超自己満足的自己表現 -474ページ目

第48章 期間の終わり

 年が明け、姫は産み月に入った。もちろん年明けの忙しい頃にもかかわらず、中将は休みを取り、姫に付き添った。一緒に居る事が出来る期間はあと長くても三ケ月。十分思い出を作ろうと中将は帝に無理を言って休みを頂いた。(もちろん綾子姫のことは内緒だが・・・)
出産も近づいているようで、度々陣痛らしきものがある。姫自身は三度目の出産であり、世間には公表できない出産であるので、姫の母宮の一部の女房が手伝いに来ただけで、最低限度の人でしか用意しなかった。中将は生まれて来る我が子の為に最大限の準備をした。乳母も厳選に厳選をして、生まれてくる子にふさわしい者を選んだ。準備が整ったとたん、陣痛が始まったようで、中将は祖母宮の元で吉報を待つことにした。やはり三度目だからか、朝陣痛が始まって、もう昼過ぎには無事生まれた。
「中将様!お生まれでございます。元気な姫様ですよ。お母様もお元気ですわ!」
そういうと高瀬が生まれたばかりの姫君を抱いてやってきた。中将は怖々姫君を受取ると、かわいらしい顔を眺めてしみじみと涙した。姫君は中将と姫によく似たかわいらしい顔をしていた。中将は姫君を祖母宮や姫の母宮に見せる。
「まあ!かわいらしい姫君ですこと・・・。ここの家系で久しぶりの姫・・・。かわいらしいわ。生きていて良かった・・・。ずっとこちらで育てなさいね。」
「本当に綾子と中将殿の良いところばかり・・・きっと末は良い公達と結婚して・・・。」
中将は乳母を呼び、小さな姫を預ける。
「高瀬、もうあちらに行ってもいいのかな・・・。」
「もうよろしいかと思いますが・・・。」
そういうと中将は姫の部屋に向かった。高瀬は中を伺って片付いている事を確認して姫のいる寝所に案内する。中将は姫の側に座ると、姫の手を取りいう。
「姫。ありがとう・・・。疲れたでしょう・・・。ゆっくり休んでください。小さな姫の名前は何にしますか?よろしければあなたの名も絵を一字頂きたいのですが・・・・。」
姫はうなずき中将に微笑む。中将は少し考えて姫に言う。
「綾乃はどうだろう・・・。」
「とてもかわいらしい名前ね。私があるべきところに戻ったら、綾乃のこと頼みますね。」
「わかっています。私の命に代えても綾乃を育てましょう。そしてあなたの前に出しても恥ずかしくないような姫に・・・。さあ、安心して眠ってください。」
すると中将は姫の額にキスをして部屋を出て行った。姫は眠りについた。中将は祖母宮の部屋に戻ると、これからの綾乃姫と姫について話し出す。名前のこと、これからは別邸で育てること、姫の母君のこれからのことなどを話し合った。
 姫は回復が早く、半月経つともう普段どおりの生活が出来るようになった。姫もあと二か月で綾乃と別れるのでいつも一緒に過ごしている。すると中将が何かを持って内裏から帰って来た。そして姫と綾乃姫の前に置いた。
「これは帝から綾乃に賜ったのです。以前つい年明けに子供が生まれると言ってしまったのですが、それを覚えておられたらしく、生まれたかと聞かれたのです。そして姫を授かったと申し上げるとこれをその姫へと・・・。その場にいた公達たちにからかわれてしまった・・・。末は東宮妃などと・・・。もちろんそれは無理な話だけど・・・。高瀬、姫の代わりに礼状を代筆してくれないか・・・。姫の字ではいけないのでね。」
「はい畏まりました。」
そういうと高瀬は姫の代わりに礼状を書き、中将に見せる。
中将は帝に頂いた包みを開くとそこには綺麗な反物がたくさん入っていた。姫はこの反物を手に取り、言った。
「残りの日にちでこれを使って綾乃のお衣装を作りましょう。まだまだ先のことですが、もし女童として殿上しないといけない時などがあったときの事を考えて・・・。帝から賜った反物ですもの・・・。晴れのお衣装にしなければ・・・。」
「そうですね。きっと綾乃が着る頃、母が作ったといえば喜ぶかもしれません。あまり無理しないでください。」
「はい!」
そういうとどの反物で何を作ろうか高瀬たちと相談しだした。楽しそうな姫の顔を見て、中将はこれがずっと続けばいいと思いつつも、絶対ありえないこととして諦める。
 別れの日まで後わずかとなった日、やっと綾乃姫のための衣装が仕上がった。ちょうど上巳(ひな祭り)なので、このお衣装と共に、人形や色々なものを並べ、中将の母君を招待して身内だけの姫のお披露目をした。中将の母君は綾乃姫の誕生により大変喜ばれて、二人の仲をお許しになっていた。そして綾乃姫のために作った晴れのお衣装を見て大変気に入られ、姫を大変お褒めになる。
「母君、これは帝から綾乃に賜った反物で姫が作ったのですよ。いつか綾乃が使うだろうと・・・。」
「まあ触ってもいいかしら。お上手なのね。せっかく帝から賜った反物ですもの、このようなものに仕上げなければ・・・。これを着て綾乃姫が御年五歳の東宮様に入内してくれたら申し分ないのでしょうけど・・・。将直、綾乃姫のためにもっと官位を上げなければいけませんよ。」
「はい・・・しかし私は綾乃を宮中には上げる気は・・・。」
「何を言われるの?女の幸せなのですよ・・・。」
(後宮に上がっても窮屈なだけなのだけどなあ・・・・。)
と姫は思った。綾乃姫は日に日に表情が出てくるようになり、中将や祖母宮、母君は大変可愛がる。それを見て姫は悲しそうな表情で見つめる。
(あんなに仲の悪いおばあ様とお母様が綾乃のおかげで仲良くされているのですね。これなら安心して綾乃をお預けできるわ・・・。きっと私がいなくなったらお母様は驚かれるのでしょうね。中将様はどのように説明されるのかしら?)
姫は庭にある桜を見つめてため息をつく。つぼみは膨んできている。桜が満開になる頃、後宮の桜の木での約束を守らなければならない。出来ることならこのままの時間が止まればいいと思った。
「月姫、母上がお帰りになられるよ。車までお送りしましょう。」
「はい・・・。」
「いいのよ、ここで。綾乃姫のもとにいて差し上げて。また本邸に綾乃姫を連れて遊びにいらしてね。将直は一緒に車まで来なさいよ!」
中将は困った様子で姫に合図をして車まで送っていった。すると祖母宮が近くに寄ってきて声をかける。
「綾姫、こちらにはいつまで?」
「十日の夜に隣の別邸に入ります。その後はまだ日程が決まっておりません。多分、中将様を通して知らされると思うのですが・・・。本当に長い間お世話になりました。おかげさまで楽しい日々を過ごすことができ大変感謝しております。この先も綾乃がお世話になります。」
「私も大変楽しい日々でしたわ。本当に娘ができたようで・・・・。綾乃姫のことは気になさらず、あるべきところにお戻りを・・・。きっと待ち人は帰られるのを心待ちにされていると思いますわ。待ち人があの方ではなければ、お引止めするのですが・・・。」
宮は寂しそうな顔をされる。姫は気を使って何も話せなくなった。
 いよいよ、中将の別邸を去る日の夜がやってきた。中将はここを出る直前になって姫の手を引き、ここの邸で一番早く咲き、一部咲になっている桜の木の下に連れてくる。
「この桜は私のお気に入りなのです。ちょうどこの桜があなたと出会った桜によく似ていて、あなたを見つけたときは驚きました。もう出会って一年なのですね・・・。早いものです・・・いろいろあった一年でした。そして決して悔いのない一年でした。期間限定ではありましたが、あなたのような妻がおり、そして可愛い綾乃が生まれた。最後に一度だけ、この木の下であの時のように・・・。」
中将はそういうと姫を抱きしめてキスをした。そのあともなかなか姫を放さずに抱きしめたまま涙を流す。
「帝のものではなければこのまま駆け落ちしてでも一緒になるのですが、それもかなわず、戻られても以前のように会うことも出来ません。遠目であなたを見つめることしか・・・。もしかしたらもう一度あなたに会えるかもしれませんが、その時は帝の使者として会わなければなりません。良い想い出と可愛い綾乃をくださり、とても感謝しております。さあお戻りください。来世では必ず一緒になりましょう。」
そういうと姫を車まで連れて行き、迎えに来ていた萩に姫を渡した。見送るのが辛いのか、中将は後ろを向き戻っていく。
「頭中将様!」
そういうと姫は萩を振り切って走り出し、中将に飛びついた。そして中将の頬にキスをすると萩のもとに戻っていった。
(幸せをありがとう、頭中将様・・・綾は、綾子は大変感謝しています。来世はきっと一緒になりましょう・・・。)
そう心の中で思いながら、姫は車に乗り込んだ。
「萩、ありがとね。あなたにも迷惑をかけてしまったわね・・・。」
萩は姫の予想外の言葉にはっとして言った。
「綾姫様は一段と大人になられましたね。萩はうれしいですわ。帝もきっとお喜びになりますわ。一段とお綺麗になられましたもの・・・。さあ明日、都より東宮様と姫宮様が面会にこられますわ。都から御使者が来られるまで、ゆっくりどうぞ・・・。」
姫は萩の心配りに大変感謝する。
「本当にありがとうね萩。雅孝や孝子に会えるのですもの・・・きっと二人は寂しかったでしょう。存分に遊んであげるわ。ありがとう・・・。」
萩は素直になった姫の言葉に感動をし、姫に部屋を案内した。


《作者からの一言》

来世では一緒になれるといいですね^^ひとまず頭中将と綾子姫はここでお別れです。まぁ頭中将は蔵人頭も兼任している近衛中将ですので、帝の側近なのであり、ちょくちょく遠目ではありますが見ることはできるでしょう。さて次は後宮に戻る日がやってきますよ^^

第47章 告白

 「本当にここの家系は男ばかりでねえ・・・私も四人男を産んだでしょ。孫もこの将直の男のみ。このようにかわいらしい姫が側にいると私に姫が側に一人でもいてくれたらと思うのですよ。しかし先ほどはなんと機転の利いた・・・。」
「まあおばあさま。社交辞令ですのよ。とても皆様がお困りでしたから。」
「世渡り上手な方だこと・・・。私はあなたのようなかた大好きよ。」
中将は姫を取られたような気がして菓子をつまみながら出された酒を飲んでいた。二人は楽しそうに話していた。
「さあ姫、もうそろそろいいでしょう。おばあ様、おなかの子に良くないので休みます。」
「そうねえ・・・夜寝ない子じゃいけませんものね・・・。じゃあ明日続きの話をしましょうね月姫。」
姫は頭を下げると中将に手を引かれて部屋に戻っていった。部屋に戻ると二人は寝所に潜り込んで話をする。
「本当に気さくな方だ・・・。大変姫を気に入られたらしい・・・。」
「私の伯母様ですものね・・・性格は私のお母様によく似て。中将様、おばあさまに私のことはなしてはどうかしら。その方が万が一帝に何かされてもおばあさまが味方になってくれたら・・・。お母様のような方なら協力的だと思うのですが・・・。」
「そうですね。おばあさまなら・・・。味方が多いほどいい。こちらにお世話になっている以上おばあさまに言っておいた方が後先楽かもしれませんね。」
中将は疲れたようでいつの間にか眠っていた。姫は中将の寝顔を見てしみじみ思う。
(この寝顔を見られるのもあと半年・・・。毎回帝は私の事を心配して御文をくださる。返事を書かなくても・・・。1年間の期間限定夫婦だけど、これが終わったらあるべきところへ戻らないと・・・。)
最近中将は大変おなかの子を大事にしているようで、寝ていても無意識のうちに姫のおなかに手を当てている。そういえば帝も毎日ではなかったが、同じようにおなかの子を愛しんでいた。だからこそ、後宮に戻らないといけないと決心した。
 次の日、二人揃って祖母宮の部屋に向かった。宮は大変喜んで、昨日の話の続きを始めた。そして切りのいいところで中将が話を切り出す。
「おばあさま、ちょっと大事な話があります。他のものを・・・。」
宮は女房達を遠ざけると、中将は話し出した。
「おばあさま、この姫を見て何も思われませんか?気になさらずなんでも言ってください。」
「そうねえ・・・本当にいい?この方初めての懐妊じゃありませんね。それと結構いい家にお育ちね。身のこなしでわかるもの。お歌もお琴も何をさせてみきちんと教育されておりますわ。きっと入内をされるように教育されたのでしょうね。このお顔どこかで・・・・。いえ、そんなはずはありませんわ。あの方は後宮におられるはずですもの・・・。まさか?」
「そうそのまさかです。わけあって・・・私の子を懐妊されて・・・。」
宮は驚いた様子で姫を見つめる。
「お久しぶりでございます。伯母様。妹宮の姫、綾子でございます。」
宮は倒れそうな様子で中将に言う。
「ああああなたって子は・・・帝の・・・・大変ご寵愛されている姫を・・・。ねねねね寝取ったってことなのですか?どういうことかご存知ですの?」
「おばあさま声が大きいです。まあそういうことになりますが・・・・。」
「わかりました。起きてしまった事はしょうがないこと・・・。こちらにおられる事をひた隠しにすればよろしいのでしょ。でもそのお子はどうなさるつもり?」
「後宮には連れてまいれませんので、このわたしの子として引き取ります。」
「当たり前です。本当でしたら即死罪ですよ。ああ、あの時婚約させておけばこのような事・・・。静宮も知っていたのですね。もうずるいわ!このような楽しそうな出来事!どこぞの物語のようで・・・。」
宮は一変して楽しそうな顔で馴れ初めやらいろいろな事をお聞きになる。中将は赤い顔をして恥ずかしそうにするのを見て姫は微笑んだ。姫が一番気になるのはやはり亡き式部卿宮のことであった。以前から中将がいろいろと探りを入れていたのですが、宮家に関わるということで、なかなか核心まで探ることが出来なかった。今回姫はこの宮に告白した理由のひとつに亡き式部卿宮という人物と自分の関わりについて知りたいという一面もあった。
 宮は姫の母宮を呼んだようで、少ししてからやってきた。母宮は姉宮の様子に驚いた。
「まあ、静宮。なんてこのような面白い事をこの私に内緒にされていたのでしょう。まあ帝には悪い事を致しておりますが・・・・。私はびっくりです!」
「わかってしまわれたのでしたらしょうがありませんわね・・・。そうですわ!この姫は私の綾姫ですわ。本当に帝には申し訳ない事を致しておりますが・・・。私も最初は驚き呆れてしまったのですよ。本当にうちの姫は後先考えもせず・・・。帝との恋もそうでした・・・。当時亡き帝の兄宮様のもとに入内が内定していたのにもかかわらず、駆け落ち寸前まで・・・。何とかうまくいって相思相愛の方と結ばれ、ご寵愛を一身に受け、東宮と姫宮を儲けられて何不自由なくお過ごしかと思ったのにこのような。別に頭中将殿ばかりが悪いのではないのですよ!子供は一人では出来ません!それどころか最近の帝ときたら・・・・。」
「常康様が何か?」
「あなたがこのような場所でのんびりされていた間にもう一人御妃様をお迎えになられたのですよ!」
「え・・・中将様・・・本当?」
中将は気まずそうな顔をしていう。
「ここのところ忙しくて休みが取れなかったのは後宮に入内があったからで・・・姫には言おうと思ったのですが・・・・。」
中将の話によると、帝が皇后に似た姫君をと所望され、色々な姫を集めて関白家で歌会を行い、式部卿宮家の姫宮を見初めたということらしい。そして毎日のように通われている寵愛振り。世間では皇后は見放されたように噂されているという。
「本当に身近で帝を拝見しておりますが、あのような変わりよう・・・尋常ではありません。昨日もこの私に言われるのです。もう一人入内させようと思っていると・・・。多分私が姫との文の受け渡し役を賜っているからかもしれませんが・・・・。本当に変わられたのか、それとも早く姫を後宮に戻されようとしているのか・・・・疑問なのです。」
「そういえば、式部卿宮様の姫は亡き式部卿宮様の姪に当たられるのですから・・・。式部卿宮様と亡き宮さまはご兄弟ですしよく似ておられたから。」
すると姫は伯母宮に聞く。
「あの・・・ずっと気になっていたのですが、どうしてこの私が亡き式部卿宮様に似ているのですか?」
母宮と伯母宮は少し困った様子でこそこそ話したあと、母宮が話した。
「綾子、いいかしら。あなたは私の殿であられる左大臣様の姫ではありません。実は殿と結婚する前に亡き式部卿宮様の正室として入ったのですが、懐妊間もなく急な病でこの世を去られたのです。まだ正式に式部卿宮妃懐妊の発表をしていなかったものですから、分家の摂関家で当時大納言であられた殿が懐妊を承知の上で後妻として降嫁したのです。なくなられた先妻の間には二人の姫様と若君がおられたので、居辛く、こちらの宇治にあなたと生活していたのですよ。ですので、今回入内された式部卿宮の姫君とは従姉妹同士・・・。似ていたとしても不思議ではありません。本当に日に日に宮様に似てこられて・・・。お顔もそうですけれど、活発なところや物をはっきり言われるところ、後先考えずに行動されるところなど・・・。一応あの方とは好きあって結ばれたのですから。一年余りの夫婦生活でしたが、とても充実した生活でした。これでわかったかしら。綾姫。」
姫は立ち上がって自分の部屋に戻ると、なにやら文を書き出す。
『常康様 今はどうしても帰ることは出来ませんが、桜の花が咲く頃後宮の思い出の桜の木に下でお待ちいたしておりますので、決してわたしの事を忘れないようにお願いいたします。綾子』
この文を持って中将のいる部屋に戻ると、中将に文を渡す。
「このような時に申し訳ないのですけれど、今すぐこの文を清涼殿に届けていただけますか?」
中将は少し戸惑った様子いたが、すぐに束帯に着替えると、文を持って馬に乗り内裏に向けて走った。

 頭中将は急いで大内裏に着くと、馬を預け内裏の清涼殿に向かった。帝はいつものように清涼殿の昼御座に座り、公務をこなしている。皇后が里下がりをするまでは公務中であっても朗らかな明るい表情で公務を行っていたが、その後の帝は人が変わったように黙々と公務を行い、何か殿上人が気にくわない事を言うとよく立腹される。殿上人たちも触らぬ神に祟りなしというような表情で、御前に現れ用事を済ますとさっさと下がる。
「帝、頭中将殿が殿上願いを・・・。」
「晃か。わかった。頭中将の殿上許す。」
頭中将は殿上を許され御前に座る。
「頭中将殿、今日は休暇のはずだが・・・・。ん?なにやら覚えのある香りが・・・。もしや。」
頭中将は胸元から一通の文を取り出し侍従の晃に渡す。
「お待ちかねの皇后様からの文を預かってまいりました。御前失礼致します。」
「待て。これを直接受取ったか?綾子はどのような様子か?」
「はい、先程皇后様のご在所より帝に至急の用事があると・・・。女房の萩殿を通じてですが・・・。御簾越しにお伺いしたところ、まだ臥せっておいでの様子でした。」
「会いに行きたいのだが・・・。」
「いえ!私が皇后様に帝に一度会われてはどうかとお伺いしたところまだその気になれないと仰せでした。」
「しかしなぜお前は御簾越しとはいえ、綾子の側までいけたのだ!」
「それは・・・・私の祖母と皇后様の母宮様が姉妹であられ、別邸も隣同士ですので皇后様幼少の頃より存じ上げておりましたからでございましょうか・・・。」
(申し訳ありません・・・今は私のところにいると決して言えません、それも私の子を御懐妊など・・・帝・・・。)
「初耳だな・・・まあいい。ご苦労であった。今から返事を書くから綾子に渡して欲しい・・・。」
そういうと御料紙に文を書いて頭中将に渡した。
「これを皇后に。あとこれは中宮から預かった文だ。これもあわせて頼んだよ。せっかくの休みを邪魔させて悪かったね。ご苦労。」
頭中将は頭を深々と下げると退出していこうとする。
「頭中将殿、最近あなたはいつも良い香りをしておられる。姫でも迎えられたのですか?」
頭中将はビクッとして振り返らないまま答えた。
「はい、帝の妃方のような麗しい姫ではありませんが、以前申しておりました理想の姫と今宇治にて細々と暮らしております。間もなく子も生まれます。たぶん妻の香が私の束帯に移ったのでしょう。では御前失礼します。」
「そうか・・・余計に悪い事をしてしまったね。」
頭中将は軽く頭を下げて退出していく。帝は幸せそうな頭中将を見つめ、ため息をついた。
(どうすれば綾子は機嫌を良くしてくれるのであろうか・・・。きっと式部卿宮の聡子姫の入内の件は耳に入ったのだろう。こうして文をくれたのだから・・・。姿形が綾子に似ているという理由で入内させたが・・・所詮は他人。ここ数ヶ月聡子姫のもとに通ったが、綾子のいない寂しさを紛らわせるどころか虚しさばかり・・・。入内させたのは間違いだった。先日頭中将にもう一人姫を入内させたいと嘘もついたし・・・。何をやっても裏目に出る。今回のことはまだこうして綾子から文が来ただけマシかもしれないけど・・・。)
そう思うとさらに深くため息をつく。そしてこの晩も藤壺にいる更衣である式部卿宮の聡子姫のもとに行く。
(この聡子姫は綾子と同じ満面の笑みで迎えてくれる。そしてこの私を受け入れてくれる。一時的であるが、綾子といる気分にさせてくれる。聡子姫には悪いけれど・・・。)
藤壺に入ると懐かしい香りがする。
「藤壺、この香りは?」
「橘さんに帝のお好きな香りだからと教えていただいたのです。調合するのに大変でしたのよ。」
そういうととてもうれしそうな顔で帝を見つめたので、何も言わなかった。そして藤壺の寝所で帝は聡子姫にこの香について言う。
「藤壺、この香は今後一切使わないで欲しい。この香は綾子、いや弘徽殿のものだから・・・他の人には使って欲しくない。せっかく私のために焚いてくれたのでしょうが、わかっていただけますね。」
「はい・・・。」
聡子姫は残念そうな顔をした。
「帝、弘徽殿様はどのような方ですの?」
帝は少し戸惑ったが、いずれわかることと思い打ち明ける。
「私が東宮時代から寄り添っている初恋の姫君です。あなたにとてもよく似た。桜が咲く頃にこちらに戻ってきますよ・・・きっと・・・。きっとね・・・。」
そういうと帝は悲しそうな顔をして眠りについた。


《作者からの一言》

帝はついに綾子に似た更衣を入内させ、寵愛します。しかし、本当にこの更衣は綾子の代わりなので、綾子が後宮に戻った途端寵愛されなくなります。とてもかわいそうな姫宮ですね^^;まぁ父宮もそれをわかっていて帝に差し上げたのですけれど・・・このあとこの更衣については出てきませんが、きっと他の群臣にお与えになって後宮を出て行かれたのでしょうね^^;藤壺更衣の年齢設定は15ぐらいです^^;

第46章 頭中将の母君

 秋が過ぎ師走がもうそこまでというの頃、中将は時間をかけてでも宇治から内裏に毎日早朝から出仕して夜遅くなって宇治の別邸に帰ってくる。姫のおなかもだいぶん目立ってきており、内裏から帰って来ては姫のおなかに耳を当ておなかの子供が動く様を楽しみにしている。姫もだいぶんこちらの生活にも慣れて、毎日のように交互で中将の祖母宮と姫の部屋を行き来し、楽しくお話や貝い合わせなどをして楽しまれる。戌の日のお祝いも、この祖母宮がたいそう立派にしてもらい、幸せな毎日を過ごしていた。度々中将が持ち帰る帝からの文を読むが、返事を書かずにすぐに中将に頼んで燃やしてもらう毎日である。今日は夜遅く帰ってきたが真っ先に姫のところへやってきていつものように話し始める。
「やっとお休みを頂けたよ。ここのところ節会や何やらでお休みがとれず、寂しい思いをさせてしまったね。十日ほどこちらにいるから・・・。」
そういうと寝所に入りいつものように眠りに着こうと思ったとき、表が騒がしくなった。二人は急いで上に何かを着る。表では祖母宮と他の方が言い争いをしている。
「気になるから行ってくるよ、ここで待っていて。」
すると祖母宮の部屋の前で中将の母君が祖母宮と言い争いをしている。母君は中将に気がつく。
「将直!こちらで何をなさっているの!ここ何ヶ月も本邸に戻らないと思ったら!こちらにどこの馬の骨かわからぬ姫を託っておられるらしいですわね!私は許しませんよ!」
「母上!私は子供ではありません。妻ぐらい私が決めます。放って置いてください!」
すると母君は泣き叫んで中将をひっぱたく。
「母はあなたの出世のためにどんなに苦労したかわかっていますの?あなたの縁談もすべてあなたの出世のために選んできているのに・・・。わかっていないのはあなたです!」
そういうと泣き崩れてしまった。すると母君の後ろで声がした。
「中将様のお母様・・・怒られるのも無理ありませんわ・・・。」
「姫!出てこないで欲しいと・・・。」
姫は母君の側に座って深々と頭を下げる。そしてお詫びの言葉を言った。
「誠に申し訳ありません。順序をわきまえず、このようなことになり・・・・。本当でしたら先にお母様にご挨拶をしなければならなかったはずを・・・。中将様はとてもいい方です。お母様が大切にお育てになられたからこそ、このような立派でお優しい公達におなりあそばされたのですもの・・・。」
「あなたが?あなたが将直の言う?」
「はい。遅れましたが、月子と申します。このように身重な体ではありますが、よろしくお願いいたします。」
「まあご挨拶はきちんとできる方ですのね。しかしご懐妊されているなんて・・・。まあ下級貴族の姫ではなさそうね。どちらの姫君かしら・・・。」
姫は下を向き、黙り込んだ。
「母上、この方は決して母上が言うような姫ではありません。内裏で知り合ったのですから。」
「じゃあ、女官か後宮の女房ってことね。内裏にお勤めされたの方ならまだマシというもの・・・。でも将直の正妻はこの私が決めますからね!いい?月姫は側室というのなら許しましょう。私帰ります。このようなところに長居は無用です。将直本邸にも顔を出しなさいね。」
そう言うとドカドカと本邸に帰っていった。頭中将はほっとした様子で、部屋に戻ろうとすると、中将の祖母宮が声をかけた。
「まあ、月姫。あの者をこんなに早く引き下がらせるなんて・・・。あの者が来るとつい喧嘩腰に言ってしまうのでいつも大もめになるのよね。月姫いらっしゃい。珍しいお菓子があるのよ。可愛い孫のお嫁さんですもの・・・。大歓迎よ。」
「おばあさま、姫は身重なのですよ。」
「いいじゃない。将直もいらっしゃい。明日ゆっくり休んだらいいのですから。さあ。」
「中将様。いいじゃない。せっかくですのでおばあ様のお相手を・・・。」
中将は渋々祖母宮の部屋についていく。


《作者からの一言》

なんと言う母君なのでしょう^^;プライドだけは高い・・・。まぁ母君の驚きはすごいものでしょうけど^^;可愛い一人息子が帰ってこないと思ったら宇治にいてなんと身重の妻がいた・・・。相当ショックだったのでしょうね^^;

第45章 綾姫の秘密

 中将は思い出したように姫に言う。
「あ、そうだ。今からおばあ様のところへ行きましょう。昨日の御礼もしないといけない。」
中将は姫の手を取ると、中将の祖母の部屋に向かった。すると客人が来ていた。
「まあ!将直。噂をすればですわ。ちょうどあなたの事を妹宮と話していたところよ。かわいらしい姫を迎えたと・・・。さあ月姫もこちらへ・・・。」
中将と姫は少し焦ったが、素知らぬ顔で対応する姫の母宮を見て安心する。
「まあなんてかわいらしい姫なのでしょう。お子様の誕生が楽しみですわね姉さま。」
「そういえば静宮の姫は、今上帝の皇后で東宮のご生母ですものね・・・。」
母君は少し驚かれた様子だったが、気を取り直して話し続ける。
「いえいえそれほどでも・・・。たいそう帝に気に入っていただいているようで・・・。大変喜ばしいことなのですが・・・。」
「そういえば静宮の姫も小さい頃にこちらに良くこられたことがあったのですよ。覚えていないかしら?将直。あの姫は本当に亡き式部卿宮によく似ておられて・・・。活発で・・・。」
「お姉さまそれは・・・。」
「そ、そうでしたわね・・・。あれは・・・。」
姫は聞き間違いだと思ったが、ここでは聞けずに黙っていた。
「大叔母宮の姫は一度会ったことがありましたよ確か・・・。あの頃は元服してすぐの頃・・・とても活発な姫君で庭の池に・・・私が助けた覚えが・・・。」
(そんなことあったかしら?ここに来た記憶もないけど・・・。)
と姫は思った。
「よくお姉さまは私の姫をぜひ将直の嫁にと・・・。私も一時考えましたが殿がたいそうご立腹で・・・。」
「そうよ!将直に父親がいないそして身分がどうのこうのと言って反対されたのですから!院の皇妹である私が後ろ盾にと言っておいたのにですよ!今でもムカつきますわ!」
「お姉さまそれくらいになさって・・・月姫様がお困りに・・・。」
すると中将が口を挟んだ。
「今日はおばあ様から昨日結婚のお祝いに、様々なものを頂き、お礼を言いに妻月姫と共に参上したのですが・・・。妻は身重のため、これにて・・・。」
「まあ、そうでしたわね・・・月姫ごゆっくり・・・。」
そういうと中将は姫の手を取って部屋に戻っていった。
「なんと仲睦ましい事・・・。やっと将直も落ち着いて出仕できるでしょう。しかし、あの月姫、どこかで・・・。きっと他人の空似ね。」
姫の母君は話を変えようと必死になった。
「お姉さま、亡き式部卿宮様のことは私の姫には言っておりませんし、世間一般には・・・。」
この静宮という方は降嫁される前に一度式部卿宮と結婚し、新婚一年と経たない内に病気でなくなられ、懐妊されてすぐに静宮は未亡人となり、それを承知の上で現在の左大臣に後妻として降嫁した経緯がある。そのおなかにいた子が皇后である綾姫こと月姫である。もちろん綾姫は亡き式部卿宮によく似た姫君であったがそれを知りつつも自分の三の姫として左大臣は入内させたのだ。もともとこの静宮も御綺麗な方であったが、亡き式部卿宮も当代一といわれる程の整われた姿かたちの方でしたので静宮の父院が是非にと縁談を持ち込み結婚させて懐妊したとたんの不幸・・・。父院も生まれてくる子の為にと現在の左大臣に降嫁させた。もちろん一部の公達しか懐妊されていたことは知らないことで、当時新婚すぐに殿に先立たれたおかわいそうな姫宮として有名であった。こうしたことから、降嫁されてからすぐに正妻でありながらこちらの宇治に住んでいる。
 夜が来て中将と姫は同じ寝所の中で中将に腕枕をされながら昼間の話について話をする。もちろん寝所のある建物内は呼ばない限り誰も入ってこないので、安心して話が出来る。
「姫、裳着前のあなたとの縁談があったことなど初耳でした。そのまま話が進んでいたのならこうして忍んだことはしなくて良かったって事ですか・・・。おばあ様は嘘をつく方ではないから本当の話なのでしょう。」
「私と中将様が依然こちらで会ったなんて・・・それも命の恩人・・・。」
「そういえばその様な事があったなと思っただけで・・・。姫が大事な鞠を池に落とされてそれを取ろうと・・・。あの時は本当に驚いたのですよ。驚いて小袖になって飛び込んで実は私も溺れそうになりました。従者に助けられたので良かったのですが・・・。」
そういうと思い出したように笑っている。
「でも・・・母宮さまの言葉・・・亡き式部卿宮って・・・。どうして私がそのような方に似ているというの?お父様は現左大臣藤原実成のはずよ。母宮さまのお父様は帝の亡き曽祖父の院様ですもの。」
「そうですね・・・初耳です。今度出仕したら調べてみましょう。どこまでわかるかわかりませんが・・・。いずれわかることだと思います。さあ休みましょう。」
そういうと中将は姫の額にキスをすると、姫を胸元に引き寄せて眠りについた。姫も中将の胸元に潜り込んで眠りにつく。


《作者からの一言》

なんと綾子は左大臣の実子ではなく、亡き式部卿宮の姫君と判明しました^^;また実は頭中将にも裳着前に会っていたのです^^;そのまま恋に落ちていたら、このようなことにはならなかったのでしょうね^^;

第44章 月姫として

 実は頭中将の別邸は月姫(皇后)の母君の邸の隣にあった。以前は一つの大きな別邸であったが、降嫁してしまった頭中将のおばあさまと、月姫の母宮のために半分に分け建て替えられたのだ。もちろん帝の曾おじいさまである亡き院の縁の別邸ということで、特別視されて検非違使でもそう簡単に入って来ることが出来ないのである。
 頭中将と月姫は車に乗り込むと、連絡係の萩を残して隣の別邸に向かった。そしてふたりは別邸に住む頭中将の祖母に挨拶に行った。
「おばあさま、こちらは朝ご報告した姫君です。気に入っていただけるとうれしいのですが・・・。」
すると月姫が自己紹介をする。
「月子と申します。突然こちらにお世話になる上、正装もせずお邪魔致しまして大変申し訳なく思っております。よろしくお願い申し上げます。」
「まあなんてかわいらしい!きちんとした良い姫をお選びになったのですね。でもどうして本邸にお連れしなかったのですか?」
頭中将は苦笑して言った。
「おばあさま、母上の性格はご存知でしょう。勝手に私の子を身籠った姫を本邸に入れたらどうなるかを・・・。あの方は息子が思い通りにならないと気が済まない方だから・・・。」
「そうですわね、私のところに連れてくるのが賢明ですわ。月姫、この私を気にせずに自分のおうちと思ってゆっくりなさってくださいね。将直、いつまでこちらに?」
「今日はこれから宿直ですので、明日から当分近衛府にお休みを頂くつもりです。もちろんおばあさまのお名前をお借りすることにはなりますが・・・。」
「よろしくてよ。このようなかわいらしい姫君をお迎えになったところですもの。半月でもひと月でもどうぞ。ご結婚のお祝いとして、私から数点贈り物をさせていただきましたわ。きっとお役に立つと思いますわ。」
「助かりますおばあさま。さ、部屋に案内しよう、月姫。」
「はい・・・中将様。」
月姫は手を頭中将に引かれて部屋に入ると、急なことにもかかわらず様々な調度が揃えられていた。
「おばあ様が言っていたのはこれかな?」
といって鏡や櫛、そしてきれいな反物を手に取り、月姫に手渡す。そして反物を月姫に合わせると言った。
「これはいい。これでかさねを作ろう。こちらは男物だな・・・これは私にかな・・・。」
「中将様、内裏とはまったく違った表情をされるのですね・・・。中将様、その反物お貸しください。この私があこめをお作り致しますわ。あこめなど何度も・・・そう何度も・・・。」
月姫はここ最近帝のあこめを何枚も作っていた事を思い出した。帝は必ず縫って差し上げたあこめを着てくれていた。そしてあふれんばかりの笑顔で喜んでくれた。
「姫、無理をなさらなくても・・・。家のものに作らせますよ。健やかな子を産んでいただけたらそれで・・・。あ、もうそろそろ出ないと・・・宿直ついでに休職届けも出してまいります。姫・・・。」
そういうと頭中将は姫を抱きしめると名残惜しそうに部屋を出て行った。部屋にいる女房達は、二人の仲睦まじい姿に見とれている。すると一人の女房が近付いてきて姫に聞く。
「私は高瀬と申します。頭中将様の乳母の子ですの。さすがに私が小さい頃よりお仕えしてきた方ですわ。このようなお綺麗な方を妻に娶られるなんて・・・。左衛門督から頭中将になられてから、ずっと恋わずらいを・・・。特に長谷寺からお帰りになられた頃から寝込まれていたのですよ・・・。ここ数日まで・・・。それが急に元気になられたと思ったらこうして素敵な姫が現れて・・・。先程もここにいるもの皆お二人が並んでおられる姿を見て、絵物語に出てくるようなお二人だと感心しておりましたの・・・。私達も頭中将様のあのような表情は見たことがありません・・・。」
姫は扇で顔を隠して苦笑する。
「わからないことがございましたら、この高瀬にお申し付けください。頭中将様からいろいろ任されましたので。こちらにいる女房達も皆頭中将様がお選びになったものたちばかり。決して頭中将様の母君に見つかるようなことは致しません!ご安心を!」
(また中将様のお母様のこと?よっぽどのお方なのね・・・。)
「中将様の母上様?」
すると様々な女房達が集まってきて母君の事を言い合う。話によると、中将の父は源姓でありながら、大納言まで登りつめこれからという時に病で亡くなった。まだ幼かった中将を母君一人でここまで育て上げた方で、一人っ子であった中将を大変可愛がり、厳しくしつけをされたという。先帝や今上帝の信頼もあり、元服後従六位上左衛門大尉から十年で従四位下頭中将まで出世したという母君ご自慢の息子。これからも出世間違いないということで期待も多く、母君の一方的な縁談に相当困っていたらしい。姑との仲もそういうことからか良くもなく、中将は母君が口を出されるとすぐにこちらのおばあさまを頼って逃げてくるというわけだ。内裏にいるときの中将よりもこちらや姫の前の中将が本当の中将だということもわかった。姫は内心少しほっとした。女房達も本邸の窮屈な生活からこちらに来ることが出来てうれしいようである。
 次の日のお昼前、宿直から帰ってきた頭中将は少し疲れた様子で姫の前に座る。そして姫が笑顔で迎えると疲れが飛んだ様子で微笑む。
(公達の妻の生活ってこんな感じなのね・・・。出仕から帰ってきた殿をこうして笑顔でお迎えして・・・。もし常康様があのまま少将であられたら・・・今頃中将になられいてこのように・・・。)
ふっと悲しげな顔をする姫に頭中将は気がついたが、気づいていない振りをして狩衣に着替えた。着替え終わると中将は姫の膝に頭を置くと、姫は微笑んで中将の頬に手を当てた。
「中将様、宿直でお疲れでしょう。私の膝でよろしければ少しお休みに・・・。」
「ありがとう、そうするよ・・・。」
そういうとすぐに眠ってしまった。姫は高瀬に単を持ってこさせると、中将の体にかけた。姫はもともとこのような生活がしたかったのだと気がついた。宮中のような何かと儀礼の多い堅苦しい生活ではなく、ごく普通の生活を夢見ていたことを・・・。このまま後宮には戻りたくはないと思った。
 一刻ほど眠ったのか、急に中将は起き出す。そして女房達を遠ざけると、胸元から文を取り出す。
「あなたに渡そうか悩んだのだけれど、今日御前に呼ばれてしまってね、ついでに宇治に行くなら渡してくれと・・・・。女房達は遠ざけたから、読んだらいいよ。出来ればあなたとの橋渡しを頼みたいようないい方をされたが、当分こちらにいるからと言ってお断りしたよ。」
「そう・・・。中将様・・・嫌な役をさせてしまったようで・・・。」
「いえ、私こそあなたのような方をこうして独り占めにしているのですから・・・。お腹の御子が生まれるまでこうして夫婦のようにさせていただけるだけでも・・・。」
姫は文を開くと帝が大変心配して宇治のことやいろいろ不自由がないのかなど、書かれていた。どう見てもかなり動揺した文字で書かれている。姫は中将にその文を渡すという。
「今の私にはこのような文は必要ありませんわ。中将様、この御文を燃やしてください。今持っておくわけにはいきません。これから一年は綾子としてではなく、月姫として生きなければ・・・。」
「いいのですか?萩殿にでも渡しましょうか?」
姫はそれでも首を横に振っているので中将は庭に降りると従者に火を持ってこさせ、姫の目の前で帝からの文を燃やした。
「これでいいのよ、これで・・・・。」
そういうと姫は部屋の奥に戻っていき、脇息にもたれかかった。そして扇で顔を隠し、中将にわからないように涙した。もちろん中将は気づいていたが、姫のために黙っていた。


《作者からの一言》

頭中将にとっては楽しい日々が始まる反面、綾子は色々なことに気付く。なんだかんだ言っても頭中将を通して帝を見ているのです。それと決別するために、帝からの文を焼き続けます。もちろん頭中将は綾子の気持ちをちゃんとわかっているのです。

第43章 期限付きの新たな出発

 後宮に戻ってきて数日、皇后は里下がりの準備がある程度終わる。萩は皇后を気遣って何かとよくしてくれる。皇后は里下がりの間萩だけを連れて行くことにした。後の者は皇后が帰るまで、麗景殿にまわるもの、清涼殿にまわるもの、そして里に帰るものに別れた。明後日に里下がりをすることになっているので、昼間は様々な人たちが弘徽殿に出入りをする。一方夜になると、里に帰った者たちがいるので静まり返った。皆が寝静まると皇后は部屋を抜け出し思い出の桜の木にもたれかかると、頭中将との思い出を思い出しながら、星空を眺めた。
「次ここに戻ってくる頃は咲いているのかしら・・・。戻れたらの話だけど・・・次はきっと・・・。」
すると後ろで声がする。
「次は私とではなく帝とですか?」
皇后は桜の木の後ろを見ると頭中将が立っていた。
「朧月夜の君・・・忘れようとしても忘れられませんでした・・・。帝のものとわかっていながら・・・。初めて恋煩いというものにかかってしまいました・・・。」
「桜の君・・・私・・・あなたの子供を身籠りました・・・。だから・・・病気と偽り里下がりを・・・。」
「私の?」
皇后はうなずくと頭中将は皇后を抱きしめる。
「なんと言う事をしてしまったのだろう・・・。あなたを苦しめることになってしまった・・・。」
「私、どこかでこの子を産んで、そのまま姿を消そうと思っているのです。」
「それはいけない!帝のためにも東宮様のためにも後宮にお戻りください。あと・・・よろしければ私の宇治にある別邸をお使いください。そしてお腹のお子は私が引き取ります。」
「一度実家に戻り、宇治にいるお母様の別邸にお世話になるつもりでしたが・・・。」
「それならそちらにお迎えにあがります。別邸には帝のおじいさまであられる院の妹宮である私の祖母がおります。とてもよいお方ですので、ご安心を・・・。」
そういうと頭中将は立ち去っていった。
 里下がりの前の日、昼間からいろいろな人たちが挨拶に訪れた。もちろん中宮も訪れる。
「綾子様、寂しくなりますわ。出来るだけ早めのお帰りくださいね。」
「和子様・・・帝のこと、頼みましたよ。私の代わりに・・・。」
「はい・・・綾子様がいらっしゃらないと、この後宮も明かりが消えたように寂しくなりますわ・・・。」
皇后は微笑んで中宮を見送った。夕方になると、帝がやってくる。当分会えないので今夜は一緒に過ごすことになっていた。皇后にとっては針の筵のような晩だった。何も言えず、帝と時間を過ごした。朝が来ても帝は皇后を離さず、里下がり寸前まで一緒にいた。警護の左近中将が迎えに来ると、皇后は帝に頭を下げ車に乗り込んだ。帝は悲しそうな顔をして皇后を見送った。実家に帰ってくると、東宮が走ってきて皇后に飛びついた。
「母上!いつまでここにいるの?」
無邪気にはしゃぐ東宮を見て皇后は微笑むが、この先こちらに戻れないかもしれないという寂しさでいっぱいであった。少し歩き出した姫宮を見るといっそう涙がこみ上げてくる。
「聞いて若宮。母は病気なのです。今からおじい様にご挨拶をしてすぐにこちらを発ちます。」
東宮は涙を浮かべて皇后に抱きついた。
「若宮は孝子のお兄様でしょ。母がいなくても大丈夫よね。母は早く元気になるように静養にいくの。いいわね。」
若宮はうなずくと皇后と一緒に左大臣の部屋に向かう。左大臣は皇后を迎えるという。
「はじめ里下がりと聞いて、驚いたよ。帝から見放されたと・・・。でもそなたが病気がちと聞いてね・・・。帝もたいそう心配されていたよ。空気のきれいな宇治に行ってゆっくりしておいで。そしてまた帝のご寵愛を一身に受け、皇子を授かっていただかないと・・・。」
「お父様、私はどうしても一人で籠もりたいので、決してこちらには来ないでください。来られても会うつもりはありません。ゆっくり静養したいのです。あと、若宮と、姫宮のこと、よろしくお願いします。」
「わかった、ゆっくり静養すればよい、しかし近況報告ぐらいはしてくれよ。」
皇后は深々と頭を下げる。そして宇治の別邸に旅立ってしまった。
 宇治の別邸につくと、皇后の母君が待っていて、皇后を心配そうに眺め抱きしめる。
「萩からの文を見ました。大変なことになってしまったのですね・・・。いいからこちらにいらっしゃい・・・。お客様がお待ちよ。」
そういうと客間に皇后を通す。そこには狩衣を着た頭中将が座っている。
「綾姫、この方からお話を聞きましたわ。びっくりしてしまって・・・。この方のおばあさまは私の腹違いの姉上なのですもの・・・。以前言ったわよね。私と、帝の父上様は叔母と甥の関係だと・・・。私は亡きお父様が晩年、院の時代に出来た姫ですし。お姉さまは私よりも二十も上の方。親子といってもわからないくらいよ。なんというめぐり合わせなのでしょう。でも、あなたの身を明かしてはいけませんよ。お姉さまは私の姫が皇后になられた事を知っているから・・・。度々お姉さまのお邸には御呼ばれしているのですけれど、お邸では他人ですわよ、ねえ綾姫。名前を変えないといけませんね。何がいいかしら。月姫ってどうかしら?朧月夜の君なのですものね。」
皇后の母君はとても楽しそうにこれからの話をする。
「お母様、結構楽しそうですのね・・・。」
「わかった?なんて物語のような・・・私も若ければ・・・殿と別な方と・・・。」
「お母様!」
すると母君は真剣な顔をして頭中将に言う。
「きちんと責任は取っていただけるのでしょうね。これはあなたのご家族、そして左大臣家に関わることなのですよ。もしこのことが帝の耳に入ったとしたら・・・いくら帝が心の広い方であっても許されませんよ。綾姫を迎えるご用意は整っているのでしょうか?こちらも空蝉のように皇后がいるというように対処します。よろしいわね。」
「もちろん、女房もお道具もそろえました。女房達も本邸から口の堅いものを選んで連れてまいりました。あと問題は私の母上なのですが・・・。子離れできていないというか・・・。何とかなるとは思いますが・・・。」
「あのお方ね。お姉さまからよく聞いておりますわ。あなたの縁談にとやかく言うと聞きました。」
「それなら話は早いですね。期間限定の夫婦とはいえ、母上が出てくるとまずいのですが、おばあさまと仲が良くありませんので、まず宇治の別邸には来られないかと思うのです。しかし私がこちらに通うとなると口出しするかもしれませんね・・・。月姫、おばあさまは本当にいい方だから心配しなくていいですよ。きっと可愛がってくださる。私も実はおばあ様っ子なのですから・・・。」
今まで見たことがない頭中将の姿に、皇后は微笑んだ。


《作者からの一言》

頭中将との期間限定の生活が始まろうとしています。頭中将としてはとてもうれしいことなのでしょうけれど、皇后は本当に複雑なのでしょうね^^;

皇后の母君、静宮はなんと楽天的な性格の方なのでしょうか?自分の娘の苦悩を楽しんでいるようです^^;

頭中将は内裏では真面目で凛々しい顔つきで出仕しているのですが、プライベートではなんとも子供っぽい顔をする人なのです。まぁ言う甘えたさんかな・・・。本当の事を言うと頭中将の年齢は帝よりも上ですよ。三歳くらい上かな・・・・。決めていなかった世・・・。

第42章 長谷寺詣

 皇后が長谷寺の向かう当日、朝早く旅立つ皇后を送るために弘徽殿に帝はやってきて、皇后の手を取ると、弘徽殿に横付けされた車まで見送った。お付の近衛の者達は、深々と頭を下げ、皇后やお付の女房達が車に乗り込むのを待つ。
「綾子、ゆっくりしておいで。私と孝子と一緒に待っているからね。」
皇后は扇で顔を隠しながら帝に会釈をすると、車に乗り込んだ。
「頭中将、頼みましたよ。」
「は!」
そういうと頭中将は出立の合図をする。途中大和国に入ると、大和守や従者達が列に合流し、警備を固める。そして大和で一泊して長谷寺に向かった。長谷寺の宿坊の着くと住職が、皇后を部屋に案内し、長谷寺について話していく。宿坊から見えるきれいな牡丹が皇后の心を癒した。まだ満開ではないが、ちらほら咲いた牡丹はやはり花の寺として有名な長谷寺だけはある。特に今回は皇后のために寺を貸し切られていたので、ゆっくりと他の人を気にせず、半月間過ごすことができそうだ。
「萩、散策してもいいかしら・・・。近くで牡丹を見てみたいの。」
「それでは準備を致しましょう。警護の者も付けないと・・・。」
小袿を来て頭から袿を被って庭を散策する。そしてある程度後ろから、近衛の者が警護をした。
「帝にも見ていただきたいですわね。こんなにきれいだなんて・・・綾姫様。摂津さんもつれてくればよかったですのに・・・。」
「ええそうね。長谷寺に来ている間、他の者達は里帰りできるのだからいいじゃないかしら。ここに連れて来た者たちもみんな気の知れたものたちばかり・・・。ゆっくりできるわ。あなたも羽を伸ばしなさいね。それとも内裏にいたほうがよかったのかしら?」
「何を言われますの?綾姫様。」
「知っているのよ。五位蔵人橘晃殿と仲が良い事くらい。」
萩は顔を赤くして黙り込んだ。
「秘密にしなくていいのよ。萩はそろそろお嫁に行ってもいいのよ。常長様も同じ事を言っておられたのだから・・・。」
皇后は微笑んで萩を見つめる。
「ねえ萩、袿取ってもいい?暑いし、よく見えないもの・・・。萩は何も被ってないからよく見えるだろうけど・・・。」
萩は周りを見回して、警護の者の位置を確認したうえで、そっと皇后の袿をはずす。
「ありがとう萩・・・。やはりここの風は気持ちいいわ。後宮の堅苦しい空気と違うわ。」
萩は人の気配を感じるとまた皇后に袿をかぶせる。
「さあ、お部屋に戻りましょう。警護の者が近付きすぎですわ。まだこちらに何日もいるのですから、またゆっくりと・・・・。」
そういうと、萩は皇后を部屋に入れる。皇后は残念そうな顔で部屋に戻り、身なりをととえて脇息にもたれかかる。皇后はつまらなそうな顔をして、外を眺める。高い山の奥では、まだ山桜が咲いている。
(桜か・・・。桜の君は今日都へ帰られるのかしら?)
皇后はつい頭中将の事を思い出してしまい、顔を赤くした。ここまで来る道中も、皇后の車の横についていて皇后の体調などを伺いながら列の指揮をしていた。皇后は頭中将の声を聞き、自分の立場を見失いそうになった。
(常康様と出会っていなかったら、桜の君と結ばれていたかもしれない・・・。常康様がいなかったら?)
皇后は、最後に密会した日の事を思い出す。いつも微笑みながら雑談をしていた頭中将が、急に真剣な顔をして皇后を引き寄せキスをした後、求婚してきたあの時、はっと気が付いて、頭中将を離して走り去ってしまった時・・・。
(ここは常康様がいない。ちゃんと桜の君に本当の自分を知っていただかないと・・・。ここでなら会えるかしら?)
そう思うととても夜になるのが待ち遠しく思った。
 夜が来て皆が寝静まると、そっと起き出し袿を着て外に出た。そして廊下に座ると、三日月を眺めながら少し考え事をする。皇后は思い立った様に庭に下り、少し歩いた庭の石に腰掛けて夜空を見上げる。皇后はすらっと歌を詠むと、後ろで人の気配がする。
「その歌は誰に宛てた歌ですか?」
どこかで聞いたような声が近付いてきた。
「桜の君?」
「その歌は帝に宛てたのですか?朧月夜の君・・・。」
「え?」
そういうと頭中将は後ろから皇后を抱きしめる。
「あなたが、皇后様であったなんて・・・。どおりで身のこなし等に気品が・・・。」
「ずっと言えなかったのです・・・。でもいつ?」
「到着後の皇后様が庭を散策されていた時・・・被っていた袿を取られた時です。後ろで警護を致しておりました・・・。」
「そう・・・もし今日ここで会えたらきちんとあなたに言おうと思っておりました。」
「だからですか?私からの求婚を・・・。」
「私はあなたとは結婚できません。私には帝がおられるのですから・・・。」
「そうですね・・・。明日の朝、都に戻ります。帝に長谷寺に無事送り届けたと報告に戻らないといけません。朧月夜の君・・・。」
そういうと頭中将は皇后の手を引き引き寄せると抱きしめた。
「あなたへの想いは変わりません、しかしあなたは恐れ多くも帝の妃、それもご寵愛を一身に受けておられる方。私はこのあなたへの想いを我慢できません。あなたの心の中に、少しでも私の存在があるのでしたら、今夜を共にしていただけないでしょうか・・・。今夜限りであなたを諦めます。あなたとのよき想い出を・・・。」
皇后はうなずくと、頭中将は皇后を抱きしめた。そして自分の装束からかさねを脱ぐと、皇后にかぶせ、頭中将が泊まっている部屋に案内した。部屋に入ると扉の鍵をかけ皇后からかさねをはずすと、改めて皇后を抱きしめキスをした。
「あなたが帝の妃ではなければ、このままどこかに連れ去りたい・・・。せっかく理想の姫と出逢ったと思ったのにもう別れなければならないなんて・・・。来世では一緒になれたら・・・。」
「私はあなたとことが好きです・・・。もう少し早く出逢っていれば・・・。」
そういうと二人は抱き合い、夜を過ごした。
 夜が明ける前に二人は別れ、皇后は寝静まった部屋にこっそりと戻った。誰も気が付かない様子で皇后はほっとした。そして横になり、頭中将の肌の温もりを思い出し、眠気が覚めてしまった。朝が明け少し経つと、萩が皇后を起こしに来る。
「綾姫様、頭中将様が近衛の方々の半分を連れて都に一時帰られるそうで、皇后様にご挨拶をと参っておりますが・・・・。今大丈夫でしょうか?
「ええ、もうだいぶん前に起きているから、大丈夫よ、お通しして・・・。」
すると、頭中将は皇后の御簾の前に座ると、深々と頭を下げる。先ほどまで一緒にいた二人は、皆に悟られないように装うが、やはりお二人共の顔は赤らんでいる。
「今から都に戻って帝に長谷寺まで皇后様を無事お送りした事を、報告に言ってまいります。またご帰郷の際にはお迎えに参上いたしますので、よろしくお願い申し上げます。何か帝にお伝えすることがございましたら何なりとお申し付けください。」
「頭中将様、ではお伝え願いますか?離れ離れになっていたとしても心は一つでございます。どうぞお元気で・・・と・・・。」
もちろんこの言葉は頭中将に向けられた言葉であって、そのことに頭中将は気づいた。しかし平静を装っている。
「では、御前失礼致します。」
そういうと皇后の部屋を下がり、数人の近衛の者を引き連れて馬に乗って都に帰っていった。皇后は萩たちに悟られないように頭中将との別れに涙する。
毎晩のように部屋を抜け出しては来るはずのない桜の君を待ってみる。
 数日が経ち、月が満月に近付いた頃、いつもと同じように抜け出していつものところで石に腰掛けて月を眺める。すると今日はいつもと違って宿坊の方が急に騒がしくなったので、慌てて部屋に戻ろうとすると、暗がりのためか小石につまずいて転んでしまった。皇后は起き上がって衣に付いた土を払い転んでかすり傷をした膝に付いた土を座り込んで丁寧に払っていると、ちょうど目の前に手のひらを差しのべる。
「大丈夫?綾子。」
「常康様?」
「そうですよ。つい綾子のことが気になりすぎて夢にまで出てくるようになったから、関白殿に無理を言って馬でここまで走って来たのだよ。でもどうしてこんなところにいるの?皆心配しているよ。さあ部屋に戻ろう。萩に言って手当てしてもらおう。」
そういうと帝は皇后を抱きかかえて部屋へ戻る。部屋では萩たちが心配そうに皇后を探していたようで、帝に抱えられた姿を見て一堂は安堵する。
「綾姫様!どちらに!」
「萩・・・眠れなくて・・・月と牡丹を見に行っていたの・・・。夜なら何も被らなくていいと思って・・・。」
萩は脹れながら皇后の手当てをする。
「常康様・・・いつ?」
「さっき着いた所だよ。予定よりも時間がかかってしまった。明日当たり空の車が来る。車では時間がかかりすぎて待てないから、橘晃と綾子の兄上とともに馬で走ってきた。」
「頭中将様は?」
「長谷寺から帰ってきた後から様子がおかしくてね・・・。毎日出仕していたのに最近休みがちで・・・。綾子の迎えを辞退したよ。家の者に聞くとなにやら寝込んでおられるらしい・・・。たぶん長谷寺往復で疲れが出たのであろう。」
「そう・・・。」
萩は帝に白湯を持ってくると、いう。
「お部屋はこちらでよろしいのでしょうか?こちらは宿坊ですので大したおもてなしはできませんが・・・あの・・・あっちの方も・・・。」
帝は照れながら微笑むといった。
「わかっているよ。久しぶりの馬で疲れたからもう寝るよ。そうそう萩、控えている橘晃と左近中将殿に部屋を案内してやって欲しい・・・。」
萩はさっさと部屋を出て空いている部屋に案内した。帝は皇后の寝所に潜り込むとすぐに疲れているのか眠ってしまった。皇后は帝の側に横になると、帝の手を取り自分の頬にあてる。
(常康様・・・申し訳ありません。私・・・頭中将様のことが好きです。忘れようと思っても忘れられません。常康様は本当にお優しくていい方なのですが・・・。私を想ってわざわざこちらまで馬を走らせ来ていただいたのに・・・。このまま後宮には戻りたくありません・・・。)
皇后は自分の体の変化に気が付いていて、後宮を密かに出る事を考えていた。しかし出るにしても一人では何も出来ない。頭中将に体の変化を伝えようとしても一人では・・・。そこで皇后は意を決し、萩に伝えようとした。皇后は帝が熟睡しているのを確認して控えていた萩を庭に連れ出した。
「姫様お待ちください!!どちらへ!」
誰も来ないような場所に萩を連れ出すと、皇后は話し出した。
「萩、いい?あなたは私の味方よね・・・。何があろうとも・・・。」
「もちろんです!物心付いた頃より姫様のお世話をしております!」
「帝にも、お父様にもみんなには内緒よ!お母様には言わないといけないかもしれないけれど・・・。私、多分だけど身籠っているの・・・。」
「帝のお子ですか?そういえばまだ月の穢れが・・・。」
「帝のお子であればここまで悩まないわ。」
「では一体・・・・。もしや・・・。頭・・・。」
皇后はうなずくと、頭中将との詳しい経緯を萩に告白する。萩は顔を真っ青にして聞き入っていた。
「宇治にあるお母様の別邸があるでしょ。あそこはもともと亡きおじい様である院のもので、そう簡単には役人が出入りできるものではないのよ。帝でもよ・・・。そちらに病気として籠もろうと思うの。病気であれば里下がりが出来ると思うの。そちらで密かに御子を産んで・・・里子に出すしかないわ・・・。本当は帝の子として育てていくのがいいのでしょう。でももし、帝に似ていなかったら?これしか道はないのよ・・・。桜の君にもご迷惑はかけられないし・・・。もちろん実家にも・・・。何があっても、決して面会はしない。本当なら今すぐにでもここを出て行きたいのよ・・・。」
「わかりました。私の命に代えてでも!姫様をお守りいたします!」
「ありがとう・・・。とりあえず都に戻ってから・・・。」
そういうと二人は部屋に戻り眠りに付いた。
 朝を迎えると、帝と皇后は朝餉をとりながら会話をする。
「こちらに来た時は夜だったからよく見えなかったけれど、やはり花の寺といわれるだけありきれいだね・・・。あとで近くまで行って見よう・・・。護衛には君の兄上を付けるから、何もかぶらなくてもいい。ゆっくりと散策できる・・・。綾子、やはり気分がすぐれないの?」
返事のしない皇后を見て帝は心配をした。
 帝は皇后の手を引いて庭を散策する。皇后が来た時と違って、いろいろな牡丹が満開になっていた。帝は大変喜んで皇后に微笑む。
「無理を言って来てよかったよ。私の日々の気分も晴れそうだ。さっき私の車が到着したようだから、明日出立するよ。十分楽しまないと・・・。ね、綾子。綾子?」
帝は皇后の真剣な顔つきを見て驚いた。
「常康様、お願いがございます。」
「何?綾子の気分がよくなるのであれば、何でも聞いてあげるよ。」
「当分の間里下がりをお許しいただけないでしょうか?」
「そうだね、最近綾子は何だか変だ。きっと後宮の暮らしが窮屈なのかもしれないね・・・。期間は?」
「わかりませんが最低1年は頂きたいのです。」
すると帝は驚いたが、うなずき皇后の願いを聞き入れた。帝の寂しそうな顔を見て皇后は今にも今までの行いを告白しそうになったが、頭中将の事を思うとそれは出来ずにいた。
「綾子、きっと帰ってきてくれるのだろうね・・・。何だか胸騒ぎがするのだ・・・。」
帝の言葉に皇后はドキッとした。皇后は軽くうなずくと、また下を向いた。
「約束だよ・・・。」
そういうと帝は皇后を抱きしめた。皇后は改めて帝の優しさと心の広さを感じ涙を流す。皇后は涙をふき取ると、微笑んだ。
「きっと戻ります。きっと・・・。しかし御文を頂いてもお返事できないかもしれません・・・よろしいですか?」
「しょうがないね・・・。絶対戻っていただけるのならば我慢するよ。」
二人は無言のまま部屋に戻り、次の日朝早く都に向けて出立した。


《作者からの一言》

ほんとにとんでもないこと・・・。密通の相手の子を身籠る皇后・・・。わかったときには相当悩んだのでしょう。それなら関係を持つなと突っ込みたくなりますが、ここは平安時代。なんでもありかもしれません。

都の戻った頭中将は皇后に対する想いが募りすぎて恋煩いになってしまった^^;これ以上会ってはいけないとお迎えを辞退したのです。また出仕を控えたのも、やはり帝に後ろめたいことがあったからでしょうね^^;頭中将の初めてのお相手は皇后ではないのですが^^;初めてのお相手は後ほど出てきます^^;びっくりする相手ですよ~~~。

第41章 朧月夜の君

 春が訪れ、皇后は自分の二人の子供たちが側にいない寂しさを、毎晩弘徽殿を抜け出して小袿のまま庭に出て満開の桜を眺める。誰もここに皇后がいるなど思うはずがない。ここ二、三日うす雲がかかった朧月夜である。その朧月を見てさらに皇后はため息をついて、桜の木にもたれかかる。
「毎夜そちらにおられますが・・・どうかなさったのですか?」
皇后は驚いて声のするほうを見る。
「誰!」
そこには品のよい宿直装束を着た若者が立っていた。
「まるである物語の朧月夜の君のようで・・・。つい毎晩のように眺めておりました。どちらの女官か女房殿か・・・・。毎晩眺めているうちにお美しいあなたのことが好きになってしまいました。」
そういうと皇后の手を握り手の甲にキスをする。皇后は帝以外の男にそのような事をされたことがなかったので、顔を真っ赤にして固まってしまった。暗がりでその男の顔ははっきりとは見えないが、なんとなく帝とは違った感じの姿形のよい者で、ついときめいてしまった。
「何も言われないということはよい返事と取ってよろしいのですか?」
「え?」
そういうと、桜の木の下でその男は皇后にキスをする。
「あなたの事を朧月夜の君と呼んでよろしいですか?また会いましょう・・・。」
「あの!あなたは?」
「桜の君とでも呼んでいただこうかな・・・。では失礼します。」
皇后は放心状態で、男が消えていくのを見つめた。皇后ははっと気づくと、急いで弘徽殿へ戻った。そして何もなかったように寝所に潜り込み単を頭の上まで被った。
「桜の君?」
思い出したようにそういうと、先ほどの出来事を思い出し、顔を真っ赤にしてなかなか眠ることができなかった。
その後も桜の君が宿直の日、同じ時間同じところで密会をした。いつもいろいろ話をしたりするだけで、最近公務が忙しく後宮に来ない帝へ募る思いを忘れ、楽しい日々を過ごした。
「朧月夜の君、この私と結婚していただけますか?」
「え、それは・・・。」
そういうと、皇后は桜の君を離して、弘徽殿の方に走り去った。
(皇后様付きの女官か、女房殿だったのか・・・。)
桜の君はそう思うと、宿直所へ戻っていった。
 次の日、帝は皇后のもとにやってきた。以前より皇后が帝に頼んでいたことについてのようだ。帝がなかなか夜のお渡りがなかったわけもこれにあった。
「綾子、以前より行きたいと言っていた、長谷寺詣の件だけど、いろいろ手配が整ったよ。近衛の者から数十人列に付かせる事にした。」
帝が扇を鳴らすと一人の男が帝の後ろに座り深々と頭を下げる。
「この者は今回の列の責任者である新頭中将源将直殿だ。昨年まで衛門府にいたので腕は確かだ。そしてとても信用できる者。安心してお任せしたらいい。」
頭中将が頭を上げると、皇后は驚いて声が出なくなった。
(桜の君様・・・。)
「どうかしたの?綾子・・・。」
皇后は顔を扇で隠したまま、震える。もともと桜の君は皇后の事を後宮に出仕している女官か女房と思っている事を皇后は知っていたので、声を出せば自分が朧月夜の君とわかってしまうと思った。萩は機転を利かせ代理で返事をする。
「綾子、ここのところこちらに顔を見せてないから怒っているのですか?今晩こちらに参りましょう。昨日までのように清涼殿に詰めておく必要はなくなったし・・・。」
そういうと、帝は頭中将を連れて清涼殿に戻っていった。
「どうかなさいましたか?皇后様・・・。」
「萩、ありがとう・・・。ちょっと気分がすぐれないの・・・一人にしてくれないかしら・・・。」
「では薬湯を・・・。」
「いいわ・・・とりあえず一人にしてくれないかしら・・・・。」
皇后は一時とはいえ、頭中将にときめき、微かな恋心を抱いていた。今まで帝の寵愛を一身に受けていたのにもかかわらず、一時の偶然的な出会い・・・。皇后は密かな恋心を帝のために心の中に封印しようとした。
(私は何という事をしてしまったのだろう・・・ただの半月帝が来られなかったというだけで、他の殿方と・・・。)
一方頭中将は弘徽殿の中に朧月夜の君がいないかと目で追って探していた。しかしそれらしい女官や女房は見つからなかった。
(本当に弘徽殿にいる方なのか?もしかして物の怪の類かそれとも幻か・・・。あのように美しいのなら物の怪でも幻でも構わない・・・。)
そう思った頭中将はこの日の同じ所同じ時刻に行ってみる。今日はいくら待っても朧月夜の君は来ず、桜の木下で座り込む。出会った時に満開であった桜はもう散って葉桜になろうとしていた。今夜は朧月夜ではなくきれいな満月の夜だった。
(やはり朧月夜ではないと会えない幻か・・・・。でも確かにあれは生身の体・・・。)
頭中将は苦笑をし、その場を立ち去った。
 帝は皇后を弘徽殿の庭に連れ出す。
「ほら見てごらんよ、綾子。今日はなんてきれいな満月なのだろうか・・・。」
皇后は浮かない顔をして満月を見上げる。すると帝は皇后の腕を引っ張るとあの桜のところにやってきた。そして皇后を抱きしめた。
「ここなら誰も来ないよ。綾子・・・。」
そういうと帝は皇后にキスをした。まるで桜の君と同じような行為に皇后は涙を流した。
「常康様、なぜわざわざこちらに?」
「弘徽殿では必ず二人きりにはなれないからね。ここはよく右近少将の頃、宿直の時にここに来て桜と月を眺めたところだ。もう桜は終わってしまったけれど、ここなら誰も来ないと思って・・・。綾子が長谷寺に行くと当分会えないから今のうちにこうしてじっくり綾子の顔を見ておきたかった。」
そういうと帝は皇后の額に帝の額をあわすと、微笑んで改めてキスをした。皇后は桜の君との密会の記憶と重なってしまい、帝を離して弘徽殿に走って戻った。
(やはり相当綾子は怒っているのだろうか・・・。でも・・・。)
そう思うと帝はため息をついて弘徽殿に向かっていった。帝は弘徽殿の階段に腰掛けて、月を眺めながら皇后のおかしな態度について考え事をする。もちろん皇后が頭中将と密会を繰り返していたなどとまったく気が付いていない様子である。橘が帝に気が付き、声を掛ける。
「帝、どうかなさいましたか?このような場所で・・・。」
「綾子の態度が気になって・・・。今まであのような態度など見せたことなどなかったのに・・・。私のこと嫌いになったのかな・・・。」
「そんなことはありませんわ・・・。大事なお子様方と離れて過ごされておられるのできっと滅入っていらっしゃるのだと・・・・。長谷寺詣できっと気晴らしになられ、元気になられますわ。」
「ならいいが・・・。こういうときはそのままにしておいたほうがいいのかな・・・。ありがとう橘・・・。」
そういうと帝は弘徽殿に入っていく。そして皇后のいる寝所に入ると単を頭から被って泣いている皇后を見つめ、帝は横になった。
「綾子、長谷寺から帰ってきたら、こちらに孝子を呼び寄せよう。内親王であれば後宮で過ごしても問題はない・・・。同じ弘徽殿で一緒に暮らしたらいいよ。気が付かなくて悪かったね・・・。あなたから大切な姫宮を取り上げたような事をしてしまって・・・。」
皇后は帝の優しさに触れ、さらに桜の君との密会について自分を責めた。やはり反応がない皇后に対し、帝はため息をつくと立ち上がった。
「やはり綾子をそっとしておいた方がいいようだね・・・。清涼殿に戻る。別に怒ってはいないからゆっくり休みなさい。」
そういうと寝所から出て、橘を呼ぶ。
「どうかなさいましたか?ご気分でも?これから麗景殿へお渡りになりますか?」
「いや、もう夜が更けてしまった。和子には迷惑だろうから清涼殿へ戻るよ。」
そういうと橘に先導されて清涼殿に戻る。すると滝口のあたりで頭中将に出会う。
「頭中将殿、今日はあなたが宿直なのですか?ここのところ多いですね。」
帝に気が付いた頭中将は頭を下げる。
「皇后は相当機嫌が悪いらしい・・・。このようなことは初めてだ・・・・。眠気も覚めてしまった。良ければ話し相手になっていただけるとうれしいのだが・・・。」
そういうと清涼殿の片隅で二人は話し出す。
「頭中将殿はどうして頭中将になられてから宿直が多いのか?」
「私には他の公達と違って通う姫がおりません。家にいても仕方がないので、こうして毎夜他の者と変わって宿直を・・・。夜の内裏は静まり返り気分も落ち着くのでございます。」
「どうして通う姫がいないのですか?」
頭中将は苦笑して帝に申し上げる。
「お恥ずかしながら、理想的な姫にめぐり合えないだけでして・・・。しかし想う女(ひと)はいます。その方は朧月夜の夜に出会っていろいろ楽しい時間を過ごしました。しかし求婚をしたとたん消えてしまわれた。あれはもしかしたら桜か月の精かもしれません。まるである物語の朧月夜の君か、かぐや姫の様・・・。」
帝は微笑んで頭中将に言う。
「その姫と結ばれると良いですね。皇后は元服前に出会った初恋の姫。とても理想的な姫・・・きっと私は皇后が良い家柄でなくても妻に迎えていたことでしょう。しかし今まで機嫌を悪くしてもすぐに笑顔に戻る姫であったのに・・・今回は違うようだ。」
帝は苦笑して月を眺める。
「女性というものは秋の空のように変わりやすいものと聞いております。長谷寺詣に行かれて気分転換されるときっともとの皇后様に戻られます。」
「だといいね。普通の公達の妻であれば、のびのびと生活できるのであろうが、何かしら宮中は堅苦しい・・・。ここだけの話だけれど、あの時私が右近少将のままであったらと度々思うのですよ。そうすれば、皇后も東三条の若宮や姫宮と共に過ごせたのに・・・。頭中将、警備中に引き止めて悪かったね。少し気持ちがすっとしたよ。ありがとう。ゆっくり眠れそうだ・・・。戻っていいよ。」
頭中将は深々と頭を下げると、内裏の警備に戻っていった。帝も寝所に戻り眠りに付いた。


《作者からの一言》

皇后綾子の浮気発覚です・・・。今のところ帝はこのことは知らないと思います^^;もちろん頭中将も想い人が皇后など思っていないのです。この三角関係に一番悩むのはやはり浮気をしてしまった皇后なのでしょう・・・。このことが将来とんでもないことになるのですが・・・・。さあ、お相手頭中将が警備で同行する静養先の長谷寺にレッツゴーです^^;さてどうなる???

第40章 疑惑

 亡くなった内親王の喪が明けると、皇后と中宮は揃って二条院の若宮と東三条の姫宮を連れて参内し、帝の御前に挨拶に現れる。皇后の側には東三条の若宮を連れている。帝は東宮である東三条の若宮を呼び寄せ、膝の上に座らせる。帝の側には宣耀殿女御が座っていた。一通り皇后と中宮が挨拶を済ませると、帝の御簾の中に入りそれぞれの御子を見せた。
「父上、弟と妹はとても可愛いね。」
「そうだね。雅和と孝子というのだよ。雅孝はもう二人の兄上だから、可愛がるのですよ。特に孝子はお前と同じお邸に住むのだから仲良くな。」
「雅和は?」
「母君が違うので違うお邸だよ。」
「ふ~ん。でも遊びに行ってもいい?」
「内大臣殿か雅和の母君にお聞きなさい。良いと言われたら行ってもいいよ。」
すると東宮は中宮のもとに駆け寄って、小さな若宮の頬を触って言う。
「雅和の母上様、雅和が大きくなったら一緒に遊んでいい?」
中宮は微笑んで東宮に言う。
「東宮様は雅和のお兄様ですもの。誰も反対するものはいませんわ。必ず行く前に二条院に御文を書かれてから遊びにいらしてね。」
今度は皇后のところにやってきて姫宮の頬を触る。
「母上、孝子も連れて行っていいでしょ。ねえ。」
「まあ、孝子は姫宮ですのに?もうちょっと大きくなられてからね。」
帝は東宮の行動を見て微笑んだ。すると慌てて関白が御前にやってきたので、帝は皇后たちを後宮に行くように促し、下がったのを確認すると関白の言葉を聞いた。
「帝、側の者を遠ざけていただけませんか?」
帝が合図をすると、側についている者たちが下がっていった。下がったのを確認して関白は御簾の中に入って小さな声で帝に申し上げた。
「東宮様が当分の間滞在される予定の藤壺の床下からこのような物が・・・・。」
紙に包まれた物を帝に渡すと、続けて話し出す。
「これは人形。ただの人形ではありません。陰陽師に見せたところ、呪いの願掛けに使われる型の物。そしてこれが一緒に添えられていたものです。」
帝がその紙を開くと顔が青ざめた。
『怨 東宮雅孝様』
「すぐに陰陽頭をこちらへ・・・。」
「控えさせていますのですぐに・・・。」
陰陽頭を近くに呼び寄せると、詳しく人形について聞く。そして対処法を話し合うと都でも一番といわれる陰陽師を呼び、東宮に何事もないように対処させる。
「安倍殿、今のところ大丈夫と?」
「はい、東宮様には強い守護霊がついておられますので・・・。」
「これ以上何かが起こらないよう頼んだよ。誰か心当たりはないか・・・。」
関白も陰陽寮の者も首を横に振る。
「とりあえず、当分の間弘徽殿に東宮を・・・。」
帝は今参内している太政官を集め、この件について話し合った。
すると右大臣が言い出した。
「この中で一番怪しいのは内大臣ではありませんか?今日、中宮様が久しぶりに後宮に戻られたというのに来られていない。東宮が退位すると一番に得をするのは生まれたばかりの二の宮のいる内大臣。皆さんそう思いませんか?」
するとほとんどの太政官がざわつき、右大臣の意見に賛同をする。ただし関白と左大臣は反対の意を唱える。
「本日内大臣が休んでおられるのは内大臣殿の父宮のお見舞いによるもの。前々から聞いておりました。右大臣殿、あなたも怪しい面がございますよ。あなたの姫も入内されている。そして大納言殿、右近大将殿、式部卿宮殿・・・・。あなた方は決まっていた入内を急に白紙にされている。内大臣のみが怪しいわけではありません。調べもせずに勝手な事を帝の御前で言われるのではない。」
と関白が言うと、帝も続けていった。
「内大臣がそのような事をするわけはない。もともと内大臣にと勧めたとき、始めは中務卿宮として一生を終えるのが気軽で良いとお断りになった経緯がある。あの方は出世欲のない方だ。麗景殿が入内の際もあまり乗り気ではなかったし。私はあの方ではないと思う。ここのところ出仕もしておられないし・・・・。どうやって藤壷の床下に置けるというのか?今日はこの話はここまでにしたい・・・。何かわかれば報告を・・・。」
そういうと続々と太政官は下がっていく。すると左大臣は残り帝に申し上げる。
「この件は当家で養育しております東宮に関係あること、ちょうどうちの息子達が近衛府、衛門府におりますので、左大臣家が調査いたします。帝、時間をいただけますか。」
「わかりました、左大臣殿に任せます。内密に調査してください。何か必要なものがあれば、申し出ていただきたい。また政人や晃を使っていただいても構いません。そうそう、弾正台尹宮にも相談されたらいいと思います。きっとお役に立つ人物をお使いになるでしょう。よろしく頼みましたよ。」
左大臣は早速邸に戻り、自分の息子達と共に調査の方法を練っていった。とりあえず、滝口所に皇后の弟である衛門佐を宿直ついでにいかせ、数日不審な者がいなかったかと聞きにまわらせ、また内裏に出入りした者の調べをする。また、後宮に左大臣家縁の女官を入れ、徹底的に調べさせていった。
 数日が過ぎ、内大臣が出仕すると帝は内大臣を御前に呼んだ。
「内大臣殿、何か感じられましたか?あなたが宇治に行ってらっしゃる頃色々あなたに疑いがかかりましてね。」
「何かあったのですか?そういえば私が殿上するなり、殿上人がなにやら不審な視線で私を・・・。」
「今東宮が後宮に滞在しているのを知っておられますか?」
「いえ、こちらに来られるというのは聞いてありましたが、東宮御所の方に滞在されると思っておりました。それが?」
「それは本当の話ですか?」
「ええ、私はここ半月体調のあまり良くない父宮の側にいましたので、急についてこられることになった東宮様の滞在場所など知りませんでした。こちらに来られると知ったのも、中宮からの文で、文を読んだのは確か中宮が後宮に戻られる当日のはずです。」
「それは確かですか?」
「はい・・・当日文を持ってきた私の従者の源翔介に確かめていただけたら・・・。いったい何が?」
帝は少しほっとして今まで東宮の呪詛の話を内大臣に伝えた。内大臣は驚いて口を閉ざした。帝は即内大臣の従者に確認を取ると確かに内大臣の言うとおりであった。今度は左大臣が御前にやってきて、調べた内容を報告しようとする。帝は人払いをして報告の内容を記した紙を左大臣から受取ると、側に控えていた関白と共に読んだ。
『滝口所・・・人形発見される前日まで異常はなし。特に不審者もなし。
 該当日に内裏出入り者の中で、疑っておられる式部卿宮、右近大将関係者の出入りはなし。
 後宮に該当する縁の者・・・大納言家縁のもの一切なし。
 疑われる三家につきましては一切該当はなし。
 内大臣家・・・発見された日前後に内裏及び後宮に出入りした形跡なし。以上』
「よくここまで調べていただけました。感謝します。他の殿上人は調べましたか?左大臣殿。」
「もちろんでございます。ただ右大臣家のみはっきりしたことが掴む事ができず、悪い噂ばかり出てまいりました・・・。ただしこの件に関しての物は・・・。」
「引き続き右大臣について調べていただきたい。」
左大臣が下がると、関白が申し上げる。
「まさか右大臣殿が・・・。いくら出世のために手段を選ばないと言われた方でも・・・自分の首を絞めるような行為をなさるとは・・・。信じられません・・・。」
帝は脇息にもたれかかるとため息をついて考え事をする。
(あの人形に添えられていた文字・・・。どこかで・・・あまり印象はないけれど確か見たことが・・・。)
「どうかなさいましたか?」
「いや・・・この字、どこかで見たことがあるのですが・・・。関白殿はないですか?」
「いえ・・・このような字は・・・。」
帝は文箱を橘に持ってこさせると、今までの文を隅々まで見ていく。殿上人、役所、身内、最後に皇后、中宮、女御の文を一枚ずつ見比べていくとある一枚で帝の手が止まる。その一枚を握りつぶすと帝は立ち上がり、関白に言う。
「右大臣は参内しているのか?」
「はい、殿上しておりますが・・・。何か・・・。」
「これを書いた者がわかった・・・。今すぐ宣耀殿に参る。右大臣も呼ぶように!」
帝は、とても怒った様子で、宣耀殿へ向かった。宣耀殿に向かう途中、弘徽殿の前を通ると、東宮が飛び出してくる。
「父上、あそぼ、ねえ!」
「雅孝、父上は大事な御用があるから、摂津や萩と遊んでもらいなさい。摂津!萩!東宮を頼む!早く!」
摂津と萩は急いで東宮を抱いて弘徽殿につれてはいる。東宮の泣き叫ぶ声を聞きながら、帝は宣耀殿に急いだ。宣耀殿に入ると女御はきょとんとして帝の方を見つめる。帝は女御の前に座ると、紙を女御の前に置く。
「冬姫!これはあなたが書いたのですか!これがどういうことかわかってやったことなのですか!」
ちょうど右大臣が入ってきて帝の怒り様に右大臣は驚いて女御に言う。
「冬姫、帝に何をされたのか!事によってはこのまま連れて帰り、尼にさせる!」
女御は泣きながら言う。
「だって・・・だって・・・帝は私のこと・・・。お父様もいつも・・・。」
帝は右大臣に紙切れを渡す。紙切れの字を見て、右大臣は女御の筆跡であると確認する。右大臣は起こって女御の頬を叩いた。
「これはどういうことかわかっているのか!このような呪詛状を書くなど!冗談でも許されないこと!私はこのような姫に育てた覚えはない!」
「だってお父様はいつも帝が通われないのは私が幼いとか・・・言うじゃない!この前だって若宮様さえいなければと・・・だから私・・・。」
「父はそういう意味で言ったのではない!つい口が滑って、もしいなければお前は寵愛されたかもしれないとは言ったが決して若宮をどうにかせよとは言っていない!宮中を騒がしたのだからそれなりのことは覚悟しないと・・・。申し訳ありません!謝っても済むことではありませんが、お許しください。」
まだ帝の怒りは収まらず、急に立ち上がって清涼殿に戻ろうとした。
「帝!」
側についていた関白は右大臣に言った。
「えらい事をいたしましたな。これから帝を交えてあなた方右大臣家の処遇を審議致さないといけません。これは帝に対し謀反に等しい行いです。右大臣殿、姫君が勝手に起こしたとはいえ、覚悟は必要ですぞ!かわいそうなのは結姫だ。関白家が引き取っておけばよかった。亡き院、常仁様もさぞかし姫宮の行く末に嘆いておられるであろう。行く末を託された帝もきっと・・・。では審議が終わるまでここで待機されよ。」
そういうと関白は急いで清涼殿に向かっていった。右大臣はたいそう落胆して女御に怒る気もしなくなっていた。
「分家ではあるが、摂関家の流れをくむ右大臣家は終わったも同然。四の姫の行いひとつで、二の姫、婿の参議殿、三の姫、婿の頭中将殿、そしてお前とお前の母君、この私は罪人として死ぬまで指を指される。当家の使用人、縁者に至るまで・・・。ここまで苦労して登りつめた位が一気に水の泡・・・。はあ・・・。何をどう間違ったのか・・・。」
女御はずっと泣き崩れて自分が起こした行いの罪悪感に苛まれ、嘆き悲しんだ。女房達も皆、同じように嘆き悲しんだ。
 一方、清涼殿では五位以上の太政官右大臣家縁者以外すべてが招集され、今回のことに関して一から十まで説明をし、右大臣家の処遇を審議した。もちろん以後このようなことがないように厳罰にするという意見が多く、その方向で進んだ。問題は亡き院の姫宮で参議の養女である結姫の処遇であった。帝は何とか守りたいと前もって晃に結姫と結姫の乳母を関白家に移すようにすぐ対処し、審議が始まる前に結姫を内親王皇籍復活の宣下をした。おかげで内親王と宣下したので審議にはかからなかった。即、右大臣邸は反逆罪として門が閉じられ、右大臣や女御も右大臣邸に閉じ込められ、正式な処遇を待った。
 次の日になってもなかなか処遇が決まらなかったが、やっと決まったのはその日の夕方になった。帝の勅使が、右大臣邸を訪れ処遇を告げた。右大臣を始め女こどもは縁のない寺にて出家を言い渡し、他のものに関しては北へ南へ流された。もちろん女御は称号を剥奪され、大原にある縁のない寺に母君と共に預けられ、出家をした。一通り処分が終わると、空いた位はそのままずらす形で皆が昇進していく。内大臣は右大臣に、大納言は内大臣に関白の嫡男である中納言は大納言に昇進した。そして結姫は大納言の養女として迎えられ、帝の妹宮が大切に育てることになった。後宮はまた皇后と中宮のお二人のみとなった。


《作者の一言》

やってくれました^^;四の姫・・・。ほんとに冗談半分だったのでしょう・・・。でもこういうことは許されませんよ・・・。右大臣家は散々な目にあいましたが、他の人達は目の上のたんこぶがひとつ消えてうれしいのでしょうか?元右大臣家から見たら、東三条の左大臣家は怨みの根源なのでしょうか?大怖い怖い・・・。何事もない様に願いますよ^^;

ところで二条院の位置ですが、設定としては、嵯峨天皇が院として過ごした冷泉院のあたりにしています。ほんとに大内裏の真横です。東三条邸は三小路向こうほどしか離れていません。どちらも二条大路に面しています。近いといえば近いかな・・・でも歩いたら結構あるよね^^;

第39章 二つの命

 東三条邸に滞在中の帝は若宮と共に眠りについた。久しぶりに眺めるかわいらしい寝顔を見て、今日内裏に連れて帰りたいと思いながら、ぐっすり眠っている若宮の頬を触って微笑むと、若宮の部屋の表がまだ夜が明けきっていないにもかかわらず騒がしい。するとそっと何者かが入ってくる。
「何者だ・・・若宮はまだ就寝中である。静かにせよ。」
すると寝所の御簾に近付くとそっと申し上げる。
「橘晃でございます。」
「晃か、急ぎの用か・・・。」
「はい・・・。」
帝はそっと起き上げると若宮に単をかけて御簾から出てくる。そして几帳にかけていた単を肩にはおり、部屋の隅で橘晃の報告を聞く。
「申せ。」
「は、先程内大臣邸の早馬が参りまして、麗景殿中宮様親王無事出産とのことでございます。詳しい内容はこちらの内大臣殿からの文でご確認を・・・。」
「晃ご苦労。そこで少し待っていてくれないか。」
帝は橘に明かりを持ってこさせると、内大臣からの文を読む。
『少し中宮のご予定よりも早く親王が生まれてまいりました。少し小さめに生まれてまいりましたが、とても元気な産声で生まれてまいりましたので、皆安堵しております。しかし相当な難産であったため、中宮は直後気を失われ、何とか今のところ命には別状はないもののまだ意識が戻っておいでではありません。なんとも申し訳なく・・・。 内大臣 二条宮実仁』
この文を橘に見せると、帝は橘に助言を聞く。
「今すぐ行ってやりたいが・・・・。どうしたらよいものか・・・・。」
「そうですわね・・・少し覚悟が必要かもしれません。もともと麗景殿様はお体が弱く、体力も弘徽殿様ほどおありではありません。このまま産後の肥立ちが悪いうえに意識がお戻りにならないようでしたら・・・・。」
「そうか・・・このことは仲の良い弘徽殿には内密にせよ。晃、今すぐ馬を用意せよ!馬で今すぐ内大臣邸に参る。車では遅すぎる。早く!」
晃は下がり馬の用意をする。その間、帝は狩衣に着替え対の屋前の庭に用意された馬に乗って急いで内大臣邸のある二条院まで走らせた。
「開門!わが名は五位蔵人兼侍従の橘晃と申す。今上帝の至急のお出ましである、すぐここを開けられよ。」
門衛は急いで門を開け深々と頭を下げる。橘晃を先導に車宿に馬を預けて中宮のいる部屋に向かう。途中内大臣が帝を迎えると、とりあえず中宮の部屋は立て込んでいるという理由からか客間に通す。すると中宮つきの播磨が急いで客間にやってきて深々と頭を下げて申し上げる。
「誠に申し訳ありません!この私がついておりながら、中宮様があのようになられるとは・・・。」
「そなたが悪いのではありませんよ。今はどのような状況か?」
「実は・・・中宮様は双子を御懐妊だったようで、親王様は無事お生まれになりましたが、片方の内親王様は逆子のため出産後すぐにお亡くなりになりました。典薬寮女医に言わせますと、いまだ内親王様についていた胎盤が少々残っている様子で出血がひどくそのため意識が戻らないとのことでございます。」
帝は脇息にもたれかかってため息をつくと、真剣な顔で考え事をする。急いで女医がやってきて帝の前に座ると、深々と頭を下げる。帝は珍しく冷静さを失い女医に怒鳴りつける。
「女医というものが居ながらどうにかならないのか!侍医をこちらに呼べ!」
女医はいつも温厚な帝の態度におどおどしながら、申し上げる。
「恐れながら・・・われわれもできる限りのことはしております・・・。気を御静めに・・・。」
帝は脇息にもたれて肘をつき、涙を流す。帝は涙を拭うと、立ち上がって中宮の部屋に向かう。部屋に入ると中は静まりかえり、播磨が若宮を抱いて帝の前にやってきた。帝は若宮を抱くとまた泣き出した。
「この子は雅和と名づける。」
「そういえば帝もこれくらいの小ささでお生まれになりましたわ。きっと立派な親王としてお育ちになりますわ。」
帝は播磨に若君を渡すと、亡くなった内親王の亡骸を持ってこさせる。本来であれば、穢れを嫌うので帝には触らせないのであるが、どうしてもというので亡骸を見せるのである。亡くなった内親王は生きているのではないかと思うぐらいかわいらしい顔をしていた。
「この姫宮は少しでも生きていたのだろ。雅子内親王として内親王宣下をしよう。丁重に葬ってやってくれ。」
内親王の亡骸を女房に渡すと、帝は中宮の寝所に入られる。いまだ意識は戻っておらず、荒い息で眠り続けている。帝は白い中宮の手を握り締めると、その手を帝の頬にあてた。中宮の手は冷たく、今にも命の灯火が消えてしまいそうであった。
「播磨、外で控えている橘晃に東三条邸と、内裏に中宮の意識が戻るまで公務も何もかも取りやめにすると伝えよ。このままここに滞在し、中宮の看病にあたる。」
「しかし・・・。」
「権限は関白太政大臣に一任する。あと、生まれたがなくなった雅子内親王を内親王宣下し、喪に服すよう。」
「はい畏まりました。」
播磨は部屋の外で控えている橘晃に帝の言葉を伝え、橘晃は急いで馬に乗り関係各所に帝の言葉を伝える。もちろん内裏は混乱して予定されていた更衣や尚侍入内もすべて無期延期された上、生まれた内親王の逝去により、宮中は喪に服すことになり、様々な節会や宴は半年間すべて中止となった。もちろん東三条邸の皇后の耳にも入り皇后はお悔やみとお見舞いの文を帝と内大臣に送った。皇后はとても思い詰められたのか、夕方東三条邸より、二条院に急ぎの早馬がやってくる。
「帝に申し上げます。東三条邸の皇后様、御予定より半月早く陣痛が始まったようでございます。皇后付きと女医によりますと、夜半ごろお生まれになるとのこと・・・。」
「そうかわかったと伝えよ。あちらには摂津も橘もいるから心配ない。皇后も二度目の出産だ。生まれたら知らせてくれないか・・・。」
橘晃は深々と頭を下げると、東三条邸の使者に帝の言葉を伝える。
 夜半ごろ、帝はずっと中宮の側に付きで、綿に含ませた水を中宮の口元に当てて水分を与える。女房達が帝に食事を持ってきても口をつけずに、ひたすら中宮に付き添っている。すると橘晃は入ってきて御簾の側で申し上げる。
「どうした、晃・・・。弘徽殿のことか・・・?」
「はい、内親王のご誕生でございます。母子共に健やかという知らせでございます。どのように致しましょうか。」
「御料紙と筆を・・・。あとで届けて欲しい・・・。これを届けたら晃は帰っていいよ。政人と交代しなさい。お前もずっと寝てないのだろう。」
「いえ、これくらい・・・。」
御料紙と筆を受取ると、皇后にお祝いとお見舞いの文を書く。
『綾子、無事に生まれたようだね。本当ならすぐにでも会いに行きたいのですが、和子の容態が思わしくなく行けません。申し訳なく思っています。内親王の名前は孝子と名付けようと思っている。きっと雅孝は私のことを怒っているであろうね。  常康』
皇后に宛てた文を橘晃に託すと、また中宮の側についた。
 丸々二日経ち、夜が明けようとしているのか、隙間から微かな光が漏れてきた。やはり帝は一睡もせずに冷たい水に浸した布で中宮の汗を拭いたり、水分を与えたりして時間を過ごした。まぶしい光が隙間から中宮の顔に漏れると、少しずつだが、中宮は意識を戻しだした。帝は気がついて中宮の名前を呼ぶと、中宮は目を開けて帝の顔を見る。
「帝?」
「気がついた?ずっと眠っていたのだよ。さあ女医を呼ぼう。」
「帝・・・少し待ってくださいませ。私・・・。」
「何?」
帝は中宮の白い手を頬にあてて中宮の言葉を待った。
「私夢を見ましたわ。とてもきれいな野原に立っておりましたの。きれい過ぎて何だか先に進みたくなったのですが、突然小さな姫を抱いて品の良い直衣を着た帝によく似た方が現れて、帝が悲しまれるのでここから先は行ってはいけないと・・・。訳を聞こうとしても微笑まれるだけで・・・・。気がつくと帝が私のことを呼んでおられたのです・・・。」
(もしやそれは兄上と亡くなってしまった内親王ではないか・・・・。)
そう考えた帝は、中宮に優しく言う。
「それは私の双子の兄上かもしれないね・・・。兄上はあなたとの婚儀の日に病気でお亡くなりになられた。本当に私と瓜二つの優しいお方だよ。いつも品の良い直衣を着ておられた。中宮、女医を呼んできましょう。みんなとても心配しているよ。可愛い若宮も母君の事をきっと待っているに違いない・・・。」
帝は立ち上がって御簾から出ようとすると、中宮は帝に聞く。
「姫宮は?後から生まれた姫宮は?帝・・・。」
帝は一瞬立ち止まったが、そのまま何も言わずに近くに控えていた播磨に女医を呼ぶように命令する。慌てて女医は中宮の具合を見るとなんと不思議なことか、今まで弱々しかった脈は正常に戻り、産後の戻りも正常に戻っていた。その事を別室で帝に伝えると、帝は緊張の糸が切れたのか、突然倒れてしまった。ちょうど帝の寝ずの看病を心配して侍医が控えていたので、すぐに客間に運び診察すると、大変な高熱で意識も弱い状態であった。内大臣は慌てて客間に飛んできて侍医に帝の病状について問いただす。
「ご心配はございません。単なる過労と御見受け致します。丸二日も寝食もされず看病をされたのですから・・・・。二、三日ゆっくりお休みされて精のつくものを御召し上がられると、元通り元気なお体に戻られます。私も倒れられたと聞いた時は大変驚きましたが、中宮様が予想以上の回復様に驚かれ、一気に疲れが出たのであろうと思います。中宮様ももう心配はありません。処方いたしました薬湯を朝晩お与えください。また、中宮様も消化の良い物から順に食事をお出しいただき、とても栄養豊富なものをお召し上がりになればひと月後の床上げも可能でしょう。私はこれで・・・。何かあればお呼び下さいますよう・・・。」
そういうと侍医は典薬寮に戻っていった。内大臣は東三条邸から帝の乳母である橘を呼び寄せると、帝の側に付き添わせ、内大臣は内裏に報告のため参内する。丸一日眠り続けた帝は、眠りから覚めると熱も下がり、起き上がることができるようになったが、立ち上がろうとするとめまいがして倒れそうになった。
「帝、まだもう少しこちらにお世話になりましょう。中宮様の件で無理なさりすぎですわ。二条院からの知らせを聞き、橘はもう心配で心配で・・・。もちろんこのことは皇后様には内密にしておりますが、東三条の若宮様が珍しく駄々をこねられて・・・。」
帝は橘から受取った薬湯を飲み干すと、苦笑する。
「雅孝には本当に悪い事をしてしまったね。さぞかし怒っているのであろう・・・。」
橘はうなずき、薬湯の入った器を受取ると今度は重湯の入った器を帝に渡して言う。
「もちろんですわ。ここに来る時もついて来られると・・・・。駄々を・・・。新しくお生まれになった弟宮を見たいとも言っておりました。本当に二条院の若宮様は中宮様によく似たかわいらしい若宮様ですわ。姫宮様がすぐにご逝去されたことは残念でしたが・・・。東三条の姫宮様は皇后様に良く似ておられますのよ。先が大変楽しみで・・・。」
すると部屋の外で何だか騒がしい。
「中宮様!」
「和姫様!誰か!和姫様を御留め申し上げて!」
と外では女房達が騒いでいる。
少し経つと、小袖に単を着ただけの中宮が帝のいる部屋に飛び込んでくる。
「帝・・・・。」
橘は帝のいる御簾から飛び出して中宮を止める。
「橘局、帝に会わせてくれないかしら・・・。帝をこのようにしてしまったお詫びを・・・。」
「中宮様、さ、お戻りになられて静養を・・・。」
「少しでいいの、帝は気が付かれたのでしょ。私の口から帝にお詫びを・・・。」
すると帝は少しふらつく体でありながら立ち上がって、御簾を出て中宮のもとに向かい、そして中宮を抱きしめた。橘は急いで帝に単を掛け人払いをする。
「和子、ゆっくり横にならないと・・・。私はただの過労、たいしたことはない。」
「播磨からすべてを聞きました。姫宮のことも、帝が寝食もされずに私に付き添っておられたことも・・・。そしてそれがもとで倒れられたことも・・・。なんとお詫びしたらよいか・・・。」
帝は涙でいっぱいの中宮をさらに抱きしめ、額にキスをすると言う。
「ずっと一緒にとお約束したではありませんか・・・。この件で私は本当にあなたが私にとって大切な人であると痛感いたしました。妻は綾子ただ一人と思っていたはずなのにおかしな話ですね。さあ、お戻りなさい。早く元気になって後宮に戻ってきてくださいね。」
中宮はうなずいて橘に支えられながら戻っていった。
「晃か政人は控えているか?」
政人が帝の御前に現れると、政人から御料紙を受取り内裏に向けて文を書く。
『尚侍及び更衣の入内を白紙にせよ。もうこれ以上後宮に人を増やすつもりはない。内裏に戻るまでの権限は関白太政大臣に任せる。   今上帝 常康』
書き終わると政人に渡し、帝は寝所に横になる。またもや帝の急な入内白紙の言葉は宮中を混乱させた。


《作者からの一言》

双子ですね^^;もちろんこういうことは想定内なのでしょうね^^;実はこれを機会に和姫を抹殺しようと思ったのですが、なんとなく情が出て復活させました^^この雅和親王がお子ちゃま編の主人公になります。どうなるかはお楽しみ^^

さて、帝が死んだ内親王を抱いてますね^^;本来であれば、穢れるということで、触ったりしないのです^^;もちろん出産現場には安産祈願の僧侶や陰陽師が付き添いますので、死んだ内親王にお札か何かまじないつけた上で帝に渡したのでしょう。歴史上には最愛の妃を看取って亡骸を抱いて泣き叫んだという帝が実在します。もちろんこのような帝は異例中の異例ですが・・・。