第68章 しらせ
綾乃が東宮女御として入内しひと月が経った。相変わらず、東の綾乃と西の桜姫は仲がよくない。特に東宮が公務で内裏へ参内中以外東宮御所にいる間は、四六時中綾乃を側に置いて離さない。余計に東の桜姫は嫉妬し、何かしら理由をつけて綾乃の事を疎ましく思う。それに耐えかねた東宮は帝にお願いして、東宮女御桜姫の御在所を桐壺に変更した。そして次に女御として入内予定の土御門摂関家の姫の入内を正式に断った。これに怒った三条大納言と内大臣は内裏に参内中の東宮を引き止める。
「お二方、何か用ですか?」
三条大納言と内大臣はどちらが先に東宮に申し上げるか相談した上で、位が上の内大臣から話し出す。
「東宮、どうして当家の姫の入内を白紙にしたのでしょう。この私と帝は、恐れながら従兄弟でございます。この上ない血筋である当家の姫なのですよ。」
東宮は困った顔で内大臣に言う。
「血筋がどうであれ関係ありません。もともと中務卿宮時代から妃は祥子(綾乃の本名)のみと決めていたのです。祥子の実家は醍醐源氏。里親も村上源氏。訳のわからないような血筋ではありません。もうこれ以上女御は必要ありませんので、お断りをしたまでですよ。無駄な入内はあなたの姫を不幸にするだけだと思うのですが・・・。」
内大臣はひとつため息をついて、
「もしお二人の女御に御子が授からなかった場合はどうなさるのでしょうね・・・。」
とつぶやいて立ち去っていく。お次は三条大納言が言い出す。
「どうして当家の女御が後宮の隅っこに・・・。はじめに入内したのは当家の女御ですよ!立太子の後見は当家がさせていただいたのにもかかわらず・・・・。」
「それはわかっておりますが、あなたのところの女御がもう一人の女御に冷たくあたるようなので・・・。顔を合わすなり何かとあることない事を言うのですよ。犬猿の仲のような二人の女御を同じ御所内に置けましょうか・・・。私自身もそのような行いをする女御と同じ御所内にいるのはちょっとね・・・。口うるさい姫とおとなしい姫、あなたはどちらを選ぶでしょうね・・・。私は奥ゆかしい方の姫を選びますよ・・・。もともとあなたの姫の入内は私の意向に関係なくあなた方太政官が勝手に決められたこと・・・。意向を聞いていただける状態であったのなら、内大臣の姫と同様白紙にしておりましたが・・・。」
すると、三条大納言は東宮の耳元で他の殿上人に聞こえないように囁く。
「実は、うちの女御が懐妊いたしましてな・・・。もう一人の女御の入内やら何やらでなかなか申し上げることができずにおりましたが・・・。今までもう一人の女御に対する行為は懐妊したことによる不安などから来ているのではないかと思うのですが・・・。本日こちらに来たのも懐妊のご報告を帝に・・・。東宮も秋には父君になられるのですよ・・・。」
そういうと誇らしげに東宮のそばを離れた。東宮は複雑な気持ちで御所に戻る。戻った東宮は籐少納言に真実を調べさせる。すると真実のようで、やはり予定日は秋ごろとのことであった。東宮は脇息にもたれかかり、どうしたものかと物思いにふける。
(婚儀の夜以降は一度も通っていないということは、婚儀の夜ということか・・・。綾乃にはどのように伝えようか・・・。)
と、東宮は思うが、その日のうちに桐壺の東宮女御の懐妊が内裏中に伝わる。もちろんすぐに綾乃の耳にも入り、綾乃は複雑な気分で綾乃の部屋に籠もる。綾乃はいつもの東宮の寝殿へのお召しを断り、部屋から出てこない。女官達は綾乃の事を心配して、交代で綾乃の側を離れなかった。それが何日続いたのか・・・。東宮の再三の要請で、東宮のお渡りであればと、受け入れる。東宮が綾乃の部屋に入ると、綾乃は目を合わせない。
「綾乃・・・。」
綾乃はむくれた様子で、お祝いを述べる。
「東宮様、桐壺東宮女御様のご懐妊おめでとうございます。さぞかしお喜びなのでしょうね。」
東宮はいつもと違う口調で話す綾乃を見て、焦る。
「綾乃・・・。」
「私は広い心の持ち主ですので、別に構いませんわ。どうぞあちらを愛しみなさいませ。」
「綾乃、本気で言っているの?そのわりには綾乃の目は腫れぼったいけれど?言っておくけれど、あの東宮女御には婚儀の夜以外は通っていないのだけど・・・。綾乃?」
綾乃はホロホロと涙を流し、塗籠の中に入る。東宮も追いかけて入る。
「綾乃・・・。」
「綾乃はまだ十四歳だもの・・・。あちらは多産系の家柄だし・・・。まだまだ雅和様の御子を授かるのなんて先のこと・・・。」
「そのようなことはないよ・・・。いずれ綾乃にも子が授かるよ・・・。そうだ、うちの女官の誰かに頼んで祈願してきてもらおう。私だって綾乃との子のほうがうれしい・・・。僧都にも、陰陽師にでも頼んで早く綾乃にも子が授かるように祈願しよう。私だって綾乃が欲しいというならがんばるよ。桐壺のことに関しては予定外というか・・・。」
東宮は籐少納言にいろいろ頼んで、神頼みから始まり、食事にも気を配り、夜も出来るだけ一緒に過ごすように心がけた。東宮は懐妊を知っても桐壺の東宮女御のもとには行かず、とても綾乃を寵愛した。その甲斐あってか、数ヶ月後には綾乃は見事に懐妊し、皆から祝福される。懐妊後も綾乃のため、お腹の御子のために祈願をし、食事にも気をつける。そして同じ頃に和子女王の懐妊も東宮を通して綾乃に知らされる。
「綾乃、母上も同じ頃に出産予定らしい。なんていいことが重なるのかな・・・。母上は姫が欲しいらしいよ。だってずっと男ばかりでしょ。右大将殿もとても喜んでいたよ・・・。」
「私は皇子を、母上様は姫ならいいですわね・・・。」
二人は寄り添ってとても綺麗な満月を眺める。まるでこの月は二人を祝福するように明るい月の光が二人に降り注ぐ・・・。
《作者からの一言》
予想外の桜姫懐妊に驚く東宮。3日夜を共にしただけなのですからそりゃ驚くでしょうね^^;そういえば綾乃は14だったのですね^^;昔ならそれくらいの懐妊はあると思うのですが、今なら犯罪だ^^;ホントになんて若いお父様でしょう・・・・東宮はまだ16ですもの^^;
第67章 綾乃との婚儀
入内式の次の日から、綾乃は後宮に招かれ皇后のもとに参内する。
「まぁ、綾乃。よくこちらに来ていただけました・・・。」
皇后は綾乃を呼び寄せて、近くに座らせる。そして人払いをして話し出す。
「綾乃、いろいろ和子様から伺っておりますわ。本当に急に大人っぽくなって・・・。右大臣様は本当にあなたを大事にしているようですね。とても立派なご用意をしていただけたよう・・・。母である私は安心しました。」
「お母様・・・。東宮様との件で、ご用意していただいた唐衣・・・ありがとうございました。」
「いいのよ。愛しい娘が嫁ぐのですもの・・・。あれくらいはさせてちょうだい。ところで和子様はお元気かしら・・・とても帝が心配されていたのですから・・・。」
「はい・・・無事に若君をご出産され、とても愛しんでおられます。とても帝に似た若君です。」
「そう・・・そんなに帝に似て・・・・?帝は親王宣下をしたいと仰せなのですが、和子様がどうしても嫌だとおっしゃってね・・・。右大将様は若君をどのように?」
「本当の子供のように可愛がっています。女王様もとても喜んであられて、二人は仲睦まじく過ごしております。」
皇后は安心した様子で、綾乃といろいろと話し出す。綾乃は二泊するために麗景殿を借りることとなった。ここは去年まで和子女王が使っていた御殿である。綾乃が女童の時にここに来たことがあって、とても懐かしい気持ちがした。夜になると、弘徽殿にて宴が開かれる。懐かしい人たちが集まって綾乃はとても懐かしい気分で楽しい時間を過ごした。最終日、今夜は突然のお客様が現れる。
「綾乃、今夜はね、和子様をお呼びしたのよ。若君もね。」
「え、女王様が?博雅君も?」
「ええ、無理言ってご招待したのよ。帝もたいそうお喜びで、それならば右大将の若君も連れておいでと仰せなのです。摂津、和子様をこちらに・・・。」
すると和子女王が、若君を連れた乳母と共に入ってくる。そして皇后に深々頭を下げ挨拶をすると、皇后に若君を見せる。皇后は若君を抱きあやす。
「まぁ、綾乃の言うとおり帝によく似て凛々しいお顔だこと、先が楽しみですわね。親王宣下をお受けにならないなんて・・・・残念ですわ・・・。和子様、帝にお見せして来てよろしいかしら?」
「ええ・・・。帝の御子なので・・・。」
皇后は若君を連れて清涼殿に行き、帝に若君をお見せする。帝は大変喜んで、離そうとはしなかったが、今は右大将の若君として育てていることから、しょうがなく皇后に返す。
「和子女王はこちらに来ていないのですか?」
「いえ、弘徽殿にいらっしゃいますわ。」
「じゃ、顔だけでも見ておこうかな・・・。」
「しかし今はもう右大将様の北の方ですもの・・・。」
「いいじゃないか・・・。」
帝は清涼殿を出て、弘徽殿に向かう。帝は弘徽殿にいる和子女王の前に座ると、和子女王は深々と頭を下げる。
「和子、久しぶりだね。そしていい若君をお生みになった。」
そういうと、皇后から若君を受取り、和子女王に手渡す。
「和子、右大将との再婚は、とても幸せそうだね。安心した。これから右大将源朝臣将直の正妻として、幸せにな・・・。」
「はい・・・。本当にもったいないお言葉・・・感謝しております。」
和子女王ははじめ若君を取り上げられるのではないかと思ったが、帝のやさしい言葉に涙を流す。綾乃は帝と和子女王のやり取りを見て、とても感心する。
綾乃は次の日婚儀の準備のため、東宮御所に戻る。戻ってくると着々と婚儀の準備が進んでいた。小宰相をはじめ綾乃付きの女官達は、婚儀の時身に着ける衣装を並べて、綾乃に見せる。やはり右大臣家が用意した衣装だけはあり、今まで綾乃が着たことのないような絹を使った衣装である。その中には東宮との秘密の結婚の際に帝から送られた最上級の白絹で作られた小袖が入っていた。もちろん小宰相によれば、婚儀の夜、同じものを東宮も着ると言う。綾乃は小宰相から式についての流れを聞く。
「綾乃様、やっと明日正式に東宮様のお妃様になられるのですね。小宰相はこの日をどんなに待ちわびたことか。東宮様があのまま中務卿宮様であれば、このように遠回りをされなくても済んだものを。」
「小宰相そのようなものを言うものではありません。雅和様も仕方がなく東宮になられたのですから。綾乃の身分で本当ならこのような場所には入れないのですよ。感謝しないと・・・。」
婚儀当日の日、綾乃は用意された装束に身を包み、皇室の婚儀を行う。一般の公家の婚儀とは違い、様々な儀式があって綾乃は少し疲れた様子であったがなんとかこなしていった。夜が更け、寝殿内の東宮の御在所。まず東宮が御帳台に入り、綾乃も続いて入る。装束を解いたあと、女官達によって衾覆が行われ、三箇夜餅の儀が行われる。
「綾乃、今日は疲れたでしょ。さあ横になろう・・・。」
綾乃は東宮に抱きしめられそのまま横になる。
「綾乃・・・。」
東宮は顔を赤らめつつも真剣な顔をして、綾乃を見つめる。綾乃はまぶたを閉じ、東宮に身を預ける。朝方、東宮は早く目覚め、腕の中で眠っている綾乃の顔を眺める。綾乃の火照った顔がとても印象的で、東宮は綾乃の頬を触る。すると綾乃は目覚め、東宮は微笑む。女官達が二人の起床を確かめると、後朝御事が行われる。このような儀式が三日続けられ、やっと二人は正式な仲となった。
《作者からの一言》
やっと正式な夫婦となりました。やはり想い合った二人の婚儀はほほえましいですね^^;当時の皇室の婚儀についてはあまり資料がないのでわかりません^^;どうなんでしょうね^^;とりあえずこんな感じなのでしょうか??
第66章 右近の橘姫、左近の桜姫の入内
年が明け、新年の行事が落ち着いた頃、三条大納言の二の姫の入内の式が行われた。さすが東三条摂関家の姫君。入内のための行列はとても華やかで、都中の人々を虜にした。東宮御所に運び込まれた調度や、女官、女童に至るまで、最高のものが用意される。この東宮女御の入内が終了し婚儀が終わると、次は続けて二月後に右大臣家の養女綾乃の入内が控えている。またまだ東宮女御入内申し入れが続いており、まだ内定には至ってはいないが、三人目の東宮女御として関白太政大臣の孫に当たる内大臣の一の姫が入内するという噂がたっている。東宮と同じ歳であり、内大臣家の一の姫もやはり土御門摂関家のすばらしい血筋の姫君である。将来どの三人の姫君が国母になられるかと公卿達は今から賭けをしている。東三条摂関家の姫君も、土御門摂関家の姫君も、右大臣の養女である源氏出身の綾乃を見下し、馬鹿にしている。もちろん東宮は右大臣の養女である綾乃を唯一の妃として扱おうと心に決めているが、何も後ろ盾のない宮家腹の東宮は嫌でもこの二人の姫君を妃に迎えないといけないという複雑な気持ちで、まずはじめの東三条摂関家の姫君桜子姫を迎えようとしている。
東宮は別に二の姫に対し興味を持つわけではなく、いつも通りの生活をしている。春宮大夫が、東宮女御の入内された事を報告に来てもうなずくだけで、黙々と兄宮である帥の宮と共に書物を読み漁っている。入内の式や宴が済んで半月後、婚礼の儀が行われる。入内後一度も女御の前に顔さえ出さなかったので、女御の関係者はとてもやきもきして、婚礼の日を迎えた。桜姫は年が明けひとつ歳を取りますます姿かたちが大人っぽくよくなった東宮を見て、うっとりする。もちろん東宮はこの婚礼は形式上のことと思い、作法に則った形で事を済ます。
一方二条院にいる綾乃は、この日が東宮と桜姫との婚礼の儀である事を知っているので、つい悲しくなり涙ぐむ。もちろんほぼ毎日のように右大将を通じて東宮から届く文が唯一の綾乃の心のよりどころであり、この日のような日は今まで贈られた文を読み返し、綾乃は心を落ち着かせる。さすがに婚礼の儀中の三日間は文が来なかった。
婚礼の儀が終わり、宮中が落ち着きを取り戻すと、次は綾乃の番とばかり右大臣家のものが、入内の準備のためにたくさんの者達が二条院を出入りする。和子女王も産後ひと月休むとすぐに、綾乃のために色々と入内のためのお妃教育の仕上げを行う。入内の予定日十日前には、右大臣家のお邸に入り、精進潔斎をして入内の最終的な準備に取り掛かる。右大臣家も三条大納言家に負けないくらいいやそれ以上の物を用意して、決して養女であることや源氏出身者であることに恥ずかしくないように準備を整えた。御簾越しではあるが年を越し、心身的にも大人になった綾乃を見て、里親である右大臣はとても感嘆し、これならば東宮様のご寵愛を一身に受けられるであろうと、確信する。
「これ程までにも理想的な姫君は今までいたのであろうか・・・。いや居まい。姿かたちがよく、何をやらせても完璧な姫君は滅多にいないであろう。」
と右大臣は我ながらこの右大将の姫、綾乃を自分の養女に迎えてよかったとうれしさのあまり涙を流す。東宮御所でもとても日当たりがよく、一番大きな部屋を賜ったので、そちらの方に調度を運び入れる。徐々に揃って行く綾乃の立派な調度を見て、東宮は綾乃の入内を大変心待ちにする。もちろん婚儀の後、東宮の夜の御召のない東三条の女御は綾乃に対して大変嫉妬をする。特に綾乃に関してはなのだが、入内後の予定がぎっしりと入っている。入内の日の宴を始め、婚儀の日までの四日間の間に後宮の挨拶回りからはじまり、皇后主催の宴が三日間も続く。婚儀後の数日間は、お休みをいただけるようだが、その後もちょくちょく後宮の出入りが予定されている。もちろんこれは綾乃のみ特別な行事である。後宮にいる皇后も、早く成長した綾乃に会うのを楽しみにしており、入内後の宴をどのように催そうか、女官達と楽しそうに話している。入内のあとの予定表を中宮職から渡された右大臣は異例尽くしの予定に驚く。
「このように後宮からお呼びがかかるとは・・・。さすが以前後宮に女童として出仕したことがある姫君だ。東宮だけではなく、皇后様にも可愛がられるとは、本当にこの上ない姫君である。先が楽しみな姫君であるな。」
と右大臣は家の者に言う。綾乃は東の対の屋にいて、同じ内容の文を受取る。小宰相は人払いをして、綾乃に話しかける。
「入内後、二泊のご予定で後宮にお泊りになるそうですね。皇后であられる綾乃様の母君様もさぞかし楽しみにされているご様子。早くその日が来るといいですね。綾乃様。」
「そうね・・・。母様は私を見てどう思われるのかしら・・・。」
「きっと驚かれると思いますわ。私も皇后様に久しぶりにお会いできるのですもの・・・。」
入内の前日、様々な関係者を呼んで、右大臣邸では宴が開かれた。もちろん父親である右大将も招かれている。綾乃は明日夜が明け切らないうちから入内の準備に取り掛からないといけないので、早めに就寝する。寝殿の宴会場では、明日綾乃が着ていく唐衣やら、色々な物が盛大に披露されている。招待客はとてもすばらしい入内の準備に感嘆する。そして招待客すべての者に右大臣は最高の禄を持って帰らせる。
夜明け前、右大臣邸前には、右大将をはじめ近衛府の者達が集まり、綾乃入内の行列警護の準備に取り掛かる。帝から直々に行列の責任者を任された右大将はてきぱきと護衛の者達に滞りなく東宮御所まで警備できるように指示する。そして陰陽師の者に順路の再確認をして、前駆者に指示をする。夜明け前から綾乃は起き、身を清め入内の唐衣衣装に着替えると、髪を結い、冠をつける。綾乃はもともと透き通るような白い肌であり、あまり化粧というものをしないのだが、この日に限っては綺麗に化粧をし、最高の準備を整える。今まで子供子供していた綾乃が、ここ最近で大変大人びて、十四とは思えない様子である。一緒に御所に入る者たちも最高の衣装を来て、出立の時刻を待つ。表ではやはり都中の者達がひと目入内の行列を見ようと集まってきていた。出立の時刻が近づくと、綾乃の部屋に右大臣と北の方がやって来て、挨拶をし綾乃もお礼の言葉を述べる。東の対の屋に綾乃が乗る車が着けられ、小宰相が綾乃を車に誘導し、一緒に乗り込む。出立の時刻が来ると、右大将が出立を合図すると行列が東宮御所に目指して進んでいった。年の初めに行われた三条大納言家の入内の行列よりも華やかで立派な行列を用意した右大臣家は、都中の者達を魅了させた。四条にある右大臣邸から出発し、東三条邸の横を過ぎ、二条院の前を通って、大内裏に到着する。二条院の前では、和子女王が車の中から、行列を眺めた。右大将は和子女王の車の前を通り過ぎると同時に騎馬の上からではあるが、深々と会釈をする。そして、車の中の綾乃に声をかける。
「女王様がお見送りされていますよ。二条院に戻り次第、改めてお礼を述べておきます。」
「はい。」
長い時間をかけて、東宮御所に入った綾乃は、入内の儀式を行い春宮大夫が東宮の元に報告に来る。東宮はいつもどおりだが微笑んでうなずく。
「やっとこの御所にも季節外れの橘の花が咲きましたね・・・。これで安心です。」
と、東宮の側にいた帥の宮が東宮に言う。
「そうですね、兄上。婚儀さえ終われば毎日のように会えるのです。それまで皇后様が綾乃を独り占めにされるのが悔しいくらいです。」
「そうだね、母上も綾乃姫に会いたくてしょうがなかったらしく、中宮職に無理を言ったらしいね・・・・。ところで右大臣殿はやはりすごい財力の持ち主だ・・・。土御門と東三条の摂関家をたしても及ばないかもしれないな・・・。これからは右大臣殿のような方々の時代かも知れない。」
「そうかもしれません。そのような家の養女になって綾乃は幸せですね。」
「さあ今晩の宴を楽しみにしているよ。」
そういうと、帥の宮は東宮御所を退出する。一方入内を終え、少し落ち着いた頃、綾乃は主だった女官達を連れ、東宮の寝殿の前を通り、西の御殿にいる東三条の東宮女御に入内の挨拶に行く。もちろん東宮は前を通る綾乃の一行に声を掛けようとしたが、籐少納言に引き止められる。御簾越しだが、綾乃の姿を見つめる。綾乃は東宮のいる部屋の前を通るとき、小宰相の指示で、扇で顔を隠してゆっくりと進んでいく。その姿を見て東宮はさらに綾乃と会いたいという気持ちが増してきた。
「籐少納言、今晩少しでも綾乃に会いに行っていいかな・・・。」
「なりません、しきたりでございます。婚儀さえ終われば、いくらでもお会いできますわ。」
「綾乃は少し背が大きくなったのかな・・・。髪も伸びたな・・・。」
「そうでございますね。以前に比べて歳をひとつ取られたからでしょうか・・・。」
東宮は脇息に肘をついて、書物を読む。少したつと、挨拶が終わったようで綾乃が引き返してくる。綾乃は少しうなだれた様子で戻っていく。気になった東宮は籐少納言を呼んで小宰相に聞きに行かせると、すぐに籐少納言は戻ってきて、東宮に報告する。
「やはり少し不都合があったようですわ。いろいろと東三条の姫が綾乃様に対して色々言われたらしく、途中切り上げて戻ってきたらしいですわ。東三条の姫の部屋を出た途端、綾乃様はお泣きになられて、何とか小宰相がなだめて戻られたそうで・・・。」
東宮は立ち上がって部屋を出る。
「東宮様どちらへ。」
「綾乃の所だよ。しきたりなんて関係ない。もうすでに綾乃は私の妃なのだから。」
東宮は籐少納言の制止を振り切って綾乃の部屋に入る。綾乃は御帳台の中で泣き崩れていた。
綾乃付きの女官達が、東宮に気がつくと、皆頭を深々と下げる。
「小宰相、綾乃はどこ?」
「綾乃様は御帳台の中でございます・・・。」
東宮は御帳台に中にいる綾乃に声を掛ける。
「綾乃・・・。」
すると綾乃は振り返り、東宮に飛びつく。
「綾乃、籐少納言から聞いたよ・・・。いろいろあったらしいね・・・。私のほうからきつく言っておくから・・・。」
「ううん、私・・・いいの・・・こうなることはわかっていました。」
東宮は綾乃を抱きしめて、泣き止むまで待つ。
「綾乃、今晩の宴は出なくていいよ。もう桜姫とも会わなくていい。」
東宮は綾乃の涙をふき取り、綾乃の頬にキスをすると、耳元で何かを囁く。綾乃は泣くのをやめて、微笑む。
「じゃあ、今晩の宴の準備があるから・・・。綾乃、無理しなくていいよ。いいね。」
「はい、雅和様。」
綾乃は笑顔で、東宮を見送る。
「姫様、東宮様は何を?」
と小宰相が綾乃に聞くと、
「内緒よ。とてもいいことなの・・・。」
といって微笑む。
夜が来ると、入内の祝いの宴が始まった。群臣達が、集まり宴をする。宴が終盤になる頃、東宮は御簾の中にいる綾乃を連れて宴を抜け出す。そして東宮は綾乃を抱き上げて東宮御所の庭にある桜の木下に連れて行く。東宮は中に着ている衵(あこめ)を脱ぎ、桜の下に敷くと、そこに綾乃を座らせる。
「雅和様、大事な衣が・・・。」
「いいよ、綾乃の衣が汚れてはいけないから・・・。綺麗だろ、ここの桜・・・。先日兄上に教えてもらった。御所で一番大きくて綺麗な桜・・・。きっと綾乃が喜ぶだろうってね・・・。」
「とても綺麗ね・・・。今日はとても月が綺麗ですし・・・。」
二人は夜が更けるまで桜の木下でずっと色々な話をしながら、楽しい時間を過ごした。
「まぁ!東宮様、綾乃様!このようなところに!お二人ともお風邪を召されますわ!」
と、びっくりして籐少納言が二人を見つけ、寝殿に戻るように促す。東宮は残念そうに綾乃を抱き上げ、綾乃の部屋まで送る。そして寝殿に戻る。
「籐少納言、すまなかったね・・・。どうしても綾乃を励ましたかったから・・・。」
「わかっておりますわ。何年東宮様のお側にいると思っておられるのでしょう。きっとあそこだろうと思ったのです。」
「やはり籐少納言には頭が上がらないね・・・。」
《作者からの一言》
二人の東宮女御の入内が完了しました。もちろん綾乃は特別待遇です^^;先に入った桜姫に関しては、婚儀の日にのみ形だけの関係を持っただけ^^;まあ可哀想と言えばそうかもしれませんが、今までに桜姫が綾乃にしてきた行為からしたら自業自得なのでしょうか?綾乃の婚儀はまもなくです・・・。
第65章 綾乃へのご褒美
綾乃が右大臣の養女としてお妃教育を始めて二ヶ月後、季節はもう冬になっていた。和子女王ももう臨月に入り、いつ生まれてもいい状態になった。
「お母様、何だか今日に限って二条院が騒がしいのですね。」
この日に限っていつも静かな二条院が慌しく、家の者達の出入りが激しい。
「大切なお客様がおいでなのですよ。だから朝から騒がしいのですわ。」
「大切なお客様?どなたですか?」
「綾乃には内緒よ。午後、宿直を終えられた殿と一緒にこちらへ・・・。」
「でももうすぐ来られるのですか?」
「そうなりますね。」
和子女王は綾乃付きの女房を呼んで唐衣装束に着替えさせる。
「まあ、よかったわ。わたくしが東宮女御として入内した時に一度だけ着たものなのですよ。大事においていて良かったわ・・・。まだまだいろいろありますのよ。そうそう、綾乃が女童で後宮に入ったときに来ていた衣も、縫い直ししたのですよ。」
綾乃は和子女王の思い出の衣だと聞いて、とても喜んだ。
(へえ・・・これで入内されたのね・・・。)
「綾乃、まだまだご褒美がありますのよ。楽しみに待っていてね。」
和子女王は微笑んで、綾乃を見つめる。すると表が騒がしくなると、しばらくして、右大将が顔を覗かせる。
「女王、綾乃の準備は整っていますか?」
「はい、殿。殿、いつまでも女王と呼ばないでくださいね。もうあなたの北の方です。遠慮なく和子とお呼びくださいませ。」
「そうだね・・・名前で呼ぶのがもったいなくてね。」
右大将と和子女王は照れながら会話をする。
(結構お父様とお母様はお似合いなのね・・・。)
「殿、お客様をお待たせではないのですか?」
「そうだそうだ、忘れていたよ。」
そういうと右大将はすのこ縁に座って深々とお辞儀をする。すると懐かしい香りが近づいてくる。その香りの持ち主は宮中でもただ一人。
「雅和様?」
香りの主は綾乃がいる几帳に近づき座る。
「綾乃、あなたへのご褒美ですよ。」
「お母様・・・。」
和子女王は綾乃に微笑んでうなずく。右大将と和子女王は立ち上がり言う。
「綾乃、私達は邪魔だから、別の部屋に移るよ。東宮、何もお構いは出来ませんが、綾乃とごゆっくりお過ごしを・・・。」
右大将と和子女王が別室に移ると、東宮が話し出す。
「久しぶりだね、綾乃。さあ、几帳からでておいでよ。」
いつまで経っても出てこないので、東宮は几帳を移動させて綾乃の手を握る。東宮になった雅和は品の良い直衣を着ているが、今まで通りの笑顔で綾乃を抱きしめる。
「綾乃、見ない間にまた綺麗になったね。この衣もとても似合っているよ。」
「お母様にいただいたの・・・。東宮女御入内の時に着ていらしたものをいただいたの・・・。」
「そう、母上の・・・。とても似合っているよ。」
綾乃は東宮に再会した喜びで涙が出てきた。東宮は綾乃の涙を拭き、綾乃にキスをする。
「ずっと綾乃に文さえ書けなくてすまなかったね・・・。綾乃、このまま御所に連れて帰りたいよ。これ以上綾乃と離れたくない。でもそれは今出来ない。綾乃を一番に入内させてあげられなくてごめん・・・。」
「わかっております。しょうがないもの・・・。私は駄々をこねるようなお子様じゃありません。ちゃんと私、お勉強したの。初めから歌もお琴も、香も礼儀作法もお母様に教わってやり直したのです。お母様はもう恥ずかしくないわとおっしゃってくれたもの・・・。」
東宮はさらに微笑んで言う。
「知っていたよ。綾乃が一生懸命お妃教育をしていたって。」
「え?」
「毎日のように母上が右大将を通じて文をくれてね。ある日の綾乃は失敗して泣いたとか、すごく喜んだとか・・・。毎日楽しみにしていたのです。父上である帝も、綾乃のお妃教育が終わりつつあるのをお知りになって、今日このように外出をお許しになったのです。名目上は和子女王のご機嫌伺いなのだけど・・・。ここは私が育った邸だから、里帰りのようなもの。三晩泊まってもいいと仰せでね・・・。」
東宮は顔を赤らめてしゃべるのをやめる。綾乃は不思議そうな顔をして東宮を見つめる。
「あのね、さっき清涼殿へ挨拶をしに行くと父上がこっそり耳元で私に言うんだよ・・・。やはり言うのやめる。また今晩ね・・・。あと三日もあることだし。これは私にとってもご褒美なのかな・・・。ずっと帥の宮兼教育係の兄上と籠もって色々勉強していたから・・・。」
東宮は、立太子してからの事をこと細かく話し出す。楽しかったこと、嫌だったことすべて。綾乃は微笑んで楽しそうに話している東宮を見つめる。東宮は思い出したように先日行われた豊明節会で見た五節舞の事を話し、五節舞を踊る舞姫をみて綾乃を思い出し、綾乃と会いたくなったと話す。東宮は大事な龍笛を取り出し吹き始めると、綾乃は龍笛に合わせて五節舞を踊る。
「やはり上手だね・・・綾乃。」
「いえ、雅和様も相変わらず龍笛がお上手で・・・。」
「暇さえあれば毎日龍笛を吹いているから、皆私を「笛吹き東宮」というんだよ。いい意味なのか悪い意味なのかわからないのだけれど・・・。そう、綾乃の入内が決まったよ。桜の花が咲く頃には入内できる。遅くても橘の花が満開の頃には・・・。」
楽しそうに東宮と綾乃の笑う声を聞いた右大将と和子女王は、微笑んで話をする。
「東宮の笑い声を久しぶりに聞いたよ。御所内では毎日つまらなそうな顔をして笛ばっかりお吹きになってね・・・。どうして東宮が三泊されるかわかっていますか?」
「さあ・・・。」
「帝が私に申されたのですよ。正式ではないが、結婚させてやれないかとね・・・。帝も色々過去にあった方だから女王もわかりますよね、帝のお気持ちが・・・。」
「ええ、せめて一番に初恋の姫と成就させてあげたいという親心でしょうか?」
「そのようですね。しかしこのことは里親の右大臣家や、一番に入内が決まっている三条大納言家には内緒なのですよ。まして身籠られたりなどは・・・・。」
「大丈夫です。まだ綾乃は月の穢れがありませんから・・・。そのようなことはないと思いますわ。」
「ところで女王、お腹のお子はいかがでしょう。」
「月が変わる頃には生まれてまいりますわ。」
右大将は顔を赤くして和子女王に言う。
「あの、もしよければ私の子も産んで頂けますか?わけあって私達は夫婦になりましたが・・・。」
「もちろんですわ、殿。この子が生まれたらきっと次は殿の子を・・・・。」
二人は寄り添い、とても綺麗な夕焼けを眺める。
「えー!どういうことなのですかお母様!」
と、四人揃って夕餉を食べている時、綾乃は大きな声でいう。
「綾乃、声が大きいですわよ、はしたない・・・。ねえ、殿。」
「そうだね、さっきまで綾乃には内緒にしていたからね。驚くのも無理はないよ。」
東宮は真っ赤な顔をして、右大将にお酒を勧められのんでいる。
「綾乃、いいわね。これは帝の思し召しなのですよ。夕餉をいただいたら、お部屋に戻って仕度をなさいね。小宰相にはきちんと伝えてあるので・・・。雅和も別室に用意させていますからね・・・。」
東宮は杯を落としそうになり恥ずかしそうに和子女王にいう。
「母上!」
「お父上様が決められたことですよ、雅和。これを逃すと、綾乃が入内するまでありません!母はあなたと綾乃のためにきちんと準備しますから。正式なことではないのが残念だけど・・・。」
夕餉を終えた綾乃は、自分の部屋に入る。小宰相は待っていましたとばかり、綾乃の仕度に入る。綾乃は身を清め、髪を洗髪し、真新しい小袖に袖を通す。そして新調された唐衣装束に着替え、東宮が現れるのを待つ。身を清め綺麗になった綾乃を見て、乳母である小宰相は涙ぐむ。
「綾乃様が先に入内できないのが残念ですわ。このように大変お綺麗で、品もあって教養もある姫様ですのに・・・。非公式ではありますが今日から綾乃様は東宮様のお妃様になられるのですもの・・・。早く正式なお妃様に・・・。」
「小宰相・・・。」
「今日のお衣装は産みの母君がご用意されたと右大将様より聞いております。」
「そう、母様が・・・。」
一方別室では東宮が仕度をしている。東宮御所から乳母である籐少納言がやって来て、真新しい小袖や直衣を取り出し、着付ける。
「東宮様、良かったですわね・・・。初恋を御成就され、本来ならとても喜ばしいことでございます。帝も本日の件、大変お喜びのご様子。後見役のことでこのように内密に事を運ばないといけなかったことには、帝もお悩みになられたのですが・・・。」
「ありがとう。籐少納言。みんな今日のことが外に漏れないように準備していたのですね。」
「そうですわ。好きでもない姫君が先に入内されるのをこの籐少納言も見ていることが出来なかったのですわ。やっと綾乃様と結ばれるのですから・・・。私はとてもうれしくて・・・。立派になられた東宮様・・・。綾乃様を大切になさりませ。あれほどの姫君様はいませんわ。」
「そうだね・・・。父上にも感謝しないといけないな・・・。」
綾乃付の女房がやって来て、綾乃の仕度が整った事を告げる。東宮は返事をし、籐少納言の誘導で、綾乃の部屋に向かう。今まで自分が元服前や中務卿宮時代に使っていた邸なのに、何だか今日は違う邸に思える。特に綾乃のいる部屋は幼少時代に育った部屋である。小さい頃によく柱にいたずらして籐少納言を困らせたりと、色々思い出のある部屋である。
「籐少納言、あの部屋にはまだ私が傷をつけた柱が残っているのかな・・・。」
「多分おありでしょう。明日、綾乃様と色々お探しになってはいかがでしょう。話も弾むかもしれません。」
東宮は微笑んで綾乃の部屋に入る。とてもいい香りのする香を焚き、部屋の中は綺麗に整頓されていた。
「これは綾乃の香りだね・・・。いい香りだ。皆下がっていいよ・・・。」
東宮は皆を下がらせ、綾乃と二人きりとなる。東宮は綾乃の前に座ると、手を取り話す。
「急なことで心の準備が出来ていなかっただろうね・・・。この私もそうなのです。今日父上から告げられてね・・・。」
(今日突然契ってこい、でもはらますなよと言われたが、そこまではいえないなあ・・・。)
東宮は苦笑し顔を真っ赤にしながら、綾乃を抱きしめる。東宮自身このようなことは初めてだったので、ギクシャクしている。綾乃は焦っている東宮を見て笑いがこみ上げてくる。そしてそれを見た東宮も照れ笑いをする。
「兄上に初夜の迎え方を教わればよかったかな・・・。」
「まぁ、雅和様・・・。ちょっと待っていて下さい。もうちょっと身軽になって来ます。」
そういうと、綾乃は部屋を出て行って、小袿に着替えてきた。
「小宰相、いつもの時間に起こしに来てね・・・。」
「はい、綾乃様。」
小宰相は戸を閉め、綾乃は東宮の側に近づく。そして微笑む。
「やはり唐衣は堅苦しくって・・・。肩がこりそうです。これのほうが楽で・・・。」
東宮はヒョイっと綾乃を抱き上げて、寝所に運ぶ。東宮は綾乃を横にすると、直衣を脱ぎ、小袖になると綾乃の側に横になる。そして綾乃の長袴の紐を探り、紐を解く。東宮は真剣な顔で綾乃の顔を見つめると綾乃の前髪を掻き分け、手を綾乃の頬に当てるとそのまま綾乃にキスをする。綾乃は東宮を受け入れ、二人にとって長い長い夜が始まった。
朝が来ると、綾乃は東宮の胸の中で目覚める。はじめて見た東宮の幸せそうな寝顔に幸せを感じ、そのまままた眠りにつく。少し経って朝日が差し込むと、東宮は目覚め綾乃の寝顔を確かめると、昨晩のことは現実であったのだと実感する。東宮は乱れた小袖を整え、直衣に着替える。そして帳台に腰掛けて、綾乃の寝顔を見続け、東宮は紙にすらすらと後朝の文を書いて、綾乃の枕元に忍ばせる。丁度その頃、小宰相が綾乃を起こしに来る。
「あら、東宮様、お早いのですね・・・。わたくし達がきちんとお直衣をお着せ致しますのに・・・。まだ姫様は寝ていらっしゃるのですか?」
「おはよう、小宰相。夜遅くまで起きていたからねきっと疲れているだろうから、そっとしておやり・・・。」
東宮は脇息に肘をついて、綾乃のほうを見ながら小宰相と話す。部屋が騒がしくなったことに気がついたのか、綾乃が目覚め、女房達が東宮と綾乃にお手水などを持ってくる。綾乃は後朝の文に気がつき、顔を赤らめて読む。
「さて、もう母上たちは起きられているのかな・・・。小宰相。」
「はい、もうすでに右大将様と北の方様は朝餉を召し上がっておられます。今こちらに朝餉をご用意いたしますので、ごゆるりとお座りになられて・・・。間もなく綾乃様のお着替えが整いますので・・・。」
綾乃は顔を赤らめつつも、少し眠そうな顔で起きてくる。
「綾乃、おはよう。さあ、こちらへ・・・。今日は何をして過ごそうか・・・。明日は?」
綾乃は真っ赤な顔をして東宮の側に座る。そして用意された朝餉を二人一緒に食べる。綾乃はあまり食が進まないようで、半分食べるとやめてしまった。多分疲れているのであろうと東宮は綾乃を一日横にさせるように小宰相に言う。小宰相は綾乃を寝所へ横にさせ、様子を伺う。そして小宰相は和子女王を呼びに行くと、帳台の綾乃に小さな声で微笑みながら何か囁いていた。東宮は気になって綾乃のほうを覗き込む。
「小宰相、綾乃にお祝いの用意を頼むわね。何が必要かしらね・・・。殿にもご報告を・・・。そうそう綾乃に痛み止めのお薬湯を・・・。」
東宮は不思議そうな顔をして和子女王に聞く。
「母上、綾乃は何か病気なのですか?」
「病気ではありませんわ。女なら必ず通る「初花」ですわ。まぁわかりやすく言えば初めての月の穢れというもの・・・。」
東宮は顔を赤くしておもう。
(月の穢れねェ・・・。)
「雅和、今晩明晩はお控えになられませ。何かとこの時期は気が昂る時期ですからね。まぁお祝い事が重なるとはいいことですわ。今日一日ゆっくりさせて差し上げて。」
「はい・・・。」
東宮は綾乃の側に詰め寄って、手を握り締める。
「雅和様、初枕の日にこのようなことになってしまって綾乃は・・・。」
「気にしなくていいよ。あれほどまだ月の穢れがないとずいぶん気にしていたのだから、良かったじゃないか。明晩はきちんと二人で三日夜餅を食べて身内だけで所顕をしよう。」
綾乃は薬湯が効いて来たのか、ずいぶん楽な顔つきになり、眠りにつく。東宮も寝不足だからか、御帳台に一緒に横になり眠った。
夕餉の時刻になると、東宮は寝殿に呼ばれて帰ってきた右大将と一緒に酒を酌み交わしながら食べる。
「女王がいてくれて助かりましたよ。男親ならどうすればいいのか焦るところでした。これで安心だ。これで堂々と入内できますよ。ところで綾乃はどうかな?」
「綾乃は薬湯がよく効いたのか、だいぶん落ち着きましたわ。小宰相にも夕餉はお祝いの膳にするように申し付けました。」
「本当に女王のおかげで助かります。東宮、これでいつでもあなたの御子を身籠ることが出来ます。綾乃のこと頼みましたよ。」
東宮は顔を赤くして杯に注がれた酒を一気飲みする。明日は三日夜餅の前に身内だけの所顕をするようである。そのことについて右大将は話し出した。
「本日帝に東宮と綾乃の事をご報告しましたよ。とてもお喜びになられて、明日何かをお二人に賜るらしい。楽しみにしておきなさい。あと、女王のこともとても心配されてね・・・。わざわざ出産が始まる頃に大僧正と、陰陽師を使わせていただけるらしい。もうそろそろ産室の準備もしないとね・・・。本当にありがたいことです。」
「そうですわね・・・帝には感謝いたしませんと・・・。本当にこうしてお祝い事が重なるとは・・・。とても良い事がこれから起こるかも知れませね、殿。」
東宮は、右大将と和子女王がとても仲良く話しているのを見て、安心する。
次の日の夕暮れ、右大将は帝より二人のお祝いを賜って二条院に戻ってきた。内密に行った婚儀であったので、あまり大きな物は贈れないという文までつけて、帝は二人のためにとても上等な白い絹の反物をお贈りになった。本当にごく身内だけであるが、東宮と綾乃の所顕を行った。
「本来ならば、色々な方々をご招待して所顕をするのではあるが、内密に行った婚儀だから、東宮、お許しください。」
「いえ、このような事をしていただいただけでもとても感謝しております。これから先、こちらには通うことは出来ませんが、度々母上のご機嫌伺いを口実に、足を運ぶぐらいは出来ましょう。綾乃には入内まで辛い思いをさせると思いますが、文のやり取りはさせていただこうと思っております。」
東宮は頭を深々と下げて右大将に綾乃の事をお願いする。右大将はとても恐縮して、頭を上げていただきたいと東宮に申し上げる。明日は東宮が東宮御所に戻る日である。所顕を早めに切り上げて、東宮は綾乃のいる部屋に向かう。御帳台の枕元にはきちんと三日夜餅が置いてあった。東宮と綾乃は作法に則って、二人で仲良く餅を食べる。
「綾乃、明日朝早く東宮御所に戻るよ。これから何とか理由をつけて、こちらに来るようにする。出来るだけ毎日右大将殿を通じて文を送ると思うけど・・・。明日、東宮御所に戻るとき、右大将殿も一緒に護衛でついてきてくれるらしいから、右大将殿に後朝の文を託しておくよ。他の者には頼めないからね・・・。」
東宮は綾乃を引き寄せて、抱きしめる。
「本当にいい褒美を帝にいただいたよ。本当に父上は心の広く、優しい御方だ。」
「そうですわね・・・。突然で大変驚きましたが・・・・。」
「離れたくない・・・。このまま時間が止まればいいのに・・・。」
いつの間にか綾乃は東宮の胸に抱かれながら眠っていた。東宮は微笑んで、そっと綾乃を横にすると、東宮自信も横になって、ずっと綾乃の頬を触ったり、額を触ったりして名残惜しそうに綾乃を見つめる。綾乃の幸せそうな寝顔は東宮をとても幸せな気分にさせてくれた。
朝が訪れる前に、籐少納言は東宮を起こしに来る。東宮は綾乃を起こさないようにそっと起き上がり御帳台からでると、帰る準備を始める。乱れた髪を結い直し、烏帽子をかぶり直衣に着替えるとまだ眠っている綾乃の顔を名残惜しそうに眺めていたが、籐少納言が退出を促し、渋々対の屋の前に着けられた車に乗り込む。右大将は東宮の車の護衛につき、東宮御所まで馬に乗って東宮の車の側につく。
「右大将殿、これから先色々と頼みごとがあるかもしれませんが、お願いしてよろしいでしょうか?あと母宮のことも・・・。御所に着いたら早速二条院に文を届けていただきたい。」
「御意。」
二条院から御所まではそうたいして距離がないので、夜が明けきらないうちに到着する。到着すると、すぐに東宮は御料紙を取り出し、脇息にもたれかかって綾乃宛に後朝の文を書き文箱に入れて、右大将に託す。右大将は受取るとすぐに二条院に戻り、綾乃の乳母小宰相に渡す。小宰相はまだ眠っている綾乃の枕元にその文箱を置き、そのまま何もなかったように灯明の番をする。一方東宮は、何もなかったように自分の寝所に入り、朝が明けきるまで横になった。東宮は、朝一番に帝の御前に現れ、三泊四日の外泊のお礼を述べ、和子女王の様子などを報告する。帝は清々しい顔をした東宮を見て、内密に行った東宮と綾乃の婚儀を無理にでも行ってよかったなどと安心する。東宮は和子女王から託された文を帝に渡し、帝はとても喜んだ様子で文を読み、東宮に礼を言う。
師走に入ってすぐ、和子女王はとても帝に似た若君を無事出産し、右大将家の祖から取った名前「博雅」と名づけた。
《作者からの一言》
ついに二人は非公式ですが結婚しました^^よかったよかった^^;さああとは入内を待つのみです^^;逆だよね^^;普通は?
第64章 右近の橘姫と左近の桜姫
廃太子からひと月後、中務卿宮の東宮立太子の儀礼が無事終わり、中務卿宮は東宮となった。宮が東宮となり婚約が白紙になった事を知った綾乃は、毎日泣いて暮らしていた。
「綾乃、これはしょうがないことなのだよ。この父に権力と財力がないばかりに・・・。」
「お父様、どうして私じゃいけないの?お父様は右大将じゃない!帝のお気に入りじゃない!お父様、雅和様のお母様を帝から賜ってさぞかし幸せなのでしょうね・・・。私は雅和様とは結婚できないの?どうしてお相手が三条大納言の二の姫なの?」
「綾乃・・・。父も辛いのですよ。もちろん東宮様も・・・。決して入内できないわけではないのですよ。順番が後になるだけだから・・・。摂関家で財力権力もある三条大納言が、今東宮の後見者だ。後見になった大納言殿の姫が先に入られるだけだ。決して東宮様は綾乃をお嫌いになったわけではない。」
それでも綾乃は泣き続けて寝込んでしまうようになったので、まだ早いと思って話さなかった養女の事を話す。
「いい?綾乃。綾乃は右大臣殿の姫として入内するのですよ。」
「右大臣?私右大臣様の姫じゃないわ。」
右大将は微笑んで綾乃に言う。
「右大臣殿の側室の方がこの私のいとこなのです。そこで姫のいない右大臣殿は綾乃を養女として受け入れたいと帝を通して申し出てくださいました。いい?父はあなたを手放すのは辛いけれど、綾乃が東宮様のもとに入内するのはこれしかないのですよ。右大臣殿は源氏筆頭の家柄、権力、財力をお持ちです。うちの家柄で入内したとしても、綾乃は幸せにはなれない。たとえ初めに皇子を授かったとしても、うちの家柄では次期東宮にはなれません。これは綾乃のためであり、将来生まれてくるであろう御子のためなのですよ。今度の私の縁談話も、東宮のためであるのです。もちろん和子女王様のためでもあるのですが・・・。分かってくれるね綾乃・・・。」
右大将の言葉を聞き、綾乃は首を縦に振った。右大将は安心して養女になる日のこと、養女としてのお披露目の宴のことそして大体の予定を言った。
ひと月が経ち、いよいよ綾乃が右大臣邸に養女として迎えられる日がやってきた。迎えられた後はこちらにいるわけではなく、今まで過ごしていた五条邸で過ごすのだが、形式上綾乃は右大臣家の養女として迎えられたという事を公表するために、こうして右大臣邸で宴を開いた。寝殿の御簾の中に綾乃が座り、養女として招待客に紹介されたあと、宴が始まった。招待客は御簾越しに見える綾乃姫の品のあるかわいらしさに魅了され、口々に言う。
(さすがは東宮様お気に入りの姫君。右大臣殿もきっと太政大臣まで登られるでしょうな。)
(ほんとほんと。今の東宮は本当に羨ましすぎる。右近の橘姫、左近の桜姫といわれ、当代一といわれる二人の姫君を入内させるとは・・・。生まれてくるお子たちが楽しみですなあ・・・。)
(今はまだかわいらしい姫がこれからどのように美しい姫になられるか楽しみでしょうな、右大臣殿は・・・。)
(これなら右大臣殿についたら出世間違いなしだ。)
(右大将殿はただ一人の姫を右大臣殿に差し出されるとは・・・寂しいこと・・・。)
(いやいや、元中宮の和子女王を正室として迎えられたではないか・・・。それも帝の御子を懐妊中の女王をだぞ、きっと右大将殿ももっと出世なさるのであろう。)
などと酒の勢いで、口々に言うのを見て、綾乃は早々に退出する。すると右大将のいとこである右大臣の側室が声を掛ける。
「綾乃姫様、良く右大臣の養女になっていただきました。殿もとても感謝されているのですよ。このようにお綺麗で品のある姫様ですもの。殿も私も綾乃姫様がお幸せになられるよう願っておりますわ。もう当家の姫ですので、いつでも遊びにいらして。」
「義母様・・・。」
「そうそう、殿が今日帝にあなたの入内の申し入れをしてきたようですわ。早く決まればいいですわね。わたくし達もあなたが恥ずかしくないように入内のご用意をさせていただきますわ。きっと三条大納言様の姫君に負けないくらいのご用意を・・・。右大臣家の姫として堂々と入内してください。」
「はい、義母様・・・感謝しております。」
右大臣の側室は微笑んで、綾乃を車寄せまで見送った。綾乃は優しい右大臣家の人たちに大変感謝して右大臣邸を後にする。
一方東宮入内一番乗りを決めた三条大納言の二の姫、桜姫は初め東宮と綾乃の婚約白紙を聞いて、やはりこういうときは権力と財力がものをいうのよと、とても喜んだが、右大臣の養女として迎えられいずれ入内してくる事を聞き、嫌な顔をする。三条大納言も、右大将が右大臣家に縁があり、養女に迎えることを知って綾乃を疎ましく思った。もちろん大納言よりも右大臣のほうが、権力がある上に東宮は綾乃を寵愛するに決まっている。何とかして綾乃の入内を阻止できないものかと画策するが、今となっては権力、財力、そして以前二人の姫が対決してわかったように教養も綾乃のほうが優れている。このままでは東宮の後見役を右大臣の取られてしまうどころか、皇子が生まれてしまった場合、権力が右大臣に集中する。何とかしたいが、なんともならないことに三条大納言はやきもきする。
東宮は綾乃が入内するための準備が整ったことに大変喜び、右大臣家養女綾乃姫の入内宣旨があるのを心待ちにする。数日経って、綾乃はお妃教育を兼ねて、東宮の母宮であり、父君の正室である和子女王がいる二条院に移った。和子女王は身重でありながら綾乃のためにお妃教育を引き受け、右大臣の姫として東宮御所に入内しても恥ずかしくないようにこと細かく指導していった。綾乃も早く入内のお許しが下るように一生懸命お妃教育を受けた。やはり綾乃は才覚を表し、いつ入内があってもおかしくない段階までお妃教育を仕上げた。和子女王も綾乃の成長振りに感嘆し、早く入内宣旨が下りないかと毎日のように思うのです。
《作者からの一言》
綾乃は右大臣家の養女となりました。これで堂々と東宮妃として入内できます。しかし桜姫の存在が気になりますね^^;もちろん何もかも完璧にできてしまう綾乃にはずっと勝てないのでしょうけれど・・・・。
やはりこの時代は駆け引きですね^^;何のことやら?綾乃は幸せになることができるのでしょうか?
第63章 右大将と宮
中務卿宮は兄宮の東宮廃太子の宣旨が下ったあと数日間、別に行く必要はないのだが、仕事の引継ぎで中務省に出仕する。ほんの半年間だったが、中務卿宮の人柄の良さで、省内の者たちは宮を慕い、そして良く仕えてくれた。中務卿宮も、省内の者達のやさしさに触れ楽しく出仕ができたものだ。特に権大輔は、中務省の事を手取り足取り教え中務卿宮を半年間で一人前にした。
「宮様、引継ぎならこの私で十分でございます。宮様の私物もこの私が二条院までお届けにあがりますから・・・。さ、帝の仰せどおりに立太子までの間、静養の続きをなさってください。」
「中務の仕事がせっかく楽しく思えてきたというのに、残念です・・・。次の中務卿が決まるまで兼任が出来たらいいものを・・・。本当に権大輔殿には大変お世話になりました。必ずこの御恩はお返しいたしますね。」
「いえいえ、先の中務卿宮様の御恩をお返ししたまでのこと・・・。」
中務卿宮は引継ぎを済ませると、権大輔に丁寧にお礼を述べ、省内の者達にもひとりひとり挨拶をし中務省を退出する。中務卿宮は、従者に右大将のもとへ文を遣わし、今晩二条院で会う約束を取り付けた。右大将は宿直であったのだが、急遽取りやめて二条院まで出向いた。
「右大将殿、わざわざすみません。供の者から先程宿直であった事を聞きました・・・。」
「いえ、いいのですよ、宮。形式上のものですので私がいてもいなくても良いこと。」
中務卿宮は用意された酒と肴を右大将に勧めて右大将にある書類の写しを見せる。そこには立太子後すでに決まっている事柄が記されている。
「ほう、このような重要な機密文書を私に見せてもいいのですか?」
「本当はまだ中務で宣旨を作成中の段階のもので本来お見せできないものの写しです。綾乃の父君だからこそ、お見せしたいと思ってこっそり向こう一年間の予定を書き写してきたのです。もちろんこの中には綾乃の入内は入っていません。それどころか・・・。」
「三条大納言殿の二の姫の入内が年明け早々入っているということですね・・・。これはしょうがないことです。この私に相当な家柄と財力のないことによること・・・。どうにか綾乃を説得してみないといけません。」
「もちろん綾乃をいつになるかわからないのですが必ず入内させます・・・。それだけは右大将殿に分かっていただきたい。綾乃のこと・・・頼みます。もちろんあなたに後見していただきたいのは今も変わりません。あと、中宮である母上が、こちらに戻られてくるかもしれません。そのときは右大将殿に母の後見を・・・。母の実家はある程度の荘園を持っていますので、何とか食いつなぐことは出来ましょう。まだ曾お爺様は健在です、しかしながら母は世間というものご存知でない。ですから後見になっていただき、母の実家の宮家を守っていただきたいのです。また生まれてくる御子の事も・・・。もし帝の許しを得、母さえ良ければ、正妻の居られないあなたに・・・・。」
「それは異例中の異例というものです。中宮様の後見を受けることは可能ですが・・・。」
右大将は困った様子で中務卿宮の話しを聞き続ける。もちろんまだ正式に決まってもいないことなのですが、先日中宮が帝に申し入れした中宮の称号と、麗景殿に返上願いがこの日受け入れられた。もちろん帝自身も悩み悩んで聞き入れたのですが、帝自身も後見のいない中宮の行く末を心配でならないのは確かなようなので、帝も右大将に妻がいないことに目をつけ、中務卿宮にそれとなし右大将に聞くようにと頼んだ。右大将はそのようなことになっていることに気がつかず、後見の申し入れを承諾した。あとは中宮と右大将の気持ちしだいであった。
次の日、中務卿宮は清涼殿に参内して右大将の意向を報告する。帝は安心して、麗景殿に向かい、中宮に返上後の行く末について話をし、もちろん中宮は承諾をする。そして帝は右大将を麗景殿に呼び、中宮と引き合わせる。
「右大将殿、このような場所に呼び出してすまないね・・・。あなたにはこの私からお願いがある。中務卿宮から聞いているだろう。異例なことだが、ここにいる中宮和子をあなたに差し上げたい。もちろん、綾乃姫の入内に関して前向きに考えることにしよう。どうしても後宮を出たいときかないものでね・・・。私自身中宮を手放したくはないが、あなたが中宮の後見を引き受けていただけると聞いて、安心した。頼みましたよ。」
右大将は意外な展開に驚き、帝からの直接の申し入れに断れず中宮が後宮を出た後、右大将の正妻として迎える事を承諾した。
「あと、右大臣から綾乃姫を養女として迎えたいと申し入れがあった。血縁関係を聞くと、なんとあなたの母君方のいとこの姫君が、右大臣殿の側室というではないか・・・。」
「そういえば、私の母方のいとこが、右大臣源朝臣孝明様のところに・・・。」
「右大臣の養女となれば、難なく東宮に入内できよう。右大臣家は摂関家ではないが、源氏の中でも筆頭の家柄と財、権力を持っている。綾乃姫を右大臣に差し上げてはいかがであろうか・・・。もしそれで良いのであれば、私から右大臣に言っておくが・・・。ただし、三条大納言の姫の後になってしまうよ。」
「御意・・・。」
右大将は帝に感謝して深々と頭を下げる。次の日には、帝から内々的に右大臣に綾乃姫の養女の件を伝えた。右大臣は綾乃姫の養女の件を承諾してもらい、大変喜んだ。
中宮は良き日を選んで中宮の称号と麗景殿の返上の正式発表をし、後宮を出て二条院に入る。中宮はもともと宮家の姫であったので、もとの名前である和子女王という名前に戻った。帝としてはお腹の御子を自分の子として宣旨したいようであるが、和子女王と右大将の意向により、右大将の子として扱うこととなった。
和子女王が二条院に入って二ヶ月後、右大将の正室として迎えられた。そして和子女王は右大将邸である五条邸には入らず、そのまま二条院に留まった。右大将はただの形だけの正室として扱わず、毎日出仕の帰り、二条院に通い和子女王と過ごし、和子女王も堅苦しい後宮と違って毎日楽しい日々を過ごした。
《作者からの一言》
家柄的に東宮妃としての入内が難しい綾乃に、養女の話がやってきました^^これで東宮妃として入内できるのです。右大臣もはじめから寵愛を受けることがわかっている姫を養女に迎えるのはとても都合がいいのです。もちろんこの段階では綾乃は知りませんけどね^^;
ところで中宮和子は中宮を返上して二条院に戻り、和子女王として再出発です^^;でも帝の子供を身籠ったまま、右大将の正妻として再出発となります。もちろん右大将が帝に断れない理由は、帝に例の件で貸しがあるからです。もちろん、和子女王は綺麗な姫宮ですので、右大将も次第に気に入りますけどね^^;
第62章 急な呼び出し
静養期間終了まで残り半月という頃のこと、珍しく中務卿宮のもとへ帝直々の使いが来る。今すぐに内裏へ参内せよとの命令が下ったのである。中務卿宮は急いで参内の準備に取り掛かり、整うとすぐに車に乗って内裏に参内した。内裏に入ると皆が驚きの表情で急いで清涼殿へ向かう宮を見つめる。
(何だか早い出仕だな・・・。)
(来月頭と聞いたが・・・。)
(長いこと見ぬ間にずいぶん大人びてこられたな・・・宮は。)
(病み上がりでだいぶんお痩せになったからな。)
(でも思ったよりお元気そうで・・・。)
(そりゃ、婚約者のいる右大将様の邸でのご静養だからな・・・回復も早いわな。)
中務卿宮は殿上人の話に耳を傾けつつ、清涼殿に急ぐ。清涼殿では帝のほかに、関白や内大臣、宮内卿、中務省権大輔、春宮坊大夫、陰陽頭などが集まり中務卿宮が参内するのを待っている。中務卿宮が到着し、一通り挨拶のあと、関白が話し出す。
「静養中突然お呼びして申し訳ありません。帝はとても心を御痛めのため、帝に代わって中務卿宮様に申し上げます。今回の件は宮様の兄宮でいらっしゃる東宮様のことについての事・・・。ご成婚のひと月後より、臥せっておいでなのです。侍医に診せましてもこれといって病ではなく・・・。ついには先日東宮を退きたいとの仰せで、東宮御所内はただいま大変混乱した状態であります。なんとか大夫が御引き留め申し上げておるのですが・・・。この私にさえ、理由を話していただけない。こちらと致しましても理由なき退位は認めるわけにもいかず・・・。ですから、弟宮であられ、日頃より仲良くされておられる宮様に何とか御引き留めして頂き、何とか現状の回復をしていただきたいのです。もちろん中務省の長官として、陰陽寮、宮内省、春宮坊と最善を尽くしてこの件に関して解決をしていただきたいのです。」
「はい。それはそうですね・・・中務卿として、弟宮として最善を尽くすのは当たり前のこと・・・。」
すると帝が重い口を開く。
「中務卿宮、頼んだよ。もしあなたにでもどうにもならない状態で退位となった場合、二の宮であるあなたが東宮に立たなければならない。それどころか、そうなるのであれば、綾乃姫との婚約も白紙にしないと・・・。この件が解決するまであなたと綾乃姫の婚儀の日程は白紙状態だ。いいね、雅和。」
「どうして婚約白紙にしないといけないのですか!」
「お前も半年出仕していればわかるだろう。東宮となれば相当な家柄、財力、権力を持った家の姫を東宮妃として迎えなければ、後ろ盾のないに等しいあなたには将来はないのですよ。右大将殿には申し訳ないが、家柄と財力が足りないのだから・・・。綾乃姫との婚約解消したくなければ、東宮を廃太子させぬようにがんばりなさい。さあ、東宮御所に。」
「御意・・・。御前失礼致します。」
中務卿宮は内裏を退出すると、東宮御所に向かう。東宮御所に向かう間、様々なことが脳裏を横切る。
(兄上は一度言ったらがんとしてきかない人。この僕が何とかできるだろうか・・・。もし原因さえわからず、帝のご期待にそえなかったら?もし廃太子になったら・・・。その時は辞退して御歳五歳の弟宮に・・・。弟宮は皇后様のお子だから・・・きっとみんなも納得する・・・。そうだ、そうしよう・・・。でもその前に兄上をどうにかしないと・・・。)
色々考えながら東宮御所に入る。東宮御所はなんとなく嫌な空気が流れている。中務卿宮自身物の怪やら何やらというものをあまり信じていないにもかかわらず、なんとなく嫌な予感をして、陰陽督を呼ぶように指示する。東宮は部屋に籠もりっきりで、あまり人を寄せ付けない。もちろん東宮妃もである。東宮のいる寝殿に入ると、さらに空気が重くなる。
「兄上。居られますか?」
すると塗籠のほうで声がする。
「中務卿宮か・・・。何か用か・・・。」
「兄上、入ってもよろしいでしょうか・・・。」
「雅和ならいいよ・・・。」
中務卿宮は塗籠に入る。東宮は文机を前にして何かを読んでいる様だった。中務卿宮は東宮の後ろに座って頭を下げる。
「雅和、もう体のほうはいいの?」
「はい、それよりも兄上は・・・どうなされたのですか?あれほど明るく利発な方が、このようなところに籠もりっきりとは・・・。父上もたいそう心配されております。理由をお聞かせください。中務卿としてではなく、兄上の弟宮として・・・。」
「雅和が僕の代わりをしてくれるといいのです。ただそれだけです。」
東宮はまた書物を読み始める。
「兄上!」
すると東宮は一息ついて中務卿宮に言う。
「最近寝ているとうなされる。何かに襲われる感覚があってね・・・。あと最近まで私は自分が東宮であることに何も疑問は持たなかった。生まれながら東宮として扱われ、一人の人として扱われなかった。すべて型どおりにしつけられ、私自身それが当たり前だと思って育ってきたのだけど、最近になって自分は何者なのか疑問に思うようになって・・・。私はお前と違って人との付き合いというものが苦手で、特に東宮御所に入ってからというもの好きな乗馬が出来なくなってしまった。群臣の者達も、この私に表面上は東宮として扱ってくれるのだけれど、裏では雅和のほうがふさわしいとまでも言う者がいる。なぜだか分かるか?」
「でも私は母君が摂関家出の兄上と違って後見もなく、利用価値のない親王ですよ。」
「それなのですよ。一昔と違って今摂関家は、昔ほど権力は薄まりつつある。特に父上の代から家柄だけではなく、右大将殿のように能力のあるもの多数を重職につけている。その者にとって摂関家を後見に持つ私は目の上のたんこぶ。いなくなるほうがいいに決まっている。摂関家以外のものたちが、宮家腹の雅和の後見となり東宮に仕立て、皇子が出来れば権力は摂関家以外に集中する。だから私が邪魔なのですよ。私は摂関家の権力保持のための道具ではない。結姫も摂関家の姫だし・・・。」
「兄上・・・。私はあなたの代わりは出来ません。兄上のように賢くないし・・・。」
「何を言う。雅和もこの半年で立派に中務省を取り仕切っていたじゃないか・・・。雅和の方か頭の固い私と違って向いていると思う。私は上に立つより・・・。」
「とりあえず兄上、東宮をお辞めにならないよう私からお願いします。兄上のためなら何でも致しますので・・・。それでは御前失礼致します・・・。」
中務卿宮はため息をついて、寝殿を出る。すると陰陽頭が控えていた。
「安倍殿、東宮御所のこの空気、何も感じませんか?調べていただきますか。そして内密に報告を・・・。よろしくお願いします。」
陰陽督は中務卿宮に頭を下げると下がっていく。
(加持祈祷もしないといけないかもな・・・。)
中務卿宮は内裏に戻って帝に東宮の様子や言葉をすべて話す。帝はさらに口を閉ざす。
「私には兄上をお引止めすることしか出来ませんでした・・・。兄上は相当悩んでおられ、夜も良く眠ることが出来ないご様子・・・。ちょっと気にかかることがありましたので、陰陽寮のほうに調べさせております。」
「うむ、あらゆる可能性を試して欲しい・・・。」
中務卿宮は内裏を退出して、中務省に入る。中務省の者たちは突然出仕してきた宮に驚く。
中務卿宮は部屋に入り、考え事をする。すると陰陽寮から密書が届く。中務卿宮はその密書を読むと陰陽頭を呼ぶ。陰陽頭が到着すると権大輔に人払いをさせる。
「安倍殿、この密書の内容が今ひとつ分からないのだけれど・・・詳しく口頭で教えて欲しい。」
「東宮御所中に異様な空気が流れているのは確かです。この異様な気の流れは東宮ご自身が起こしておられるのか・・・または・・・あくまでも陰陽道は占いの類ですので、詳しいことは・・・。引き続き最善の方法がないか占って見ますが・・・。」
「頼みましたよ。」
(やはり加持祈祷系か・・・。)
「権大輔殿、今から聖護院の一乗院大僧正のところへ参ります。用意を・・・。」
一乗院大僧正とは、天台宗の高僧で先代、今上帝の護持僧である。中務卿宮は車に乗り込み、鴨川を越えた聖護院まで出向く。先触れもない急な中務卿宮の訪問に、僧達は驚き慌てる。大僧正は中務卿宮を迎え、部屋に通す。
「急にこちらに訪問してご迷惑でしょう。僧都殿。」
「いえいえ、来られるのではないかと感じていましたよ。さあお座りを・・・。」
中務卿宮は上座に座ると僧都が話しかける。
「二の宮様、本当に立派になられまして・・・。中宮様が宮様を御懐妊されたとき、安産祈願にと加持祈祷をさせていただきました。本当に良かった・・・妹宮は残念なことでしたが・・・。」
「そうですか・・・今日はご相談がありまして、これは内密なことですので人払いを・・・。」
僧都は人払いをして、中務卿宮が話し出す前に用件について話し出す。
「ですから先ほど、宮さまが来られると感じたと申しましたように、分かっております。ひと月前から東宮様のご様子がおかしい事を・・・。もとは東宮様自身が引き起こした気の乱れ・・・。それが十五年前にあった出来事で処罰され流された者達の怨念を呼び起こさせたのでしょう。」
「十五年前の出来事?」
「宮さまが生まれて間もない頃に起こった後宮で起こった事件でございます。」
僧都はこの事件について話し出した。十五年前、後宮にいたある摂関家の女御が引き起こした事件。帝を振り向かせようと冗談半分で行った東宮呪詛事件。その女御の行いによって、父である大臣から女子供に至るまで、厳罰に処分されてしまった。もちろん父であった大臣は無念のあまり出家後数年で他界。その女御も最近病気で亡くなった。その一家の者達の怨念が東宮の気の乱れにつけ込んで東宮御所を覆っているという。気の乱れを察した頃から、僧都は加持祈祷を自らの意思で行っていたというが、東宮自身の生気がないため、なかなか効いて来ないと言うのだ。
「まずは気力を取り戻すことなのですか?」
「そういうことです。それがなければこの私にもどうにも出来ません。それが出来るのは宮様あなただと思うのですが・・・。しかしそれがあなたにとって良くないほうになるかもしれません。まずは東宮様の悩みを解消して差し上げてください。私も加持祈祷で東宮様が良くなられますよう努力いたします。」
「良くないこと・・・?」
「私の身分ではそれ以上のことは申し上げられませんが、このままの状態でしたら東宮様は心神喪失どころか、お命も絶たれるかもしれません。あの御方は強そうに見えて本当は弱い方なのです。」
「僧都殿、今度参内のご予定は?」
「そうですね・・・本来でしたら今すぐにでも帝の下へ参内して現状をご報告させていただきたい。」
中務卿宮は供の者に、僧都殿上許可を得るように内裏へ走らせた。供の者が帰ってくると、僧都に参内の準備をさせた。準備が整うと僧都とともに内裏へ向かい、清涼殿に参内する。帝は最も信頼する僧都の参内に大変喜び、僧都を御簾の中に入れて、東宮について相談を始める。中務卿宮は御簾の外で相談事が終わるのを待つ。
「中務卿宮、もう少し時間がかかりそうだから、中宮に会って来たらいい。母宮も心配している。」
「はい、父上・・・。」
中務卿宮は考え事をしながら、母宮のいる麗景殿へ向かった。途中弘徽殿では皇后が中務卿宮を引き止めて、中務卿宮の体調のことなどを伺う。そして東宮のこともお聞きになる。中務卿宮はどこまで話したらいいものか悩む。一応それとなし話して、退室する。麗景殿につくと、中宮つきの女官達が、中務卿宮の体を気遣う。
「母上、調子はいかがでしたか。順調なのですか?」
「まぁ宮。お早い出仕許可がでましたのね。母は大丈夫ですよ。それよりも宮はきちんとした生活をしているの?まぁこんなに痩せてしまって・・・。少し見ない間に、背が高くなったのですね。」
「母上・・・。私の心配よりも、母上のことが心配です。私の懐妊中は大変だったのでしょう?母上、さ、座ってください。」
中務卿宮は座り込んだまま話そうとしないので、中宮は心配そうに声を掛ける。
「雅和、何か悩みでもあるのかしら・・・。あなたは本当に悩みがあってもこの母にさえ相談してくれない時があるのです。」
「では母上、人払いをしていただきますか?」
中宮は人払いをし、中務卿宮は人がいなくなった事を確認したうえで、今日起こった出来事を中宮の側で相談する。中宮は少し間を置くと中務卿宮の耳元で他の者に聞こえないように言う。
「あなたが思うようにしないとだめです。母はこういうことには口出しできない立場ですので、最終的にはあなたが決めないといけません。あなたが東宮になられることに関しては、母は認めるわけにはいきませんが、こういうことはあなたが判断すること。出来れば中務卿宮として綾乃姫と一緒になるのがあなたの幸せだと思うのですよ。母はあなたがすべて東宮のために背負う必要はないと思うのです。御歳五歳の弟宮もおられます。あなたが引き受けてしまうと、また政権争いや何やらであなたは犠牲になりますよ。その上、綾乃姫とも別れ・・・。母は我慢できません。」
「母上、貴重なご意見ありがとうございました。ぜひ参考にさせていただこうと思います。」
一方清涼殿では、帝と僧都が話をしている。帝は僧都の助言を真剣に聞き入れる。
「僧都。私は二代続けて一の宮が廃太子することは望んではないのですよ。亡き兄上の場合は病気であったから仕方がないが、今回の東宮は・・・。」
「帝、東宮様も心の病を患われておられます。まずはそれを何とかしないといけませんが・・・。」
「僧都の言うことも分かるが、東宮存続を取れば東宮の命に関わる、廃太子を取れば、中務卿宮がすべてを背負い込み政権争いの犠牲になる。難しいところ・・・。何とか丸く収まる方法はないか・・・。」
「きっと何かあるはずと思いますが・・・。しかしまずは東宮様の気力を回復しなければ私は何も出来ません・・・。」
すると中務卿宮が清涼殿に現れ、帝に申し上げる。
「父上、東宮御所に数日宿直をして、兄上とじっくり話してみようと思います。もしかしたら何か解決方法が見出せるかもしれません・・・。」
「中務卿宮、頼んだよ。」
「御意・・・。」
中務卿宮はどんどん自分が東宮になるほうに傾いてきていることが直感的に分かった。でもそれは出来るだけ避けたいと思うのだが、どのようにすればいいものかと思う。
(兄上のためなら自分が犠牲になってもいい・・・しかし綾乃はどうなる?あれほど僕との婚礼を楽しみにしているのに・・・。何とか逃げ道はないだろうか・・・。ああ!分からなくなってきたよ!)
中務卿宮は右近衛府に出向き右大将に会い、当分東宮御所に宿直なので帰れないとのみ告げる。そして一度二条院に戻り、宿直の用意を整え改めて夜中務省に入る。そしてたまっている書類に目を通すと、東宮御所に向かう。夜になるといっそう御所内は異様な雰囲気である。春宮大夫と話をしたあと、中務卿宮は東宮のもとに訪れ、東宮の後ろに座る。
「雅和、また来たのか・・・。」
「ええ、もし今晩も眠られないのでしたら、この私と世間話でもして一晩過ごそうかと思いまして。兄上と久しぶりに長い時間過ごそうかと・・・。酒と菓子も用意させました。さあ、このようなな所にはおられず、今宵は月や星も綺麗ですし、すのこ縁まで・・・。人払いはしておりますから・・・。」
中務卿宮は東宮を連れ出し、几帳で囲んだ小さな宴席に座らせる。そして東宮に杯を渡し、酒を注ぐ。東宮はぐっと飲み干す。
「さすが兄上、いい飲みっぷりです。私が女人なら良かったのでしょうけど・・・。良ければこの私が女装でもしたほうが良かったかな・・・。」
中務卿宮の言葉に東宮は噴出す。
「そうだな・・・。雅和は中宮によく似て女性的な顔立ちのところがある。きっとお前が女ならきっと美しいだろう・・・。」
「それなら誰かに借りて着てみましょうか?面白いかもしれません。誰も見ないし・・・。兄上が喜んでいただけるのなら僕は何でもしますよ。」
中務卿宮は立ち上がって、ある部屋に向かう。そしてそこにいる東宮の女房にいう。
「近江、ちょっといいかな・・・。袿と袴を貸してくれないか?兄上をちょっと楽しませたいことがあってね・・・。みんなには内緒だよ。恥ずかしいから・・・。」
そういうと、近江の部屋を借り、着替えを始める。衣冠を脱ぎ、髪を下ろす。そして小袖姿に女物の長袴を穿き袿を着ると、肩より少し下まで伸びた髪を束ね、近江に借りた扇を持つ。近江は中務卿宮の美しさに声を失った。まさしく中宮和子の入内間もない頃の顔にそっくりであった。
「やっぱり女装っておかしいかな・・・。これで兄上が喜んでくれるといいのだけど・・・。」
「いえ、そのへんの姫よりもお美しく、まるで入内間もない頃の中宮様にそっくりですわ・・・。誰も寝殿に行かないように私が見張っておきますわ。宮がこのような格好をされたと分かると、大騒ぎになりますもの・・・。」
中務卿宮は赤い顔をして、すのこ縁に座って月を眺めている東宮の側に座る。
「お兄様。」
まだあまり声変わりをしていない中務卿宮の微笑みはとても美しく、東宮はこれが弟宮かと間違うくらいであった。
「やはりおかしいですか?もし何ならもとの姿に戻りますが・・・。」
「いや・・・。雅和の双子の妹宮雅子が生きていたらこんな姿だったのだろうかと思ってね・・・。父上にも見せて差し上げたいよ・・・。雅和が姫なら今ここで押し倒して・・・。」
そういうと東宮は久しぶりの笑顔を見せた。中務卿宮は東宮に杯に酒を注ぐ。時がたつのを忘れ二人は世間話をしながら長い夜を過ごした。
「雅和、今夜はありがとう。ちょくちょくこのような趣向の宴を二人で開きたい。いいかな・・・。今日はゆっくり眠れそうだ・・・。ありがとう。」
東宮は立ち上がり、寝殿の寝所に向かう。中務卿も付き添っていく。そして東宮が眠ったのを見計らって、近江の部屋に着替えに戻った。
「いかがでしたか?」
「兄上はとてもお喜びになられた。また借りることがあるかもしれない。その時は頼むよ。ありがとう近江。」
中務卿宮は衣冠に着替え髪を結いなおして冠をかぶると、東宮の寝所に戻り、側に座って朝まで東宮を見守った。朝がやってくると、東宮はウトウトしている中務卿宮を起こす。
「残念だなあ・・・もう着替えてしまったのか・・・。まるで昨夜の雅和はかぐや姫のようだった。」
中務卿宮は顔を赤くして言う。
「私はもともとあのような趣味はありません。兄上に喜んでいただけるのならと・・・。そんなに良かったですか?」
「ああ。理想的な姫に出会ったと思ったよ。」
「え?兄上冗談はよしてください。そのような目で見ないでください。」
東宮は中務卿宮の女性的な顔や病み上がりの華奢な体、結い上げた髪の後れ毛、そして綺麗なうなじを見つめる。東宮は本当にこの弟宮が女ではないのかと考えてしまう。
「本当に雅和は可愛らしいね。男にしておくのがもったいない。どうかな、これから私のもとで女として過ごしてみないか?」
「兄上がこのまま東宮としておられるのならば・・・。というのは冗談ですけど、あと数年したら声変わりもするし、髭も生え、立派なおっさん顔になりますよ。(笑)」
「そうだな・・・そうなれば恋も冷めてしまうかな・・・。今晩も明日も雅姫を頼んでいい?」
「じゃあ今晩は唐衣を近江に借りましょうかね・・・。あれは着替える時間がかかりますが・・・。やはり東宮様の前ですからね・・・。雅姫の登場は相当大変ですね。唐衣となると人数もいるし・・・。本当に兄上が少しでも元気を取り戻していただけてうれしいです。さあ二条院に戻って着替えてこないと。」
中務卿宮は、笑顔で退出するのを見て、東宮は複雑な思いでみている。
(本当にあいつはこの私のために・・・でもこれ以上東宮としての地位は必要ない・・・。あのように思いついてすぐ善し悪しを考えた上行動に移す、雅和の才能はすごいものだし。)
東宮は近江を呼び、清涼殿への参内準備を整わせる。一方東宮が参内してくると聞いて、殿上人たちはざわめき立つ。もちろん帝も東宮の急な参内に驚く。東宮は思い立った真剣な顔をして帝の御前に座る。
「廃太子願いに参りました。理由は中務卿宮からすでに耳に入っておられると思います。昨日、宮が私のために贅を尽くして小さな宴を開き籠もっていた部屋を出るように仕向けてくれました。そして私のために最良の方法を考え即座に、行動に移してくれました。これは中務卿宮の私にはない才能だと思います。武術学問ばかりで、人との付き合い方を学ばなかった私には到底、人の上に立つという重責には耐えられません。あのように朗らかで人当たりも良く、世渡り上手な中務卿宮のほうが東宮に向いていると思います。何不自由なく生活させていただいた父上や母上には申し訳なく思いますが、お聞き届けいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。」
といって東宮は頭を深々と下げ、帝に申し上げる。
「しかし、中務卿宮の気持ちにはなっているのか?宮が立つとなれば、あれほど願っていた綾乃姫との事も・・・。」
「父上、逃げ道があるではありませんか・・・。綾乃を左大臣殿の養女に・・・。」
「左大臣の?」
東宮は御簾の中に入り帝の耳元で言う。
「綾乃は母上である皇后の・・・。れっきとした摂関家の血が流れています。」
「そうだがそれをするとなると、綾乃の出生の秘密を左大臣に言わないとならない・・・。もちろん左大臣の姫ということであれば・・・。入内は可能だが・・・。しかし雅孝、早まったことは・・・もう少し考え直してみないといけないよ・・・。」
「父上、私はずっと考えていたことなのです。ですので・・・・。」
「いや、そのような理由では廃太子は出来ない・・・。下がりなさい!」
東宮は頭を下げると清涼殿をあとにする。中務卿宮は二条院に戻ると、昨晩一睡もしていないので、脇息にもたれかかって一眠りをする。少し眠って気がつくと、聖護院の大僧正から密書が届いていた。内容は少しずつだが、東宮御所の重い空気は解消されてきているということ、あと様々な内容が書かれていた。中務卿宮は大僧正に返事を書き、従者に聖護院にいくように頼む。
(兄上はこのまま東宮として在位してくださるのだろうか・・・。綾乃が側にいてくれたら少しは心が和むのだけど・・・。)
そう思うといつの間にか床の上に横になって眠っていた。誰かが掛けたのだろうか。気がつくと袿を中務卿宮にかけてあった。
(こんなところで眠ってしまったのだな・・・。風邪を引くところだった・・・。籐少納言かな・・・。)
中務卿宮は大きくため息をつくと、起き上がって宿直の用意をする。準備が整うと、中務省に立ち寄ってから東宮御所に入る。そして昨日と同じように入れ替わる春宮大夫と引継ぎをし、寝殿に入る。
「雅和、待っていたよ。さ、座って・・・。」
東宮は中務卿宮を座らせると、真剣な顔で話し出す。
「今日、父上に廃太子の願いを伝えてきたよ。父上は反対していたけどね・・・。雅和、代わってくれないか?雅和が首を縦に振ってくれるだけでもいい・・・。」
「兄上はただご自分に自信がないだけです。もう少し前向きに考えてはいかがですか?もし廃太子になられた時、東宮妃結子姫はどうされるのですか?兄上はその先どうされるのですか?」
「結子姫は内大臣家の姫だ。あとから何とかなる。私は・・・私は・・・。」
中務卿宮はため息をついて、申し上げる。
「兄上はいつもあとさきを考えずに行動されるのです。東宮をお辞めになったら、そのまま邸に籠もっておられるだけですか?いくら兄上が摂関家の血筋とはいえ、誰が兄上の面倒を見るのでしょうか・・・。臣籍に下られたとしても、そのような考えではお勤めできませんよ。出家をされたとしても・・・。とりあえずゆっくり考え直してみてはいかがですか?」
東宮はため息をつく。そして急に意識が朦朧となり東宮は倒れてしまった。中務卿宮は驚き、東宮を支えると、人を呼び典薬寮の医師を呼ぶ。中務卿宮は東宮を寝所に運ぶと、直衣を緩め、寝かして単をかける。
(しまった!きつく言い過ぎたか・・・。励ますつもりが・・・。逆効果だったか・・・。)
中務卿宮は、東宮の寝所の側に座り込んで自分を責める。医師に見せても何も分からず、心の病としかいえない状況であった。一晩中中務卿宮は東宮の側を離れず、自分を悔やみ続ける。
(兄上・・・。この私はなんと言う事をしてしまったのだろう・・・。この私こそ兄上のことなど何も分かっていなかったのかもしれない・・・。やはり私が兄上の代わりをしないといけないのだろう・・・。結局自分のことしか考えていなかったのは私かもしれない・・・。)
中務卿宮はいつの間にか眠ってしまっていたようで、気がつくと朝であった。まだ東宮の意識は戻っておらず、さらに自分を責める。
「中務卿宮様、帝がお呼びでございます。」
と御所のものが声を掛けると、中務卿宮は涙をふき取り、衣冠のままで参内する。そして帝の御前で中務卿宮は昨夜の件に関して帝に謝る。
「中務卿宮、それは遅かれ早かれ誰かがいわなければならないことです。東宮もそれを十分理解したからこそ、悩み倒れたのであろう・・・。中務卿宮が悪いわけではない。」
「しかし、この私がついておりながら・・・。」
「私は意を決しました。東宮が目覚めた時、あなたからこの帝である私の言葉を伝えなさい。」
「父上・・・。」
帝は大きく深呼吸をして、中務卿宮に聞き取りやすいようにゆっくりと話し始める。
「東宮をそのまま続けるのも構わない。臣籍に下るのもよし、出家するのもよし、東宮の好きなように選びなさい。臣籍に下るのであれば、一品親王としてそれなりの位を与えてやりたいが、あなたの体の状態に合った位を授ける。出家するのであれば、親王としてふさわしいところへ出家させる。以上を、東宮に伝えよ。中務卿宮、あなたが一番苦しい立場になってしまうが、よろしく頼みますよ。」
そういうと、帝は立ち上がって退出する。側にいた関白は中務卿宮に言う。
「昨日、帝は譲位までお考えになられるほど、悩まれ決断されたのです。帝も宮もとてもお辛いと思いますが、よろしくお願い申し上げます。」
中務卿宮は退出し、また東宮御所に入り東宮の側に座って意識が戻るのを待つ。内裏中東宮についての噂が広まりつつあるようで、様々な憶測が飛び交っている。もちろんこのことは後宮や都中に広がる。中務卿宮は、黙ったまま東宮の姿を見つめ、自分の今後について考える。
(きっと兄上は廃太子を取るのであろう・・・。悩んだ上でのお考えだったのだろう・・。)
どれくらい時間が経ったのだろうか・・・。考え事をしているうちに外は闇になっていた。中務卿宮はだめもとで東宮に声を掛けてみる。すると東宮は目覚め、中務卿宮を見つめる。
「雅和・・・ずっと側にいてくれたの?」
「はい・・・朝帝の呼ばれたとき以外は・・・。」
「父上はなんと仰せか?」
中務卿宮は帝の言葉をそのまま伝える。すると東宮はうなずいて起き上がる。
「夢の中で色々考えていた。父上、母上、結子姫、そして雅和の事・・・。そして私自身・・・。父上に伝えてくれないか・・・。」
「はい・・・。」
「雅和には悪いが、東宮を退き、結子姫のため臣籍に下ろうと思う。親王としてではなくてもいい。氏を賜り、一からやり直してみようと思う。だから雅和、後のことは頼んだよ・・・。」
中務卿宮は頭を下げ、東宮の意向を即帝に伝えようと走る。帝は東宮の意向を受け入れ、次の日、太政官を集め審議にかけた。審議に入れない中務卿宮は、中務省の自分の部屋で、審議が終わるのを待つ。やはり摂関家筋の東宮の廃太子のため、大もめの様子でなかなか審議が終わらず、次の日に審議が延びる。やっと審議が決まったのは始まってから三日後のこと。その審議内容と、帝の言葉を帝が弁官を通じ中務省へ命じて詔書が作成され、中務省が起案した詔書の文案が、外記局で点検を受けてようやく宣旨として発表されたのはさらに翌日の事になった。中務卿宮は宣旨が書かれた書状を、宮自ら東宮御所に届ける。そして東宮に直接手渡す。そして内容を確かめる東宮を見つめながら、言葉を待つ。
「そうか・・・廃太子後のことまで決めていただいたのですね・・・。かなり時間がかかったね・・・。」
「それはそうでしょう・・・。摂関家が後ろ盾の東宮が廃太子され、今のところ右大将が後ろ盾の宮家筋の二品親王である私が引き継ぎ東宮になるのですから・・・。もちろん六の宮の弟宮の名前が挙がったのですが、父上が幼少の上、兄上と同じようになってはならないと太政官たちを説得したのです。もちろん今回の件に関しては満場一致でなければ宣下されません。昨夜中務省では審議の結果と帝の言葉を受けて、相当混乱しておりました。父上も、兄上を太宰帥に任ずることは相当お悩みになられたそうですが、一昔と違って赴任するかしないかは兄上次第という事で、あまり重職でなくそれであってきちんとした位をと・・・。お邸も参内しやすいようにと一条院を賜ることになっております。」
「そうか・・・。そこまでしていただいたのですね・・・このような勝手なわがままを聞いていただいた、父上に感謝しないといけないな・・・。母上にもきちんと挨拶をしないといけないな・・・。」
(兄上・・・。)
「では一緒に参内しましょう。後宮にもご挨拶に。私も中宮である母に挨拶をしておかないと・・・。母上は相当反対されていたから・・・。」
二人は揃って帝のもとに参内し、帝に深々と頭を下げて挨拶をする。帝は二人に声を掛ける。
「東宮、中務卿宮。本当にこれでよかったのですか?中務卿宮、この件に関してぎりぎりまで良くがんばってくれましたね。あなたの思いは、私にも皆にも伝わっているよ。中務卿宮、立太子の儀礼まで、二条院でゆっくり過ごしなさい。まだあなたは本来なら休養中の身であったのも関わらず、東宮廃太子の件でまた中務卿宮の職務に就かなければならなかった・・・。すまないね・・・。」
「いえ、中務の長官として、兄上の弟宮として当然の行いをしたまでです。」
「中務卿宮、後ろ盾のないに等しいあなたが東宮に立つ。色々な者達が様々な事を言うかもしれないが、気にせずに・・・。雅孝、あなたはこれから新東宮をお守りする立場となります。あなたは賢い、色々な知識を持っている。東宮傳も兼任し、それを新東宮に授けてやって欲しい。二人はとても仲が良いのだから、二人で助け合ってこれからのがんばっていくように父は願います。」
帝は二人にこれからのことについていろいろ話そうとしたが、時間の都合で話せなかった。二人は退出すると後宮に向かう。弘徽殿の皇后は東宮の廃太子にとても残念そうな顔で、対応した。そして中務卿宮と綾乃の事をとても不憫に思った。
「二の宮、あなたが立太子をされることにより、綾乃との婚約は白紙になってしまわれたそうなのですね。右大将様も残念であられるでしょう・・・。わたくしからも帝に綾乃との婚約続行を願い出たのですが、太政官の者達がかなり反対したようです・・・。それでなくても御年五歳のわたくしの子である六の宮を東宮に言う者が多かったのにもかかわらず、帝は宮をぜひにと推された。宮を東宮にする条件として綾乃との婚約を白紙にさせたれたと聞いております。そしてまだ宮が立太子されていないのにもかかわらず、東宮妃入内を願い入れする者達もちらほらとか・・・。帝もたいそうお困りになられているようですわ・・・。わたくしも何とか綾乃を入内させてさし上げたいのです。」
「皇后様、その気持ちだけでもとても感謝しております。綾乃のことはいずれ・・・。」
「そう・・・わたくしも出来るだけ・・・。」
皇后は、綾乃は自分の子であるのに何もできない事を悔やんで涙を流す。中務卿宮は、麗景殿の中宮に会うために、弘徽殿を退出する。東宮は人払いをして皇后に綾乃のことについて言う。
「母上、綾乃はあなたの姫ではありませんか・・・。お爺様の左大臣、叔父上の三条大納言のいずれかの養女として入内はできないものなのでしょうか?」
「あなたには言っていなかったのですが、私はあの方々とは血のつながりがないのですよ。その上、綾乃の件に関してはお父様もお兄様も知らないことなのです。頼めることではありません。」
「どういうことなのですか?血のつながりがないとは?」
「あなたの宇治にいるおばあさまは式部卿宮様の亡くなったお兄様の御子を身籠ったまま左大臣のお爺様に降嫁されたのですよ。その子が私。それを分かった上で三の姫として育ったのだけど・・・。」
「では、綾乃を宇治のおばあ様の養女として・・・。おばあさまはれっきとした左大臣の北の方ではありませんか・・・。」
「そうね・・・・宇治のおばあさまは綾乃の事をご存知であられるから・・・頼んでみるのも筋かもしれませんね・・・・。でも右大将様が手放されるかどうか・・・。」
「ここのところ、雅和は私のために色々してくれました・・・。」
東宮は皇后に今日までに親身になってやってくれた事を話す。皇后も納得して、何とかしてあげようとも思うのです。
「わたくしも一度、二の宮の姫姿を見てみたいわ。きっとかわいらしい姫になられるのでしょうね。とても可愛らしい顔立ちですから・・・。」
皇后と東宮は中務卿宮のために何かしてあげることが出来ないか十分策を練る。中務卿宮は麗景殿の中宮に挨拶をするため、麗景殿に入るが、中宮は中務卿宮のあまりにも自分を犠牲にしてまで兄宮に尽くす姿を見て呆れ会うなり、中務卿宮をしかりつける。
「わたくしは、宮が東宮になられることに前々から反対だったのです。後宮にてのんびり過ごすことなど出来ません。決まった以上、わたくしは帝に麗景殿と中宮の称号をお返しして、二条院にて余生を過ごします。そしてお腹の御子は親王あるいは内親王宣旨を受けるつもりはありません。そのように帝にご報告します。宮、いいですね。」
中宮は中務卿宮の制止を振り切って、帝に中宮の称号と麗景殿の返上を願いに清涼殿に参内に行く。中務卿宮は、なんとも複雑な表情で後宮を出た。
《作者からの一言》
う~~ん、一番長い章ですね^^;これを書いていて私自身も訳がわからなくなっています^^;
なんと人のよすぎる中務卿宮^^;もちろん綾乃との婚約は解消されてしまいました^^;その上母宮は後宮を出て行ってしまう始末・・・・。どうなる?中務卿宮・・・そして綾乃・・・。
第61章 決戦の庚申の夜
三条大納言の庚申待ちの宴の返事が慌てて三条大納言より綾乃の部屋で橘を眺めていた中務卿宮に届けられた。内容は本来なら女人だけの宴であり、中務卿宮が来られて楽しまれるような内容ではない、どうしてもといわれるのなら三条大納言は宮中の庚申待ちの宴の参加を取りやめ、三条大納言家の宴の方に参加しましょうとのことでかなり焦った文面となっていた。もちろん中務卿宮は出席の返事を書き即清原に持って行かせた。清原に三条大納言家の様子を聞くとかなりごたついているようである。そして三条大納言からの文を渡した。内容を読むと、噴出してしまう。
『今回の当家の宴は二の姫がどうしても催したいといって聞かず、準備しているものです。ご招待する方々も、右大将殿の姫君以外は皆当家の身内となっており、どのような趣向で行われるかまではわかりません。もちろん宮さまが付き添われる方とは、右大将殿の姫君なのでしょう・・・。こちらといたしましては宮様の気分を害されないように私も参加させていただき、二の姫が右大将殿の姫を辱しめないよう監視させていただきます。静養中であられながら当家の姫がまたお騒がせしてしまいまして申し訳ありません。』
と慌しい字で長々しくかかれているので、相当中務卿宮の三条大納言家の庚申待ちの宴の出席に驚いたらしい。綾乃は文を見ながら噴出している中務卿宮を見て変に思ったらしく声をかける。
「雅和様?何か面白い内容の文ですの?」
「いや。何だか三条大納言殿の焦る顔を思い出してしまってね・・・。ちょっとなんて言うのかな、駆け引きって言うのが楽しいのですよ。もともとギャフンと言わせたかった人物だから・・・。」
何度も言うように三条大納言は皇后の兄に当たる。現在大納言邸はもともと皇后の実家の東三条邸。皇后の父左大臣はこちらのお邸を出て別の別邸から参内している。東三条邸に東宮である兄一の宮を慕ってよく二条院から遊びに来ていたが、皇后と中宮は仲がいいものの、温厚だった中宮の父宮を除き、皇后の身内の方々はこの二の宮であった中務卿宮を疎ましく思っていたのです。特にこの当時左大将であった三条大納言は二の宮が遊びにくるたび、冷たく当たっていた。それにもかかわらず、二の姫は中務卿宮を気に入ってしまったようで、いずれは東宮妃として育てていた姫の東宮妃入内を諦めて泣く泣く中務卿宮のお妃にと根回しをしていたのも報われず、こうして二の姫と中務卿宮のと板ばさみになってあたふたして、もちろんこの状況を中務卿宮は楽しんでいる。
「あの宮様、お客様ですが・・・。」
と、中務卿宮つきの女房が綾乃のいる部屋までやって来て言う。
「誰?」
「左衛門佐様でございます。お見舞いにいらしたそうで、いかがいたしましょうか。」
「分かった。今から部屋の戻るよ。綾乃も来る?きっとびっくりするよ。綾乃も行くから几帳の用意も。」
左衛門佐は弾正尹宮の長男で元服の折に、源氏を賜って臣籍に下った。中務卿宮と同じ歳で妹宮の夫である。弾正尹宮は先帝の同腹の弟宮で、左衛門佐の母君は帝の母君の双子の妹である。
「待たせたでしょう、左衛門佐殿。」
「いえ、右大将様から宮が回復されたと聞いて前触れもなく来てしまいまして、申し訳ありません。そちらは?」
「許婚の右大将家の姫です。さ、こちらが左衛門佐殿ですよ。どなたかに似ていると思わない?」
「まぁ、恐れ多くも帝に・・・。」
「私もはじめて会った時は驚いてしまったのですよ。さ、綾乃。大事な話をするから部屋にもどっていて。」
綾乃が退室するのを見届けると、中務卿宮は話し出した。
「さ、くつろいでいいよ。堅苦しい言葉はやめて、いつものように二人の時はね。位の違いはあっても友達なんだしね。どう、孝子との新婚生活は?孝子はちょっとわがままなところがあるでしょ。」
顔を赤くして左衛門佐は答える。
「毎日孝子は楽しそうにやっているよ。宮中と違って色々堅苦しいことはないからね。本当に私たちの婚礼のために過労で倒れるなど・・・。悪いと思っているよ。あ、そうだ、これを帝から預かってきた。だいぶん回復したと聞いて安心されていたよ。」
「わざわざありがとう。ところで、僕のことで何か発表はあった?」
帝からの文を渡した左衛門佐は首を横に振る。中務卿宮は帝から手紙を見る。期待するような内容の手紙ではなかったが、お見舞いの言葉が書かれている。期待している内容とは、やはり婚儀の日程のことである。右大将も話そうとはしないので気になっていた。
「宮、次の庚申待ちはすごいらしいよ。内容は分からないのだけど。宮は行けないのだね、残念。」
「ううん。僕は三条大納言家に行く予定なのだからいいよ。もしかしたらこちらのほうが面白いかも・・・。」
「ああそれね、孝子も呼ばれている。何か楽しいことがあるって聞いたよ。どうして宮が?身内だけの宴だって聞いたけど?」
「右大将の姫もなぜか呼ばれてね。面白そうなので、付き添っていくことにしたんだよ。」
「ふうん。」
二人は中務卿宮が休んでいる間の出来事をこと細かく歓談した。二人の華やかな話し声は、綾乃の対の屋まで響き渡った。中務卿宮は左衛門佐に帝への文を託して、左衛門佐と別れる。
(いつになったら婚儀の日程が決まるのかな・・・。まあ父上も早めると断言されたらしいのだから焦る必要はないか・・・。)
と思いながら、脇息にもたれかかってうたた寝をする。梅雨に入ってしまったのか、しとしとと雨が降り出した。
数日がたち、この日は庚申待ちの宴の日。あいにくの雨模様に億劫になりながら、中務卿宮は布袴、綾乃は唐衣を着て中務卿宮家の車で三条大納言邸まで出かける。到着すると、わざわざ三条大納言が出迎えに来る。
「わざわざすみませんね。私のわがままで無理やりお邪魔して。とても楽しみにしているのですよ。どのような『趣向』かを・・・。さ、姫。」
そういうと、綾乃の手を取り車から降ろす。綾乃は顔を扇で隠しながらゆっくりと降りてくる。
「ちなみに、私は姫の『付き添い』ですので、姫の後ろで結構です。お構いなく。」
中務卿宮は苦笑して会場に向かう。大納言に案内されるまま、綾乃は座る。ずらっと大納言縁の姫君や公達の妻達が並んでいる。中務卿宮は綾乃の後ろに座り、様子を伺う。
「まぁ兄宮様、お体のほうはいかがですか?綾乃久しぶりね。」
声のするほうを振り向くと、中務卿宮の妹宮孝子が立っていた。
「まぁ何とかね。孝子も幸せそうで何よりです。」
綾乃は孝子に頭を下げ挨拶をする。すると二の姫が入ってくる。そして中務卿宮に申し上げる。
「まぁ、宮様。そのようなところに・・・。上座にいらっしゃって・・・。」
「申し訳ありません、私はただの付き添いですのでこちらで結構です。」
と中務卿宮は微笑む。綾乃は二の姫に挨拶をするが、二の姫は綾乃の顔を見るなり、にらみつけて上座に座る。招待客が揃ったのを確かめると、二の姫が宴の趣向を告げる。
「本日は皆様にお集まりいただき感謝しておりますわ。本来でしたら縁者達だけの宴ですが、本日は特別なお客様をお呼びいたしました。右大将様の姫君。今をときめく中務卿宮様の婚約者であられますが、私は認めたくありませんの。そこで、丁度宮様もここにいらっしゃることですから、この姫君と賭けをしようと思っておりますのよ。もちろん賭けるものは宮様。負けたほうが宮様から身を引くのですよ・・・。」
中務卿宮は予想通りの展開に苦笑して綾乃にこっそり言う。
「大丈夫です。綾乃は・・・。いつも通りにやれば勝てる相手です。」
貝合わせや、歌、香あわせ、様々な問題が出され、二人とも難なくこなしていく。右近の橘の姫、左近の桜の姫と言われる姫君たちの対決に、大納言も、招待客も息を飲んで見とどける。琴の対決では、中務卿宮の龍笛も加わって、招待客を沸かせる。二の姫の琴の響きはすばらしいものではあるが、さすが雅楽一家といわれる綾乃のほうが一枚上手で、当代一といわれる中務卿宮との合わせは皆を感激させた。二の姫の父である大納言も感激する。
「今年最初の宮中の庚申待ちの宴を思い出してしまいましたよ。右大将殿と宮のあわせ・・・。あの時は琵琶と笛だったが、そのときのようにすばらしい!さすがあの源博雅卿を祖とする一家の姫君。うちの姫など足元にも及ばん!二の姫、姫の負けですよ。身を引きなさい。」
まだ納得しない様子の二の姫に、大納言はあきれ果てた。すると中務卿宮が、立ち上がって言う。
「このように楽しい宴は初めてです。お礼に私達から出し物を一つ。姫お得意の五節の舞を・・・。いい?綾乃。」
「はい雅和様。」
綾乃は中央に立ち、中務卿宮が龍笛を吹き綾乃が華麗に舞い始める。本当の五節舞とは違っているが、宮のすばらしい笛の音と、綾乃の華麗な舞で見るものすべてを魅了する。以前後宮で綾乃が遊びで舞っている姿を知っている孝子内親王は懐かしさのあまり微笑む。綾乃は誰に教えてもらったわけではなく、二年間後宮に出仕した中、数日間で覚えた舞である。舞が終わり、中務卿宮と綾乃が深々頭を下げると、会場はどっと沸いた。大納言はとても満足な様子で中務卿宮に声を掛ける。
「さすが!感動してしまいましたよ。宮中の宴に行かなくて良かった。」
「お褒め頂き、ありがとうございます。もうこれで勝負はつきましたね。あとは二の姫君の気持ちの整理の問題だと思いますので、私達はこれで帰らせていただこうと思います。とても楽しい庚申待ちの宴でした。」
中務卿宮と綾乃は深々と頭を下げて、会場を退出した。大納言はわざわざ車寄せまで送りに来る。
「宮様、今回は当家の姫がご迷惑をおかけいたし、申し訳ありませんでした。私からきつく言っておきますので、お許しください。また右大将の姫君も当家の姫がこのような事を仕掛けたことに気分を害されたことでしょう。今日のことはいい薬になったことでしょう・・・。」
すると綾乃が言った。
「そんなことありませんわ。とても楽しい宴でまるで後宮にいた頃のようでした・・・。私も良い経験をさせていただきました。ありがとうございました。」
「三条殿、遅くまでお邪魔いたしました。さあ、綾乃帰ろうか・・・。」
中務卿宮は綾乃を抱きかかえて車に乗り込む。車の中で二人は寄り添い宴の事を話し時折楽しそうな笑い声が車の外に漏れる。
「綾乃、本当に楽しかったね。」
「久々に後宮の遊びを思い出して燃えてしまいしましたわ。」
「そうだね。綾乃は後宮仕込みだから最強だよ。だから勝てるって言ったでしょ。」
「本当ね・・・。」
もちろん三条大納言家の二の姫は悔しさと恥ずかしさのあまり何日間も部屋から出てこなかった。この宴の噂は次の日には都中に広がり、自業自得ではありますが、三条大納言家の姫君の評判が落ちてしまったことは言うまでもありません。
《作者からの一言》
桜姫はやはり何でも出来る綾乃には勝てませんでしたね^^;
さて、綾乃の実家ですが、醍醐源氏の末裔という設定です。醍醐源氏にはあの「陰陽師」でおなじみの源博雅が有名です。もちろんこの源博雅という人物は実在しており、雅楽の得意な人でした。後世に残る雅楽の曲も作っていますし、本も出しているそうです。醍醐源氏は清和源氏や村上源氏と違って、あまり活躍のない源氏です。ですので綾乃の実家は本来でしたら、従五位雅楽寮の頭程度の出世の家系なのですけれど、綾乃の祖父や父右大将が例にない出世によりここまで登りつめています。これほどの出世する人はいないのでしょうけれど、フィクションですのでご了承ください。
第60章 静養
中務卿宮は右大将邸である五条邸につき、寝殿に通される。右大将は家の者に急いで客間の準備をさせ、準備が整うと中務卿宮を案内する。
「宮様、こちらを自分の部屋のようにお使いください。間もなく二条院の者達がこちらへ到着とのことです。何か御用がありましたら、この私の従者清原義信をいくらでもお使いください。」
右大将は従者の清原を紹介し、側につける。中務卿宮は清原に微笑む。すると二条院から中務卿宮の女房達が到着し、乳母である籐少納言が泣きながら中務卿宮に詰め寄る。
「ああ、宮様何と言うことでしょう。私がついておりながら・・・。帝や中宮様になんとお詫び申し上げたらよいか・・・。私がこれから宮様の食事などに気を遣わせていただきますので、ご安心を・・・。」
「籐少納言、心配しなくていいよ。ただの過労だから・・・。父上からも当分出仕しなくていいと仰せで・・・。ゆっくり休ませていただくことになった。そんなに心配すると白髪が増えますよ。」
「では、私は右大将様にご挨拶をしてまいります。ごゆっくり、お過ごしを・・・。さ、宮様の御召物を・・・。」
ずらっと正装した中務卿宮付の女房達は手際よく中務卿宮を直衣に着替えさせる。
(本当に籐少納言は僕のこと過保護なのだから・・・。)
着替えを済ませた中務卿宮は脇息にもたれかかって、苦笑する。それでもこの綾乃のいる邸にいるというだけで、清々しい気分となる。
「まぁ宮様、ご覧くださいませ。こちらの庭の橘はとても立派で綺麗ですこと・・・。心が洗われるようですわね。」
とある中務卿宮付の女房がふと宮に申し上げた。
「そうだね、実になる前にこちらに来ることが出来てよかったよ。」
右大将への挨拶を終えた籐少納言は、中務卿宮を見て驚く。
「まぁ!宮様!まだ横になられていないのですか?誰ですか!直衣を着せたのは!さ、宮様直衣をお脱ぎになって、寝所で横になられませ。」
籐少納言は中務卿宮の直衣を脱がせて小袖にし、寝所に押し込んだ。中務卿宮は言われるまま寝所に横になる。籐少納言は、女房達に静かにゆっくり眠られるように宮様に近づかないように指示した。籐少納言は侍医から処方された薬湯を持って寝所に現れ、中務卿宮に飲ませる。
「宮様、安静が大切なのですよ!良くなるまで綾乃様に会うことは禁止させていただきます!先程も右大将様にもそのように申し上げてまいりました。」
「籐少納言、私は子供じゃないのだから・・・。せっかく綾乃のいる邸に来たのに・・・。」
「宮様は私にとって帝や中宮様からお預かりした大事な宮様です。何かあれば私自害してお詫びをしないといけません。いいですか?薬師が起きてもいいと申されるまで我慢してくださいませ。」
「分かったよ。いつも心配してくれてありがとう。せっかく父上に休みを頂いたのですからね・・・。」
そういうと眠りについた。いつまで眠ったのか分からないくらい中務卿宮は眠り続ける。度々起こされて薬湯を飲んだり、食事をしたりする以外はほとんど眠っている。綾乃がお見舞いに訪れても気付かないくらいである。何日眠ったのか、やっといつものように寝起きが出来るようになったのは橘の花が終わった頃であった。
「宮様、今日薬師から床上げの許可を頂きましたわ。今日からは少しずつ普段の生活にもどされて・・・。そうそう!色々な方からお見舞いの文が届いておりますのよ。どのようになさいますか?」
「籐少納言に任せるよ。何日ぐらい横になっていたのかな・・・。せっかくの橘の花が終わってしまった・・・・。」
「半月くらいでしょうか・・・。」
すると中務卿宮はため息をついて起き上がると、直衣に着替えて脇息にもたれながら、お見舞いの文を少しずつ読んでいく。一部の者しか、こちらにいることは知らされていなかったので、すべての文は二条院に届けられたようだ。
「籐少納言、父上から出仕の許可が下りたら、お見舞いを頂いた方を招いて邸で快気の宴をしないといけないね・・・。孝子内親王の降嫁は無事終わったの?中務省から何か書状は来てない?母上からは?父上からは?」
籐少納言は苦笑して答える。
「宮様、慌てずに・・・ちゃんとご報告させていただきますから。孝子様は平穏無事に左衛門佐様のお邸に入られ、婚儀も滞りなく終わりました。右近大将様によると、とてもよい御成婚の宴だったそうですわ。とても幸せそうなお二人で・・・。中務省からは今のところ何も・・・帝も中宮様も・・・。皆様、宮様をそっと見守っておいでなのでしょう。綾乃様も何度もお見舞いにおいででしたが、宮さまがぐっすりと眠りあそばされたものですから、綾乃様は声も掛けずそっと見とどけて帰っていかれました。」
「そう・・・綾乃が・・・。本当にみんなを心配させてしまったようだね。」
すると綾乃がひょっこりと顔を覗かせる。中務卿宮は満面の笑みで、おいでおいでと手を振り綾乃を呼び寄せると綾乃は恥ずかしそうに後ろに何か隠して中務卿宮の前に座る。中務卿宮は不思議そうな顔をして綾乃の後ろを覗き込もうとすると、綾乃はそっと後ろから何かを取り出した。
「綾乃の庭の橘は遅咲きなのです。こちらの橘はもう花が終わってしまったから、雅和様へお見舞いに持ってきたのよ。」
といって綾乃は中務卿宮に遅咲きの橘を渡した。
「ありがとう綾乃、綺麗な橘だね。まるで綾乃のようだ。籐少納言、これを何かにさしておいて。もうすぐしたら庚申待ちの日になるね。今回は綾乃と一緒にいられるからうれしいな・・・。あと半月か・・・。宮中では丁度庚申月と重なるから盛大に何かをするらしいよ。ちょっと楽しみだったけど・・・。」
すると綾乃は懐からある文を取り出す。そして中務卿宮に渡し、中務卿は内容を見る。
「病み上がりの雅和様に見せてもいい物かと思ったのよ。でもどうしたらいいものかと思って・・・。」
「三条大納言家の桜姫からだね。なになに・・・。」
手紙の内容は、庚申待ちの日に三条大納言邸で趣向を凝らした宴を行うので来て下さいというもの。綾乃はまったく面識もない相手からのご招待なので少し戸惑っている様子で中務卿宮に相談をした。
「何だかすごいものが見れそうだね・・・。面白そうだから私も行ってみようかな・・・。綾乃の付き添いで・・・。」
中務卿宮は笑いが堪えられない様子で、扇で顔を隠して笑う。
「雅和様、桜姫ってどのような姫様?」
「右近の橘、左近の桜・・・。そんな感じかな・・・・。あとは会ってみてのお楽しみ。あの姫のことだから何か考えのあることなのでしょうけど・・・・。綾乃は綾乃らしく振舞えばいいのですよ。なんでも得意じゃないですか。琴も、舞も、香も、歌も・・・。そういえば一昨年の五節の舞を真似してよく舞って見せてくれたよね。あれは良かった。さあ橘と桜の一騎打ちってとこかな・・・。でもこの僕を賭けたりはしないでよ。」
「行ってみないと分からないのか・・・。雅和様、ついてきてくださいます?」
「まぁあちらに聞いてみないとね。」
そういうと紙と筆を借り、何かを書き出す。
『何か面白そうな庚申の宴を催されるようですね。私も行ってみてもいいですか?もちろん私一人ではなくこの私は付き添いとしてですけど・・・。 中務卿宮』
これを文箱に入れて清原に「右大将家からです」と言わせるように仕向けて持って行かせる。
もちろんこう言わせると、綾乃からの返事だと思って開けるのだろう、そして中身は中務卿宮だと知ってどのような反応を示すのか、少し楽しみのようだった。
「雅和様、このように火に油を注ぐような行為をされて大丈夫?あなたらしくないわ。」
「いいのですよ。こうしてあなたに挑戦状を送ってくるのでしょうから、いまだあなたの座を狙っているのでしょう。直接対決を存分にやっていただいて、わからせて差し上げなさい。失敗しても僕が何とかするから安心して。しかも勝っても負けても綾乃としか結婚しない。何をされてもいいように一緒に練習しましょう。」
籐少納言が中務卿宮は病み上がりであるという理由で止めに入ったが、今まであなたの言うとおり横になって安静にしていたでしょうと、言って籐少納言を黙らせる。綾乃は中務卿宮に早く遅咲きの橘を見せようと、中務卿宮の手を引っ張って案内する。中務卿宮は満面の笑みで綾乃の後ろをついて行った。
《作者からの一言》
相当お疲れだったのでしょうか?いくら眠っても寝たりないのでしょう^^;私もずっと寝ておきたいですね^^;綾乃も眠り続けている中務卿宮を見てさぞかし心配したのでしょうね^^;
さて三条大納言邸では大騒ぎになっているのでしょうね^^;
第59章 中務卿宮の過労
桜の季節が終わり、そろそろ初夏の日差しが感じられる頃、東宮の婚儀も終わり、都も落ち着きを取り戻した。桜の季節から数えてひと月半、中務卿宮は相当忙しい日々を過ごしていたらしく、数日に一度慌しい字で綾乃に文を送っている。
『本当に今、「橘は花にも実にも見つれどもいや時じくになほし見が欲し」と言いたい気分です。いつ綾乃に会えるかわからないけれど、妹宮の降嫁が終われば会えると思いますよ。終わればたくさん休みを取るつもりでいますので、待っていてくださいね。 中務卿宮雅和』
と、中務卿宮は万葉集の一つを引用した内容の文を橘の花がついた枝に結んで送ってくる。綾乃も中務卿宮のようにそのまま万葉集をそのまま引用して返事を書く。
『橘の蔭踏む道の八衢に物をぞ思ふ妹(いも)に逢はずして 』
(橘の影を踏む分かれ道のように、あれこれ思うのです。あなたに逢わないので。)
と言う内容の返歌をしたので、慌てたように中務省にいる中務卿宮から文が届く。その文の中には会えない理由を律儀に事細かく書かれており、最後にこれからはできるだけ毎日文を書くから変な気を起こさないでくださいと書いてあった。それを見た綾乃はつい中務卿宮の焦り様に噴出してしまった。毎日のように文が律儀に届くのを知って綾乃の父である右大将はとても中務卿宮のマメさに感心する。
「綾乃、本当に最近の宮はお忙しいようですね。東宮の婚儀も滞りなく済み、その後すぐに中宮様の御懐妊の発表、そして今は孝子内親王の降嫁の件で毎日朝早くから夜遅くまで中務省に詰めておられるのです。その上宿直までされるしね。時折内裏や東宮御所に出入りされるけれど・・・。中務省の者達を始め、関係各所の者達は過労で御倒れにならないか心配なのです。」
先月初めには分かっていた中宮の懐妊の発表を東宮の婚儀の後にしたのは中務卿宮の配慮のためなのだろうか。
「綾乃、今回のことで帝はたいそう宮をお褒めになってね、もしかしたら宮と綾乃の婚儀が早まるかもしれないよ。本当に今年に入って中務卿宮になられたとは思えない成長ぶりです。後見人の私も鼻が高い。」
そういうと、これから宿直である右大将は綾乃の部屋を急いで退室する。綾乃は中務卿宮が過労で倒れはしないかと言う言葉にとても心配する。そして夜も寝られないまま、朝を迎えた。
一方どうしてもその日のうちにやってしまわないといけない仕事のため、急遽宿直をしていた中務卿宮は、中務省の自分の部屋の文机の上で色々な今までの儀礼や文献の書かれた書物を見ながらいつの間にか眠っていたらしく、朝日で目が覚めた。そしてやり残した仕事をこなしていく。やり終えたあと、続々と中務省の者達が参内してきたようで、騒がしくなる。
「中務卿宮様!昨夜もお帰りにならなかったのですか?」
「ああ、なかなか終わらなくてね。権大輔殿、これを陰陽寮に、これは中宮職に、そしてこれは今から私が帝の御前で報告してくるから。」
「中務卿宮様、昨日もこちらに籠もっておられたのですから、今日こそお帰りになられて休養を・・・。」
「ありがとう、権大輔殿。引き受けたことはやらないとね・・・。じゃあ清涼殿へ参内してきます。」
そういうと中務卿宮は少しふらつきながら、清涼殿へ参内した。帝の御前に座り、参議に東宮婚儀報告書やら孝子内親王の降嫁についての報告書を手渡すと、帝の言葉を待つ。
「中務卿宮、顔色が悪いね。最近中務省に籠もりっきりだそうだけど、大丈夫ですか?」
「はい何とか・・・大丈夫です。」
「大丈夫そうに見えんが・・・。このあと数日休みを取りなさい。後のことは権大輔殿にでも出来る仕事だから・・・。」
「はい・・・。」
「ご苦労でした。中務卿宮、早く下がって邸に戻りなさい。」
「御前失礼します。」
と言うと中務卿宮はゆっくり立ち上がったが、立ちくらみをし倒れてしまった。驚いた帝は御簾の外に飛び出して、中務卿宮を支えて人を呼ぶ。
「誰かおらぬか!中務卿宮が倒れた!後涼殿に運べ!典薬寮の者を呼べ!」
ありとあらゆる殿上人達が中務卿宮の近くに集まり、丁度そこにいた右大将が中務卿宮を抱えて後涼殿の一室に運んだ。清涼殿の女官達が中務卿宮の束帯を緩め、単を掛けると中務卿宮はうわごとで綾乃の名前を何度も言う。帝の侍医がやって来て診察をした後、帝の御前に報告する。
「中務卿宮様は過労でお倒れです。薬を処方いたしましたので、当分の間仕事はお控えになり、精のつくものをお召し上がりになりますとよろしいかと・・・。」
「分かった、ありがとう。下がっていい。」
帝は心配になって後涼殿の一室に向かう。すると中宮が側に付き添って中務卿宮の手を握り締めていた。
「帝、なぜ雅和に倒れるまで仕事をさせたのでしょう・・・。まだ中務省に入って半年と言うのに・・・。もともとこの子は小さく生まれたため、体は強いほうではありません。また先程から綾乃の名前ばかり・・・。」
と中宮が心配そうな顔で中務卿宮を見つめると帝が中宮に言う。
「ずっと中務省に籠もりきりでたまにしかこちらに来なかったから気がつかなかった。」
「先日も麗景殿に顔を見せにやってきた時も、何だか疲れた様子でおりました。休みを取るよう忠告したのですが、なんと雅和は言ったと思われますか?早く綾乃と一緒になりたい、早く中務卿宮として認められ婚儀の日取りを早めていただきたいと申しておりました。帝、雅和の願い、聞き入れていただけないものでしょうか・・・。あまりにも雅和がかわいそうで・・・。」
と、中宮は涙ぐみながら帝の前に手をついて頭を下げる。帝も綾乃の名前をうわごとで言う中務卿宮を見て、なんともいえない顔で中宮を見つめる。
「分かった、何とかしてみましょう。和子、あなたは身重なのだからあなたの体を大切にしなさい。心配要らないよ。雅和の思いを大事にするつもりだから。しかし、親王の婚儀となるから、早くとも年明け・・・。いいかな和子。さあ、麗景殿に戻り、体を休めなさい。あなたもあまり体のお強いほうではない。」
「雅和のこと、よろしくお願い申し上げます。」
中宮は手をつき深々と頭を下げると、共の者とともに麗景殿に戻っていった。帝は御簾越しに権大輔を呼び、中務卿宮の今後のことについて話し出す。
「権大輔殿、今色々大変だと思うが様々な事を考慮のうえ中務卿宮の婚儀の日取りを決めてはいただけないだろうか・・・。出来るだけ早く。」
「は、今からですと儀礼や色々なことがあり早くても半年後にはなると思われますが、それでも?」
「分かっている。宮内省、陰陽寮、中務省と連携を密にして滞りなく婚儀が終えるよう頼みましたよ。あと中務卿宮をふた月ほど出仕停止の措置を取る。中務卿宮が静養の為の出仕停止中、権大輔殿には宮の代わりを・・・。」
「御意。」
権大輔が下がり少し経つと、中務卿宮は意識を取り戻し側にいる帝に気付き驚いて起き上がる。そして慌てて帝に申し上げる。
「なぜ私がここに???もしかして倒れたのですか!なんという失態を・・・申し訳ありません父上!」
帝は微笑んで優しく中務卿宮に言う。
「咎めはしない。ずいぶんがんばりすぎたようだね。父である私こそあなたの過労に気付かないとは・・・。中宮もたいそう心配していたよ。明日からふた月ほど、出仕停止の措置を取った。お咎めではないので安心して静養しなさい。さ、横になっていなさい。今右大将殿を呼んだので、二条院で一人では寂しいだろうから、五条邸でお世話になるといい。残りの仕事は権大輔殿に頼んだ。仕事のことは忘れて十分静養をしなさい。これは帝である父の命令です。いいね。」
帝は右大将がきたのを見計らって入れ替わりで退出する。右大将は帝に深々と頭を下げて中務卿宮のいる御簾の中に入る。
「気が付かれましたか?さあ、五条邸に参りましょう。それと宮と綾乃の婚儀の日程が決まりそうですよ。今よい日取りを中務省と陰陽寮で選定中と帝に伺いました。間もなく決まるでしょう。良かったですね。」
中務卿宮は大変うれしそうな顔をして返事をする。
「そうなのですか!」
中務卿宮は身なりを急いで整え、右大将とともに内裏を退出して綾乃の待つ五条邸に向かった。うれしさのあまり眠気や疲れが吹っ飛んでしまったのは言うまでもなく、早く日程が決まらないものかと、楽しみに待つことにした。
《作者からの一言》
過労で倒れた中務卿宮・・・。綾乃と早く一緒になりたいがために一生懸命働きます^^;若いので何とかがんばれたのでしょうけれど、やはり極限を超えてしまって倒れたのでしょう^^;帝が右大将邸の五条邸で静養せよと命令したところなんか、何だか意味深ですね^^;やはり中務卿宮にとって綾乃は大切な存在であると痛感したのでしょうか?だって中務卿宮が一生懸命お勤めするのはすべて綾乃のためなのですもの・・・・。