
「ええ、構いませんよ。宮様のためでしたら・・・。」
「すまないね・・・。」
常隆は東宮の部屋を下がり、自分の部屋に戻る。東宮は狩衣を着替え、直衣姿になる。そして釣殿に場所を移し、脇息に肘をついて、書物を読む。やはり釣殿は水辺に建てられているので、なんとなく涼しい風が流れる。もちろん几帳の後ろには警護のため、常隆が控える。反対側にある泉殿では遠くから例の姫君が東宮の姿を、顔を赤らめながら見つめている。もちろん姫は東宮であることは知らない。どこかしらの宮様としか思っていないのである。姫君が泉殿から見つめていることに東宮は気付いていなかったが、警護に当たっている常隆は姫の存在と気持ちに気がつく。
(きっとあの姫は東宮を想っておられる・・・。何とかして差し上げることは出来ないだろうか・・・。東宮はそういうことは少し疎い御方だし今まで東宮妃様一筋で・・・。)
もともと常隆は帝を始め、いろいろな方々から綾乃以外の姫にも興味を示させるように仕向けてくれないかと頼まれている。この宇治の旅行もその一環で、別荘地であり避暑地でもあるので、必ずというほど宇治川で舟遊び等をしているどこかの姫君がいるはずということで、出会いがあるかもしれないと帝が東宮に譲位後の御在所の下見に行ってくれないかと頼み、警護兼仕掛け役として常隆を同行させる。もちろん綾乃を連れて行かなかったのはこのためである。そしてここの主である静宮も皇后から事情を聞いて承知をしている。しかしながら突然明後日綾乃がこちらにやってくるのを聞いて、時間がないことに常隆は焦る。昨日の偶然の姫君との出会いはとてもいいチャンスであったが、まったく東宮は姫君の事を興味を示していない。それどころか、今日のように目的の物を見た後はすぐに帰ってきてこうして釣殿で書物を読んだり龍笛を吹いたりしている。このままでは都には帰れないと、悩み悩む常隆を知ってかしらずか、黙々と書物を読む。常隆は立ち上がって、恥を忍んで姫君の客間に行って姫君の女房と会う。
「お願いがあるのです・・・。姫君はもしや宮様の事を想っておいではないかと・・・。」
女房ははっとして常隆に言う。
「おわかりになられましたか?その通りでございます。あの宮様はどちらの方かとしつこくお聞きになられるのです。昨夜もよくお休みになられていません・・・。ところでお願いとは?」

常隆は座り直して姫の女房に言う。
「私は左近少将源常隆と申します。宮様については明かすことが出来ないのですが、ある御方より頼みごとをされこうして宇治までやって参りました。あの宮様はお妃様とお子様がおられるのですが、お妃様以外の姫君様方に興味を示されず、ある御方もお妃一人ではいけないと、こうして出会いを求めて・・・。しかし明後日、突然宮様のお妃様がこちらにやってこられると聞いて、焦っております。恥を忍んでお願いしたいのはそちらの姫様に今夜宮様と一緒に過ごしていただけないでしょうか?」
女房はなんとなく東宮の身分に感づいたらしく、うずづいて常隆に言う。
「わかりました、もしかして宮様は姫の父君が進めている縁談の御方かもしれません。姫様は権大納言藤原貞清卿の一の姫鈴華姫様であられます。もともと幼馴染の若君とご婚約されていたのですが、昨年突然お亡くなりになられて姫様も後を追って自害されそうになられたところに大納言様からの縁談話・・・。」
「ああ、昨年亡くなった東三条家の右近少将殿ですか・・・。知っております。とても利発で将来を有望視されていた方・・・突然のご病気だった・・・。」
「良くご存知で・・・。」
「権大納言様の姫君の事・・・来年入内内定とある御方から伺っております。それなら話が早いですね。宮さまが姫君を気に入っていただけないときっとまた入内をお断りになられます。そうすれば姫君は・・・。」
常隆と姫君の女房は打ち合わせをした後、また釣殿に戻る。泉殿の姫は諦めて部屋に戻って行ったみたいである。
「常隆、どこかに行っていたの?」
「ちょっと所用で・・・。」
「そうか・・・。もうきりがいいので部屋に戻るよ・・・。」
部屋に戻っても東宮はすのこ縁に座り込んでまだ書物を読んでいる。やっとのことで夕餉の時刻がやって来て常隆と共に夕餉を食べる。いつもよりも口数が少ない常隆に少し東宮は変に感じた。常隆はさっさと夕餉を済ますと東宮に頭を下げると部屋を出て行った。もちろん常隆は静宮や姫の女房との打ち合わせに出かけたのである。
 夜が更け、蒸し暑さのためなかなか寝付けない東宮はすのこ縁に座り込んで夜空を見つめ夜風にあたる。すると鈴華姫がそっと横に座る。東宮は姫に気付くと姫は頭を下げて昨日のお礼を述べる。東宮ははじめて姫の顔を見ると、顔を赤らめる。姫の姿かたちはとても美しく、綾乃に比べ大人っぽい。すでに周りにいたものたちは誰一人おらず、二人きりとなっていた。鈴華姫は東宮のすぐ側によると、東宮にそっともたれかかる。東宮は立ち上がって部屋に入り続けて鈴華姫も入る。
東宮は顔を赤らめたままで脇息にもたれかかり、ため息をつく。姫も同様に顔を赤らめる。長い沈黙が訪れ、東宮は緊張のあまり心臓が張り裂けそうになる。
「宮様、私・・・宮様に初めて会った時から宮様のことが・・・。」
東宮は困った顔で言う。
「私には妻も子もおります。あなたの想いを受け止めるわけには・・・。」
すると姫は泣き出す。東宮は驚いて姫のもとに駆け寄り、姫を抱きしめる。姫は東宮の張り裂けそうな心臓の音を聞き、もしかして東宮も同じ想いではないのかと思う。
「すみません・・・あなたを泣かせてしまった・・・。」
「私の事、お嫌いですか?」
「いえ、そうではありませんが・・・。」
姫は東宮の胸にうずくまって言う。
「宮様は自分の気持ちに嘘をついておられていませんか?」
「え?」
「宮様の速い鼓動が私には感じられます。私と同じ鼓動が・・・。」
東宮は苦笑をすると姫に言う。
「そうかもしれませんね・・・。あなたをはじめて見て心を奪われそうになったのは事実です。しかし、ここであなたと関係を持ってしまうと・・・。私はあなたを不幸にさせたくはありません・・・。間もなく別れが待っているのですから・・・。」
「構いません、意に添わぬ結婚をする前に一晩でもいい、想った方と過ごしたいのです・・・。」
東宮はうなずき、姫の顎に手をやると、姫にキスをする。東宮は少し戸惑いながら、姫を見つめて改めて抱きしめる。
「名前はなんと言うのですか?」
と、東宮は姫に問いかけ、姫はうつむきながら答える。
「鈴華です・・・。」
東宮は微笑む。
「鈴姫か・・・鈴の音のようにきれいな方だ・・・。足の方はもう大丈夫ですか?」
「はい・・・だいぶん・・・。」
東宮は姫の袿と単を脱がすと、抱きかかえて寝所にはいる。東宮は姫を横にすると自分も羽織っていた単を脱ぎ、一緒に横になり、姫に改めてキスをする。
「本当にいいのですか?一晩の関係でも?」
姫がうなずくと、東宮は慣れた手つきで姫の長袴の腰紐に手をあて解く。一瞬姫はビクッとして身を縮めたが、東宮に耳元で優しい一言を掛けられ安心したのかそのまま東宮に身を任せて一晩を東宮と過ごす。姫は何もかもが初めての経験だったので、あのあと一睡も出来なかった。ただ、東宮の胸に抱かれながら、一晩限りの恋を名残惜しそうに東宮を見つめながらいろいろと思う。そして東の空が明るくなりだした頃、姫は東宮の寝所から出て、乱れた小袖と髪を直し、着ていた衣装を着る。そしてそっと東宮の部屋を抜け出し、自分の客間に戻る。そしてせっかく出会って結ばれたのにもう別れなければならない悲しみで、座り込み泣く。
「姫様・・・。」
「あの方が縁談相手ならいいのに・・・。」
そういって女房にしがみついてさらに泣き出す。女房は姫の縁談相手がこの宮様であることは知っていたが、まだはっきり決まったことではないので伏せておくことにした。この後鈴華姫は昨晩に東宮にもらった扇を胸に再び寝所で眠りにつく。


《作者からの一言》

東宮は綾乃以外の姫に興味を持ち、ついに関係を持ってしまった。この姫はこの東宮が譲位後新帝として即位した後に初めての女御として入内する予定の姫なのです^^;もちろん東宮も知りません。鈴華姫はもちろん自分の嫁ぎ先がどこであるかは知っています。でも良く考えたらいけないことしてるんですよね^^;しかし偶然にも嫁ぐ相手と関係を持った人が同じだったから良かったのですが・・・・。違ったら豪いことですね^^;


第72章 朧月夜再び

 年が明け、今年いっぱいで帝が譲位するという正式な発表がされた。来年早々までに即位の予定である。その予定でこの年の予定が組まれていく。もちろん東宮は即位のために様々な事をこなしていく必要がある。もちろん公務も増え、充実した生活を過ごしている。もちろん後宮も帝の代が変わると、次の代の妃にこの後宮をあけ渡さなければならない。譲位後の御在所の選定から、女官の選定、役人の選定で徐々にではあるが準備をする。
 春が訪れ、譲位後の御在所も決まって着々と改装されていく。皇后綾子はある日の夜、今年最後の思い出の桜を見ようと弘徽殿からこっそり抜け出して、桜の根元に座り見上げる。今夜はなんともいえない朧月夜。満月なのだが、うっすら靄がかかったような月夜である。
(そういえばあの時もそうだった・・・。)
当時頭中将であった今の内大臣源朝臣将直としてはいけない恋に落ちたのもこの頃であった。あの出会いがあったからこそ、東宮妃である綾乃が生まれたのである。もうここに来るのは何年振りであろうか・・・。皇后はため息をついて眺め続ける。するとしげみで物音がする。
「誰!」
皇后は身を縮めて音のするほうを見つめる。
「その声は・・・綾子様・・・?」
声の主はしげみから出てきて、立ち止まる。皇后は声の主を見て驚く。
「将直様。」
皇后は立ち上がって衣についた土を掃う。
「将直様。内大臣になられても宿直ですか?」
内大臣は微笑んで言う。
「右大将も兼任していますので、本当にたまにですが人が少ないときだけ・・・。綾子様はなぜこのようなところに?このような夜中に供もつけずに危ないですよ。」
「今年でこの桜を眺めるのも最後でしょ。何だか寂しくなってしまって・・・。」
「そうですね・・・年が明ければあなたの御殿は綾乃が住むことになります。早いものですね・・・あなたとここで出会って十七年・・・。出会った日もこのような朧月夜で、あなたを皇后とは知らずどなたかの女官と思って朧月夜の君と呼んでいた・・・。」
「そうですわね・・・。あの頃はこのようにこっそり弘徽殿を抜け出して将直様と話すのが楽しみでならなかった・・・。とてもいい思い出・・・。和子様はお元気?」
「はい・・・。」
「幸せそうで何よりです。」
内大臣は不意に皇后を後ろから抱きしめる。皇后は抵抗をせずに、そのままでいる。
「あれからずっと綾子様の事を想い続けておりました。わけあって女王様を正妻に迎えましたが・・・。やはり忘れることなど出来ません・・・。今まで綾乃が側にいてくれたので、あなたへの想いを紛らわすことが出来ましたが・・・・。宇治に行かれたらもう・・・。」
皇后は内大臣から離れて言う。
「わたくしは帝の妃です・・・。もうこれで終わりにしましょ。あなたには和子様や若君、姫君がいるのです。」
「しかし・・・。」
皇后は振り返って内大臣に本当に最後のキスをする。そして皇后は内大臣から離れると、そのまま弘徽殿に方に走り去る。内大臣は桜の根元に座り込んで、ため息をつき桜を見上げる。
(そうだよな・・・もともと身分違いだったのだから・・・。綾乃という姫を頂いただけでも満足しないといけないのに・・・。)
内大臣は苦笑し、ため息をつく。
 走って弘徽殿の近くまで戻ってきた皇后は、息を整えるために階段に腰掛ける。
「綾子、そんなところで何をしている?」
「帝・・・。」
帝は供を連れずに皇后の御殿に来ていた。帝は皇后の横に座る。皇后は内大臣の香が移っていないか気になった。帝はなんとなく香に気がついたが、気がついてない振りをする。
「まだ夜は冷える。綾子、中に入ろう。」
帝は皇后の手を引き、弘徽殿に入る。女官達は突然の帝のお出ましに驚く。
「摂津、また皇后はこちらを抜け出していたよ。いくら警備の厳しい後宮とはいえ、夜は物騒だ。滝口の者や近衛の宿直の者の目に留まるかもしれない。」
「申し訳ありません・・・。」
摂津は帝に謝り、皇后の汚れてしまった衣装を取り替える。もちろん摂津も違った香のにおいが移っていることに気付く。もちろんその香の持ち主が誰かというのは知っている。摂津は皇后の香を移した新しい衣装に取り替えると、帝の待つ皇后の寝所へ皇后を向かわせる。皇后が寝所に入ると、帝は摂津以外の女官を部屋から下がらせる。皇后は帝と目を合わそうとせず、下を向く。
「綾子、内大臣は元気そうだった?」
と、帝の言葉に驚く。
「今日は近衛の宿直と聞いたから会っていない。」
「どうして私に聞くのですか?」
「さあね・・・。綾子なら知っているのかなって思ったから。」
帝は皇后を抱きしめ、皇后にわからないように改めて匂いを嗅いでみる。微かではあるが、髪に内大臣の香の匂いが残っていたが、衣に関しては摂津がすべて取り替えたので、すっかり匂いがなくなっていた。帝は少し嫉妬をしながらも、皇后と一緒に体を寄せ合って横になる。もちろん帝は皇后が内大臣と会ったことに気がついていると皇后は確信する。
(多分綾子はあの桜のところに行ったのだろう・・・。内大臣は必ず宿直の時はあの桜を経由して内裏を一周しているし・・・。偶然会ってしまったかもしれないな・・・。どうして私は綾子に甘いのだろう・・・。)
と帝は少し嫉妬しながら皇后とともに眠りについた。


《作者の一言》

これで皇后綾子と内大臣源将直との関係に終止符が打たれました。帝もなんとなくそのことに気づき、今夜だけはと許したのかもしれません。ホントに心が広すぎる帝ですね^^;

第71章 黄櫨染御袍

 師走のある夜、東宮御所寝殿内の御帳台にて、東宮と綾乃は寄り添って就寝していた。朝方綾乃ははっきりとした夢を見る。
「黄櫨染御袍・・・。」
と綾乃はつい寝言で言ってしまい、目が覚める。黄櫨染御袍といえば、帝のみが着用することが出来る禁色である。綾乃は何度か公式儀礼で帝が着用していたのを拝見している。
「綾乃・・・何か言った?こうろ・・・?」
「いえ、何も・・・。」
「そう・・・聞き違えか・・・。」
黄櫨染御袍という言葉を口にするだけで恐れ多いことである。それでなくても綾乃はそれを着た東宮の夢を見てしまったのである。まだ帝も健在であり、譲位さえ決まっていないのにもかかわらず、このような夢を見たという事を公に口外すると、何か悪いことになるような気がして、黙ることにした。もちろん綾乃の朝方に見るはっきりとした夢が、正夢になることが多い。東宮や、御帳台の側に控えている女官達が寝言を聞いていないかとドキドキしながら東宮の隣で寝ようとしたがなかなか眠れなかった。結局夜が明けるまで起きたまま、東宮の寝顔を眺めていた。視線を感じた東宮は目を覚まし、綾乃の顔を見て微笑む。
「おはよう・・・綾乃・・・。ああよく寝た・・・。やはり朝はよく冷えるね・・・。やはり一人で寝るより綾乃と寝る方が暖かくてよく眠ることが出来る。どうかした?」
綾乃は首を横に振って起き上がると、東宮は綾乃に衣をかぶせて、東宮だけ御帳台から出る。そして上着を羽織ると女官が持ってきた角だらいで顔を洗い、外に出て大きく体を伸ばす。
「籐少納言、綾乃はあまり寝ていないようだから、もう少しゆっくりさせてやって。」
「はい、畏まりました。東宮様、早くお入りください。お風邪を召しますわ。」
東宮はいつものように円座に座り、脇息にもたれかかって綾乃が起きてくるまで書物を読む。今日から事始めで新年に向けての準備がはじまる。様々な殿上人達が東宮御所に参内し、挨拶に来る日でもある。
「そろそろ綾乃様を・・・。」
と籐少納言が東宮に声を掛けると綾乃を起こし、朝餉の準備をさせる。綾乃が着替え終わると朝餉が整い、東宮と一緒に朝餉を食べる。綾乃は東宮の様子を伺いながら食べる。
「綾乃、どうかした?今日は何だか朝から変だね。僕の顔に何かついているのかな・・・。」
「いいえ・・・。」
東宮は首をかしげて朝餉を食べ終わると、綾乃が食べ終わるまで書物を読む。
「そうだ、今日いろいろな殿上人達が出入りするから、調子が悪いのであれば、部屋にいるといいよ。いくら東宮妃であっても必ずいないといけないわけではないのだから・・・。」
「はい・・・。」
綾乃が食べ終わるのを待って東宮は直衣に着替える。綾乃は東宮妃付きの女官達の髪をとかれながら、考え込む。
(気付いていないようね・・・。)
「東宮妃様、お部屋に戻られますか?」
「いいえ、わたくしも東宮様のお側に・・・。」
そういうと、女官達は几帳を立てて、綾乃を唐衣に着替えさせる。
 昼頃になると続々と事始めの挨拶に様々な者達がやって来て、廂に座り御簾越しに挨拶をしたり世間話をしたりして帰っていく。やっと今日の予定を終えたのは夕方頃で、やはり堪える。
「綾乃、疲れたでしょう。ずっと側にいたのですから・・・。皆あなたが側にいたので緊張した様子だった。綾乃が入内するまで結構狙っていた者がいたとか言うしね・・・。さあ、今晩は早めに切り上げて寝ないと、明日は大臣達が続々と来るよ。もしかして右大臣が若宮を連れてきてくれるかもしれないよ。特に左大臣は次期関白を狙っておいでだから、きっとこの僕に売り込みをするのだろうね・・・。左大臣と会うのが一番疲れる。この僕とは外戚でもなんでもないからさ。結構焦っておいでなのだよ。」
東宮は世渡り上手といわれてもさすがに疲れたようで、夕餉の準備が整うまでの間脇息にもたれかかってウトウトしている。綾乃は近くにいる女官に言って衣を一枚かぶさせた。夕餉の準備が整い、綾乃は東宮を起こすと、驚いた様子で自分がウトウトしていたことに気付く。
「最近疲れがたまっているのかな・・・。もう東宮に就いて二年経つのに・・・。中務のころはいろいろな人にあったり歩き回ったりしていたのに・・・全然疲れなど感じなかったのに・・・。」
「まぁ、中務卿宮様時代とは違った責任というものがあるからでしょうね。雅和様、あとひと月は儀礼がとてつもなく多いのですからあまり無理をなさらず、程々に・・・。」
「そうだね・・・。さあ夕餉をいただいて、早めに寝よう。今日も寒いしこちらで。」
綾乃は夕餉を済ますと、一度部屋に戻り、着替えしなおすと再び寝殿の方に足を向ける。
「小宰相、今日は本当に冷えるわね・・・。雪でも降るのかしら・・・。」
「あら、本当に雪が・・・初雪ですわね・・・。」
綾乃は立ち止まってちらちらと落ちてくる雪を眺める。
「綾乃様、お風邪を召しますわ。さ、早く寝殿の中へ・・・。」
「ええ、そうね・・・。」
寝殿に入り女官達は寒い風が中に入らないように締め切る。もうすでに東宮は御帳台に入って、横になっていた。小宰相は綾乃を小袖姿にすると、きちんと着ていたものをたたんでいく。
「今日は小宰相が側にいるの?」
「ええ、昨日は籐少納言様や東宮様つきの女官達でしたので、今晩は綾乃様付きの者達が交代でお側におります。」
「そう・・・。」
綾乃は東宮の待つ御帳台に潜り込む。
「雅和様、寒いと思ったら雪がちらついておりましたわ。」
「そう、だから今日は一段と寒かったんだね・・・。明日は積もるかな・・・。積もるにはまだ早いか・・・。」
東宮は綾乃を呼び寄せて抱きしめる。外が寒いからか特に東宮の体の暖かさが感じられる。
「あたたかい・・・。」
「綾乃、ずいぶん体が冷えているね・・・。ずっと雪でも眺めていたのでしょう。温石でも持ってこさせようか・・・。」
「いいえ、こうしているだけで十分です。」
東宮は綾乃を横にすると自分も横になる。そして東宮は綾乃を胸に抱きながらすぐに眠ってしまう。
(本当に暖かい・・・。こんなに早く眠ってしまうほどお疲れだったのね・・・。)
綾乃も東宮の暖かさに包まれながら眠りに就くと、やはり朝方同じ夢を見る。そして同じように起きる。その後何日も同じ夢を見て同じ時間に目が覚めるので東宮も気になっていたのか、就寝前人払いをしてついに綾乃に問いただす。
「綾乃、ここ何日もうなされて朝方目が覚めるようだね・・・。どうしたの?」
「毎日同じ夢を見るのです・・・。とても恐れ多い夢で・・・。」
「人払いをしているから、言ってごらんよ・・・。」
綾乃は意を結していう。
「雅和様が、黄櫨染御袍を着て幸せそうに微笑まれるのです・・・。それを私と若宮が見つめているのですが・・・。」
「ん?それだけ?」
「はい・・・。」
東宮は微笑んで、綾乃を抱きしめて言う。
「うなされるような内容じゃないじゃないか・・・。安心していいよ。ここだけの話ね・・・。綾乃は本当に予知夢を見るね・・・。実は綾乃には言っていなかったのだけれど、父上は在位二十年を目途に譲位したいと仰せでね・・・。再来年在位二十周年だろ、それまでには譲位をとお考えのようだ。まだはっきり決まったわけではないのだけれど・・・。父上は二十歳で帝位に。再来年、僕も似たような歳になる。皇子も生まれたし・・・。でもまだ自信はないな・・・。二年間東宮としていろいろ学んできたけど・・・・。今のように綾乃をずっと側に置くことも出来なくなるし・・・。綾乃が眠れない理由・・・もっと複雑かと思ったよ・・・。僕は東宮だ、何かない限り、帝位に就くよ。いずれね・・・。さあ、安心してお休み。また明日、忙しいよ。もうすぐ晦日だからね・・・。」
綾乃は安心したのか、気がついたころには東宮の胸の中で眠っていた。東宮はそっと綾乃を横にして、眠りに就く。綾乃はこの日以来、黄櫨染御袍の夢を見ることがなくなった。やはり気にしすぎだと綾乃は思った。


《作者からの一言)

あまり意味のない章かもしれませんね^^;でも着実に東宮の即位が始まっています。

第70章 里下がりと様々な儀礼

 年が明け綾乃が入内して一年になる頃、だいぶん綾乃のお腹が目立ってきた。健やかな御子の誕生を願って、着帯の儀が行われた。着帯の儀とは、九ヶ月目の戌の日に行われる宮中行事である。帯親である右大臣が前日に「生平絹(きのひらぎぬ)」と呼ばれる紅白の絹を帝と皇后から賜り、次の日の朝、右大臣の使者が東宮御所に届けた。東宮御所の女官長である籐少納言が受取り、小袖長袴姿の綾乃のお腹に巻いていった。そして最後に東宮が帯紐を結んだ。無事に着帯の儀が終わり、二人揃って清涼殿の帝と皇后にお礼を述べる。すべての儀礼が終わり東宮と綾乃はほっとする。
「もうすぐ里下がりか・・・。寂しくなるね・・・。」
「二条院にて里下がりをさせていただくことが出来ました。本当に右大臣様はお優しい方で、助かっております。」
「そうだね、本来なら右大臣邸なのにね・・・。最近内大臣殿は二条院にお住まいで、もう五条邸は別邸扱いだし・・・。でもいいの?母上も同じ頃の出産なのに・・・。」
「お父様は一人も二人も同じだと・・・。二条院でしたら、雅和様のお里です。」
「気軽に抜け出せるかな・・・。」
二人は里下がりまでの残り少ない時間を有意義に過ごした。二条院では着々と東宮妃出産準備と和子女王の出産準備を並行して行い、いつでもお迎えできるように整えられた。
 産み月に入り、綾乃は二条院に入る。身重ながらも和子女王は綾乃を迎える。やはり右大臣家の養女である東宮妃の出産のために白装束を着た女房が三十人以上東宮妃の産室に用意された。そして部屋中何もかもが真っ白に換えられ、真っ白な御帳台の中に綾乃は入り、その日を待つ。里親である右大臣も度々二条院を訪れ、内大臣と共に酒を酌み交わしたり綾乃の様子を女房に伺ったりする。丁度綾乃の出産と和子女王の出産が重なる可能性があるため、五条邸から、内大臣の母君がこの二条院に入り、北の方である和子女王の代わりに二条院内を取り仕切った。
「綾乃、いかが?」
「おばあさま・・・。」
と、綾乃は内大臣の母君に話す。
「小宰相、もうそろそろかしら・・・。」
「これは内大臣様の母君様。少しずつではありますが、産気づかれておいでです。初産であられますので、時間はかかります。少々お待ちを・・・。」
小宰相の言うとおり、綾乃は陣痛が始まっているようで、痛みの波が襲ってくる。小宰相は御帳台の脇息にもたれかかり痛みを我慢している綾乃の汗を拭いたり、腰をさすったりして、少しでも楽にして差し上げようと精一杯お世話をする。すると、綾乃はすごい痛みに襲われ破水してしまう。思ったよりも早い進み具合に小宰相は驚き、綾乃を御帳台から出して、北廂に誘導する。痛みが襲うたびに綾乃は立ち止まり、痛みが少しでも引くと、歩くという調子で何とか北廂にたどり着き、小宰相は手馴れた女房達を呼び、お産の準備を急がせる。綾乃はついに痛みの間隔がなくなり、お産の準備が整った途端、無事出産した。二条院中に可愛らしい産声が聞こえる。女房の一人が、寝殿にいる右大臣と内大臣に出産の報告をする。
「おめでとうございます。とても可愛らしい皇子のご誕生でございます。東宮妃様も安産でご心配はありません。」
二人の大臣は皇子の誕生に喜び、即内裏と東宮御所に使いを出す。そして落ち着いた頃に帝の使者がやって来て賜剣の儀が行われ、生まれた若宮に守り刀を贈った。賜った守り刀は、赤い布に包まれ桐箱に入れ、小宰相によって若宮の枕元に置かれた。命名の儀があるお七夜までの間、書読始めの儀や、御湯殿の儀など様々な儀式が執り行われ、命名の儀にて帝より親王の宣下と名前を賜る。東宮の二の宮、康仁親王と名づけられた。綾乃の回復も早く、産後十日目には東宮御所に二の宮と共に戻り、帝や皇后、東宮に二の宮をお見せする。丁度その頃、二条院では内大臣の北の方である和子女王が姫君を出産し、帝はお祝いの言葉を内大臣につげる。若宮も内大臣の姫君もどちらもよく似た顔をした可愛らしいお子達であった。東宮は自分の皇子の誕生と、自分の妹となる姫君の誕生を喜んだ。綾乃にとってもこの姫君は妹となる。
 生後五十日頃、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀が行われ、しきたりに則った衣装を着せた若宮を東宮女官長の籐少納言が抱き、賢所皇霊殿神殿に参拝する。賢所皇霊殿神殿に入るまでは泣き止まなかった若宮は入った途端ピタッと泣き止み、籐少納言はほっとする。参拝が終了後、清涼殿へ東宮、綾乃と若宮は帝と皇后に儀礼が終わった報告と、お礼の挨拶をする。帝は若宮を抱き皇后と共に話をする。
「やはり東宮によく似た可愛らしい若宮だ。」
「本当に・・・。和子様似なのですね・・・。」
「もう私にも三十八で孫が出来るなんてね・・・。まだまだ私も若いと思っていたが・・・・。」
「そういえばそうですわね。東宮はまだ十七でお若いのに父君なのですもの・・・。しっかりなさいませ。綾乃もまだ十五ですもの・・・。」
東宮と綾乃は苦笑して帝と皇后の話を聞き流す。すると若宮はお腹がすいたのか、泣き出す。
「まぁ、乳母をこちらへ・・・。帝、若宮はお腹がすいているようですわ。」
「そうだね・・・長居をさせてしまったね・・・すまないね東宮。」
帝は籐少納言に若宮を預け、籐少納言は若宮の乳母に預ける。乳母と共に若宮は東宮御所に戻って行った。東宮と綾乃も帝と皇后に挨拶をして戻っていく。
 生後百二十日のころ、若宮のお食い初めが行われる。このころになると、若宮は寝返りもし、あやすとよく笑うようになった。東宮は公務の合間、よく若宮をあやし若宮も東宮によくなれた。
「もうそろそろ右大臣家に預けないといけないな・・・。本来ならもうすでに預けているはずを何とか言ってここに置いて貰っている。」
東宮は悲しそうな目をして若宮を抱きしめる。数日後、右大臣家の使者がやって来て、若宮を乳母と共に右大臣家に連れて帰る。もちろん若宮がいなくなることは承知の上であったが、やはり長い間一緒にいただけあり、東宮と綾乃は悲しむ。もちろん節目や様々な儀礼ごとに参内はするのだけれど・・・。
「しきたりだからしょうがないけれど、しきたりしきたりに縛られるのはね・・・。父上に相談してみるよ。」
「雅和様・・・。」
東宮は綾乃を引き寄せ、うす曇の月夜を二人寄り添って眺める。
「若宮は初めてのお邸で泣いているのではないだろうか?」
「大丈夫ですわ。あの子は雅和様に似ていい子ですもの・・・。」
「そうだね・・・。養育は右大臣家にお任せしたし、若宮の後見も右大臣家がしてくださる。これでよっぽどのことがない限り幸せになれるよきっと・・・。」
「そうですわ。きっと右大臣様なら、若宮を大切に養育してくださいますわ。」
二人は微笑みあいながら、今まで過ごした若宮のと思い出を話し合う。側についていた籐少納言と、小宰相は何とか悲しみから立ち直られたと思い、安堵する。綾乃は母である皇后が寂しさのあまり心の病となってしまったという気持ちがこの時よくわかった。綾乃にはずっと東宮が側で見守ってくれている事を心の支えとして、若宮が側にいなくてもがんばって行こうと決意をした。


《作者からの一言》

皇室の儀式は生まれたときから大変です^^;でも良くわからない場合が多いですね^^;

第69章 庚申待ちの宴と急な不幸な出来事

 梅雨の明けた夏の暑い日の頃のことだが、いつものように東宮は東宮御所にて綾乃を側に置きそして帥の宮と共に書物を読みながら一日を過ごす。最近綾乃も一緒に書物を読む。すると帥の宮も驚くほど、綾乃は呑み込みが早い。
「女御がもし男であればきっと右大将殿のように出世間違いないのであろうね。姫であるのがもったいないよ。」
と帥の宮が綾乃を褒め称える。すると綾乃は扇で顔を隠して照れる。
「綾乃はなんでも呑み込みが早いからね・・・。こういうことに関しては嫉妬してしまうよ。」
と東宮は冗談半分で綾乃に言う。
「東宮はなんというか女性的な性質ですね・・・。勉学よりも歌や雅楽など、みやびなことの呑み込みが早い。お顔も女性的ですしね・・・。」
と帥の宮が言うと、東宮は顔を赤らめていう。
「兄上!私は兄上と違って勉学は苦手ですけれど・・・。」
綾乃は東宮と帥の宮のやり取りを見て、微笑む。帥の宮は東宮の耳元で、綾乃に聞こえないように話す。
「例の雅姫、母上の皇后も御覧になりたいそうですよ・・・。帝のお耳にも入ったらしく、是非次の庚申待ちの宴の時に余興をと・・・。もちろん後宮主催の内々のもので・・・。」
「兄上、あのような恥ずかしい姿、父上にお見せするなど・・・。」
「いやきっとお気に召されると思うよ。」
渋々だが東宮は余興として一度きりならということで了承する。庚申待ちの宴まであと半月、あれよあれよという間に事が運び、今回の後宮主催の庚申待ちの宴は有志による仮装と決まる。庚申待ちの宴の日にちが近づくに連れて、後宮は慌しくなっていく。そして誰から洩れたのか、宮中に東宮が姫姿になられるという噂が流れる。誰も東宮に声を掛けようとはしないが、東宮が前を通るたびお辞儀をすると何かこそこそと話す。
 いよいよ庚申待ちの夜がやってくる。東宮は後宮の一室を借り、姫姿になる。綾乃は東宮だけ変装させてはいけないと、自分も殿上童の格好になる。綾乃は直衣姿になり、腰より下まで伸びた長い髪を結い上げ束ねる。もちろん右大将によく似たところがあるので、可愛らしい殿上童となる。先に着付けが終わった綾乃は様子を伺いに東宮が着替えている一室に入る。
「雅和様?」
綾乃は着替え途中の東宮を見て目を疑う。まさしくそこにいるのは和子女王だから・・・。東宮は綾乃に気付き、声を掛ける。
「綾乃、殿上童の格好、とても可愛いよ。やはり変だろ、この格好・・・。あまり好きではないのだけど・・・。よくこんな衣装を毎日着られるね・・・。」
「まだ今日は夏の正装なので軽いのですよ・・・。本当に雅和様は女王様そのものですわ。」
最後に髪を束ね、女官が用意したつけ毛を付けると、どう見ても姫君である。着替え終わると、宴の行われる常寧殿へいつもと反対で、綾乃が東宮の手を取り、誘導する。
「さあ、姫君、行きましょうか・・・。」
「綾乃・・・冗談きついよ・・・。」
「今日だけです。今日は私が男役なのですから、いつも雅和様がしてくださっているようにいたしますわ。」
東宮は意を決して今夜限りの姫になりきろうと思った。会場に入ると、帝をはじめ後宮中の者達が集まっていた。あるものは白拍子にある者は男装に半分くらいの者達が変装していた。東宮の雅姫と綾乃の殿上童が入ってくると、すぐに二人は帝と皇后の前に座り、丁寧に招待のお礼を述べる。
「おお、まさしく和子女王の若い頃ではないか・・・。そう思わないか?綾子。」
「そうですわね。和子様そのもの・・・。綾乃もとても可愛らしい殿上童ですね。」
帝と皇后はたいそう喜んで、帝は姫姿の東宮を横に座らせて宴の間中、酌をさせる。
「父上、もうこれっきりにしてくださいね・・・。」
「何を言うのだ。またその姿で清涼殿へおいで。可愛がってあげるから・・・。」
「まぁ!帝。お戯れが過ぎますわ。この姫は東宮雅和様ですのよ。臣下のものにこのような姿を見せては・・・。」
「冗談冗談。本当に男にしておくのがもったいない子だ。帥の宮の言うとおり、姫宮であれば降嫁の申し入れが耐えない姫宮になられるだろうね。」
和やかな雰囲気に釘をさすように参議橘晃がやってくる。そして何か書きつけたものを帝の女官に渡し下がっていく。女官はその書付を帝に渡すと目を通し、東宮にも見せる。
『三条大納言殿、東三条邸にて倒れ危篤。』
東宮は立ち上がって、別室にて着替える。そして帝と共に清涼殿へ戻り、話をする。するとまた参議が急いで入ってきて帝に申し上げる。
「申し上げます。東三条邸の使者によりますと、三条大納言様たった今ご薨去とのことでございます。」
「わかった。後ほどお悔やみを・・・。」
「御意。」
参議が下がると、東宮は帝に言う。
「東宮女御にはどのように伝えましょう。懐妊中の大事な時期ですし・・・。」
「とりあえず、伝えなければならないであろうな・・・。」
帝は東宮女御桜姫の女官を呼び、三条大納言の死去について話す。すると女官は驚いた様子で下がっていく。夜が明けると、三条大納言逝去の噂がもう都中に流れ、もちろん桐壺の東宮女御の耳にも入る。三条大納言が亡くなったことで、あれほど栄華を極めた東宮女御桜姫は後ろ盾をなくす。一応祖父である左大臣が代わりを務めると言うが、この秋の除目をもって亡くなった三条大納言に家督を継がすつもりであったから、もう大変。もともと持病で休みがちだった左大臣はショックのあまり倒れてしまい出仕を断念してしまった。大納言の年が離れた弟君はまだ少将という身分。到底女御の後ろ盾は出来ない状態である。人々は皆、落ちぶれていくであろう東三条摂関家と懐妊中の東宮女御桜姫を不憫に思う。もちろん皇后も左大臣が後ろ盾なのだが、皇后に関しては母宮に財があるので、あまり支障はない。というよりあまりあてにしてはいなかった。
 三条大納言の葬儀中、桐壺の東宮女御は里下がりをし葬儀終了後、喪に服しながらも後宮に戻ってきた。東宮は桐壺の東宮女御を見舞いに行く。
「桜姫、この度はお父上殿が急に亡くなってしまって大変だったね・・・。これからいろいろあると思うけれど、健やかな御子を育んでください。」
と東宮は桐壺の東宮女御に優しい言葉を掛けた。
「心にもない事を・・・。わたくしも、このお腹の子も邪魔だとお思いなのでしょうに・・・。」
と桐壺の東宮女御が言うと、女官達は焦って女御の口止めをする。そして女御の乳母が、東宮に対してお詫びをする。
「真実を述べただけです。東宮はこうして私が懐妊したと言うのにこちらに一度も来て頂けず、東宮御所の女御ばかり大事になさいます。入内後一度たりとも直接優しい言葉をかけてもいただけず・・・。懐妊を知ったときはこれで東宮はこちらに来ていただけると思っておりましたのに・・・・。」
「女御様!口を御慎みに!わざわざ東宮様がこちらに足を運んでいただけましたのに・・・。」
東宮は立ち上がって、退出際に女御に言う。
「勝手にすればいいよ。もともとあなたが御所にいる女御と仲良くしていただかなかったからです。ここに留まるなり、実家にお戻りになるなり、好きにしてください。では。」
女御は心に思っていることと反対の言葉を発してしまったことに自分を責める。
(私って・・・せっかくこうしてわざわざ来ていただき、初めて直接優しい言葉をかけていただけたのにもかかわらず・・・。こちらに移って懐妊を東宮様に知らせてから、何度もお見舞いの文をいただいたのに・・・。私ってどうして裏目裏目に・・・・。)
女御は御帳台の中に入って父君の死の悲しさと、自分の行いを悔やんで泣き叫ぶ。
 それから数ヶ月が経ちあれからというもの、今まで来ていた東宮のお見舞いの文さえ一通も来なくなってしまった。

 間もなく出産のために東三条邸のほうに里下がりをする。主のいない東三条邸は、ひっそりとして今までの優雅さなどこれっぽっちもなかった。そして女御は気がつく。
(お父様がいたおかげで私は優雅な生活が出来たのね・・・。なのに私はわがままを言って二の宮様でなくては嫌だと言っていた・・・。こうして一番慕っていた方の御子を身籠り本来なら幸せなのにもかかわらず、お父様にばかり愚痴を言って・・・。東宮様が通われなくなったのも一番私のせいなのに・・・。きっと私がお父様を殺してしまったのと同じなのだわ・・・。そうよ私が全部悪いのよ・・・。後宮に戻ったら改心して綾乃姫のように奥ゆかしくなって仲良くしよう・・・。)
と思った。東三条邸では残っている財を少しずつ削って、女御の出産準備に充てる。女御の出産のための準備もきちんと行い、いつでも出産できるように整えた。あれほどわがままに育った女御であったが、今回のことにとても感謝して、正室である母君にお礼を言う。母君も女御の変わり様に驚く。
「桜姫、いい?亡き殿の残していただいた財と私の実家から少しですがあなたのためにきちんとこれからの事をさせていただきます。これからあなたのためにいろいろ費やさないといけませんが、安心して。」
「三の姫は?見当たらないけど・・・。」
母君は苦笑して答える。
「あなたのことで手がいっぱいなので、右衛門督のお兄様の養女にしていただいたのよ。丁度姫君がいないから・・・。」
「そう・・・私のために・・・。」
母君によると、やはり大納言が亡くなってから、下働きのものや、女房達、従者達を出来る限り削減し、最低限度の生活をしているという。母君も昔の衣装などを出してきて縫いなおし、できる限り女御が後宮で恥ずかしい思いをしないようにと節約してきた。収入といえば、荘園から送られてくるもののみ。大納言が出仕時に朝廷から頂いていた禄はないのである。家族を養う分ぐらいはあるのだが、後宮に姫を入れている分余計に財がかかるのである。母君の父である正四位下刑部卿源晟朝臣は可愛い孫のためにと、できる限りの援助をしてくれている。そのような事をまったく知らなかった女御は自分を恥ずかしく思った。
「亡き殿のお父上、左大臣様はあなたの後ろ盾になっていただけるそうだけど、相当お体が悪いそうなので、無理を言えません・・・それでなくても皇后様のお父様・・・。皇后様のことでも手がいっぱいですものね・・・。期待されていた一の宮様が廃太子されただけでも左大臣様にとって心労であったと聞きましたし・・・。今回のことでも・・・。あとはあなたが皇子を授かればね・・・。しかし、右大臣様の女御様が懐妊されたのですから、もしあちらにも皇子が授かったら、あちらの皇子が次期東宮になられるでしょう・・・。今となっては右大臣様のほうが権力も財もご寵愛も上ですもの・・・。後ろ盾のない今回の東宮様の立太子は本当に異例のもの・・・。権力と財力がある家の姫が入内されるということで可能になったのですから・・・。本当に残念だけど・・・。」
女御はここに滞在中は必ず無理を言わないように心がける。母君がいろいろ申し出ても遠慮し、できる限りに実家に負担をかけないようにする。何でもかんでも遠慮をする女御を見て、母君はとても女御の事を不憫に思う。
 本当に不幸というものは重なるもので、女御が里帰りの数日後、寝込んでいた左大臣がついに持病のため逝去した。やはり摂関家のひとつ東三条摂関家が志半ばにして大事な二人をなくすことは大騒ぎとなる。まだ秋の除目には日にちがあり、それまで左大臣、大納言の一席は空席のままとされた。その上、これを機会に関白太政大臣は年老いたため引退を表明し、家督を内大臣に継がすことも表明していた。次に誰が関白太政大臣となるのか、それとも適任なしとなるのか、朝廷内は騒然となる。その上、東三条の女御は予定日を過ぎても産気づかず、やっと産気づいたと思えばたいそうな難産であった。ある日の午後、清涼殿と東宮御所に東三条邸より使いが来る。
「東宮に申し上げます。」
東宮が返事をすると使いのものが申し上げる。
「東三条の東宮女御様、皇子をご出産されました。しかしながら即日薨去。女御様におかれましては産後の肥立ちが悪く危ない状態との事。」
「わかりました。ご苦労であった。下がっていいよ・・・。」
同じ内容が帝にも伝えられる。東宮は東三条邸に使いを出し、様子を伺わせる。帝は東宮を清涼殿に参内させる。
「東宮、本当に残念な結果になってしまったね・・・。不幸は重なるというが、二度あることは三度ある・・・。」
「そうですね・・・。東三条邸に使いを出しました。女御だけでも助かって欲しいのですが・・・。」
「やはりあの家系は怨まれているのであろうか・・・。去年の帥の宮の件といい・・・すべて東三条家に縁があるもの・・・。ふう・・・。皇后も気をつけないといけないね・・・。」
「去年の帥の宮の件のときに一応皇族内の東三条家縁のお払いを僧都に頼んでおきましたが・・・。」
「それなら安心だ。一応また書状でも送っておくことにしよう・・・。」
一の宮薨去のあと、腕のいい女医を使わせ、何度も東宮の使者が東三条家に出入りをし、細かい様子を東宮に報告する。よくならないという様子を聞いて、東宮はため息をついて公務に当たる。犬猿の仲といわれた綾乃も心配でならなかった。東宮の母宮である和子女王が東宮を出産の後、長い間生死をさまよいずっと帝が付き添っていたことがあったが、東宮が帝に東三条邸に行きたいと申し出ても、許しが出ない。やきもきした状態で時間ばかり過ぎていった。二日が過ぎようとした夜更け、寝所で寝ていた東宮は御所内の騒がしさに目を覚ます。東宮は起き上がり、籐少納言を呼ぶ。
「何か騒がしいのだけど・・・。なにかあったのかな・・・。」
「中宮職の大夫様がこちらに参内され、ただいま宿直中の春宮大夫様と話しておいでです。間もなくこちらに報告があると思われるのですが・・・。」
少し経って春宮大夫が寝殿に入ってくる。
「何かあったのですか?このような夜更けに中宮職大夫が来るとは・・・。」
「申し上げます。ただいま東三条邸から使者が戻って来たのですが、残念ながら東三条の女御様薨去との事です。」
「そうか、本当に残念だ。帝には伝わっているのか?」
「はい。そのように中宮職から・・・。」
「ご苦労であった。葬儀の方は摂関家の姫として盛大に行うように通達して欲しい。」
「御意。」
大夫が下がると同時に綾乃がこの騒ぎで起きてきて寝殿に来る。そして心配そうに東宮を見つめる。東宮はその場に座り込み、涙を流す。綾乃は東宮に近づき、肩に手を置く。
「綾乃、やはり桜姫はだめだった・・・。なんという事をしてしまったのか・・・。ずっと冷たくあたってしまっていた。きっと桜姫は無念だっただろうね・・・。」
綾乃は何もいえないまま東宮に付き添っていた。
「綾乃、大事な皇子も失い、そして女御も失うとは・・・。本当に私はついていない・・・。」
「そんなことはありません。私のお腹にも雅和様の御子がおりますわ。決して亡くなった若宮のようにならないよう、精一杯愛しみます。」
「そうだね、もう一人御子が綾乃のお腹にいるのだもの・・・。」
東宮は微笑んで、綾乃を引き寄せる。綾乃は東宮の涙をふき取り微笑む。気を取り直して、再び喪に服す。
 東宮の喪中明けを待ち、通常より少し遅れて秋の除目が発せられた。太政大臣の引退、左大臣、三条大納言の逝去のより、今まで以上に入れ替わりが激しい。今回、関白太政大臣は置かれず、左大臣に内大臣であった土御門摂関家藤原朝臣忠治卿。右大臣はそのまま。内大臣は異例ではあるが、右大将源朝臣将直卿が兼任で就くことになった。醍醐源氏では最高の位に就いたことになる。もちろん東宮妃の父君であるという理由もあるが、やはり帝の信頼もあるからである。さらに摂関家の権力がさらに弱まる形の除目となったのは言うまでもない。


《作者からと一言》

桜姫が死去してしまいましたね^^;ちょっと同情するかな^^;これでますます摂関家と源氏の対立が激しくなりそうな気配?